桜と日本人の感性
そろそろ桜の季節ですね〜(^o^)
この時期になると何だかワクワクしちゃうって方も多いんじゃないでしょうか。
あ、でも花粉症の季節と重なっちゃってイマイチって方もおられるかも……。私も軽く花粉症(というか年中アレルギー)なのでその気持ち、少しだけ分かります(T^T)
今日はYouTubeから桜にまつわる楽曲特集をお送りします。なるたけ映像的にも楽しめるものをピックアップしました。
あと、桜と日本人にまつわるお話なんかもいろいろと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■Sakura Japanese folk song 1/『さくらさくら』(日本古謡)
■Sakura,Japanese traditional folk song/『さくらさくら』(日本古謡)
■Sakura (cherry blossom) 桜 花見/『さくらさくら』(日本古謡)
■2007 Sakura (Cherry Blossom), Nijo-jo Castle
この動画のみ音楽なしです。
■2000年『桜坂』(福山雅治)
■2002年『さくら』(綺羅)
あまり知られてないと思いますが、詩・曲ともに美しく超オススメ!
■2003年『さくら(独唱)』(森山直太朗)(学校の卒業式バージョン)
■2003年『さくら(独唱)』(森山直太朗)(自衛隊音楽隊バージョン)
■2005年『さくら』(ケツメイシ)(桜情景バージョン)
■2005年『桜』(コブクロ)
■2007年『さくら』(高野健一)
■2007年『さくら』(大山裕)
■2008年『花は桜 君は美し』(いきものがかり)
■2008年『さくら』(高野千恵)
■2008年『桜ノ雨』(absorb)
ニコニコ動画に発表した「桜ノ雨」初音ミク・ヴァージョンがブレイク。
■2009年『Sakura』(レミオロメン)
これ以外にもたくさんあるんでしょうが、J-POPにはあまり詳しくなくて(T^T)。もし他にオススメの曲があったら教えて下さい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「桜」の歌と言われて私が最初にぱっと浮かぶのは、やはり日本古謡の「さくらさくら」ですね。
ただ、ここ数年は森山直太朗さんの「さくら」にも惹かれています。
この動画を見たのがきっかけです。
■真実はどこに(swf版こちら)
有名な動画で、拙ブログでも過去に何度か紹介しています。まだご覧になったことのない方はぜひ!
同じ歌で、最近はこういうのも作られてるようです。
■神風特別攻撃隊 さくら(独唱)
やはり歌詞の中の、
「刹那に散るゆくさだめと知って さらば友よ 旅立ちのとき」
「輝ける君の未来を 願うほんとの言葉」
「いつか生まれ変わる時を信じ 泣くな友よ 惜別のとき」
「さらば友よ またこの場所で会おう さくら舞い散るみちの上で」
といった箇所が、当時の兵隊さんの宿命とか、靖国神社とかを彷彿とさせるのかなと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは昨年「お気楽くっくり」で紹介した話なんですが——
幕末から明治にかけて日本に滞在した欧米人の多くが、日本人の特徴の一つとして挙げている事柄があります。
それは「貧しい階層ですら芸術や自然を愛している」というものです。
欧米ではそれらを愛するのは富裕層だけなのに、日本はそうではないので驚いているのです。
特に日本人の「花好き」は特筆すべきものだったようで、たとえば、植物採集のため幕末の日本を訪れていたイギリス人のロバート・フォーチュンは、『幕末日本探訪記』(三宅馨訳)の中でこう述べています。
「日本人の国民性のいちじるしい特色は、下層階級でもみな生来の花好きであるということだ。…もしも花を愛する国民性が、人間の文化生活の高さを証明するものとすれば、日本の低い層の人びとは、イギリスの同じ階級の人達に較べると、ずっと優って見える」
フォーチュンは万延元年(1860年)の秋から年末まで1回目の来日を果たし、翌年4月、再来日しました。
春に日本に来た時は見事な八重桜などを目にし、「どこの国でも春は美しいが、日本の春は格別だ」と書き記しています。
「貧しい階層ですら芸術や自然を愛している」「花を愛する国民性」——、もちろんそれは現代の日本人にも当てはまります。
そして日本人は数ある花の中でも、とりわけ桜が好きですよね。私は生まれてこの方、桜が嫌いだという人にお目に掛かったことがありません。
日本人の桜好きは、日本人特有の感受性と大きく関係しているような気がします。
ぱっと咲いて、さっと散って行く。そこに「もののあわれ」を感じるというか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「もののあわれ」と言えば、藤原正彦さんが『国家の品格』の中でこのような話を披露しています。
——日本人は「もののあわれ」、すなわち人間のはかなさや、悠久の自然の中で移ろいゆくものに美を発見しますが、日本文学者のドナルド・キーン氏によると、これは日本人独特の感性なのだそうです。
たとえば、日本人は秋の虫の声を聞くと秋の憂愁に心を静ませます。虫の音を音楽として聴き、そこに「もののあわれ」さえ見出します。ごく普通の庶民ですらそうです。
が、欧米人にとっては、稀に見る詩人を除けば、虫の声は「ノイズ」でしかなかったりするのだと。
虫の音を楽しむというのは、欧米にはもちろん中国や韓国にもないことだそうです。
数年前、藤原さんの家に、日本の中世文学を専攻するイギリス人が遊びに来たそうです。
その時、藤原さんが「日本の中世文学を勉強するうえで何が難しいですか」と尋ねたところ、彼はただちに「もののあわれだ」と答えたのだそうです。
イギリスにもそういう感性は勿論あるけれども、日本人ほど鋭くないそうで、「もののあわれ」に対応する英語も、それに近い英語も存在しないそうです。
この日本人の感性の鋭さの一例が、桜の花に対するものだと、藤原さんは言います。
桜は本当に綺麗に咲くのはたったの3、4日で、あっという間に散ってしまう。そのたったの3、4日に命をかけて潔く散っていく桜の花に、日本人は人生を投影し、そこに他の花とは別格の美しさを見出している。
たとえば、アメリカにも桜はありますが、アメリカ人にとって桜は「オー・ワンダフル、ビューティフル」と眺める対象にすぎず、そこにはかない人生を投影するヒマ人はいないそうです。
「もののあわれ」の他にも、日本人は自然に対する畏怖心や、跪(ひざまず)く心を元来持っています。
が、欧米人にとって自然は、人類の幸福のために征服すべき対象です。
(たとえば、昭和21年にGHQの諮問機関のメンバーとして来日したヘレン・ミアーズも著書『アメリカの鏡・日本』の中で、「私たち(アメリカ人)は自然を征服することを考えた。日本人は自然を敬い、たいせつにした」と述べています)
日本人は自然に聖なるものを感じ、自然と調和し、自然とともに生きようとした。そういう非常に素晴らしい自然観があり、だからこそ神道が生まれた。
この情緒が、ある意味で日本人の民族としての謙虚さを生んできたと、藤原さんは言うのです。
さらに日本人は自然と心を通わせるという得意技を持っていて、俳句などはその好例であると、藤原さんは言います。
評論家の森本哲郎氏がドイツを旅行していた時、列車の中でこんなことがあったそうです。
彼は芭蕉の俳句集を読んでいたのですが、前に座ったドイツ人大学生に「何を読んでるんだ?」と聞かれました。
「俳句だ」と答えると、「俳句って何だ?」となったので、「枯れ枝に 烏(からす)の止まりたるや 秋の暮れ」という句を訳してあげたのだそうです。「枯れ枝に烏が止まっています。秋の暮れ」と。
するとその大学生は、こう言ったそうです。「それで?」
欧米人にとっては、それではストーリーは何も始まっていないのです。だから「それで?」と。
でも、日本人で「それで?」と聞き返す人はいません。聞いた瞬間に誰でも、沈む夕日を背に、枯れ枝がスッと伸びていて、烏がポツンと止まっている姿が思い浮かぶ。そして秋の憂愁が村全体、町全体、国全体を覆っていくイメージがすぐに湧く。
人によりニュアンスの相違はあれ、こんなことを日本人なら誰でも瞬間的に思い描く。
「古池や 蛙(かわず)飛び込む 水の音」という有名な芭蕉の句も、日本人なら、森閑(しんかん)としたどこかの境内の古池に、蛙が一匹ポチョンと飛び込む光景を想像できるし、その静けさを感じ取ることもできます。
が、日本以外の多くの国では、古い池の中に蛙がドバドバッと集団で飛び込む光景を想像するのだとか。
このように自然と心を通わせられるような、素晴らしい感性を日本人は備えていると、藤原さんは言うのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
調子に乗って俳句の話まで紹介してしまいました(^_^;
実際のところ、桜はよその国でも見ることができます。
だけど、私たちは日本に生まれたおかげで、他国の人では味わうことのできない独特の感性をもって桜を堪能できる。
それはとても幸運であり、幸せなことだと私は思います。
※関連リンク
・お花見特集 桜前線とれたて便2009:るるぶ.com
・桜前線研究所:2009年桜の開花予想
・桜前線 さくらマッピング
※拙ブログ関連カテゴリ
・日本と日本人
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こちらも動画紹介。ハマると抜け出せないのでご注意。
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あまり知られてないと思いますが、詩・曲ともに美しく超オススメ!
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■2003年『さくら(独唱)』(森山直太朗)(自衛隊音楽隊バージョン)
■2005年『さくら』(ケツメイシ)(桜情景バージョン)
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■2007年『さくら』(高野健一)
■2007年『さくら』(大山裕)
■2008年『花は桜 君は美し』(いきものがかり)
■2008年『さくら』(高野千恵)
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これ以外にもたくさんあるんでしょうが、J-POPにはあまり詳しくなくて(T^T)。もし他にオススメの曲があったら教えて下さい。
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「いつか生まれ変わる時を信じ 泣くな友よ 惜別のとき」
「さらば友よ またこの場所で会おう さくら舞い散るみちの上で」
といった箇所が、当時の兵隊さんの宿命とか、靖国神社とかを彷彿とさせるのかなと。
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これは昨年「お気楽くっくり」で紹介した話なんですが——
幕末から明治にかけて日本に滞在した欧米人の多くが、日本人の特徴の一つとして挙げている事柄があります。
それは「貧しい階層ですら芸術や自然を愛している」というものです。
欧米ではそれらを愛するのは富裕層だけなのに、日本はそうではないので驚いているのです。
特に日本人の「花好き」は特筆すべきものだったようで、たとえば、植物採集のため幕末の日本を訪れていたイギリス人のロバート・フォーチュンは、『幕末日本探訪記』(三宅馨訳)の中でこう述べています。
「日本人の国民性のいちじるしい特色は、下層階級でもみな生来の花好きであるということだ。…もしも花を愛する国民性が、人間の文化生活の高さを証明するものとすれば、日本の低い層の人びとは、イギリスの同じ階級の人達に較べると、ずっと優って見える」
フォーチュンは万延元年(1860年)の秋から年末まで1回目の来日を果たし、翌年4月、再来日しました。
春に日本に来た時は見事な八重桜などを目にし、「どこの国でも春は美しいが、日本の春は格別だ」と書き記しています。
「貧しい階層ですら芸術や自然を愛している」「花を愛する国民性」——、もちろんそれは現代の日本人にも当てはまります。
そして日本人は数ある花の中でも、とりわけ桜が好きですよね。私は生まれてこの方、桜が嫌いだという人にお目に掛かったことがありません。
日本人の桜好きは、日本人特有の感受性と大きく関係しているような気がします。
ぱっと咲いて、さっと散って行く。そこに「もののあわれ」を感じるというか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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——日本人は「もののあわれ」、すなわち人間のはかなさや、悠久の自然の中で移ろいゆくものに美を発見しますが、日本文学者のドナルド・キーン氏によると、これは日本人独特の感性なのだそうです。
たとえば、日本人は秋の虫の声を聞くと秋の憂愁に心を静ませます。虫の音を音楽として聴き、そこに「もののあわれ」さえ見出します。ごく普通の庶民ですらそうです。
が、欧米人にとっては、稀に見る詩人を除けば、虫の声は「ノイズ」でしかなかったりするのだと。
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この日本人の感性の鋭さの一例が、桜の花に対するものだと、藤原さんは言います。
桜は本当に綺麗に咲くのはたったの3、4日で、あっという間に散ってしまう。そのたったの3、4日に命をかけて潔く散っていく桜の花に、日本人は人生を投影し、そこに他の花とは別格の美しさを見出している。
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「もののあわれ」の他にも、日本人は自然に対する畏怖心や、跪(ひざまず)く心を元来持っています。
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(たとえば、昭和21年にGHQの諮問機関のメンバーとして来日したヘレン・ミアーズも著書『アメリカの鏡・日本』の中で、「私たち(アメリカ人)は自然を征服することを考えた。日本人は自然を敬い、たいせつにした」と述べています)
日本人は自然に聖なるものを感じ、自然と調和し、自然とともに生きようとした。そういう非常に素晴らしい自然観があり、だからこそ神道が生まれた。
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評論家の森本哲郎氏がドイツを旅行していた時、列車の中でこんなことがあったそうです。
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「俳句だ」と答えると、「俳句って何だ?」となったので、「枯れ枝に 烏(からす)の止まりたるや 秋の暮れ」という句を訳してあげたのだそうです。「枯れ枝に烏が止まっています。秋の暮れ」と。
するとその大学生は、こう言ったそうです。「それで?」
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でも、日本人で「それで?」と聞き返す人はいません。聞いた瞬間に誰でも、沈む夕日を背に、枯れ枝がスッと伸びていて、烏がポツンと止まっている姿が思い浮かぶ。そして秋の憂愁が村全体、町全体、国全体を覆っていくイメージがすぐに湧く。
人によりニュアンスの相違はあれ、こんなことを日本人なら誰でも瞬間的に思い描く。
「古池や 蛙(かわず)飛び込む 水の音」という有名な芭蕉の句も、日本人なら、森閑(しんかん)としたどこかの境内の古池に、蛙が一匹ポチョンと飛び込む光景を想像できるし、その静けさを感じ取ることもできます。
が、日本以外の多くの国では、古い池の中に蛙がドバドバッと集団で飛び込む光景を想像するのだとか。
このように自然と心を通わせられるような、素晴らしい感性を日本人は備えていると、藤原さんは言うのです。
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実際のところ、桜はよその国でも見ることができます。
だけど、私たちは日本に生まれたおかげで、他国の人では味わうことのできない独特の感性をもって桜を堪能できる。
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Comments
花の下にて
春死なん
かの如月の
望月のころ
西行
彼は北面の武士の地位を捨て、家族をも捨て詩歌の道に奔ったそうですね。そしてまさに上記の歌のごとく死んだそうです。
彼の辞世は確か、
仏には
桜の花を
奉れ
もし後の世が
われ弔わば
だったと思います。
でも私が好きなのはやはり、
敷島の
大和心を
人問わば
朝日に匂う
山桜かな
ですね。
願わくば桜花の如く、満開の花を咲かせたまま、潔くこの世を辞したいと心から願います。
その一方で、醜悪な銭の花を咲かせ、「秘書が秘書が」、「国策捜査だ」と潔さの一片も無く、地位と金に執着する某党の党首には、桜の木に繁殖する毛虫の糞がお似合いかと存じます。
当時は大病から復活したばかりで、しばらくベンチに座って、お花見に来る人や神社をぼーっと眺めながら座って何度も聞きました。
…自然に涙が出てしまったのは言うまでもありません。
僕も桜には不思議と思い入れがあります。
ホント、花粉症と黄砂さえなければ最高の季節なのになあ…。
桜にまつわるオススメの曲を、ということなので僭越ながら一曲ご紹介。
『桜の花、舞い上がる道を』 / エレファントカシマシ
http://www.youtube.com/watch?v=73pHB1D1o2Y
昨年、東京新聞のCMで流れていてハマりました。
メロディーはもちろん、桜の花が「咲く」「散る」ではなく、「舞い上がる」と表現しているところが好きです。
外国人なら子供向きの詩から入ったらどうかなあとか思ったり。
ひばりのす
みつけた
まだたれも知らない
の様な。駄目かなw
それと沢山のさくらソングどうもです^^
自分さくらさくら大好きなんですよ。ちゅうか昔の歌もいい歌一杯あるのに、最近は音楽の教科書にも載らないですね。からたちの花とか早春賦とかも、メロディーも詩もとってもいいのに、最近の子は知らないんだろうな。自分も習わなかったけど…
故郷、荒城の月、花とかはまだ残ってるかな。
それは仕方ありません。
あちら(といっても、国土が広いので一概には言えませんが)の桜は日本のように数日で散ってしまう花ではありませんから。
気候の違いのせいか、日本より見ごろの期間が長いようです。なので「はかない」というイメージを抱くことはないでしょう。
まあ、はかなさ云々を抜いても、桜の開花がニュースになるのは、世界的に見ても珍しい話だそうですが(^_^;
毎年春先に、J-POPで桜を題材にした歌がリリースされることが、桜好きで歌に詠みたい国民性をあらわしているのかもしれません。
自らの無知を呆れるばかりです。
私にとっては桜よりも木蓮の花のほうが馴染み深かったりもしますが・・。
今年は桜よりも速く咲いたので、今年の夏は厳暑かもなぁと思っております。
春のうららの〜ってやつ
http://www.youtube.com/watch?v=uF_P1F6GVG8
どうも春になると、JR東海のCMに魅入ってしまいます。今年は醍醐寺です。
関西は、京都に限らず吉野山の下・中・上千本もあれば、動鳴気峡等、名所尽くしです。
政治界隈は、小沢さん絡みの事件が大詰めを迎えるばかりか、千葉県知事選や、北朝鮮との外交戦争の真っ只中になるわで、桜をのんびり眺める暇はなさそうです。
レミオロメン。
Bestを聴く日々です。
いきものがかり。
海外の方々にも好感触で嬉しいです。
桜ノ雨。
「&fmt=18」で聴き入っております。良い曲です。
紹介しようかと思っていましたが、先んじての紹介、ありがとうございます。
ささやかな口コミに励んでいましたが、ズームイン・ミヤネ屋でも紹介されたそうで。これは来ますよ!
エレカシも素晴らしい曲です。
基本的に「花よりチェリー・パイ」かと。
http://www.robinf.co.jp/cakes/2009-01.html
で、日本の場合、
中世以来の諸行無常・一期一会(サムサーラ)認識なのでは?
(菅原道真の頃までは、シナ風に「梅」だった)
付け加えれば…
春は「キ印」の人たちが萌えいずる季節でもあり、
満開の「さくら」が原因、とまでは言えないが、
それを誘ってる面はあるのでは?と(笑
ユダヤ、イスラム、キリスト教が、ギリシャのように多神教だったなら、世界はもう少し穏やかだったのではと思う今日この頃です。
僕は「満開のさくら」に狂おしいものを感じます。
去年の春の宵、
ある寺の山門にテントを張って寝るため
寺内の墓地を通って、一人歩いた。
一本道の左は大きな池、右手の丘は石塔が並ぶ墓地…
そして、立ち木の多くが「さくら」、花は満開。
「表象は何なのか?」と、
(本人は冷静…)周囲が狂おしかった(笑
最近はコブクロの「桜」にはまっています。「真実は何処に」のフラッシュも大好きです。
年を取れば取るほど、特攻隊や硫黄島など様々な場所で先人の皆様が最後まで必死になって戦って下さったからこそ、今日本が尊敬されているのだと感じるようになりました。日本の尊厳を水際でとどめて下さったのだと。
最近までそれば今ひとつ分かっていませんでした。
戦われた方々には感謝の気持ちで一杯です。
折しも自衛隊のソマリア派兵。一人の隊員さんも死傷せず帰ってこられるよう、いつもお祈りしています。
諸行無常
栄枯盛衰
を感じさせるものですなあ(^o^)
そんな日本人の人生観が凝縮して
いるのが「花見」と言うもの
でしょう。葉一つ付いていない
枝から花が咲き、散る頃に葉が
開き、秋になると落葉し再び
まるで眠っているかのように
葉ひとつ無い枝になると。
それが毎年繰り返されるのが
桜の魅力というものですなあ。
内容そのものは創作の部分もあろうが、そういった気持ちが特攻隊員にあり、後の日本人の為にわが身を犠牲に笑顔でゼロ戦に乗り込んだと思うと涙無くしてみることは出来ません。
その度に、自分が先達たちが望みを託した日本人であるのか?と考え、気持ちを入れ替えるばかりです。
日本のために消えた、たくさんの命。
その犠牲の上に日本の平和があり、私たちは生かされている。
懸命に咲く『桜の花』にその命が重なり涙がこぼれる。