ぼやきくっくり

日本人は今、世界一、自分の国の歴史を知らない人たちになっている。自分の国の歴史を知らない人が、何で「国民」なのか。日本人の歴史を知らない人が、何で「日本人」なのか。(櫻井よしこさんの言葉)
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日教組がかつて行っていた「地元集中」 関西の番組が批判

 読売テレビで毎週土曜の朝に生放送されている「あさパラ!」という情報番組があります。

 ハイヒールのリンゴさんが総合司会を務め(相方のモモコさんはほぼコメンテーターの1人という位置付け)、1週間の政治・社会・芸能ニュースにツッコミを入れたり、他に企画でたとえば関西のおいしいお店を紹介したり、という内容です。

 コメンテーターは河合俊一さんがレギュラーかな?あとは吉本の芸人が毎週、入れ替わり立ち替わり来ているという感じです。
 識者としては若一光司さんや勝谷誠彦さんが、こちらも週替わりで来ているようです(毎週見てるわけじゃないのでよく分かりません<(_ _)>)。
 スタジオの観客席には関西のおばちゃんたちも集合しています。

 とまあ、関西ローカルによくある軽快でくだけた感じの番組なのですが、11月28日放送分でなんと日教組批判が飛び出しました。
 関西ローカルは東京に比べて規制が緩いとはいえ、実体験に基づく日教組批判がこのように展開するのは、私の知る限り非常に珍しいことです。

 今回、日教組の異常さに言及したのはハイヒールのリンゴさんと、ロザンの宇治原史規さんです。
 お二方はともに大阪府枚方(ひらかた)市の公立中学校のご出身です。
 枚方と聞いて「あっ」と思った人はかなりの日教組通かも(^_^;

 以下、その部分を大ざっぱですがご紹介。
 (吉本らしい「笑いをとる」やりとりは全面カットしています)


 大ざっぱな内容紹介ここから_________________________
 
 …………「事業仕分け」9日間の成果を紹介する特集の中で…………

リンゴ
「皆さんやっぱり一番気になると思うんです、この義務教育の国庫負担金でございますが、さあ見ていただきましょう。こうなっております」

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【義務教育は例外!?異例の判定なぜ】
・民主党はマニフェストに「教員増員」を掲げている
・「次世代スパコン」で受けた批判を懸念?
・夏の参院選を控え日教組に配慮?

リンゴ
「まずね、どうして、ま、もう削るためのもんなのに、増やすべきという仕分けが出たのかというと、まず民主党はマニフェストに教員増員を掲げていると。だからそこに彼らは、まあちょっとある種、民主党の中で聖域になってる部分がある。次ですね、次世代スパコンを、ま、(蓮舫議員が)『2位ではダメなんですか、1位でないとダメなんですか』みたいなコメントを言ったことに対して、わりと世間からこう、いろいろ風にさらされてる部分があって、教育に関してあんまり言うちゃいかんなというニュアンスが出てきたんではないか?です。これはたまたま仕分けの順番がこうなってるんかもしれないから、これは言えない。そして、何よりも、次の参院選を控え、日教組、ここがまあ支持母体の一つです、日本教職員組合ですね、こちらに配慮したんではないかという、この3つが言われています。ま、教員を減らしたりとかすることに関しては、日教組が絶対反対しますからね。で、改めてこの日教組なんですけれども、1947年、戦後に結成されました日本最大の教員労働組合連合体でございまして、今のところはですね、だいたい29万人。ところが昔はまあ59万人とか60万人ぐらいいてたんですよ」

モモコ
「すごい」

リンゴ
「それがだんだんやっぱり日教組の組合員が減ってまいりまして、かつては社会党の最大支持母体だったんですが、社会党が自民党と大連立をした時に電撃和解をしまして、そこからゆとり教育が生まれるという。それまでも競争があかんて、私らもう枚方で、はっきり言いますけど、枚方出身ですけど、枚方、日教組めちゃくちゃきつかったんですよ。ほんだらもうあれですよ、かけっこでも、徒競走、勉強でけへん子が体育できる時もありますやんか。そやけど、その体育できる子も、もう5人手つないで走らなあかん、5レーン

一同
「えーーー?!」

菅広文(ロザン)
「多いですね、今ね」

宇治原史規
「僕も中学、枚方。枚方の公立の中学校なんで。枚方市立さだ中学校です(サイトこちら。音出ます)」

リンゴ
「きっつかったやろ、日教組」

宇治原史規
高校受験の時に、公立の地元の高校に行けと、全員がやっぱり言われるんです

リンゴ
そう、私らも磯島高校いう高校に、地元集中言うて、行け言われるんですよ。言うたら、学区内で賢い子が学区外に出るわけじゃないですか、枚方市から。ほんで、あかん言われんねんな

宇治原史規
「そうです、そうです」

リンゴ
「国立行ったんやね?」

宇治原史規
「僕はだから大教大天王寺(大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎)受けたんですけど、やっぱり僕が受ける時も、いちおう公立の地元の高校、そのレベルとか全く関係なく勧めてこられましたよ

一同
「へえー」

リンゴ
「そうそう、ほんで、先生とマンツーマンで話すんねん

宇治原史規
「そうです」

リンゴ
内申書書かへん言われたもん、私

一同
「えーーー?!」

リンゴ
「もうそこまで言われましたよ」

宇治原史規
「みんながみんなそうじゃないですけど、そういう先生も中にはいると」

リンゴ
「そう、中にはいる。私の先生はそういう先生だった」

一同
「えーー……」

リンゴ
「ほんで、その地元の磯島高校っていうとこに、いろいろ先生と話して、それで納得して、先生の意見に賛同して、磯島高校行った子もいっぱいおったんですよ。で、その磯島高校が今度(2004年)閉校になったんですよ、要は。子供が少ななってきて。ほんだら、自分の出身校がなくなるという、とても悲しいことになってしまうという。ま、それは別に日教組が悪いわけじゃないですけどね」

河合俊一
「みんなで一緒に手つないでゴールしなきゃいけないってことは、テストでも間違っても全員100点だったりするの?それ」

リンゴ
「いや、そこまではないですけど」

河合俊一
「え?何でスポーツだけ一緒で、勉強は違うの?」

リンゴ
勉強(の評価)は2段階なんですよ。だから、『達成してる』か『頑張る』か

一同
「ああー……」

菅広文
「少ないんですね」

リンゴ
「そうそう、だからその当時、五ツ木の模擬試験とかあったんですけど、模擬試験とか受けに行くの絶対あかん言われたやろ?

宇治原史規
あ、僕らの時は五ツ木は大丈夫だったんですよ

(以下、2人の年齢差がいじられて、日教組の話は終了)

 _________________________大ざっぱな内容紹介ここまで


 ちなみにハイヒールのリンゴさんは1961年8月9日生まれ、ロザンの宇治原さんは1976年4月20日生まれです。

 枚方市や、枚方市に隣接する高槻(たかつき)市のあたりは特に日教組が強いって話はよく聞いてきましたが、どうやら私が考えていたよりも数段、酷そうです。

 日教組と言えば「国旗・国歌の否定」「自虐的な歴史教育」「過激な性教育」「ジェンダーフリー」など日本の根幹を破壊する活動に目が向きがちですが、まだまだ他にも問題があったんですね。

 っていうか、「地元集中」って何??(・_。)?(。_・)?

 初めて聞く言葉だったので、ちょっと調べてみたところ、な、なんとWikipediaに載るぐらい有名なことだったんですね。

 そのWikiから、ちょこっと抜き出して引用すると……

●地元集中とは、日本の一部の公立中学校において、中学生が公立高校を受験する際に、地元にある特定の高校1校のみを選択するように進路指導する教育運動をいう。地元集中受験運動、あるいは実施されていた地域の名称をとって高槻方式などとも呼ばれる。また地元集中から地元育成と呼称が変更される例もみられる。

●地元集中は、大阪府の高槻市、枚方市、守口市、門真市、寝屋川市、交野市、茨木市、松原市、大阪狭山市、和歌山県などの一部の地域で1970年代前半から1990年代中頃にかけて実施されていた。日本教職員組合のみならず教育委員会も推進していた。地元集中ではないが、それを意識した進路指導は組合員の多かった神奈川県や埼玉県などを中心に複数の地域で行われており、特に第二次ベビーブーム世代が中学校3年生となった1980年代中頃までは顕著であったが、その画一性及び生徒個人の個性を無視した進路指導が保護者を中心として批判され、かかる運動が激しい自治体からの転居、私立中学への進学等、公立中学忌避という動きが顕著となり、1990年代には終息に向かったと見られる。

●地元集中は、「地域の子どもを地域で育て、高校間の学力格差を解消する」ことを目的とした一種の運動であり、正式な制度ではない。大阪府や和歌山県の公立高校の普通科では、中規模な学区制(中学区制)を採用しているため、制度上は誰でも学区内の学力に応じた高校に進学することができる。しかし、地元集中が展開されていた地域では、地元公立高校を目指す進路指導が徹底して行われていたため、学区内にある他の高校への進学、および学区内の他の地域から地元集中高校への進学は困難になっていた。


 ……って、えーー!?和歌山県でもあったんですか!?
 私(1964年生まれ)、小学校から高校までずっと和歌山市内の公立学校だったんですけど(T^T)

 ……が、よくよく記憶をたどってみますと、幸いにも私は「地元集中」とは無縁でした。学区内で学力に応じた公立高校(田舎なもので普通科は3校しかありませんでしたが)を自由に受験できてました。

 和歌山県のどこの市や町で、いつ頃「地元集中」が行われてたんだろう?ちょっと気になります。


 さらにネットを調べたところ、枚方市および高槻市における「地元集中」の生々しい体験談をいくつか見つけました。

 リンゴさんや宇治原さんの発言を聞いて、「自分の希望しない高校やレベルに合わない高校の受験を強要されるなんて考えられない」「芸人の言うことだし誇張とかあるんじゃないの?」と思った読者様がもしおられたら、ぜひこれらの体験談をお読みになって下さい。

1977年生まれで当時、枚方市の公立中学校に通われていた男性の体験談
2000/4/28 地元集中とは何だったか

「地元集中」という単語をはじめて耳にした人もいるかもしれません。これは、「公立中学校の生徒は、全員が同じ公立高校に進学すること」を意味します。私の記憶によれば、たしか高槻市から伝播したものと思います。私の頃には下火になっていたようですし私の中学は市内でもリベラルな学校だったのですが、「進路の時間」には地元集中の意義を聞いた憶えがあります。要は、これまで小・中といっしょだった友達たちと仲良く同じ高校に行くのはすばらしいという趣旨です。

T氏の兄は地元集中経験者で、四条畷高校(いわゆる進学校)を志望しようとすると「お前は友達を裏切るのか」と教師に説得され地元の高校(いわゆる教育困難校)に進学しました。T氏自身は牧野高校を志望していたのですが同校は人気が高かったらしく、T氏の言によれば英語の授業中に志望者全員が立たされて志望先を変えるように説得されたそうです。(私も同じ学級だったのに、ぜんぜん憶えていない。)

地元集中に私が批判的だったのは、「小・中といっしょだった友達と同じ高校に行くこと」がすばらしいとは考えられなかった点にあります。ずっと同じ場所にとどまっているよりも、場所を移していったほうが新鮮で楽しいし、可能性が広がるという確信を持っていましたので、ムラ社会のように1つの場所にとどまることには賛同できませんでした。

1970年生まれの高槻市議会議員・北岡隆浩氏の体験談
2006年05月10日 夢を教師に潰された彼女のこと

〈前略〉

高槻南高校と聞くと、小学校5・6年生のときに同じクラスだった女の子のことを思い出す。少し変わった子で、いや、素晴らしい個性の持ち主で(笑)、KBSラジオの深夜放送「ハイヤング京都水曜日」(略して「ハイ水」・DJは「つボイノリオ」)が大好きだった。その子の影響で、私もこの「ハイ水」にはまり、つボイノリオの「名古屋はええよ!やっとかめ」が初めて買ったレコードになってしまった(中3のとき、「ハイ水」が終わってしまったのは悲しかった)。

小学校当時、私はチョコレートが苦手だったのだが、そんな私に彼女は、「好きです!明治チョコレート」(当時そんなCMがテレビで流れていた)と言いながら、バレンタインチョコの代わりにアイスクリームの形をしたボールペンをくれたこともあった。(今思えば小学校の頃は楽しかったなあ。担任の先生も大好きだったし)

楽しかった小学校生活を終え、彼女も私も高槻市立阿武野小学校から阿武野中学校へ。中3になって彼女が目指したのが、高槻南高校だった。

ところが当時、私達の中学校の校区内に、大阪府立阿武野高校が新設されたばかりで、特に「地元集中」が積極的に行われた。1年上の先輩は、阿武野高校の1期生として 同じ中学校の先輩達は、「地元集中」で大量に入学していった(させられていった)。
私が高校1年生になって、ラグビー部の練習試合で阿武野高校を訪れたとき、校庭にいる生徒のほとんどが見たことのある顔だった(笑)。

彼女も、この「高槻方式」と呼ばれる「地元集中」の犠牲になり、「高槻南高校に入りたい」という夢を、教師に潰された。

〈中略。Wiki「地元集中」の引用〉

子ども達の自由と人権を侵害する「地元集中」運動は、どう考えても、憲法違反だ。教師達が、社会主義・共産主義的な思想のエゴを満たすために、何人という子ども達が犠牲になったことか。

高校受験前、「進学校に行きたい」と思っていた生徒達は、地元集中を教師に押し付けられないか、それこそ戦々恐々とした不安な気持ちになっていた。校長室に呼び出され、阿武野高校に行くように説得された生徒が何人もいたと聞いた。幸い、私の担任はそのようなことを押し付ける人でなかったので助った。自分の担任が「地元集中」を勧める教師か否かによって、その後の運命を左右された生徒も多かったかもしれない。

「人権」って言葉を、やたらと聞かされたが、一体誰のための言葉なんだと思う。辞書には「人間が人間として固有する権利」と書いてあるが、学校では、特定の人達の「人権」しか教えられなかったような気がする。そして「地元集中」によって、子どもには人権なんてないんだと言わんばかりの扱いを私達の世代は受けた。私は以前「人権○○」と名乗る人間から人権侵害を受けたこともある。高槻では「人権」というのは、なんだか「特定の人達の権力」のように勘違いされているのではないか。

〈以下略〉

1970年代、中3の時に高槻市に移り住まれた男性の体験談
日教組の犠牲者たち

日教組がどれだけ多くの日本人を苦しめてきたかは明白だと私は思っていたが、ネットを検索しても個人的体験を語っている人は意外に少ない。しかも多くは国旗・国歌がらみでの批判だ。だが日教組は本当の狂信者集団だと思う。私は自分の体験からこの点に確信を持っている。そこで、相当に古い自分の体験談を書いてみようと思う。何故なら、私の体験談はちゃんと証拠が残っているからだ。

〈中略。高槻市に引っ越した経緯およびWiki「地元集中」の引用〉

wikiは綺麗事しか書いてないが、高槻市の教育現場は凄まじく荒廃していた。私が中学3年2学期から転入した中学は高槻第六中学と言った。名前にピンとくるかたもおられるかも知れない。何故なら高槻第六中学の荒廃は高槻のなかでもずば抜けており、当時(1970年代)にNHKが1時間のドキュメンタリーにして全国放送したからだ。正確に番組の名前を覚えてないが「高槻第六中学の荒廃」といった題だったと思う。

〈中略。高槻第六中学がどれほど荒廃していたかの具体例〉

そして上のwikiが書いているように、私の担任女性教師は私の進路指導を拒んだ。高槻方式に従い、地元の高槻高校に行けと言うのだ。私は、ともかく日教組に支配された高槻市から逃げたかったので隣の高校への内申書を書いてくれと頼んだが、書こうとしなかった。記憶が曖昧なのだが、最終的に内申書は出なかったと思う。私は以前の中学に疑似内申書を依頼した(この部分は間違っているかも知れない)。

私はまだ幸運だった。わずか2学期で日教組に支配された高槻の教育現場から逃げることができたからだ。一方で高槻に生まれ育ち、こうした環境で教育を受けた人の多くが才能を潰され人生を無駄にしたと考える。日教組の「運動」なるものは、ここまで狂っていたのだ。それを確認したければNHKに要請して、70年代制作のドキュメンタリーを見れば良い。何 しろ私が在学した高槻第六中学をメインにした全国放送番組なのだ。

鳩山さんを始め、民主党の皆さん、あなた達は自分のお子さんをナイフが 飛び交うような教室に送りたいですか?送りたくないでしょ?なら何故、民主党は日教組の支援を受けているのですか?票が取れれば「テロリスト」でもいいんですか?国土交通副大臣、辻元清美さん、あなたは高槻で育ったんでしょ?どれだけ日教組が悪行を働いてきたか当然、知ってるはずだ。バイブを使ってる場合ですか?

民主党の皆さん、あなた達の支援団体の1つであるNHK代々木本部に行き、70年代のドキュメンタリーを見てください。そこで映され記録されている高槻第六中学の荒廃した教育は日教組がおこしたんです。

〈以下略〉

 いかがでしたか?
 リンゴさんも宇治原さんも実体験をありのままに話されているということが、十分お分かりいただけたと思います。

 そうそう、すっかり忘れてたけど、辻元女史も高槻の人でしたね。
 日本赤軍最高幹部の重信房子が逮捕時に潜伏していたのも高槻でした。そしてこの時、犯人蔵匿容疑で府立高津高校(伝統ある進学校です)の教師が逮捕されています(当時の報道はこちらを)。


 さて、過去にも何度か細切れに書いたことがありますが、最近読者になって下さった方のためにも、ここで私の「日教組」体験談を改めてまとめておきます。

 私は1964年(昭和39年)大阪府に生まれ、4才の時に和歌山市に引っ越しました。市立小学校、市立中学校、県立高校(普通科)と進み、21才まで和歌山市で過ごしました。

 私は高校卒業までの12年間、学校で国歌を歌ったり習ったりしたことは、ただの一度もありません。学校行事で国歌が流されたこと自体、一度もありませんでした(国旗掲揚についてはよく覚えていません)。

 小学校2〜3年の頃だったか、音楽の教科書の最後に載っている『君が代』というタイトルの歌がいったい何なのかが気になって、母に「これ何の歌?」と尋ねたぐらいです。

 国歌の歌詞を覚えたのは大人になってから。初めて公共の場で国歌を歌ったのは25才頃、プロ野球の試合前の国歌斉唱時でした(パ・リーグは国歌斉唱があります。セ・リーグにそれがないことを私は最近初めて知りました)。

 実は私と同じ和歌山市で育った母も、小・中まで市立だったのですが、やはり学校で国歌を歌った記憶はないと証言しています。母は1940年(昭和15年)生まれです。

 私はけっこういい歳になるまで、全国のどこの学校もみんなこんな感じなんだろう、すなわち「国歌というのは学校で教わったりするものではなく、大人になってから覚えたい人だけが覚えるものなのだろう」などと漠然と思っていました。
 が、もちろん、そんなのはとんでもない思い違いでした。

 それに気づいたのは、大阪市に生まれ育った夫(1968年生まれ)とたまたま国歌の話になった時です。
 「俺は学校で国歌習ったし、行事でもみんな普通に歌ってたで。え?そうやない地方もあるの?」と言われたのです。
 私はものすごく驚きました。夫も私の体験談を聞き、「そんなん考えられへん」とたいそう驚いていました。

 その後、ブログをやるようになり、全国の読者の方々から「私は大阪ですが、小中高と国歌斉唱したし、国旗掲揚もありました。小学校の授業では君が代の歌詞の意味も教わりました」とか、「私は名古屋ですが、国歌はしっかり歌わされました。特に小学校の時は、大きな声で歌わないと叱られ、ちょっとウンザリしたこともありましたが、『君が代』を嫌いになったことはないです」といったコメントをお寄せいただき、自分の方が異常だったんだと気づくに至りました。

 今さら言ってもどうにもならないのですが、この日本という国で誰もが平等に与えられているはずの教育を受ける権利、それも日本人として一番基礎的な部分の教育を受ける権利を奪われたように感じ、腹が立つやら悲しいやらです。

 また、私が通った中学・高校は、同和教育や反戦教育にかなり熱心でした。特に同和教育は年に1〜2回、特別授業のような形でカリキュラムが組まれており、学年ごとに体育館に集められてスライドや映画を見たり、どこかから呼ばれてきた人(同和問題の専門家?解放同盟の人?)が話をしたり、ということがありました。

 あと、高校1年の時の担任かつクラブの顧問だったA先生(理科担当)というのが、きつい反戦平和主義者でした。が、私がそれを知ったのは卒業後だいぶ経ってから。

 A先生とは卒業後もずっと年賀状のやりとりが続いていたのですが、定年後、本格的にプロ市民的な活動を始められたらしく、私に届く年賀状の文面は年々政治色の濃いものになっていきました。「憲法9条死守!」「イラク戦争反対!」「米軍基地はいらない!」といった具合にです。
 ある時、ふと思い立って先生の名前でネット検索してみたら、な、なんと9条を守る会(具体名は伏せておきます)の幹部までされていることが判明。

 私は意を決して、ある年、A先生への年賀状に「今年こそ拉致問題が解決し、被害者が全員帰国できますように」と書き添えて送りました。
 次の年からA先生は私に年賀状を送ってこなくなりました(私はそれ以降も毎年送っていますが、返事は一度もいただけていません)。

 当時の和歌山の日教組に関する情報(組織率など)を私は全然把握はしていないのですが、よそと比較するとかなり偏った教育がされていたのはおそらく間違いないと思います。

 ただ、「地元集中」の被害に遭わなかった分、だいぶマシだったと言えるのかもしれません。私は自分の希望する高校を受験し、入学することができたんですから。
 ……って、これって普通のことですやん!

 その普通のことをさせてもらえなかった方々に対しては同情を禁じ得ません。と、同時に日教組に対して改めて怒りが沸いてくるのです。

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※拙ブログ関連エントリー(日教組)
08/7/22付:再録「報道特集」日教組徹底研究
 07年7月1日放送TBS「報道特集」の内容紹介。
 生徒を利用した反米舞台劇。日教組組合員に共闘を呼びかける革マル派
 教研集会には朝鮮学校の組合代表、部落解放同盟の代表も参加。朝鮮語を使った人権教育、部落差別、障害者差別など、実際に行われた授業の報告が続くが、拉致問題を主題としたリポートはなし。
 靖国神社について考えさせる、徳島の教諭の手作り教材は、中国の新聞に載った小泉首相(当時)の絵の横に「中国の人はどう思っているでしょう?」。最後は、小泉首相と東條英機元首相の写真を並べて掲載し、「あなたの意見をまとめてみましょう」。
 教育基本法改正反対を叫び国会前に座り込む教師、「国会見学で来る小中学生に“闘う教員”の姿を見せる」。授業さぼって何やってんねん!(T^T)
 「民主党頑張れー!日教組は最後の最後まで闘うぞ!」「国会に日教組の旗を立てましょう!」。民主党の輿石東氏曰く「日教組とわれわれ日政連(日本民主教育政治連盟。民主党を中心とする日教組の組織内議員団)の出番かもしれない」。
08/10/13付:「たかじん委員会」教育問題と日教組
 08年10月12日放送「たかじんのそこまで言って委員会」の内容紹介。
 教育評論家の石井昌浩氏(元・国立市教育長)がゲスト。「戦後教育の主役。まず最大の主役はGHQ。それから現地代理人の文部省。それからその学校現場で思想を実践する日教組」。国立市立国立第二小学校土下座事件についても。
08/10/25付:日教組とズブズブの民主党
 民主党の輿石東参院議院会長の支持母体である山梨県教職員組合。2004年の参院選では小中学校の教職員らから組織的に選挙資金を集めていた。と同時に、選挙対策本部が教員を有権者への電話作戦に動員させていた。これは学校での政治的活動を禁じた教育基本法や教育公務員特例法の他、政治資金規正法にも違反している疑いがあるが、問題発覚以後も輿石氏と山教組の関係は依然として続いている。
09/7/5付:民主政権は“日教組政権”だ 「WiLL」より
 中山成彬さん(元文部科学大臣)と伊藤玲子さん(元鎌倉市議、「『建て直そう日本』女性塾」の幹事長)の対談起こし。
 「組織率とは関係なく、声の大きい組合員が一人でもいれば、その学校は日教組の方針で動かざるをえない」「歴史教育と同様に重大な問題があるのが、過激な性教育」「小3の娘が同級生の男の子とドッキングしていた。母親がびっくりして『何をしてるの!』と聞いたら、『学校で先生が教えてくれた。親には絶対内緒にしろって言われた』と」「組合の研修内容も見るに耐えない。『法律に従うな』『校長の言うことを聞くな』とやっている」「自民党の議員でもほとんど日教組の実態を知らなかった」「真面目な先生が不登校の生徒を登校させようと努力すると、日教組の教師が妨害する。『学校に来るか来ないかは生徒の自由だ。決定権は生徒にある』」等々、日教組の信じられぬ実態が赤裸々に。

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Comments

興味深い番組紹介、ありがとうございます。
読みながら目眩がしました…。

くっくりさんのおっしゃる通り、日本人としての根幹に関わる事柄を正しく子供たちに教えない日教組は、教育を受ける権利をなんだと思っているのでしょうか。
入学式や卒業式の国旗国歌騒動で、何かというと子供の「権利」だの「思想信条の自由」だのを持ち出して「強制するな!」なんて騒いでいますが、子供の権利を踏みにじっているのはあんたら日教組じゃないか!と改めて怒りが湧いてきました。

僕は小中高ともに東京の公立でしたが、幸いなことに日教組の被害(!)を受けた記憶がありません。
ちゃんと「君が代」も教わったし、昭和天皇が崩御された時は三学期の始業式で校長以下全教職員と生徒が黙祷を捧げました。

今にして思えば「あれが日教組だったんだな…」というエピソードは3つしか思い当たりません(以前もこちらで書かせていただいたかもしれません)。

(1)小学校の卒業式のリハーサルで、音楽の女性教師が「本当は君が代のピアノ伴奏なんかしたくない…」と言って泣いた。
理由は「子供たちを戦争に巻き込む歌だから」。
本番では渋々ながら(?)伴奏してましたけれども。

(2)高校の入学式と卒業式では一度も国歌斉唱が行なわれなかった(国旗も掲揚されていなかった)。

(3)高校の教師がたびたび(月に一回くらいだったかな)都庁にデモに行っていた。
そのため午前中の授業が自習になることが多かった。
当時は「自習だぁ〜♪」なんつって無邪気に喜んでいましたけれども ^^;

いわゆる「同和教育」というものも受けたことがありません。
何かの授業で部落解放同盟という言葉を習った記憶はありますが、感覚としては「明治維新」や「太平洋戦争」と同じく歴史の1コマという印象しか受けませんでした。
この問題はやはり関西のほうが根強いのでしょうか。

「在日朝鮮人」がどうのこうの、という話も出ませんでした。
学年に何人か「金」「朴」「鄭」などの名字の生徒がいましたが、特に意識することなく普通に接していました。
そういえば当時は「女子高生のチマチョゴリが切り裂かれた!」というニュースがわりとよく報じられていましたっけ(犯人が捕まったという続報は一度として聞いたことがありませんが)。
したがって、僕が「在日」というものを意識するようになったのはネットを始めてからです。
少なくとも日韓ワールドカップの時は無邪気に「日韓友好」を信じていたくらいです ^^;

以上、御参考まで。
長々と申し訳ありません<(_ _)>
水尾。 | 2009/12/01 03:50 AM
地元集中、っていうことがあったんですね。それで、腑に落ちました。
子供が高校受験の三年前、中学の進路指導で、強く勧められるって言うほどではなかったですけど、地元のレベルの低い公立高校への進学をよしとするような、へーんな空気があって、「コレってなんなんだろう??」ってすごく不思議だったんです。
そういうことか・・・なるほど。
ウチは、京都市内です。
しらたま | 2009/12/01 07:06 AM
はじめまして。
少し前から拝見しております。
本当に、普通の「愛国心」をどうして学校で育てることを妨げるのか、日本の将来をどうしたいのか、わからないことだらけの今の日本ですけれど、この日教組は特に何を目指したいのか、私にとって全く不明です。
幸い、普通に国歌斉唱を行う、小・中・高等学校に通いました。それでも、同和教育、自虐史観などを、ことあるごとに植え付けられた記憶はあります。
(神戸市出身です)
その時に持った違和感を、解明したい気になり、遅かれながらここ2年ほどで細々と自分で勉強し直している最中です。
それにしても、
「枚方」「高槻」と言っただけで、ピンと来させられるほどの、日教組の活動って…。本当に頭がおかしい団体ですね。
ぷるる | 2009/12/01 10:13 AM
くっくりさん、いつも興味深く拝見しています。

私は1974年生まれで高槻市で育ち、小中高と地元の学校に行っていました。日教組ド真ん中ですね笑。
当時は何にも思わなかったのですが、今思えば恐ろしいことです。

この地元集中や部同和問題の授業は確かにありました。
私自身は地元を選んだ理由は先生に勧められたわけではないので後悔はしていませんが、同和の授業は小学生だった私は何故こんなことをじっくり教えているのか、わかりませんでした。
逆に差別を助長することになるのでは?と10歳のわたしは考えていた記憶があります。

でも高槻市は私の故郷でもあり、両親が住む街です、愛着はあります。他の地域の人に誇れる街になってほしいなと切に思います。

売国マスコミや売国政治家にはNOを!
きりん | 2009/12/01 10:38 AM
日教組って自衛官、警察官の子供に親は人殺し訓練をしている等を言い、作文等で子供に自衛官や警察官への蔑視感を植えつける。
あらゆる競争観念を否定する。
国旗国歌を全否定する。

これだけでも子供と国家未来に対しての明確な反逆行為なんだよね。特にレベルの低い学習教育学校への進学を良しとするのは その子供の将来への可能性を削り奪っているのが理屈として明らかなのにね。
ゴミはゴミ箱へ生ゴミは埋め立て地へ国内のゴミ掃除少しでもやりたい。
どるどる | 2009/12/01 10:39 AM
くっくりさん、こんにちは。いつも読ませて頂いています。

私は京都ですが、小学校はそうでもなかった気がするんですけど、先生によっては異様に平和教育に力を入れてた人はいました。広島、長崎の原爆の写真をえんえんと見せ、中国で日本兵が何をしたかえんえんとかたり、向こうで描かれた日本兵が妊婦のお腹を裂いて赤ん坊を取り出していたり、数人を生き埋めにしている絵を見せられて、沖縄戦での自決後の写真を見せられて、当時の総理大臣の中曽根さんのことを「戦争大好きな悪い人」と教えられ...
あれ?思い出すとひどいですね...。
高校では社会の教師が、従軍慰安婦の漫画をコピーしてきて配って、それを元に日本軍の残虐さを徹底して教えてました。私立校だったんですけど、「女性の時間」なんてものがあって、その授業では何故か同和教育。それ関係の映画を見せられました。大学も私立でしたけど、教育学の授業でこれまた同和の話を延々とする教授もいましたね。

地域にもよるでしょうけど、京都は本当にこの手の問題が根深いと思います。せっかく京都にいるんだし、子供達に京都にまつわる歴史やおもしろエピソードを交えて、日本の歴史をきっちり教えた方が絶対にいいのに。
地下鉄構内でも定期的に同和教育にちなんだ展示が行われていますし。差別撤廃は賛成ですが、「見て!見て!」といわんばかりに左右の壁にパネルを貼られると、逆に異様に感じますね。
小夜子 | 2009/12/01 11:50 AM
あさパラでそういう話になろうとは!
リンゴ姉さんさすがです。

私の行った学校では、君が代や国旗などの事、進路指導に関しては特におかしい事はありませんでしたが、中学で同和教育に関しては少しあった様に記憶しています。

私も日教組、枚方、高槻と来て、重信房子の事が浮かびました。
高槻や枚方といった日教組が強いエリアに、まだまだ厄介な人物が匿われていそうで怖いです。
hanaco | 2009/12/01 11:57 AM
くっくりさん、おはようございます。
娘が中2の時まで、静岡県に住んでいたのですが
日教組の組織力はそれ程強くは無いにせよ
日教組教員の多い公立中学だったので
1,落ちこぼれを出さないと言う理由で、
 数学の授業は班単位で基礎問を解かせる。
 問題が出来ない子に、班の生徒が教えるのですよ。
 班の全員が正解しないと次の問題に行かないの・・・
 塾に通っている生徒は敵対視されました。
 とにかく、みんなでお手々繋いで出来ない子にレベルを合わせましょう!

2,クラス・リレーは、100mのタイム順に各クラスの生徒が並び
 絶対に、飛び抜けたクラスを出さない。
 足の遅い男子が他の女子達と一緒に最終組で走る。
 教師達はタイム順に並べたから平等だと言うのです。
 小学校では、最終組は全員揃うのを待ってにこやかにゴールを演出?
3,ジェンダー教育に熱心な市で、小学6年生の林間教室では
 男女同室です!
 プール授業の着替えも、小学生は教室内で男女一緒。
 当然、発表されないけど影でトラブルが発生。
 泣き寝入りするのは女子児童です・・・

4,道徳の授業は、毎回VTRを流すだけ。
 1年間、毎週ウォーターボーイズを見させられた。教師は机で居眠り・・・

5,全国学力テストの結果は発表しない。
 内申点が相対評価なので、各学校の学力が違うと
 受験時の志望校選びに悩むのですが
 担任は「心配ならランクを落とせば良い」です。
 無理して難関高を受験しないで、皆と同じ高校に行けば良いと・・・

小学5年〜中学2年まで、何の希望も持てない絶望の日々。
一生懸命塾に通って勉強すればするほど教師達に嫌われ
満点を取ると同級生には「ズルイ!」と言われる・・・
同和教育はありませんでしたが、とにかく男女平等!ジェンダーフリー!
市内で唯一、高いレベルの授業を行い補習授業も行い、
校舎も建て替えが早く、吹奏楽部も運動部も予算が豊富だったのは・・・
民主党の国会議員の御子息が通う学校だけでしたよ。
あや | 2009/12/01 11:57 AM
くっくりさん、こんにちは。
いつも拝見しております。

私は1976年生まれの千葉育ちです。
中高は普通だったのですが、小学校の担任の教師が日教組だったのではと思っています。

彼は、教科書にも載っていない南京大虐殺について熱く語っていました。
小学生の私は、何のことかわからず、また何だか恐ろしくて、この時間が早く過ぎればいいのに、と思っていました。

あと、君が代については先生を恨んでいます。

君が代は天皇を称える独裁的なひどい歌だ。
今後歌うことを強制されると思うが、そういう時は口パクで歌えばいい。

と教えられました。
私は高校の音楽で歌うまでは、ずっと口パクで歌っていました。
その後も君が代を歌うときはどうしても後ろめたい気持ちになってしまいました。

ここ3,4年になって、インターネットでいろいろな情報を得ることで、やっと日教組の呪縛が解けたと思います。

子供に自分の偏った思想を押し付けるのは本当にやめてほしいですよね。
りょう | 2009/12/01 01:11 PM
1981年度生まれ、和歌山市です。
小学校時代は君が代を習いませんでした。国歌という概念すら知りませんでした。中学受験で私立に行って、初めて知りました。
塾に通う生徒は基本的に教師から目を付けられており、「ガネーシャ君の家はお金持ちだから塾に通える」みたいなコトもよく言われました。

隣のクラスでは名前を呼ぶとき「くん」「ちゃん」付け、呼び捨て、アダ名が禁じられ、男女問わず「さん」で統一されていました。生徒は先生がいないところでも、放課後でもキッチリ守っていました。私が友人を呼び捨てで呼んだところ、そのクラスの女子にものすごく怒られたのを覚えています。

学区内に貧困層や部落を抱えていた為、その手の教育は毎学年、冊子を配布したり映画を見たりして熱心にやっていました。男女同室の着替えだったり、政治的にも教育的にもおかしな地域でしたね。PTAの中には共産党の市会議員になった方もおりましたし。



みんなが行った公立中学は、卒業式に高確率でパトカーが来るようなところだったので、私立に行って本当に良かったです。あのままだったらガラの悪い連中に絡まれながら「国」というものを意識することなく育っていたでしょうから。
| 2009/12/01 01:17 PM
上(2009/12/01 01:17 PM )は
ガネーシャです。

名前入れ忘れ、申し訳ないです。
ガネーシャ | 2009/12/01 01:18 PM
こんにちは、自分は岡山でしたが特に国歌、国旗については自然にやっておりました。

国旗については校庭のポールに旗を掲げる役がありました(毎週?)。国歌を歌い終えるタイミングで国旗を頂点にピタリと持ってくることが要求されておりまして、かなり熱中した覚えがあります。失敗すると最後にスルスルっと慌ててあげることになり毎回スリリングでした(失敗すると笑われる)。

国歌、国旗を拒否する輩が存在するというのは東京に来てから知ったことです。。。お恥ずかしながら。

日本は日本人だけだし国境も(陸続きで無いという意味で一応)はっきりしておりますので、街中これ見よがしに国旗を飾り立てる必要は無いと思いますが、学校行事など儀礼上はきちっとやらせるのは当然でしょう。これは世界中どこでも同じことです。

因みに近所の品川区の小山小学校というところは国民の休日などは校庭にポールがあるにもかかわらず、わざわざ通り沿いの入り口にでかでかと掲げておりますので、ここは大丈夫だなと感じております。

そういえば都心のテレビ東京のオフィスビルの屋上には国旗が掲げられていたと思います。アサヒなどはどうなんだろうかと気になります。
じいさん | 2009/12/01 01:28 PM
私は神奈川湘南地域です。40年早生まれなのでたぶんタメ年ですね。V
小学校時代にきっちり君が代は教えられました。「さざれ石」はひとつの単語だから「さざれ」「石」と切ってはいけない、息継ぎ禁止!と教えられたのを思い出します。苦しかった。
また、じいさん氏同様、国旗掲揚も生徒の役目で歌に合わせて揚げるのが難しかったな〜。
神奈川って基本的にノンポリが多いんじゃないかと思ってますが。
Yu | 2009/12/01 02:05 PM
1975年度生まれ、奈良県生駒市出身です。
高校受験に関しては、奈良県は全県学区を採用しているので地元集中などはありませんでしたが、小中での着替え男女同室や平和教育(修学旅行は小学校で広島、中学で長崎)、道徳の時間の同和授業(被差別部落・在日問題)、確か君が代も習わずにいたし、式典時に国旗掲揚もされてなかったような…(校旗は掲揚されていた)。
ただ、南京大虐殺等については、中2の歴史担当教員の計らいで見事にすっ飛ばしてます。彼は第1回目の授業で「本当は第2次大戦時のことを色々やらないといけないが、別に受験でさして必要なところでもないので、概略だけやって飛ばします」と、やたら小声の早口で話したのです。当時の私は「なぜ今そんなことを先生は言うのだろう?」と疑問に思ったのですが(だから今でも覚えている)、おかげで南京大虐殺の話は大人になってから知りました。
yummy | 2009/12/01 02:38 PM
日教組は異常ですね。子供達が可哀想です。

私の小・中学校は日章旗も揚げたし、国歌も歌いましたが、義務的でした。日本国民として、国旗・国歌を敬う気持ちも教えてほしかったです。

同和教育の映画も覚えています。同和地区がなかったので、同和の意味も、なぜ学校で上映するのか不明でしたが、演出がわざとらしかったので皆で笑いましたけど。
うらにゃ | 2009/12/01 02:49 PM
1977生まれの青森県民です。日教組恐ろしいですね。気づいてないだけかも知れませんが一度たりとも遭遇したことがありません。やはり北海道は兎も角北に行くほど日教組の影響が減ってくるのでしょうか?確かに組合運動している先生や職員は居るのは居るようですがそんなに力は強くないようです。
今考えると平和な学生生活を送れただけで幸せだったんだなと思います(-人-) 。
nanasix | 2009/12/01 06:51 PM
私は記事に書かれている大阪の「地元集中」地域の中学校に通学してました。
近くに学区トップの進学校があるのですけど、そこを志望した生徒は、放課後に全員の前で担任に吊るし上げられたりしてたそうです。
ちなみにその学校は、職員室に社会党国会議員のポスターを堂々と貼ってるような学校でした。
斉藤 | 2009/12/01 07:13 PM
 福岡で小学校時代をすごしました。
 同和教育は覚えてませんが、毎週月曜(?)に朝会があり、じいさん氏が言われるように国歌演奏のもと週番による国旗掲揚が4年の時まであってました。時々伴奏とあわず残りを慌ててあげるのを見て笑ったのを覚えてます。5年になったら国旗をあげられると楽しみにしてたのが急に国旗掲揚がなくなりがっかりしたので覚えています。大人になってから、おそらく組合の先生たちから文句がでたんだろうなと考え付きました。国歌については覚えてないのですが、子供のころから歌えたので学校で習ってたのかもしれません。
カラヤ2 | 2009/12/01 07:57 PM
静岡県ですが、ある高校の歴史の先生(老人)が熱心に慰安婦について教えていました。 今じゃキッチリ反対の立場ですが!!
 うろ覚えですが、当時の若い歴史の先生が色々がんばっていた気がする。

老人先生がJリーグの応援を見て戦争を思い出すと言っていたそうですが、 若い先生はそん関係ありませんよ。と反論していたそうです。
 
君が代は歌っていましたけど、詳しい内容は教えられてない気がします。
まあ忘れている可能性もありますけど。


地元集中についてはなかったです。 今回初めて知りました。
その他 | 2009/12/01 09:02 PM
現在進行形で高槻の小学校はひどいとのことです。又聞きですが、最近実際にあった話です。その子は勉強ができる1年生でほかの子と比べてかなりできる子でしたが、漢字のテストで授業でまだ教えていないところを正解したところ、バツにされたとのこと。理由はまだ教えていないのにできるのはおかしいとのことだそうです。普通なら褒めるところをできる子の成長を阻害しているとその子の親は憤慨していました。小学校は住んでいるエリアによって決まってしまうので不幸としかいえません。それを聞いて私学か引越しをまじめに考えています。
B=Hammer | 2009/12/01 10:08 PM
お家選びは慎重にしないとダメだと思います。
以前高槻市の人と職場が一緒だったんですが、72年生まれくらいの人の話です。地元集中の話もすごかったし、運動会は競争と名のつものはすべてなくなり、北朝鮮のマスゲームのような運動会だったそうです。
10年くらい前の話では、授業は一番できない子生徒に合わせてするんだそうで、中学校の数学で分数の授業をやっていたそうです。
おかげで、塾代がものすごくかかるといってました。
 賃貸ならすぐに引っ越せますが、家を買ってしまうと大変です。
お家選びは慎重に | 2009/12/01 11:18 PM
90年生まれの宝塚市育ちです。
私の時には日教組の先生よりもそれ以外の先生の方が力が強いところでしたので、しっかりと国旗・国歌をはじめとして教えて下さいました。
なんだか、かなり昔の本のコピーを配布して、史実はこうなっているんだって言うことを力説はしてました。何かあった時には遅いと、ちゃんとしたことを知ることが、相手を知るためには必要なんだとずっと言ってました。
ただ、大学へ入ると元日教組の先生がいたりするんですが……
尚文産商堂 | 2009/12/01 11:57 PM
71年生まれの奈良育ちです。
国家は小学校のころに一度だけ授業でやりました。
その後はなし。
毎年終戦記念日付近が登校日となり、悲惨な映画のスライドや映画を見せられました。
中でも一番ひどかったのは、自衛隊員のお父さんを持つ子供に対して、先生が!ですよ。
「あの子のお父さんは人殺しやから」と私たちに説明したことです。
もちろん子供ですから、「そうなのか」と思い、その後はそう接しました。
なんと愚かなことをしたかと、いまだにその子に謝りたくて仕方ありません。
それにしても、なんだったんだ、あの教師。

うちの妹はその影響を受けて、満州出身の祖父に「人殺し」と言いました…。
その時、そんな教育を受けていたにも関わらず、泣きながらじいちゃんをかばった私。
そういう自分に違和感を持ちつつ育ちました。

中学高校でも変わらず…国旗の掲揚さえ見ませんでした。
なんだったんだ、私の学校。

社会人になって、小林よしのりの戦争論を読んで「違和感」の正体を知りました。

自分が知っている、じいちゃん世代がそんな残虐な事をするわけないと。
その確信が「違和感」だったんですね。

ほんまとほほです。
まだ奈良に住んでおりますので、子供の教育には頭を悩ませております…。
わにわに | 2009/12/02 12:27 AM
はじめまして、私はくっくりさんの1つ下(1965年生まれ)で大阪の南の端っこで育ちました。 うちの中学は自由に進学させてもらえましたが、高校の同級生に”地元集中”を強制された子がいました。 彼は、私の母校よりなお和歌山よりの中学出身で、すごく賢いにもかかわらず地元のかなり荒れた高校に行けと先生にほぼ毎日説得されたそうです。 最終的には他の地区の高校に進学したのですが、内申書をかなり悪くつけられたらしく(実際、先生に地元高校に行かないなら内申書の内容も考えると言われたそうです)彼の実力に見合った本来の志望校にはいけなかったそうです。 確かに彼は高校三年間ずっと学年トップを争っていましたので、実力はあったのだろうと思います。 「中三当時、第一志望には行けなくても、こんな理不尽な理由で地元高校に行かされるより自分で選んだ高校に行きたかった。でも、すごく(中学に行くことが)しんどかった。」と話していました。 
 また、弟は警察に勤務していますが、弟の先輩のお子さんは日教組の先生に不当なイジメをうけて、結局私立の小学校に転校したそうです。弟も結婚して子供ができたら、気をつけないとと思ったそうです。
 私自身は幸い特に害を受けなかったので、大人になるまで日教組の実態をしりませんでした。くっくりさんの記事を読んで初めて”地元集中”という言葉を知り、同級生の中学教師の行動の理由もわかりました。
 多分、知らない方はたくさんいらっしゃると思います。
 私も母親として、何も知らずに被害を受けている子供達がかわいそうでたまりません。
たまねぎ | 2009/12/02 12:29 AM
皆さん、多数コメントをいただきありがとうございます。
いつも個別にレスを差し上げられず申し訳ありません<(_ _)>

お寄せいただいた体験談、大変、大変、参考になっています。
いやー、やはり地方により、また世代により、いろいろあるんですねぇ。
子供の頃にどこに住んでいたかで、こんなに格差が出てしまうというのは、やはりどう考えてもおかしいと思います。

本文には書かなかったことを追加で書いておくと…

私の妹一家は奈良市に住んでいます。この夏に妹と会った時に、「A子ちゃん(妹の娘、小6)の学校、日教組の先生とかおらん?」と何気なく聞いたのですが、妹は全くピンと来ていないようでした。何か問題があったら、妹→妹の近くに住んでる母→私という経路で必ず話が伝わってきますので、おそらく今のところは特に問題はないと思うのですが……。

あと、夫の弟は4年ほど前に結婚、何を思ったのか高槻市の賃貸マンションに新居を構えました。新婚の二人にいきなり「高槻はヤバイって!」とか言うのもアレだし、どうしたものかと思っていたところ、子供が生まれると、とっとと京都に一戸建てを購入、あっさり引っ越してくれました(^^ゞ。京都府の長岡京市というところですが、ここは大丈夫でしょうか。って、こういう心配し出すとキリがないんでしょうけどね(T^T)
くっくり | 2009/12/02 12:45 AM
くっくりさん、こんばんは〜

いわゆる革新系、左派の方もご覧になっているでしょうから、そういう方からの反論も是非聞きたいですね。

自らの思想信条、教育方針に自信のある方、名乗りを上げられて反論、或いはご自分のご意見を開陳されては如何でしょうか?

それとも組合の陰に隠れなければ物は言えませんか、日教組の皆さんよ。

高校の時は手のひらを返して、可愛がってくれて有難う。お礼もしたいので反論を是非お聞かせ願いたい。
腰抜け外務省 | 2009/12/02 01:45 AM
一度だけ国歌を学校行事で歌ったことありますが誰も歌いませんでしたね。そして、それでも怒られなかった。普段は大きな声を出せとう怒鳴る教師ばかりでしたが。
| 2009/12/02 11:51 AM
いつも拝見しています。私は1967年度です。
「地元集中」,私自身はそういう説得はありませんでしたが,同級生の1人が「内申書を書かない」と言われて結局私と同じ高校になったのを覚えています。

小学生の担任は「日教組」の方でした。教育内容は偏っていなかったと思いますが,成績管理が異質でした。
まず,通信簿の前の段階のものを持たされました。冊子体で各科目毎に,授業内容が羅列され,それぞれにテストの成績を記入したり,授業の理解度・態度を先生が判断して点数(1,2,3点のいずれか)を付ける,というものです。
例えば図工の作品も設定されている目標があり,そこが達成できなければ,どんなに素晴らしい造形でも過程も無視して1点です。
手を挙げて発言する回数も全て先生が記録しており,回数によって点数が配分されます。
そういったものを常に持たされていたのですが,問題は期末です。
その点数をまずは自分で集計し,その後,隣の席同士で交換してチェックするのです!
点数バレバレです。
それを全て回収して,ほぼその点数通りに通信簿が付けられる,というものでした。
これが5年,6年の担任のしたことで,6年に進級する際,始業式で担任が発表された際に,この先生の名前を聞いた途端,クラス全員がブーイング。悲痛な拒否症状でした。
この方針がいやで,だんだんと授業での発表もしなくなり,ただ静まりかえるクラスになりましたが,その私たちに「きみたちは考える力がないのか?想像力の欠落だな。頭も錆び付いているんだろう」と訳のわからない事を言ったことも覚えています。
国歌,国旗が排除されることはありませんでした。「日の丸の歌」もちゃんと授業で習いましたしね。

姉の同級生が教師になりましたが,ある日ウチに遊びに来て語った武勇伝が「この前,卒業式で日の丸外してやった!校長,何も言わなかったぞ。腰抜けだな。ま,無くて当然なんだしな」
彼のご子息は,うちの窓ガラスに石を投げて割っては悦にいるバカですが,彼から謝られたことは一度もありません。一事が万事でしょうか。
すか | 2009/12/02 12:46 PM
68年生まれ兵庫の公立高校にいきました。兵庫県では総合選抜という入試方式があり(去年まで)
地元の公立数校が合同で入試を行い、住所で決められた学区の公立高校に行くという形をとっていました。これも変形した地元集中でしょうか?地元では公立高校間の偏差値の差はほとんどなく、偏差値45〜70程度の生徒が同じ高校に進学しました。一部では4年生高校(一浪して有名な国公立、私学に進学する)と揶揄されることもありました。
びっくり | 2009/12/02 04:44 PM
くっくりさん、お久しぶりです。
'68年生まれ、大阪府富田林市出身で、地元集中があった世代かつ地域です。
日教組の影響は教師個々により濃淡がありました。小学校は職員室に真っ赤な旗が張られてましたが、国旗・国歌も徒競争も普通に存在する学校でした。
中学校は荒れてて組合どころじゃなかったので、幸いにも(苦笑)進路は行きたいように決まったと思います。但し、地元の中堅校に行く子は少なくはなかった。それが教師に勧められたからか、単に近かったからか、それはわかりません。
ウチはそれで済みましたが、隣の中学は地元集中すさまじく、一部の優等生は学区トップの高校に進むのが許されました(!)が、その他大勢は他市の学校に行きたいと言おうものなら執拗に迫られ詰られ、クラス全員の前で「ごめんなさい、皆を裏切って他の高校に行きます」と謝らなければならなかったそうです。それに圧されて希望変更した子もあるとか。
これは意思貫徹して私立の音楽高校に進んだ、怒り心頭だった友人から聞きました。

市長が革新系だったのも関係するんですかねぇ…
るるもっぺ | 2009/12/02 05:42 PM
テーマとは関係ありませんが平山郁夫が亡くなりましたね
シルクロードや仏教伝来をネタとしながら、
かの地のウイグル人やチベット人の惨状は生涯無視し続け、
日本における中国のイメージアップに尽力されました
日中友好協会会長として暴利を貪った氏の名前は、画家としてではなく、屈指の売国奴として語り継がれるでしょう…

こいつは、我が広島の特ア自治区化にも大いに貢献してくれました
もう一遍生き返らして激しく糾弾してやりたい
どびん | 2009/12/03 01:33 AM
1978年、和歌山市の隣、海南市生まれです。
学区外普通科への進学は、あいまいですが「制度上不可」と
されていました。
公立普通科に行くなら選択肢は2つしか無かったような地域ですが。

中学、高校での君が代、国旗掲揚はありましたが
習ったことはありません。
中学社会科の授業で教諭が「改憲」について賛成か反対かの挙手を募った折、(前段で百人斬り等、根拠不明な史観を「教えられた」のち)賛成に挙手した私を含め、2名は授業後に職員室に呼ばれて、懇々と、平和主義について説諭を受けました。
また、地域的に同和教育も念にいっており、そのころすでに実効性をもたない「同和地域」ではなく、「在日」にスポットを当てた授業が行われていました。

高校の時、同和系クラブ活動に所属していました(名称が社会問題研究会であったため、イコール同和とは考えておらず、気がついてからは実態に興味が湧いたため3年間所属)が全国大会?的なものではやはり関西圏が多く、現在翻って鑑みるに活動の根の深さを感じます。

また、中学校前に某大型新宗教の教団施設が建設されたり、とかなりむちゃくちゃな環境だったと思います。
 
藤 | 2009/12/03 02:43 AM
ちなみに本日「笑っていいとも」に何とあの田母神閣下が出られます!ぜひ見てください。
木下統 | 2009/12/03 04:02 AM
ひえー!くっくりさん25歳まで君が代を公の場で歌ったことがなかったんですか!ビックリ!

宇治原さんのような若い世代でも徒競走は手をつなぐとか(驚愕)もう信じられない世界で言葉を失います。自分の行きたい学校にモ行けないってそれ、もろ北朝鮮の世界じゃないですか。日教組ってホント何考えてるんですか?!

私はくっくりさんよりちょっと年上で東京育ちですが、やっぱり小学校に日教組の先生がいました。ただ、最も恐ろしいのはそうした先生から自虐的な教育を受けた記憶が全くないにも関わらず、君が代を聞いたり日の丸を見たりするとドキドキしたり異常な感じがするっていうことなんです!知らない間にしっかり左翼の見方が頭に刷り込まれてるっていう事なんです。これって結構な数の日本人が経験してることなんじゃないでしょうか。

今、自分でこちらのブログや様々な画像・書籍を読んで見方が変わった後でもやっぱりあの刷り込みは強烈に残っているなあ〜と感じます。きっと新聞テレビの影響もものすごいのだと思います。何て恐ろしい事でしょう。

素直な心を破壊されるような酷い体験をされた方に共感したり、愛国的な教育を受けられた方をうらやましく思ったり。本当に色々な方のコメントに学ばせて頂いています。
おれんじ | 2009/12/03 04:42 AM
すいません、いつも蛇足が多くて(汗)。

拉致問題を年賀状に書いたくっくりさん、貴方はえらい!

応援クリック。
おれんじ | 2009/12/03 04:44 AM
またまたすいません(汗)。次のエントリーはコメント不可なのでこちらに。

くっくりさん、ご夫妻の収入減のお話、身につまされます。私も昨年から仕事が激減して何とか単発で入るお仕事で生活費をまかなっている状態。医療保険の解約のお話もダンナさまの自宅待機のお話も他人事とは思えません。

私も遅れ気味ですが税金も年金も健保もしっかり払っています。お互いがんばりましょうね!
おれんじ | 2009/12/03 06:54 PM
当方和歌山県那賀郡桃山町(現紀の川市桃山町)の産まれですが、
普通科への高校進学は貴志川高校に固定されていましたね。
他の公立高校への進学を反対されないのは那賀高の国際科・粉河高の理数科等のみ。
同級生に何人も那賀高普通科への進学を望んでいましたが、
夜に教師達が複数人でやってきて、深夜に及ぶまでの説得を何度もされたとか。
しかもその理由が『普通は地元の高校に行くのが一般的だ』とか言われたらしいんですが、
桃山町の中でも旧安楽川村付近に住む者からすれば那賀高なら自転車で20分もあれば行けるのに、
貴志高だとその倍の40分はゆうに掛かるという…
私も世間知らずで当時は『そういうもんか』程度にしか思ってなかったですが。
| 2009/12/04 11:27 AM
皆さん、引き続きコメントをいただきありがとうございます。
いつも個別にレスを差し上げられず申し訳ありません<(_ _)>

もう本当に各地方でいろいろあるんだなーと。
どこの地方の学校に通ったかによって、子供たちが幸せにも不幸にもなってしまったりするんだなと、本当に怖くなります。

2009/12/04 11:27 AMさん:
那賀郡桃山町ですか!私の生活範囲内ではないですが、和歌山市内から近いですよね(粉川寺とかよく行きました)。そんな近くで、そんなことが起こっていたなんて驚きました。

おれんじさん:
励ましのお言葉ありがとうございます。おれんじさんも大変なんですね(T^T)。っていうか、このご時世、儲かってる人なんてほとんどいませんもんなぁ。テレビとか見てると、「うちはまだマシなんだから頑張ろう」ってよく自分を励まします。ネガティブな励まし方ですが……。
くっくり | 2009/12/04 03:08 PM
確かに「地元集中」みたいな勝手なことをしてたというのは問題ではあるとはおもうの
ですが・・・。
?よくも悪くも高校進学自体がほぼ全入りになっていったわけし、田舎によっては学校の数、通学の問題ではなから選択の余地がない地域だって多いのでは。ほぼ全入り自体日教組が運動を行ったらしいけど、本当にそのことだけでなったといえるのか。
?工業科、商業科ならともかく公立の普通科においてそんなに決定的な差がでるの?特色ってでるの?その地元の高校に行かせられた人、行った人はあたかも特定の大学はもう無理、みたいにいってしまうこと自体が、はなからあきらめさせているという状況をつくってる、というマッチポンプにはなっていないの?
?競争がなくなった例はなぜ判で押したように「かけっこ同時ゴール」が多いのか。今回、枚方やその他においてそれらしきものが実際に実在したというのはわかったが、競争は過酷な面があるのは事実なのだから下手すれば極端から極端になってしまうことも含めて論議しないとならないはず。
?同じ進路の問題であるなら高校において自衛隊志望の生徒を断念させて、それを「戦果(成果?)」としてたとかの話の方がより問題のような気がするが。
| 2009/12/04 06:11 PM
2009/12/04 06:11 PM の方、

競争に関する基本的な考えはたぶん私と同じかと存じます。しかし、ご存じの通り、実社会での競争は学校での競争などより、はるかにハードで、時として自己、或いは自己の属する集団の生存に関わります。

ビジネスも競争ですし、スポーツしかり、芸術もまたしかりです。(政治、外交もそうでしょう)

勉強で死ぬことや、経済的不利を負うことはありません。(成績を苦に自殺するバカ者もいますが、遅かれ早かれそのような撃たれ弱い人間は同じ道をたどるのでは?)

しかし、実社会に出て競争を初めて経験するというのでは、社会も迷惑ですが、何よりも本人が一番かわいそうではないでしょうか?

負けることの悔しさ、勝つことの喜び、そして何よりも努力することの重要さを学ぶことは、競争をおいて他に可能でしょうか?
腰抜け外務省 | 2009/12/04 09:13 PM
>工業科、商業科ならともかく公立の普通科においてそんなに決定的な差がでるの?特色ってでるの?その地元の高校に行かせられた人、行った人はあたかも特定の大学はもう無理、みたいにいってしまうこと自体が、はなからあきらめさせているという状況をつくってる、というマッチポンプにはなっていないの?

私は大阪市で、隣の学区の普通高校に行きました。「調整」というシステムがあって、隣でも行けるようになってました(ただし「調整」は人数枠が決まっていて、なおかつその学区の人より合格点が少し上に設定されていました)。なぜ隣に行ったかというと、偏差値的に自分に最も合っていたのと、がつがつしていない校風が好きだったのと、家から近かったからです。2009/12/04 06:11 PMさんの地元では、どこの高校も似たような偏差値だったり校風なのですか?
「地元集中」は昔バイトでいっしょだった人の話では、それによって自分の偏差値よりはるかに下の高校に行かされ、そこは有名大学などははなから無理という雰囲気が昔からずっとあって、授業も教科書の応用問題は飛ばして基礎問題しかやってくれないので、高いお金を出して予備校に通うしかなかったそうです。

>同じ進路の問題であるなら高校において自衛隊志望の生徒を断念させて、それを「戦果(成果?)」としてたとかの話の方がより問題のような気がするが。

これは「地元集中」とは違う次元のお話だと思います。
もちっこ | 2009/12/04 09:48 PM
笑っていいとも!では、出演時間も短い上に、田母神さんが持論を展開しそうになると、
必ずタモリさんが話題をそらしてばかりで、詳しいお話がちゃんと聞けませんでした。

田母神さんのお話をちゃんと動画で見れるところを見付けました。
http://www.768.jp/ondemand/viproom/archive/23.php
単純な検索では見つからない動画でした。

内容は、StyleFM-女性のための放送局に出演した際の対談映像になっていて、田母神さんの講演の時より、ゆっくり判りやすくお話されていました。
1つ目は自衛隊、2つ目は外交、3つ目は正しい歴史や戦後の思想戦略が、語られています。
特に3番目はお薦めと思います。田母神さんの講演会に参加できない方々に一人でも多く見ていただきたいと思い思い切って投稿しました。
「拡散」というのでしょうか?ブログでご紹介いただければ幸いです。
匿名希望 | 2009/12/04 09:52 PM
枚方出身です、地元集中はやはりすごく 内申書を書いてもらえないばかりか授業中何度も呼び出しで説得させられました。そればかりか同じ枚方内の中学生から私達に彼らの地元にあたる高校に来ないでという作文が届き、私達もあなた達の高校には行きませんという作文を書かされました。今おもうとおかしなことですよねー
背景には人口が増え高校が新設されたけれど歴史伝統がなく高校の偏差値が低く大学への進学率が低く特に推薦枠も少ないため余計優秀な子に行かせたいという思惑もあるようでした。
ほんとおかしなシステムでしたが
公立にいけないレベルの子達は蚊帳の外、平等というならばそういう子たちも公立にいかせればと思いますがあの頃はとにかくやくざまがいのおどしがこわくて何も反論できなかったことが悔やまれます。
こんなばかなシステムのために人生が狂ってしまった子供達もたくさんいると思います。
そういえば国歌を習ったことも国旗が掲げられたことなど一度もありませんでした。
りんご | 2009/12/06 02:22 AM
S33年生まれ和歌山県岩出町(現岩出市)出身ですが、岩出中学からは那賀高、粉川高、貴志高(当時は女子高)に行きました。和歌山市内の和歌山大付属に行った人もほんの少しいました。
当時は日教組を意識していなかったのですが、私の知る限りでは変な指導はありませんでした。貴志川や桃山、その他那賀郡内からもたくさん那賀高に来ていました。
君が代は記憶がはっきりしませんが、歌ったと思います。子供の頃歌った記憶はあるので、学校でだろうと思います。小学校では講堂で「やまたの大蛇」の神話の映画を見ました。
私の頃はまだ良かったということでしょうかね。子供もいないし埼玉に住んでいるので現状は知りませんが、今度妹(岩出在住)に聞いてみます。
Naga | 2009/12/06 10:04 PM
私の地域では日教組の酷い教育はありませんでした。

私ならもし、そのような教育を子供の頃受けたのなら絶対その当時の教員を探し出して詰問します。
たま | 2009/12/09 02:03 AM
京都出身 1969年生まれです。

国旗国歌は記憶にないけど歌っていた気がする。 中学受験して私立に行きました。受験日前日私学を受ける生徒が集められましたが先生から頑張れと激励を受ける今から考えるといい先生だったな。 僕は昔から保守少年で軍艦や飛行機のプラモデル作成、お小遣いためて嵐山美術館にゼロ戦見に行く子供でした。

弟は3,4年の時にバリバリの日教組の先生が担任で授業では

世界で一番人を殺したのは
1. ナチス 2 日本とうそを教えてました

正解は
1. スターリン、 2 毛沢東 では?

家の部屋にはチェゲバラのポスターが飾ってあり、多少影響を受けた弟は僕がオヤジに連合艦隊の映画を連れて行ってもらうときに最後にドタキャンしたことは今でも後悔しているらしいです。
という彼も既に小学校時代に私に影響され今も既にバリバリの保守。 当時の先生の恐ろしさはいつも酒を飲むと今では笑い話となってでてきます。 今その先生どうしているんだろう 確かだんなも教師でもちろん日教組でしょう。

彼は医者なんですが高槻に昔よく当直でいった病院も左きつかったらしいです。

辻元嬢はやはりこの高槻での教育が彼女の今のベースなんでしょうか。

私はアメリカ、台湾と仕事で駐在経験がありますが国家も国旗も別に普通のことですよ。 日本が異常。 なぜ日本だけがこういう異常な状況なんでしょうね?

国歌国旗に敬意を表すのは自由主義も共産主義も同じと思うんですがね。
すな | 2009/12/09 01:34 PM
こんにちは。1961年滋賀県生まれです。
小学校の時はバリバリの愛国教育?でした。朝な夕な国旗の方向に向かい、廊下にいようがトイレにいよううがその場で直立して国家斉唱。
運動会の時は毎年「君が代行進曲」を全校児童が演奏しながら行進していました。(かしら〜右!とかまるで軍隊式・・笑)
ところが、6年生になって校長先生が変わったとたん廃止に。朝な夕なの国歌斉唱は校歌斉唱に変わり、愛郷心教育に切り替えられました。
そして中学に入ると同和教育をこれでもかとやらされました。国歌を歌った記憶は殆どありません。

この両極端、理由は未だに謎ですが、小学校時代の愛国心教育に今となっては感謝しております。
すずめ | 2009/12/10 03:49 PM

はじめまして。

1967年生まれの元高槻市民です。

「1970年生まれの高槻市議会議員・北岡隆浩氏の体験談」についてですが、阿武野高校の設置は1983年で、私たちの年が一期生に該当しますので、微妙にズレてます。
ついでに言うと、私の母校である高槻南高校(今は廃校)は別に目指すべき進学校というわけではなく、ここも高槻南部の中学校にとっては地元集中の対象です。せっかく記事を書くなら正確を期してほしいですね(笑)。

まあ、全体的には記事の通りで、高槻の進路指導が滅茶苦茶だったことは事実です。
もちろん、中には尊敬に値する先生もおられましたが、中学三年当時の担任の教師は最悪でした。
先ずは併願で受験する私立高校の指定に始まります。ただし、一応選択肢があって、2校から1校を選ぶというものです。しかし、この時は話し合いで別の私立高校の受験を認めてもらい合格しました。
続いて公立高校受験の段階になると、私はやや背伸びしたレベルの高校を希望しましたが、担任は地元である新設の阿武野高校出願を執拗に求めてきました。結局、両親が前に出てきて揉めた末、なぜか担任以外の教師が間に入って、代替案として高槻南高校の受験が決まるというわけのわからん展開となりました。
しかも、私の進路指導にもかかわらず、担任はクラスの不良少年や身体障害者の進路の話を延々としていて「なんのこっちゃ」と思ったことを覚えています。

今となってはこれらも苦い思い出ですが、こうしたことは繰り返してほしくありませんね。
kero | 2009/12/16 12:18 AM

再度、元高槻市民です。

もう一ヶ所、事実と異なる点がありましたので指摘しておきます。
(しつこくてすみません)

> 1970年代、中3の時に高槻市に移り住まれた男性の体験談

の中にある

>高槻方式に従い、地元の高槻高校に行けと言うのだ。

の部分。
高槻高校は学区内では指折りの進学校で、しかも私立です。地元集中とはまったく関係ありません。


あ、それから前のコメントで

>記事を書くなら正確を期してほしいですね(笑)

って書いてしまいましたが、これはくっくりさんにではなく、体験記を書いた人に向けたものですので誤解なきよう・・・。


あ、それから中学時代にびっくりしたことが蘇ったので2点ほどご紹介を・・・。
1)音楽の時間
「君が代」を教わることは勿論ありませんでしたが、「平壌は心のふるさと」という歌をみんなで歌ったことがあります。
(さすがにメロディは忘れましたが・・・)

2)狭山事件で警察・検察を糾弾する看板が校庭に堂々と掲げられていました。しかもゲバ文字。
kero | 2009/12/17 12:29 AM
突然ですみません。
私も枚方出身です。地元集中の犠牲者です。
出願の三日まえに、内申書書かないと脅されました。
泣く泣く地元へ。。。あの教師を訴えたいくらいです。
パト | 2009/12/18 09:03 PM
私も枚方出身です。
同じように地元集中の犠牲者です。私の場合、中学で、いじめにあっていたので、環境変えたくて、他の地域を希望したのに、内申書は書かないと脅されました。地元には、行っていた中学の生徒の大半がいくのに。。。担任は、二年も私の担任であったのに、そのことにも気付いていたはずなのに。。こんな生徒にも地元へ!なんて、ひどすぎませんか?おかげで、高校三年は悲惨なもの!!全部、おの女教師のせいだ!!訴えたいくらいです!!このこころの傷どうしてくれるんだ!!といいたい!!だいたい、中学生に内申書かかないって怖い脅しはひど過ぎません??
春水 | 2009/12/18 09:44 PM
はじめまして。
私も枚方出身の1976年生まれです。もちろん、地元集中はあたりまえでした。
反戦教育がすさまじく、日の丸の赤は血の色と教えられました。
もちろん君が代は歌ったことがありません。

おかしいな…と気がついたのは大学の友人の話で、地元集中が全く無かったということ。(その時の友人は京都出身、奈良出身でした)
反日教育にいたっては、最近の韓流ブームで韓国に興味を持ち、ネットでいろいろ調べていくうちに、私が受けた教育がかなり左に偏っていたという事実に気がつきました。
そういえば、先生達が勝手にプリントした物を小冊子にして、徹底的に日本はこんなひどいことをした、と残虐な写真を見せられたり、韓国人がいかに差別されているのかと『ユンボギの日記』だったと思うのですが、韓国人の書いた本で勉強させられました。

もう、なんで日本人なんだろう?と思うほど酷かったです。
ですので、もちろん愛国心なんて湧かなかったです。

自分が受けた教育が偏っているという事に、気がついた時の衝撃といったら…。今までの人生を返せとは言いませんが、子供は先生の話はすべてだと思うわけです。
自分の価値観で人を動かす、動かされる怖さを体感しました。

先生方が今どうされているのか知りませんが、偏った情報に踊らされて、教育を行うとは何て無責任な事をしてくれたんだろう…とあきれてしまいます。

その反動でか、気がついてからは、ネト右ではありませんが、『憲法9条を残そう』などと安易に言う人々が大嫌いです。

我が子には、反戦教育ももちろん大事ですが、日本の素晴しい歴史と文化もきちんと学ばせてあげたいと思います。
popo | 2009/12/26 04:54 PM
私は、リンゴさんと同い年で、大阪なんですが、地域が違うのかそれほど日教組の影響はありませんでした。ただ、地元集中、というのは聞いたことがあります。地元に新設高がいくつかできて、そこを希望する人が少ないために、生徒を送り込むため、勧めているイメージでした。同じぐらいの成績なら、新設高へと言う感じですね。

リンゴさんの言われているように、新設校のうちのいくつかは、合併されて閉校になってしまったりしてます。

現在住んでいる場所も大阪なのですが、結構保守的な地域で、学校の式典では、日の丸掲揚、君が代はもちろん、父兄が大声で歌います。

運動会も、日の丸が秋の青空にひるがえるなか行われて、気持ちが良いですよ。運動会も、200%競争です(笑)。

大阪なんですけどね。
るる | 2009/12/26 08:14 PM

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