天皇はなぜ尊いか(付:石井選手の発言)
画像は2005年6月28日、慰霊のためにサイパンをご訪問された際、バンザイクリフにて黙礼をされる天皇皇后両陛下。
この写真、私は何度見ても切ない気持ちになります。
いつの時代も、天皇は日本国民と共に在りました。今上陛下はじめ歴代天皇は日本国民のために日々祈りを捧げてこられました。
両陛下がこんなふうに祈りを捧げられる光景は、これまでに国民の見ていないところで、それこそ数えきれないほどあったのではないでしょうか(宮中祭祀も含め)。
「『天皇制』なんて必要ない」と言う人に、「いやいや、『皇室』は必要ですよ」と私はいつも反論してきました。だけど理由を説明するのが、これまた難しくて……(T^T)
そんな先日、なにげに読んでいた「正論」9月号に、“目から鱗”の講演起こしを見つけました(私は遅読なので、いつも1〜2カ月前の号を読んでます(^^ゞ)。
この写真、私は何度見ても切ない気持ちになります。
いつの時代も、天皇は日本国民と共に在りました。今上陛下はじめ歴代天皇は日本国民のために日々祈りを捧げてこられました。
両陛下がこんなふうに祈りを捧げられる光景は、これまでに国民の見ていないところで、それこそ数えきれないほどあったのではないでしょうか(宮中祭祀も含め)。
「『天皇制』なんて必要ない」と言う人に、「いやいや、『皇室』は必要ですよ」と私はいつも反論してきました。だけど理由を説明するのが、これまた難しくて……(T^T)
そんな先日、なにげに読んでいた「正論」9月号に、“目から鱗”の講演起こしを見つけました(私は遅読なので、いつも1〜2カ月前の号を読んでます(^^ゞ)。
【第3回教科書改善シンポジウム詳報「日本文明のこころとかたち」】における竹田恒泰さん(明治天皇の玄孫にあたる方)の発言です。一部引用させていただきます。
私の夫もつい数年前までは「皇室?そんなもんいらん。あいつら税金ドロボーや!」とかめちゃくちゃ言ってたんですが、私の教育(?)のせいか、最近はそういうことは全く言わなくなりました。
それどころか、私がこの竹田さんの発言を紹介し、「天皇はなぜ尊いかなんてそもそも言葉では説明不能なんやね」「それぞれに尊いと思う理由があってええんやね」と言ったところ、夫から意外な返しが。
「そりゃそうやろ。『こういう理由で天皇は尊いんや、こういう理由で皇室は必要なんや』ってはっきりしてるもんやったら、そもそも何千年も続かんかったんちゃうか?その時代時代で日本人の価値観なんかも違ってたはずやのに、それでも滅びんと来た、誰も滅ぼそうとせんかったっちゅーのは、理屈で説明できる存在やないからちゃうの?」
何やアンタわかってるんやん〜!(^o^) って、喜んでたら……
「俺は天皇おってもおらんでもどっちでもええけどな。ま、おってほしいって思う人が多いんやったら、別に無理に廃止することもないやろけど。でも税金取られるんはちょっとなぁ。利権まみれの政治家とか、ろくに仕事してへん役人とかに払うこと思たら、よっぽどマシやけどな」
……やっぱりわかってへんやん〜!(T^T)
ただ、これでも以前に比べたらめっちゃソフトになったんですよ。そこは強調しときます。
でも、これ以上、夫を教育というか説得するのは難しいでしょうね。
皇室もそうですが、そもそも伝統に理由付けをすること自体、無理があるわけですから。伝統は、理屈とか合理性とかを超越したものなんですから。「心」なんですから。
皇室が必要であるという理由のひとつとして、たとえば「皇室があると日本は他国から一目置かれる」という考え方があります。それは確かにその通りだと私も思いますが、でもこの理由もやっぱり後付けのものですよね。
他国から一目置かれようが置かれまいが、そんなことは関係なく皇室はあった方が絶対にいいし、実際、そのように考えている国民が多勢を占めていると思います。
つーか、海外から一目置かれてるなんて、そもそも知らない国民の方が多いんではないでしょうか?
夫も伝統に理由付けは不要ってことは重々理解してるようなんですけどね。
たとえば大阪府の前知事の太田房江氏、彼女が土俵に上がりたがってた頃、「伝統と男女平等は全く別物や!現在の価値観を伝統に持ち込むな!」ってマジで怒ってましたから。
そこまでわかってて、何で皇室のことは理解してくれへんのかなぁ(T^T)
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ここからは半ば余談になりますが、木曜にこんなニュースがありましたね。
■五輪入賞選手ら両陛下主催の茶会に(JNN10/9)(魚拓)
石井選手の「天皇陛下のために戦いました」発言、私は当日の夕方、このJNNニュースで知りました。
石井選手ってふだんから軽い発言が多いですし、一瞬「ふざけてんの?」と思ったんですが、よくよく考えてみれば、彼は国士舘大学の学生、しかも伝統ある柔道部の部員ですよね。だから彼にとっては普通の発言なのでは?
今となっては意外な一面ですが、北京五輪で金メダル獲った直後には、石井選手についてこんな報道もありました(産経イザ8/16)。
で、お茶会について、ネットで他社のニュースも見てみましたところ、JNNでは「天皇陛下のために戦いました」の前後の言葉がカットされていたことがわかりました。
FNNはこのように伝えています。
・天皇皇后両陛下、北京五輪メダリストら招きお茶会開かれる 石井 慧選手も出席(FNN10/9)(魚拓)
こちらはYoutubeで見つけたニュース動画。日テレのようです。
「『自分は日本人として、大和魂を持って天皇陛下のために戦っている』と言いました」と神妙な面持ちで語ってますね。
産経新聞には、「『天皇陛下のために戦いました』と(陛下に)お伝えしました。陛下は笑っておられました。天皇陛下とお会いするのは嬉しいし、幸せでした」とあります。
というわけで、前後の言葉と合わせて読んでみたら、また、取材時の表情を見てみたら、やはり石井選手は別にふざけてるわけじゃなくて、むしろ真面目に言ってるんだろうな、という印象を私は持ったのですが。
その後、陛下と福田さんを比較するような質問が記者から出た時も、「福田前首相と天皇陛下を一緒にされたら困る」と答えてますしね。
陛下が首相なんかとは比べものにならない尊い存在でいらっしゃることを、暗に指摘しているようにも見えます。
石井選手って今風のお調子者に見えるけど、やはり武道家ですし、しかも金メダルまで獲った人ですからね。
国士舘ということを除けても、日本の伝統や文化や歴史、そういったものの大切さは、少なくともそのへんの日本人よりはよほど理解しているのではないでしょうか。
ということで、私の結論としては、石井選手の発言は特に問題はないと思います。
但し、もし今回の発言に陛下が困惑されているとしたら、大変お気の毒なことです。そういった点で言えば、石井選手もそれなりに配慮が必要だったかもしれません。
まぁでも今日(金曜)1日、ワイドショーやネットのニュースなどを見た限り、マスコミも特に騒いではいないようです。どうやら私の杞憂に終わりそうですね。
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まず、日本を知るということは、天皇を知るということ、そして日本を語るということは天皇を語るということ、その逆もしかりなわけですけども、天皇とは何かということを説明するのは非常にやっぱり難しいことなのですね。それで人それぞれ感じ方も違いますし、持っているものも違う。
天皇はなぜ尊いか。私も何年間も考えておりました。考えた挙げ句、思想家の葦津珍彦(あしづ・うずひこ)先生の全集を読んでいた時、「これだー」と思った一節に当たりました。
葦津珍彦先生は戦後、特に神道界において非常に重要な役割を担った方です。日本中の神職の方もたいへん尊敬をしている方ですけれども、この方は神道のこと、日本の伝統のこと、そして皇室、憲法のこと、天皇のことなどを非常に論理的に事細かに説明される先生なんですね。その葦津珍彦先生が著書の中でこういうことを言っているわけです。
天皇はなぜ尊いか。これについては「言葉では説明できない」と。これだけ論理的に明解に説明される先生が、説明ができないとおっしゃるんですね。それで僕はそれ読んだ時、「これだ」と思いました。これしかないという思いでした。
たとえば最初に申し上げましたけど、天皇がなぜ尊いか。人によって思いはまちまちです。中にはかっこいいとか、素敵とかいういう人もいれば、歴史上の流れを汲んだ上でいう人もいれば、愛子様がかわいいとか、皇室が好きな理由はいろいろあると思います。
ただし、葦津珍彦先生は、世界の中で天皇ほど非政治的な君主はないが、国民に対してこれほど影響力を持っている君主もないのだということを言っているわけですね。それで国民はいろんな理由で天皇を尊敬する。その尊敬もいろいろバラバラであるというわけです。でもバラバラでいいということなんですね。ただ、それが今だけの話ではなくて、五十年前も百年前も、それこそ幕末だろうが江戸時代、平安時代、もう日本のわが国の歴史始まって以来、その状況は変わらなかったというわけです。
故高松宮殿下のお言葉を借りれば、なぜ二千年皇室が続いてきたか。それは歴史的に国民によって守られてきたからです。ですからもしどこかの時代で、天皇なんか要らないという時代が一カ所でもあれば、今皇室はなかったわけですよね。どの時代も国民が守り続けた。ですから今の皇居は徳川の城ですから城壁があってお堀に囲まれてますけども、本来の天皇のおわす場所は京都御所。お堀もなければ塀だって誰かが軍事力で抹消しようと思ったら簡単にできてしまう、低くて薄っぺらい塀でした。
ところが世界史の中で国王といわれる君主は、およそ城壁、城の中に済んでいる。軍事力によって守られている、むしろ軍事力によって民衆を抑えつけているという存在で、天皇とはまったく違うわけですね。ですから天皇を殺してしまおうなどという勢力はなかったわけです。そういう勢力があって戦いながら勝ち進んできた現在なのではなくて、もともとそういう発想がなかったわけです。
それを考えると、なぜ尊いかといったら、いろんな理由があって、もうそれは説明できない。それを教えていくのは非常に大変なことで、天皇とは何かなどということを明確に書いて、それを読んだらわかっちゃうような教科書ができようはずもないわけですよね。ただし、一つの材料として歴史はこうだとか、歴代の天皇はこうだったんだ、もしくは昭和天皇はこう対応されたんだと、そういったことをいろいろと知る中で、一人ひとりが、あ、だったら僕はこう思うなという、そういうものを大切にしていけばいいんじゃないかと思うんですね。
天皇の歴史は日本の歴史であり、日本の歴史は天皇の歴史だと言いましたけれども、戦後、天皇の歴史というのは教育の場から意図的に遠ざけられてきたわけですね。天皇について語ると、軍国主義だ、帝国主義だといわれる。そして神道について語ると国家神道だ、また息子、娘を戦場に送るつもりかなどという話になって、非常にアレルギーといいますか、天皇や神道について語ることがタブー、教えることもタブー。したがって教科書でも最低限しか書かれていない。歴史の教科書、公民の教科書を見ても、最低限しか、もう最低限以下と思いますけど、書かれていないわけですね。その結果どうなったかといったら、自分は国旗を掲げるのは嫌だとか、国歌を歌いたくないとかなるわけです。日本人なのに残念です。国旗や国歌に敬意を表する、国を愛する、などというと、愛国者イコール右翼みたいに言われるわけですね。
でも国も愛せない人間が、大自然とか地球とか愛せるわけもないのです。だいたいそういう人は家族も愛せない。ほんとは最小単位は家族ですよね。家族が愛せて初めて地域が愛せる。地域が愛せて国が愛せる。国が愛せるから世界を、人類を愛せるのであって、国家も愛せない、国を愛せない人が、人類愛も何もないわけです。
残念なことに日本で一番多い国旗はどこの国かといったら、イタリアの国旗だそうです。イタリアレストランに必ず国旗が立ってる。次がフランスらしいんですね。次がアメリカで、なんか五位か六位に日本の国旗が来るらしい。どうなのかなと思いますけども、日本人であればしっかりと天皇の歴史、建国の歴史を習わないとかわいそうと思う。
私の夫もつい数年前までは「皇室?そんなもんいらん。あいつら税金ドロボーや!」とかめちゃくちゃ言ってたんですが、私の教育(?)のせいか、最近はそういうことは全く言わなくなりました。
それどころか、私がこの竹田さんの発言を紹介し、「天皇はなぜ尊いかなんてそもそも言葉では説明不能なんやね」「それぞれに尊いと思う理由があってええんやね」と言ったところ、夫から意外な返しが。
「そりゃそうやろ。『こういう理由で天皇は尊いんや、こういう理由で皇室は必要なんや』ってはっきりしてるもんやったら、そもそも何千年も続かんかったんちゃうか?その時代時代で日本人の価値観なんかも違ってたはずやのに、それでも滅びんと来た、誰も滅ぼそうとせんかったっちゅーのは、理屈で説明できる存在やないからちゃうの?」
何やアンタわかってるんやん〜!(^o^) って、喜んでたら……
「俺は天皇おってもおらんでもどっちでもええけどな。ま、おってほしいって思う人が多いんやったら、別に無理に廃止することもないやろけど。でも税金取られるんはちょっとなぁ。利権まみれの政治家とか、ろくに仕事してへん役人とかに払うこと思たら、よっぽどマシやけどな」
……やっぱりわかってへんやん〜!(T^T)
ただ、これでも以前に比べたらめっちゃソフトになったんですよ。そこは強調しときます。
でも、これ以上、夫を教育というか説得するのは難しいでしょうね。
皇室もそうですが、そもそも伝統に理由付けをすること自体、無理があるわけですから。伝統は、理屈とか合理性とかを超越したものなんですから。「心」なんですから。
皇室が必要であるという理由のひとつとして、たとえば「皇室があると日本は他国から一目置かれる」という考え方があります。それは確かにその通りだと私も思いますが、でもこの理由もやっぱり後付けのものですよね。
他国から一目置かれようが置かれまいが、そんなことは関係なく皇室はあった方が絶対にいいし、実際、そのように考えている国民が多勢を占めていると思います。
つーか、海外から一目置かれてるなんて、そもそも知らない国民の方が多いんではないでしょうか?
夫も伝統に理由付けは不要ってことは重々理解してるようなんですけどね。
たとえば大阪府の前知事の太田房江氏、彼女が土俵に上がりたがってた頃、「伝統と男女平等は全く別物や!現在の価値観を伝統に持ち込むな!」ってマジで怒ってましたから。
そこまでわかってて、何で皇室のことは理解してくれへんのかなぁ(T^T)
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ここからは半ば余談になりますが、木曜にこんなニュースがありましたね。
■五輪入賞選手ら両陛下主催の茶会に(JNN10/9)(魚拓)
この夏、日本中が沸いた北京オリンピック。入賞した選手たちが9日、天皇皇后両陛下主催の茶会に招かれ、久しぶりに勢揃いしました。
記憶に新しいこの夏の選手たちの活躍。
9日午後、皇居で開かれた茶会には、競泳の北島選手や松田選手、陸上の400メートルリレーで日本初のメダルを獲得した朝原選手ら4人など、選手や役員およそ150人が出席しました。
茶会には皇太子さま、秋篠宮ご夫妻も出席し、メダルを首にかけた選手らと笑顔で言葉を交わしました。
(中略)
メダリストと言えば柔道の石井慧選手はもちろん出席。
頭をきれいにそり上げて、皇后さまと笑顔でおしゃべり。
「来年には国民栄誉賞を取る予定です」「総理の体を触ることによって総理のすべてが分かると思って触りました」(石井慧選手)
金メダルを獲得して以降、様々な「石井節」を連発してきた石井選手、さて、この日の感想は?
「『天皇陛下のために戦いました』と話しました。(陛下は)笑っておられました」(石井慧選手)
Q.福田前総理と会った時はいろいろと福田前総理から伝わってくるものがあったという話がありましたが?
「福田前首相と天皇陛下を一緒にされたら困る」(石井慧選手)
選手たちは茶会のあと、競技ごとにわかれて記念撮影に臨み、晴れやかな表情で写真におさまっていました。(09日17:09)
石井選手の「天皇陛下のために戦いました」発言、私は当日の夕方、このJNNニュースで知りました。
石井選手ってふだんから軽い発言が多いですし、一瞬「ふざけてんの?」と思ったんですが、よくよく考えてみれば、彼は国士舘大学の学生、しかも伝統ある柔道部の部員ですよね。だから彼にとっては普通の発言なのでは?
今となっては意外な一面ですが、北京五輪で金メダル獲った直後には、石井選手についてこんな報道もありました(産経イザ8/16)。
信仰心も厚く、大学の入学祝いは「神棚がほしい」。部屋には毘沙門天の像を安置する。日ごろから般若心経を写経。ただし試合前は「苦しいときの神頼みなんて効き目があるわけない」。日々の精進だけが身を助けると信じている。
で、お茶会について、ネットで他社のニュースも見てみましたところ、JNNでは「天皇陛下のために戦いました」の前後の言葉がカットされていたことがわかりました。
FNNはこのように伝えています。
・天皇皇后両陛下、北京五輪メダリストら招きお茶会開かれる 石井 慧選手も出席(FNN10/9)(魚拓)
天皇皇后両陛下は、北京五輪のメダリストや入賞者らを皇居に招いてお茶会を開き、歓談された。あの柔道の石井 慧選手(21)も出席し、陛下に「大和魂を持って陛下のために戦っています」と話したという。
(中略)
石井選手は「昔からの日本人の気持ちを忘れずに、気持ち前面で戦っていくという姿勢を忘れずに戦いましたと。天皇陛下のために戦いましたと言いました。(陛下はどのように?)笑っておられました」、「(天皇陛下から伝わったことは?)感動しかなかったし、天皇陛下と福田前首相(と会ったとき)を一緒にされたら困るしね」と語った。
こちらはYoutubeで見つけたニュース動画。日テレのようです。
「『自分は日本人として、大和魂を持って天皇陛下のために戦っている』と言いました」と神妙な面持ちで語ってますね。
産経新聞には、「『天皇陛下のために戦いました』と(陛下に)お伝えしました。陛下は笑っておられました。天皇陛下とお会いするのは嬉しいし、幸せでした」とあります。
というわけで、前後の言葉と合わせて読んでみたら、また、取材時の表情を見てみたら、やはり石井選手は別にふざけてるわけじゃなくて、むしろ真面目に言ってるんだろうな、という印象を私は持ったのですが。
その後、陛下と福田さんを比較するような質問が記者から出た時も、「福田前首相と天皇陛下を一緒にされたら困る」と答えてますしね。
陛下が首相なんかとは比べものにならない尊い存在でいらっしゃることを、暗に指摘しているようにも見えます。
石井選手って今風のお調子者に見えるけど、やはり武道家ですし、しかも金メダルまで獲った人ですからね。
国士舘ということを除けても、日本の伝統や文化や歴史、そういったものの大切さは、少なくともそのへんの日本人よりはよほど理解しているのではないでしょうか。
ということで、私の結論としては、石井選手の発言は特に問題はないと思います。
但し、もし今回の発言に陛下が困惑されているとしたら、大変お気の毒なことです。そういった点で言えば、石井選手もそれなりに配慮が必要だったかもしれません。
まぁでも今日(金曜)1日、ワイドショーやネットのニュースなどを見た限り、マスコミも特に騒いではいないようです。どうやら私の杞憂に終わりそうですね。
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「島根県の竹島英文ページを検索に引っ掛かり易くする作戦」もよろしく。
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Comments
これは本当だ
しかし だいぶ前 森首相が
その言葉を言ったら
マスコミから凄い攻撃をされた
悲しいことである。。。
歴代の権力者達が国民を従わせようとも、真に国民の平穏を祈ってくれる天皇がい続けていてくれたからこそ、ひとつの国としてまとまってこられたのかもしれません。私達の祖先は、日本という国が持っている揺るがないものを、賢く次世代につないできてくれました。
孫娘のために、私もそう在りたいです。
皇室がなぜ尊いのかは理由付けできないというのは面白い考えですね。でも、もっともだと思います。もっともらしい言い方をすれば「日本の歴史の正統性を体現されているから」と表現するしかないでしょうが、国民が尊いと思うから尊いのだというのが本当のところかもしれません。
ただ、尊い理由は説明できないかもしれませんが、国家の統治機構としての利点は説明できると思います。時の権力者が絶対に覆せない権威、つまり武力や財力で覆せない歴史的な正統性、を国民に承認されているということが、権力者が国家を私物化するのを食い止めるのに役立っていると思うのです。もちろん完全とは言いませんが、歴代シナの皇帝などに比べたら日本の権力者というのは相当国家のことを考えていると思います。一例を挙げるならば明治維新のときに、幕府側がまだ余力を残しながら大政奉還し、江戸城を明け渡してまで内戦を回避た結果的、欧米諸国の侵略を免れたのは日本国は徳川氏のものではなく日本国民のものであり、その代表者は天皇陛下であるという根本的な思想なくしてありえなかったのではないかと思います。
御皇室が尊いからわれわれが尊いものだと思うのか、われわれが尊いと思うから御皇室が尊いのかは、ちょっと失礼かもしれませんが鶏が先か卵が先かみたいなものであって、どちらが先とも言い切れないものだと思います。また、御皇室が存続できたのは国民が守ってきたからであると同時に、御皇室の存在によって恩恵を受けてきたのが国民であるという見方もできると思います。このような長い時間をかけて築きあげられた、単純には説明できない好循環のようなものを守っていくのが保守のあり方ではないでしょうか。現代人の理性が作り上げた進歩的思想ではこのような複雑な好循環は作り出せないと思います。
今日のぼやきは最高!私の中ではBest of ぼやきですw
いつもおこなわれているムーブの会話起こしもTV見れない私には大変参考になりますし、その労力には感謝しておりますが、今日のはひと味違うものの心に響きました。
日本人に生まれてよかった!!
なぜ天皇(御皇室)が尊いのか?
私は某ブログで古代日本を紐解いているものを読んでいます。
それによると、中央(高天原)は各地に情報係を向かわせ物資交換等の情報交換や問題等を情報収集し解決に人材を向かわせたり、開墾技術等を教えたりしていました。
また、各地の子供たちが高天原に集められて教育を受け、その子らが知識・技術を持つと各地に向かいそれらを教えたり、問題解決したりしたそうです。
各地の人々は、我が子が高天原で立派な人になるのを希望したそうです。
そんな高天原に由来する昔話、初詣や桃の節句等が今でも続いているのは、当時の政が人々に大いに受け入れられ敬われていた証でしょう。
高天原は伊勢神宮に移り、代わって分家の天皇家が受け継いできたわけです。
二千年続いたものと一緒に、天皇家に対する尊いという想いも続いてきたということではないでしょうか。
架空のものだとされる神話の時代の話しですから、学者には相手にされていませんが、多方面から紐解いてるブログで納得させられます。
だけど、くっくりさんが言う様に、国士舘でしかも師匠が斉藤仁さん、くだんのNHKの番組ないでも相当にほんを読み込んでる風だから、くっくりさんの分析とこの動画の内容がしっくりくる。
そこで、思うのが、この世代の日本の若者の正常進化の頼もしさ。彼らは、多感期に戦後初めての右肩上がりでない景気を経験し、ゆとり教育であやふやな答えばかり教えられた事によって、ダメな大人を信じず、自分で考える・自分で自分なりの答えを見つけようとしている風に見えます。(しかもそれが結構まともで正論)
いま、世界的恐慌と呼ばれつつあるこの時期に、たまたま体力のあった日本の金融機関とこれから社会に出てくるであろうこの世代の融合を想像したら、なんの理由も無いけど明るい未来が見えて来る予感がする。
勝手な思い込みだけれど。
日本国家における皇室の正統性については、よくL正統(legitimacy)が引き合いにだされますが、正統だから正統であるという以外に答えようがないという説明では納得できない人がいるのはあたりまえですよね。ヘーゲル『法哲学講義』が8年前に長谷川宏さんによって初めて邦訳されました。その中で「君主権」の説明がなされていますので、ぜひ。
天皇を守り続けることで、日本が日本であり続けてきた。それは理屈では決して語れないのだということを、お伊勢様は、言葉ではなく、肌で感じることの出来る場所だと思います。
まだお伊勢参り未体験の方はぜひ!
http://www.meix-net.or.jp/~minsen/kako/bunko/ap.htm
〜DNA論で天皇を語る事の危険性
天皇についての解釈は唯物論でまっさきに捉えることは無理があると思います。^^;
それもそのはず日本人は終戦直後にGHQが強いた情報統制により西洋的価値観を基に個人主義を植えつけられてきましたから、公の精神に欠けてしまい。神話の世界、すなわちスピリチュアルな観点をも捉えにくくなっているのが実情です。
物質的視点で語る学者連中には理解できんでしょうな^^;
http://yakumotatu.blog36.fc2.com/(昭和天皇とマッカーサーについて)
大和朝廷も初期の頃には、まつろわぬ民を武力で従えていったと思いますが、今となっては、其れは神話のなかに残るだけです。
鎌倉幕府成立以降は、実際の権力者と権威者が完全に分離され、世界的にも稀な君民共治が実現しました。
ブータンも王制で結構うまくいっていますし、教祖を非常に好む日本人には、君主制が最も合っていると思います。
其れにつけても、へんてこな日本の左翼を何とかしたいです。
>>まだお伊勢参り未体験の方はぜひ!
行ってみればわかる。
かたじけなさに、なみだこぼるる。
ところで、皇室への税金は国民一人当たり200円程度だったと思います。たったそれだけにしては、我々の得る有形無形の恩恵はとても大きいと思いませんか。税金ドロボーというのは他にいくらでもいるじゃありませんか。
そういう時に小林秀雄の言葉を知りました。
「国体観念というものは、かくかくのものと聞いて、成る程そういうものかと合点するような観念ではない。僕等の自国への歴史への愛情の裡にだけ生きている観念です。他では死ぬばかりです」と。
なんだ、小林秀雄も説明できないといってる。だったら、それでいいんだ、と。今回ご紹介されている言葉と同じですね。そういう皇室と国民との相互の愛によって護られてきた国柄を後世に伝えたいと思うのは自然だと思います。
読まれましたでしょうか?
理由なんか無い。
本当の血を分けた実の父母だけでなく、育ての父母もやはり尊い。
天皇陛下が尊いのは、日本民族の血族の根源だから尊いんですよね。
だって、昔から日本人が家系図を作ったら最後は天皇家からの出自だし、また、古事記にみるように、オノコロ島をお作りになられたのが天皇家の遠いご父母なんだから尊い。
わたしが、天皇家の存在で一番驚く事は、たとえば応仁の乱前、書物も何も無いあの時代、天皇家の事を何も知らない知ろうとしない庶民たちに囲まれながらも、何となく存続出来た事(泥棒に入られたり、勝手に庭で子供に遊ばれたりしながら)!
古き良き時代の神社の畏れ多い物でありながら、何となく親しみやすい境内のような物だったのでしょうか?
とはいえ、私も若いころは皇室との間に距離を感じ、天皇家の存在を疑った事がありました。
どなたかもおっしゃっておられますが、私の皇室に対する尊敬の気持ちには明確な理由があった訳ではなく、年とともに自然と心の中に醸成されてきたものであるように思います。
くっくりさんのダンナ様に対する説得?は偉いです。ご主人はまだお若くてらっしゃるのだと思います。誰から押し付けられるのでもなく、ご本人の自然な気持ちを大事になさっておられればと思います。
考えてみれば日本が近代化する前から存在する天皇家に近代的な理由付けを行うこと自体が不合理ですよね。常に国民を思い、最も弱きものに心を寄せる存在、そして国民のために自らの命も投げ出すことの出来る存在…こう考えるとイエスキリストにも通じるものがありますよね。
先日テレビで、阪神大震災時に失声症を抱えながら被災者をお尋ねになり、心からの愛情で励ましていらっしゃる皇后陛下を拝見して思わず涙してしまいました。日本に皇室があってホントに良かったと思った瞬間でした。
でも教科書にはない日本の本当の歴史、良くも悪くも天皇陛下の影響などを知ることで自然と天皇陛下の尊さを感じるようになっていったのですが、そういうことは口で説明できるようなものではないけれど、日本人は誰もが本能的?に感じているんじゃないでしょうか。
・・・ちょっと言い過ぎかもしれませんけどね。
日本という国をきちんと学べば、説明をしなくても敬うことができる存在というか。
私はそのように感じます
いつも個別にレスを差し上げられず申し訳ありません。
なぜ天皇(皇室)が尊いのか?、多くの皆さんから様々なご意見が聞けて、大変参考になっています。ありがとうございます。
「以前は皇室は不要だと考えていた」、あるいはそれに類する考え方をされていた方が何人かおられるようですが、日本の歴史を正しく知れば、そういった考え方は変わっていくものだというのがよくわかりました。
私の場合、実家がずっと朝日新聞(たまに毎日新聞)をとっていて、そのせいか、私はわりといい年になるまで「日本は侵略戦争をした非道い国」「中国、韓国の皆さんごめんなさい」的なことを思ってたんですが、なぜか天皇や皇室については全く嫌悪感というものはなく、むしろ好意的に思ってました。特に昭和天皇は子供の頃から好きでした。理由はまぁ、何せ子供の頃ですから「おっとりしていて優しそうなおじいさんだな」といった感覚的なものでしたが。
皇室について初めて深く考えたのは、長崎市の市長だった本島等氏の「昭和天皇には戦争責任がある」発言の時でした。皇室や戦争に関する本をいろいろ読みました。その当時もまだ私は「日本は侵略戦争をした非道い国」と思っていたのですが、でも本島氏の意見に賛同する気持ちにはなれませんでした。それよりもその時読んだマッカーサー回顧録か、あるいは別の本か忘れましたが、昭和天皇が「私の身はどうあろうとも、国民の生命は守ってほしい」と述べられたという、それに感動したのをよく覚えています。
ここまで書いてて、ふと思い出しました。小学校の2、3年の頃だったと思うんですが、母が近所の人から天皇陛下の写真、それもけっこう大きく引き延ばした写真をもらったんです。経緯はよく覚えてませんが、その人は「天皇陛下がいらっしゃる!」というので張り切って出かけて、非常に近い場所から写真に収めることに成功、で、大喜びで近所に配って回ったという。母はそのお写真をわが家のアルバムに貼りまして、だから私や妹の写真が載ってる次のページに、いきなり天皇陛下のお写真が!何これ!って状態(不敬!?(^^ゞ)。
母はノンポリですが、父は実はかなり左寄りな人です。天皇の名の下に民間人が大勢死んだとか、そういう話もしょっちゅうしてましたし。にもかかわらず父は「こんな写真は捨ててしまえ」とかは言わなかったので(父はわりと亭主関白です)、今から思えば不思議です。今度会ったら聞いてみようかなと思います。
実は皇室についてブログに書く時は、毎回かなりの勇気を要します。必ずと言ってよいほど、皇室廃止派の方からの書き込みをいただくからです。もちろんいろんな意見があって良いと思いますし、参考にすべき点は参考にしたいと思うんですが、いただく書き込みの内容が感情的なものや意味不明なものが多く、その結果コメント欄が荒れてしまうこともしばしばです。今回は(今のところ)そういうこともなく、正直ほっとしているところです。
私はお伊勢さんは小学生の頃に行ったっきりなので、もう一度ぜひ行きたいなーと思ってるんですが、なかなか時間がなくて……。せっかく近く(大阪)に住んでるのにもったいないですよね(T^T)
番組では各出演者同士の認識がズレ過ぎていて討論になっていませんでしたが、正しいのは西村先生だったんですね。
なぜ古くからあるものを守るのかと言われても、昔から守られてきたからとしか言えませんものね。
日本国の歴史の否定です。天皇を否定すると歴史を語れない。
櫻井よしこさん曰く
我が国の歴史を知らぬものは人間じゃないと。
この前言ってましたよね。
つまりは夫さんに大阪の歴史を教えてみてはどうですか?
大阪の歴史をわかってないから天皇の大事さがイマイチ体現できないのでは。
>「いやいや、『皇室制度』は必要ですよ」と私はいつも反論してきました。
>だけど理由を説明するのが、これまた難しくて……(T^T)
反日の連中は、支配制度として「天皇制」と言う造語で
日本精神の大黒柱である皇室解体を前提として批判していますよね。
天皇制と皇室制度は違う物なのに、マスコミはオレオレ詐欺と同じく
こちらが間違えて捉えるような報道ばかりする。
この国の行くべき道を誤らせようとしているマスコミは脅威です。
また、人生は苦難に満ちている。と言う考え方もあります。
人間存在そのものが矛盾に満ちたものです。
左翼の方のように科学で割り切れるはずがありません。
生きるためにはどうしても霊的なものが必要です。
私は、昔は違いましたが、天皇陛下を敬愛しています。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/18934657.html
感動しましたので転記いたします。宜しかったらご覧になってみてください。
今朝おきたら枕元に一冊の本がありました
「天皇はなぜつづいたか」肥後和男 著(日本文化学術叢書)
私は一人暮らしなので、この本は本棚から落ちて
きたとしか考えられないのですが、それにしても
タイムリー w 本と手にとった瞬間すぐにこちらの
エントリーが頭をよぎりました。もともとこの本は
私の購入したものではなく以前この家に住んでいた
弟夫婦が残していったものです
いま、ぱらぱらと読んでますが
今東光先生の推薦文がすばらしい w
「日教組のごとき不逞の教師は、殊更に天皇制を歪曲して
教へる。吾々の第二の国民が、こんなロシヤの手下どもや、
支那の手先に踊る連中から誤った歴史観を植えつけられること
を憂へてゐた。肥後先生のこの著述は万邦無比な天皇制を、
天皇を護持する人々のためにも大いに役立つ名著として
御すすめ出来るのである」。
いつも拝見させて頂いてます。
今日は本当に素晴らしい話をありがとうございます。
石井君は若くて話が軽率な感じがありますが、上杉謙信を尊敬しているという立派な男の子(?)で、今回の事でますます好きになりました。願わくば…変な事に惑わされないで柔道の道を邁進して貰いたいんですけどね……
おれんじさん、思いっきり泣きながら読んでしまいました。ありがとうございます。
天皇と武家幕府。
これが故に統治機構は武家であり続けることができ、その無骨とも言える機能美等を損なわずに済み、結果として一般庶民もその武家の清潔さを規範とできたのではないかと。
他の民族は武家がそのまま貴族になってしまい、自堕落な生活をするがために庶民にとって最低な規範にしかなり得なかったんじゃないのだろうか。
日本人の清潔観や統制の利く民度は過去の権力の二重構造の結果によるものではないか、と思っています。
僕的には天皇陛下・皇室という存在は
「2000年もの歴史を持ち、しかも現在進行形でこれからも歴史を積み重ねてゆく人間世界文化遺産」とでもいう存在
と捉えております。
したがって自称リベラルな人たち(笑)が、戦争責任がどうのとか、皇室を無くすべきだ云々等というように理屈を無理矢理つけて西洋から仕入れた戦後教育の価値観・尺度で批判するのは、全くのナンセンスとしか思えません。
ていうか日本人のくせに(いや在日とかかもしれませんが)頭がオカシイんじゃないか?とすら思います。
こう書いていて思ったのは、このような歴史とか伝統を軽んずる思想が蔓延るがゆえに、日本の産業が作り出す製品にいつまでたっても伝統の重みや渋みが伴って来ないんだろうなぁということ。
付け焼刃的にブランド自動車を気取ってるレクサスなんかは最たる例ではないでしょうか?
・石井選手の件
切り貼りしただけの報道で「ちょっと変な子?」と思っていたので、自分が恥ずかしくなりました。石井選手見直しましたよ。
いずれ、世界がそこから何かを学ぶべき時が来るのではないかと思ってます。
礼服に白ネクタイで参拝しました
まさに、そのとおりだと思います。いつもはお調子者だけど、本当は真面目な青年なのかな?という印象を持ちました。
天皇は、日本の歴史そのものです。
天皇制が廃止されたら、その時日本という国も終わりを告げる。
昔の天皇が、日本と名付けました。
両陛下は、日本国のお父さんであり、お母さんでもあります。
だから、必要なんです。
多分、即位した時の両陛下だと思うのですが、URLに貼りますね。
私は、この両陛下が一番好きです。
神々しくて、尊厳で、気品があり
ひれ伏したくなります。