今に通ずる昭和の論文
10年ぐらい前でしょうか、「映像タイムトラベル」という番組がありました。朝日放送で深夜にやってたので、もしかしたら関西ローカルかもしれません。
日本の(基本的に)古き良き時代の映像をいろいろ流してくれましてね。まだ自分が生まれてなかったり、物心ついてない時代の映像であっても、なぜか妙に懐かしい気分にさせてくれた番組でした。
それを彷彿とさせるような連載が現在、産経新聞で行われています。スタートしたのは今年の5月頃でしたかね。
産経新聞のコラム「正論」が35周年ってことで、初期の頃のさまざまな識者の論文を再掲してるんです。名付けて【昭和正論座】。
この平成の時代に読んでも全く色褪せていないというか、十分に唸らせてくれる、そういう論文がたくさんあります。
論文は全てWEB版に掲載されているわけではなく、未掲載のものも多いようです(産経WEB「昭和正論座」での検索結果はこちら)。
今日はWEB未掲載分から、1つだけ紹介したいと思います。
日本の(基本的に)古き良き時代の映像をいろいろ流してくれましてね。まだ自分が生まれてなかったり、物心ついてない時代の映像であっても、なぜか妙に懐かしい気分にさせてくれた番組でした。
それを彷彿とさせるような連載が現在、産経新聞で行われています。スタートしたのは今年の5月頃でしたかね。
産経新聞のコラム「正論」が35周年ってことで、初期の頃のさまざまな識者の論文を再掲してるんです。名付けて【昭和正論座】。
この平成の時代に読んでも全く色褪せていないというか、十分に唸らせてくれる、そういう論文がたくさんあります。
論文は全てWEB版に掲載されているわけではなく、未掲載のものも多いようです(産経WEB「昭和正論座」での検索結果はこちら)。
今日はWEB未掲載分から、1つだけ紹介したいと思います。
■【昭和正論座】文芸評論家・村松剛「均衡とれた中国報道を」
昭和48年7月20日掲載(再掲は2008/6/14)
≪機能を果たさぬ大新聞≫
となりの国、中華人民共和国なるものがどういう状態になっているかについて、日本人ほど片寄った認識をもたされている国民は、自由主義世界では少ないのではないかと思う。実情を知らせるべき任にある新聞の大方が、この数年らい機能を果たしていないからである。
新聞の批判を新聞に書くということは、日本では仁義にもとるとみなされて、これまではほとんどタブー視されてきた。しかしこの欄は、何をいってもいいということになっているので、あえて書かせてもらう。大新聞はいまは「社会の木鐸(ぼくたく)」どころか、輿論(よろん)を操作する大権力と化し、しかもこの権力には批判者ないし掣肘(せいちゅう)者がほとんどいない。
二年ほどまえ、アメリカでベトナム戦争の機密文書がすっぱ抜かれ、ニューヨーク・タイムズ紙が国民の「知る権利」について論陣を張ったことがあった。ぼくはたまたま当時ニューヨークにいたのだが、感心したのはニューヨーク・タイムズが、「知る権利」の論に反対する長尺(ちょうじゃく)の投書を、論説のそばに堂々とのせていたことである。
国家に機密があるのは当たりまえであって、日本は真珠湾攻撃をするまえに、それを国民に知らせただろうか、と投書は述べていた。そういう投書をあえてのせたのは、ニューヨーク・タイムズの自信のあらわれだろう。この新聞の幹部は機密文書を発表するまえに、そのことがアメリカ国民の利害にそむくか否か、検討をかさねたという。
日本でもそのあとしばらくして、外務省の文書をめぐっての「知る権利」の騒動が起こった。しかしこの方はひろく知られているように、だいぶんお粗末なものだった。アメリカのそれとでは、次元がちがうのである。
≪毛沢東の粛清の実態は≫
中国問題については、ぼくはもちろん専門家ではない。
しかし幸いに二、三の外国語が読めるのと、たえず海外に出る機会があるのとで、シナ大陸についての国際的常識程度のことは知っている。その常識によれば、第一に中華人民共和国はじつに政情不安定な国である。
香港できくと、昨年のシナ大陸からの逃亡者は推定二万人から二万五千人だったという。一昨年は一万八千、そのまえの年は一万五千人ときいたから、年々脱走者は増加していることになる。国境の警備は厳重で、逃亡者は海水が暖かい時期をえらび、一万メートルほどの距離を泳いでくる。
七年まえには国家主席 ― つまり大統領にあたる ― 劉少奇が、どのような法的根拠も裁判もなしに、紅衛兵と称する子供の群の罵声(ばせい)のなかで消え、一昨年は林彪と参謀総長の黄永勝とが、どういう風にしてだかよくわからないが消息を断った。そのあと国防省も参謀総長も、空席のままである。毛沢東は過去に四人の参謀総長をつくり、四人のことごとくを粛清(しゅくせい)している。
アメリカの上院が毛沢東の粛清調査のための小委員会を、サウスカロライナ大学の教授を首班としてつくり、その結果が二年ほどまえに発表された。これによると戦場で死んだものをべつとして、粛清された人数は最低見つもり三千二百万人という。この数字の真偽を論じる資格はぼくにはないが、話半分とかりにしても気のとおくなるほどの数である。
≪いい面ばかり書き続け≫
中国共産党の幹部二十一人のうち、林彪以下八人がいまは消え、この七月の共産党立党記念日にも恒例の行事がついに行なわれなかった。一方、地方の軍の司令官は、多くが十年以上据えおきで、各地に根を生やしている。よくはわからないけれど、北京の宮廷の凄惨(せいさん)な権力闘争と地方の軍とは、無関係のようにさえ見える。
つい一昨年までの日本の「軍国主義復活」を罵り、天皇を裁判にひっぱり出せとまでいっていた北京が、そのご突然、四次防結構、天皇陛下によろしくといい出した。態度の急変には、唖然(あぜん)とするほかない。ソ連の軍事的脅威という問題のほかに、国内の不安にたいする対策としての面があったのだろう。日本と手を組んで台湾との外交的関係を日本に切らせれば、北京としては成果を国民に誇ることができる。
どこの国にも、いい面もあれば悪い面もある。
いいところばかりを案内される旅行者のうちの単純な人たちが、いいことずくめの報告をするのは当たり前といえるし、工業化社会の喧噪(けんそう)と汚濁にうんざりしている人間が独裁社会特有の「健全さ」に憧れることがあったとしても、べつだんの不思議はない。しかし大新聞の多くが、まるでいいことづくめのようにこの国について書きつづけているのは、いったいどういうことだろうか。
≪「色つき」の情報は御免≫
北京と手をにぎりさえすれば、日本の貿易は前途は洋々としているかのようにいくつかの大新聞は書いた。この国のGNPのひとり当たりは百ドルと百五十ドルとのあいだで ― 昨年の日本は三千ドル強 ― 耕地面積が少ないから食糧は慢性的に不足している。総貿易額はわずか五十億ドルで台湾より少なく、そんな状態の国との貿易にどれほどの期待ができるかは、子供でも察しがつく。
ある大新聞の幹部が、わが社の中国報道は偏向しているといわれるが、日中復交のためには相手の欠点を書いたりしないのが当然ではないか、と述べているのを雑誌で読んだ。談話の速記だから、多少の語感のちがいはあるのかも知れない。もしこのとおりにいったとしたら、おそるべき傲慢(ごうまん)さである。
新聞の任務は、新聞人自身がたえずいっているように事実のあたうるかぎり忠実な報道である。北京と手をにぎるのなら、まず必要なことはこの国の実情についての、均衡のとれた情報の提供であろう。新聞人の勝手な判断で色のついた世界像を示されたら、国民のうける迷惑ははかり知れない。
現在の日本は、中ソの奪いあいの対象となっている。日本という大工業国がどちらに肩入れをするかで、中ソの力関係は深刻な影響を受ける。そういう外交上の困難な位置に、日本は立たされているのである。しかもその事態についてさえ、国民は十分に認識していないのではないか。
日本人はもっと多くを「知る権利」がある。色つきの情報をしか知らされなかったことによる不幸を、われわれは三十年まえに、すでに経験しているのである。
(むらまつたけし)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【視点】「正論」が始まる前年の昭和47年、日中共同声明が調印され、日本国内は日中友好ムードに沸き立った。一方、中国は文化大革命が最終段階を迎えていた。産経以外の全国紙は北京に特派員を置いていたが、その実態はほとんど伝わってこなかった。当時の新聞には、歯が浮くような文革礼賛記事が載っている。
村松剛氏は海外から得た情報として、中国から香港への脱走者が年々増えている事実や3200万人が毛沢東に粛清されたとする米下院の調査報告書を挙げ、いいことしか書かない日本の「大新聞」を厳しく批判した。また、「日中復交」のために相手の欠点を書かない傾向を「おそるべき傲慢(ごうまん)さ」とも指摘した。
(石)
村松剛さんとはこういう方です(Wikipediaより抜粋)。
・1929年3月23日生まれ。1994年5月17日に喉頭癌で死去。
・東京府出身の評論家、フランス文学者で、立教大学、京都産業大学、筑波大学、杏林大学の各教授を歴任。
・1975年、「死の日本文学史」で第4回平林たい子賞を受賞。1979年から1982年にかけて刊行された木戸孝允の伝記小説「醒めた炎」で第35回菊池寛賞を受賞。
・1989年、今上天皇即位当時、天皇制支持発言ゆえに過激派から自宅(筑波大学教授として入居していたつくば市にあった教員官舎)に放火される事件があった。
・戸塚ヨットスクールへの支持者としても知られる。
また、上記論文が掲載された昭和48年(1973年)とはこんな年でした(これまたWikipediaより抜粋)。
・1月1日 - イギリス、アイルランド、デンマークがEUの前身である欧州共同体に加盟。
・1月27日 - ベトナム和平協定(翌28日発効)
・2月14日 - 為替レート・1ドル=308円の固定相場制から、変動相場制に移行。
・5月30日 - 大関・輪島が第54代横綱に昇進。初の学生相撲出身横綱となる。
・7月20日 - 日本赤軍によるドバイ日航機ハイジャック事件
・8月8日 - 金大中事件
・9月18日 - 国連総会において東西ドイツの国際連合加盟が承認される。
・10月17日 - 第四次中東戦争でオイルショック・モノ不足・大手商社の買い占め
・11月1日 - 巨人がパ・リーグの覇者・南海を4勝1敗で下し日本シリーズ9連覇(V9)達成
・11月25日 - 五島勉が解釈した本、ノストラダムスの大予言が出版される。
・11月25日 - 第2次田中改造内閣発足。
イチロー選手、宮沢りえさん、松島菜々子さんらの生年でもあります。
ヒットした邦画は「仁義なき戦い」「恍惚の人」「日本沈没」など。洋画では「スティング」「007 死ぬのは奴らだ」「アメリカン・グラフィティ」「エクソシスト」など。
私は昭和39年生まれで、この論文が発表された当時は9才でした。
この年にヒットしたアニメとか歌謡曲とかはよく覚えてます。
アニメでは「山ねずみロッキーチャック」「エースをねらえ!」「キューティーハニー」などを好んで見てました。
歌謡曲では天地真理さんの「恋する夏の日」とか、麻丘めぐみさんの「わたしの彼は左きき」(生まれて初めて自分のお小遣いで買ったレコード!)とか、もう大好きでしたね。
でも、社会問題とか政治とか外交とかはほとんど記憶にないです。9才では仕方ないですよね(^_^;
時代背景の説明が長くなりましたが、以下、この論文を平成20年の現在と照らし合わせてみて、私の雑感をちょこっと(^^ゞ
【となりの国、中華人民共和国なるものがどういう状態になっているかについて、日本人ほど片寄った認識をもたされている国民は、自由主義世界では少ないのではないかと思う。】
一般的に言って、これは2005年に中国で発生した反日デモ以降、少しずつマシになってきたように思います。
特に今年に入ってからは毒餃子事件が発覚し、チベット蜂起と、それに付随し欧米各国による聖火リレーでの中国への抗議運動、また北京五輪での中国の数々の「非常識」(開会式での口パク少女や“少数民族の子どもたち”のヤラセ等、また海外メディアに対する取材規制、中国人の応援マナーの悪さ、日本選手へのブーイングetc)、とにかく中国の負の部分をさらけ出す出来事が立て続けに起こり、あの朝日新聞ですら中国礼賛ばかりもしていられなくなりましたよね。
ですから、かつて片寄った認識を「もたされていた」日本人のそれは、かなり改まったと思います。
【新聞の批判を新聞に書くということは、日本では仁義にもとるとみなされて、これまではほとんどタブー視されてきた。】
これ、ちょっと驚きました。だって今はこういうことは全くないですよね。産経と朝日なんてしょっちゅうやり合ってますし(^_^;
「従軍慰安婦」をテーマにしたNHKの番組改変に絡んだ朝日の2005年1月の捏造報道(安倍晋三さんと中川昭一さんがNHKに圧力をかけて番組内容を変えさせたという記事)については、実に多くの新聞が朝日を厳しく批判しました。ふだん朝日と論調が似ている毎日ですら例外ではありませんでした。
【大新聞はいまは「社会の木鐸(ぼくたく)」どころか、輿論(よろん)を操作する大権力と化し、しかもこの権力には批判者ないし掣肘(せいちゅう)者がほとんどいない。】
大新聞が大権力であるのは今も変わりがないと思うのですが、ただネットの普及とともに世論操作がだんだん難しくなってきていると同時に、ネット住民が批判者ないし掣肘者の役割を引き受けてますよね。毎日新聞のいわゆる変態報道問題など見てますと、特にそう思います。
つーか、今や新聞よりもテレビの方が大権力ではないでしょうか。新聞を読まない人が増えたというのもあるけど、テレビの方が映像や音で訴えかける分、ものすごく印象操作がしやすいですから。
ちなみに木鐸(ぼくたく)とは、昔、中国で、法令などを人民に触れて歩く時に鳴らした、舌が木製の大きな鈴。転じて「社会に警鐘を鳴らすこと・人」だそうです。
【つい一昨年までの日本の「軍国主義復活」を罵り、天皇を裁判にひっぱり出せとまでいっていた北京が、そのご突然、四次防結構、天皇陛下によろしくといい出した。態度の急変には、唖然(あぜん)とするほかない。ソ連の軍事的脅威という問題のほかに、国内の不安にたいする対策としての面があったのだろう。】
党内あるいは国内の事情に合わせて方針をころっと転換する、そういう中共の変わり身の早さっていうのは、今も昔も変わってないようですね。
小泉政権時代はあれほど反日的だったのに、安倍政権以降は「日中友好」路線に大きく転換しました。中共としては、北京五輪も近づいてきて、環境問題その他で日本の協力を引き出す必要があった、だからこその転換だったわけですよね。
ちなみに「四次防」とは、「第四次防衛力整備計画」の略らしいです。軍事に詳しい方、フォローよろしく<(_ _)>
【ある大新聞の幹部が、わが社の中国報道は偏向しているといわれるが、日中復交のためには相手の欠点を書いたりしないのが当然ではないか、と述べているのを雑誌で読んだ。】
これってやっぱり朝日新聞のことなんでしょうね〜(^_^;
【北京と手をにぎるのなら、まず必要なことはこの国の実情についての、均衡のとれた情報の提供であろう。新聞人の勝手な判断で色のついた世界像を示されたら、国民のうける迷惑ははかり知れない。】
個人的に言わせてもらえれば、朝日新聞が示した勝手な判断で色のついた世界像によって、わたしゃ多大な迷惑を被りました。
家がずっと朝日をとっていたため、私はいい大人になるまでずーっと朝日に書いてあることを真実だと信じてたんです(朝日以外に親や教師の影響もあったけども)。まさか新聞が嘘を書くこともあるなんて、少女時代の私は思いもよりませんでした。
次の総理候補の本命である麻生太郎さんの持論に、「日中友好は目的ではなく手段だ。目的は日中共益だ」というものがありますが、朝日はまさに「日中友好が目的」というスタンスで捏造や誤報をくり返してきた新聞と言ってよいでしょう。
1964年に日中記者交換協定が日中間で取り交わされましたが、その後1968年の修正で「政治三原則」なるものの遵守が取り決められたのは有名な話です。
これは「日本政府は中国を敵視してはならない」「米国に追随して『二つの中国』をつくる陰謀を弄しない」「中日両国関係が正常化の方向に発展するのを妨げない」というものでした。
日本の他のメディアが北京から次々に追放処分となった中、朝日はこの「政治三原則」を遵守し、1971年に残ったのはついに朝日だけとなりました。
当時の朝日新聞社の広岡社長は、「中国文化大革命という歴史の証人として、わが社だけでも踏みとどまるべきである。そのためには向こうのデメリットな部分が多少あっても目をつぶって、メリットのある部分を書くこともやむを得ない」という趣旨の発言を社内でしていたと伝えられています(国際派日本人養成講座 平成10年6月20日号)。
これ、村松剛さんが指摘されているところの「ある大新聞の幹部」の発言とほぼ一致してますよね。
――私の雑感はこんなところで。
以下、【昭和正論座】の別の論文で「おっ」と思ったものの中から2つだけ、ちょこっとだけ引用を。
■【昭和正論座】防衛大学校長・猪木正道「西独にみる防衛問題の悩み」
昭和48年10月3日掲載(再掲は2008/6/8)
(産経WEBにソースあり)
≪社民党の真剣さに驚く≫
(前略) 当時の私が第二番目に驚いたのは、防衛問題について、西ドイツの市民たちがわが同胞とは比較にならないほど真剣だった点である。ハンブルクは昔も今も社会民主党の強力な地盤であるが、一九五四年の一月中頃、ここの党首脳が「もし米軍が西ドイツから撤退するようなことがあれば、自分はその晩から安眠できないだろう」と語っているのを新聞で読んで、私は日独両国の社会党の違いに深刻な印象を受けた。
早速、バイエルン州の党責任者に会ってただしたところ「自分たちも、ハンブルクの同志とまったく同意見だ。同じ社会主義インターナショナルに属する日本の同志たちが、米軍の基地撤廃を叫んでいるのは理解に苦しむ」という返事が返ってきた。
(以下略)
今も変わらぬ日本の社会党。現在の党名は奇しくも「社会民主党」ですね。
■【昭和正論座】京大教授・会田雄次「こわい日本人の劣等意識」
昭和48年7月25日掲載(再掲は2008/6/7)
(日本再生ネットワークさんに起こしあり)
≪長所発見ヘタな国民性≫
(前略) 私たちは他人のもの、外国のことは何でもよく思う性癖を持つ。もちろん、隣の花は赤く見えるというのはおそらく全人類に共通した現象だろう。
が、しかし日本人は自尊心が乏しいだけ、その外国や他人羨望(せんぼう)は、激しいねたみや近親憎悪を伴う途方もなく陰湿でゆがんだ形をとるのが特徴である。
反骨と自称する人間とか、最近流行の各種の反抗運動者の中に、理解し難いゆがみを認めることが多いのはそのためだ。逆にいえば、理解し難い反抗行為は、そこに劣等意識という基本条件を置くとき、極めて明快に解明できるものとなるのである。
≪たえず評価待遇に不満≫
日本人のこの劣等意識は、自己の社会的存在に関してとくに強く現れる。
具体的にいえば、自分の能力や働きの割に、自分は会社や周辺から不当に低くしか評価待遇されていないという「損」意識である。つまり、自分はその生れ故に、容貌(ようぼう)ゆえに、反骨精神という正義感ゆえに、不当な待遇を受け、たえず損をして生きて行かねばならないとの思いだ。この意識は各種各様に私たちの思考と行動を規定するが、それを分類・列挙すると次のようになる。
(中略) 第八は、何かの権威をバックに、いわゆる虎の威を借りる狐をきどる心情である。この種の行動の中で一番巧妙なのは、権力組織の中で十分その権力を利用しながら反体制をきどるというものであろう。もっともこれなら欧米にもよく見られる現象だが、劣等意識が強く、自己責任を持ち得ない日本人は、反体制をきどるときでも国の内外での反体制の権威によりかかろうとする。有名国立大学などの進歩派教官に、そういう芸人たちが数多く見られるという現象は日本だけの特殊性であろう。
(以下略)
今でも国公立大学の教授で反日、反体制な人ってたくさんいますよね。税金返せ!
最後にオマケ情報。
昭和と言えば、これも産経新聞なんですが全共闘を扱った「さらば革命的世代」という連載が行われています。
第1部は全共闘メンバー側からの視点。
第2部はそんな彼らを見つめていた人々(警察など)からの視点。
こちらの連載もオススメです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★このブログが面白かったらクリックして下さい→
★ご面倒でなければこちらも→
アニメ「めぐみ」配信中。
英語・中国語・韓国語版もあります。ダウンロードはこちらから。コピーフリーです。世界に広めましょう!
レンタルビデオ店でのDVD無料貸し出しも始まりました。
「島根県の竹島英文ページを検索に引っ掛かり易くする作戦」もよろしく。
takeshima dokdo dokto tokdo tokto
________________________________________________
★トラックバックを下さる方へ
お手数ですがこちらに一度目を通されてから宜しくお願いします。
★コメント(投稿)を下さる方へ
初めてコメント下さる方は、お手数ですがこちらに一度目を通されてから宜しくお願いします。
Comments
ばれるときは来ると思います
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/occult/1221090267/1-100
週刊現代(9/27号)にて、一部掲載されています。
ソ連は崩壊し中国は驚異的な経済発展を遂げた(が落日も早い?)。目まぐるしく変遷する国際情勢、厄介な隣国に囲まれ、日本が滅亡せずにいられるのは奇跡かもしれない。
先のことは専門家も予測不能。日本の国柄をこれ以上壊さず将来に手渡せるよう私たちも努力せねば。
で、竹島・対馬が韓国に、東シナ海・尖閣諸島が支那に狙われる中、遂に露西亜も侵略を開始したようです。ソースは此方。
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/080914/erp0809141906006-n1.htm
頼りになりそうな平沼新党は挙党前から色々妨害されてしまっているようで、今度の新総理・新政権には誰が良いのかと無い頭をひねる日々です。
>天皇制支持発言ゆえに過激派
>から自宅(筑波大学教授として
>入居していたつくば市にあった
>教員官舎)に放火される事件があった。
前から思ってたんですが、サヨちゃんは加藤邸放火事件とか「ゲンロンノジユウへのチョウーセンザマス!!!」とか騒ぐ資格あるんでしょうか。
あの頃ほうぼうの神社とか皇室ゆかりの建物とか、はては保守右派言論人の家とか放火されまくりんぐなんですけど。
紅の傭兵が政界引退だとか!!
確か「我が朝鮮総連 罪と罰」
(韓光煕著 野村旗守取材構成 2002年 文藝春秋)で小沢一郎はここから出ては?
http://island.iza.ne.jp/blog/entry/716794/
と言われたお友達のことが出てきましたね。
何でもKさんは最終的に金で転んだようですが、倅のこっちの太郎さんは大丈夫でしょうか?
あっち系の人たちには今も中国や北朝鮮は理想郷なんですからね。
呆れてしまいます。
逆に一社ぐらい中国に
公式に認められるメディアが
あっても良いんじゃないかな
そればかりだと困るけど正反対のメディアが居る限り
十分に意義があると思う
きらびやかに演出されたものからでも何か見えてくるものが
あるはず。
全てに言えることですが一つの情報のみを見るとことを謝る。
メディアには出来る限り客観的な報道を
お願いしたいが
情報発信する人には必ず
意図があり少なからぬ主観が
入り込む
事実を知るには出来る限り多角的に見るか
自身が体験する以外にない
この当時は「正論文化人」も、格調高かったんですな。最近は、屑ばっかりになってしまったけど・・・。
バカウヨクが多くなったから、グレードが落ちたのか、はたまた、ウヨク論壇人が劣化したから、バカウヨクが多くなったのか、鶏と卵の関係ですね。
思えば、田久保忠衛が「朝日の記者が殺されるのは当然」と「正論」に書いたあたりから、サヨクそっくりの品格なき言説が大勢を占めるようになった。
もうずいぶん前にお亡くなりになった林健太郎先生が、嘆いておられたのをいま思い出しましたよ。
対中国に関するもう少し格調の高い名論文がありましたが、どうもコメントのやりとりを読む限り、猫に小判のようなので、もう少しフロアから、論議を見させてもらいましょうか。(被害者意識満点の右翼屋さんからは、よいものは出ない)