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慰安婦問題年表(1)1965-2015

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 私は慰安婦問題の記事をよく書きますが、その時あると便利だなと思うのは、これまでの経緯を記した年表です。

 Wikipediaにいちおうあるのですが、「前史」の情報量が多いわりには、その後の重要と思われる出来事がたくさん抜けているような気がします。
 不特定多数の人が書いているせいか、真偽不明の情報も散見されます。

 最も気になったのは、ここ数年の出来事がざっくりとしか書かれていないことです。
 まとめサイトさんも更新が止まっているようです。
 じゃあ自分で作ってしまえ!ということで、作ってみました。
 Wikiはどうだろうと言いつつ、けっこう参考にしています(^^ゞ

 自分なりに「これは外せない」と思ったものをどんどん入れていったら、かなりの量になってしまいました。
 それでもまだ重要な出来事が抜けている気がします。
 思い出したら随時追記していこうと考えています。
 新しい動きが出たら、それもできる範囲で追記していくつもりです。

 (一部敬称略。肩書きは当時)


<最終更新日:2018/1/26>
 年表が追記を重ねてあまりに長くなりすぎたので、2つに分けました。
(1)2015年12月まで(このページ)
 http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1634.html
(2)2016年1月以降
 http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid2145.html

 ざっくり言って、日韓合意までが(1)で、それ以降が(2)。
 2015年12月28日の日韓合意によって、「日韓両政府は慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認した」はずなのに、その後も年表は続いているという笑えない現実。

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<1965年>

6月
日韓基本条約に付随して日韓請求権協定が締結。これにより、日韓の請求権に関する問題は、「完全かつ最終的に解決済み」となった。


<1968年>

4月26日
衆院社会労働委員会で慰安婦問題がとりあげられる。


<1970年>

6月
『週刊新潮』6月27日号に千田夏光が『特別レポート 日本陸軍慰安婦』を掲載。この時点では『従軍慰安婦』という言葉は使用していないが、慰安婦はまるで公衆便所で、朝鮮人が多かったと記載。

8月14日
ソウル新聞において「1943年から1945年まで、挺身隊に動員された韓・日の2つの国の女性は全部でおよそ20万人。そのうち韓国女性は5〜7万人と推算されている」と報道される。

8月
田中美津(ウーマン・リブの運動家)が女性解放連絡会議(準備会)のビラ『便所からの解放』で慰安婦問題に言及。


<1971年>

8月
城田すず子自伝『マリヤの賛歌』出版。城田は後に「戦後40年目にして名乗り出た日本人元従軍慰安婦」として運動家らに利用されることになったが、彼女はそもそも娼婦であり、慰安婦強制連行を主張する(現在は「強制性」に主張をスライドさせている)中央大学の吉見義明教授も『従軍慰安婦(1995)』の「III 女性たちはどのように徴収されたか 日本からの場合」において、城田を取り上げていない。


<1973年>

10月
元毎日新聞社記者でノンフィクション作家の千田夏光が『従軍慰安婦―"声なき女"八万人の告発』(双葉社)を出版。「『挺身隊』の名の元に彼女らは集められた」「総計20万人(韓国側の推計)が集められたうち、『慰安婦』にさせられたのは5万人ないし7万人とされている」と記す。「慰安婦」という言葉に「従軍」という事実に反する接頭語をつけたのはこの書籍が最初とされる。


<1974年>

千田夏光が『続・従軍慰安婦』刊行。


<1976年>

1月
金一勉が『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』(三一書房)を出版。金一勉は、朝鮮女性が慰安婦にされたのは日帝が朝鮮民族を消滅させようとしたためであったと主張し、さらに慰安婦は17歳から20歳までの処女だけが20万人集められたとした。この本は後に「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」を結成することになる尹貞玉に強い影響を与えた。

12月
韓国経済企画院が『請求権資金白書』を作成。1965年の国交正常化の際、日本から韓国に提供されたいわゆる請求権資金5億ドルが韓国でどのように使われたかを詳細に記録した、韓国政府の公式文書である。


<1977年>

3月
吉田清治が『朝鮮人慰安婦と日本人―元下関労報動員部長の手記』(新人物往来社)を出版。


<1982年>

9月2日
朝日新聞が大阪本社朝刊社会面で、吉田清治が講演で「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と語ったと報道。朝日新聞が吉田清治の証言を扱った最初の記事。これを書いたのは清田治史記者とされてきたが、2014年9月29日、朝日新聞が記事を書いたのは大阪社会部の別の記者だったとする訂正記事を掲載。

9月・11月
第二次世界大戦の戦前、戦中に、当時日本領だった樺太(現サハリン州)に渡った朝鮮人の韓国への帰還を日本政府に対して請求する「樺太裁判」(樺太残留者帰還請求訴訟)で、吉田清治が原告側の証人として朝鮮人の「奴隷狩り」(強制連行)を証言。


<1983年>

7月
吉田清治が『私の戦争犯罪-朝鮮人連行-』を出版。韓国の済州島において慰安婦にするための205人の女性を強制連行したと告白。

11月10日
朝日新聞が「ひと」欄で、吉田清治が「謝罪の碑」を韓国に建てたことを写真入で紹介。

12月24日
朝日新聞が社会面トップで、「強制連行 謝罪の碑 悲しい除幕」「張本人として耐えられぬ自費建立者 大地に低頭」「勇気は感謝だが日本政府は 韓国人遺族ら やり場ない怒り」という見出しで、韓国の天安市に謝罪碑を建てるために訪韓した吉田清治の記事を、吉田が土下座する写真とともに掲載。碑は天安市の国立墓地に「元労報徴用隊長」の名義で建てられた。


<1984年>

11月2日
朝日新聞が「私は元従軍慰安婦」という見出しでシンガポール特派員の松井やよりが記事を掲載。「21歳のとき、日本軍の従軍慰安婦として故国から引き離された」という韓国人のおばあさんをタイ南部に訪ねたとしている。この記事には、「この夜から、挺身隊員としての地獄の日々が始まった」という記述も出てくる。軍用工場などの労働力にされた「(女子)挺身隊」と慰安婦は別だが、松井は両者を同一視。これを皮切りに、朝日新聞は92年ごろまでに、社説を含めた少なくとも17本の記事で、両者を混同する誤った記述を繰り返した。


<1985年>

8月
城田すず子、「慰安婦」鎮魂碑を建てる(かにた婦人の村)。


<1988年>

2月
慰安婦に関する調査を続ける韓国の梨花女子大学教授、尹貞玉(後の「挺対協」共同代表)らが沖縄を調査し、元慰安婦ペ・ポンギと会見。

8月18日
朝日新聞朝刊「ひと」欄で、編集委員の松井やよりが尹貞玉を紹介。


<1989年>

吉田の著書が韓国語に翻訳され、韓国で出版。史実としてドラマ化され、韓国で「従軍慰安婦問題」への関心が高まる。

梁順任が「太平洋戦争犠牲者遺族会」の会長に就任。1991年12月6日から2004年11月29日にかけて、慰安婦に対する賠償を日本政府に求めたアジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件(最高裁判所にて原告の敗訴)を主導する。梁順任は、1991年8月に「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」記事(「挺身隊=慰安婦」“誤報”)を書いた朝日新聞大阪社会部の植村隆記者の妻の母である。

5月
大分市の主婦で「朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を・百人委員会」の事務局員、青柳敦子が『朝日ジャーナル』1989年5月19日号に、「日本国は朝鮮と朝鮮人に公式に陳謝せよ」という意見広告を出す(同年12月まで隔週で15回)。

8月14日
吉田清治の記述内容に疑問を持った『済州新聞』の許栄善記者が現地調査したルポを『済州新聞』に発表。「(吉田の)この本に記述されている、城山浦の貝ボタン工場で15〜16人を強制徴用したり、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を裏づけ証言する人はほとんどいない。島民たちはでたらめだと一蹴しており、この記録の信憑性に対する一層の疑問を投げかけている。城山里の住民のチョン・オクタンさん(85歳)は『そんなことはなかった。250余世帯しかない村で15人も徴用していったならば大事件だが、(中略)当時そんなことはなかった』と断言した」「この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と書いた。後に済州島を取材した秦郁彦は許栄善から「なぜ日本人はデタラメな記事を書いて我々を侮辱するのか」と言われたと明かしている(2014年9月26日放送『朝まで生テレビ!』)。

11月19日
青柳敦子と在日朝鮮人の宋斗会が日本政府に謝罪と補償を求める裁判を起こすため、韓国で訴訟費用を負担する条件を付け「慰安婦裁判の原告募集」のビラをまく。数週間後にソウルの「太平洋戦争犠牲者遺族会」から協力したいという申し入れが来る。


<1990年>

1月4日〜24日
ハンギョレ新聞(現:ハンギョレ)紙上で、抗日運動の家に生まれた尹貞玉(梨花女子大学教授)が「"挺身隊"怨念の足跡取材記」と題する4回に渡る連載で慰安婦問題を告発し、韓国で大きな反響を呼ぶ。その中で尹貞玉は1976年の金一勉『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』を参照しながら、慰安婦は朝鮮民族の消滅を企図した日本帝国の国策だったと主張したうえで元慰安婦とされる女性たちの証言を紹介した。証言の中には、処女供出が開始されてからは日本軍人がトラックで幼女をいたるところで捕まえていたこと、女性を丸裸にして天井から逆さ吊りにし、乳や腹を切り裂き内蔵を別の少女たちに向かって散布したとするものもあった。

6月6日
参院予算委員会で、 日本社会党本岡昭次の朝鮮人の強制連行に関する質問において、政府(労働省職業安全局長)が「国家総動員法に基づく業務として慰安婦の強制連行は行っていなかった」「古い人の話等からも、民間業者が慰安婦を軍と共に連れ歩いていたらしく、実態調査はできかねる」という旨の答弁をする。この舌足らずな“官僚答弁”が野党や日韓の運動家に抗議する口実を与えることになった。

7月10日
韓国において、慰安婦問題の真相究明と問題解決のために「挺身隊研究会」(現:「韓国挺身隊研究所」。「挺対協」とは別)が結成される。

10月17日
韓国の37の女性団体が日本の海部俊樹首相に慰安婦問題に関する政府への6項目の要求を示した公開書簡を送付。6月6日の国会で慰安婦の強制連行を否定した労働省職業安全局長の発言を「歴史的事実に反する無責任な発言」と糾弾。

11月16日
韓国で「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」(尹貞玉・共同代表、16団体約30万人)が発足。ソウルの日本大使館前で日本軍による慰安婦問題に対する抗議デモを行なう。以降毎週水曜日にデモ(水曜デモ)を行なうことが恒例となる。


<1991年>

4月1日
参院予算委員会で、 日本社会党本岡昭次の従軍慰安婦に関する質問において、労働省の政府委員が「手がかりになる資料がない」という旨の答弁をする。

4月24日
ソウルの日本大使館が「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」の尹貞玉代表を呼び、「日本軍が強制連行した証拠はない」「補償は日韓協約で解決済み」と伝え、「挺対協」からの6項目の要求を拒否すると回答。

5月22日
朝日新聞大阪版が「木剣ふるい無理やり動員」との見出しで、吉田清治の慰安婦狩りの証言を写真入で紹介。

8月11日
朝日新聞が「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」(大阪社会部の植村隆記者のソウル発記事)との見出しで、「日中戦争や第2次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、『韓国挺身隊問題対策協議会』が聞き取り作業を始めた」と報じる。その一人とは金学順で、3日後の8月14日に記者会見を行う。なぜ朝日だけがこのスクープを取れたのか。朝日の植村記者は、金学順の訴訟の原告組織「太平洋戦争犠牲者遺族会」梁順任代表の娘とこの約半年前に結婚しており、義母である梁順任から便宜を図ってもらったのではないかという見方があるが、2014年8月5日の検証記事で、朝日新聞はそれを否定している。

8月14日
元慰安婦の金学順がソウルで記者会見。14歳の時、家が貧しかったのでキーセンハウスに売られ、17歳になったとき、キーセンハウスの経営者である義父に華北にある日本軍の慰安所に連れて行かれたことなどを述べる。この事実を韓国のハンギョレ新聞は報道したが、朝日新聞は報道しなかった。

10月10日
朝日新聞大阪版が井上祐雅編集委員による吉田清治のインタビュー記事を掲載。 吉田は「慰安婦には人妻が多く、しがみつく子供を引きはがして連行した」「政府は資料を隠している」などと述べる。

10月〜11月
韓国政府が日本政府に慰安婦問題の真相解明を求める。日本政府が調査を開始。

11月
改定版として出版された『広辞苑』第4版(岩波書店)に、初めて以下の2語が収録される。
【朝鮮人強制連行】日中戦争・太平洋戦争期に百万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄などに強制的に連行し労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。女性の一部は日本軍の従軍慰安婦とされた。
【従軍慰安婦】日中戦争・太平洋戦争期、日本軍将兵の性的慰安のために従軍させられた女性。

12月6日
金学順を初め3名の元慰安婦を含む35人の原告(主任弁護士:高木健一)が日本政府を相手取り、謝罪と補償を求め提訴(アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件)。

12月末〜翌年初め
中央大学の吉見義明教授が防衛庁防衛研究所図書館で慰安所関係を中心に資料を探す。同じ頃、千葉大学の秦郁彦教授は旧知の吉見教授から「資料の発見」と「近く新聞に出る」ということを聞いていた。実際に朝日が記事にしたのは翌年1月11日で、2週間以上寝かされていたことになる。


<1992年>

1月8日
「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」により宮澤喜一首相の訪韓を契機として、駐韓日本大使館前における日本政府の日本軍慰安婦への謝罪を求める第1回水曜集会が開かれる。

1月11日
宮澤首相訪韓の5日前のこの日、朝日新聞は一面トップで「慰安所、軍関与示す資料」「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」との見出しで、「日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していたことを示す通達類や陣中日誌が、防衛庁の防衛研究所図書館に所蔵されていることが明らかになった」「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万人とも20万人ともいわれる」と報じる。しかし実際に発掘された日本軍の文書は「慰安婦募集に関して悪徳業者が跋扈(ばっこ)しているので警察と協力して取り締まれ」との通達であり、「良い関与」を示したものであった。

1月12日
朝日新聞社が朝刊に「歴史から目をそむけまい」と題した社説を載せ、「16日からの宮沢首相の訪韓では(中略)前向きの姿勢を望みたい」と書く。

1月13日
当時の加藤紘一官房長官が談話(加藤談話)を発表。事実調査をせぬままに『お詫びと反省』という内容を盛り込んだ。

1月13日
英字新聞『Japan Times』が渡辺美智雄外務大臣の発言を誇張して報道する。渡辺大臣は11日夜のTV番組で「50年以上前の話ではっきり証拠ない」「何らかの関与は認めざるを得ない」という旨の発言をしたが、記事では「この発言は政治家が『日本軍が第二次大戦中に何10万人ものアジア人に対する強制売春に加担した』と初めて認めた」と全く違う内容になっていた。

1月14日
韓国の多数のマスメデイアが、前年に日本のテレビで女子児童が挺身隊として勤労動員されたという報道を誤解し、「国民学校の生徒(小学生)まで慰安婦にさせた日帝の蛮行」などと報道。

1月16日
韓国を訪問した宮沢首相は慰安婦問題の報道により反日デモが高まる状況に、首脳会談で8回謝罪し、「真相究明」を約束する。韓国国会においても「実に心の痛むことであり、誠に申し訳なく思っています」と述べる。盧泰愚大統領は、記者会見で「韓日が同伴者関係を構築するためには、日本が過去の歴史を正しく認識し、過ちを謙虚に反省する土台が必要」と語る。

1月23日
朝日新聞夕刊の「窓」欄(大阪本社の北畠清泰論説委員による)が、「強制連行した女性は950人」「強制連行した朝鮮人のうち、男性の半分、女性の全部が死んだと思います」との吉田清治のインタビューを掲載。

2月17日
日本弁護士連合会の戸塚悦朗弁護士が、国連人権委員会において、慰安婦問題を人道上の罪だとして国連の介入を求める。戸塚は80年代からジュネーブ詣でを繰り返していたが、その関心は当初から慰安婦問題にあったのではなく、「日本が犯した人権侵害の問題」をたくさん取り上げてきた。たまたま国連が反応したのが慰安婦問題(だけ)だった(産経新聞2014年7月27日)。ちなみに戸塚の国連ロビー活動は、92年から95年の4年間で海外渡航18回、うち訪欧14回、訪米2回、訪朝1回、訪中1回と執拗に繰り返された。

2月25日
韓国政府が被害者申告センターを設置し、被害の申告と証言の受付を始める。

3月3日
朝日新聞夕刊「窓」欄で大阪本社の北畠清泰論説委員が再び吉田について触れ、その告白内容に批判が上がっていることを問題視し、「知りたくない、信じたくないことがある。だが、その思いと格闘しないことには、歴史は残せない」と読者に説く。

5月
『正論』1992年6月号の「昭和史の謎を追う-第37回:従軍慰安婦たちの春秋」と題するルポで、秦郁彦拓殖大学教授は済州島での実地調査により、吉田清治が現地で205名の慰安婦狩りをしたという事実はないことが判明したと主張。

5月24日
朝日新聞が、吉田清治が7月に韓国に「謝罪の旅」に出ること、吉田は強制連行した体験を「国会でもどこでも行って話す」つもりと語っていることなどを紹介。

7月6日
日本政府が吉見教授の資料発見を受けて行った慰安婦問題に関する調査結果を発表。100を超える関係資料を公開。加藤紘一官房長官は「朝鮮人女性の強制連行を裏付ける資料は発見されなかった」としながらも、「慰安所の設置や運営・監督などに政府が関与していた」ことを初めて公式に認める。

7月31日
韓国政府が200ページを超える「日帝下の軍隊慰安婦実態調査中間報告書」を発表し、「日本政府による慰安婦の威圧的連行があった」と主張。「19世紀アフリカの黒人奴隷狩りのような手法の人間狩りで慰安婦を充員した」などと書き、「強制連行なし」とした日本政府に追加調査を求めるとともに、日本の歴史教科書への記述と学校教育を通じた「過去の正しい認識」の周知を要請。

8月12日
吉田清治が訪韓し、金学順に頭を下げて謝罪する。

12月
吉見義明中央大学教授が『従軍慰安婦資料集』(大月書店)を刊行。その中で「一般には、強制連行というと人狩りの場合しか想定しない日本人が多いが、これは『狭義の強制連行』であり、詐欺などを含む『広義の強制連行』の問題をも深刻に考えてしかるべきであろう」とし、「広義の強制性」という主張を始める。

12月
『週刊新潮』に吉田清治の「私が書いた事は全部事実」というコメントが載る。

12月25日
韓国釜山市などの元慰安婦ら10名が、日本政府に公式謝罪と賠償を求めて山口地方裁判所に提訴(釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟)。

12月
「ワシントン慰安婦問題連合(慰安婦連合)」が創設された。米国内で慰安婦問題を公式の場で最初に提起したこの団体は、議会や教育機関へのアプローチを着実に広げていったが、このプロセスに深く関わったのが当時の米下院議員のレイン・エバンズ(民主党・イリノイ州選出)だった。エバンズは、慰安婦連合の会長となった徐玉子(ソ・オクジャ)と交際していた。エバンズは彼らの意向を反映する形で、1993年11月、当時の首相・細川護煕に「日本軍の性的奴隷の詳しい調査」を要求する連邦議員24人の主唱者の一人となった。その後もエバンズらは日本政府に慰安婦への謝罪を要求する活動を米議会で強めていき、やがて中国系団体の協力を得て勢いを増していった。


<1993年>

『現代コリア』(1993年2・3月号)紙上で、現代史研究家の加藤正夫が、千田夏光の『従軍慰安婦』(講談社文庫 1984年)の中の問題点を考察する。この本は千田夏光著『従軍慰安婦』(双葉社 刊)の文庫版である。千田を問い詰めたところ、「従軍慰安婦」という言葉は千田が勝手に作ったものであり、内容も島田俊彦著 中公新書『関東軍 在満陸軍の独走』(中央公論社 刊)を参考にしたもので、直接取材はしていないことが判明。

2月1日
韓国で元慰安婦らの証言集『強制連行された朝鮮人「慰安婦」たち』(韓国挺身隊問題対策協議会、挺身隊研究会編)が刊行される。

2月
ソウル大学の安秉直教授ら「挺身隊研究会」が慰安婦40数人に本格的な聞き取り調査をする。同研究会(安秉直教授と挺対協の運動家らで構成)は92年6月から約半年かけて、40数人の「元慰安婦」の面接調査を行い、証言を裏付ける記録資料を探した。安秉直教授によると、「証言者が意図的に事実を歪曲していると思われるケース」に出会い、調査を中断したこともあった。その結果、半分以下の19人についての証言集が、93年2月に韓国で発表された。安秉直教授は最初の聞き取り調査終了後、同研究会を離れたが、その理由を、「挺対協の目的が、慰安婦問題の本質を把握し、今日の慰安婦現象の防止につなげることにあるのではなく、単に日本と争うことにあると悟ったからだ」と、2006年12月6日に韓国MBCテレビで説明している。

3月
韓国政府が国内の元慰安婦135名に対して500万ウォン(約74万円)の支給などの支援策を発表。また、日本の教科書に慰安婦に関した記述をするよう求める。秦郁彦が『正論』と『諸君!』の記事をまとめ『昭和史の謎を追う』(文藝春秋社)を出版し、同年菊池寛賞を受賞。

3月
盧泰愚大統領(任期:1998年2月25日〜93年2月24日)が『文藝春秋』1993年3月号における浅利慶太との対談で、「(慰安婦問題は)実際は日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国の国民の反日感情を焚きつけ、国民を憤激させてしまいました」と述べる。

4月2日
フィリンピンの19人の元慰安婦らが日本政府の謝罪と補償を求めて東京地裁に提訴。原告は、最終的には46名となる。1998年10月9日、地裁で慰安婦側の請求を棄却、2000年12月6日、控訴棄却、同年12月25日、最高裁判所への上告が棄却され、慰安婦側の敗訴が確定。

4月
宮城県の生活保護受給者・宋神道が、第二次大戦中約7年間にわたりいわゆる従軍慰安婦とされ肉体的精神的苦痛を受けたとして、日本政府を相手取り、国際法及び民法に基づき、日本政府に767億5893万7500円の賠償金を求めて、東京地裁に提訴(1999年10月1日、一審で請求棄却、2000年11月30日、控訴審の判決も請求棄却)。

4月
高木健一ら日本の弁護士3人(日弁連調査団)がインドネシアを訪問し、地元紙に「日本政府に対して補償を求める裁判のために元慰安婦は名乗り出て欲しい」という内容の広告を出す。これにより8月末までに、約1万7000人の「元慰安婦」が名乗りを上げ、その後の補償事業で2万2000人の慰安婦が登録される(当時、日本軍兵士は2万人程度だった)。

6月
高校日本史検定済み教科書7社9種類のすべてに、従軍慰安婦に関する記述が掲載されることが判明。

6月11日
韓国で「日帝下日本軍慰安婦に対する生活安定支援法」が制定、同年8月から元慰安婦に一時金、生活費の支給を行う。

7月26日〜30日
日本政府がソウルで元慰安婦16人の聞き取り調査を実施。聞き取り調査には「太平洋戦争犠牲者遺族会」の希望で、野中邦子、福島瑞穂の両弁護士と梁順任代表が同席。元慰安婦16人全員が太平洋戦争犠牲者遺族会系で、挺対協系の23人は聞き取りを拒否した(この計39人が当時、運動に参加していた元慰安婦である)。この2団体の対立は、後に日本政府が「アジア女性基金」を創設し「償い金」を配ろうとした際、受け取ろうとした元慰安婦が挺対協から激しく非難されることにつながっていく。

8月4日
日本政府が「慰安婦問題に関する第二次調査報告結果」を公表。それに関連し、河野洋平内閣官房長官がいわゆる「河野談話」を発表。 「慰安所設置等に旧軍が関与し、慰安婦の募集も本人の意思に反して集められた事例が数多かった」とし、慰安婦に対し、「心からお詫びと反省を申し上げる」と謝罪。談話発表後の記者会見で「強制連行の事実があったという認識か」との記者の質問に、「そういう事実があったと。(それで)結構です」と答えた。これを受けた韓国外務省は「全体として強制性を認め、被害者に謝罪と反省を表明し、今後の歴史の教訓としていく意思を表明したことを評価する」との声明を発表。

8月23日
細川護煕首相が「日本が侵略戦争を行った」と国政の場で発言。以前の首相は欧米や近隣諸国から何を言われようとも「侵略」という言葉を使ったことはなかった。その“効果”はさっそく表れ、翌月来日したイギリスのメージャー首相が先の戦争で捕虜になったイギリス人の補償を求めた。

8月31日
村山富市首相が、「平和友好交流計画」に関する談話の中で 、「いわゆる従軍慰安婦問題は、女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、私はこの機会に、改めて、心からの深い反省とお詫びの気持ちを申し上げたいと思います」と謝罪。


<1994年>

1月25日
朝日新聞朝刊が特集記事「政治動かした調査報道」で、日本ジャーナリスト会議からJCJ賞を贈られた91年の企画「女たちの太平洋戦争」を振り返る中で、「朝鮮に渡って強制的に慰安婦を送り出した元動員部長の証言に、読者から驚きの電話が何十本も届いた」と反響を自賛。

5月3日
羽田内閣の永野茂門法務大臣が記者会見で「慰安婦は当時の公娼であって、それを今の目から女性蔑視とか、韓国人差別とかは言えない」と述べたことが中国、韓国の激しい反発を招く。4日後、永野法務大臣は謝罪し、就任から僅か10日で引責辞任。


<1995年>

1月
『週刊新潮』が取材の結果、吉田清治の証言が事実無根である事が判明したとの記事を掲載。吉田は「デッチ上げといわれても構わない。自分の役目はもう終った」と述べる。

1月24日
日本弁護士連合会が「従軍慰安婦問題に関する提言」を政府に提出。立法措置などにより、元慰安婦らに補償するよう求める。

7月19日
元慰安婦への償い金を民間から募ることなどを目的として、日本政府の主導で財団法人「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」が発足。

8月15日
村山富市首相が、過去の日本の侵略戦争や植民地支配について公式に謝罪した「村山談話」を発表。

8月15日
大東亜戦争を総括する目的で自民党が1993年8月に立ち上げた「歴史・検討委員会」(委員長:山中貞則)が『大東亜戦争戦争の総括』(展転社)を出版。「『大東亜戦争』は、自存・自衛のアジア解放戦争であり、侵略戦争ではなかった」「『南京大虐殺』や『従軍慰安婦』は事実ではない」「加害・戦争犯罪はなかった」と総括。

8月22日
韓国で、元慰安婦および支援35団体が「民間基金構想撤回と被害者個人への謝罪と補償を求める共同声明」を発表。

11月22日
「国際法律家委員会」(ICJ。「法の支配」の確立を目的として設立されたNGO)が、慰安婦被害者には個人補償請求権があるとする報告書を発表。


<1996年>

2月6日
スイスのジュネーヴで開かれた国際連合人権委員会にスリランカの著名な法律家であるラディカ・クマラスワミ(Radhika Coomara-swamy)が特別報告者として「女性への暴力特別報告」と題する報告書(通称:クマラスワミ報告書)を提出。この報告書は主に家庭内暴力についてであったが、附属文書で日本の慰安婦問題を取り上げ、「慰安婦」を「性的奴隷」と規定し、日本の行為を「『人道に対する罪』、奴隷制度を禁じた国際慣習法に違反する」と断定し、平和国民基金等で道徳的責任を果たしつつあることは評価しながらも、日本が法的責任を取って犠牲者に補償すること、公訴時効に関係なく責任者を処罰すること、さらに日本は教育課程にこの歴史的事実を含めることなどを勧告した(クマラスワミ勧告)。
前年7月、秦郁彦は来日したクマラスワミと都内で面談し、(1)吉田清治は「職業的詐話師」(2)暴力で連行されたと申し立てた慰安婦の証言で、客観的裏付けが取れたものは一例もない(3)慰安婦の雇用契約関係は日本軍との間ではなく、業者との間で結ばれていた−などを説明していた。ところが、ク報告書には秦が「大多数の慰安婦は日本軍と契約を交わしていた」と述べたと記述されていた。秦は抗議の申立書(英文)をクマラスワミに届けたがなしのつぶてだった(産経新聞2014年10月18日)。

3月
日本政府がクマラスワミ報告書を「極めて不当」「無責任で予断に満ち」「歴史の歪曲に等しい」「受け入れる余地は全くない」などと厳しく批判した全42ページにも及ぶ反論文書を作成し国連人権委員会に提出したが、すぐに撤回した。その理由については、「反論することで、かえって慰安婦問題の議論を起こしかねないと懸念したため」とされている。撤回された反論文書は簡素で形式的な文書に差し替えられたが、その内容は、「アジア女性基金」による元慰安婦支援の取り組みなどを説明するのみで、報告書の否定を求める記述を削除した「日本の施策」とする半ページほどの物だった。

4月20日
クマラスワミ報告書が、評価基準は最下の"take note"(留意)ながらも全会一致で採択される(「報告者の活動」に対する評価は"welcome"(歓迎)であった)。

5月
『週刊新潮』(5月29日号)でのインタビューで、吉田清治が『私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行』中の記述において、人間狩りをしたという主張は否定しなかったが、「人間狩りを行なった場所がどこであるかについては創作を交えた」と認める。

6月4日
自民党の奥野誠亮元法相が「従軍記者や従軍看護婦はいたが、『従軍』慰安婦はいない。商行為に参加した人たちだ。戦地で交通の便を(国や軍が)図っただろうが、強制連行はなかった」と発言。中国や韓国の政府から抗議を受ける。

6月27日
中学校用歴史教科書の7年度検定結果が発表され、教科書を発行する7社が一斉に「強制連行」の一環として「慰安婦」問題を掲載していることが明らかになる。

6月
自民党の「終戦50周年国会議員連盟」を改組して結成された「明るい日本・国会議員連盟」(会長:奥野誠亮会長、事務局長:板垣正)が教科書問題をめぐり、慰安婦は公娼であったとの主張を展開。

6月末
橋本龍太郎首相が韓国の金泳三大統領との首脳会談後、慰安婦間題を謝罪。

9月
民主党が「元従軍慰安婦問題に対して深い反省と謝罪を明確に」とコメント。

10月10日
民主党の鳩山由紀夫代表が、外国人記者との懇談で「日本国民が、心からの真の謝罪を一度も行っていないことが問題だ」「(元慰安婦へ)国家補償をすることによって国の責任を明確にすべきだ」と述べる。

12月2日
藤岡信勝、西尾幹二、小林よしのり、坂本多加雄、高橋史朗ら9名の呼びかけで「新しい歴史教科書をつくる会」が結成される。


<1997年>

1月
「アジア女性基金」による償い金の支給が始まる。

1月3日
『朝まで生テレビ!』に出演した吉見義明教授は、「植民地での奴隷狩り的強制連行は確認されていない」こと、「挺身隊が慰安婦にさせられた例も確認されていない」ことを認める。

1月30日
慰安婦に関する調査を実施した平林博・内閣外政審議室室長は、参議院予算委員会において、政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せなかったが、「総合的に判断した結果、一定の強制性がある」との判断で「河野談話」の表現になった旨を答弁。「河野談話」の根拠となった韓国の遺族会がまとめた元慰安婦の証言集に対する裏付けは取っていない旨を述べる。

1月30日
「つくる会」が小杉隆文部大臣に教科書の慰安婦についての記述の削除を申し入れる。

2月27日
自民党の安倍晋三の主導で自民党の当選5回以下の議員を中心に「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(会長:中川昭一、事務局長:安倍晋三、幹事長:平沼赳夫、現・「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」)が結成される。

3月
韓国の中学校、高校用の国定歴史教科書に従軍慰安婦に関する記述が今学期から掲載される。中学校の教科書では「女性までも挺身隊という名でひいていかれ、日本軍の慰安婦として犠牲にもなった」、高等学校の教科書では「女性たちまで挺身隊という名でひいていかれ、日本軍の慰安婦として犠牲にもなった」と説明される。

3月9日
元内閣官房副長官の石原信雄が、産経新聞のインタビューで、募集の文書や担当者の証言を初め、日本側のデータには強制連行を裏付けるものはなかったことや、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるように強硬に要請していた韓国政府に対し、「強制性を認めれば、問題は収まる」という判断で、元慰安婦らの証言だけで強制性を認めたという「河野談話」発表に至る経緯を明かす。また、「談話そのものではないが、趣旨は発表直前に(韓国側に)通告した。草案段階でも、内閣外政審議室は強制性を認めるかなどの焦点については、在日韓国大使館と連絡を取り合って作っていたと思う」と述べた。
一方、元官房長官の河野洋平は同年3月31日付の朝日新聞のインタビューに応じ、「談話の発表は、事前に韓国外務省に通告したかもしれない。その際、趣旨も伝えたかもしれない。しかし、この問題は韓国とすり合わせるような性格のものではありません」と述べた。しかし、2004年6月に政府が発表した有識者による「河野談話作成過程等に関する検討チーム」の検証結果報告書で、実際は「すり合わせ」があったことが判明している。

3月12日
参院予算委員会において、平林博外政審議室長が「政府の発見した資料の中には強制連行を直接示す記述は見当たらなかったが、総合的な調査の結果についての総合判断により、一定の強制性を認めた」旨の答弁をする。

3月12日
河野洋平元官房長官が講演会で、「女性を強制的に徴用しろといいますか、本人の意思のいかんにかかわらず連れてこい、というような命令書があったかといえば、そんなものは存在しなかった。調べた限りは存在しなかったということは申しあげていいと思うんです。『資料がなかった』ということは事実としてはっきりさせておかなければいけない」と語る。

3月31日
朝日新聞が2ページの慰安婦問題の特集記事を掲載。吉田証言に関し、「間もなくこの証言を疑問視する声が上がった。済州島の人たちからも氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない。吉田は『自分の体験をそのまま書いた』と話すが、『反論するつもりはない』として、関係者の氏名などデータの提供を拒んでいる」と、これまでの主張を修正し、「吉田証言の真偽は確認できない」とした。河野洋平元官房副長官のインタビューも掲載(3月9日の項を参照)。

5月
中学校教科書の慰安婦の記述削除を求める請願が各地の地方議会で相次ぐ。その問題に対して、「日本弁護士連合会」が「二度と過ちを犯さないため、事実を歴史教科書に記載して子供たちに伝えていくことが必要」と、請願を採択しないように地方議会に呼びかける声明を発表。

6月27日
1997年度用中学校社会科教科書の検定に合格した7冊すべてに慰安婦に関する記述があることが判明。

7月23日
「太平洋戦争犠牲者遺族会」とともに元慰安婦の支援活動をしている「日本の戦後責任をハッキリさせる会」の臼杵敬子代表に対し、韓国政府が7月14日付で入国禁止措置を取ったことを明らかにする。臼杵代表は「アジア女性基金」の一時金を受け取りたいという元慰安婦の要望を同基金に伝えるなどし、基金活動の懸け橋的な役割を果たしてきたため、基金受け取りに反対する「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が臼杵の韓国入国を認めないよう、韓国法務省に要求していた。臼杵に対する入国禁止措置は99年9月まで続いた(共同通信1997年7月24日。参考)。


<1998年>

4月27日
元慰安婦3人と元挺身隊員7人の計10人の韓国人女性が日本政府に総額5億6400万円の損害賠償と公式謝罪を求めた訴訟(関釜裁判)で初の司法判断。山口地裁下関支部は請求の一部を事実認定し、河野談話の後、国会議員に賠償立法の義務が生じたとし、国の立法義務、立法の不作為を認め、国に対し、「慰安婦」一人あたり30万円の支払いを命じる。河野談話が強制連行の証拠と認定される。しかし、控訴審(2001年3月29日、広島高等裁判所)は、一審判決を破棄し、最高裁への慰安婦側の上告(2003年3月25日)も棄却され、最終的には慰安婦側の敗訴が確定。

7月31日
小渕内閣の中川昭一農林水産大臣が就任直後の記者会見で、「中学校の教科書に従軍慰安婦に関する記載があるのは疑問」「強制連行があったかどうかは分からない」などと述べたが、中国、韓国からの強い反発を受け、翌8月1日、発言を撤回した。

8月1日
朝日新聞が社説で「これで『外交の小渕か』」と題し、「歴史の事実に目をつぶる」「河野談話への挑戦」と前日の中川農相の発言を批判。

8月
国連人権委員会差別防止・少数者保護小委員会で、アメリカのゲイ・マクドゥーガル国連人権委員会特別報告者の「武力紛争時における組織的強姦、性奴隷及び奴隷類似慣行に関する最終報告書」(「マクドゥーガル報告書」)が採択され、附属文書で、日本の慰安婦の制度は「奴隷制」であり、慰安所は「強姦収容所」、慰安婦は強姦、性暴力を受けた「性奴隷」であるとし、慰安婦の日本政府に対する賠償請求権を認め、政府、軍関係者、兵士個人も訴追し、裁くべきであるとした。これは人権小委員会の勧告としては採択されず。

8月
韓国で「ナヌムの家」の隣に建てられた「日本軍慰安婦歴史館」がオープン。

8月4日
読売新聞が「『慰安婦』問題をもてあそぶな」と題した社説で、「わざわざ韓国の反発をそそのかしているような報道がある」「(中川農相が発言を撤回したのは)歴史を捏造していた一部マスコミが、捏造への反省も訂正もないまま、重ねて問題発言だとして騒いだからだ」と朝日新聞を暗に批判する。

11月
『諸君!』(1998年11月号)において、秦郁彦が吉田清治本人が自著をフィクションであることを認めたと述べる。

11月
改定版として出版された広辞苑5版は、旧版に加筆修正された。
【朝鮮人強制連行】日中戦争・太平洋戦争期に百万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄・東南アジアなどに強制的に連行し、労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。女性の一部は日本軍の従軍慰安婦とされた。
【従軍慰安婦】日中戦争・太平洋戦争期、日本軍によって将兵の性の対象となることを強いられた女性。多くは強制連行された朝鮮人女性。


<1999年>

6月
前年に韓国政府が「アジア女性基金」の償い金を拒否した(一部の元韓国人慰安婦は受領済み)ことに対して、日本側が医療施設建設など事業転換を提案していたが、韓国政府が改めて拒否を通告。


<2000年>

7月
中学校歴史教科書の検定申請本8種の内容が公開され、慰安婦についての記述が3社に減少することが判明。

7月30日
吉田清治が死去。後に吉田の長男の証言で判明(『週刊新潮』2014年3月13日号)。

9月
シンガポール首相の『リー・クアンユー回顧録(上)』が発刊。シンガポールが日本に占領されたが、慰安所があったため、レイプ事件は少なかったと記載。また、英国軍相手の売春婦も、ウォータールー・ストリート周辺に存在したとも記載。

12月5日
朝日新聞に東京社会部の本田雅和記者による記事が掲載される。「女性国際戦犯法廷」の開催を前に、「いわゆる従軍慰安婦を『戦時下の性奴隷」ととらえ、その責任者を裁く」と、その意義を説明する内容。

12月8日〜12日
東京で慰安婦制度など戦時中の旧日本軍による性暴力を裁こうと、VAWW-NETジャパンを初め、日本とアジアの非政府組織(NGO)が東京で民間の模擬法廷、「女性国際戦犯法廷」を開く。最終日には4人の裁判官が「性奴隷化を図った慰安婦制度は当時の国際法に違反する犯罪」とする判決を発表。この「法廷」には「検事」として北朝鮮の代表者が2人入っていた。


<2001年>

2001年1月
NHKが「女性国際戦犯法廷」を取材した番組を放映。

2月17日
元職員(女・43)からセクハラを告発されていた「ナヌムの家」の園長が、女性職員との性関係を認め、園長職から退き、僧籍を離れることを表明。

3月1日
読売新聞が社説で慰安問題が捏造であると指摘。「特定マスコミが、戦時の勤労動員だった女子挺身隊を強制的な"慰安婦狩り"制度だったと歴史を捏造した結果、一時、日韓関係を極度に悪化させた。歴史を捏造してまで日本を比類のない悪の権化に貶めようなどというのは、『自虐史観』の極みである。中韓両国は、 こうした特定マスコミの報道に便乗して対日外交カードとするようなことがあってはなるまい」と主張。

5月8日
韓国政府が日本政府に対し、中学校の「つくる会」の歴史教科書などに対し修正を要求。

5月16日
中国政府が日本政府に対し、「つくる会」の歴史教科書教科書の8項目について修正を要求。

7月9日
文部科学省が韓国・中国政府の修正要求に対して、「つくる会」歴史教科書に対する訂正は求めない方針を示す。

8月7日
「つくる会」事務所が放火される。10日、「革命軍」と名乗る者から各報道機関に犯行声明文が郵送され、警察は文面から革労協反主流派の犯行と断定。


<2002年>

韓国女性省は、新学期から使用される中学2年と高校1年の歴史教科書の慰安婦関連の記述について「多数の女性を強制動員して、日本軍が駐屯するアジア各地に送り、慰安婦として非人間的な生活を強要した」などと、詳細且つ具体的な表現にする方針を発表、教育省に提案。韓国女性省は「慰安婦が強制動員だったことと、性の奴隷としての生活を強いられたことを明確にする」、「慰安婦問題についてのビデオCDを教師向け教材として全国の中・高校に配布する」などの方針を示す。

2月24日
立命館大学で開かれた「東アジアの平和と人権」国際シンポジウム日本大会(朝日新聞社後援)において、韓国・ 慶南大学客員教授(社会学)の金貴玉が、朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度があったと発表(参考)。

3月28日
在日韓国人で唯一元慰安婦であると名乗り出た宋神道(80)が日本政府を相手取り、謝罪と補償を求めていた訴訟で、最高裁第二小法廷(北川弘治裁判長)は宋側の上告を棄却し、宋の敗訴が確定。

3月28日
アメリカとイギリスでタナカ・ユキ(田中利幸の英文筆名)名義で“Japan's Comfort Women”(日本の慰安婦)という英文の書が出版される。400人を超える女性への聞き取り調査に言及。当時、「タナカ・ユキ」が田中利幸の筆名であることは広く知られておらず、「正体不詳の著者」による本、女性の著作と誤解されることがよくあった。

12月
『親日派のための弁明』の著者、金完燮が1995年に韓国で19万部のベストセラーとなった『娼婦論』に慰安婦制度を肯定する最終章を加えた日本版『娼婦論』(日本文芸社刊)を出版。韓国の女性団体が主張する「日本軍用女性奴隷」という用語は、「日本の国家的イメージを失墜させようとする意図が見え隠れする」と指摘、「慰安婦制度は戦場となった住民の安全を守るために必要不可欠だった」と肯定、「韓国の教科書で教える10万とも20万とも言われる女性が連行されたとする内容も情報操作された数字だ」とした。


<2003年>

2月12日
「日本の国会議員が挺身隊集会に初参加」と中央日報が報じる。参加したのは岡崎トミ子議員、田嶋陽子議員など。

7月22日
日本国東京高等裁判所は、アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求控訴事件控訴審判決において、日本国は慰安所の経営者と共同事業者的立場に立つ者であり、売春管理に当たり慰安婦の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき安全配慮義務を負う場合があり得たとの認識を示した。また慰安所雇用主とこれを管理監督していた旧日本軍人の個々の行為の中に慰安行為強制するにつき不法行為を構成する場合もなくはなかったと推認され、そのような事例については、日本国は不法行為責任を負うべき余地もあったとの判断を示した。ただし裁判所は原告の請求権が条約により消滅したとして賠償請求を退けた。


<2004年>

3月17日
「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が韓国、日本、米国、フィリピン、台湾、スペイン、ベルギー、ドイツの8ヶ国で水曜集会600回を記念して1000人余りで日本政府に公式謝罪と賠償を求めるデモを行う。

9月2日
「過去史真相究明論争」をテーマにした「MBC100分討論」において、ソウル大学の李栄薫教授が、慰安婦を売春業になぞらえたかのような発言を行う。また「韓国戦争(朝鮮戦争)当時の韓国人による慰安所や米軍部隊近くのテキサス村に対する韓国人の反省と省察がない」「朝鮮総督府が強制的に慰安婦を動員したと、どの学者が主張しているのか」「日本は挺身隊を管理した責任があるが、韓国民間人の問題も取り上げるべきだ」と主張。これに対しインターネット上で抗議が殺到、「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」も教授職辞任を要求。9月6日、李教授は「ナヌムの家」を訪問し、元慰安婦らに謝罪。

11月27日
中山成彬文部科学省大臣が大分県別府市でのタウンミーティングの席上で、歴史教科書について「極めて自虐的で、やっと最近、いわゆる従軍慰安婦とか強制連行とかいった言葉が減ってきたのは本当に良かった」と述べたことが、反発を招く。

12月3日
細田博之内閣官房長官が民主党の岡崎トミ子副代表の求めで、衆院第2議員会館において、閣僚として初めて元慰安婦(韓国人の李容珠とフィリピン人のベアトリス・トゥアソン)と非公開に面談。「(慰安婦問題)は父親の世代の罪。心から反省し、おわびする」と謝罪。


<2005年>

1月12日
朝日新聞が、慰安婦制度など戦時中の旧日本軍による性暴力を裁こうとした「女性国際戦犯法廷」を扱った2001年1月放送のNHKの番組の内容が、自民党の安倍晋三、中川昭一の政治介入により改変されたと報道。記事を書いたのは、当時この「法廷」を熱心に取材・報道した本田雅和記者。安倍・中川とNHK側が揃って記事内容を否定すると、朝日は1月22日社説で「ことの本質を見失ってはならない。問われているのはNHKと政治家の距離の問題である」と主張。7月25日に朝日は総括記事を掲載し、安倍、中川がNHK番組に対して圧力をかけたかどうかという問題の核心について、「直接裏付ける新たな文書や証言は得られておらず、真相がどうだったのか、十分に迫り切れていません」と記事に明確な根拠がなかったことを認めたが、記事の訂正はせず。その後に設置された第三者機関委員会の見解をまとめた記事を「詰めの甘さ反省します」と題して10月1日に報じたが、誤報は認めず、記者会見で秋山耿太郎社長が「これで幕引きにしたい」と一方的に宣言。

1月17日
韓国において、韓国側の基本条約、及び、付随協約の議事録の一部が公開された。これにより、当該諸条約の本文に「完全かつ最終的に解決した」と「1945年8月15日以前に生じたいかなる請求権も主張もすることができないものとする」の文言が明記されていることが、韓国国内に広く知られるようになった。なお韓国政府は、公表と同時に、「政府や旧日本軍が関与した反人道的不法行為は、請求権協定で解決されたとみられず、日本の法的責任が残っている」との声明を発表した。

3月27日
安倍晋三自民党幹事長代理が講演会で、「従軍慰安婦は作られた話」と述べる。

4月
中学歴史教科書では、「慰安婦」の記載は申請段階で1社となる。

6月
中山文科相が「従軍慰安婦という言葉はその当時なかった」と発言したことが、韓国などから反発を招く。

8月10日
第二次世界大戦終結60周年世界60都市同時集会・デモが東京、ソウル、マニラ、サンフランシスコなどで日本政府や在外公館に対する集会やデモとして取り組まれた。日本政府に対し、国連勧告に従い元慰安婦への賠償を訴える。「アムネスティ・インターナショナル」が、第二次世界大戦終結から60年を迎える直前のこの日の「水曜デモ」を機に、慰安婦とその支援者らに賛同することを発表。


<2006年>

2月21日
アメリカ連邦最高裁判所が、第二次大戦中に日本軍の「従軍慰安婦」にさせられたと主張する中国や韓国の女性計15人が日本政府を相手どって米国内で起こしていた損害賠償請求などの集団訴訟に対し、却下の判決を下す。この判決は米国内でのこの案件に関する司法の最終判断となり、慰安婦問題に関して日本側に賠償や謝罪を求める訴えはもう米国内では起こせないこととなった。米国の行政(政府)もこの種の案件はサンフランシスコ講和条約で解決済みという立場をとっているため、以降、中韓の活動は立法府(議会)がターゲットとなっていく。

3月15日
700回目の水曜デモが国会前で行われる。民主党の郡和子議員が「一日も早く謝罪と補償」を訴えた。

10月5日
安倍晋三首相が「河野談話」を「私の内閣で変更するものではない」とし、政府として引き継いでいくことを明言する。


<2007年>

韓国政府の女性家族部(日本の省に該当)が、当時の朝鮮半島の新聞に掲載された慰安婦募集広告を、慰安婦強制連行の証拠として韓国政府の公式サイトに掲載。この慰安婦募集広告はむしろ強制連行がなかったことを証明するものであるが、韓国側は漢字が読めず、誤って掲載してしまったのではないかと推測される。この広告は2007年3月頃に削除された(参考)。

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1月31日
マイク・ホンダら6人の民主党米下院議員が共同署名で米下院に慰安婦問題に対する日本政府の謝罪要求決議案(アメリカ合衆国下院121号決議)を提出。戦時中に日本が、アジアの女性たちを強制的に「性奴隷」にしたことに対する首相の公式謝罪などを求める内容。

2月19日
衆院予算委員会において、麻生太郎外務大臣が慰安婦をめぐる対日非難決議案にある「日本軍による強制的な性奴隷化」という記述について「決議案は客観的事実に基づいていない。日本政府の対応を踏まえておらず、はなはだ遺憾だ」と不快感を表明。麻生外相は同年3月11日、フジテレビの番組で、この対日非難決議案をめぐる動きについて「日米(関係)を離間させる有効な手段だ」として、第三国による対日工作の可能性を指摘。司会者の「北朝鮮や中国による工作か」との質問に同意する。

3月1日
自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が「慰安婦に対して、日本軍の強制連行はなかった」との見解を明らかにし、政府に慰安婦問題に対する調査を要求。

3月1日
安倍晋三首相が「河野談話」に関する記者の質問に対して「旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない」と語り、国内外から波紋を呼ぶ。

3月5日
参院予算委員会において、安倍首相が「(米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難)決議案は客観的事実に基づいていない」「決議があっても謝罪することはない」と答弁。

3月16日
日本政府(第1次安倍政権)が閣議において、社会民主党の辻元清美の慰安婦問題に関する質問主意書に対し、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」とする答弁書を出し、閣議決定。

3月24日
米紙ワシントン・ポストが「安倍晋三の二枚舌(Shinzo Abe's Double Talk)」と題する社説を掲載。歴史的な記録により、日本が慰安婦を強制連行したことは「北朝鮮が日本の市民を拉致した証拠に劣らず説得力がある」「拉致問題で国際的な支援を求めるなら、彼は日本の犯した罪の責任を率直に認め、彼が名誉を傷つけた被害者に謝罪すべきだ」とし、「河野談話」を後退させてはならないと主張。

3月27日
朝日新聞が夕刊一面で「慰安婦の強制疑う集団」と題し、中川昭一の顔写真を掲げて「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を誹謗したうえで「安倍内閣とは、つまり『若手議員の会』内閣なのである」と批判。

3月28日
アメリカで最も使われている歴史教科書「伝統と出会い:過去に対する世界的 展望(Tradition & Encounters: A Global Perspective on the Past)」に、日本軍が当時、最大30万人に達する女性たちを慰安婦として強制連行したとの記述があることが判明。衆院内閣委員会で戸井田徹議員が敗戦直後に特別高等警察が編集した『進駐軍ノ不法行為』を紹介。

3月31日
元慰安婦への償い事業を12年間行ってきた「アジア女性基金」が解散。12年間に韓国60人、フィリピン211人、台湾13人、オランダ79人など計364人が、1人平均約300万円の「償い金」等を受給した。

4月3日
アメリカ議会調査局の専門家らが「日本軍の『慰安婦』システム」と題する議員の審議用資料とする報告書を作成。「軍による女性の強制徴用」について、「日本軍はおそらくほとんどの徴募を直接に実行はしなかっただろう。特に朝鮮半島ではそうだった」との見解を示す。また、「アジア女性基金」の設立や「河野談話」など、日本政府が謝罪や賠償の努力を重ねてきたことを指摘、日本へ更なる謝罪や賠償を要求することに疑問を呈す。

4月26日
米紙ワシントン・ポストに慰安婦問題ワシントン連合(徐玉子会長)など在米韓国系団体が「The Truth about Comfort Women(慰安婦の真実)」と題した意見広告を掲載。「日本はこの犯罪に全面的な責任を取ったことは一度もない」と非難、慰安婦問題に関し日本政府の謝罪を求める下院対日決議案の採択を求める。

4月27日
首相として初の訪米をした安倍晋三は、連邦議会における上下両院幹部との会談で、慰安婦問題について「私の真意が正しく伝わっていない」と述べ、「辛酸をなめられた元慰安婦の方々に、個人として首相として心から同情するとともに、極めて苦しい状況に置かれたことに申し訳ないという気持ちでいっぱいだ」と元慰安婦らに対する同情と「苦しい状況に置かれたこと」についてのおわびを表明。これを受けて日系のダニエル・イノウエ上院議員が「残念なのは慰安婦問題をめぐる米国内の動きだ。これまで7人の首相が謝罪しているのにもかかわらず、こういうことが今後も続くのかと思うと、疑問を感じる」と発言。
なお、安倍首相がブッシュ大統領との会談で、慰安婦問題に関して大統領に「謝罪した」と当時のメディアが一斉に報じたが、これは、実際には会談で話していない慰安婦問題を公式には「話をした」ことにしたために発生した、ある種の誤報である(産経新聞2013年5月23日)。

6月14日
米紙ワシントン・ポストに「THE FACTS(真実)」という意見広告が掲載。同年4月26日の韓国系団体による意見広告「慰安婦の真実」に日本の歴史事実委員会(作曲家のすぎやまこういち等)などが中心になって対抗したもの。

6月26日
慰安婦問題に対する日本政府の謝罪要求決議案(アメリカ合衆国下院121号決議)が外交委員会で可決。

7月31日
同上決議案が本会議で可決。この日の決議は、手続きを簡略化し、下院(定数435)の定足数(218)未満でも審議できる「議事規則の適用停止」が適用された。実際に出席した議員は10人で、発声による投票で異議は出されず、議長が可決と認定した。


<2008年>

1月に刊行された広辞苑6版で、従軍慰安婦について大幅に修正。
【朝鮮人強制連行】日中戦争・太平洋戦争期に100万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄・東南アジアなどに強制的に連行し、労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。女性の一部は日本軍の慰安婦とされた。
【従軍慰安婦】日中戦争・太平洋戦争期、日本軍によって将兵の性の対象となることを強いられた女性。植民地・占領地出身の女性も多く含まれていた。

10月30日
国際連合人権委員会のB規約(市民的および政治的権利)人権委員会が日本政府に死刑廃止の検討と、慰安婦問題について法的責任の認識と謝罪を初めて勧告。


<2009年>

1月8日
米紙『ニューヨークタイムズ』が記事「Ex-Prostitutes Say South Korea and U.S. Enabled Sex Trade Near Bases」において韓国政府やアメリカ人によってアメリカ軍に対する売春を強制されていた女性達の声を掲載。

8月14日
ソウル行政裁判所が、大韓民国外交通商部が裁判所に提出した書面に「日本に動員された被害者(未払い賃金)供託金は請求権協定を通じ、日本から無償で受け取った3億ドルに含まれているとみるべきで、日本政府に請求権を行使するのは難しい」と記述されていることを明らかにする。


<2010年>

3月15日
大韓民国外交通商部は、あらためて慰安婦については「1965年の対日請求の対象外」として「日本政府の法的責任を追及し、誠意ある措置を取るよう促している」と再度要求を開始。

4月28日
フィリピン最高裁が、フィリピン政府に日本政府への謝罪要求を支持するよう求める訴えを退ける。

10月23日
アメリカ初の慰安婦碑が設置。場所はニュージャージー州パリセイズ・パーク市の公立図書館脇。以降、米国内では中韓系の反日団体によって次々と慰安婦碑・像が建立され、あるいは計画されている。碑文にはいずれも「日本軍が20万人以上の慰安婦を強制連行して集めた」「慰安所では慰安婦は性奴隷扱いだった」という趣旨の言葉が付けられている。


<2011年>

5月
「太平洋戦争犠牲者遺族会」と梁順任代表が2010年に結成した「対日民間請求権訴訟団」が、ソウルの警察当局に摘発される。日本統治時代の“戦時動員被害者”に対し、日本政府などから補償金を受け取ってやるといって弁護士費用などの名目で約3万人の被害者から会費15億ウォン(約1億2千万円)をだまし取った詐欺容疑だった。関係者は実刑判決を受けたものの、梁順任は証拠不十分で2014年8月29日に無罪判決が確定。

8月30日
韓国の憲法裁判所が、「韓国政府が日本軍慰安婦被害者の賠償請求権に関し具体的解決のために努力していないことは違憲」と判決。

9月15日
韓国外交通商省の趙世暎東北アジア局長は、「慰安婦と被爆者の賠償請求権が請求権協定により消滅したのかどうかを話し合うため、日韓請求権・経済協力協定第3条により両国間協議を開催することを希望する」という口上書を日本側に提出。9月24日のニューヨークでの日韓外相会談、10月6日のソウルでの日韓外相会談でも同様の要求を行う。

12月8日
慰安婦は志願であったとネット上に書き込んだ韓国人が、韓国政府によって「情報通信網の利用促進及び情報保護などに関する法律違反」で検挙される。

12月14日
ソウルの日本大使館前に13歳の少女慰安婦と称する銅像を、挺対協が韓国当局の許可なく設置。日本政府は抗議したが、韓国政府は設置を黙認しており、現在も放置されている。

12月17日
北朝鮮の金正日総書記が死亡。挺対協が北朝鮮に弔電を送り、韓国内で大きな波紋を呼ぶ。慰安婦問題で活動しているという政治的な「盾」がなければ、国家保安法による処罰を逃れられなかっただろうと当時は言われた。

12月18日
訪日した李明博大統領が野田佳彦首相との会談で、「慰安婦問題について韓国の求める誠意を示さない限り、同年に駐韓日本大使館正面に建立された13歳の少女慰安婦と称する像の他にさらなる銅像の建立がなされる」と述べ、問題解決を強く求める。
野田は2014年、この時のことをこう振り返っている。「李大統領は時間の大半を費やしていわゆる従軍慰安婦問題の解決を求めてきました。私は、1965年の日韓請求権協定によって法的には完全に決着しているという立場を貫き、彼の要求に応じませんでした。この時の厳しいやり取りが、翌年8月の李大統領による竹島上陸という常軌を逸した行動の伏線となり、日韓関係の急速な悪化につながったと思います」(野田佳彦公式ブログ2014年8月18日


<2012年>

5月5日
日本統治時代の慰安婦に関する資料などを集めた「戦争と女性の人権博物館」がソウル市内に完成し、開館式が行われる。建設費約3億円のうち韓国政府の拠出は約3500万円で、日本の民間(VAWW-NETジャパンなどが呼びかけ、個人のほか朝鮮総連関連団体やJR等労組、教組、大阪市職組etc.)からはそれをはるかに超える約1億円の寄付が贈られた(参考)。

6月16日
ニューヨークのアイゼンハワー公園に「日本軍が性的奴隷にするため、20万人を超える少女らを強制動員した」とする碑文が刻まれた慰安婦碑が韓国人によって設置。

8月10日
李明博大統領が韓国大統領として初めて竹島に不法上陸。

8月14日
李明博大統領が日本の天皇に謝罪を求める発言を行う。


<2013年>

1月16日
ニューヨーク州議会でトニー・アベラ上院議員らが「日本軍慰安婦は人道に対する罪で20世紀最大の人身売買」と断定し、日本に謝罪を求める決議案を提出。1月29日に上院で採択。

2月25日
朴槿恵が韓国大統領に就任。就任前は、竹島問題や慰安婦問題における韓国政府の立場を堅持しながらも「日本の正しい歴史認識を基にして、両国関係が未来志向的に発展することを望む」としていたが、就任以降は特に慰安婦問題に対して強硬な姿勢を取るようになり、各国に対し「告げ口外交」を展開。

3月14日
参院予算委員会において安倍晋三首相が「河野談話」について「安倍内閣でそれを見直すことは考えていない」と発言。以降も談話を踏襲することを表明し続けている。

5月13日
橋下徹大阪市長が慰安婦問題について発言し、内外に波紋を呼ぶ。この日以降も発言は続いた。これにより、元慰安婦が市長に面談を2度要請し、市長も受諾したが、元慰安婦側の都合により2度ともキャンセルとなった(参考)。

5月14日
読売新聞が初めて朝日新聞を名指しで批判。橋下市長の発言を伝えた記事の用語解説の中で、「1992年1月に朝日新聞が『日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していた』と報じたことが発端となり、日韓間の外交問題に発展した。記事中には『主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した』などと、戦時勤労動員制度の『女子挺身隊』を『慰安婦狩り』と誤って報じた部分もあり、強制連行の有無が最大の争点となった」と書いた。読売新聞は過去にも何度か朝日新聞を批判していたものの、「一部全国紙」と呼ぶなどし、名指しは避けていた。

5月16日
アメリカ国務省のジェン・サキ報道官の記者会見において、朝日新聞の大島隆記者が、アメリカ合衆国は慰安婦を「性奴隷」として定義しないのかと質問したが、サキ報道官は「慰安婦の定義について、あなたは特定の事象を具体化しようとしている。米国は慰安婦は慰安婦であると過去から述べている(Again, I don’t know that I’m going to define it. You kind of laid out the specific details there, and we have described this issue in the past as comfort women.)」と回答。

7月
テキサス親父ことトニー・マラーノが、米国国立公文書館より正規の手続きで取り寄せた記録文書(米国戦争情報局心理作戦班報告書)をインターネット上で公開。これはミートキーナ(ミッチーナ)陥落後、米軍が朝鮮人慰安婦らに給与形態から日常生活まで聞き取りしたレポートであり、韓国側の主張する「性奴隷」とは全く違った実態が浮かび上がった。マラーノが取り寄せた文書はここから見ることができる。なお、この文書は1973年に公開されており、研究者には従来から知られていた。1992年7月6日、1993年8月4日に日本政府が公表した資料にも収録されている(1992年から93年までの調査結果として「アジア女性基金」で公開)。その後、小林よしのりも「新ゴーマニズム宣言」で紹介している。よって、2013年7月というのは、あくまでもマラーノが閲覧し、ネットで紹介した年月である。

7月30日
アメリカ・カリフォルニア州グレンデール市で慰安婦像(2011年12月にソウル日本大使館前の歩道に建てられた「少女の像」の複製)が設置。

10月16日
産経新聞が、日本政府が1993年7月26日〜30日にソウルで元慰安婦16人に対して行った聞き取り調査報告書を入手し、スクープ報道。報告書にある元慰安婦らの証言は矛盾が多く、調査が形式的なものでしかなかったことや、調査終了からわずか5日後に「河野談話」が発表されたことを指摘した(参考)。
『正論』2013年12月号の西岡力東京基督教大学教授の考察によれば、日本政府聞き取りの16人のうち、93年2月の韓国側(安秉直教授)の調査と重なるのは、1金○○、2黄錦周、4李貴粉、8金学順の4人で、その4人全員が慰安婦にさせられた経緯について、安秉直調査とは異なることを話している。しかし、日本政府側はその点も含めて証言の確認作業を一切していない(参考)。

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11月28日
朝日新聞が「慰安婦問題、インドネシアの女性証言 『日本軍のテントに連行された』」と題する記事を掲載。だが、結局、元慰安婦の証言の裏付けは取れず、「彼女たちの証言を完全に裏付ける資料は見つからなかったが、内容は克明で信用できた」と、苦しい言葉で記事は結ばれている。


<2014年>

1月1日
産経新聞が、「河野談話」について、日本政府が原案の段階から韓国側に提示し指摘に沿って修正するなど、事実上の日韓合作だったことが当時の政府関係者らの証言から明らかになったと報道。

1月9日
中国吉林省の档案館(資料館)が、旧日本軍が残した資料から、中国の慰安婦に関する新たな記録が見つかったと明らかにしたと、国営新華社通信が報道。

1月30日〜2月2日
フランスで開催された「アングレーム国際漫画祭」に韓国の慰安婦漫画が展示。日本の民間人有志がそれに対抗、「『従軍慰安婦』はなかった」との看板を出し、漫画を展示しようとしたが、主催者に撤去される。フランス(及び欧米)では、韓国側の主張がスタンダードである(事実認定されている)ことを見せつけられる結果となった(参考)。

2月20日
衆院予算委員会において、日本維新の会の山田宏議員の質疑に、「河野談話」作成に携わった石原信雄元官房長官が参考人として出席。談話発表に際して行われた元慰安婦の聞き取り調査について事実関係の裏付け調査はしなかったことや、談話の作成過程で韓国側との意見のすり合わせが当然行われたと推定されることなどを証言。

2月20日
米グレンデール市の慰安婦像をめぐり、在米日本人らが撤去を求めて市を提訴。

2月28日
菅義偉官房長官が有識者で構成される「河野談話作成過程等に関する検討チーム」設置を発表。

3月
「挺身隊=慰安婦」“誤報”を書いた植村隆記者が、朝日新聞社を早期退職。

4月25日
韓国の朴槿恵大統領とソウルで会談した米オバマ大統領が、会見で、日本の慰安婦問題について「甚だしい人権侵害だ。戦争中の出来事とはいえ、衝撃を受けた」「安倍晋三首相と日本国民も、過去はより正直かつ公正に理解されなければならないと認識しているだろう」「日韓両国はアメリカの重要な同盟国だ。過去のわだかまりを解決すると同時に未来に目を向けてほしいというのが私の願いだ」などと述べる。

6月10日
中国外務省の華春瑩副報道局長が定例会見で、「南京大虐殺」の記録と「従軍慰安婦」に関する資料を「世界記憶遺産」として国連教育科学文化機関(ユネスコ)に登録申請したことを認める。

6月16日
韓国の世宗大学日本文学科の朴裕河教授が、元慰安婦9人から名誉毀損で告訴される。同時に教授が10カ月前に発行した『帝国の慰安婦』の販売差し止めを求める仮処分申請もなされた。著書の内容は「政治利用されていることが、20年以上にわたり慰安婦問題が解決しない最も大きな理由だ」「日本軍による性暴力には単発の強姦、拉致した上での性暴力、管理売春の3種類が存在していたが、朝鮮人慰安婦のほとんどはこの3番目(管理売春)のケースが中心だった」「人身売買などで募集して軍に引き渡し、管理した朝鮮や日本の業者や雇い主こそが、直接的に慰安婦の自由を束縛した主体だった」「朝鮮人慰安婦と日本軍の関係は基本的には同志的な関係だった」といったものだったが、教授自身は「他の方式でアプローチしただけで日本の謝罪と補償は必要だと考えます」とツイッターで述べている。

6月20日
日本政府が「河野談話作成過程等に関する検討チーム」の検証結果を衆院予算委員会理事会に提出。作成過程で韓国側と文言調整(すり合わせ)があったこと、元慰安婦の証言の裏付け調査が行われなかったこと、「アジア女性基金」からのカネを受け取ろうとした元慰安婦らに対し、挺対協などによるハラスメントが行われたことなどが盛り込まれた内容。

6月21日
河野洋平が山口市での講演で、前日に発表された河野談話作成過程検証結果報告について、「報告書はきのう読んだが、全くそのとおりで、正しくすべて書かれている。足すべきことも、引くべきこともない」と述べる。

6月25日
韓国の元米軍慰安婦122人が、韓国政府に対して賠償を求める集団訴訟を起こす。朝鮮戦争の休戦後、在韓米軍基地近くの売春街(基地村)で米兵ら相手の売春をしていた韓国人女性たちである。

7月22日
産経新聞が、大分県教職員組合が旅行業法に基づく登録をせず、新聞広告で「慰安婦」関連施設を見学する韓国旅行参加者を募集していたことを報道。県教委が自粛を求めたが、県教委は予定通り、同25日から旅行を実施。

8月
日本ハワイ友好議員連がハワイを訪問し、現地の政治家から、韓国系団体がハワイにも慰安婦の碑や像を建てようとしていたことを聞かされる。ハワイには、日本の状況を理解する親日派の政治家が多いため、設置を食い止めたという(夕刊フジ2014年10月24日)。

8月4日
グレンデール市の慰安婦像撤去訴訟で、カリフォルニア州連邦地裁が原告側の訴えを棄却。原告側は改めて、9月3日に慰安婦像撤去を求める告訴状を州の裁判所に提出。9月18日には、州の裁判所に新たな訴因を追加し、修正した告訴状を改めて提出。

8月5日〜6日
朝日新聞が「慰安婦問題を考える」と題した検証記事を掲載し、吉田清治の証言を虚偽と認定し記事を撤回。その根拠として、2014年4月から5月にかけて済州島内で70代後半から90代の計約40人から話を聞いたが、強制連行したという吉田の証言や記述を裏付ける証言は得られなかったとした。また、朝鮮や台湾では軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていないことも認めた。しかし1991年8月11日の植村隆記者による「女子挺身隊=慰安婦」“誤報”については「誤用」とするにとどめた。同時に、他紙(読売、毎日、朝日)も吉田証言を伝えていたと指摘。また「慰安婦問題の本質 直視を」と題した一面の論説(杉浦信之編集担当による)では、「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです」と主張した(参考:朝日8月5日の検証全記事)。

8月9日
朝鮮日報が朝日新聞の慰安婦検証記事について、「旧日本軍慰安婦をめぐる朝日新聞の闘いは20年以上になる。加害者の国の新聞が常に被害者側で闘ってきたのだから、孤立し疲れが見えてきた。知恵を絞って助ける方法が韓国政府にはあるはずだ」と書く。

8月9日
「クマラスワミ報告書」を作成したクマラスワミが、スリランカ・コロンボの自宅で韓国外交部合同取材団に対し、最近の慰安婦問題をめぐる動きについて「再び後退している」と述べ、日本政府が強硬な姿勢に戻りつつあると批判(参考:朝鮮日報2014年8月12日)。

8月10日
「女たちの戦争と平和資料館」(WAM。松井やよりの政治運動を継承するため2005年8月に設立された政治団体)が、朝日新聞8月5日の慰安婦検証記事を批判するメディア各社に対し、抗議文を送付。朝日新聞だけが8月12日付紙面でこれを紹介した。

8月22日
朝日新聞デジタルで朝日新聞8月5日の1面「慰安婦問題の本質 直視を」と16面・17面の「慰安婦問題を考える」の特集記事の英文を掲載。

8月28日
朝日新聞が「慰安婦問題 核心は変わらず」と題した慰安婦検証記事第2弾を掲載。関係者証言などを並べ、8月5日の検証記事への批判に対して反論を展開。「女性たちは集められ方にかかわらず、戦場で軍隊のために自由を奪われて性行為を強いられ」たのが問題だと主張。

9月6日
朝日新聞が、ジャーナリスト・池上彰の連載コラムの掲載をいったん見合わせ9月4日付で掲載したことに対する、お詫び記事を掲載。池上の当該コラムは、慰安婦問題における朝日新聞の検証記事について論評した内容だった。

9月11日
朝日新聞がお詫び会見。福島第1原発元所長・吉田昌郎の「吉田調書」にまつわる自社報道が虚報であったことに対する謝罪会見だったが、慰安婦報道と池上彰問題についても謝罪。木村伊量社長は「(8月5日の慰安婦問題の)検証記事の内容には自信を持っている」と述べた。

9月15日
「太平洋戦争犠牲者遺族会」が会見し、「河野談話」の作成過程で1993年7月に日本政府がソウルで実施した元慰安婦の女性に対する聞き取り調査の映像の一部を公開。

9月27日
共産党の機関紙「しんぶん赤旗」が紙面で1992年、93年に掲載した吉田清治をめぐる記事を取り消し、謝罪。一方、河野談話は吉田証言を根拠にしていないとして、「正当性はいささかも揺るがない」と強調し、「異様な『朝日』バッシングが続けられている」と、朝日新聞を擁護した。

9月29日
朝日新聞が8月5日の特集記事を一部訂正。吉田証言を1982年9月に初めて取り上げたと記した「大阪社会部の記者(66)」は、当該記事の執筆者ではなかったという内容。

10月
自民党が、慰安婦を強制連行したとする吉田清治による虚偽証言の国際的な影響などを検証する特命委員会設置を決定。

10月3日
安倍晋三首相が衆院予算委員会で、朝日新聞が慰安婦問題の誤報を認めたことに関し、「誤報によって多くの人が悲しみや怒りを覚えたのは事実だ。日本のイメージは大きく傷ついた」「国ぐるみで(女性を)性奴隷にしたとの、いわれなき中傷が世界で行われている。誤報によって、そういう状況が生み出された」「客観的な事実に基づく正しい歴史認識が形成され、国際社会から正当な評価を受けることを求めていく考えで、戦略的な対外的発信をしていかなければならない」と発言(6日の衆院予算委員会でも同趣旨の発言)。

10月3日
鹿児島県議会が「河野談話」を見直し、「国家の名誉と尊厳を回復する新談話」を発表するよう政府に要望する意見書を採択。都道府県議会レベルでは初となった。

10月9日
朝日新聞の慰安婦報道を検証する第三者委員会が初会合を開く。

10月14日
日本政府が「クマラスワミ報告書」を作成したクマラスワミに直接、報告書の一部を撤回するよう求めたことを明らかにした。クマラスワミは撤回を拒否。

10月14日
日本政府が閣議で、朝日新聞が慰安婦報道の一部に誤りを認め、取り消した問題に関し「政府として個々の報道について答弁することは差し控えたいが、国際社会において、客観的事実に基づく正しい歴史認識が形成され、日本の基本的立場や取り組みに対して正当な評価を受けるべく、これまで以上に対外発信を強化していく」とする答弁書を決定。

10月15日
国連総会第3委員会(人権)の「女性の地位向上」をテーマにした特別会合で、韓国側が「クマラスワミ報告」を引用し、日本を攻撃。これに対し、日本の公使が答弁権を行使し「クマラスワミ報告書に強い影響を与えたとみられる朝日新聞の記事は最近、誤報として取り消された」と反論。

10月17日
佐々江賢一郎駐米大使が定例記者会見で、朝日新聞が吉田清治の証言が虚偽だったとして関連記事を取り消したのを受け、「クマラスワミ報告書」の一部撤回を日本政府が求めていることに関し、米側に事実関係を説明する考えを示す。

10月21日
菅義偉官房長官が参院内閣委員会で、河野洋平元官房長官が1993年に慰安婦問題に関する談話を発表した記者会見で、強制連行を認める発言をしたことについて「強制連行を示す資料がない中で、(認めたのは)大きな問題だ」と述べ、河野の発言によって強制連行があったかのような事実誤認が国際社会に広がったとの認識を示す。ただ、河野談話については従来通り、継承し、見直さないことを強調(10月24日の衆院内閣委員会でも同様の発言)。

10月23日
「挺身隊=慰安婦」“誤報”を書いた元朝日新聞の植村隆が非常勤講師を勤める北星学園大学に脅迫電話をかけた男が威力業務妨害で逮捕される。札幌簡裁は男に対し、11月19日までに罰金30万円の略式命令を出した。北星学園大学には同年5月と7月に脅迫文が届いているが、北海道警は男とは別人によるものとして捜査している。なお、10月31日、北星学園大学の学長は植村隆を来年度雇用しない意向を示していたが、その後方針を転換。12月17日に学長らが会見、次年度の雇用の継続を正式に発表した。

11月17日
北海道新聞が朝刊一面に「『吉田証言』報道をおわびします」と題する記事を掲載。戦時下の朝鮮人女性を慰安婦として強制連行したと告白した吉田清治の証言を報じた記事を取り消すと発表した。「検証が遅れ、記事をそのままにしてきたことを読者の皆さまにおわびし、記事を取り消します」と検証が遅れたことも謝罪したほか、慰安婦問題に関する特集記事も掲載。しかし、実際に取消しをしたのは8本のうち1本で、吉田が訪韓時に強制連行を証言したことを報じた記事など7本は取消し・訂正の対象になっていなかった。同社は「誤報とは言い切れない」との見解を非公式に示している。

11月17日
米カリフォルニア州ロサンゼルス市や同市近郊の公立高校で使用されている世界史の教科書に、旧日本軍が慰安婦を「強制連行」したとする史実と異なる記述がされている問題で、外務省が同教科書の使用実態の調査に着手し、出版社に記述内容の是正を要請したことが分かったと、産経新聞が報道。

11月27日
米政府がクリントン、ブッシュ両政権下で8年かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調査で、日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「女性の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかとなったと、産経新聞が報道。
米政府の調査結果は「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班(IWG)米国議会あて最終報告」として、2007年4月にまとめられた。米側で提起されることはほとんどなかったが、慰安婦問題の分析を進める米国人ジャーナリスト、マイケル・ヨンとその調査班と産経新聞の取材により、確認された。報告の序文でIWG委員長代行のスティーブン・ガーフィンケルは、慰安婦問題で戦争犯罪の裏づけがなかったことを「失望」と表明。調査を促した在米中国系組織「世界抗日戦争史実維護連合会」の名をあげ「こうした結果になったことは残念だ」と記していた。
ヨンは「これだけの規模の調査で何も出てこないことは『20万人の女性を強制連行して性的奴隷にした』という主張が虚構であることを証明した。日本側は調査を材料に、米議会の対日非難決議や国連のクマラスワミ報告などの撤回を求めるべきだ」と語った(参考:マイケル・ヨンの記事。ケント・ギルバート氏が本人に許可を得て日本語に翻訳したもの)。

11月28日
読売新聞が朝刊で、同社発行の英字紙「デイリー・ヨミウリ」(現ジャパン・ニューズ)が1992年〜2013年、慰安婦問題をめぐる報道で「性奴隷」を意味する単語など不適切な表現を計97本の記事に使用していたとして、謝罪。「誤解を招く表現を使ってきたことをお詫びする」とした。

12月5日
朝日新聞が「吉田調書」報道の取り消しや慰安婦報道について謝罪。木村伊量社長を退任させ、後任に渡辺雅隆取締役(大阪社会部出身)とする新体制が発足。渡辺新社長以下が会見を開いた。慰安婦や吉田清治関連の質問には「第三者委員会の検証結果を待ってから」として明言を避けた。

12月10日
月刊「文藝春秋」に北星学園大学非常勤講師で元朝日新聞記者の植村隆が「慰安婦問題『捏造記者』と呼ばれて」と題された釈明の手記を寄せる。植村は元朝鮮人慰安婦の証言を最初に報じた記事について、当時の日韓メディアに影響を与えていなかったとの認識を示した。また、元朝鮮人慰安婦がキーセン学校に通っていた経歴を記事に盛り込まなかった点については「キーセンだから慰安婦にされても仕方ないというわけではない」と考え、あまり重きをおいていなかったと釈明。また「強制連行」という表現は当時、読売新聞や毎日新聞が用いていたが、自分の記事では用いていなかったと指摘(当該1991年8月11日の記事の書き出しはこうなっている。【日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)が聞き取り作業を始めた】。最後は、「私は『捏造記者』ではない。不当なバッシングに屈する訳にはいかない」という言葉で締めくくられている(GoHooを参照)。

12月22日
朝日新聞の慰安婦報道を検証していた第三者委員会が、8月5日、6日掲載の特集記事について、「自己弁護の姿勢が目立ち、謙虚な反省の態度も示されなかった」などとする報告書をまとめた。報告書によると、8月の検証記事は、政府が河野談話の作成経緯を検証する方針を示したことを受け、「過去の報道姿勢が問われる」との危機感から計画されたことが判明。当初は紙面でのおわびも検討していたが、当時の木村伊量社長が反対。池上彰のコラムも、木村社長が難色を示して掲載見送りが決まったことが明らかになった。また報告書は、慰安婦を「強制連行した」とする吉田清治の証言を朝日新聞が報じた際、裏付け取材を行ってこなかったことを指摘。少なくとも1992年に取材した記者が「怪しい点がある」との心証を抱いていたにも関わらず、その後は証言の扱いを減らすなど、消極的な対応に終始したとして、委員会は「ジャーナリズムのあり方として非難されるべきだ」とした。また、1997年3月の特集記事で「慰安婦の募集などを通して、全体として強制と呼ぶべき実態があったのは明らか」などと、「広義の強制性」を強調し始めた姿勢については、「『狭義の強制性』を大々的に、率先して報道してきたのは朝日新聞」「議論のすりかえ」と断じた。一方、国際社会への影響については、委員がそれぞれの専門分野に分かれ、3つの検証結果を報告。岡本行夫と北岡伸一は、朝日新聞が「日本軍が集団的、暴力的に女性を拉致した」とのイメージを定着させた証拠は決定的でないとしつつ、「韓国における慰安婦問題の過激な言説を、朝日新聞やその他の日本メディアがエンドース(裏書き)し、韓国での批判を過激化させた」と指摘した。なお、「挺身隊=慰安婦」“誤報”を書いた植村隆記者が義母である梁順任から便宜を図ってもらったのではないかという疑義については、「そのような事実は認められない」とした。
報告書は朝日新聞社サイトの「慰安婦報道検証 第三者委員会」から閲覧できる。

12月23日
朝日新聞が朝刊で、朝鮮人を「強制連行した」とする吉田清治の虚偽の証言に基づく記事を新たに確認したとして、1980年、81年に掲載した記事2本の全文と一部を取り消したことを明らかにした。一連の記事取り消しはこれで計18本となった。また、1991年8月11日付朝刊(大阪本社版)と92年1月11日付朝刊に掲載した記事と用語解説について、慰安婦と挺身隊を混同したことなどを訂正し、謝罪した。
記事全文を取り消したのは、1980年3月7日付朝刊(川崎・横浜東部版)の「連載 韓国・朝鮮人II(27)」。吉田への取材を基に「2回ほど朝鮮半島に出かけ、“朝鮮人狩り”に携わった」と報じた。一方、1984年1月17日付夕刊(大阪本社版)の「連載 うずく傷跡 朝鮮人強制連行の現在(1)」では、「吉田氏が朝鮮人強制連行業務の一端に連なった」として、吉田が韓国に建てた謝罪の碑の除幕式を紹介。除幕式があったことは事実として、証言部分のみを取り消した(記事を訂正、おわびしご説明します 慰安婦報道、第三者委報告書 朝日新聞社 2014年12月23日05時00分)。

12月26日
朝日新聞社の渡辺雅隆社長ら幹部が記者会見し、朝日の慰安婦報道を検証する第三者委員会からの報告を受け、「(報道の)誤りを長年、放置してきたことを改めておわびする」とする同社の見解を発表した。今後、慰安婦問題を継続的に担当する取材班を作り、国内外で多角的な報道を続ける方針も明らかにした。一方、「社内外からの意見や批判の声に謙虚に耳を傾ける姿勢が欠けていた」として、今後、社内研修で第三者委の報告書を取り上げるなどの再発防止策に取り組むことも公表。来春には読者意見を編集部門に伝える独立した新たな仕組みを設けるとし、同時に、「経営陣は原則、記事や論説の内容に介入しない」として、編集の独立を尊重したルールや社外有識者を活用した体制整備を進めることも明らかにした(慰安婦報道検証受け改革 朝日新聞、報道のあり方など 2014年12月26日13時40分)。
会見で渡辺社長は「批判に対して自社の立場を弁護する内向きの思考に陥り、深く反省している」と述べたが、慰安婦の強制性をめぐる議論や、朝日新聞の報道による国際的な影響などに対する第三者委員会の厳しい指摘への見解を問われても、正面から答えず「重く受け止める」と繰り返すだけで、最後まで社としての認識を明確に示さなかった。


<2015年>

1月9日
植村隆が文藝春秋と東京基督教大学の西岡力教授に損害賠償を求めて提訴。同日、植村隆は司法記者クラブ、日本外国特派員協会、名誉毀損訴訟提起報告集会(参院議員会館)で会見。朝日新聞1991年8月11日記事で植村が「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」と書いた部分について、西岡が1998年ごろから「捏造」との主張を始め、「週刊文春」2014年2月6日号で「捏造記事と言っても過言ではありません」とコメントしたことなどが名誉毀損であり、民事上の不法行為にあたるとしている。会見で植村は「私は捏造記者ではない」と改めて主張した。報告集会には朝日新聞労働組合も姿を見せ、「植村さんを支援すべきではないかという社内の声があった。朝日問題があったので早く動けなかった反省がある。記者を守る仕組みを作っていかなければならない。訴訟を社内につなげて、力になれればと思う」とスピーチした。

1月11日
外務省はこの日までに、米カリフォルニア州ロサンゼルス市や同市近郊の公立高校で使用されている、米大手教育出版社「マグロウヒル」の世界史の教科書に、旧日本軍が慰安婦を「強制連行」したとする史実と異なる記述がされている問題で、昨年末、教科書の出版社に記述内容の是正を正式に要請したことを明らかにした。

1月26日
慰安婦をめぐる朝日新聞の報道により、誤った事実を国際社会に広め、日本国民の人格権や名誉を傷つけたとして、市民ら約8700人が、同社に1人当たり1万円の慰謝料と謝罪広告を求めて東京地裁に提訴。原告数はその後も増え続けている(原告サイト)。

2月10日
植村隆が出版社3社(新潮社、ダイヤモンド社、ワック)とジャーナリストの櫻井よしこ氏に損害賠償と謝罪広告を求めて提訴。訴状によると、植村側は、櫻井氏はWiLL2014年4月号の論文で「真実を隠して捏造記事を報じた」と指摘。櫻井氏が週刊新潮、週刊ダイヤモンドでも同様の表現をしたため、「捏造ではないのに捏造とくり返し断定し、社会的評価を失墜させた」と主張している。

2月17日
元慰安婦の韓国人女性9人が、韓国・世宗大の朴裕河教授の著書「帝国の慰安婦」で慰安婦を「売春婦」などと記述され名誉を毀損されたとして同書の出版や広告を禁じるよう求めた仮処分申請で、韓国のソウル東部地裁は訴えの一部を認める決定を出した。地裁は決定で、同書が慰安婦を「軍人の政策遂行を助けた愛国少女」「自発的売春婦」などと表現した部分を削除しなければ、女性らの名誉や人格権が回復困難なほど傷つけられる恐れがあると判断。こうした表現を削除しないまま出版することを禁じた。これにより同書は韓国において事実上、出版停止となった。(年表の2014年6月16日も参照)

2月19日
朝日新聞による「慰安婦報道」および第三者委員会の報告を独自の立場から検証するために、2014年12月、「朝日新聞『慰安婦報道』に対する独立検証委員 会」(委員長・中西輝政京都大学名誉教授、日本政策研究センター後援)が発足し、検証作業が進められていたが、その検証結果が報告書としてまとめられ、この日、都内で記者会見が開かれた。報告書では、1991年から1992年1月にかけての朝日新聞の慰安婦報道を「プロパガンダ(宣伝)」とし、プロパガンダによって国際社会に「強制連行があった」などの事実誤認が拡散し、日本の名誉を傷つけ続けていると結論づけた。同紙の慰安婦報道をめぐっては、朝日新聞による第三者委員会が昨年12月に報告書を公表。朝日新聞の慰安婦報道が国際社会に与えた影響について、「慰安婦問題の誇張されたイメージ形成に力を持った」「影響は限定的だった」などとする委員による検証結果を提示したが、独立検証委は「朝日の責任を回避する議論に終始した」と指摘した。そのうえで、朝日新聞社に対し、「『プロパガンダ』と『議論のすりかえ』がどの様なプロセスで作られていったのか、記者、デスク、担当部長、社長らの責任を、実名を挙げて明らかにすることを求める」と提言。政府には専門部署と民間の専門家による有識者会議の設置を求めた。

3月2日
外務省が「マグロウヒル」の教科書に記述の訂正を求めたことをめぐり、「国家の圧力」だと批判する米国の歴史学者の声明が米歴史協会の会報「歴史の展望」3月号(電子版)に掲載された。米コネティカット大のアレクシス・ダデン教授ら20人の連名によるもので、「歴史教科書の記述を抑圧しようとする日本政府の最近の試みへの失望」を表明し、「いかなる政府も歴史を検閲する権利を持つべきでない」と訴えた。また、「我々は事実を明らかにしようと取り組んできた日本や他国の多くの歴史学者と共に立ち上がる」とした。ダデン教授は「日本叩き」の急先鋒として知られており、同年1月16日のニューヨークタイムズ(電子版)には、「日本の尖閣諸島も竹島も北方領土もすべて国際的には日本の領土ではなく、安倍政権がその領有権を主張するのは危険な膨張主義の表れだ」という趣旨の論文が掲載されている。

3月17日
米大手教育出版社「マグロウヒル」の世界史教科書に慰安婦問題で事実と異なる記述がある問題で、秦郁彦・日本大学名誉教授ら日本の有識者19人が、明確な事実誤認部分8カ所について、「マグロウヒル」に訂正を求める声明を公表。事実誤認部分は、同日、日本外国特派員協会で行われた、秦郁彦氏と大沼保昭・明治大学特任教授の会見で明らかにされた。秦氏は「マグロウヒル」の教科書について、「26行という短い文章でこれほど事実の間違いが多い記述を私は見たことがない」「慰安婦問題は終わったし、終わらせるべきだと思う」などと述べた。元アジア女性基金理事でもある大沼氏は、「日本が反省を明確にすれば、韓国の市民社会はそれを評価してくれるだろうと、1970年代から90年代期待していたが、残念ながらそういう成熟を示さなかった。そのことも日本の方の側の謝罪疲れをもたらした」と述べるとともに、日韓メディアのほか米メディア、特にCNN、FOX、New York Timesを名指しした上で、「自己の権力性、自己の報道がもたらすネガティブな影響にも敏感で謙虚であるべきだ。慰安婦問題は、こうしたメディアの権力性それに随伴するこの当事者個々人を抑圧してしまう、ネガティブな機能が典型的に現れた事例だ」と苦言を呈した。

3月26日
『週刊文春』4月2日号に、【米機密公文書が暴く朴槿恵の“急所” 韓国軍にベトナム人慰安婦がいた!】と題されたスクープが掲載された。筆者はTBSワシントン支局長の山口敬之氏。赴任直前の2013年、外交関係者から「韓国軍がベトナムで慰安所を経営していた情報がある」と聞き、赴任後、ワシントン市内などの公文書館や、各地の米軍基地付属の図書館や資料館を訪ねて、関連する文書を精査。その結果、サイゴン市の米軍司令部から、同市の韓国軍司令部に送られた書簡に、以下のような記述があったことが判明した。《(同市中心部の「トルコ風呂」という施設で)売春行為が行われていて、ベトナム人女性が働かされている》《この施設は、韓国軍による、韓国兵専用の慰安所である》。米軍側は書簡で、韓国軍の施設と断定した根拠として、韓国軍大佐の署名入り書類に「韓国軍による韓国兵専用の慰安所である」と示されていたことなどを挙げていたという。さらに、山口支局長は、ベトナム戦争を戦った元米軍海兵隊幹部へのインタビューの結果、(1)韓国軍の慰安所は確かにサイゴン市にあった(2)サイゴン市内にはさらに大きい別の慰安所もあった(3)これらの施設は内部が多くのブロックに分かれていて、1区画に20人前後のベトナム人女性が働かされていた−などの証言を得たとした。今回のリポートが、慰安婦問題に与える影響について、拓殖大学の藤岡信勝客員教授は、「朴大統領は日本政府に筋違いの要求を繰り返しているが、これで日本を非難する道理は完全になくなった。まずは、自国軍による他国の女性への人権侵害の実態を徹底調査すべきだ」と指摘した。
なお、山口敬之氏は4月23日付でTBSワシントン支局長の任を解かれ、営業局への異動を命じられた。

3月27日
米紙ワシントン・ポストに安倍晋三首相のインタビューが掲載される。首相は、慰安婦が「人身売買(Human Trafficking)の犠牲となり、筆舌に尽くしがたい痛みと苦しみを経験されたことを思うと、心が痛む」と述べた。韓国の聯合ニュースは28日、「20世紀最悪の人権蹂躙で、国際社会が『性奴隷』事件と規定する慰安婦問題の本質を隠す狙い」などと伝えた。30日、衆院予算委員会で「人身売買」という表現を使用したことについて、首相は、「この問題についてはさまざまな議論がされてきているところだが、その中で人身売買についての議論も指摘されてきたのは事実だ。その観点から人身売買という言葉を使った」と述べた。

4月23日
韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)と日本の日本軍「慰安婦」問題解決全国行動(全国行動)が参議院会館で記者会見を開き、日本政府に要求する新しい要求を明かした。挺対協はこれまで、日本政府の「法的責任」を追及し、《1》慰安婦制度を犯罪事実として認定《2》国会決議による謝罪《3》法的賠償《4》責任者の処罰―などの対応を求めてきたが、犯罪としての扱いは求めず、立法措置も除外した。一方、閣議決定などによる政府の賠償や謝罪を求めている点は変わらず、歴史教科書への記述や、真相究明も継続して要求している。尹代表は「(法的責任を直接追及しなくても)提案内容で、実質的に日本の法的責任を明確にできる」としたが、日本政府に法的責任を直接求めないとしながら、政府による賠償はこれまで通り求めるという、全く矛盾した要求になっている。

4月29日(日本時間30日未明)
安倍晋三首相が、日本の首相としては初めてとなる米上下両院合同会議での演説を英語で行った。題名は「希望の同盟へ」。戦後70年の節目に、敵対国から同盟関係となった日米の「心の紐帯(ちゅうたい)」を訴え、日米同盟の発展が世界の平和と安定に貢献するという「未来志向」の考えを前面に打ち出した。先の大戦については「戦後の日本は痛切な反省を胸に歩みを刻んだ。アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目を背けてはならない」と言及。慰安婦問題には直接触れず、「紛争下、常に傷ついたのは、女性でした。わたしたちの時代にこそ、女性の人権が侵されない世の中を実現しなくてはいけません」と述べた。
なお、中韓系は、安倍総理の演説を阻止しようと工作したが叶わず、演説することが決まった後は、慰安婦問題や侵略への謝罪を盛り込ませようと工作を展開したが、全て失敗に終わった。こうした中韓系、特に韓国系のロビー活動の激しさは、米国の政界にいわゆる「韓国疲れ」を引き起こすこととなった。

4月末〜5月上旬
元朝日新聞記者の植村隆が、アメリカの大学の招待により、シカゴ、プリンストン、ニューヨーク、ロサンゼルスなどで講演して回り、「私は激しいバッシングを受けている。負けない」「私の記事を捏造だと攻撃することで、慰安婦問題をなきものにしようということにつながる」「1997年頃から歴史修正主義の動きが出てきた。その1人が今の首相の安倍氏だ」「植村バッシングの中心を担っているのが西岡力氏と櫻井よしこ氏」「問題は強制連行の有無ではなく、本人の意思に反して戦場に連れて行かれて日本軍の性の相手をさせられたことだ」などと持論を展開した。

5月5日
日米の“日本研究者”187人が「偏見のない(過去の)清算を残そう」とする慰安婦問題などに関する声明を発表。声明はジョージタウン大学のジョルダン・サンド教授が中心となってとりまとめ、英文・日本文で内容を熟考し、文面も日英で整合性がとれるように正確で慎重な作業が繰り返されたとされ、発表前に首相官邸に送付されたという。声明には、ハーバード大のエズラ・ボーゲル名誉教授やマサチューセッツ工科大のジョン・ダワー名誉教授ら著名な学者が名を連ねる。一方で経歴から、日本研究者とはいえない人物の名前も含まれている。声明は「戦後日本が守ってきた民主主義、自衛隊への文民統制、政治的寛容さなどは祝福に値する」としながらも、「慰安婦問題などの歴史解釈が障害となっている」と指摘した。また、これまで責任の所在はすべて日本側にあるとしていた韓国側などの主張に対し、声明は「日本だけでなく、韓国と中国の民族主義的な暴言にもゆがめられてきた」としている。慰安婦らが「女性としての尊厳を奪われた事実を変えることはできない」ともしているが、韓国側が「20万人以上」などと主張する慰安婦の数については、「恐らく、永久に正確な数字が確定されることはない」として明示を避けた。また、元慰安婦の証言は多様で、記憶に一貫性がないものもあると認めた上で、「証言は心に訴え、それ以外にも公的資料によって裏付けられている」としているが、資料の詳細などに具体的に触れていない。
この声明に対し、韓国メディアは一斉に評価する報道を展開したが、一部で声明の内容が歪められていた。声明の翻訳の手伝いをした早稲田大学・政治経済学部の浅野豊美教授によれば、「サンド教授はメディアの報道でゆがめられることは覚悟していた様子」だったという。声明に対する日本の評価は分かれたが、保守派からは「朝日新聞と同じで、女性の人権問題へのすり替えだ」という声も出た。
日本の歴史家を支持する声明(日本語正文)
OPEN LETTER IN SUPPORT OF HISTORIANS IN JAPAN(英語正文)

5月12日
韓国の国会は本会議で、安倍晋三首相を糾弾する決議案を全会一致で採択した。決議案は、米上下両院合同会議での演説などで安倍首相が「侵略と植民支配、慰安婦問題に言及せず、人身売買といった表現で問題の本質をごまかそうとしている」と強く非難。靖国神社への参拝や集団的自衛権行使、竹島領有権の主張などを「非常識行動」と断定し、「韓日関係に否定的影響を及ぼすおそれがある」と警告する内容だった。

5月18日
ケリー米国務長官が韓国の朴槿恵大統領、尹炳世(ユンビョンセ)外相との会談で、日韓関係改善を望む米国の立場を強調し、歴史問題を巡る朴政権の硬直的な姿勢の変化を求めた。ケリー氏は会見で、慰安婦問題について「極めてひどい人権侵害」と指摘しながらも、「安倍政権がこうした談話(村山談話、河野談話)の継承を繰り返し明言していることに注目している」と強調した。米国は北朝鮮への対応で日米韓の連携を重視する立場から、異例の「圧力外交」に乗り出した形。韓国側は安倍首相の訪米成功後、安全保障や経済分野での対日協力を歴史問題と切り離して進める「2トラック方式」で関係改善の姿勢をアピールできると踏んでいたが、慰安婦問題でも早期解決に動くよう米国にクギを刺され、朴大統領の6月中旬の訪米を前に、日本との懸案解決へと動かざるを得ない状況に追い込まれた。

6月10日
中国が2014年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に登録申請した慰安婦に関する資料をめぐり、父が撮影した写真が無断で証拠として申請されているとして、福岡市の産婦人科医、天児都(あまこ・くに)氏が、東京都内で記者会見を開き、「私は許可していない。中国は日本に『歴史に学べ』というが、歴史は事実に基づいてきちんと述べてほしい」と抗議した。中国は、慰安婦の強制連行や性奴隷だったことの証拠として提出している申請書類は全てオリジナルと主張している。それが事実ではなく、著作権を侵害した不適切なものが含まれ、ユネスコの規約に反していることが明らかになった。
天児氏の父で産婦人科医だった麻生徹男氏は戦時中、陸軍軍医少尉として中国各地を転々とした。問題の写真は、写真撮影が趣味の麻生氏が上海で撮った慰安所の写真で、麻生氏のアルバムには「楊家宅慰安所」とあり、「1938年2月7日」と撮影日時も記されている。天児氏は現在もネガフィルムを保存している。この写真は、平成元年にあるノンフィクション作家に持ち去られ、以後はさまざまな媒体で無断流用・誤用され続けている。麻生氏が上海で撮った別の写真は、南京大虐殺記念館で「南京の日本軍慰安所」と間違った説明をつけて展示されているという。

6月?
挺対協から支援を受け日本政府への抗議活動を続けてきた元慰安婦の李容洙が、週刊誌「未来韓国」の中で「日本が話し合おうといっているのに。会わずに問題が解決できようか」と挺対協のかたくなな姿勢を問題視した。また、挺対協が在韓日本大使館前での毎週行っている抗議集会について「何のためにしているのか分からない。ただ、『謝罪しろ』『賠償しろ』と叫んで集会の回数をこなせばいいというものではない」と疑問を呈した。「なぜ自分たちの思うままにやるのか分からない」と挺対協の独善的な姿勢を問題視し、「抗議を毎週やれば性格も態度も悪くなり、健康にもよくない。挺対協の人たちは闘争家の側にいるようだ」とも批判した。一方、「証言は私の命同然なのに、挺対協は本人に確認もせず、事実とは異なる証言集を出した」と挺対協の情報収集のずさんさも指摘。「静かな場所で証言を聞かねばならないのに、食事をしながら問答したのが大部分。そのために、(自分の)証言にはめちゃくちゃになったものが多い」とも語っている。一方で、1965年の日韓請求権協定に触れ「日本から援助を受け浦項製鉄を作り、京釜高速道路を建設したのはいいことだ。あの時の金で(韓国が)経済発展をしたのなら、今度は韓国政府が慰安婦問題の解決に積極的になり、日本に先立ち私たちに賠償してほしい」とも述べている。また、「問題を解決するなら、韓国政府が慰安婦団体と被害者らを一つの場に集めて議論し、意見を聞かなければならない。そうすれば、被害者らが何を望んでいるかが分かり、解決策が出てくる」と韓国政府に訴えている。

7月1日
挺対協や「ワシントン挺身隊対策委員会」などが、米首都ワシントンの日本大使館前で日本政府への抗議集会「水曜デモ」を行った。水曜デモはソウルの日本大使館前で毎週実施されている反日行動。ワシントンの大使館前にはソウルの慰安婦像を模した小さな人形が置かれ、約50人が集まった。大使館に向かって「正義を!」と声を上げ、子供たちが韓国の民族衣装で行進。「真珠湾を忘れるな」という慰安婦問題と直接関係のないプラカードを掲げる人物もいた。この後、集会の代表者が天皇、皇后両陛下に宛てて、安倍晋三首相が謝罪するよう「支援」を求める文書を日本大使館員に手渡した。

7月13日
韓国の元慰安婦女性2人が、第2次世界大戦中に「性奴隷」の扱いを受けたことは人権侵害にあたるなどとして、日本政府や日本企業に2千万ドル(約26億円)の損害賠償を求める訴えを米サンフランシスコの連邦地裁に起こした。訴訟対象には、昭和天皇や天皇陛下、岸信介元首相、安倍晋三首相、戦時中に旧日本軍と関係のあった日本企業などのほか、産経新聞も含まれている。

7月27日〜
ジュネーブの国連女子差別撤廃委員会の準備会合に杉田水脈前衆院議員や、民間団体なでしこアクションなどが参加。朝日新聞の誤った報道とそれによって海外に広まった誤った情報などを指摘するスピーチを行った。同委員会の委員らにとっては初耳の内容で、日本政府に問い合わせることとなった。このことが翌2016年2月の同委員会における日本政府の反論につながっていく。

8月11日
オーストラリア最大都市シドニー郊外のストラスフィールド市で、韓国系と中国系市民らが公共の場に「慰安婦像」を設置するよう嘆願していた問題で、同市は特別議会を開き、全会一致で設置を認めないことを決めた。中韓系市民らは「旧日本軍が少女らに売春を強要していた」と主張し、豪州内で慰安婦像を10カ所設置するなどと表明してきたが、自治体による初の判断が示され、今後、実現は困難になった。この日の採決に先立つ公聴会では、反対派の市民が「慰安婦像設置の本質は反日運動で、地域社会の分断につながる」などと訴えていた。今回の問題で同市議会は昨年4月、判断を連邦や州政府に委ねると決議したが差し戻されていた。

8月13日
国内外で記者会見や講演を続けている元朝日新聞記者の植村隆が、韓国政府系機関の東北アジア歴史財団の会議室(ソウル市内)で記者会見。1991年に書いた記事への批判をめぐり、名誉毀損の訴訟を起こしたことについて「(自分の記事が)ねつ造でないことが証明されれば、(自分は)ひとりの有名な記者になる」と述べ、さらに「こんな些細なこと(1991年の記事で「慰安婦=挺身隊」という表現を使ったこと)で騒ぐことは慰安婦に対する冒涜であり、慰安婦の尊厳のためにも負けられない」とも語った。

9月12日
旧日本軍による慰安婦強制連行など事実とは異なる記述を米国の公立高校の世界史教科書が掲載している問題で、米教育出版社に修正を要請した日本政府を批判する声明を出した米歴史家20人に対し、日本人学者50人がこの日までに反論を発表した。米国人学者が歴史的事実の間違いとの指摘に向き合おうとせず、公正性を欠いているなどとして、学者や教育者としての姿勢を問う内容になっている。
米国人学者の声明は、日本政府が前年11月に在米公館を通じて教科書を出版するマグロウヒル社と慰安婦の部分を記述した教授にそれぞれ記述の修正を要請したことを受け、出された。日本政府による修正要求を拒否する内容で、3月の米国歴史学会の機関誌で投稿の形で掲載された。
これに対する反論文は、伊藤隆・東京大学名誉教授や田中英道・東北大学名誉教授ら著名学者9人が呼びかけ、有志が署名した。

9月22日
米カリフォルニア州サンフランシスコ市議会で、慰安婦碑または像の設置を支持する決議案の採決が行われ、全会一致で採択された。同市では、反日中国系団体などが公共スペースに慰安婦像を設置する計画を進めており、決議案採択でこうした動きが一層加速するとみられる。決議案は同年7月、市議11人のうち8人が共同提案。代表提案者は中国系のエリック・マー(馬兆光)市議。市議会本会議や委員会で公聴会が開かれ、9月17日には、韓国から訪米した元慰安婦がスピーチしていた。決議案の採択を受けて直ちに像や碑が設置されるわけではないが、設置運動は市議会の支持を得て推進されることになる。中国系団体による米国での像や碑の設置は初となる。

9月22日
韓国政府は、小学校(5、6年)と中学、高校で「慰安婦」に関する歴史教育を実施すると発表し、ソウルや主要地方都市の学校で同日から試験的に授業を開始した。翌年から全国の学校で全面的に実施する。

9月28日
韓国の朴槿恵大統領は国連総会の一般討論演説で慰安婦問題や日本の安全保障関連法に言及、日本政府に的確な対応を求めた。

10月15日
在米ベトナム人の団体がワシントンで記者会見し、ベトナム戦争当時、韓国軍兵士から性的暴行を受けたというベトナム人女性らが、訪米中の朴槿恵大統領に謝罪を求めた。被害者を支援するノーム・コールマン元上院議員は被害者の数を「数千人」と見積もり、このうち生存しているのは「約800人」だと説明している。同時にこの団体は15日付米紙ウォールストリート・ジャーナルに、被害者に対する公式な謝罪を朴大統領に求める内容の意見広告を掲載した。

10月28日
ソウルの城北区で、韓国人と中国人の慰安婦を象徴する「少女像」2体が設置され、中韓共同での除幕式が行われた。韓国人少女像は、在韓国日本大使館前の慰安婦像を作った韓国の彫刻家夫妻が製作。中国人少女像は、中国の映画制作者と精華大学美術学科の教授が作った。設置場所は城北区が提供し、費用は中韓の市民団体などが支援した。中韓の慰安婦を象徴する像が並んで設置されたのは初めて。

11月4日
3年半ぶりに日韓首脳会談が行われた。慰安婦問題を将来世代の障害にしないため、早期の妥結を目指して外務省局長級による交渉の加速化で一致。韓国側は年内妥結を要求した。

11月19日
この日までに、ソウル東部地検が、慰安婦問題の研究書「帝国の慰安婦」で、慰安婦を一部で「売春婦」などと表現し元慰安婦の女性らの名誉を毀損したとして、著者の朴裕河・世宗大教授を在宅起訴した。元慰安婦の女性ら約10人は14年6月に朴氏を告訴。ソウル東部地裁は15年2月、女性らが同書の出版や広告を禁じるよう求めた仮処分申し立ての一部を認める決定を出し、出版社は問題とされた部分の文字を伏せ、出版していた。

11月24日
韓国の元慰安婦の女性2人が日本政府や産経新聞社などの日本企業を相手取って米サンフランシスコの連邦地裁に起こした訴訟で、同連邦地裁は、産経新聞社に関する提訴につき原告の訴えを却下すると書面で決定した。担当判事は、同連邦地裁に産経新聞社に対する裁判管轄権は認められないと判示した。元慰安婦は同年7月、昭和天皇や天皇陛下、岸信介元首相、安倍晋三首相のほか、戦時中に旧日本軍と関係があったとされる日本企業や慰安婦問題について報道している産経新聞社を相手取って慰安婦1人当たり2000万ドル(約24億円)の損害賠償を求めて提訴した。

11月26日
ソウル東部地検が朴裕河・世宗大教授を在宅起訴したことを受け、河野洋平元衆院議長ら有志が起訴に抗議する声明を発表した。賛同人には日本の元政治家や研究者ら54人が名を連ねた。
声明全文と賛同人名簿

11月26日
元朝日新聞記者で北星学園大の非常勤講師の植村隆が同大学長と記者会見を開き、2016年3月から韓国の私立「韓国カトリック大学校」に招聘教授として就任することを発表した。植村は「私への攻撃を生んだ、捏造記者というでっち上げに対する私の闘いは言論の場、法廷の場に続きます。この闘いに負けるわけには決していきません」などと述べた。

12月2日
「帝国の慰安婦」の著者・朴裕河教授がソウル市内で記者会見し、「検察の非人権的な調査と起訴に強く抗議する」と主張した。地検などが著書の内容をきちんと確認していないとして、今後、反論資料を公表するという。慰安婦を巡る学術研究が捜査対象となった今回の事件は韓国国内でも波紋が広がっており、韓国の大学教授ら約190人が連名で同日、抗議声明を発表した。

12月17日
朴槿恵大統領の名誉を毀損したとして2014年10月8日に在宅起訴されていた産経新聞の加藤達也前ソウル支局長に対し、ソウル中央地裁は無罪を言い渡した。同月22日、韓国検察は控訴を断念、無罪が確定した。加藤氏への刑事訴追については、日本だけでなく海外からも「報道の自由」を損なうものだとして、韓国側に対し懸念が表明されていた。

12月23日
韓国憲法裁判所が、日韓国交正常化の際に締結された日韓請求権協定の違憲性についての判断を避け、個人請求権に関する訴えを却下した。17日の加藤氏無罪判決とともに、朴槿恵政権が日本側に配慮を示したと推測される。

12月28日
安倍首相の指示により訪韓した岸田外務大臣が、ソウルで尹炳世外相と会談を行った。
両政府は慰安婦問題について「最終的かつ不可逆的に解決される」との認識で合意し、国際社会で非難、批判することを控えると確認した。また、元慰安婦を支援する事業のため韓国政府が財団を設立し、日本政府が予算10億円程度を一括拠出することでも一致した。
両氏は会談後、共同記者発表で合意内容を公表。岸田氏は「軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた。日本政府は責任を痛感している」と述べ、「安倍晋三首相は心からおわびと反省の気持ちを表明する」と説明。一方、尹氏は在ソウル日本大使館前の慰安婦像の撤去に関して、「韓国政府として可能な対応方向について関連団体との協議を行い、適切に解決されるよう努力する」と述べた。
日韓両外相共同記者発表(外務省サイト)
岸田氏はこの後、記者団に「この問題に終止符を打った」と強調。「(合意は)歴史的で画期的な成果だ。これらにより日韓関係は未来志向の新時代へと発展する」と指摘し、「日韓、日米韓の安全保障協力も前進する素地ができた。北東アジア地域の平和と安定に貢献し得る」と語った。財団への資金拠出については「日韓で協力して事業を行うものであり、『賠償』ではない」と明言した。
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産への慰安婦問題に関する資料登録をめぐっては、「韓国が申請に加わることはないと認識している」と期待を示した。
安倍首相は同日夕、官邸で記者団に対し、「8月の70年談話で申し上げた通り、歴代内閣は反省とおわびの気持ちを表明してきた。その思いに揺るぎはない。子や孫に謝罪し続ける宿命を背負わせるわけにはいかない。その決意を実行に移すための合意だ」と述べた。
日本では、これまで韓国寄りの立場を取り、安倍政権の対応を批判してきた社民党や共産党、村山富市元首相、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞などが相次いで合意を歓迎。一方で、保守層からは反発の声が多数出た。
韓国では、挺対協が合意に激しく反発する声明を発表し、その中で「小を得るため大を渡してしまった韓国政府の外交は、あまりにも屈辱的である」「今後日本軍『慰安婦』問題を口にしないという韓国政府の姿に心底から恥ずかしく失望した」「国民のこのような願いを徹底的に裏切った外交的談合」などと述べ、抗議活動を今後も続けることを表明した。
また、韓国の最大野党「共に民主党」の文在寅代表も、合意を「非常に不十分だ」と批判し、「慰安婦問題解決の核心は日本政府の法的責任の認定、また法的責任に基づいた公式謝罪と賠償だが、今回の合意はこの3つが回避された」と指摘した。

12月29日
アメリカ、イギリス、ドイツ、オーストラリアなどの各政府や、国連の潘基文事務総長から日韓合意を歓迎する声明が出された。
同日、韓国政府高官が元慰安婦らと面会し、合意内容への理解を求めたが、多くの元慰安婦は反発し、事実上の門前払いだった。
また、アメリカで慰安婦像の設置などを推進してきた韓国系の団体「KAFC」などが、合意内容は不十分だとして今後も活動を続ける方針を示したが、これに対し、米国務省のトナー副報道官はこの日の記者会見で、「アメリカにいる人も含め合意を支持することを強く望んでいる」と述べ、自制を呼びかけた。

12月30日
日韓合意から初めてとなる抗議集会がソウルの日本大使館前で開かれ、元慰安婦や挺対協などの支援団体および学生ら700人(警察発表)が日韓両政府を激しく非難し、「慰安婦像の撤去や移転への韓国政府の介入はあり得ない。韓日両政府は、さらに重い歴史的責任を負い続ける」と訴えた。挺対協は、像の設置を国内外にさらに広げると宣言した。

12月31日
韓国大統領府が日韓合意について2度目となる国民向けメッセージを発表した。「合意を受け入れず、白紙に戻せと言うなら、政府には元慰安婦の存命中にこれ以上何もする余地がないということを分かってほしい」「これまで民間の努力では全く進まなかったのに、まるで政府が誤った交渉をしたかのような世論を醸成することは、決して被害者にプラスにならない」という内容で、明らかに挺対協などの団体を念頭に置いたものだった。しかし、挺対協はこれを全く無視する形で、日本政府が一括拠出すると表明したのと同じ10億円規模の慰安婦支援財団を自主的に設立するとして、募金受付を始めた。挺対協はこれまでも韓国における日本軍慰安婦問題の「事実上の決定権」を持っているとされてきたが、それが如実に表れた形。
また、尹炳世外相はこの日、与党・セヌリ党の国会議員に合意について説明した中で、「日本のメディアで事実と異なる報道がされている」と不快感を示した。これは日本のメディアが「日本政府がソウルの日本大使館前の慰安婦像が『撤去』あるいは『移転される』との認識を示している」などと報じているものを指すが、韓国政府は「撤去すると約束したわけではない」とする立場を取っている。
また、元慰安婦12人が2013年8月に日本政府を相手に賠償を求める調停を韓国で起こし、2015年10月に正式訴訟への移行を求めていた件で、ソウル中央地裁はこの日までに、訴訟を開始する決定を出した。これにより、政府合意とは別に司法手続きが進むこととなったが、国際法では国家は外国の裁判権に服さないとの「主権免除」の原則があり、実質的な審理が行われるのかは不明。
一方、台湾の馬英九総統は日韓合意を受け、この日、台湾の元慰安婦ら(4人が存命)と面会し、日本に謝罪と賠償を要求すると語った。元慰安婦の代表者は、韓国と同様の対応を受けられるよう強く訴えた。台湾外相は「来月初旬にも日本側と協議を行う」との見通しを示した。ただ、台湾では2016年1月16日に総統選を控えている。


※続き(2016年1月〜)はこちらです。
 http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid2145.html





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※参考サイト
Wikipedia>慰安婦の年表
国民が知らない反日の実態>従軍慰安婦問題の年表
産経新聞2014年10月19日朝刊大阪版>現代史家・秦郁彦氏に聞く 慰安婦問題 政府どう取り組むべきか(慰安婦問題めぐる経緯(表))
週刊文春臨時増刊 「慰安婦」捏造と「朝日新聞」 2014年 10/3号
どうして日本はこうなった!(2014/1/16)
韓国政府、慰安婦募集広告ページを消去(enjoy Korea 2007/03/05)


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14/8/5付:朝日新聞が慰安婦報道で長〜い言い訳。国際問題化させてしまった責任をまるで感じていない。
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15/6/22付:唐突に慰安婦を登場させるヒストリーチャンネル
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※拙ブログ関連エントリー(日韓合意以降)
 慰安婦問題(2)に掲載しています。
  http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid2145.html





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Comments

トピックの内容から離れてしまうことをお許しください。
ご存知かもしれませんが、行橋市で、たった一人で外国人特権や共産党議員の公務員に対する赤旗勧誘に切り込んでいる市議がいらっしゃいます。
ぜひご一読いただければと思い書き込ませて頂きました。
お目汚し失礼いたしました。
nori | 2014/10/28 12:36 AM
すばらしい。
慰安婦騒動の歴史は日本人にとって屈辱の歴史です。
一読者 | 2014/10/28 11:08 PM
くっくり様

初めて書き込み致しますが、大変貴重な年表の作成、お疲れ様です。
これから様々な書籍、資料を読む際に参考にさせて頂きますm(_ _)m
ash | 2014/10/29 02:01 AM

noriさん


行橋市議会議員 小坪慎也さんですね。
URLのところにアドレス入れておきました。
南大阪の田舎者 | 2014/10/29 07:38 PM
南大阪の田舎者さん

お手数をおかけしまして申し訳ありません。
urlを入れるのをすっかり忘れておりました。^^;

ありがとございました。
nori | 2014/11/01 09:26 PM

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