「ATLAS日本」アメリカから見た現代日本

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★★★12/13付:「たかじん非常事態宣言」国籍法 河野太郎電話出演★★★


081215atlasjapan0.jpeg 皆さんはディスカバリーチャンネルというのをご存知でしょうか。
 アメリカのケーブルテレビネットワークチャンネルで、世界170カ国以上で放送され、視聴世帯数4億5千万世帯を擁する世界最大のドキュメンタリーチャンネルです。

 そのディスカバリーチャンネルで「ATLAS」シリーズというのが順次、放送されました。世界の国々の文化、歴史、地理、自然の豊かさなどを紹介するドキュメンタリー番組です。

 今日はその中から、「ATLAS 日本」の内容をちょこっとだけ紹介します。
 日本では11月9日に初回の放送がありました。
 
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「雷」工藤艦長の武士道精神とサー・フォールの報恩

 本日は「外国人から見た日本と日本人」番外編です(^o^)

081103-kudou.jpeg 駆逐艦「雷」工藤艦長による英海軍将兵救出劇を皆さんはご存知でしょうか。
 大東亜戦争下、1942年(昭和17年)の史実です。

 その時救出されたイギリス人元兵士の1人が2003年10月、来日しました。サー・フォール(サムエル・フォール卿)です。
 彼の再来日が迫っています。
 
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【終戦の日】外国人から見た日本と日本人(7)

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 「外国人から見た日本と日本人」第7弾です。
 今日は終戦の日(もう日付変わっちゃったけど)ということで、それにふさわしいと思うものを集めてみました。過去に紹介したものも何点か混じっています。
 (新規のものは■、紹介済のものは○)
 
 
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)=アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれる。1869年(明治2年)に渡米、新聞などで活動。1890年(明治23年)、松江に英語教師として赴任。その後、熊本、神戸、東京と移り住み、日本に帰化。多くの日本論も残した。
「日本−一つの試練」より

 天皇の命令ならば、一命をささげることを願うあの勇猛心、あれはみな、そういう庶民のなかにあるのである。
 げんに今、戦争に応召されている何万という若い人たちから、名誉をになって国に帰りたいなどということばは、ひとことも聞かれない。
 誰もが口に出して言っている望みは、死んで『招魂社』で長く記憶されたいということだけなのだ。
 『招魂社』とは、天皇と国民のために死んだ諸霊が集まるところと信じられているところである。
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外国人から見た日本と日本人(6)

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 「外国人から見た日本と日本人」第6弾です。
 2月11日以来ですね。楽しみにして下さっていた方、お待たせしました。
 今回も有名なもの、さほど有名でないもの、戦争に関連するもの、関連しないもの、新しいもの、古いもの、各種取り混ぜております(敬称略)。
 
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外国人から見た日本と日本人(5)

 今日は建国記念の日ですね。
 国民の祝日に関する法律(祝日法)第2条では、「建国記念の日」の趣旨は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」と規定されています。
 今年もまた全国各地で賛成集会、反対集会が開かれるのでしょうね。

 そんな喧噪とは離れたところで、日本について考えてみませんか?
 ――ってことで「外国人から見た日本と日本人」第5弾です(無茶振り?(^_^;)。
 今回も有名なもの、さほど有名でないもの、戦争に関連するもの、関連しないもの、新しいもの、古いもの、各種取り混ぜております(敬称略)。
 
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外国人から見た日本と日本人(4)

 今夜2本目のエントリーです。

 外国人から見た日本と日本人の姿、第4弾です。
 有名なもの、さほど有名でないもの、戦争に関連するもの、関連しないもの、新しいもの、古いもの、各種取り混ぜております(敬称略)。
 
 昭和天皇崩御から20年目ということで、今回はそれに関連した新聞記事、動画紹介、私の回顧も。
 
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外国人から見た日本と日本人(3)

 お待たせしました。外国人から見た日本と日本人の姿、第3弾です。
 有名なもの、さほど有名でないもの、戦争に関連するもの、関連しないもの、新しいもの、古いもの、各種取り混ぜております(敬称略)。
 今回はYoutube動画もご紹介!(^o^)
 
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外国人から見た日本と日本人(2)

 外国人から見た日本と日本人の姿、第2弾。
 有名なもの、さほど有名でないもの、戦争に関連するもの、関連しないもの、新しいもの、古いもの、今回も各種取り混ぜております(敬称略)。
 
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外国人から見た日本と日本人(1)

 外国人から見た日本と日本人の姿。
 文章や発言を集めてみました。
 有名なもの、さほど有名でないもの、戦争に関連するもの、関連しないもの、各種取り混ぜております(敬称略)。

※このシリーズの一覧(人物名と国名)を作りました。


C・P・ツュンベリー=スウェーデン人。医師・植物学者。ケンペル、シーボルトと並んで「出島の三学者」と謳われた。1775年(安永4年)来日。
「江戸参府随行記」より

 地球上の民族のなかで、日本人は第一級の民族に値し、ヨーロッパ人に比肩するものである。・・・その国民性の随所にみられる堅実さ、国民のたゆまざる熱意、そして百を超すその他の事柄に関し、我々は驚嘆せざるを得ない。政府は独裁的でもなく、また情実に傾かないこと、・・・飢餓と飢饉はほとんど知られておらず、あってもごく稀であること、等々、これらすべては信じがたいほどであり、多くの人々にとっては理解にさえ苦しむほどであるが、これはまさしく事実であり、最大の注目をひくに値する。

(中略)日本人の親切なことと善良なる気質については、私は色々な例について驚きをもって見ることがしばしばあった。それは日本で商取引をしているヨーロッパ人の汚いやり方やその欺瞞に対して、思いつく限りの侮り、憎悪そして警戒心を抱くのが当然と思われる現在でさえも変わらない。国民は大変に寛容でしかも善良である。

(中略)正義は外国人に対しても侵すべからざるものとされている。いったん契約が結ばれれば、ヨーロッパ人自身がその原因を作らない限り、取り消されたり、一字といえども変更されたりすることはない。

タウンゼント・ハリス=初代米国総領事。1856年(安政3年)来日。
「日本滞在記」より

 彼ら(日本人)は皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない−これが恐らく人民の本当の幸福というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるか、どうか、疑わしくなる。私は、質素と正直の黄金時代を、いずれの他の国におけるよりも、より多く日本において見出す。

バジル・ホール・チェンバレン=イギリス人。1873年(明治6年)〜1905年(明治38年)、日本で教師として活躍。
「日本事物誌1」より

 日本人の間に長く住み、日本語に親しむことによって、この論文の後半において簡単に述べた最近の戦争や、その他の変化の間における国民のあらゆる階級の態度を見ることができたが、これらの外国人すべてに深い印象を与えた事実が一つある。それは、日本人の国民性格の根本的な逞しさと健康的なことである。極東の諸国民は――少なくともこの国民は――ヨーロッパ人と比較して知的に劣っているという考えは、間違っていることが立証された。同様にまた、異教徒の諸国民は――少なくともこの国民は――キリスト教徒と比較して道徳的に劣っているという考えは、誤りであることが証明された。

 過去半世紀間、この国のいろいろな出来事を充分に知ってきたものは誰でも、ヨーロッパの総てのキリスト教国の中に、日本ほど前非を認めるのが早く、あらゆる文明の技術において教えやすく、外交においては日本ほど率直で穏健であり、戦争に際してはこれほど騎士道的で人道的な国があろうとは、とうてい主張できないのである。もし少しでも「黄禍」があるとするならば、ヨーロッパ自身の良き性質にもまさるさらに高度の良き性質を、その新しい競争相手が所有しているからにほかならない。このように驚くべき成果が生じたのは、日本人が苦境に立たされていることを自覚し、断乎として事態を改善しようと決意し、全国民が二代にわたって熱心に働いてきたからにほかならない。

(引用者注:「黄禍」=19世紀半ばから20世紀前半にかけて、アメリカ・ドイツ・カナダ・オーストラリアなど白人国家において、アジア人を蔑視し差別する「黄禍論」が現れた)

バジル・ホール・チェンバレン=イギリス人。1873年(明治6年)〜1905年(明治38年)、日本で教師として活躍。
「日本事物誌1」より

 1877年(明治十年)薩摩の反乱(西南戦争)を鎮圧したとき、日本軍人は砲火の洗礼をあびた。日本軍人は日清戦争(1894〜5)において偉功を立て、外国の専門家たちを驚嘆させた。特に兵站部の組織は徹底的に行き届いたもので、峻烈な気候と貧しい国土にあって、敢然とその任務に当った。

 統率もまずく栄養も不良で、生れつき戦争嫌いの中国人は、逃走することが多かった。日本人の胆力を示す機会はほとんどなかった。しかしながら1894年9月15日の平壌の戦闘、続いて満洲に進軍し、同年11月に旅順を占領したのは注目すべき手柄であった。

 さらに1900年(明治三十三年)、北京救出のため連合軍とともに進軍した日本派遣軍は、もっとも華々しい活躍を見せた(北清事変)。彼らはもっとも速く進軍し、もっともよく戦った。彼らはもっともよく軍律に従い、被征服者に対してはもっとも人道的に行動した。

 日露戦争(1904〜5)は同様のことを物語っている。日本は今や、その大きさにおいては世界最強の軍隊の一つを所有していると言っても過言ではない。この事実には――事実と仮定して――さらに驚くべきものがある。それは、日本陸軍が作者不明(という言葉を使わせてもらえば)だからである。世界的に有名な専門家がこのすばらしい機構を作りあげたのではない――フレデリック大王も、ナポレオンもいない。それは、狭い範囲以外にはほとんど知られていない人びとが作りあげたものである。

バジル・ホール・チェンバレン=イギリス人。1873年(明治6年)〜1905年(明治38年)、日本で教師として活躍。
「日本事物誌2」より

 絵画や家の装飾、線と形に依存するすべての事物において、日本人の趣味は渋み――の一語に要約できよう。大きいことを偉大なことと履き違えているこけおどし、見せびらかしと乱費によって美しさを押し通してしまうような俗悪さなどは、日本人の考え方のなかに見出すことはできない。

(中略)金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。実に、貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない。ほんものの平等精神が(われわれはみな同じ人間だと心底から信ずる心が)社会の隅々まで浸透しているのである。

 ヨーロッパが日本からその教訓を新しく学ぶのはいつの日であろうか――かつて古代ギリシア人がよく知っていた調和・節度・渋みの教訓を――。アメリカがそれを学ぶのはいつであろうか――その国土にこそ共和政体のもつ質朴さが存在すると、私たちの父祖達は信じていたが、今や現代となって、私たちはその国を虚飾と奢侈の国と見なすようになった。それは、かのローマ帝国において、道徳的な衣の糸が弛緩し始めてきたときのローマ人の、あの放縦にのみ比すべきものである。

 しかし、日本が私たちを改宗させるのではなくて、私たちが日本を邪道に陥れることになりそうである。すでに上流階級の衣服、家屋、絵画、生活全体が、西洋との接触によって汚れてきた。渋みのある美しさと調和をもつ古い伝統を知りたいと思うならば、今では一般大衆の中に求めねばならない。

イザベラ・バード=イギリス人。当時の女性としては珍しい旅行家で、1878年(明治11年)以降、日本各地を旅した。
「日本奥地紀行」より

 ヨーロッパの多くの国々や、わがイギリスでも地方によっては、外国の服装をした女性の一人旅は、実際の危害を受けるまではゆかなくとも、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすりとられるのであるが、ここでは私は、一度も失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金をとられた例もない。

 群集にとり囲まれても、失礼なことをされることはない。馬子は、私が雨に濡れたり、びっくり驚くことのないように絶えず気をつかい、革帯や結んでいない品物が旅の終わるまで無事であるように、細心の注意を払う。

(中略)私は日本の子どもたちがとても好きだ。私は今まで赤ん坊の泣くのを聞いたことがなく、子どもがうるさかったり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。日本では孝行が何ものにも優先する美徳である。何も文句を言わずに従うことが何世紀にもわたる習慣となっている。英国の母親たちが、子どもを脅したり、手練手管を使って騙したりして、いやいやながら服従させるような光景は、日本には見られない。

 私は、子どもたちが自分たちだけで面白く遊べるように、うまく仕込まれているのに感心する。家庭教育の一つは、いろいろな遊戯の規則を覚えることである。規則は絶対であり、疑問が出たときには、口論して遊戯を中止するのではなく、年長の子の命令で問題を解決する。子どもたちは自分たちだけで遊び、いつも大人の手を借りるようなことはない。

エドワード・シルベスタ・モース=アメリカ人。明治10年代に計3回日本に滞在。東京大学で生物学を講じた。大森貝塚を発見。
「日本その日その日1」より

 外国人は日本に数カ月いた上で、徐々に次のようなことに気がつき始める。即ち彼は日本人にすべてを教える気でいたのであるが、驚くことには、また残念ながら、自分の国で人道の名に於いて道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人は生まれながらに持っているらしいことである。

 衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正さ、他人の感情についての思いやり・・・・これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である。

 こう感じるのが私一人でない証拠として、我国社交界の最上級に属する人の言葉をかりよう。我々は数ヶ日の間ある田舎の宿屋に泊まっていた。下女の一人が、我々のやった間違いを丁寧に譲り合ったのを見て、この米国人は「これ等の人々の態度と典雅とは、我国最良の社交界の人々にくらべて、よしんば優れてはいないにしても、決して劣りはしない」というのであった。
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追悼 阿久悠さん

 私は雑誌「正論」をほぼ毎月購読しています。
 阿久悠さんの連載【あQ巷談 昭和二桁晩節日記】は一服の清涼剤でした。

 連載中、たびたび「病院」「入院」「療養」などの文言が登場していましたから、体調がもうずっとあまり良くないことは存じ上げていましたが、まさかこんなに急に旅立たれてしまうとは……。残念でなりません。

 ワイドショーで阿久悠さんが作詞をされたヒット曲が次々紹介され、「えっ、この歌もそうなの?」「えっ、この歌もですか!?」と、一人でびっくりしてました。

 先ほどNHKでやっていた追悼スペシャルは夫と二人で見てました。
 ピンクレディーの「UFO」は歌詞も振り付けも未だに覚えていて、思わず歌いながら踊ってしまいましたよ(^^ゞ

 北原ミレイさんの「ざんげの値打ちもない」は、一時期カラオケでよく歌わせていただきました。……「くっくりさん、アンタいったい何歳やねん」って?私はピンクレディーどんぴしゃりの世代ですよ、念のため(^^ゞ

 「宇宙戦艦ヤマト」も阿久悠さんだったんですね。昔、ヤマトが大好きだったのに、すっかり忘れてしまってました(T^T)

 阿久悠さんの代表作がオフィシャルサイトで紹介されています。皆さんも「え、この歌も!?」と“びっくり”して下さい(^_^;
 
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