「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(3)

 イザベラ・バード著「朝鮮紀行〜英国婦人の見た李朝末期」(時岡敬子訳/講談社学術文庫)から、19世紀末の朝鮮に関する興味深い記述を引用でお届けするシリーズ、第3弾です。

※過去記事
 8/9付:「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(1)
 9/13付:「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(2)

0909chousenmap.jpg【バードが旅したルート。画像をクリックすると新規画面で拡大します】

 「朝鮮紀行」の著者イザベラ・バードはイギリス人女性。1894年(明治27年)1月から1897年(明治30年)3月にかけ、4度にわたり朝鮮を旅行しました。

 当時の朝鮮は開国直後でした。
 1894年8月に日清戦争が勃発、翌年には下関条約により長年支那の「属国」だった朝鮮は独立します。
 列強各国の思惑が入り乱れ、まさに激動の時代にあった朝鮮の貴重な記録ということになります(ちなみに日韓併合成立は1910年)。

 この第3弾では、日清戦争や朝鮮王室にまつわる記述をメインにお送りします。政治色が強く、やや重たい感じですが、ついてきて下さいね(^^ゞ


 バードが最初に朝鮮入りした1894年初め頃、すでに東学党(主体は農民)は動き始めていました。本格的な内乱となったのは春で、6月、清が朝鮮側の要請により軍を派遣。それを見た日本も軍を派遣します。
 戦争が迫り来る中、バードはイギリス副領事の忠告によって済物浦〈チエムルポ〉(ソウルの海港。漢江〈ハンガン〉の河口にある)をあとにせざるをえなくなります。

 バードは秋の旅に備えた荷物を元山〈ウオンサン〉に置いたまま日本の肥後丸に乗船、最初の寄港地である清国の芝罘〈チーフー〉(現在の山東省、煙台)に降り立ちます。
 そして牛荘〈ニユーチヤン〉(現在の遼寧省、営口)を通り満州に到着、そこで二カ月過ごします。満州については「同じ清国でも漢族の住む地域と異なった点がいろいろあって興味深かった」と記しています。
 また、この時代からすでに満州(当時ロシア領)には約三万世帯の朝鮮人が暮らしていて、バードは「その大半は一八六八年以降、政治的混乱と官吏による搾取のために祖国を離れた人々である」と述べています。

 満州の後は奉天、長崎、ウラジオストクでの記述を経て、その後いよいよ王室——李氏朝鮮の第26代王である高宗、高宗の王妃である閔妃(韓国では明成皇后と呼ぶ)、高宗の父である大院君を中心とした——の記述に入ります。

 閔妃殺害事件(乙未事変)のくだりでは日本批判がかなり多くなっています。バードは閔妃に何度も謁見し好感を抱いていたため、それが大きく影響したものと思われます。

 とはいうものの、バードの記述には閔妃を批判した部分、日本を擁護した部分も少なからずあります。
 「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(1)でも紹介した通り、そもそもバードは日本による朝鮮の改革そのものは大変評価しているのです。

 その改革をことごとく潰したのが、他ならぬ閔妃でした。


 閔妃殺害事件の経緯をざっと振り返りますと——

 閔妃は自分の一族の政権登用を乱発し、大勢の大院君派を国政から追放、流刑あるいは処刑にするなど強権を振るっていました。
 また、宗主国の清を後ろ盾とし朝鮮の改革を嫌っていた事大党を重用したことにより、政治改革はことごとく閔妃によって潰されてしまっていました。
 やがて閔妃は親露に傾いていったため、それに不満を持つ大院君や開化派勢力、日本などの諸外国にいっそう警戒されることになります。

 このような情勢の中、1895年(明治28年)10月8日、大院君を中心とした開化派武装組織によって、景福宮にて閔妃は暗殺されました。
 この時、日本公使・三浦梧楼が暗殺を首謀したという嫌疑がかけられました。日本は国際的な非難を恐れ、三浦らを召還し裁判にかけましたが、首謀と殺害に関しては証拠不十分で免訴となり、釈放。

 朝鮮政府はこれとは別に李周会、朴銑、尹錫禹の3人とその家族を、三浦らの公判中の同年10月19日に犯人およびその家族として処刑しています。
 さらに閔妃暗殺の現場にいたと考えられる高宗(閔妃の夫)は、露館播遷(ろかんはせん。1896年2月11日から約1年間、高宗がロシア公使館に移り朝鮮王朝の執政をとったことをいう)の後、ロシア公使館から閔妃暗殺事件の容疑で特赦になった趙羲淵(当時軍部大臣)、禹範善(訓錬隊第二大隊長)ら6名の処刑を勅命で命じています。

 が、事件の全容は未だ明らかになっておらず、現在も論争が絶えません。ただ、日本政府による計画的な策謀でなかったことは判明しています。

 「朝鮮紀行」の閔妃殺害事件に関する記述が、学術的に価値があるのかどうか私は知りません。ただ、少なくとも当時の雰囲気が読み取れるという意味で、それなりに貴重な資料ではないかと思います。


 以下、イザベラ・バード著「朝鮮紀行」の引用です。
 〈 〉内はフリガナ、[ ]内は訳註です。
 フリガナについては固有名詞以外の判りやすいもの(「流暢」「狡猾」など)は省略しました。

※なお、この第3弾では「訓練隊」という名称が何度も登場しますが、これは日本人が教官の朝鮮人部隊です。


 「朝鮮紀行」引用ここから_________________________
 
東学〈トンハク〉党は朝鮮の官軍を何度か打ち負かしており、朝鮮国王は逡巡を重ねたすえ、清に援軍を要請した。清はこれに対して即座に応じ、一八九四年六月七日、朝鮮へ自軍を送る旨、日本に通告した。両国とも天津条約により、当時のような状況下では派兵できる権利を同等に有していたのである。同日、日本は清に対してみずからも進軍の意志があることを明らかにした。清国軍葉〈ヨー〉[志超〈チーチャオ〉]提督は三〇〇〇の兵を率いて牙山〈アサン〉に上陸し、また日本軍は済物浦〈チエムルポ〉とソウルを武力で占領した。
 急送外交文書では清は二度朝鮮を「わが国の属国」と呼んでおり、これに対して日本は、大日本帝国政府は朝鮮を清の属国と認めたことは一度としてないと答えている。(p.265)

●七月二五日、輸送船高陞〈コウシン〉号がイギリス国旗を掲げて一二〇〇名の清国兵を運ぶ途中、日本の巡洋艦浪速〈なにわ〉に撃沈されて多くの人命が失われ(引用者注:当初イギリスで対日批判が起こったが、真相が判明するとともに日本側の正当性が認められた)、その四日後には日本軍が牙山の戦いで清国軍を撃退した。七月三〇日の時点ですでに朝鮮は清との協定を破棄すると宣告したが、これはすなわち自国に対する清国の宗主権をもはや認めないと言っているのと同じである。八月一日、宣戦が布告された。これら一連のできごとの結末については、いや、できごと自体についてすら、わたしたちはほとんどなにも知らず、七月上旬まで奉天は「悠々自適の道」を歩んでいた。(p.266)

●八月一日に宣戦が布告されると、事態は急速に悪化した。日本が制海権を完全に掌握していたため、清国軍は満州を通って進軍せざるをえず、吉林、斉斉哈爾〈チチハル〉その他の北部都市から集めた、訓練を受けていない満州族兵士が一日一〇〇〇人の割りで奉天を通過していった。満州族兵士は南進する途中、手当たり次第にものを略奪し、料金も払わずに宿屋を勝手に占領し、宿の主人をなぐり、キリスト教へのというより西洋文明への反感からキリスト教聖堂を荒らした。外国人に対する憎悪は奉天から四〇マイル離れた遼陽〈リヤオアン〉で最高潮に達し、満州族兵士は聖堂を破壊したあとスコットランド人宣教師のワイリー氏を撲殺し、「洋鬼子」と親しいからという理由で行政長官に危害を加えた。(p.267-269)

●奉天に向かうすべての道路は(引用者注:清国軍の)兵士でごった返した。行進とはほど遠いだらだらした歩き方で、一〇人ごとに絹地の大きな旗を掲げているが、近代的な武器を装備している兵はごくわずかしかいない。ライフル銃一丁持たない屈強な体つきの連隊すらある! ((中略))正確無比の村田式ライフル銃を持っている日本軍を相手に、このような装備の兵を何千人も送りだすのは殺人以外のなにものでもない。兵士もそれを知っていた。だからこそ西洋人を見ると「こいつら洋鬼子のせいでおれたちは撃たれにいくんだ」ということばが出てくるのであり、総督の宮殿に大群で押しかけて護衛から撃つぞと威嚇されたとき、「どうせ朝鮮で撃たれるのだから、ここで撃たれてもかまわない」と言い返したのである。(p.269-270)

●戦時中であり、船が戦争にとられているうえ状況も不穏のため外洋交通は徹底的に乱れていた。大海戦が勃発するといううわさが毎日のように飛ぶなかで、何週間かかけてウラジオストク行きの汽船を探したが、ようやく見つかったのは、乗客ひとりだけならとしぶしぶ応じてくれたドイツの小型船しかなかった。そして悪天候にもまれた船で快適とはほど遠い五日間をすごしたのち、ちょうど菊が満開の季節を迎え、真っ赤な紅葉の燃えるように美しい長崎で、わたしはそれまでとはがらりと変わった気持ちのいい一日を味わった(引用者注:清国の芝罘から満州へ向かうのにバードが利用したこのウラジオストク行きの船は、長崎にも立ち寄るコースだった)。照明もあり、清潔で、完璧なまでに治安もよく、道路には穴ぼこもごみの山もない——この矮人〈こびと〉と人形のこぎれいな町は、清国のほとんどの都市ででも外国人居留地の外に出さえすれば見られる、吐き気を催すような不潔さやみすぼらしさとは、胸のすく対照を示していた。
 清国人は支配民族の一員たる雰囲気を漂わせて長崎の通りを歩きまわっていた。彼らに要求される唯一の手続きは在留登録で、それさえしてあれば、憂さなどとはまったく縁のないようすで商売にいそしみ、大事な買弁〈ばいべん〉[売買仲介人]の呼び出しを行っている。清国では日本領事の要請ですべての日本人が国外へ逃げだし、人身・物品の双方に危害を受け、はぐれた「矮人〈ウオジエン〉」が町で見つかろうものならまちがいなく殺されているはずなのに、である。(p.274-275)

●(ウラジオストクの港で)しばらくのあいだことばもちんぷんかんぷんななかで何隻ものサンパンを渡りあるいたすえ、わたしはよく笑い大声で話す、身なりの汚ない朝鮮人の若者多数に陸まで運んでもらった。この若者たちはわたしの所持品をめぐって仲間どうしかなり強烈なブローをかわし合ったあと、わたしの荷物を肩にかついでばらばらな方向へ逃げてしまった。わたしはけんかのあいだ必死で握っていたカメラの三脚とともに残され、途方に暮れた。そう遠くないところにドロスキー[ロシアで使われる屋根なし軽装四輪馬車]があり、四、五人の朝鮮人がわたしを捕まえて声高な朝鮮語で話しかけながら、それぞれ自分の馬車のほうへ引っ張っていこうとした。そこへコサックの警官が来て彼らをどやしつけ、いさめてくれた。波止場には何百人もの朝鮮人がいて、騒々しいのと強引な点をのぞけば、済物浦〈チエムルポ〉に上陸したようなものである。(p.277-278)

朝鮮にいたとき、わたしは朝鮮人というのはくずのような民族でその状態は望みなしと考えていた。ところが(ロシアの)沿岸州でその考えを大いに修正しなければならなくなった。みずからを裕福な農民層に育て上げ、ロシア人警察官やロシア人入植者や軍人から勤勉で品行方正だとすばらしい評価を受けている朝鮮人は、なにも例外的に勤勉家なのでも倹約家なのでもないのである。彼らは大半が飢饉から逃げだしてきた飢えた人々だった。そういった彼らの裕福さや品行のよさは、朝鮮本国においても真摯な行政と収入の保護さえあれば、人々は徐々にまっとうな人間となりうるのではないかという望みをわたしにいだかせる。(p.307)

●シーズン最後の日本の汽船でウラジオストクを発ったわたしは、元山〈ウオンサン〉で二日すごした。元山はほとんど変わっておらず、変化といえば、町並みのむこうの山が雪をかぶっていることと、朝鮮人が戦時中に日本人の払ったとほうもない労賃で裕福になったこと、商取り引きに活気があること、木造の哨舎〈しょうしゃ〉に日本人の番兵が立って平穏な通りを警備していることくらいだった。戦時中は一万二〇〇〇人の日本兵が元山経由で平壌に向かったのである。つぎにわたしが上陸した釜山には二〇〇人の日本兵がいて、新しい浄水所ができ、丘の上にある軍墓地に立つおびただしい墓碑は、大量の日本兵が死んだことを示していた。(p.319)

●その前年(一八九四年)の冬の不況は終わっていた。日本は支配的立場にあった。この首都に大守備隊を置き、内閣の要人数名が国の名代として派遣され、日本の将校が朝鮮軍を訓練していた。改善といって語弊があるなら変化はそこかしこにあり、さらに変化が起きるといううわさがしきりにささやかれていた。表向き王権を取りもどした国王はそのような状況を容認し、王妃(引用者注:閔妃のこと)は日本人に対して陰謀をいだいているとうわさされたが、井上[馨]伯爵が日本公使を務めており、伯爵の断固とした態度と臨機応変の才のおかげで表面上は万事円滑に運んでいた。(p.322)

●(前項のつづき)一八九五年一月八日、わたしは朝鮮の歴史の広く影響を及ぼしかねない、異例の式典を目撃した。朝鮮に独立というプレゼントを贈った日本は、清への従属関係を正式かつ公に破棄せよと朝鮮国王に迫っていた。官僚腐敗という積年の弊害を一掃した彼らは国王に対し、《土地の神の祭壇》[社稷壇〈しゃしょくだん〉]前においてその破棄宣言を準正式に執り行って朝鮮の独立を宣言し、さらに提案された国政改革を行うと宗廟前において誓えと要求したのである。小事を誇張して考える傾向のある国王は自分にとってきわめて嫌悪を感じさせるこの警告をしばらく延期しており、式典の前夜ですら、代々守ってきた道をはずすことはならぬと祖先の霊から厳命される夢を見て、式典執行におびえていた。
 しかし井上伯爵の気迫は祖先の霊を凌駕し、北漢山〈プツカンサン〉のふもとの鬱蒼〈うっそう〉とした松林にある、朝鮮で最も聖なる祭壇において、王族と政府高官列席のもとに誓告式は執り行われた。(p.322)

●国王の宗廟誓告文
 ((中略))今後わが国は他のいかなる国にも依存せず、繁栄に向けて大きく歩を踏み出し、国民の幸福を築いて独立の基礎を固めるものとする。その途において、旧套〈きゅうとう〉に陥らず、また安直もしくは怠惰な手段を用いることなく、ただ現状を注視し、国政を改め、積年の悪弊を取りのぞいて、わが祖先の偉大なる計画を実行できんことを。((後略))(p.326)

●国政改革のための洪範一四カ条
一、清国に依存する考えをことごとく断ち、独立のための確固たる基礎を築く。
二、王室典範を制定し、王族の継承順位と序列を明らかにする。
三、国王は正殿において事を見、みずからら大臣に諮〈はか〉って国務を裁決する。王妃ならびに王族は干渉することを許されない。
四、王室の事務と国政とは切り離し、混同してはならない。
五、内閣[議政府]および各省庁の職務と権限は明らかに定義されねばならない。
六、人民による税の支払いは法で定めるものとする。税の項目をみだりに追加し、過剰に徴収してはならない。
七、地租の査定と徴収および経費の支出は、大蔵省の管理のもとに置くものとする。
八、王室費は率先して削減し、各省庁ならびに地方官吏の規範をなすものとする。
九、王室費および各省庁の費用は毎年度予算を組み、財政管理の基礎を確立するものとする。
一〇、地方官制度の改革を行い、地方官吏の職務を正しく区分せねばならない。
一一、国内の優秀な若者を外国に派遣し、海外の学術、産業を学ばせるものとする。
一二、将官を養成し、徴兵を行って、軍制度の基礎を確立する。
一三、 民法および刑法を厳明に制定せねばならない。みだりに投獄、懲罰を行わず、なにびとにおいても生命および財産を保全するものとする。
一四、人は家柄素性に関わりなく雇用されるものとし、官吏の人材を求めるに際しては首都と地方とを区別せず広く登用するものとする。(p.326-327)
 
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「アンカー」優先順位がおかしい鳩山政権&動き出してる外国人参政権

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■9/23放送「アンカー」青山繁晴の“ニュースDEズバリ”

鳩山オバマが初会談基地再編は?青山解説

090923-12sanseiken.jpg テレビ欄の内容と実際の内容、また全然違ってます。
 最初のキーワードは「やり直すなら今のうち」。これは鳩山政権だけでなく私たち有権者にも投げかけられている言葉です。

 “ニュースDEズバリ”コーナーの前に八ッ場ダム建設中止問題、鳩山首相の国連演説について青山さんの解説がありました。その部分は要旨を箇条書き、続いてコーナー本編は完全起こしでお送りいたします。

 間投詞(「あの」「その」など)や言い直しもできるだけ再現しました。但し、細かい相づちなどは支障のない範囲でカットしています。
 画像はYouTubeで拾ったビデオからキャプチャさせていただきました。


 内容紹介ここから____________________________

八ッ場ダム建設中止問題 現場を視察した前原国交相が会見「伺ってよかった」(FNN9/23)
鳩山首相、中国・胡錦涛国家主席との会談で「東アジア共同体」の創設を提案(FNN9/23)

 …………以上のニュース報道のあと青山さんの解説(要旨)…………

●八ッ場ダム建設中止問題について

 はっきりしてるのは政治的にミスを犯した。住民の言うとおり順番が逆。背景には政治的油断が。マニフェストの中に八ッ場ダム中止も盛り込まれてて、308議席をもらったんだから選挙後にそれを明言して当然だという油断、きつく言えば驕りがあってそう言ってしまった。ところがマニフェストは政治家の側は守らなきゃいけないが、有権者側は投票したからといってマニフェストに全部従わなきゃならないってこと全くないので、そこのところをよくわかってなかった。民主党政権側のミスなんだから、端的に言うといったん白紙撤回するしかない。

 ダムの点検・見直し自体はやりますと。が、八ッ場に関しては、住民にとって正しい手続きひっくり返してるから、お詫びだけじゃすまない。いったん撤回して話し合いを重ねて、もうすでに四千数百億使って住民の移転まで終わってる工事を何でひっくり返すのかを、あらいざらいテーブルに出すしかない。そうしないと、これ当初思われたよりはるかに重大な政治問題になってて、政権の根幹に関わりかねない。

 根幹という意味は、八ッ場でこういう失敗やると、これから前原さんは143のダムを全部点検するはずで、中には無駄なダムも現実ある。ところが無駄なダムをやり直さないということの言い訳にされてしまうから、ここでは謙虚にいったん白紙撤回すべき。

090923-01kokuren.jpg

●鳩山首相が温室効果ガス25%削減を国連の場で表明したことについて

 本音を言うと、えらいことになったなと。もちろん野心的な目標で、達成できれば日本の国際的地位は明らかに上がるが、達成できないとなった時のショックを考えれば、鳩山さん個人の問題あるいは鳩山政権の今後という問題じゃなくて、日本や日本国民の国際社会の中での信用に関わってくる。

 25%削減、無理すればおそらくできる。たとえば国内15%、90年比の削減にして、あとの10%は海外でやっていただいたやつを買うと。排出権取引を使って買うと(真水の部分が15%で残り10%は買う)。逆に言うと国外の排出権取引も値段がどんどんつり上がっていってるから、日本の財政事情も考える。私たちの生活や日本の企業の努力で15%程度はやっぱりやらなきゃいけない。それが10数年前の元気があった日本経済ならともかく、今のようにデフレスパイラルの状況が起きてる中で、15%削減を国内でやるのは、普通でいうとデフレの背中を押してることになる。その激烈な痛みを国際社会で宣言したわりには、鳩山さんはちょっとのんきかなと。拍手があって嬉しかったねと言われると。やらなきゃいけないのは僕たちですから。

 (鳩山首相は他国の協力を前提としていると言っているが拘束力はあるのか?通用するのか?)拘束力は全くない。通用するかというのは正直、今の日本の立場からいうと通用しない。現に鳩山さんは演説の中で、注意深く、25%って日本だけではできませんよと、アメリカや中国など主な排出力が協力してくれないと、あるいは新しい枠組み、今年12月にデンマークで作ることになってるが、それに入ってくれないとできませんよと言ってる。鳩山さんが一種のんきなのは、それを前提に言ってるんだから、日本だけで頑張ると言ったわけじゃないということなんでしょう。
 
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青山繁晴さんの講演に行ってきました

090920-02kouen.jpg 9月20日、青山繁晴さんの講演に行ってきました。

第三回 大阪護國神社英霊慰霊顕彰勉強会 「日本の希望が目覚める−わたしたちの忘れていた記憶を手がかりに−」

 青山さんが出演されている水曜「アンカー」のテキスト起こしを始めてもうだいぶ経ちますが、講演に行かせてもらったのは初めてです。
 
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くっくり式 民主党執行部名簿及びその他資料

目 次
くっくり式 鳩山内閣閣僚名簿(上)
 総理、副総理・国家戦略担当、総務、法務、外務、財務、文部科学、厚生労働、農林水産
くっくり式 鳩山内閣閣僚名簿(下)
 経済産業、国土交通・沖縄及び北方対策・防災担当、環境、防衛、官房長官、国家公安委員長・拉致問題担当、郵政改革・金融担当、消費者・食品安全・少子化・男女共同参画担当、行政刷新会議担当
くっくり式 民主党執行部名簿 及びその他資料(このページ)
 代表、幹事長、政調会長、国会対策委員長、参院議員会長


 各人の外交・安全保障政策を中心に、自分用のメモも兼ねてまとめてみました。ネットであまり情報のない人は極端に短くなっています。外交・安保面であまり発信していない人も同様。
 内閣発足後早くUPしたくて急いでまとめたのと、あと、鳩山さんや菅さんなど「有名人」はツッコミどころが多すぎるため、このまとめでは抜け落ちている点もあったりすると思いますが、どうかご容赦を。
 (「この人の場合、これはどうしても外せないでしょ!」というものがあれば、コメント欄にお願いします)

 なお、項目の「*」はWikipediaがソースです。


<<<民主党役員名簿>>>


【代表 鳩山由紀夫】
 →くっくり式 鳩山内閣閣僚名簿(上)の内閣総理大臣の項を参照。
 
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くっくり式 鳩山内閣閣僚名簿(下)

目 次
くっくり式 鳩山内閣閣僚名簿(上)
 総理、副総理・国家戦略担当、総務、法務、外務、財務、文部科学、厚生労働、農林水産
くっくり式 鳩山内閣閣僚名簿(下)(このページ)
 経済産業、国土交通・沖縄及び北方対策・防災担当、環境、防衛、官房長官、国家公安委員長・拉致問題担当、郵政問題・金融担当、消費者・食品安全・少子化・男女共同参画担当、行政刷新会議担当
くっくり式 民主党執行部名簿 及びその他資料
 代表、幹事長、政調会長、国会対策委員長、参院議員会長


 各人の外交・安全保障政策を中心に、自分用のメモも兼ねてまとめてみました。ネットであまり情報のない人は極端に短くなっています。外交・安保面であまり発信していない人も同様。
 内閣発足後早くUPしたくて急いでまとめたのと、あと、鳩山さんや菅さんなど「有名人」はツッコミどころが多すぎるため、このまとめでは抜け落ちている点もあったりすると思いますが、どうかご容赦を。
 (「この人の場合、これはどうしても外せないでしょ!」というものがあれば、コメント欄にお願いします)

 なお、項目の「*」はWikipediaがソースです。


<<<鳩山内閣閣僚名簿(下)>>>


【農林水産大臣 赤松広隆】
 公式サイト Wikipedia

※外交・安保面の政策や主張
 ・2009年衆議院総選挙前に行われたアンケートによれば、憲法9条改正には「反対」、集団的自衛権の行使を禁じた政府の憲法解釈については「見直す必要はない」、核武装については「将来にわたって検討すべきでない」、日本外交のあり方については「これまでよりアジアに比重を移すべき」、対北朝鮮政策については「対話をより進めるべき」と回答している。
 * 2006年10月に民団中央本部および「定住外国人の地方参政権を実現させる日・韓・在日ネットワーク」が国会議員に実施したアンケートにおいて、「外国人地方参政権が日本で実現しない理由は何だと思いますか?」との質問に対し、「自民党内の保守ナショナリスト達が強く反対しているため(安倍晋三も含めて)」と回答した。

※主な所属議員連盟・関係する団体等
 * 在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟
 * 北京オリンピックを支援する議員の会(副幹事長)

※不祥事
 * 2006年4月、赤松氏が代表を務める民主党愛知県第5区総支部が、2002年〜2005年までの間、外国企業や外国企業と疑われる企業計6社から寄付を受けていたと判明した。寄付をした6社の名前や国名について、赤松氏は人権上の問題があるとして明らかにしなかった。なお赤松氏は「社長や役員の名前が日本人名で、企業名も日本の名前だったため外国企業とわからなかった」と、一部報道で釈明した。赤松氏は以前から、一部で北朝鮮系の金融機関と取引のある企業(パチンコ業)との関係を指摘されており、北朝鮮系からではないか、と伝えられた。

※その他
 * 衆議院議員で日本社会党の国会対策委員長や副委員長を歴任した赤松勇氏の長男。
 * 1996年9月、社民党を離党し旧民主党結成に参画。2000年9月には鳩山由紀夫代表の下で国会対策委員長に就任。2005年9月、前原誠司新代表の下で副代表に就任。2006年9月、小沢一郎代表の下で副代表、政権戦略委員長を歴任し、2007年8月、党選挙対策委員長に就任。
 * 道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている。
 ・赤松氏の入閣が決まったのは「小沢氏が推薦したからだ」と小沢氏周辺が証言している[産経09/9/16]。

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【経済産業大臣 直嶋正行(参議院)】
 公式サイト Wikipedia

※外交・安保面の政策や主張
 ・2001年10月に実施されたアンケートによれば、アメリカ同時多発テロ事件に関する日本の対応について「アメリカの軍事行動を日本国が支援することに賛成ですか?」という問いに「自衛隊派遣も含め、どちらかといえば賛成」と回答、集団的自衛権の行使をめぐる憲法上の位置づけについては「現行憲法上は許されるし、憲法を改正して明確にすべき」と回答していた[「ポリ吉ブログ」アンケート]。
 ・拉致問題については2006年の時点で、「拉致問題=人権問題という観点で同じ価値観を持つEUをはじめとした民主主義国家の力も借りながら国連でこの問題に取り組んでいく努力をすべき」「日本は朝鮮に対し独自の措置をとってているが、中身を見ると、『圧力』一辺倒で、『対話』のチャネルが閉ざされているように思います。6ヶ国協議も1年以上開かれておらず、日本も『圧力』だけでなく、『対話』が出来る環境づくりに努力していかなければならない」と述べていた[公式サイト>私の視点2006年10月]。

※その他
 * トヨタ自動車に入社後、1980年に全トヨタ労連専従となる。1982年には全トヨタ労連組織局長を経て、1991年に自動車総連(全日本自動車産業労働組合総連合会)副会長に選出される。1992年に自動車総連推薦で民社党から参議院選挙に比例区で立候補し、当選する。
 * 1994年、新進党に参加する。新進党解党後、1998年1月、旧民社党議員によって結成された新党友愛に参加する。同年4月新党友愛は民主党に合同し、直嶋も同党に参加する。
 ・西松建設の不正政治献金事件が発覚した時、釈明に追われた小沢一郎代表(当時)は企業・団体献金を全廃するよう、政治資金規正法の改正を目指す意向を表明したが、これに対し、陰で打ち消しに奔走したのが長嶋政調会長(当時)である。2009年6月1日に行われた経団連との会合で、経団連側から「企業・団体献金に依存せずに政治活動を行うことが現実的なのか」と質されると、長嶋氏は「企業・団体献金は全て悪いから禁止せよと考えているわけではない」「禁止までの3年間については、引き続きご支援をたまわりたい」と答え、節操のないところを見せつけた[「正論」09年9月号【鳩山“友愛”体制を支える民主党七幹部の裏の顔】國會新聞社編集次長 宇田川敬介]。
 
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くっくり式 鳩山内閣閣僚名簿(上)

目 次
くっくり式 鳩山内閣閣僚名簿(上)(このページ)
 総理、副総理・国家戦略担当、総務、法務、外務、財務、文部科学、厚生労働
くっくり式 鳩山内閣閣僚名簿(下)
 農林水産、経済産業、国土交通・沖縄及び北方対策・防災担当、環境、防衛、官房長官、国家公安委員長・拉致問題担当、郵政改革・金融担当、消費者・食品安全・少子化・男女共同参画担当、行政刷新会議担当
くっくり式 民主党執行部名簿及びその他資料
 代表、幹事長、政調会長、国会対策委員長、参院議員会長


 各人の外交・安全保障政策を中心に、自分用のメモも兼ねてまとめてみました。ネットであまり情報のない人は極端に短くなっています。外交・安保面であまり発信していない人も同様。
 内閣発足後早くUPしたくて急いでまとめたのと、あと、鳩山さんや菅さんなど「有名人」はツッコミどころが多すぎるため、このまとめでは抜け落ちている点もあったりすると思いますが、どうかご容赦を。
 (「この人の場合、これはどうしても外せないでしょ!」というものがあれば、コメント欄にお願いします)

 なお、項目の「*」はWikipediaがソースです。


<<<鳩山内閣閣僚名簿(上)>>>


【内閣総理大臣 鳩山由紀夫】
 公式サイト Wikipedia

※外交・安保面の政策や主張
 ・2009年衆議院総選挙前に行われたアンケートによれば、憲法9条改正には「非該当(選択肢に当てはまらない)」、集団的自衛権の行使を禁じた政府の憲法解釈については「無回答」、核武装については「将来にわたって検討すべきでない」、日本外交のあり方について、アフガニスタン支援のための自衛隊派遣について、対北朝鮮政策については「非該当」と回答している(さすがに慎重になったものと思われ)。
 ・発言のブレが目立つ。
 <核武装議論>1999年10月「議題に乗せることすらしてはいけないという発想もいかがなものか」→2006年10月「議論も封印しなければならない」
 <ソマリア沖の海賊対策に海上自衛隊の艦艇活用>2008年10月「政権交代の暁に、積極的、前向きに検討する」→2009年1月「簡単に認めてはならない」「社民党や国民新党と極力歩調をそろえたい」
 <北方領土問題>2007年2月「四島一括返還では1000年たっても還らない」→2009年4月(谷内前外務次官が“三・五島論”を語ったとされたことについて)「四島返還への致命的な誤りを犯したのではないかと思う」
 <憲法改正>1999年民主党代表選「景気も大事だが、憲法論議を避けるべきではない」「自分自身への尊厳や自立する心を持った国をつくるため、前文や九条を見直していくべきだ」「政治家にとって一番の課題」→2005年2月発売の著書「その後、代表になってからも憲法改正の必要性を訴え続けたところ、野党第一党が憲法改正に前向きな主張をしていることが引き金となって、衆参両院に憲法調査会が設置されることとなった」→2009年5月「経済を立て直していくときに(中略)憲法の議論を大上段で構える余裕があるか、見極めないといけない」「今、首相になった時に即、憲法改正に手をつけられる状況ではない」
 詳しくは拙エントリー09/6/6付:鳩山由紀夫 変節まとめ(付:替え歌「傀儡ハッティ」)を参照。
 ・「非核三原則」でもブレた。2009年8月4日の記者会見では「非核三原則はある意味で法律を超えている国是のようなものだ。法制化すれば法律は変えられる危険性も持つ」と述べ、法制化には慎重姿勢を示していた。ところが、5日後の8月9日、長崎市内のホテルで被爆者団体代表者と懇談した際は、「唯一の被爆国として守っていくことが重要で、その一つに法制化という考え方もある。しっかり検討したい」と述べ、法制化を検討する考えを表明した[産経09/8/9]。
 ・外国人参政権付与に積極的。1996年頃は地方参政権どころか「私などはさらに一歩進めて、定住外国人に国政参政権を与えることをも真剣に考えてもよいのではないかと思っている」と述べていた[公式サイト>わがリベラル友愛革命←最近削除された。09/9/6時点の魚拓はこちら]。現在はそこまで考えているかどうかは不明だが、2009年4月17日の「ニコニコ動画」出演時の「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」という発言[FNN09/4/22(YouTube)こちらにテキストあり]から推測する限り、彼の「友愛」が外国人にも向けられていることは間違いないだろう。
 ・2009年8月11日、海外メディアとの記者会見に応じ、このように述べた。「村山談話は、私が(自社さ)政権にいたときにつくったもので、その思いは民主党が政権を取ったならば当然、尊重したい。自民党政権の中では、何か談話を踏襲するみたいなことを言いながら、どこまで本当に理解されていたのかという部分は若干の疑問を禁じ得ない。少なくとも私どもは、村山政権の思いを十分に受けた政権にしたい」「私自身は靖国神社を参拝するつもりはない。閣僚にも自粛するよう言いたい」[時事09/8/11及び「正論」09年10月号【第二の「村山談話」を阻止せよ】産経新聞政治部記者 阿比留瑠比]
 * 恒久平和調査局設置法案の成立を目指す「恒久平和のために真相究明法の成立を目指す議員連盟」の呼びかけ人である。同法案は4回提出され、3回とも廃案となっているが、鳩山氏は成立に強い意欲を示している。
 * 2007年4月、韓国で開催された「平和と共存のための北東アジア指導者会議」で、韓国の識者からの「6カ国協議では、拉致問題と北朝鮮の核開発問題を切り離してほしい」という要望に同意するが、拉致問題に関して日本人は理屈より感情が先んじている現実があるので、ナショナリズムを抑えるために韓国の協力が必要であるとスピーチした。

※外交・安保面以外での「ブレ」
 ・先の通常国会で廃案となった法案のひとつ「臨時祝日法案」(天皇陛下のご即位20年を記念し、国民こぞって祝うために今年11月12日を休日にするという内容。法案を推進してきた奉祝国会議員連盟には453人もの衆参両院議員が加盟し、民主党からも鳩山氏、小沢一郎氏がそれぞれ役員に名を連ねた)について、民主党議員時代(昨年8月離党)から法案作りに努めてきた改革クラブ代表、渡辺秀央は「鳩山君はブレにブレた」と総括する。「党内が一致できる一部の問題しか物事を進められない民主党の体質が典型的に表れた。皇室制度にどう向き合うかすら意思統一がされていないんだから」[産経09/8/5【続・民主党解剖】政権前夜(1)党内対立避け皇室論議封印]。
 ・2009年8月の総選挙前は首相主導の政権運営を目指し、財務相、官房長官など主要閣僚予定者が他党との連立協議などを行う「政権移行チーム」設置を唱っていたが、選挙後は一転、「閣僚人事は首相指名後に一気に決める」とし、見送る考えを表明した。小沢氏サイドへの配慮などが背景にあったとみられる[産経09/8/31【政権交代】(2)鳩山代表、友愛もブレ]。
 ・2009月9月16日の大臣就任会見から雑誌、ネットの記者は追い出された(雑誌は5人のみ許可が下りたが質問は禁じられた)。この件についてジャーナリストの上杉隆氏は以下のように批判している。「鳩山代表、小沢一郎代表代行自ら、『民主党が政権を取ったら、会見はオープンにする』と、3度も約束した。にもかかわらず、最初の会見から果たされていない。事実上の公約を破り、国民の知る権利を侵害する行為で、極めて残念です」「民主党政権は、会見開放という自分の足下の改革すらできないのであれば、霞が関全体の官僚打破なんて到底できるはずがない」 [日経ビジネス09/9/16>鳩山内閣早くも公約違反?隠れた官僚支配の温床壊せず]。この問題については、他に山口一臣氏(週刊朝日)池田信夫氏宮台真司氏などからも同様の指摘がなされている。
 
※皇室(皇室典範問題など)
 * 2005年11月18日の記者会見で「女性天皇は当然、あってしかるべきだし、歴史的にもあるが、女系天皇まで容認すれば、日本の歴史、伝統からみると大変大きな変化であり、慎重に議論することが重要だ」と発言している。

※主な所属議員連盟・関係する団体等
 * 恒久平和のために真相究明法の成立を目指す議員連盟(呼びかけ人)
 * 北京オリンピックを支援する議員の会(会長代理)
 * 日中友好議連(副会長)
 * 日韓議員連盟(顧問)
 * 在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟
 * 民主党日韓議員交流委員会委員長
 * チベット問題を考える議員連盟←意外?(^_^;
 * 同志社大学文化情報学部客員教授(2005年就任)
 * 特定非営利活動法人日本・ロシア協会(日ロ協会)会長

※不祥事
 ・架空個人献金記載問題→あまりにも有名なので割愛。Wikipediaその他を参照。ちなみに、この問題について鳩山氏が「資金管理団体収支報告書への架空個人献金記載を秘書の独断だった」と説明していることについて、衆院選直後に行われた世論調査によれば「納得できない」73%が「納得できる」15%を大きく上回っている[読売新聞社が09/8/31〜9/1に実施した緊急全国世論調査]。

※その他
 * 2002年11月に、鳩山氏らチベ議連がダライ・ラマ14世と会談した際、中国から抗議を受けた。
 
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「アンカー」鳩山内閣の特徴&日米間3つの難題と抜け道

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■9/16放送「アンカー」青山繁晴の“ニュースDEズバリ”

鳩山政権きょう午後に誕生へ…速報あの人の入閣は?新政権に何を期待する▽閣僚人事の裏側は?政権のアキレスけんは外交か…どうなる日米首脳会談?青山ズバリ

090916-18kao.jpg 今日は特番ということで1時間前倒しで始まりました。突然のことだったので見逃した方も多いんじゃないでしょうか。普段「アンカー」をやってる時間帯は東京からの特番放送という段取りに急遽決まったらしくて、テレビ欄も対応できてませんでした。(青山さんのブログには13時半頃にその報告が)。

 “ニュースDEズバリ”コーナーの前に鳩山内閣の顔ぶれについて青山さんの解説がありました。その部分は要旨を箇条書き、続いてコーナー本編は完全起こしでお送りいたします。

 間投詞(「あの」「その」など)や言い直しもできるだけ再現しました。但し、細かい相づちなどは支障のない範囲でカットしています。
 画像はYouTubeで拾ったビデオからキャプチャさせていただきました。


 内容紹介ここから____________________________

民主・鳩山代表、衆参両院本会議で第93代首相に指名へ 衆院議長に横路前副議長を選出(FNN9/16)
民主・鳩山 由紀夫代表、第93代首相に選出(FNN9/16)
平野博文官房長官、首相官邸で鳩山内閣の閣僚名簿を発表(FNN9/16)

 …………以上のニュース報道のあと青山さんの解説(要旨)…………

090916-00naikaku.jpg

●(鳩山内閣の特徴について)具体的な人間の顔を見て判断するのが正しいと思う。そうすると全体からにじみ出てくるのは、ここにいない人の顔。このあたり(鳩山総理の上あたり)から小沢さんの顔が見えてると言わざるをえない。労働組合の出身者が目立つ。官房長官の平野さんは電機の労働組合。直嶋さんは自動車の労働組合で経済産業大臣というのはびっくりな話。文部科学大臣の川端さんも東レの労組、繊維の大きな労組出身。労組出身にどうして小沢さんの気配を感じるかというと、小沢さんはあとから民主党に合流した人。それまで民主党はどちらかというと元自民党組の勢力が強かったのが、小沢さんが来てから労組出身者、左派に近い人を、今言った人はあまり左派じゃないが、労組をベースにして小沢さんは力を拡大してきた。労組は組織力あるし、カンパという名目でキャッシュを集められる。人とカネを小沢さんは利用してきた気配がある。人選は鳩山さんがやってると思うが、14日に小沢さんに最後了解を得た。10分間という短さがよけいに影響力を感じる。鳩山内閣だけど小沢内閣の気配が濃厚に漂ってる布陣。

●(参議院から入閣多い。来年の参院選を見据えた布陣?)参議院議員会長の輿石さん、この人も小沢さんに近いが、2人入れてくれと言ったのが3人入ってる4人では?千葉さん、福島さん、直嶋さん、北澤さん「民主党」から3人の意なのでこれで合ってます)。参院選に勝てば小沢さんの力はますます強くなるから、3人入ってるのは明らかに参院選への配慮で、これも小沢シフト。

●(小沢さんと仲良くない藤井さんが入っている)藤井さんはずっと小沢さんを庇い続けた人だが、西松事件の時に代表辞任するべきだと1回言っただけで小沢さんに憎まれてる。それが影響したのか藤井さんはいったん引退した。復帰をお願いしたのは鳩山さん。もう予算のシーリングは終わってて、予算作業が本来進んでる時に政権を取って、予算編成組み直していったら、必ず予算編成が遅れる。景気に決定的な悪影響を与えかねない。時間に追われながらの予算の組み替えという、史上一度もやったことがないことを誰ができる?藤井さんしかいない。鳩山さんは拝み倒して藤井さんを呼んだ。そういう経緯をいっさい言わずに藤井さんは我慢している。藤井さんとは考え方が違うので好きというわけではないが、今回は本当に国のために我慢されてると思う。

●(菅さんは国家戦略担当、予算を束ねる所という報道もあるが、財務省とはどう向き合う?)これは藤井さんは我慢ですまなくて、菅さんが予算の全部わかってるとは言い切れないから、菅さんが上から言ってきた場合には当然ぶつかる。もう対立の根がここに1個ある。少なくとも間もなく出てくる。だって予算編成どんどんやらなきゃいけないから。もう1つ気になるのは、亀井さんを郵政問題の担当にしたことはさておき、金融担当もくっついてる。金融担当は予算に直接関係ないとは言いながら、でも経済に関係あるということで、藤井さんと菅さんのぶつかりに亀井さんが首を突っ込んでくる可能性は十分ある。国民新党はこのままでは存在感薄れるから、亀井さんは金融の方から照らして予算のことも話を入れてくる。たとえば中小企業の手当のために別の予算を考えろとか。中小企業のために借金をしばらく返さなくていいという提案もすでにしてる。それの実行なかなか難しいから、予算の手当をやってこいと、それで中小企業に恩恵を与えろと。自分の言葉をカバーするためにもおそらく言ってくる。そうすると政権の中軸のラインで対立がおそらく出てくるだろう上に、本来、郵政問題担当は総務省。総務大臣の原口さんがやらなきゃいけないのに、亀井さんがやるとなったら、原口さんは処世術に長けてるからすぐにはぶつからないだろうが、根本的にはやはりぶつかる。そうするとこの内閣というのは、パッとみて意外とあまりフレッシュじゃないもともと定評のある方、ベテランを起用した内閣だが、それだけに対立したら、お互いに自分の価値観がはっきりしてるだけに譲れないという気配がある。

●女性2人のうち法務大臣の千葉景子さん、あまりにはっきりしててびっくりした。外国人地方参政権推進派。この人を法務大臣に持ってきたのは、内閣としてその意志を明確にしたということだと思う。小沢さんはすでに1年以内にやりたいと言ってるから、ここにも小沢さんの影が差している。
 
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「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(2)

 イザベラ・バード著「朝鮮紀行〜英国婦人の見た李朝末期」(時岡敬子訳/講談社学術文庫)から、19世紀末の朝鮮に関する興味深い記述を引用でお届けするシリーズ、第2弾です。

 ※第1弾はこちら。
  8/9付:「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(1)

0908bird-chogori.jpeg これは「朝鮮紀行」158ページに掲載されている絵です(クリックすると新規画面で拡大します)。バードが撮影した写真をもとに画家が挿画用に描いたものです。

 キャプションには【朝鮮の母親の衣装】とあります。いわゆる「乳出しチョゴリ」というやつでしょうか。

 第1弾で掲載したソウルの「南大門路」の写真もそうでしたが、朝鮮史関連のサイトをよく回られている方でしたら、こういった朝鮮女性の衣装の写真や絵を一度はご覧になったことがあると思います。

 ——「朝鮮紀行」の著者イザベラ・バードはイギリス人女性。1894年(明治27年)1月から1897年(明治30年)3月にかけ、4度にわたり朝鮮を旅行しました。当時60代。

 当時の朝鮮は開国直後でした。
 バードが最初に朝鮮入りした1894年の8月に日清戦争が勃発、翌年には下関条約により長年支那の「属国」だった朝鮮は独立します。
 列強各国の思惑が入り乱れ、まさに激動の時代にあった朝鮮の貴重な記録ということになります(ちなみに日韓併合成立は1910年)。

 その他詳細は第1弾の前書き及び後書きをご覧下さい。

 以下、イザベラ・バード著「朝鮮紀行」の引用です。
 〈 〉内はフリガナ、[ ]内は訳註です。
 フリガナについては固有名詞以外の判りやすいもの(「流暢」「狡猾」など)は省略しました。


 「朝鮮紀行」引用ここから_________________________
 
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「アンカー」小沢支配政権!?&民主党にすり寄る公明党

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■9/9放送「アンカー」青山繁晴の“ニュースDEズバリ”

幹事長に小沢氏で二重構造に…子ども手当に黄信号?政権の未来を青山解説

090909-16nisi.jpg 小沢さんの幹事長就任で、「権力の二重構造」どころかもっと大変なことに!?

 コーナー前に鳩山新政権と自民党関連のニュース及び青山さんの解説がありました。そこの解説は要旨を箇条書き、続いてコーナー本編は完全起こしでお送りいたします。

 間投詞(「あの」「その」など)や言い直しもできるだけ再現しました。但し、細かい相づちなどは支障のない範囲でカットしています。
 画像はYouTubeで拾ったビデオからキャプチャさせていただきました。


 内容紹介ここから____________________________

090909-01shamin.jpg

主・社民・国民新党、連立政権樹立で合意 合意文書では民主党も歩み寄る形(FNN9/9)
 安全保障問題をめぐってもめていた合意文書については、「沖縄県民の負担軽減の観点から、日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても、見直しの方向で臨む」と書き加えることで決着。
自民党で党再生のための方策を協議する「党再生会議」初会合(FNN9/9)

 …………以上のニュース報道のあと青山さんの解説(要旨)…………

民主・社民・国民新が連立政権樹立で合意
 まず合意に達したという中身を視聴者はご覧になって「あれ?」と思われたと思う。合意内容は民主党のマニフェストの内容ほとんどそのまま。日米地位協定の改定は提起しますというのは、アメリカ側に言ってみますということ。それから米軍再編や在日米軍基地のあり方、これは沖縄の普天間基地を言っているが、社民党は普天間基地という名前を入れろと要求していたはずが、入れずに見直しの方向で臨むと。これ民主党のマニフェストでしょ。だから今まで何を話していたのか?と。
 それからさっきぶら下がり取材で「社民党の要求が受け入れられたか?」と記者団の方も呑気に訊いて、それに「そうです」と社民党が答えていたが、どこがどうなのか。普通に考えたら、表の合意と違って密約があるのかということになりかねない。そこが一点疑問。
 それから民主党の側からしたら、マニフェストのこの部分自体が、もう政権取る見通しが何となく立ってたからもう現実路線だった。本当は日米地位協定も「アメリカ側に言ってみたけどやっぱりアメリカの反対で駄目でした」という含みだし、含みというのは言い過ぎかもしれないが、とにかく提起するまでが我々の責任で、その後はどうなるかわかりませんという話だし、それから普天間基地を明言しないということも含めて現実路線だった。これで合意したとしても、合意したが、日米首脳会談その他で、じゃあたとえば普天間基地を、今のところ日米政府間で合意したものは名護に移転で決めてしまってる。僕は普天間も名護も何度も行ったが、沖縄では県内の移転自体に反対の声も強くて、名護の海岸にはテント張られてて反対派が詰めてる。彼らはすでに民主党政権に不信を持ってて、選挙までは期待していたが、選挙後不信を持ってて、結局名護に来てしまうんじゃないかと思ってる状況。
 (山本浩之「選挙前は最低でも県外と鳩山さんは言っていたが」)選挙後連立協議の中で、民主党はそういう話しないから不信感を持ってるところが、民主党のマニフェスト通りの現実路線の合意になったということは、これははっきり言うと時限爆弾です。アメリカが突然、政府間合意を没にして普天間を県外かグアムかどこかに持っていきましょうとなる見通しはゼロ。どうしてかというと、日米間だけに関わらず政府間合意というのは、どちらかの国が政権交代しても安保に関する合意はそのまま生きるというのが国際社会の常識。そうでないと危なくて合意できない。だからアメリカはそういうことを楯にしてるので、日本だけそのルール破れるか?ということになる。
 地位協定の方も、同じ敗戦国のたとえばドイツも米軍がいるが、米軍の扱いは日本よりもドイツにとって不利な協定になっている。だから地位協定の改定もひょっとしたら名目的な回答あるかもしれないが、中身に踏み込んで実際に沖縄県民の怒りや不満をなだめるような改定内容になる見通しはほとんどない。日本でそれやるとドイツや他の国も動くから。全世界の米軍に影響するから。
 そうすると今は民主党のマニフェスト路線でごまかしたけども、やがてこれが時限爆弾になりかねないという意味では、連立協議が整ってこれから連立政権だなというワッと沸くような期待感は正直この面では持ちにくい。
 (山本浩之「この後日米首脳会談控えているが」)アメリカは民主党のマニフェスト通りだったら、「改定を言われたけどできません」と答えればいいと。それで終わりとなって、社民党や沖縄の人々がもつのか?
 
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外国人から見た日本と日本人(14)

090906hisa.jpg 6日、悠仁親王殿下が3歳の御誕生日を迎えられました(画像=時事通信)。
 心より御祝い申し上げます。
 
 お健やかに成長されているご様子を拝見でき、国民の一人として喜ばしい限りです。お顔立ちもずいぶんしっかりされてきましたね。

 お召しになっているのは皇室伝統の「黒紅縫(くろくれないぬい)の御祝着」で、御誕生日を前に天皇、皇后両陛下がプレゼントされた物だそうです。

 日本中が沸いたあの日からもう3年も経つんですね。早いもんですなぁ(T^T)

 さて、「外国人から見た日本と日本人」第14弾です。

 今回も有名な人、さほど有名でない人、戦争に関連するもの、関連しないもの、新しいもの、古いもの、各種取り混ぜております(敬称略)。
 
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