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日本よ、これがスーチーだ

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 先日、ミャンマー最大野党「国民民主連盟(NLD)」のアウン・サン・スーチー議長が来日しました。

 日本滞在中だけでなく、その前からメディア、特にテレビは彼女をすごく持ち上げてましたよね。
 私は、スーチー女史には良い印象を持ってませんから、テレビのこの騒ぎ方はかなり異様に映りました。
 
 
 スーチー女史は昨年4月に国会議員となって以降、あれほど激しく行っていた政権批判を封印するようになりました。

 少数民族(カチン族)武装勢力と政権側との対立について、少数民族側はスーチー女史からの支援を待ちましたが、彼女は「政府が対処する問題だ。私は議会の民族委員会のメンバーではなく、干渉すべきではない」と述べ、少数民族側をがっかりさせました。
 スーチー女史は議員就任の前後、「少数民族の権利擁護」を最優先課題の一つに掲げていたにも関わらず、そんな対応をしたわけですから、彼らが失望するのも無理からぬことです。
 カチン族の活動家は、「彼女の関心は少数民族の苦しみよりも、賞をかき集め大統領になることにある」と批判しました(産経新聞2013.1.31 19:16)。

 また、昨年11月、ミャンマー中部で、支那企業と軍系企業との合弁による銅山開発事業の中止を求める僧侶や住民らを警察が強制排除した問題でも、スーチー女史は彼らを失望させました。
 テイン・セイン政権(テイン・セイン大統領は華人)の要請により調査委員会の委員長を務めたスーチー女史は、政権と支那に配慮し、今年3月、「開発を続けるべきだ」との報告書を公表したのです毎日新聞2013年03月13日19時14分)。

 いずれも、“民主化運動指導者・スーチー女史”に対するミャンマー国民の期待が大きく裏切られた出来事でしたが、このあたりを突っ込んだ日本のテレビがどれほどあったでしょう?

 私はほとんど目にしませんでした。
 どこの局かは忘れてしまったのですが、現在日本に住んでいるカチン族の男性の、「もはやスーチーには全く期待していない」という短いインタビューを流したのを見かけただけでした。

 あとで調べたら、スーチー女史の来日中、一部新聞が、ミャンマーで深刻化する民族・宗教対立をスーチー女史が静観しているという批判があることに対し、本人が反論したという報道をしていましたが…(毎日新聞2013年04月17日20時37分)。

 スーチー女史が少数民族の人権保護に消極的であることに関しては、実は今年1月、NYに本部がある国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチの年次報告の中でも、異例の批判がなされています(産経(共同)2013.1.31 19:38)。

 ついでに言うと、ヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア局長代理のロバートソン氏は、スーチー女史を「ノーベル平和賞受賞者というより二流政治家」と酷評しています(毎日新聞2013年03月13日19時14分)。


 スーチー女史について考える時、ミャンマーの民主化や少数民族の人権という視点で考えることもももちろん重要ですが、実はもっと根本的なことが見過ごされているのではないでしょうか。

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 その意味では、2012年「正論」2月号のコラム【折節の記】が参考になるかもしれません。

 2011年12月にクリントン米国務長官(当時)がミャンマーを訪問し、前年11月まで軟禁されていたヤンゴンのスーチー女史の自宅を訪れましたが、それを題材にしたものです。

 というわけで、その箇所を引用します。
 画像はこちらで追加したものです。
 

 起こしここから______________________________
 
 ヒラリーがアウンサン・スーチーの自宅を訪ね、裏庭で歓談する写真がロイター電で配信された。
 日本の大手新聞では12月3日付産経新聞だけが掲載していた。

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 裏庭には野球場が一面取れそうなほど広く、よく手入れされた芝生が美しい。
 二人が語り合う背景に白い二階建ての洋館が臨める。
 部屋数はざっとみて10室はあろうか。
 スーチーがお付きと住む自宅だ。

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 写真には写っていないが、庭の先はそのままインヤー湖につながる。
 対岸まで2キロもある湖のほとりにはスーチー邸のほか戦後ずっとこの国を支配してきたネ・ウインや政権のトップクラスの邸宅が建ち並び、対岸には米国大使館などがある。
 ミャンマー版の中南海と言える。

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 その湖を泳いで渡り、芝生をよぎってスーチー邸を訪れた米国人がいた。
 中年の白人男で彼は2度、湖を泳いで渡った。
 1度目は3年前の秋。
 スーチーの留守宅を訪ね、彼女が仏教徒とも知らずに聖書を置いていった。
 帰るとき、警備の警官に見咎められたが、別に捕まらなかった。

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 2度目は翌09年5月。
 手製のフィンをつけて真夜中に泳ぎ出し、途中で警官に見つかり石をぶつけられた。
 それでも無事渡り切って庭をよぎって屋敷に入り、スーチーを驚かせた。
 飯を食わせてもらい、明け方再び湖を渡って帰るところを捕まった。

 ミャンマーでは無届で他人の家に泊まることも泊めることも犯罪になる。
 男はそれで捕まり、重労働刑7年を宣告されたが、米国の要求で3カ月後に放免され帰国した。

 ロイターの写真はまさに米国人の侵入経路を語る現場写真にもなるものだが、この光景はもう一つ、日本の外務省に伝わる「スーチーは悪者」説も裏付けた。
 彼女は公道での集会は禁止なのに、わざと自宅前の路上で集会を開いて騒ぎを起こしていたという説だ。

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 当時のミャンマーは国連を通して英国の植民地支配を糾弾していた。
 ビルマ王家から奪った財宝の一部が返還されもした。
 英国はそれをなんとか黙らせたい。
 それで滞英生活30年のスーチーを送り込んだ。
 彼女はわざと騒ぎを起こしてはミャンマー政府の悪評を世界に喧伝するのが任務だった。

 それを我が外務省が知っているのは彼女の家の向かいが日本大使公邸だったからだ。

 一度、公邸から彼女の家を見たことがあるが、裏の庭は見えなかった。
 あの広さなら何人でも入れ、合法的に集会が開けたろうに。

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 それに自宅軟禁という言葉の重みも消えた。
 2DKくらいの家にいるのかと思っていたら、庭でゴルフもでき、泳ぎも舟遊びもできる家だった。

 スーチーはこれで手の内を見せた。
 言い換えればミャンマー政府との対決は終わったということになる。
 事実、この春には国政の補欠選挙に立つことも明言している。

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 この変わり身は何か。
 ミャンマーは少し前まで支那の属領みたいだった。
 米英主導の経済制裁で痛めつけられ、つい支那にすがった。
 支那はすぐ発電所を作ったが、できた電気の9割は支那に送電し、ミャンマーは停電したまま。
 それでも国家破綻は免れた。
 支那はインド洋と結ぶパイプラインと鉄道もつくり、もはやこの国は支那のインド洋側の玄関になりつつあった。

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 そのミャンマーがイラワジ川に計画中の支那の巨大水力発電所に毅然と「待った」(11年9月3日)をかけた。
 今、支那の援助を断ったら野垂れ死にではないかと大方が思った。

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 今度ヒラリーが行って、ミャンマーがそこまで大胆に振る舞った理由がやっと分かった。
 支那をけん制するため、米国はとっくにミャンマーに接近し、ミャンマー側も英国植民地時代の遺恨を水に流し、支那と距離をもつことを約束していたのだ。

 スーチーの役目は終わった。
 それがあの庭のヒラリーとの会談だった。
 意味深い写真だった。

 ______________________________起こしここまで


 スーチー女史に対しては、実は西村眞悟さんも過去に何度か痛烈に批判をされています。
 このことは、ネット上のご友人であるリョクさんに教えてもらいました。

 西村眞悟さんのサイトから、主にスーチー女史について書かれた箇所を引用します。
 少し長くなりますが、とても大切なことが書かれてあるのでぜひ読んでみて下さい。

「西村眞悟の時事通信」平成19年10月21日付
 さて、「日本も今や軍政との間に太いパイプをもたない」という。これははっきり言うが、日本外交の怠慢である。日本外交が戦略眼をもたず、漫然とアメリカさんやスーチー女史になびいていたから、パイプがなくなったのである。つまり、東京の戦略なき怠慢が、ミャンマーを中国側に追いやり、現地でのパイプをなくしたといってよい。
 ミャンマーは心温まる親日国で、軍事政権も一貫して日本に熱いまなざしを向け、援助を期待していた。しかし日本は、「民主化」を要求して援助を打ち切って放置した。そして、援助再開の動きも、その都度アメリカ国務省のご意向に従って封印された。
 その間、日本は、正真正銘の軍事政権である北朝鮮や天安門事件以降の中国に対しては、巨額の援助を続けていたのである。

 なお、一口に「軍事政権」というが、北朝鮮や中国とミャンマーを一緒にできない。前者は民衆の生活よりも独裁者と共産党が核やミサイルを保有し巨大な軍隊を維持するための軍事政権である。これに対して、ミャンマーは、貧しさの中からの国造りのための軍事政権である。丁度日本の明治維新から自由民権運動と国会開設までの政権の雰囲気と思えばいいのではないか。
 また、治安は日本より良い。貧しいけれども、市場で働く子供が札束を持って歩いていても盗られない。仏教の穏やかな教えと喜捨の精神が生きている。親の子殺しも子の親殺しもない。

(中略)

 とはいえ、日本政府はミャンマーへの援助を全面的に止めたのではなく、人道援助は遠慮がちに続けていた。しかし、スーチー女史は、日本の人道援助も軍事政権を喜ばすだけだと激しく非難していた。
(だいたい、こういう非難が出来ること自体、ミャンマーの「軍事政権」が、中国や北朝鮮と違い自由があるという証拠である)

 そこで十年ほど前に、私は、日本のポリオ生ワクチン援助が如何に行われているかミャンマーの田舎に見に行った。
 そこでは、若いお母さんが幼児を抱えて続々と集まってきていた。そして皆笑顔で我が子にワクチンを飲ませていた。その横では、お祭りのように人々が笛や太鼓で踊っていた。本当に、我が国は隣人に喜ばれるよい援助をしているものだと実感した。
 しかし、この援助をスーチー女史は非難していたのだ。そして、日本政府は遠慮がちに援助していたのである。

 なお、スーチー女史は、ヤンゴン以外のミャンマーを知らない。つまり、彼女はビルマ人の顔をしている英国人である。顔はビルマ、心は英国。実は、イギリスの植民地政策というものは、被支配地の上流階級をこのように作り上げるものなのだ。

「西村眞悟の時事通信」平成20年7月18日付
2、私とミャンマーとの関わり
 民社党(平成6年12月9日解党)の公式ミャンマー訪問団として、始めてミャンマーを訪れたのが平成6年5月。

(中略)

 始めてミャンマーに入国して歩き回って感じたことは、日本の報道は事実を伝えていないと言うこと。日本のマスコミは、同じ「軍事政権」でも北朝鮮は「地上の楽園」と伝えてきて非常に甘く、ミャンマーの「軍事政権」は悪の権化のように伝えていた。
 事実は全く逆で、ミャンマーの人々は信心深く穏和で親切、首都ヤンゴンはニューヨークやパリ、ロンドン、東京、大阪よりも安全で、浮浪者は皆無。
 「豊かさの中の貧困」と「貧しさの中の豊かさ」、ミャンマーは日本人が忘れたこの豊かさをたたえていた。
 そして、その「軍事政権」の親分のキン・ニュン第一書記は、禁欲的な威厳があり、明治の大久保利通とはこのような雰囲気の男だったのではないかと思うほど立派な陸軍中将であった。

 対して、アウン・サン・スーチーの言っていることは、英国流・米国流の民主主義を直ちに実現させない政権はすべて悪だと言うに等しくミャンマーの現実を無視していた。事実、彼女は英国で育ち、英国人の夫と子供の家族とともに長年英国に住んでいてミャンマーを知らなかった。
 私は、キン・ニュン第一書記に、スーチー女史の言っていることは空論である。自信を持ってミャンマーはミャンマーの民主化を着実に進めて欲しいと言った。
 すると彼は、まずはじめに、ミャンマーの英国からの独立は、日本軍のおかげであると日本への感謝の意を表明して、
 「我々四千五百万のミャンマー国民(その当時の人口)は、この大地で生まれこの大地で死ぬ。英国で育ち、英国に家を持つ人には分からない」と答えた。

 私は、ミャンマーが大好きになり、また、この親日的な国との友好を深めるのが日本の国益にかなうとの思いから、以後毎年一回から二回の割でミャンマーを訪れることになった。
 ある時は、スーチー女史が、日本のポリオ生ワクチンの援助を「軍事政権を利するだけだ」と非難したので、では、果たしてそうかと、首都を遠く離れたミャンマーの田舎のポリオ生ワクチン接種現場を見に行った。
 そこでは、多くの若いお母さんが村の学校に子供を抱えて集まっていた。楽隊が演奏して踊りも始まった。まるでお祭りのようであった。そして、お母さん達は幸せそうにニコニコ笑っていた。私には、この多くの子供達が日本の援助により小児麻痺の恐怖から解放されることが、何故「軍事政権を利するだけだ」と非難するのか、スーチーの言うことが馬鹿らしかった。そして、日本のマスコミは、何故スーチーの言うことだけを報道して、このようなすばらしい援助の場所を取材しないのかと思った。
 その後、平成17年の春には、多くの仲間とともにミャンマーを訪れ、日本で集まった浄財でヤンゴン郊外の村に小学校を寄付することができた。

(中略)

5、「民主化要求」とは何か・・・欧米のダブルスタンダード
 建国以来、ミャンマーは国内の少数民族の反政府ゲリラとの内戦が絶えず放置すれば分裂する危機が続いていた。
 その原因は、イギリスの少数民族により多数派のビルマ族を支配させるという伝統的な分割統治にある。イギリスからの独立とともに、少数者は支配の特権を失うわけで、その不満が内戦に発展するのは必至である。
 従って、この国家分裂の危機を克服してミャンマーを統治する政権として「軍事政権」が誕生するのは当然の帰結である。国民教育を奪われた英国による植民地支配の後で、知識のある人材を抱えた訓練された組織は軍隊しかなかったからである。
 そして、軍事政権のキン・ニュン第一書記の時代に、内戦はほぼ克服される。そして、キン・ニュンは、平成15年に民主化実現に向けたロードマップを発表する。

 しかし、この間、西側諸国は、ミャンマーが「軍事政権」であるが故に、援助を停止していたのだ。特にアメリカは「制裁」を実施していた。我が国も、この西側の動きに追随して独自の行動をとらず援助を停止した(但し、我が国は人道援助は実施していた)。
 この状況で特にミャンマーを苦しめ、また、腹に据えかねる思いにさせたのは、アメリカとイギリスの民主化要求と制裁だと思う。何故なら、独立後の内戦を必然的にする残酷で非民主的な植民地支配をしていたイギリスが民主化を要求する等は許されないではないか。また、アメリカの制裁はミャンマーの縫製業を中心とする国内産業に打撃を与え、失業の増加と外貨不足をもたらした。さらに、この英米に気に入られてミャンマー国民を苦しめる措置を歓迎し、日本からの人道援助も非難していたのが、イギリスで育ちイギリスに家族と家を持つスーチー女史であった。そして、ミャンマーは世界最貧国に低迷し続ける。

 ところで、英米は、苦しみながらも民主化のプロセスを歩もうとするミャンマーには制裁を課し、民主化など全く考えようともしない中共や北朝鮮には民主化要求などしていない。
 これを彼らのダブルスタンダードという。要するに、英米にとって、民主化要求は外交手段で相手を支配する方便に過ぎない。従って、英国や米国のミャンマーへの制裁をミャンマーは「第二植民地主義」(キン・ニュン第一書記)と受け止めた。
 当然である。
 そしてこの中で、馬鹿を見た見本が日本であった。我が国は、英米の民主化要求を額面通りに受け取って追随し援助停止を続けたものだから、アジアのもっとも親日的な国ミャンマーを中共の懐に追いやってしまったのだ。中共は今や、ミャンマーを経てインド洋に進出して、そこに海軍力を展開するところまできている。

 本当にミャンマーが民主化するのを望むのならば、最貧国にして内戦で苦しむミャンマーに惜しみなく援助を与えて励ますべきであった。英米にも我が国にもその力はあった。
 私には、西側の制裁と援助中止は、ミャンマーの国民を苦しめ民主化の歩みを停止させたとしか思えない。
 しかし、ミャンマーの「軍事政権」は、サイクロンの被害直後に予定通り新憲法採択のための国民投票を実施して国民から新憲法案の承認を受け、2010年には複数政党制による総選挙を実施して民政に移管すると発表している。つまり、現政権は、キン・ニュンなきキン・ニュンの民主化ロードマップを忠実に実行してきている。
 このような歩みを続けるミャンマーへの制裁は続けて、北朝鮮への制裁は解除するアメリカとは、如何にいい加減な国であるか明確に分かるであろう。

 西村眞悟さんの話を無理矢理3行にまとめると……

 ミャンマーは国造りのため軍事政権が必要だった。
 スーチー女史は顔はビルマ人だが中身はイギリス人。
 スーチー女史にとって英米流の民主化以外は「悪」であり、そのため日本の人道支援も非難した。

 ……あっ、4行になってしまった(^_^;

 皆さんご存知の通り、その後ミャンマー情勢は大きく動きました。

 支那との距離を取り、西側諸国との関係改善に動き出し、2010年11月の総選挙で民政移管を果たしました。
 また同月、ミャンマー政府は「スーチー女史は軟禁期限を迎える」と発表し、その後軟禁が解除されました。
 アメリカは2011年12月のクリントン国務長官のミャンマー訪問以降、対話路線を進めて関係の構築を図ってきました。
 今やミャンマーは経済面でも大きな注目を浴び、「アジア最後のフロンティア」とまで言われるようになっています。


 それにしても、スーチー女史の来日報道で改めて思ったのは、メディアというのは、物事を何かにつけ善と悪の単純な図式に当てはめようとするのだなぁと。

 すなわち、「スーチー女史=善」「軍事政権=悪」という図式です。

 が、ここまでお読みくださった皆さんはお分かりのように、事はもちろんそんなに単純ではありません。
 少なくとも、スーチー女史が日本で言われているような「悲劇のヒロイン」ではないことは確かです。

 スーチー女史が本気で大統領を目指す以上、彼女の本性は今後さらに露見していくでしょうし、そうなれば、当然、これまで多くの日本人が抱いてきたスーチー像は瓦解していくでしょう。

 実際、それはもう始まっているのではないでしょうか。
 たとえば、スーチー女史の来日の前後、日本のメディアではこのような報道もありました。

アウンサンスーチーさん:複雑な思い抱え来日(毎日新聞2013年04月13日23時19分)
 父アウンサン将軍は旧日本軍から独立運動支援をうけ、自身も1985年から1年間京都大で研究員として過ごすなど日本とのゆかりの深いスーチー氏だが、日本政府に対しては複雑な思いを抱いてきた。
 経済制裁を科し旧軍政と対立した米欧に対し、日本はミャンマーを国際社会で孤立させないよう、関係を保ちながら民主化を働きかけた。日本は80年代までミャンマーの最大援助国で、88年の軍事クーデター後もいち早く経済援助を再開した。スーチー氏は日本の姿勢を人権軽視だと非難し、「理解に苦しむ」(本紙連載「新ビルマからの手紙」)などと苦言を呈してきた。

大統領選見据え… スー・チー氏、帰国 日本との距離、縮まったのか(産経新聞2013.4.20 13:31)
 スー・チー氏の側近によると、彼女にとり日本という存在は「心中複雑な国」である。
 日本はまず、スー・チー氏が敬愛してやまない父、アウン・サン将軍が、英国からのビルマ(ミャンマー)の独立を目指し潜伏し一時、手を結んだ国であり、後に英国とともに駆逐した国だ。
 その父親は独立(1948年1月)を目前に、32歳の若さで暗殺され、このとき2歳のスー・チー氏には、父親の記憶も面影もほとんどない。彼女が85年から、京都大学の研究員として子連れで日本で暮らしたのは、「父親探しの旅」であった。当時の日本の印象を、スー・チー氏は次のように回想している。
 日本人は勤勉だ。だが、経済成長が最優先され、窮屈に生きている。他のアジア人に優越感を抱き、あらゆる機会を利用し金もうけをしようとしている。男性は女性を蔑視している−。
 何より、スー・チー氏には、弾圧された軍事政権時代から今日に至るまでの、日本政府の「政権寄り」に対する不満と不信感が内包されていると、側近は打ち明ける。それは日本政府が、民主化運動を弾圧した軍政と良好な関係を保ち、民政移管後も、民主化勢力を軽視していることにあるのだという。
 日本側の訪日招請にも一時は、消極的だった。結果として訪日は欧州、米国、インドなどへの外遊から、だいぶ遅れた。

 私は、もしスーチー女史が大統領になったら、ミャンマーは今までのような親日国ではなくなるのではないだろうかと危惧しています(国民レベルはともかく政治レベルで)。

 それどころか、ひょっとしたらいずれ「特定アジア」の一角に名を連ねる日が来るかもしれない……などというのは心配のしすぎでしょうか?
 だって、そうチラッと思えてしまった報道があったのです。

歴史問題で日本を批判 韓国でスー・チー氏(産経新聞2013.2.1 14:31)
 聯合ニュースによると、韓国訪問中のミャンマーの最大野党国民民主連盟(NLD)党首、アウン・サン・スー・チー氏は1日、太平洋戦争をめぐる日本の歴史問題に絡み「過ちは誰でもあるが、過ちを認めることをためらうことこそが本当の過ちだ」と述べ、日本の姿勢を批判した。
 ソウルで面会した宋永吉・仁川市長が「ドイツと違い日本は従軍慰安婦問題などを認めない。関心を持ってほしい」と述べたのに応じた。
 スー・チー氏はまた、ミャンマー独立の英雄、父アウン・サン将軍が生前「日本人の個人を憎んではいけない。誰でも長所と短所があるから短所を理由に憎むのはだめだ」と話していたとも述べた。アウン・サン将軍は第2次大戦中に旧日本軍の軍事訓練を受けたが、後に独立のため日本軍と戦った。(共同)

 もっともこれは聯合ニュースの引用ですから、韓国メディアにありがちな「我田引水」の記事の組み立てをしているだけ、という可能性も大いにあることを付記しておきます。



※拙ブログ関連エントリー(正論「折節の記」)
13/2/18付:日本よ、これが朝日だ
13/3/4付:[続]日本よ、これが朝日だ
13/3/23付:日本よ、これが韓国だ






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※拉致被害者奪還 日本列島縦断デモ行進はじめ、各種デモ・集会のまとめ
 http://ameblo.jp/hosyuyamato/

130118-NYianfu-blueS.jpg
 NY州議員宛にメールを出して下さった方々のもとに、Mark Butler下院議員から「いただいた情報に基づいて、私は決議案に署名しない決定をなしました」という返信が届いています。米国の議員さんは韓国側の情報しか知らないor問題自体をよく知らないので、まずは知ってもらうことが大切です。効果はあります。まだの方はぜひメールを送って下さい(上院採択済・下院はまだ)。

 以下も慰安婦関係のお知らせです。よろしくお願いします。
デトロイト 慰安婦少女像建立 絶対阻止!メッセージを送ろう!
ニュージャージ州議会 慰安婦決議に反対のメッセージを送ろう!
(下院採択済・上院はまだ)

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Comments

知らんかった!というか勉強不足でした。
麻生さんの先日のアジア歴訪の際、忙しくてくっくりさんの記事を流し読みしてました(すみません…
スーチーなる人物には何の感慨も抱いてなかったのですが、イギリスのスパイという話は!?と思ったのですけどね。

今回の記事でハッキリ分かりました。もっと勉強しなくてはっ!
テレテレ | 2013/04/22 10:22 PM
〉それを我が外務省が知っているのは彼女の家の向かいが日本大使公邸だったからだ。

これは日本外務省も相当情報持ってるんでしょうねえ…。外務省ミャンマー大使だった人がスーチー女史に怒ってる講演動画をyoutubeで見た事ありますが、だったらちゃんとその情報を使ってスーチーに圧力かけなさいよ、と思ったりも…。まあ一番の悪党は結局スーチーの裏にいる英国ですが。
しかし人権云々で英語圏メディアが騒いだ時は、必ず彼らの国益が絡んでますね。まあ、メディアはどこの国でも薄らリベラルなお人よし連中なので国家機関のインテリジェンスからの情報で踊らされてるだけかも知れませんが。


あ、そういえば高野 秀行という探検家の潜入記である、ミャンマーの柳生一族、という変な本を読んだ事を思い出したがやっぱりスーチーや英米が言うような単純な人権弾圧国家では無いようですね。軍閥が地方にあり、それを英米に非難されてる中央政府が絶妙のバランスで統治してたらしい。その中央政府の重しを外したから民族紛争がまた激化してきたという側面もありそう。
わい | 2013/04/22 10:54 PM
彼女が善人か、という本も出てますね。
>>もしスーチー女史が大統領になったら、
地下資源なんか英米企業が利権を握るんでしょう。一方でシナの影響下で活動する勢力が生まれて、狭間で少数民族はますます虐げられるというイヤな予感がしてきます。
弓取り | 2013/04/23 12:13 AM
【山口洋一】ミャンマー情勢とアウンサン・スーチー女史の実像[桜 H21/8/17]
http://www.youtube.com/watch?v=AFM7anhwIBk
★アウン・サン・スー・チーの実像
http://www.youtube.com/watch?v=Q6-brDHx9e0

元ミャンマー大使・山口洋一氏の、西村眞悟さんの話を裏付ける証言です。
これも一つの見解として見るべきなのでしょうが、「スーチー=正義」というストーリーから逃れられないマスコミとのやり取りが生々しく語られています。
ミルル | 2013/04/23 02:37 AM
スーチー氏については仰る通りなのですが、軍事政権側もまた独立運動にかこつけた麻薬がらみの金を巡って真っ黒けなので…日本は日本が訪れた時に彼らが見せたがる顔もまた「嘘」であるという認識を持たないといけないと思います。

特に日本人は親日的な逸話や態度に対しては、その裏を疑わず「これが本当の顔だ」と思い込みがちなので。

ビルマとしては英米と中共と日本とが「自分達こそが」と、噛み合って倒れてくれれば万々歳なのですから。
柘榴 | 2013/04/23 08:01 AM
彼女の中身のない言動を見返せば、仮に大統領となった場合、第二のパク・クネになるのは確実でしょう。
軍事政権だからこそ硬軟の手法を用いて、シナと通じた少数民族をやっと平定することができたのです。しかし、『無能な指導者』が上に立てば、少数民族独立問題を発端にシナとの国境紛争に至る危険性を孕んでいます。
hanehan | 2013/04/23 08:46 AM
くっくりさん、こんにちは。はじめまして。

今はなき「諸君」誌の名物コラム「紳士と淑女」にならったと思われる「正論」誌の匿名コラム「折節の記」ですが、その主張や文体からおそらく高山正之氏の筆によるものと予測しております(間違っていたら申し訳ありません)。私は週刊新潮の過激コラム「変見自在」と併せ毎月楽しみに読んでいる者です。くっくりさんのブログも楽しみに読ませて頂いております。今後もご健筆を振るわれんことを祈っております。

高山正之著「スーチー女子は前任か」「http://www.shinchosha.co.jp/books/html/305872.html
なかじま。 | 2013/04/23 09:40 AM
くっくりさん、このトピを上げてくださって有り難うございます!
わたしもミャンマーについては自分がいわゆる観光情報とビルマの竪琴しか知らない無知蒙昧な輩であると再認識させられました!

>それどころか、ひょっとしたらいずれ「特定アジア」の一角に名を連ねる日が来るかもしれない……などというのは心配のしすぎでしょうか?

スーチーさんを知れば知るほど、このくっくりさんの危惧が笑い話には済ませられないと思わざるを得ないんですよねえ。
ノーベル平和賞ってそれが政治家に与えられた時は、現実社会に禍根を残す困った賞ですねえ。
sss | 2013/04/23 10:16 AM
初めまして!!
kibouと申します。

外国訪問は、ミャンマー中心で考えると近所の東南アジアを最優先で訪問するべきだと高山正之さんがおっしゃっていました。
スーチーは、1英国2米国へ訪問しています。
つまり、英国の手先となって、ミャンマーを利用していると思います。

特に日本のマスゴミが持ちあげる人は、「要注意=疑う必要あり」ですね。
kibou | 2013/04/23 10:54 AM
ちょっとずれますが、先日見たTVで、在日ミャンマー人のアンケートで5年前はミャンマーに帰りたいという人が多かったのに、実際に帰れるようになってきた今年のアンケートでは、帰らないという回答が殆どだったという。まあ、わからなくはないですけど。。
Yu | 2013/04/23 11:39 AM
たぶん今から20年ぐらい前のこと、ミャンマー在住(と思われる)記者さんの書かれた産経新聞の記事で「スーチー=正義」というのは眉唾ものだと知りました。

大事なパレードの道筋に当たるところでの集会を申請し、却下されると大騒ぎして「弾圧された」と猛アピールするというようなことを繰り返しているのだと。

それまでは子供とも引き離されてかわいそうと思っていたのですが・・・同じ自宅軟禁でも、現在の中国と比べると「非人道的」とは言えない代物だったとわかりますよね(汗)

他にも、軍事政権のトップに近い人に「なぜ軍服を着ているのか。スーツを着ていたら、もっとソフトに印象付けることができるのに」と聞くと「軍服を着ずに力で押さえつけていると、軍政の終わりが分からなくなる」(早く軍服を脱ぐことができるようにがんばるという意味だったと思います)いう答えが返ってきたという記事も印象深かったです。

その他に、ミャンマーが多民族国家なので公教育は他国語でやろうとしていたこと(多数を占めるビルマ族の言葉ではなく)。その際英国支配の悪夢から英語は採用しないで中国語を採用する方向だったこと(中国も印象が良くなが、英国よりはまし)も読んだ覚えがあるのですが、調べてみると、今学校ではビルマ語と英語が使われているそうなので、記憶違いかもしれません。
ポン太 | 2013/04/23 03:18 PM
以前から、この人、どうも胡散臭いな〜と思っていたんですが、最近の発言とか聞いて、やっぱりなと思いました。
huu | 2013/04/23 07:10 PM
善と悪で判断しているのはメディアだけではなく、日本の外交・政策の判断も、それがかなり入り込んでいる気がするんですよねぇ…

欧米に限らず、外国は損か得かで判断しているというのが感じられますね。
聞くところによると、アラブ諸国は場合によっては欧米以上に損得で判断するとか。

この様な話を聞くたびに、日本人の思考って情緒的でナイーブなのかなぁと思ってしまいます。
すぷー | 2013/04/23 08:11 PM
■「西村眞悟の時事通信」平成19年10月21日付
「ヤンゴン以外のミャンマーを知らない。
つまり、彼女はビルマ人の顔をしている英国人」

これ!、よく探されましたね。!
私が見て最初に衝撃を受けた文章そのものだと思います。


アウンサンスーチー氏を、私はマスコミを疑うようになる以前から、変な人だと思って見ていました。


いつだったか軟禁を解かれて
「アイムフリー!」って叫んでいる映像がニュースで流れて、

なんや、英語やん」と思ったんですよね。

自分の国の言葉をしゃべればいいのに、インテリぶってるのかな?、なんて思いました。
細いけど、病的じゃないし、きれいにしてるし。

大統領になったら何語で話すつもりでしょうね。
リョク | 2013/04/23 09:46 PM
皆さん、コメントありがとうございます。
いつも個別にレスをつけられず申し訳ありません。

なかじま。さん:
「折節の記」の筆者、私もどなたか存じ上げないんです。以前、誰が書いてるんだろうと思って検索してみたところ、正論編集部のブログに行き着き、そこに書かれてあったのは、「それは秘密です」でした(^_^;
http://seiron.iza.ne.jp/blog/entry/2073315/

リョクさん:
改めて検索かけたら幸運にも見つけることができました(^_^;
くっくり@管理人 | 2013/04/23 10:35 PM
重要なのは彼女の聖人性の有無ではなく、彼女の存在が日本の国家戦略にとって有益かどうか、そういう視点です。

日本にとって使えるなら、汚れた駒でもお化粧して使う。
日本にとって有害なら、綺麗な駒でも躊躇わずに潰す。
そういう強かさ(特に後者の非情さ・冷徹さ)を日本人が持たねば、いつまで経っても「理想化されて賛美される」役者が変わるだけで同じではないでしょうか。
柘榴 | 2013/04/24 04:03 AM
英米は自分たちに従う政権を歓迎する。中国一辺倒に危険を感じた小国の舵取り、変節でしょうね。
日本はイランとの友好を対米従属で損ね、大切な石油利権も捨てさせられた。残念ながら米国の顔色を伺う戦後の日本政治には失望続きである。
yuki | 2013/04/24 09:00 AM
昔から女性ファッション誌でもよくスーチーさんが取り上げられていました〜。
集英社とかマガジンハウスなどなど。
記事は『スーチーさんは素晴らしい!!憧れる!!アジアの女性の星!!』ってな感じでした。
自分は「ふーん」という感じでなんとも思ってなかったんですが、こういったファッション誌を読んで勘違いしてる女性も多そうです。
細身で大人しそうなお嬢様風なのに軍部と対立していて見かけと違って強い女性…みたいなのが左翼メディアの女性から支持され易いのでしょうか?
abby | 2013/04/24 11:20 AM
>日本のマスコミは、何故スーチーの言うことだけを報道して、このようなすばらしい援助の場所を取材しないのかと思った。

勉強になりました。
日本のマスゴミって、基本的には産経以外は反日だから、偏向(洗脳?)報道しているのでしょ。
マスゴミが報道しないから、くっくりさんのブログなどのネットで公正な情報を探しているんですよね。
マスゴミの存在意義を疑問視する視聴者や読者が増えるといいですよね。
へたれのコダマ | 2013/04/24 01:02 PM
yukiさん

もし日本が核開発をするイランと仲良くしたら、それは北朝鮮を援助する中国と同じような立場に日本が立つことだと思いませんか?
koku | 2013/04/24 02:43 PM
もし日本が戦勝国だったら、チャーチル、ルーズベルトや毛沢東らの指導者はA級戦犯ですね。日本人の感情を害するので、ルーズベルトの墓参はしないでくれと言ったらアメリカ人は理解してくれるかしら?
paru | 2013/04/24 04:56 PM
…書き起こし乙です。…冷静に見てやはり黒ですね。
Embassy of Japan in Myanmar
を参考に地図で見てみるとそれなりの大きさの湖のようですね。
その他 | 2013/04/24 07:19 PM
>もし日本が核開発をするイランと仲良くしたら、それは北朝鮮を援助する
>中国と同じような立場に日本が立つことだと思いませんか?

イランが核開発を行っているのかどうか分かりません
アメリカ、イスラエルがイランは核開発していると言っているだけで
イランが核開発を行っているという確固とした証拠があるわけではありません
あれほど大量破壊兵器があると言われていたのに、実際には無かったイラクの例もありますし

仮にイランが核開発を行っていたとしても
外交とは小児的な善悪の二元論で判断するのではなく国益を踏まえて損得で判断するのなら
イランの核開発で困るのはイスラエルであって日本ではありません
日本がアメリカ、イスラエルに義理立てして、無償でイラン産原油を辞退するのは馬鹿げたことになりませんかね
f15 | 2013/04/24 09:32 PM
3年前にタイのチェンマイに行った時、日本人のロングステイヤーから聞いた話です。「チェンマイには多くのミャンマー人が出稼ぎに来ているが、スーチー女史の評判が極めて悪い。プライドばかりが高く庶民の味方なんて真っ赤なウソ。米国志向が強く、米国の傀儡、と」当時はこれには本当に驚きましたが、やはりそうだったんですね。
aki | 2013/04/24 09:41 PM
そもそも悪の独裁政府だったら
軟禁でこれだけこぎれいにすごさせてもらえないですよねw
U | 2013/04/26 11:53 AM
>f15さん

イランは北朝鮮と最も仲の良い国の一つで、軍事技術の交流も行っています。
イラン問題と北朝鮮問題は、全く別々の問題ではないのです。


>Uさん

イギリスに注目されていたから小奇麗な状態で軟禁されていたとはいえないでしょうかね。
そもそもスーチーさんは、建国の父の娘ですよ。


この一連の動きを見て言えることは、アメリカにとってアジアは、経済だけではなく、今でも軍事上において重要なのだということでしょうね。
すぷー | 2013/04/26 10:32 PM
>それにしても、スーチー女史の来日報道で改めて思ったのは、メディアというのは、物事を何かにつけ善と悪の単純な図式に当てはめようとするのだなぁと。

>すなわち、「スーチー女史=善」「軍事政権=悪」という図式です。


この反対の図式に単純に当てはめる訳ではありませんが、私もこの人物には違和感と不信感を持っています。

何故こうもメディアへの露出が多いのか。しかも一方的な色付けで。

くっくりさん流のまとめの一部『スーチー女史にとって英米流の民主化以外は「悪」であり』という文を読んで連想したのは、現時点における最新記事「主権回復の日」政府式典の意義を考えてみた2013.04.27 Saturdayの、以下の引用部分との、ある種の共通点です。


>戦後の日本、自由や民主主義、基本的人権、平和主義、私たちが確立した素晴らしい概念、哲学はもちろん今、定着しています。これは戦後の歩みで評価すべき点であろうと思います。

>が、同時に、7年間の占領時代に、いわば占領軍の手によって、事実上、占領軍の手によって、憲法、教育基本法もそうですが、占領時代に作り上げられた仕組みがあるわけで、その中で真の独立を取り戻す上においては、私たち自身でしっかりと自分たちの基本的な枠組みを作り直していく必要があるだろうという考えであります。

「英米流の民主化」とは、西村眞悟議員もご指摘の通り形を変えた植民地化ではないでしょうか?
そして、我が日本国も、今に至るまで形を変えたアメリカ支配が継続しているではありませんか。

今まで何度か書き込ませていただいた通り、私は自由・民主主義・人権等の価値観を重視しています。そしてそれはそれぞれの国家の国民こそが主役になるべきであり、決して「外から押し付けられる」性質の物ではないはずです。
それに鑑み、ミャンマーにはミャンマーの国民が、自国にふさわしい形態の民主主義を徐々に模索していくべきではないかと考えます。それが真の民主主義であり、真の独立である、そう考えます。

私はアメリカもイギリスも大好きな部類です。そして我が国が今後とも強く手をつなぎ、共に歩調を合わせていくべきだと考えています。
その上での事ですが、『英米流の民主化以外は「悪」』という押しつけが事実だとすれば、あえて言えば我が国に巣食う反日勢力による「日本悪玉論」の押しつけと、本質的に類似しているのではないでしょうか。
青二才 | 2013/04/28 12:46 AM
>青二才さん

なぜ米英がこの様なことをしているのか─まあイギリスについてはよく分からないのですが─
2012年に発表された国防戦略では、アメリカにとって、西太平洋〜東アジア、そしてインド洋と南アジアが、経済と安全保障において重要だと位置付けています。
だから戦略上、中国の影響力を増大させるわけにはいかない、何としてでもアメリカ側につけておきたいという単純な理由でしょう(分かっているでしょうけど)。
国際政治は善悪ではなく損得です。
確かにアメリカは自由や人権を声高に叫びます。
しかし経済と安全保障、特に安全保障とこれらを比べると、安全保障の方が重要になるという、どこの国でも判断する理由からではないでしょうか。

そして、日本はアメリカ支配だと言いますが、なぜアメリカのいいなりにならなければならなかったのか?
理由は簡単ではないでしょうか。
憲法九条などの存在により、軍事力に制約を受けているからです。
そのために、条約を結んでいるアメリカに対して「バンドワゴニング(追従政策)」をしなければならなかったからです。

では、なぜその様な軍事力の制約を受けるようなものを日本は持ち続けているのでしょう。
元の原因はもちろんアメリカにあります。
しかし、戦後これらを守ろうと努力してきたのは誰でしょうか?
アメリカでしょうか?
でも、もっと目に見える存在がありますよね。
左翼的思想を持った人たちです。
この人たちこそが、戦後の日本を貶め、そして平和という名目を掲げて、軍事力を制限する憲法九条を守ろうとし続けてきたのではないでしょうか。
そしてそれが原因で、戦略を考える上で片手落ちとなってしまう専守防衛や軍事力の制限から脱することが出来なかったのだと思います。

さて、現在はどうでしょう。
安倍政権は憲法改正を視野に入れています。
それについて、アメリカ政府は懸念していません。
と言うより、歓迎しているようです(ついでに言えばフィリピンもそうです)。
http://uk.reuters.com/article/2012/12/11/uk-japan-election-constitution-idUKBRE8BA06M20121211
しかし国会やテレビなどでは、懸念したり反対する人たちを見るようになりました。
この人たちはいったい何者なんでしょう。
すぷー | 2013/04/28 11:40 AM
>すぷーさん

全くもって仰るとおりですね。
蛇足を加えるとすれば、その「戦後レジーム」を固守し続けてきた原因は、「負けた『から』仕方ない」という、どこか日本人的なお人よし気質にもあるのではないでしょうか。

その意識を「負けた『のは』仕方ない。しかしたった一度の敗戦で、我が国を損なうわけにはいかない」に変えていくことも必要ではないかと思いますし、現にそういう方向に変わりつつあると実感しています。

結局我が国が真の民主主義を確立し、真の独立を果たすには、憲法改正(あるいは現行憲法破棄)、特に憲法前文と九条の是正を避けて通ることは不可能です。
そしてそれを成し遂げる意思が、今の我が国の国民には、あると思います。その意思を的確に問う為には、まず憲法改正の「発議」要件を緩和しなければならないと考えます。

常々不可思議に思うのは(と、一応書いておきますが)我が国の左翼連中やリベラル指向者は口では「アメリカ支配が怪しからん云々」と言いますが、何故すぷーさんが仰るような視点に立てないのでしょうね。
青二才 | 2013/04/28 05:16 PM
>paruさん

もしも日本側が勝利していた場合、そもそも遡及的に作られたA級・C級戦犯なる区分けなどは、この世に存在していないはずです。戦争そのものを犯罪として裁く、などという愚行をするとも思えません。
普通の戦争犯罪は裁かれたでしょうが。
敵国の指導者であり、戦中に没したルーズベルトに対しても礼節を守ったのが我が国ですよ。
柘榴 | 2013/04/28 07:06 PM
>青二才さん

なぜ左翼思想を持った人たちが私のような視点に立てないのか…ですか…?

まず、あの憲法九条を素直に読めば、「日本は軍備を全くしてはいけない」という解釈になると言われます。
事実、社会党などはそのように言ってきたはずです。
ソ連のスパイが多数入りこんでいた、当時のアメリカ政府やGHQにも、その意図があったと言われています。

しかし東西冷戦が始まってから、この条文や戦争犯罪に対する意識は、アメリカにとって都合の悪いものになってしまったという事実があります。
日本は西側の戦力の一部となり、安保条約まで結んで同盟国の一員となったのですから。
問題としてよく扱われていた、戦争裁判について書かれたサンフランシスコ講和条約第十一条も、原文は単に「判決を受け入れる」であって、文章から「日本はこれから裁判の結果に縛られない」ということを多数の国際法学者たちが指摘していることからも分かるように、調印した連合国側もこれで終わらせるつもりだったのは明白です。
それでなくても平和条約とはその様なものなのですから。

一方、アメリカと対立する共産主義国にとっては、九条はアメリカの戦略を阻害する都合のいいものと受け取られたのではないでしょうか。
実際、左翼でも指導的な立場にいるのは、共産国(元共産国)と仲の良い人たちが多数いるのではないですか?
護憲を叫んでいる団体は、元をたどれば、共産党や社会党(社民党)に繋がるものが多いのではないでしょうかね。
ちなみにその社会党ですが、もちろんそちらの国と仲が良かったし、資金提供を受けてきたという話もあるくらいです。
(余談ですが、昔レーガン政権が日本に軍備増強を求めてきた時に、ソ連が「アメリカは日本の平和憲法に泥をぬろうとしている云々」と言ってたのを覚えていますw)
「負けたから仕方ない」という意識も、これらの共産国と仲の良い人たちが叫び続けてきた結果、一般の人たちの心の中に刻み込まれ続けて来たのではないでしょうか。
何処まで正しいのかは分かりませんがね。


まあ私が改憲の話で思い出すのは、ネット上でこの改憲のやり取りを見るたびに、護憲において重要な役割をしてきた「左翼」の存在、そしてそのバックにいた共産国の存在が、綺麗さっぱり無くなっていることがあるということですね。

シンシアリーという方のブログの27日の記事をご覧になった方はいるでしょうか。
そこには、ごくごく簡単にですが、韓国が反日一辺倒になってゆく過程が(個人的な見解を含めてですが)書かれてます。
もちろん、あの国は元から反日教育をしていた反日国です。
しかしそれ以上に反共国でした。
それが共産主義に親しみを持つ人たちの言葉の言い換えや民族意識を揺さぶらせることにより、次第に攻撃対象をずらされてゆきます。
そして今では北朝鮮よりも日本ばかりを非難する─どころか、憎しみをあらわにする─世界で最大の反日国となってます。
これは「心理戦」ではないでしょうか。
北朝鮮は、武力を使わずに、自国に有利な状況を作り上げたのです。
金正日が「対南工作は成功した」と言った根拠でしょう。

そして、このこととネット上の改憲のやり取りの中に共通点があると思うのですよ。
もちろんやり取りをしている人が工作を行っていると決めつけているわけでも、アメリカを非難するなと言ってるわけでもありません。
ただ、気をつけないと付け入るすきを与えることになる、とは思うのです。
すぷー | 2013/04/29 01:59 PM

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