官邸がようやく「うん」と言った!?浜岡原発運転停止要請

 5月6日、午後7時のNHKニュースを見ていたら、菅総理の記者会見が生で飛び込んできました。

 静岡県御前崎市にある中部電力の浜岡原子力発電所の運転停止を要請したことを明らかにし、「東海地震に十分対応できるよう防潮堤の設置など中長期の対策を確実に実施することが大切だ」と述べたものです(詳報は産経5/6 20:07などでご確認を)。

 浜岡原発が危険だという話は前々からあったようですが、最近、特に政局絡みでその話を聞いた覚えがあるなぁと思ったら、そう、青山繁晴さんが「アンカー」で言ってたんです。4月20日放送分です。

 青山さんがこの時話されていた経緯を鑑みると、今回の菅さんの決断は評価すべきなのでしょうか?

 以下、4月20日放送:「アンカー」アレバ社は信用できない&福島原発周辺で青山が見た現実の文字起こしより一部を自己引用。
 
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「アンカー」原発取材続報 - 政権からの圧力!しかし現場には成果も

【一覧】「アンカー」青山さんコーナーテキスト起こし

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■5/4放送「アンカー」青山繁晴の“ニュースDEズバリ”

命をかけた防災無線津波被害の漁師の思い青山が被災地を取材!

110504-19hosono.jpg テレビ欄は上記のようになっていましたが、急きょ内容変更。

 先週4/27のこのコーナーで、青山さんの福島原発構内の取材及び吉田所長のインタビューが放映されましたが(他局でも流れましたが)、これに関連して、5/2放送「TVタックル」で、青山さんが「副大臣から圧力があった」と暴露されたのをご存知の方も多いでしょう。
 さらに細野豪志首相補佐官が、青山さんの原発取材について「政府としてではなく、個人として入った。今後はないようにする」と不快感を示した、という報道もありました(読売5/3)。
 今日はこの一連の「圧力」問題と、取材ビデオ放映が現場にもたらした「成果」についてです。

 間投詞(「あの」「その」など)や言い直しもできるだけ再現しました。但し、細かい相づちなどは支障のない範囲でカットしています。
 画像はYouTubeからキャプチャさせていただきました。

※引用転載はご自由に。事前連絡不要です。但し誤字などに後日気づいて修正をすることが多々ありますので、必ずこちらのURLを添えておいて下さい。また画像を利用される方は、直リンクでなく必ずお持ち帰り下さい。


 内容紹介ここから____________________________

山本浩之
「このあとは青山さんの“ニュースDEズバリ”のコーナーです。今日は、先週の続報、というふうに伺いました。」

青山繁晴
「そうですね。あの、今日はゴールデンウィークの祝日ですから、普段この『アンカー』をご覧になれない方もご覧になってると思うんですけど、先週、えー、私が福島第一原発の構内に入ってきまして、その映像と、それから吉田さんていう所長のお話を放送したんですね。で、ヤマヒロさんおっしゃった通り、その続報なんですが、ま、今日のキーワードはこれです(フリップ出す)」

110504-01frip.jpg

山本浩之
『政権からの圧力、現場への成果』

青山繁晴
「はい。これ、あの、もちろんいつもと同じように全く具体的にかつ、ありのままに放送いたしますが。政権、ま、政権なんですけど、政権の一部から、圧力がかかってきてると同時に、実は、現場へのと書きましたが、今、福島第一原発の現場で戦っている人々にとっては、実は成果もありました。その希望の話も含めて、皆さんと一緒に考えたいと思います」

山本浩之
「えー、ではコマーシャルをはさんで、青山さんの解説です」

(いったんCM)

山本浩之
「今日のこのコーナーではですね、先週にもお話しいただきましたけど、あの、南三陸町、被災地のこの現状について、お伝えする予定でした。今朝の朝刊のテレビ欄にもそういうふうに予告はしておりましたけれども、急きょ内容を変更されたと。一体何があったのか。さっそく解説していただきます」

110504-02title.jpg

青山繁晴
「はい。あの、今、ヤマヒロさん言われた通り、先週の放送のあと、1週間の間にずいぶんと色んなことはありました。その中に、あの、やっぱり国民に知っていただきたい大事なことがありますから、それを今日、しっかりやりたいと思います。普段よりちょっと時間長くかかっちゃうかもしれないんですが。で、まずは、先週流したその映像をですね、繰り返しになりますけれども、先週ご覧になれなかった方も多いんじゃないかと思うんで、ちょっとすごく短くしましたけど、ちょっとまずそれを流して下さい」

村西利恵
「青山さんが許可を得て撮影された、福島第一原発の事故現場の映像です。どうぞ」

 …………………………VTR開始…………………………

(前回放送分「青山が見た福島第一原発」より)



青山繁晴
「1週間前は中に入りませんでしたが、今回は許可を得て、中にこのまま入っていきます」



青山繁晴
「今、福島第一原子力発電所の正門です。みんなピリピリとモラル高く仕事をしてるなという印象です」



【N:出迎えてくれたのは、福島第一原子力発電所の所長、吉田昌郎(よしだまさお)さん。】

青山繁晴
「わー、すごい」



【N:ここが事故に対処する最前線、緊急時対策本部。事故の拡大を防ぎ、事態の収束に向けて全力で作業する人々の素顔が、そこにはありました。】

吉田所長
「こちらがいちおうセンターテーブルでございまして、復旧だとか発電だとかそういう班の班長クラスがここにおりまして、それをサポートする人間が周りをこう取り囲んでる形で、情報はこちらで全員で共有すると、いう形になってます」



東電社員
「これ正面の道路が2号機と3号機の間の道路になりまして、あの、すぐ先が海になっています」

青山繁晴
「いやー、凄まじいなー、ここの現場は」

東電社員
「右手にあの、上がひしゃげた形の3号機が見えてます」



東電社員
「今あの、機械を使ってですね、使用済み燃料プールに、あの、水を供給している作業の最中です」

青山繁晴
「はい。ちょ、ちょっと、できたら止まれます?」

東電社員
「瓦礫の線量が高いんでもうちょっと先で…」

青山繁晴
「はい、分かりました」



【N:破壊された4号機の原子炉建屋への搬入口。】



【N:3号機では、使用済み核燃料プールへの注水作業が、この日も行われていました。】



青山繁晴
「これはもう中が全部むき出しですね」

東電社員
「ええ、たぶん津波でやられてしまったんだと思います」

青山繁晴
「このように根こそぎ、むしり取られたようになってたり」

東電社員
「クレーンとかトラックが、地面にこう突き刺さったみたいに…」



青山繁晴
「えー、これはすごいですね」



吉田所長
「次、同じ、同程度のですね、地震もしくは津波が来るというのは、私どもにとっても致命的だと思っております。で、特に津波でございますね。(VTR中略)1号機、2号機、3号機の建屋の中に、非常に高い線量のですね、廃液がございますので、ここに海水が混じって、それが外に出ていかないか、というところがやはり一番重要だと思ってます」

 …………………………VTR終了…………………………

青山繁晴
「はい。あの、改めて確認しておきたいんですけれども、4月22日の金曜日に、まず、この福島第一原発に向かう途中、東電の作業車の中で、横にいた東電のエンジニア、この人は、ま、課長さんですから、ま、東電の幹部の1人と言ってもいいですね。今日は、このちっこい、家庭用ですけどムービーカメラと、それからこの写真機で、これあの、クレジットカードのポイントでもらったカメラだったんですけど、この2つで、えー、撮影してもいいですか?と聞きました。いいですね?じゃなくて、いいですか?。つまり、押しつけたんじゃなくて。すると、ああ、構いませんと、おっしゃって。だからその正門の所もずーっとこう写していきまして。で、皆さんご覧になった、キーマンの吉田所長とお会いした時に、もう一度、吉田所長に、吉田所長のお話も、構内も、撮っていいですか?と聞きましたら、ああ、全く構いませんと、その、おっしゃっていただいて。そして撮ってる最中に、吉田所長から、これはテレビでも放映するんですか?と。放送じゃなくて放映とおっしゃいましたが。で、僕は、これは、あの、関テレ(関西テレビ)のこの『アンカー』を念頭に、『アンカー』に何も約束してたわけじゃないし、何の契約もないけれども、『アンカー』を念頭に、放送しますと言いましたら、吉田さんが、ああ分かりましたと、言われて、了解を得て、了解を得て撮って、了解を得て放送したわけですね。で、放送しましたら、例えば海外から、その、大きな反響もあって、アメリカのテレビなどに、アメリカのテレビなどは、もっと混乱してるはずだと、言うから、映像ちゃんと見て下さいと、作業員はちゃんとモラル高くやってるでしょと、いうことを言って、あの、海外で言われるようなことは、もう日本では起きてないんですと、今は立ち直って頑張ってますって話をしてたら、その日本政府の中からは、どういう反応があったかというと、こういう反応なんです。はい、出して下さい」
 
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3月11日に天皇皇后両陛下がなされた事

 産経新聞で3日間に渡ってこのような特集記事が掲載されました。

【祈り 両陛下と東日本大震災】(上)お見舞い「1人でも多く」 前に進む勇気、お与えに(4/27)
【祈り 両陛下と東日本大震災】(中)「自分で厳しく律する」国民に模範(4/28)
【祈り 両陛下と東日本大震災】(下)復興へ、ともに歩まれて(4/29)

 各地の避難所、被災地への「祈りの旅」を続けられている天皇皇后両陛下。
 災害のたびに国民の精神的支柱となってきた皇室の歴史や、側近らのエピソードを交え、そのお姿を伝えたものです。

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 最終日の「(下)復興へ、ともに歩まれて」の中に、このような記述があります。

 「両陛下のご訪問は、被災者にとって何よりの薬。行政が(村民が避難生活を送った)4年5カ月かけて一生懸命がんばっても、両陛下の一言にはかなわない」。12年に島が噴火して被災した東京都三宅村の平野祐康村長は、ご訪問が被災地に与える「効果」を、最大限の言葉で表現する。

 帰島後の復興視察も含め、両陛下は公式に6回、三宅島民がいる避難所などを訪問された。村によると、非公式にも数回あり、皇后さまが御料牧場のアイスクリームを届けられたこともあった。

 13年8月、両陛下が静岡・下田に避難している三宅村の漁業者を慰問された際には、小さい子供が皇后さまに「おばあちゃん、うちにも遊びにきてね」と話しかけた。皇后さまは翌朝、その子が住んでいるアパートの玄関先にいらっしゃったという。「子供の約束まで果たしてくださった。それほどまで、被災者の気持ちをくんでくださっている」と平野村長。

 一方、阪神大震災のご訪問の際、避難所にいた男性は「励ましよりもお金がほしい」と避難所で大声で話していた別の被災男性が、陛下から声をかけられると、せきを切ったように大声で泣き出した光景が忘れられないと話す。

 ほかの被災地の町の幹部も「政治家は体育館の壇上から『がんばれ』と一言いって帰るだけ。両陛下のなさりようは全然違う」。

 太字強調の箇所を読んだ時、私は、昭和天皇の御巡幸にまつわるエピソードをいくつか思い出しました。
 
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