朝日新聞 若宮啓文論説主幹インタビュー
今日は君が代伴奏訴訟の最高裁判決がありましたね。
この件は今日のエントリーの最後に無理やり突っ込んでますので、後ほど……(^_^;
で、今日はちょいと趣向を変えまして、『WiLL』3月号から、朝日新聞の若宮啓文論説主幹のインタビューを全文引用します。
OCRって言うんですか?私はそういうの持ってなくて、本から引用する時は手入力してるんですが、この記事はほんと入力しがいがあるぞ〜と、最初に読んだ時から思ってたんです(^_^;
もう次の号も発売されてることだし、頃合いかなと。
大学時代の話、『論座』でナベツネと共演の舞台裏(?)、靖国問題、ネットに対する考え方、「社説」に対する考え方など、若宮氏のスタンスがよく分かって面白いです。本郷美則氏のツッコミも素晴らしいです。
ではどうぞ。
内容紹介ここから____________________________
<左傾化朝日新聞の象徴 若宮啓文論説主幹を直撃する!>
本郷美則(朝日新聞元研修所長)
三日後の“閉店宣言”
《「キミには愛国心がないね」−−−学校の先生にそうしかられて、落第する夢を見た。(中略)月に一度のこのコラムを書いて3年半。41回目の今日でひとまず店じまいとしたい》
朝日新聞の若宮啓文論説主幹は、昨年12月25日の朝刊に載った同氏の長期連載大型コラム「風考計」に、こう書いた。
やや歯切れは悪いものの、「竹島譲渡の提唱」や「北方領土の日ロ折半案の紹介」など、数々の物議をかもした評判のコラムを、《ひとまず》閉じると宣言したわけだ。
若宮氏との会見を踏まえた「朝日新聞は『社説』を廃止せよ!」と題する拙論が載った本誌2月号の発売から、わずか3日後の“閉店宣言”で、少しクスリが効きすぎたかと、いささかこそばゆい思いを禁じえなかった。
反響は大きかった。“閉店宣言”の数日後、朝日の社内から「自分が聞いただけでも、すでに3人の論説委員が、社説廃止論を含め本郷論文には反論の余地がない、と言っていた」という情報が寄せられた。
友人知己、朝日の現役・OBたちからは、「論説主幹は、社説廃止の提言に何と答えたのか」とか「もっと詳しく彼の言い分を紹介してはどうか」といった注文が、電話や電子メールで私のもとに届いた。
読者のご要望に応えるため、やりとりを公開することにした。
取材先に、厳しく情報公開の徹底を求める新聞社だ。異存はあるまい。なお、双方の発言で、日付など事実に反するものは正した。
会見は、12月6日に朝日東京本社の論説主幹室で行われた。
きっちり1時間の会見取材を、立ち会った広報の担当者が録音した。私は、原則として録音をしない。
会見が終わり、掲載誌名を示してから、「録音テープをダビングしてほしい」と、若宮氏の目の前で広報に頼んだら、10日に送られて来た。
−−−−−−−−−−直撃インタビュー−−−−−−−−−−
本郷 取材依頼書に「某月刊誌に書く」と書いたら、名前を明かして貰わないと困ると言われた。我々みんな役所は嫌いだったけど、朝日がすっかり役所みたいになっちゃって……(笑)。
若宮 だから、「某月刊誌の依頼で」だなんてお書きにならなきゃいいんですよ(笑)。
本郷 いや、具体的に名前を書いたら、手がまわってパァになったこともあるんですよ。今日は、ま、喧嘩腰で来たわけじゃないんでね。
若宮 ぼくは取材は基本的に拒んだことないんですよ。ただ、まぁ「某月刊誌の依頼で」とわざわざお書きになるので、どこかいなと(笑)。
本郷 じゃ、それはまぁインタビューが終わったところでお話ししましょう(笑)。
私は、人は批判する時は会って書くようにしています。白刃を突きつけるようなものですからね。
ところで、アサヒ・コムに自己紹介をされていますね。あれによると、ちょうど70年に入社、学園紛争の最中に入社された。東京大学でしたかな。学校ではどのくらい勉強ができましたか?
若宮 成績ですか?
本郷 いや、そうじゃなくて。
若宮 学園紛争で3年の時に安田講堂事件。だから、その後半年くらいは授業なしでした。入試ができなかった年ですけど、我々も試験ができなくてレポートになった。おかげで得したんですけどね(笑)。
本郷 あの時代、むしろちょっと優秀な人はほとんど勉強できてない。学校行っても先生が出てこない。そういう状態ではなかったですか?
若宮 法学部は比較的右でしたね。右と言っても今のような右じゃないけども。率直に言うとね、学園紛争は、まぁ何と言いますかね、よくわからなかった。ぼくはゲバ棒を振ったわけじゃないし。
本郷 東大法学部は役人志望が多いからね。
若宮 そうそう。冷ややかで、それに対するアンチの学生集団ができたりしましたけど、ぼくは両方とも、身を引いて見ていたような感じですね。子供の頃から新聞記者になりたいと思っていたんで、なんとか早く卒業したいと思ってましたけど。
本郷 あの頃、そういう人たちはノンポリと呼ばれていた。
若宮 ノンポリですね。ノンポリというのは、全く関心がないわけじゃないんだけど、ちょっと距離を置いて。とてもついていけないと。
社会党が好きだった
本郷 その時代に、最も影響を受けた学問というか、例えば本はありますか?
若宮 いや、そんな決定的なものはありませんけど、駒場では坂本義和さんのゼミでした。一方であの頃、現実主義というのが流行って、永井陽之助とか、高坂正堯とか、東大では衛藤瀋吉、あの手の人が一方で目立っていた頃なんですね。ぼくはわりあい高坂さんにひかれたんです。
それから本郷では京極純一ゼミなんですけど、京極さんというのは非常にクールな人で、この人には影響を受けました。
本郷 古い話だけど、論説主幹だった先輩の森恭三さんは「私は若いころ社会主義者だった」と著書で告白していますよね。マルクス・レーニン主義についてはどのように?
若宮 ぼくはマルクス・レーニン主義者になったことは一度もない。
本郷 どういう風に理解されていますか?大きな体系のことだから簡単にはいえないだろうけど。
若宮 要するに、資本主義の矛盾を鋭く指摘したとか、そういう意味では歴史に残る大きな評価を与えていいんだと思うんだけど、政治運動、政治体制としてのマルクス主義というのは、どう見てもね、理想とはかけ離れているわけですよ。
本郷 一党独裁というのは、人民から自由を奪い、抑圧ということが必然の形で出てくる。
若宮 ぼくは日本社会党が好きだったけど、でも社会党の根源にある階級史観というのは、あの時代でも、もう当てはまらないだろうと。いわゆる労働者階級、資本者階級という確立したものじゃなくて、階級では分けられない国民というものがあるんだろうという感じを持っていたので、社会党の綱領にはとてもついていけなかった。
本郷 結局、そういうものが国民の選択の中で廃れていった。ただ、外から朝日の論調を見ていると、今の中国なんかに非常なシンパシーを寄せてますな。彼らはマルクス主義ですよね、中国共産党というのは。それではうまくいかないからいろんな小細工をしているだけの話でね。
その中国が、例えばトウショウヘイ(原文は漢字。●小平。●は「登」に「郊」のつくり)から始まって、江沢民が一生懸命拡大して、「反日愛国」というのを今でもやってますね。胡錦濤になって少しは変わってきていると私は思うんだけど、しかし、靖国の問題なんかで、朝日は中共の思うがままになっている。
若宮 いやいや、それは全然違う。
二分論の押し付け
本郷 世の中の人は朝日新聞というのは、基本的に階級闘争史観やマルクス・レーニン主義にイカれてると思ってますよ。
若宮 ちょっと待って欲しいんですけど、だったら渡邉恒雄さんはどうなのか、読売新聞はどうなのか。読売も中共の思うがままに動いているんですか。
靖国の問題で、中国のやり方がいいとはぼくらも書いていない。靖国の問題だけで全ての首脳会談を停止するのはやりすぎだろう、とは書いていますよ。ぼくもそう思った。
ただね、中国もやっぱり理解してやらなきゃいけない。いわゆる戦争責任の二分論というのはあるんです。方便かもしれないけど、日中が和解をする時、中国の国民を理解させるためにも、日本の国民全員に責任があるわけじゃないんだと、軍国主義の指導者がやったことなんだと、明確に分けたわけですよ。
それはマルクス主義じゃなくて、蒋介石だって同じことをやっているわけです。蒋介石がやった時にはね、例の、えー、その、暴を持って暴に報いるなというね、あれを読んでください。あそこに書いてあるのは二分論なんですよ。軍国主義者と国民とを分けようと。だから兵隊さんには仕返ししないで返そう、といって返したわけですよね。それと同じことを中国共産党も、周恩来・毛沢東が選択してやったことだから、それはわかってやらないと。それをA級戦犯をお祀りして何が悪いんだというのは……。
本郷 私は小学校の5年の時に終戦を迎えた。だからあの頃のことは肌で感じている。日本人全体が、要するに政治家と庶民と分けられるような状態ではなかったですね。子供でさえ木銃を持ったり竹槍持ったり、鬼畜米英に向かって行こうとしていた。だから日本では反乱なんか起きていないでしょう。
しかも戦争に突入する段階、大正末期から昭和初期にかけては、議会政治もあるわけでしょう。だから、人民と指導者を分けるというのは彼らの論理であって、それをすぐにこちらが受けるのはおかしい。
若宮 いやいや、本郷さんね、それは私もね、マスコミの責任はあるし、朝日新聞だって責任ある。おっしゃることはわかるんですよ。だけど、わざわざ中国がね、その論理をとって日本からの賠償を取らなかったわけですよ。
本郷 その当時の中国というのは、国家としての体裁をなしていないわけです。蒋介石は蒋介石として、中共は中共として日本と戦っている。「中華人民共和国」と一つになったのは、共産党が天下を取って初めてです。そんな中でね、賠償とか何とか言ったってごたごたするだけですよ。
若宮 本郷さん、それだったらね、日本は中国に対して一切の賠償をする必要がないんだと、そういう理屈に……。
本郷 必要がないんじゃなくて、日本の人民と指導層を分けて、A級の連中は別なんだという考えに行くとしたらおかしいと。
若宮 いや、いや。
この件は今日のエントリーの最後に無理やり突っ込んでますので、後ほど……(^_^;
で、今日はちょいと趣向を変えまして、『WiLL』3月号から、朝日新聞の若宮啓文論説主幹のインタビューを全文引用します。
OCRって言うんですか?私はそういうの持ってなくて、本から引用する時は手入力してるんですが、この記事はほんと入力しがいがあるぞ〜と、最初に読んだ時から思ってたんです(^_^;
もう次の号も発売されてることだし、頃合いかなと。
大学時代の話、『論座』でナベツネと共演の舞台裏(?)、靖国問題、ネットに対する考え方、「社説」に対する考え方など、若宮氏のスタンスがよく分かって面白いです。本郷美則氏のツッコミも素晴らしいです。
ではどうぞ。
内容紹介ここから____________________________
<左傾化朝日新聞の象徴 若宮啓文論説主幹を直撃する!>
本郷美則(朝日新聞元研修所長)
三日後の“閉店宣言”
《「キミには愛国心がないね」−−−学校の先生にそうしかられて、落第する夢を見た。(中略)月に一度のこのコラムを書いて3年半。41回目の今日でひとまず店じまいとしたい》
朝日新聞の若宮啓文論説主幹は、昨年12月25日の朝刊に載った同氏の長期連載大型コラム「風考計」に、こう書いた。
やや歯切れは悪いものの、「竹島譲渡の提唱」や「北方領土の日ロ折半案の紹介」など、数々の物議をかもした評判のコラムを、《ひとまず》閉じると宣言したわけだ。
若宮氏との会見を踏まえた「朝日新聞は『社説』を廃止せよ!」と題する拙論が載った本誌2月号の発売から、わずか3日後の“閉店宣言”で、少しクスリが効きすぎたかと、いささかこそばゆい思いを禁じえなかった。
反響は大きかった。“閉店宣言”の数日後、朝日の社内から「自分が聞いただけでも、すでに3人の論説委員が、社説廃止論を含め本郷論文には反論の余地がない、と言っていた」という情報が寄せられた。
友人知己、朝日の現役・OBたちからは、「論説主幹は、社説廃止の提言に何と答えたのか」とか「もっと詳しく彼の言い分を紹介してはどうか」といった注文が、電話や電子メールで私のもとに届いた。
読者のご要望に応えるため、やりとりを公開することにした。
取材先に、厳しく情報公開の徹底を求める新聞社だ。異存はあるまい。なお、双方の発言で、日付など事実に反するものは正した。
会見は、12月6日に朝日東京本社の論説主幹室で行われた。
きっちり1時間の会見取材を、立ち会った広報の担当者が録音した。私は、原則として録音をしない。
会見が終わり、掲載誌名を示してから、「録音テープをダビングしてほしい」と、若宮氏の目の前で広報に頼んだら、10日に送られて来た。
−−−−−−−−−−直撃インタビュー−−−−−−−−−−
本郷 取材依頼書に「某月刊誌に書く」と書いたら、名前を明かして貰わないと困ると言われた。我々みんな役所は嫌いだったけど、朝日がすっかり役所みたいになっちゃって……(笑)。
若宮 だから、「某月刊誌の依頼で」だなんてお書きにならなきゃいいんですよ(笑)。
本郷 いや、具体的に名前を書いたら、手がまわってパァになったこともあるんですよ。今日は、ま、喧嘩腰で来たわけじゃないんでね。
若宮 ぼくは取材は基本的に拒んだことないんですよ。ただ、まぁ「某月刊誌の依頼で」とわざわざお書きになるので、どこかいなと(笑)。
本郷 じゃ、それはまぁインタビューが終わったところでお話ししましょう(笑)。
私は、人は批判する時は会って書くようにしています。白刃を突きつけるようなものですからね。
ところで、アサヒ・コムに自己紹介をされていますね。あれによると、ちょうど70年に入社、学園紛争の最中に入社された。東京大学でしたかな。学校ではどのくらい勉強ができましたか?
若宮 成績ですか?
本郷 いや、そうじゃなくて。
若宮 学園紛争で3年の時に安田講堂事件。だから、その後半年くらいは授業なしでした。入試ができなかった年ですけど、我々も試験ができなくてレポートになった。おかげで得したんですけどね(笑)。
本郷 あの時代、むしろちょっと優秀な人はほとんど勉強できてない。学校行っても先生が出てこない。そういう状態ではなかったですか?
若宮 法学部は比較的右でしたね。右と言っても今のような右じゃないけども。率直に言うとね、学園紛争は、まぁ何と言いますかね、よくわからなかった。ぼくはゲバ棒を振ったわけじゃないし。
本郷 東大法学部は役人志望が多いからね。
若宮 そうそう。冷ややかで、それに対するアンチの学生集団ができたりしましたけど、ぼくは両方とも、身を引いて見ていたような感じですね。子供の頃から新聞記者になりたいと思っていたんで、なんとか早く卒業したいと思ってましたけど。
本郷 あの頃、そういう人たちはノンポリと呼ばれていた。
若宮 ノンポリですね。ノンポリというのは、全く関心がないわけじゃないんだけど、ちょっと距離を置いて。とてもついていけないと。
社会党が好きだった
本郷 その時代に、最も影響を受けた学問というか、例えば本はありますか?
若宮 いや、そんな決定的なものはありませんけど、駒場では坂本義和さんのゼミでした。一方であの頃、現実主義というのが流行って、永井陽之助とか、高坂正堯とか、東大では衛藤瀋吉、あの手の人が一方で目立っていた頃なんですね。ぼくはわりあい高坂さんにひかれたんです。
それから本郷では京極純一ゼミなんですけど、京極さんというのは非常にクールな人で、この人には影響を受けました。
本郷 古い話だけど、論説主幹だった先輩の森恭三さんは「私は若いころ社会主義者だった」と著書で告白していますよね。マルクス・レーニン主義についてはどのように?
若宮 ぼくはマルクス・レーニン主義者になったことは一度もない。
本郷 どういう風に理解されていますか?大きな体系のことだから簡単にはいえないだろうけど。
若宮 要するに、資本主義の矛盾を鋭く指摘したとか、そういう意味では歴史に残る大きな評価を与えていいんだと思うんだけど、政治運動、政治体制としてのマルクス主義というのは、どう見てもね、理想とはかけ離れているわけですよ。
本郷 一党独裁というのは、人民から自由を奪い、抑圧ということが必然の形で出てくる。
若宮 ぼくは日本社会党が好きだったけど、でも社会党の根源にある階級史観というのは、あの時代でも、もう当てはまらないだろうと。いわゆる労働者階級、資本者階級という確立したものじゃなくて、階級では分けられない国民というものがあるんだろうという感じを持っていたので、社会党の綱領にはとてもついていけなかった。
本郷 結局、そういうものが国民の選択の中で廃れていった。ただ、外から朝日の論調を見ていると、今の中国なんかに非常なシンパシーを寄せてますな。彼らはマルクス主義ですよね、中国共産党というのは。それではうまくいかないからいろんな小細工をしているだけの話でね。
その中国が、例えばトウショウヘイ(原文は漢字。●小平。●は「登」に「郊」のつくり)から始まって、江沢民が一生懸命拡大して、「反日愛国」というのを今でもやってますね。胡錦濤になって少しは変わってきていると私は思うんだけど、しかし、靖国の問題なんかで、朝日は中共の思うがままになっている。
若宮 いやいや、それは全然違う。
二分論の押し付け
本郷 世の中の人は朝日新聞というのは、基本的に階級闘争史観やマルクス・レーニン主義にイカれてると思ってますよ。
若宮 ちょっと待って欲しいんですけど、だったら渡邉恒雄さんはどうなのか、読売新聞はどうなのか。読売も中共の思うがままに動いているんですか。
靖国の問題で、中国のやり方がいいとはぼくらも書いていない。靖国の問題だけで全ての首脳会談を停止するのはやりすぎだろう、とは書いていますよ。ぼくもそう思った。
ただね、中国もやっぱり理解してやらなきゃいけない。いわゆる戦争責任の二分論というのはあるんです。方便かもしれないけど、日中が和解をする時、中国の国民を理解させるためにも、日本の国民全員に責任があるわけじゃないんだと、軍国主義の指導者がやったことなんだと、明確に分けたわけですよ。
それはマルクス主義じゃなくて、蒋介石だって同じことをやっているわけです。蒋介石がやった時にはね、例の、えー、その、暴を持って暴に報いるなというね、あれを読んでください。あそこに書いてあるのは二分論なんですよ。軍国主義者と国民とを分けようと。だから兵隊さんには仕返ししないで返そう、といって返したわけですよね。それと同じことを中国共産党も、周恩来・毛沢東が選択してやったことだから、それはわかってやらないと。それをA級戦犯をお祀りして何が悪いんだというのは……。
本郷 私は小学校の5年の時に終戦を迎えた。だからあの頃のことは肌で感じている。日本人全体が、要するに政治家と庶民と分けられるような状態ではなかったですね。子供でさえ木銃を持ったり竹槍持ったり、鬼畜米英に向かって行こうとしていた。だから日本では反乱なんか起きていないでしょう。
しかも戦争に突入する段階、大正末期から昭和初期にかけては、議会政治もあるわけでしょう。だから、人民と指導者を分けるというのは彼らの論理であって、それをすぐにこちらが受けるのはおかしい。
若宮 いやいや、本郷さんね、それは私もね、マスコミの責任はあるし、朝日新聞だって責任ある。おっしゃることはわかるんですよ。だけど、わざわざ中国がね、その論理をとって日本からの賠償を取らなかったわけですよ。
本郷 その当時の中国というのは、国家としての体裁をなしていないわけです。蒋介石は蒋介石として、中共は中共として日本と戦っている。「中華人民共和国」と一つになったのは、共産党が天下を取って初めてです。そんな中でね、賠償とか何とか言ったってごたごたするだけですよ。
若宮 本郷さん、それだったらね、日本は中国に対して一切の賠償をする必要がないんだと、そういう理屈に……。
本郷 必要がないんじゃなくて、日本の人民と指導層を分けて、A級の連中は別なんだという考えに行くとしたらおかしいと。
若宮 いや、いや。