独特の災害史観を持つ日本人は何度も立ち向かい乗り越えてきた
【画像:世界中から寄せられた日本への祈り - Pray for JAPAN - NAVER まとめより】
拙ブログでは、「外国人から見た日本と日本人」シリーズで東日本大震災に対する外国の人々の反応を3回に渡ってまとめましたが(まだ続く予定です)、彼らが一様に驚いたのは日本の被災者の次のような態度です。
被災を「現実」として静かに受け止め、パニックになったりしない。
周りの人たちと助け合い、冷静に、秩序正しく行動する。
列に並ぶよう誰が指示しなくても、静かに並び、割り込んだりしない。
泣き叫んだり、取り乱したり、誰かをガーガーと責め立てることもない。
中には不届き者もいて窃盗など起こったりするが、それらは散発的である。
大勢で略奪行為に走ったりしないし、ましてや暴動に発展したりすることもない。
こういった日本人の落ち着きやマナーはどこから来たのでしょうか?どうやって生み出されたのでしょうか?
日本人特有の宗教観?自然観?武士道精神?
そんなことを考えながら、「WiLL」最新号(2011年5月号)を読んでましたら、財団法人国土技術研究センター理事長である大石久和氏の論文の中に、ひとつの答えを見つけました。
論文のタイトルは【日本人の自然災害史観 日本人は必ず立ち上がる】。
その主張を一言で言うと、「日本人の独特の精神性は、日本の『脆弱国土』と『繰り返し起こる災害』によってはぐくまれたものだ」というものです。
<以下、青い文字は大石氏の原文引用、それ以外は私の要約>
拙ブログでは、「外国人から見た日本と日本人」シリーズで東日本大震災に対する外国の人々の反応を3回に渡ってまとめましたが(まだ続く予定です)、彼らが一様に驚いたのは日本の被災者の次のような態度です。
被災を「現実」として静かに受け止め、パニックになったりしない。
周りの人たちと助け合い、冷静に、秩序正しく行動する。
列に並ぶよう誰が指示しなくても、静かに並び、割り込んだりしない。
泣き叫んだり、取り乱したり、誰かをガーガーと責め立てることもない。
中には不届き者もいて窃盗など起こったりするが、それらは散発的である。
大勢で略奪行為に走ったりしないし、ましてや暴動に発展したりすることもない。
こういった日本人の落ち着きやマナーはどこから来たのでしょうか?どうやって生み出されたのでしょうか?
日本人特有の宗教観?自然観?武士道精神?
そんなことを考えながら、「WiLL」最新号(2011年5月号)を読んでましたら、財団法人国土技術研究センター理事長である大石久和氏の論文の中に、ひとつの答えを見つけました。
論文のタイトルは【日本人の自然災害史観 日本人は必ず立ち上がる】。
その主張を一言で言うと、「日本人の独特の精神性は、日本の『脆弱国土』と『繰り返し起こる災害』によってはぐくまれたものだ」というものです。
<以下、青い文字は大石氏の原文引用、それ以外は私の要約>
大石氏はまず、日本が「脆弱国土」であり、「厳しい自然条件」であり、他国に比べ、次の9つの大きな「ハンディキャップ」を背負っていると解説します。
(1)細長い国土
放射状の交通ネットワークを構築しづらい。
(2)四島
海峡が陸地を分断。多数の島嶼部で構成されている。
(3)脊梁(せきりょう)山脈
細長い国土を2000メートル級の山脈が縦貫し、日本海側と太平洋側に二分している。面積の7割が山岳地帯。河川は急勾配で短く、流域面積が小さいため、降雨域に上流から下流まで収まってしまう。そのため、河川の氾濫を引き起こしやすい。
(4)平野
そもそも平野部や可住地が少なく、河口部か山間盆地にある狭い平野が分散している。
(5)軟弱地盤
大都市はすべて河口部の軟弱な地盤の上にある。
(6)地震
国土面積は世界の地表面積の0.25%しかないにもかかわらず、マグニチュード4以上の地震の約10%が日本で発生し、マグニチュード6以上では全世界の約20%が日本で発生している。
(7)豪雨
地球総平均の2倍以上の年間降雨量だが、梅雨末期と台風期に集中。そのため水害が多い。
(8)強風
台風の通り道に沿うかのように日本列島が展開しており、直接影響を受ける。
(9)豪雪
国土面積の60%が積雪寒冷地域にある。
つまり、ヨーロッパなどに比べて、日本は耐震や水害に注意を払い、対策をするというハンディを背負っている。そして先人たちは大変な苦労と投資を積み重ねつつ、ここまで国を発展させてきたのであると。
また、大石氏は「災害が歴史を動かしてきた」との持論を展開、その一例として幕末を挙げています。
1855年、安政江戸地震が起こり7400人以上が死亡しましたが、その翌年にも江戸では安政の大風災が起こり、大低気圧による高潮で10万人もの人々が家屋倒壊による轢死や溺死しています。
実はこの時期は江戸以外でも災害が頻発しており、安政伊賀地震、安政東海地震、安政南海地震が続けざまに発生し、三陸・北海道では津波の被害もありました。
これら連続した自然災害が、民衆を言い知れぬ不安に陥れたことは間違いなく、また、日本には「社会が不安定だと災害が起こる」との感覚が元々あったため、知識人も「本当に今のままの政治体制で大丈夫なのか」という感覚をもったのであると。
そういった肌感覚が、明治維新への動きに繋がっていった、災害を受けた民衆の気持ちが明治維新を招き入れたといえる、と大石氏は述べています。
そして、このような「脆弱な国土」と繰り返し起こる災害によってはぐくまれたのが、「自然災害史観」「震災史観」ともいうべき、日本人の独特の精神性であるというのです。
歴史をひもとけばわかりますが、日本の先人の多くは紛争ではなく災害で亡くなっています。中国やヨーロッパでは災害よりも圧倒的に紛争で亡くなった人が多いのだそうです。
紛争、つまり「人為」で命を落とした場合は、相手を恨んだり、なぜ負けたのかを考えます。次に備えて論理で考える思考が得意になり、それは都市設計にも影響してきます。
例えば中国の長安は高い城壁で町を囲んでいましたが、平城京は城壁を採用しなかった。その違いは、「外から敵が攻めてくる地かどうか」でした。
日本の場合は外壁がなくても誰も攻めてきませんでしたが、災害などの「天為」に見舞われてきました。
多数の死者が出ても、原因が災害では恨む相手がいません。
現代ならともかく、科学技術も発展していなかった時代ですから、災害への予測も備えもままならなかった。抗議する相手もいなければ、防ぐ方法もなかった。……
と、述べた上で、大石氏は論文をこうまとめています。
……このように、日本人は中国や欧米のように理屈で説明できる「人為」でなく、「天為」で命を落としてきた民なのです。そして「天為」で命を落とした死者への思いは、「安らかに成仏してください」というものにしかなりえない。
人が大勢亡くなった時、あるいは愛する者の死に接したとき、人間は最も深くものを考えるものだと思うのですが、圧倒的な自然の力による災害で多くの人が亡くなる経験をしてきた日本人は、「ただひたすらにその死を受け入れる」民になったのです。
人間同士のいさかいではなく、自然のみが驚異であった日本人の精神性が、他国と違っていても全く不思議ではありません。
日本人はグローバル化が進むなかで「人為史観」「紛争史観」の国々とわたり合っていかなければならなくなり、契約の仕方、主張の仕方一つとっても「世界標準と違う」と指摘され、「遅れている」かのように批判されてきました。日本人自身も立ち位置を見失いかけていました。しかし、これは歴史によって培われたものですから、不安に思ったり、自信を失う必要はないのです。
今回、人知を超えた規模での大きな災害が日本人を襲いました。しかし冒頭でも触れたように、日本人はこれほどまでの甚大な被害を前にしても、泣き崩れることなく、略奪なども起こさず、秩序だった避難生活を送っています。このような態度は阪神大震災のときにも世界の賞賛を受けましたが、これは歴史的に培われた、けなげさ、勤勉さなのです。
今後は、たしかに非常に厳しいところからの復興が待っているでしょう。計画停電は今後もしばらく続きますし、GDPも下がるでしょう。国民は耐乏生活を強いられることになるかもしれません。
しかし、こういうときだからこそ、われわれ日本人はせめてこの災害を、日本人が日本人としてもう一度歴史を振り返り、凛とした生きざまを取り戻す機会にしていかなければなりません。はたして、贅沢三昧の何不自由ない暮らしに慣れていくことが国民としての目標だったのかどうか、もう一度見直す機会を神様から与えられたと考えるべきではないでしょうか。いや、そういう機会にしていかなければならないのです。
日本は本当に美しい国土です。自然は豊かで、農業にも適している。放っておいても木が生えてくるという豊潤な国土を持つ国などそう多くはありません。北から南まで、気候も亜寒帯から亜熱帯まで多様にあり、美しい四季の移り変わりもある素晴らしい国土です。
しかし、これまで指摘してきたように、他国にはない厳しい条件も同時に持っている。「素晴らしい」と眺めているだけで手を抜いてしまえば、一気に荒れ果てていく宿命も持っているのです。
少しでも住みやすくしようと自然へ手を入れてきた環境は先祖からもらったものであり、私たちもよりよい形に改善して子孫にわたさなければならないものです。しかし今日、それを「公共事業」という言葉に置き換え、非難し、否定する風潮が強くなりました。これは未来、つまり将来世代に対する怠慢と言ってもいいのではないでしょうか。
今回の地震と津波で、三陸沖は最大で70センチも地盤が沈下してしまいました。被災して住む家をも失った方々が、今後どこでどういう暮らしを展開していくのか、復興過程できちんと考え、計画的に整備していかなければ、また百年のうちに同じ惨事に見舞われてしまうかもしれません。あらためてあの地域での暮らし方を考え直し、環境を整えていく必要があるでしょう。
われわれ日本人は何度も何度も大きな災害に見舞われながら、それでも何度も立ち向かって乗り越えてきたのです。悲惨な目にあったのは今の自分たちだけではない。私たちの先祖もみんな乗り越えてきたことです。
日本は、必ず立ち上がる。その生きざまを世界に示そうではありませんか。……
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本人独特の「自然災害史観」「震災史観」といえば、「正論」最新号(2011年5月号)で、東京大学名誉教授の平川祐弘氏が、外国人目線のこのようなエピソードを紹介しています。
フランス人であるクローデルも、日本人独特の「自然災害史観」というものを感じ取っていたようです。
また、これは地震ではなく火事なのですが、渡辺京二氏が「逝きし世の面影」の中で、幕末〜明治初期、大火によって焼け出された日本人の様子を目撃した外国人の記録を多数紹介しています。
いくつか引用しますと、まず、明治10年代に日本に滞在したアメリカ人のエドワード・シルベスタ・モース(大森貝塚を発見した人)は、大火の見物に行った時の様子をこのように記しています。
また、フランス海軍の一員として来日したデンマーク人のエドゥアルト・スエンソンは、1866年(慶応2年)の横浜大火直後の様子をこのように伝えています。
スエンソンはこういう日本人を「宿命論者」と呼んだそうです。
さらに、アメリカ人クララ・ホイットニーは、1876年(明治9年)11月、銀座が焼けた翌朝、火事場を見に行った時のことをこう記しています。
クララの見た火事は日本橋から京橋にかけて一万戸を焼いた大火でした。
東京医科校(現東京大学医学部)で教鞭を執ったドイツ人でエルウィン・ベルツも同じ火事を目撃し、クララと似たような記述をしています。
「涙も、焦立ったような身振りも見ず」「いつまでも嘆いて時間を無駄にしたりしなかった」「不幸や廃墟を前にして発揮される勇気と沈着」「お互いに助け合ったりして、大きな一つの家族のよう」「(新しい建築の)進行の早さは驚くべきものだった」「はっきりと災難にうちひしがれている男などは、どこにも見当らない」……。
このたびの大震災における被災者の方々とほとんど変わりのない、百数十年前の日本の被災者の落ちついた様子に、驚かれた読者さんも多いのではないでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
話を大石久和氏の論文に戻します。
公平を期すため書き添えておきますと、氏は建設省の出身です。つまり公共事業推進派です。
ただ、そのことを割り引いても、氏の話には非常に説得力があると私は感じました。
民主党は野党時代から「コンクリートから人へ」をスローガンとし、公共事業を悪のように扱ってきましたよね。
実際、民主党政権が誕生してから、蓮舫さんらが事業仕分けで仕分けたものを振り返ると……
・石油と塩の備蓄
・防衛費
・スーパー堤防
・災害対策予備費
・地震再保険特別会計
・耐震補強工事費
・学校耐震化予算
(「WiLL」同号p.82久保紘之氏による)
といった、災害の備えとして必要なものが多く目に付きます。
特にスーパー堤防は「100年に一度の大震災対策は不要」として削っているのです。
確かに無駄な公共事業がないかチェックすることは必要だと思います。が、行き過ぎた公共事業の否定では日本国民の生命や財産を守ることはできません。今回の震災でそう感じた方も多いのではないでしょうか。
いずれにしても今後の公共事業や防災の在り方については(政治や利権の問題も含めて)、国民全体も巻き込む形で大いに議論していくべきではないかと思います。
このたびの震災から多くのことを教訓としながら……。
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takeshima dokdo dokto tokdo tokto
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(1)細長い国土
放射状の交通ネットワークを構築しづらい。
(2)四島
海峡が陸地を分断。多数の島嶼部で構成されている。
(3)脊梁(せきりょう)山脈
細長い国土を2000メートル級の山脈が縦貫し、日本海側と太平洋側に二分している。面積の7割が山岳地帯。河川は急勾配で短く、流域面積が小さいため、降雨域に上流から下流まで収まってしまう。そのため、河川の氾濫を引き起こしやすい。
(4)平野
そもそも平野部や可住地が少なく、河口部か山間盆地にある狭い平野が分散している。
(5)軟弱地盤
大都市はすべて河口部の軟弱な地盤の上にある。
(6)地震
国土面積は世界の地表面積の0.25%しかないにもかかわらず、マグニチュード4以上の地震の約10%が日本で発生し、マグニチュード6以上では全世界の約20%が日本で発生している。
(7)豪雨
地球総平均の2倍以上の年間降雨量だが、梅雨末期と台風期に集中。そのため水害が多い。
(8)強風
台風の通り道に沿うかのように日本列島が展開しており、直接影響を受ける。
(9)豪雪
国土面積の60%が積雪寒冷地域にある。
つまり、ヨーロッパなどに比べて、日本は耐震や水害に注意を払い、対策をするというハンディを背負っている。そして先人たちは大変な苦労と投資を積み重ねつつ、ここまで国を発展させてきたのであると。
また、大石氏は「災害が歴史を動かしてきた」との持論を展開、その一例として幕末を挙げています。
1855年、安政江戸地震が起こり7400人以上が死亡しましたが、その翌年にも江戸では安政の大風災が起こり、大低気圧による高潮で10万人もの人々が家屋倒壊による轢死や溺死しています。
実はこの時期は江戸以外でも災害が頻発しており、安政伊賀地震、安政東海地震、安政南海地震が続けざまに発生し、三陸・北海道では津波の被害もありました。
これら連続した自然災害が、民衆を言い知れぬ不安に陥れたことは間違いなく、また、日本には「社会が不安定だと災害が起こる」との感覚が元々あったため、知識人も「本当に今のままの政治体制で大丈夫なのか」という感覚をもったのであると。
そういった肌感覚が、明治維新への動きに繋がっていった、災害を受けた民衆の気持ちが明治維新を招き入れたといえる、と大石氏は述べています。
そして、このような「脆弱な国土」と繰り返し起こる災害によってはぐくまれたのが、「自然災害史観」「震災史観」ともいうべき、日本人の独特の精神性であるというのです。
歴史をひもとけばわかりますが、日本の先人の多くは紛争ではなく災害で亡くなっています。中国やヨーロッパでは災害よりも圧倒的に紛争で亡くなった人が多いのだそうです。
紛争、つまり「人為」で命を落とした場合は、相手を恨んだり、なぜ負けたのかを考えます。次に備えて論理で考える思考が得意になり、それは都市設計にも影響してきます。
例えば中国の長安は高い城壁で町を囲んでいましたが、平城京は城壁を採用しなかった。その違いは、「外から敵が攻めてくる地かどうか」でした。
日本の場合は外壁がなくても誰も攻めてきませんでしたが、災害などの「天為」に見舞われてきました。
多数の死者が出ても、原因が災害では恨む相手がいません。
現代ならともかく、科学技術も発展していなかった時代ですから、災害への予測も備えもままならなかった。抗議する相手もいなければ、防ぐ方法もなかった。……
と、述べた上で、大石氏は論文をこうまとめています。
……このように、日本人は中国や欧米のように理屈で説明できる「人為」でなく、「天為」で命を落としてきた民なのです。そして「天為」で命を落とした死者への思いは、「安らかに成仏してください」というものにしかなりえない。
人が大勢亡くなった時、あるいは愛する者の死に接したとき、人間は最も深くものを考えるものだと思うのですが、圧倒的な自然の力による災害で多くの人が亡くなる経験をしてきた日本人は、「ただひたすらにその死を受け入れる」民になったのです。
人間同士のいさかいではなく、自然のみが驚異であった日本人の精神性が、他国と違っていても全く不思議ではありません。
日本人はグローバル化が進むなかで「人為史観」「紛争史観」の国々とわたり合っていかなければならなくなり、契約の仕方、主張の仕方一つとっても「世界標準と違う」と指摘され、「遅れている」かのように批判されてきました。日本人自身も立ち位置を見失いかけていました。しかし、これは歴史によって培われたものですから、不安に思ったり、自信を失う必要はないのです。
今回、人知を超えた規模での大きな災害が日本人を襲いました。しかし冒頭でも触れたように、日本人はこれほどまでの甚大な被害を前にしても、泣き崩れることなく、略奪なども起こさず、秩序だった避難生活を送っています。このような態度は阪神大震災のときにも世界の賞賛を受けましたが、これは歴史的に培われた、けなげさ、勤勉さなのです。
今後は、たしかに非常に厳しいところからの復興が待っているでしょう。計画停電は今後もしばらく続きますし、GDPも下がるでしょう。国民は耐乏生活を強いられることになるかもしれません。
しかし、こういうときだからこそ、われわれ日本人はせめてこの災害を、日本人が日本人としてもう一度歴史を振り返り、凛とした生きざまを取り戻す機会にしていかなければなりません。はたして、贅沢三昧の何不自由ない暮らしに慣れていくことが国民としての目標だったのかどうか、もう一度見直す機会を神様から与えられたと考えるべきではないでしょうか。いや、そういう機会にしていかなければならないのです。
日本は本当に美しい国土です。自然は豊かで、農業にも適している。放っておいても木が生えてくるという豊潤な国土を持つ国などそう多くはありません。北から南まで、気候も亜寒帯から亜熱帯まで多様にあり、美しい四季の移り変わりもある素晴らしい国土です。
しかし、これまで指摘してきたように、他国にはない厳しい条件も同時に持っている。「素晴らしい」と眺めているだけで手を抜いてしまえば、一気に荒れ果てていく宿命も持っているのです。
少しでも住みやすくしようと自然へ手を入れてきた環境は先祖からもらったものであり、私たちもよりよい形に改善して子孫にわたさなければならないものです。しかし今日、それを「公共事業」という言葉に置き換え、非難し、否定する風潮が強くなりました。これは未来、つまり将来世代に対する怠慢と言ってもいいのではないでしょうか。
今回の地震と津波で、三陸沖は最大で70センチも地盤が沈下してしまいました。被災して住む家をも失った方々が、今後どこでどういう暮らしを展開していくのか、復興過程できちんと考え、計画的に整備していかなければ、また百年のうちに同じ惨事に見舞われてしまうかもしれません。あらためてあの地域での暮らし方を考え直し、環境を整えていく必要があるでしょう。
われわれ日本人は何度も何度も大きな災害に見舞われながら、それでも何度も立ち向かって乗り越えてきたのです。悲惨な目にあったのは今の自分たちだけではない。私たちの先祖もみんな乗り越えてきたことです。
日本は、必ず立ち上がる。その生きざまを世界に示そうではありませんか。……
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本人独特の「自然災害史観」「震災史観」といえば、「正論」最新号(2011年5月号)で、東京大学名誉教授の平川祐弘氏が、外国人目線のこのようなエピソードを紹介しています。
関東大震災を目撃したフランスの駐日大使クローデルは、妻子の死を知ったにもかかわらず、西洋人ときちんと社交を続け、座を辞する時に「頓珍漢な返事をして御免なさい。すこし気が立っていたものですから」a little excitedと挨拶した日本海軍軍人の話を伝えている。
クローデルは、非常の際に日本人が示す忍耐心は、地震を体験した国民であればこそ身につけた尊ぶべき特性ではないか、とも観察した。
フランス人であるクローデルも、日本人独特の「自然災害史観」というものを感じ取っていたようです。
また、これは地震ではなく火事なのですが、渡辺京二氏が「逝きし世の面影」の中で、幕末〜明治初期、大火によって焼け出された日本人の様子を目撃した外国人の記録を多数紹介しています。
いくつか引用しますと、まず、明治10年代に日本に滞在したアメリカ人のエドワード・シルベスタ・モース(大森貝塚を発見した人)は、大火の見物に行った時の様子をこのように記しています。
「この一夜を通じて、涙も、焦立ったような身振りも見ず、また意地の悪い言葉は一言も聞かなかった。特に纏持*の命があぶなくなるような場合には、高い叫び声をあげる者はあったが、悲歎や懸念の表情は見当たらなかった」
*纏持(まといもち)=町火消しの各組の中で、纏3を持つ役の者。火事場では消し口の要路に立った。
また、フランス海軍の一員として来日したデンマーク人のエドゥアルト・スエンソンは、1866年(慶応2年)の横浜大火直後の様子をこのように伝えています。
「日本人はいつに変らぬ陽気さと暢気さを保っていた。不幸に襲われたことをいつまでも嘆いて時間を無駄にしたりしなかった。持物すべてを失ったにもかかわらずである」
「日本人の性格中、異彩を放つのが、不幸や廃墟を前にして発揮される勇気と沈着である」
スエンソンはこういう日本人を「宿命論者」と呼んだそうです。
さらに、アメリカ人クララ・ホイットニーは、1876年(明治9年)11月、銀座が焼けた翌朝、火事場を見に行った時のことをこう記しています。
「この人たちが快活なのを見ると救われる思いだった。笑ったり、しゃべったり、冗談を言ったり、タバコを吸ったり、食べたり飲んだり、お互いに助け合ったりして、大きな一つの家族のようだった。家や家庭から追い出されながら、それを茶化そうと努め、助け合っているのだ。涙に暮れている者は一人も見なかった」
「驚嘆したことには、あちらこちらに新しい建築の枠組が立てられていた。その進行の早さは驚くべきものだった」
クララの見た火事は日本橋から京橋にかけて一万戸を焼いた大火でした。
東京医科校(現東京大学医学部)で教鞭を執ったドイツ人でエルウィン・ベルツも同じ火事を目撃し、クララと似たような記述をしています。
「日本人とは驚嘆すべき国民である!今日午後、火災があってから36時間たつかたたぬかに、はや現場では、せいぜい板小屋と称すべき程度のものではあるが、千戸以上の家屋が、まるで地から生えたように立ち並んでいる」
「女や男や子供たちが三々五々小さい火を囲んですわり、タバコをふかしたりしゃべったりしている。かれらの顔には悲しみの跡形もない。まるで何事もなかったかのように、冗談をいったり笑ったりしている幾多の人々をみた。かき口説く女、寝床をほしがる子供、はっきりと災難にうちひしがれている男などは、どこにも見当らない」
「涙も、焦立ったような身振りも見ず」「いつまでも嘆いて時間を無駄にしたりしなかった」「不幸や廃墟を前にして発揮される勇気と沈着」「お互いに助け合ったりして、大きな一つの家族のよう」「(新しい建築の)進行の早さは驚くべきものだった」「はっきりと災難にうちひしがれている男などは、どこにも見当らない」……。
このたびの大震災における被災者の方々とほとんど変わりのない、百数十年前の日本の被災者の落ちついた様子に、驚かれた読者さんも多いのではないでしょうか。
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話を大石久和氏の論文に戻します。
公平を期すため書き添えておきますと、氏は建設省の出身です。つまり公共事業推進派です。
ただ、そのことを割り引いても、氏の話には非常に説得力があると私は感じました。
民主党は野党時代から「コンクリートから人へ」をスローガンとし、公共事業を悪のように扱ってきましたよね。
実際、民主党政権が誕生してから、蓮舫さんらが事業仕分けで仕分けたものを振り返ると……
・石油と塩の備蓄
・防衛費
・スーパー堤防
・災害対策予備費
・地震再保険特別会計
・耐震補強工事費
・学校耐震化予算
(「WiLL」同号p.82久保紘之氏による)
といった、災害の備えとして必要なものが多く目に付きます。
特にスーパー堤防は「100年に一度の大震災対策は不要」として削っているのです。
確かに無駄な公共事業がないかチェックすることは必要だと思います。が、行き過ぎた公共事業の否定では日本国民の生命や財産を守ることはできません。今回の震災でそう感じた方も多いのではないでしょうか。
いずれにしても今後の公共事業や防災の在り方については(政治や利権の問題も含めて)、国民全体も巻き込む形で大いに議論していくべきではないかと思います。
このたびの震災から多くのことを教訓としながら……。
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Comments
私も今月号で一番心に残ったのが大石さんの文章でした
一番腹が立ったのが、西尾幹二さんでした・・・。
今度の大震災も乗り越えて行くことを確信します。
ただ、その第1歩は、民主党政権の打倒でしょう。
災害に対する態度と言えばこの画像が心を揺さぶられました。
「答辞」
http://www.youtube.com/watch?v=KgxcHcGq7Xg&playnext=1&list=PL188AB248EB016550
天を恨まないという言葉、今回のエントリーを思わせる凄い言葉だと思います。
応援クリック。
http://www.abc.net.au/news/events/japan-quake-2011/beforeafter.htm
以前は、立体的に観れば日本の国土は決して狭くは無いと思っていましたが・・・塩害が
この世界に理屈や数字で説明しきれない何かを見出した時に感じる一種のおそれ、畏怖の念【ついにわが力の及ばぬ】を知った時、天を仰ぎ、声を上げて祈りたくなります。その時、宗教心の如きもの(上手く言えませんが)が身内に発露すると思います。
自分と云う存在の不可思議さに思いをはせ、抗しがたい運命の力におののく時、私達は、ひたすら謙虚にならざるを得ません。
謙虚になった心には、他人の苦しみや悲しみが鏡の様に映っています。素直な心で反応すれば、思いやりの心も生まれてくる。たとえ手を貸す事は出来なくてもそれらの思いを分け持ってやろうと努める、結局のところ、痛みを知ろう理解しようとする慈悲心。
一口で言うなら、人々の心情を汲み取る【洞察力】ではないかと考えます。
※心って冷酷に言うと思考(頭脳)です。
【選択理論】ウィリアム・グラッサー
※私達の行動は、外からの刺激にどう反応するのが最善か?毎回判断することで成り立っていると言う考え方です。
《致命的な”菅内閣の”七つの習慣》(1)批判す(2)責める(3)脅す(4)罰す(5)文句(6)ガミガミ言う(7)目先の褒美で釣る
に対して国民は被災者に対して(1)傾聴する(2)支援する(3)励ます(4)尊敬する(5)受容する(6)意見の違いを交渉する。
我々の祖先である仕事師達は、自然と対話しながら自然に学び、手を抜かず、自ら働いて自然の驚異と妥協する手段を選択し
東西南北の特性を知り、役割を配置し、土壌の個性を活かし作物を培い生活を潤うして子孫に伝えて来ました。(TωT)
※江戸時代、河川敷の土手に桜の木を植えたのは、道&花火・花見をする人々の足(重み)で痩せた土を固める為です。
この震災を、新たな街作りにおける真摯な議論の契機とすることこそ、死者を悼む一つの在り方ではないでしょうか。
人間はいつも誰かに必要とされる事を望んでいます、少しでも身近に出来る事から一緒にスタートして行き(生き)ましょう。
杉良太郎:【ボランティアとは、見返りを期待してはいけない。御礼を期待してはいけない。ありがとうの言葉を期待してはいけない。援助をした人間が相手よりえらい訳では、決してない。そして、それは国対国でも同じだと思っている。】自己以外は他者って事を改めて学びました。
【世界中の生命が、日本の復興を信じている!】
☆がんばろうぜっ日本!(`・ω・´)ゞビシッ!!
ところが、東日本大震災では、いち早く空港が復旧し、新幹線が未だに復旧作業を行っているのを見聞きして、考え方が変わりました。
「いざと言う時の備え」の大形公共事業は、例え自分が生きている間に不要かもしれませんが、子孫には必要なのかもしれない、と考え方が変わりました。
日本人の自然災害に対する毅然とした態度、整然と秩序立った対応は既に海外に十分に伝わっていると思います。
しかし問題は、現在の日本の現実の状況、例えば私は東京在住ですが、大した混乱も問題も無く、仕事をやっています。
ところが海外では「東京は壊滅」
或いは「東京はゴーストタウン」といったような報道が平気でなされているようです。(現在はある程度沈静化したようですが。)
政府は日本は被災地を除いて平静であり、放射能の問題も、原子炉の周囲を除いては深刻ではないとアピールするべきではないでしょうか。
北関東の農作物は東京では安値で販売されています。(うちの嫁は大喜びです。)また、築地ではウニが5割引き、高級魚が3割引きだそうです。(でも買い手がいない)
国内の風評被害を抑えるのも大事ですが、海外への風評被害を抑えるのもまた政府の重要な仕事ではないでしょうか?
観光地は海外からの観光客のキャンセルで、苦境に立たされているところが多いと聞きます。
「Japan is safe!」の様なキャンペーンを国を挙げて行うべき時ではないでしょうか?もちろん大前提は原発問題の迅速な処理と、放射能被害等の透明性のある情報公開でしょうが。
日本政府と東電を除き、日本と日本国民への評価はこれまで以上に高まっています。日本のソフトパワーを最大限に発揮し、「災い転じて福となす」機会ではないでしょうか。
それが今回の震災で亡くなられた方々への、何よりもの供養ではないでしょうか。政府の海外への積極的な情報発信を切に希望します。
最後に、菅直人に最悪の天罰のあらんことを。
震災に対する備えになるだけでなく、デフレに苦しむ日本にとって、公共事業という需要の創出が景気回復の端緒となるのではと期待しています。
その為には国債発行=悪という発想も変えていかなければなりません。「財源がないので増税します」ではデフレが悪化するばかりなので。
火事場泥棒!泥棒国家と言うのは分かっていたけど、他の国が困っているとき位少しは遠慮せーよ!日本国中が辛く悲しい思いをしている時位遠慮して欲しいものです。 癇否、癌政権も目の前のことで手一杯と言うのも理解できますが、それとこれは別問題!日本国の総理の責任と言うものはそれぐらい重いものです。
それができないと言うのであれば総理になるべきではない!
是非見ていただきたい動画があります。もし、既にご拝見でしたら、すみません。
それは、3月23日の参議院予算委員会公聴会での京都大学の藤井聡教授の動画です。
http://www.youtube.com/watch?v=quCWIuNbeQg
日本が復活するためにはどうしたらよいか語られています。
今回一番腹が立つのは「神の啓示」やら「イルミナティ」やら下らない超現象雑誌に出てくるような事を地震と結びつける輩がいることです。多分殆どが海外の連中だと思います。
日本人が何度も大きな災害を潜り抜けて来ている事も、その経験から独自の精神性を育んで来た事も全く知らないのでしょう。
同じ位腹が立つのが海外の環境団体(特にドイツ)です。我々が津波でお亡くなりになられた方々を悼んでいる時に、福島原発の事を自分たちの反原発活動に利用し、デモで大騒ぎするなど常軌を逸した行動をしています。
原発で亡くなられた方は一人もおりません。被災された方々は地震と津波で大切なものを奪われた方ばかりです。このつらい出来事を政治利用しながら「環境」だの「人権」だの叫んでいる偽善さが我慢できません。
一方で沢山の支援や励ましの言葉が世界中から届けられているので、それには感謝の気持ちで一杯です。私も被災地域の物産を買うなど、長く支援をしていこうと思います。
引用はじめ
【拡散希望】社会主義協会残党の恐るべき陰謀
前回、辻元らの被災地をダシにしたピースボート関連の自作自演劇をここで告発した。その後、各所から様々な証拠が上がり、彼らを徐々に追い詰めている。告発者として誠に喜ばしい限りだ。
さて、新しい告発である。といっても既に皆さんが目にしている事実に、ささやかな新事実を突き合わせて、解釈しなおしただけの話だ。
このたび汚染された冷却水が海洋に放出された。あれほど、メガフロートや小型タンカーへの退避など、各方面から対策が提案されたにもかかわらず、何事もなかったかのように白を切って蛮行に及んだ。
いうまでもなく、このような蛮行に及べば国際的な非難を浴びるのは必須だ。日本を取り巻く国際包囲網こそ、じつは民主党事務局=社会主義協会残党の狙うところなのだ。
社会主義協会主流派は元々親ソ派で原発容認ではあったが、既に親玉はなくなって久しく、今さらソ連擁護のスローガンは不要となった。この20年間、左翼市民運動に媚びることで延命を図ってきた。実は私は社会主義協会の残党と懇意にしており、前回の情報もその筋の情報を調査した結果だったのだ。
昨年の尖閣事件後の国民の覚醒は、左翼諸派を心底恐怖させた。彼らの脳裏によぎったのは、このまま日本国民に独立した意思決定の権利を与え続けていれば、左翼の影響力が完全に喪失してしまうことだった。
そこに、日本を襲った大震災。そして初歩的な設計ミスによる原発の事故。特に後者は反原発を標榜する左翼にとって天佑と快哉を叫ばしめるほどの事態であった。
当初菅首相はすべてを東電の所為にするために法で定められている陣頭指揮をせず、高見の見物を決め込み、後で東電を叱りつけて事態を収拾し、左翼票の取り込みを企図していたようだ。
しかし、事態が予想以上に深刻となったため菅は自己統制不能に陥る。仙谷がしゃしゃり出てきて、この事態の全く新しい次元での利用方法を講じ始めた。
それは、今後日本に尖閣事件のように保守派世論が復活しないように国際包囲網を築いて、最終的に日本の国家そのものを売り飛ばそうというものだ。
国際世論を背景に日本の主権を国際機関を隠れ蓑にした米中ロのいずれかに奪わせて国家の独立を失わせる。一方で国内では反原発世論を契機に保守派への嫌悪感を喚起する。内外から国民の意気を挟撃して二度と保守派を立ち上がらせないようにする。つまるところ、これは外患を導入して自分の権益を維持しようとしていることになる。まさに漢奸と呼ぶほかはない。
今回の原発事故の処置が漫然と逐次投入されているのも、結果的に国際世論を刺激するような行動に終始しているのも、奴ら社会主義協会残党の意を汲んだ影の総理仙谷の指示によるものなのだ。
4/10に反原発デモがあるが、あれも今後の反保守派国際包囲網の国内導入の布石だ。どれほど動員できるかは怪しいが、マスメディアに報道させることに意義がある。奴らは着々と日本を支配するための行動を進めている。
以上の話は、仙谷の関与以外の部分は特別秘密になるような複雑な話が少しもない。誰にも目に見えている情報ばかりだ。にもかかわらず、保守派言論人がこの事態を察知していないのは不思議だ。全く何をやっているのだろうか。
とはいえ、わが日本国士が油断しているすきに、新たな次の国難が降りかかろうとしている。
以上の事が杞憂で済めば後世笑い話のネタにでもしていただければ結構だが、今回はそうのんびりした結末は待っていないようだ。本当に今度こそ日本主権、日本の伝統、日本と言う国家そのものが危ないのだ。保守派は政局頼みで政権打倒などと考えている暇はない。
以上の逼迫した事情により、皆さんに拡散依頼を再びすることになった。御理解いただきたい。
福島原発の冷却水を海に放出した件について・・・
普賢さんの超超長文カキコで気になる点があったので、便乗横レス。
普賢さんのカキコに限らず、あほのミンス政権が独断でやったとか、日本が国際的な非難を浴びるのは必須だとかって意見が多いようだけど、表立って非難してきたのって、いまんとこ韓国・ロシアだけですよね?
何でだろ〜フシギだな〜って思ってたら、どうもアメリカ側が「海に放出しろ」って指示したっぽいです。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20110405-00000052-jnn-pol
>日米両政府の協議機関でアメリカ側は、「処理するめども立たないまま内部に貯蔵しておくよりも、海に放出する方が現実的だ」という意見を伝えていました。
他のサイトの意コピペでしたので裏を取らず御迷惑をおかけしました。
無頼さん
情報ありがとうございます。韓国・ロシアは近海にいますから当然突っ込みはありますね。それにしても普段やかましい中国がおとなしいのは不思議ですね。
それと、アメリカ政府の促す意見があったそうですが、有権者が納得した上での話ではないので、大衆レベルでの反発は出てくると思います。むしろそういうのが怖いですね。
今回の「逆パフォーマンス」は海洋放出一つではないので、この記事は当たらずも遠からずかなという感じです。
全部、作り直さないと、大人は子どもに、「何かあったら、死ぬしかないね」としか言えないと思います。
スーパー堤防大賛成。反対していた党、議員に国民の代表を名乗る資格はなし。ましてや政権に居座り続けるなんて、飛んでもない。
解散総選挙が筋だと思います。
後は、その時期だけ…。
原文のソースも張らない、只のコピペだと信用度も低くなりますよ。
ご注意あれ。
話によりますと「東電の罪を償わせるために、東電社員の子供を他の人間全員がボイコットするべき」「法律で東電を裁けないなら、東電社員の子供を無視し、責めを負わせる事で社会的制裁とすべし」「これがデモよりも目立たなく、それでいて効果の高い方法」等のような発言をしたそうです。
普段の思想を脇に置いても、さすがにこれは常軌を逸していると指摘せざるを得ません。
管総理や仙谷官房副長官の陰湿さと、いい勝負です。