「ムーブ!」ウトロは今
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★★★12/6付:「ムーブ!」法案成立当日の国籍法改正特集★★★
■12/4(木)放送 ABC(朝日放送)「ムーブ!」藤井誠二の“事件後を行く”
不法占拠してただけなのに「支えた街」とはこれいかに?
ぶっちゃけ、これって在日間の内輪もめなんですけどねぇ。
「大阪府が保育園の畑を行政代執行」の時もプロ市民園長側を擁護してた藤井誠二氏の取材だし、たぶんこうなるだろうなーと思って見てたら、やっぱりこうなりました(T^T)
細かい相づち、間投詞、言い直し、ツッコミはカット、言葉尻など曖昧な箇所もありますが、それ以外はほぼ完璧です。○○は聞きとれなかった箇所です。
※紫色の字は私くっくりのツッコミです。
画像はYoutubeで拾ったビデオからキャプチャさせていただきました。
内容紹介ここから____________________________
…………………………VTR開始…………………………

「ウトロに愛を」――

京都府宇治市にあるウトロ51番地。
この土地におよそ180人の在日韓国・朝鮮人が暮らしています。
戦時中、日本は国策事業として京都飛行場の建設に着手、ウトロがその建設に動員された在日韓国・朝鮮人の宿泊地となったのです。
※さすがに「強制連行」という言葉は使っていませんが、「動員」という表現では、視聴者に「徴用」つまり「本人の意志に反して連れて来られた」という誤解を生じさせないでしょうか?韓国の大手紙・朝鮮日報でさえこれまでの嘘を認め、「この地で働いていた韓国人労働者1300人は、当時の徴用令により連れて来られたわけではない。故郷で生活ができなくなった植民地の国民が、経済的問題などさまざまな理由により、自らの思いとは関係なく植民地宗主国へと移住したケース」と報道しています。朝鮮日報の当該記事の内容については、「依存症の独り言」さん07/9/25付記事を参照。

しかし、終戦によって計画は頓挫。
戦後の混乱の中、行き場を失った人たちがここに残ったのです。
【字幕:置き去りにされた街 ウトロ】

ウトロに残った在日1世
「3年間4年間、○○とあらね、さあ言うて(韓国に)引き揚げた人は、みんな戻ってきたわ。なぜかちゅうと、家はないわ…」

人々は失業と差別に苦しみました。
※この落書きは「差別」とは無関係。後述します。
それでもここがふるさと。貧しいながらも生計を立ててきたのです。

そんなウトロの街が大きく揺れたのは、1989年。
土地の所有者が立ち退きを迫る訴訟を起こしました。
ウトロに残った在日1世
「うちらはここに住む権利があるわけ」

立ち上がった住民。裁判は2000年の最高裁までもつれるも――
【字幕:ウトロ訴訟 全住民の敗訴が確定】

ウトロ町内会 厳明夫 副会長(2000年)
「不法占拠だと裁かれたのが非常に残念です」
いつ強制執行となるか。そんな恐怖の中、去年ウトロに一筋の光が差したのです。
★★★12/6付:「ムーブ!」法案成立当日の国籍法改正特集★★★
■12/4(木)放送 ABC(朝日放送)「ムーブ!」藤井誠二の“事件後を行く”
在日コリアンが支えた街…ウトロは今(当日のテレビ欄より)

ぶっちゃけ、これって在日間の内輪もめなんですけどねぇ。
「大阪府が保育園の畑を行政代執行」の時もプロ市民園長側を擁護してた藤井誠二氏の取材だし、たぶんこうなるだろうなーと思って見てたら、やっぱりこうなりました(T^T)
細かい相づち、間投詞、言い直し、ツッコミはカット、言葉尻など曖昧な箇所もありますが、それ以外はほぼ完璧です。○○は聞きとれなかった箇所です。
※紫色の字は私くっくりのツッコミです。
画像はYoutubeで拾ったビデオからキャプチャさせていただきました。
内容紹介ここから____________________________
…………………………VTR開始…………………………

「ウトロに愛を」――

京都府宇治市にあるウトロ51番地。
この土地におよそ180人の在日韓国・朝鮮人が暮らしています。
戦時中、日本は国策事業として京都飛行場の建設に着手、ウトロがその建設に動員された在日韓国・朝鮮人の宿泊地となったのです。
※さすがに「強制連行」という言葉は使っていませんが、「動員」という表現では、視聴者に「徴用」つまり「本人の意志に反して連れて来られた」という誤解を生じさせないでしょうか?韓国の大手紙・朝鮮日報でさえこれまでの嘘を認め、「この地で働いていた韓国人労働者1300人は、当時の徴用令により連れて来られたわけではない。故郷で生活ができなくなった植民地の国民が、経済的問題などさまざまな理由により、自らの思いとは関係なく植民地宗主国へと移住したケース」と報道しています。朝鮮日報の当該記事の内容については、「依存症の独り言」さん07/9/25付記事を参照。

しかし、終戦によって計画は頓挫。
戦後の混乱の中、行き場を失った人たちがここに残ったのです。
【字幕:置き去りにされた街 ウトロ】

ウトロに残った在日1世
「3年間4年間、○○とあらね、さあ言うて(韓国に)引き揚げた人は、みんな戻ってきたわ。なぜかちゅうと、家はないわ…」

人々は失業と差別に苦しみました。
※この落書きは「差別」とは無関係。後述します。
それでもここがふるさと。貧しいながらも生計を立ててきたのです。

そんなウトロの街が大きく揺れたのは、1989年。
土地の所有者が立ち退きを迫る訴訟を起こしました。
ウトロに残った在日1世
「うちらはここに住む権利があるわけ」

立ち上がった住民。裁判は2000年の最高裁までもつれるも――
【字幕:ウトロ訴訟 全住民の敗訴が確定】

ウトロ町内会 厳明夫 副会長(2000年)
「不法占拠だと裁かれたのが非常に残念です」
いつ強制執行となるか。そんな恐怖の中、去年ウトロに一筋の光が差したのです。