河野洋平〜特定アジアにおける輝かしい功績(加筆)
※画像は2008年5月9日、来日した中国の胡錦濤国家主席と握手する「北京オリンピックを支援する議員の会」の河野洋平会長。
9月18日、河野洋平が記者会見で政界引退を表明。
9月26日、小泉純一郎が町村派に政界引退を正式報告。
小泉さんの政界引退ニュースは国民に衝撃を持って迎えられ、「もっと続けてほしかった」という声も多く聞かれました。
一方、河野の引退を惜しむ声はほとんど聞かれません。特に保守派からは「やっと辞めるか」と安堵をもって迎えられました。
ま、ごく一部には彼女のような例外もいるのでしょうが(^_^;
(ちょっと見づらいけどパネルの上部に「次期総理は河野洋平(が良い)」と書いてあります)
河野洋平が政界から去れば、日本も少しはマシになるでしょう。できれば、これまでの尻拭いをちゃんとやってから辞めてほしいものですが……。
この人については、拙ブログで過去にちょっとしたまとめを作ったことがあります。
・06/1/21付:河野洋平〜特定アジアにおける輝かしい功績(キャッシュ)
今日はこれに加筆・修正をしてお届けします。
あ、タイトルの「功績」というのはあくまで「特定アジアにとって」ですので、念のため。あと、項目の並び順は必ずしも時系列ではありません。
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【河野洋平〜特定アジアにおける輝かしい功績】
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●いわゆる河野談話 平成5年(1993年)
・外務省HPより引用
この談話は、自民党が衆院選で敗北し、下野目前の平成5年8月に出されたものです。日本の歴史教科書に慰安婦問題を載せる根拠を与えるなどし、現在に至るまで大きな禍根を残しています。
ところがこの談話は歴史的事実に基づいたものではありませんでした。
談話が出されて3年半後の平成9年1月30日、平林博外政審議室長(当時)が国会で「政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せなかった」と証言したのです。
・平成9年(1997年)1月30日 参議院・予算委員会における平林博氏の発言(参議院会議録情報より引用)
また、当時の官房副長官で談話作成に関わった石原信雄氏も、産経新聞のインタビューに対してこのように答えています。
・平成9年(1997年)3月9日付産経新聞における石原信雄氏の発言(酒たまねぎや ura ホームページさんより引用)
なお、石原信雄氏は2005年、再び産経のインタビューに答えています。
(この時産経は河野洋平にも取材を申し込んだが、国会開会中を理由に応じなかった)
9月18日、河野洋平が記者会見で政界引退を表明。
9月26日、小泉純一郎が町村派に政界引退を正式報告。
小泉さんの政界引退ニュースは国民に衝撃を持って迎えられ、「もっと続けてほしかった」という声も多く聞かれました。
一方、河野の引退を惜しむ声はほとんど聞かれません。特に保守派からは「やっと辞めるか」と安堵をもって迎えられました。
ま、ごく一部には彼女のような例外もいるのでしょうが(^_^;
(ちょっと見づらいけどパネルの上部に「次期総理は河野洋平(が良い)」と書いてあります)
河野洋平が政界から去れば、日本も少しはマシになるでしょう。できれば、これまでの尻拭いをちゃんとやってから辞めてほしいものですが……。
この人については、拙ブログで過去にちょっとしたまとめを作ったことがあります。
・06/1/21付:河野洋平〜特定アジアにおける輝かしい功績(キャッシュ)
今日はこれに加筆・修正をしてお届けします。
あ、タイトルの「功績」というのはあくまで「特定アジアにとって」ですので、念のため。あと、項目の並び順は必ずしも時系列ではありません。
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【河野洋平〜特定アジアにおける輝かしい功績】
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●いわゆる河野談話 平成5年(1993年)
・外務省HPより引用
慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話
平成5年8月4日
いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。
この談話は、自民党が衆院選で敗北し、下野目前の平成5年8月に出されたものです。日本の歴史教科書に慰安婦問題を載せる根拠を与えるなどし、現在に至るまで大きな禍根を残しています。
ところがこの談話は歴史的事実に基づいたものではありませんでした。
談話が出されて3年半後の平成9年1月30日、平林博外政審議室長(当時)が国会で「政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せなかった」と証言したのです。
・平成9年(1997年)1月30日 参議院・予算委員会における平林博氏の発言(参議院会議録情報より引用)
○片山虎之助君 従軍というのは軍属ですよ、軍籍を持つということなんですね。したがって、従軍記者だとか従軍看護婦さんはおるんです。従軍慰安婦なんというのはないんですよ。勝手につくった言葉でひとり歩きをしている。しかも、この言葉は一定のイメージを与えるんですよ。不正確でありかつ一定のイメージを与える。特に私は大変な影響があると思う。
そこで、文部大臣が今言われた平成五年八月四日の外政審議室の調査、それに基づく官房長官の談話がこれまた不正確なんですよ、不正確。軍が関与していると。関与はしていますよ。関与にもいい関与、悪い関与、積極的な関与、消極的な関与があるんだから。それは兵士を守るために消極的にはいい関与をしたんですよ。だから、それは私は否定しません、否定しない。それじゃ、強制連行や強制募集、そういうことの事実が確認できたかどうかなんです。ところが、あの調査報告も官房長官談話もかなりあいまいなんです。
そこで、外政審議室長、どういう調査をしましたか。
○政府委員(平林博君) お答えを申し上げます。
政府といたしましては、二度にわたりまして調査をいたしました。一部資料、一部証言ということでございますが、先生の今御指摘の強制性の問題でございますが、政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せませんでした。
ただ、総合的に判断した結果、一定の強制性があるということで先ほど御指摘のような官房長官の談話の表現になったと、そういうことでございます。
○片山虎之助君 今の審議室長の話は、資料と証言を集めた、資料には強制性を示すようなものはなかったと。ということは、(「そんなことはない」と呼ぶ者あり)いや、今答弁したんだから。
そこで、それじゃ証言ということになる。その証言はどういう人から集めましたか。
○政府委員(平林博君) その前に、強制性の問題でございますが、今御答弁申し上げましたのは、強制募集を直接示すような記述は見出せなかったと。ただ、もう少し敷桁して申し上げれば、いわゆる従軍慰安婦の方々の日常の生活等におきましては強制性が見られるということで先はどのような官房長官の談話になったということでございます。
証言につきましては、元従軍慰安婦とされる方々本人、それからいろいろな研究者、学者等でございます。
○片山虎之助君 いや、日常生活の強制性なんというのは、これはある意味ではわけがわからないんですよ。そういう資料があるなら、また出していただきたいと思いますが。
そこで、結局は証言を中心にどうもあの調査報告や何かができたんじゃないかというふうに私は思っている。証言というのは、当事者の両方なり第三者が入る証言でないと、片っ方だけの証言者を集めてということは、ちょっと私は客観性を欠くんじゃなかろうかと。
また、当時の官房副長官で談話作成に関わった石原信雄氏も、産経新聞のインタビューに対してこのように答えています。
・平成9年(1997年)3月9日付産経新聞における石原信雄氏の発言(酒たまねぎや ura ホームページさんより引用)
河野氏は調査の結果、強制連行の事実があったと述べているがーー
「随分探したが、日本側のデーターには強制連行を裏付けるものはない。慰安婦募集の文書や担当者の証言にも、強制にあたるものはなかった」
一部には、政府がまだ資料を隠しているのではという疑問もあるーーー
「私は当時、各省庁に資料提供を求め、(警察関係、米国立公文書館など)どこにでもいって(証拠を)探してこいと指示していた。薬害エイズ問題で厚生省が資料を隠していたから慰安婦問題でも、というのはとんでもない話。あるものすべてを出し、確認した。政府の名誉のために言っておきたい」
ではなぜ強制性を認めたのかーーーー
「日本側としては、できれば文書とか日本側の証言者が欲しかったが、見つからない。加藤官房長官の談話には強制性の認定が入っていなかったが、韓国側はそれで納得せず、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるよう要請していた。そして、その証拠として元慰安婦の証言を聞くように求めてきたので、韓国で十六人に聞き取り調査をしたところ、『明らかに本人の意志に反して連れていかれた例があるのは否定できない』と担当官から報告を受けた。十六人中、何人がそうかは言えないが、官憲の立ち会いの下、連れ去られたという例もあった。談話の文言は、河野官房長官、谷野作太郎外政審議室長、田中耕太郎外政審議官(いずれも当時)らと相談して決めた」
聞き取り調査の内容は公表されていないが、証言の信憑性はーーー
「当時、外政審議室には毎日のように、元慰安婦や支援者らが押しかけ、泣きさけぶようなありさまだった。冷静に真実を確認できるか心配だったが、在韓日本大使館と韓国側と話し合い、韓国側が冷静な対応の責任を持つというので、担当官を派遣した。時間をかけて面接しており当事者の供述には強制性に当たるものがあると認識している。調査内容は公表しないことを前提にヒアリングしており公表はできない」
韓国側の要請は強かったのかーーーー
「元慰安婦の名誉回復に相当、こだわっているのが外務省や在韓大使館を通じて分かっていた。ただ、彼女たちの話の内容はあらかじめ、多少は聞いていた。行って確認したと言うこと。元慰安婦へのヒアリングを行うかどうか、意見調整に時間がかかったが、やはり(担当官を)韓国へ行かせると決断した。行くと決めた時点で、(強制性を認めるという)結論は、ある程度想定されていた」
それが河野談話の裏付けとなったのかーーーー
「日本側には証拠はないが、韓国の当事者はあると証言する。河野談話には『(慰安婦の募集、移送、管理などが)総じて本人たちの意志に反して行われた』とあるのは、両方の話を総体としてみれば、という意味。全体の状況から判断して、強制に当たるものはあると謝罪した。強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった。これは在韓大使館などの意見を聞き、宮沢喜一首相の了解も得てのことだ」
談話の中身を事前に韓国に通告したのかーーー
「談話そのものではないが、趣旨は発表直前に通告した。草案段階でも、外政審議室は強制性を認めるなどの焦点については、在日韓国大使館と連絡を取り合って作っていたと思う」
韓国側が国家補償は要求しない代わり、日本は強制性を認めるとの取引があったとの見方もあるーーー
「それはない。当時、両国間で(慰安婦問題に関連して)お金の問題はなかった。今の時点で議論すれば、日本政府の立場は戦後補償は済んでいるとなる」
元慰安婦の証言だけでは不十分なのではーーー
「証言だけで(強制性を認めるという)結論に持っていったことへの議論があることは知っているし批判は覚悟している。決断したのだから、弁解はしない」
なお、石原信雄氏は2005年、再び産経のインタビューに答えています。
(この時産経は河野洋平にも取材を申し込んだが、国会開会中を理由に応じなかった)