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続・日本側当事者の証言から見る慰安婦問題

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[元慰安婦の金福童氏。後ろにいるのは挺対協の尹美香常任代表。元慰安婦を背後から操っている実態と重なる]

 以前、慰安婦にまつわる元日本軍人・官吏らの証言や手記を抜粋して紹介しました。

14/11/8付:日本側当事者の証言から見る慰安婦問題 「正論」12月号より

 1990年代後半から2000年代初めに中村粲・獨協大学名誉教授(2010年永眠)が集めて、「昭和史研究所會報」に掲載したものです。

 拙ブログで紹介したのは、そのうち「正論」2014年12月号に転載されたものです。

 「多数応募があり、毎日断るのに苦労している」という朝鮮人の業者の話。
 業者が警察に許可申請(これがないと営業できない)をする際、慰安婦の戸籍謄本や親の承諾書を一括して持ってくるという話。
 など、目を見張る証言がたくさんありました。

 実はその後の号(2015年1月号・2月号)にも続きが転載されており、いずれ紹介しようと思っていたのですが、失念してしまいました(T_T)

 幸い思い出しましたので、今日はそれらの号から、一部をご紹介します。

 日本に着せられた汚名をそそぐため、勇気を出して声を上げられた私たちの大先輩の貴重な証言を、今一度、ぜひお聞き下さい。
 
 
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[1970年代、韓国の基地村の米軍慰安婦]


■中島實さん
【元羅南憲兵隊曹長】

 “朝鮮人慰安婦強制使用”と言う軍部批判について私の見聞した実情に即して述べてみたいと思う。

 所謂南方前線に於ける売春の実情に就いてはいざ知らず、少くとも朝鮮の慰安婦の強制連行と言う事件は、朝鮮半島内に於いては絶無であったと断言出来る。

 悪どいブローカーの手に因(よ)って巧みに欺まされて南方に連れ去られた慰安婦が居たとしても、それは決して軍が強制連行したものでは無いと思う。
 恐らく「南方に行けば一遍に高い金が稼げるから」との旨い話に釣られた浅墓な慰安婦が、戦後急に「軍が強制連行した」と豹変した偽りの告白を鵜呑みにしたデッチ上げではないかと思う。

 私の知る限りでは朝鮮人経営の遊郭は四軒あったが、日本兵は矢張り日本女性を好んだから、あれ程犇(ひし)めきあった遊郭の中にあっても余程日本の遊女に焦れ無い限り、進んで朝鮮人の郭樓に足を踏み入れる日本人は少なく、又その接客振りも矢張りシックリしないと悪評であったから、日本人の樓郭が余程混雑して居ない限り朝鮮人の店は閑古鳥が鳴いて居るのが実情であった。

 又朝鮮には「酒場(スワチビ)」と言う店があって其處(そこ)で無許可の売春行為が行われて居たから、態々(わざわざ)高い金を払ってまで、遊郭を訪れる朝鮮人は少なかったのである。

 朝鮮人は押しなべて事大主義的な面が強いため信じられない様な嘘を平気で言う傾向が強かったので、日本軍強制連行の話も「百%眉唾物語ではないのか」と疑い度くなるのである。
 朝鮮人の家庭では未婚の娘を猫っ可愛がりにして、上流の家庭では娘の一人歩きを絶対に許さなかった。

 それに反比例して「朝鮮の娘は一旦男を知るとダラシが無い」と言うのが“通り相場”になって居る程であったから、軍の強制連行説についても頭から信じる訳には行かないのである。
 

■森本隆さん
【元独立混成第五旅団】

 私は、昭和十五年一月、北支派遣桐第四二七四部隊大島部隊村上隊(独立混成第五旅団司令部 青島第二中隊中隊本部上嶺、その後膠県)に現役兵として入隊し、高密において初年兵の教育をうけ、ひき続き青島の通信隊で無線通信と暗号の教育を習得して、十五年九月原隊に復帰した。

(中略)婦女子が陵辱を受けると言うが、日本軍が部落に入る前にはすでに遠くに逃れてしまい、部落に残っているのは老人と子供ばかりである。
 私は、兵隊が女を強姦したという話は聞いたことがない。
 強姦することが出来たとしても、衆人の目の前でやるわけにもいかないし、家のなかでは最中に後ろから攻撃されて、名誉の戦死では、とても強姦をするような雰囲気ではなかったのである。

 山東省は、共産八路軍の勢力範囲であり、独混五旅は、八路軍と対峙していた。
 八路軍の装備は弱小であり、日本軍が小部隊で行動している時以外は、戦闘を仕掛けてくることはなかった。

 私が在隊した三年十一カ月間に、私が討伐に参加したのは約十回前後延べ六十日程度であり、その内、交戦回数は二回、戦死者は一回で三人であった。
 あとは全部敵影もなくただ単に行軍をしてきただけであった。
 私の同年兵で戦死したのは、たったの二人きりであった。

 「朝まで生テレビ」で、済南で婦女子を二、三十人強姦したという兵隊の手記を、真実だと信じきっている大学教授の画面が大きく写しだされたが、少なくとも、当時山東省に駐留していた兵士なら、こんなことは絶対に起こりえなかったことを、誰でも知っている。
 日本軍の駐留している地域で、師団司令部や旅団司令部の置かれている大都市、済南、青島などでは、在留邦人も多数おり、日本との交流で生計を立てていた中国人が、好むと好まざるとに拘わらず、大多数いたのである。

 兵隊は、日曜の昼間しか外出できないから、外出証とコンドームを渡されて、大部分の兵隊は慰安所に駆け込んで排泄(まさに排泄である)を済ませ、兵営に帰るのである。
 民間の婦女子を強姦できるような環境では全くないのである。

 大都市、小都市(日本でいえば、県庁所在地以上程度)には兵隊はあまり金を持っていないので、軍人専用の慰安所を利用する。
 慰安婦は中国人(主として兵士)、朝鮮人(主として下士官)、日本人(主として将校)がおり、性病予防のため、その地区の衛生兵が性病検査を実施していた。
 軍が関与していたとか、軍が連行したとか、慰安婦の自由が束縛されていたとかいうことは、少なくとも山東省では、絶対になかったのである。
 中国の民間人でも、中国の慰安婦と遊んでいた人達も大勢いたし、阿片窟も営業していたのである。

 県庁所在地以下の市や町に駐留する日本軍兵士は、慰安所などないから、生活に困って、自宅で内緒に売春を働いている中国婦人を、斡旋人を通じて、一握りの兵隊が多少の危険を犯して、利用していたに過ぎなかったのである。

 第二中隊が駐留していた掖県には、朝鮮人の慰安婦が一人いた。
 民家に寝泊まりして、兵隊相手に売春をしていたが、なんらの拘束も、不自由もなく快活に生活をしていた。
 仲の良い兵隊もいたはずである。
 何時でも個人の自由で帰国できた筈であるが、当時朝鮮に帰っても生活できなかっただろうから、慰安婦をしていたに過ぎない。

 三光作戦などという作戦は、当時日本軍人の誰もが知りもしないし、聞いたこともない。
 

■小島幸雄さん
【第六十二師団独立歩兵第十三大 第一中隊上等兵】

 昭和十七年夏頃山西省太原市に糧秣(りょうまつ)受領等に山の中からトラックで出てゆきますと二時間余りの外出が許可され、彼女達のいる慰安所へ行くのが何よりの楽しみでした。
 その為ショートタイム(せいぜい三十分以内)朝鮮女性が当時の金で一円二十銭、中国女性が八十銭でした。
 日本女性は将校専門で兵隊はその地域に出入出来ませんでしたので、私は専ら朝鮮の彼女と遊びました。

 突撃実行する前に必ず前金で金を拂(はら)います。
 その他に彼女の機嫌を取る為に金の他に下給品のタオルとか花王石鹸等を持っていって彼女に与えました。

 彼女達は夫々(それぞれ)京子とか花子とか都とか兵隊の覚え易いように源氏名で呼んでいました。
 假令(たとい)三四カ月に一回でも馴染が出来て、兵隊達は寧ろ彼女達に感謝の気持ちを持って好意的に接していたものであります。
 どの兵隊も懐中には幾らも金を持っておりますのでタダで遊んだような兵隊は私の知っている限り一人もおりません。
 又若(も)し一人でもそのような不心得の者がいた場合は彼女達が憲兵隊へ訴えましたら首実検をされその兵隊は大体一週間か十日の重営倉に入らねばなりません。
 上記のことについては外出の前に週番下士官から念を入れて注意されたものです。
 又彼女達も商売上手というか朝鮮の民謡(アリランの唄等)を歌って聞かせて呉れまして、彼女達もそれなりに楽しく働いていたようで、決して泣きの涙で過していたようには思われません。
 

■井上咸(はやし)さん
【元菊兵団・歩兵太尉(平成四年二月二十五日講述)。大正四年、朝鮮の京城(現在のソウル)生まれ。父は日韓併合当時に朝鮮に渡った役人であり、朝鮮の各地を転々とし、従って兄弟すべて朝鮮生まれ。井上氏自身も二十三歳で学校を出て軍隊に入り、南方の部隊に配属されるまで全て朝鮮で生活】

 満州事変以来朝鮮総督府が一番苦労したのは内鮮融和ということであります。
 どうかして早く一体にしたいわけで、今言ったような突然警察官や軍隊が村を囲んで有無を云わさず若い女を引っ張っていったという事はあり得ないですね。
 私の父も最初申し上げましたように朝鮮の各地で、今でいう町だとか村その付近の責任者となった場合もありますけれども、朝鮮人の知事も、かなりの高級官吏もおりましたし、警察官もほとんど朝鮮人だったと思いましたけれども、そういう中でそういう無法な事ができる訳がない。
 又その事が朝鮮総督府として許される事ではないんですね。

 そんなことが今になって尤もらしく語られること自体に僕は非常に意図的な何ものかを感じる訳です。
 遊郭業者、売春業者が、女を集める時はいろいろあったと思います。
 これは朝鮮の遊郭ばかりではなく内地の遊郭業ですね、それ自体は陰惨な暗い面がありましてね、業者と女の間にはいろいろあったと思います。
 これを今になると皆軍隊のせいにしておりますけれどもこの問題は、遊郭なり、売春業そのものの問題であって軍隊とは関係ないですね。

 では現地ではどうであったかといいますと、私の見たところ慰安婦は大事にされていました。
 慰安婦には朝鮮人も台湾人も日本人もおりました。
 現地現地で募集したのもおりました。
 それは商売として経営者、親方がついていて、その親方と軍との関係だと思います。
 私が現地で管理したというのは、朝鮮人の親方がだいたい七〜八名の女を連れてまいりました。
 これはおそらく上の部隊からの割当てだったと思いますが、作戦を終わりましてある期間駐留した場合に割当てが参りました。
 兵隊は喜びまして下にも置かないようなお客さん待遇で、建物を造り、食糧その他の調達にも走り回ったり、警備の面倒もみておりました。
 朝鮮人は当時は日本人ですから現地の人にとっては日本の女ということになっておりますし、特に台湾人に対しては朝鮮人の方が本当の日本人に近いという感覚でむしろいばっていたような状況がありました。
 現地の慰安所が兵隊、軍によっていじめられたとか、むちゃくちゃな待遇をしておったとかいうことは私の経験と見聞の中には出てきませんね。
 むしろ非常に大切にされていたと思います。
 親方の商売としては、危険だけれどももうけの多い商売だったと思います。
 私の場合は副官でしたから、慰安所のやり方全部に対して責任をまかされていたわけですけれども、他に軍医が二人いて衛生関係を見ていました。

 ある時こういう事がありました。
 当時私は若くて物を知らないといいますか、正義感みたいなものがありまして、調べてみますと親方の取り分が六、四とか、七、三位の程度だったと思います。
 実際に稼せぐ女が三か四取って六か七を親方が取る。
 そういう配分だったと思います。
 今考えるとそれがああいった商売の通り相場だったと感じますけれども、当時私は驚きまして、早速親方を呼びつけて「何だ、実際に働いているのは女ではないか。取り分を逆にしろ、比率を逆にしろ」と云った覚えがあります。
 その後どういう具合になったか知りませんがかなり改善されたような気がします。
 
 これは一例ですけれども、その後敗戦の間際に部隊全部が総退却をしてジャングルの中を敗退している時期がありました。
 その時に昔私達が面倒をみた慰安所の一団が、これはもう親方はついていなかったが、女だけで七〜八人が兵隊と前後してジャングルの中を逃げていた。
 たまたま昔の顔なじみの女がおりましてぜひ連れていってくれと頼まれまして、私は彼女らをかばいながら部隊と一緒に逃げた記憶があります。
 その時ジャングルの中を部隊がかなり無統制に逃げていったのですが、夜になると兵隊がもうお客さんなんですね、ジャングルの中で。
 私はその時は本当に人間の性欲の強さというものをあきれる思いで見ました。
 我々は疲労困憊でそんな元気はなかったんですが。
 逃げていく兵隊をまだ客にとる。
 その時に、だんだん紙くずになったんですが、軍票を山のように風呂敷に包んで首の上に巻きつけておりましたね。
 そういうことも今、思い出します。
 最近、敵の捕虜になって非常にあわれな恰好になった慰安婦の写真がありまして、それらしい説明がつけてありますが、あれは部隊全体が敵に包囲されて一緒に捕虜になった時の写真だと思います。
 私の経験では、だんだん戦況が悪くなりますと慰安婦はまっ先に傷病兵と一緒に後方に下げましたね。
 慰安婦はそういう具合に皆に大事にされて、当時としては彼女達から恨まれることはなかったと思います。
 兵隊達は感謝して大事にしていたのが実態だと思います。
 

■星野正信さん
【元船舶通信聯隊第三大隊】

 ミンダナオ島のダバオは日本人が苦労して開拓し、麻の栽培で発展した人口約二万人の町であった。
 ニューギニヤ及びソロモン方面作戦の前進基地として沢山の部隊が集結していた。
 街の裏通りに五軒の慰安所(ピー屋)があった。
 日本人、朝鮮人、台湾人、フィリッピン人等、それぞれ十人前後の若い慰安婦(ピー)がいた。
 慰安所の家屋はダバオの街では中位の大きさ。
 二階建の家が多く、其の二階で営業していた。
 部屋は四畳から六畳位の個室であった。
 営業時間は朝の九時頃から夕方まで(各部隊の兵士が外出できるのは日曜日だけ、朝九時〜五時まで時間厳守)。
 日本人だけの慰安所は将校専用であった様だ。

 慰安所では兵士が慰安婦を選び三十分五十銭、一時間一円であった。
 兵士の月給三円二十銭では決して安くなかった。
 料金を先ず慰安婦に渡す。
 慰安婦は管理人(民間人、高令の男か女)に料金を渡し突撃一番(コンドーム)を受け取って自分の個室に兵士を案内する。
 終ったら慰安婦が消毒液で兵士を洗った。
 顔見知りの兵士を見るとかなり強引に勧誘していた。
 平日は少数の船員と軍属だけの様だった。
 毎日毎日日本兵の相手をさせられ地獄であったと言う話は、日本からの保証金目当ての大ウソとしか思えない。

 慰安婦は一週間ごと位に軍医から性病検査を受けていた様で、性病や生理の時は自由に休業していた様だ。
 料金は管理人と慰安婦と五分と五分と聞いている。

〈軍の関与について〉慰安所の家は軍が斡旋していた様だ。
 あれだけの家と内部の改築は業者ではなかなか無理だと思う。
 食糧、特にお米など、性病の検査と治療、移動の時の便宜を図るなどである。

 戦地ではゲリラと性病について特に警戒し注意した。
 現地の少女を誘拐し暴行などすれば直ちにゲリラの標的になる。
 特にセブ島のセブではゲリラ活動が盛んで、度々非常呼集があり警戒したものである。
 戦地で性病に罹れば確実に死の道を行く事になる。
 当時は完治する薬が日本軍になかった。

 フィリッピンのマニラでは港から上陸すると正面にイントラムロスの高い城壁がある。
 スペイン時代、モロ族の襲撃に備えて造ったものと聞いている。
 周囲約三キロ位。
 この城内に昭和十八年三月頃から六月頃まで駐留した。
 リサール公園側に二階建の長い兵舎があった。
 隣に有名な教会が戦災を免れて現在でもある。
 日曜日の早朝この教会の前に若いフィリッピン女性がにっこり笑って手を振っている。
 見覚えのある顔である。
 リサール街にある慰安所の慰安婦であった。
 朝の礼拝がすんでから慰安所へ行くと言う。
 マレーシアのペナンで日中、街を颯爽と歩いていた華僑の慰安婦。
 早朝から教会に礼拝に来るマニラの慰安婦達。
 いづれも一般市民と変わらぬ自由な生活をしていたと思う。
 前述のフィリッピン人のマリア・ロサ・ヘンソン*1の言う気絶する様な虐待とはどうゆう事か想像も出来ない。

 南方の戦地には日本人慰安婦も沢山いた。
 しかし今日まで誰も名乗り出ない。
 勇気を出して名乗り出て、私共と一緒に日本断罪の歪曲された妄言の数々を粉砕してしまいたいものである。

*1 平成4年にフィリピン人元慰安婦として初めて名乗り出た女性。日本軍の検問所で慰安所に強制連行され、毎日が地獄だったが、翌年気絶しているところをゲリラに救出されたと主張。平成5年に東京地裁に提訴し、最高裁まで争ったが敗訴。平成8年にアジア女性基金の「償い金」を最初に受け取った。詳細はこちらを。
 

■犬飼總一郎さん
【元第十六師団通信隊長。第十六師団は昭和十六年十二月二十四日にフィリピンのルソン島に上陸、翌年一月三日マニラに入った】

 第一に、慰安所という名称は当時あったが、慰安婦などという名称はなかったことである。
 不幸な慰安所務めの女性を何と呼んだらよいのか、その本質は私娼であったが、やむなく兵士達は彼の女達をピーと呼んでいた。
 この呼び方は師団が支那事変で出征し、南京を攻略して間もなく中国人の経営する慰安所が解説されたとき、既に兵士達はそう呼んでいたが、じつは、これは以前から本国での呼び方でもあったのである。

 ちなみに、この慰安所を外国人は何と呼んでいたかを紹介すると、南京攻略後に現われた慰安所を「南京安全区国際委員会」の委員長となったドイツ人ジョン・ラーベはドイツ語の日記に「売春宿」(慰安所務めの女性を「売春婦」)と記しており、同日記の英訳版も同様に訳している。
 ところが中国語版は「軍妓院」(「軍妓」)と訳し、それが軍に所属するものであることを明記しているが、こうした名称は戦国時代後に使われ始めたのであり、日本にはなかった伝承を故意に中国の伝統と混同させて表現しているのである。

 第二に、慰安所の設置は前述のとおり、日本軍が設置したのではなく、日本人にせよ中国人にせよ民間業者が開設した施設であった。
 したがって日本軍としては、その設置を認めるかどうかは戦況その他種々の条件を勘案して決めていた。
 だから設置というよりは、誘致が適切かどうかを考慮していたのである。
 事実、その誘致を不適切と認め、設置を厳禁した事例がフィリピンにはあったのである。

(中略)(マニラ市街の繁華街エスコルタ通りに)たまたまダンス・ホールがあったので、中に入ったところ、一階はホールだったが二階は売春宿であることを知った。
 ダンサーはフィリピン人が多かったが、チャイナ系やアメリカ系もいた。
 後で聞いたところによると、こうしたホールは沢山あるとのことだった。
 帰隊してから隊付き軍医と相談したが、ダンス・ホール務めの女性を検診するわけにはいかないし、慰安所はまだ開設されていなかったので、兵士達には公用以外には外出させないこととした。
 もっとも兵士達は有線、無線とも終日終夜交替勤務で通信連絡に携わっていたので、休日に外出させる余裕はなかった。

(中略)フィリピン人の八〇パーセントはクリスチャンである。
 だからイスラム教徒とは違い、慰安所を開設すれば募集に応じたであろう。
 しかし開設が認められなくても前述のとおり、ダンス・ホールという務め口があったので、不幸な女性達はやむなく身を落とすこともあったであろうし、それは自発的な行為でもあったので、強制連行などあり得ない。

 ちなみにマニラの在留邦人の話によると、フィリピンの女性は日本人との結婚を望んでいたとのことであった。
 というのは、フィリピンの男性は結婚後も浮わ気をするが、日本人は絶対に浮わ気をしないと信じていたからであると。

 ともあれ、私は広域警備のため分散配置されていた各部隊本部に無線分隊を派遣していたので、ときどき視察に出向いていた。そのため街道筋や各駐留地の実情を知ることができた。
 各無線分隊は、駐留地の住民達と仲よく交流していたし、民家で何かお祝い事があると、招かれてご馳走になっていた。
 だから通信隊本部の勤務より出先の勤務を希望するほどだった。

 師団は後日レイテ島に移動し、米軍の上陸を受けて玉砕した。
 しかし、同島北側のマスバテ島とサマール島に派遣されていた各無線分隊と、歩兵第九聯隊下士官候補者隊は米軍に投降して生還できた。
 生き残った戦友達の話によると、米軍上陸以前のレイテでは裕福な家庭から「娘と結婚してくれ」と、誘いを受けた兵士が、何人もいたとのことである。
 要するに、それほど日本兵はフィリピン人に信頼されていたのである。
 

■陳家拓さん
【元森集団(ビルマ)副官部。当時名・春岡拓次郎】

 ラングーンには慰安所が約三〇軒、将校専用の醉香園は日本人慰安婦三〇人位で最高級、海軍専用では竹の家と黒金荘の二軒、台湾ピーが約四〇人。
 朝鮮人慰安所は最も多く、アリラン等一二〜一三軒。南国会館等の広東ピーが七〜八軒。
 其他タイピー、ビルマピーが数軒。
 十八年に入り、ビルマ方面軍が編成され、十五軍はマンダレー北約六五軒の高原地メイミヨウに前進、慰安所も三分の一が追随した。
 メイミヨウには日本人慰安所が一軒、二〇余人が有り、下士官兵も入る事が出来たので一番の人気処。

 十九年に編成された三十三軍(雲南方面担当)の管下には台湾ピー屋が一軒ラシオに至り、二〇余人でした。
 勿論一番安全なラングーンに在る慰安所も比較的危険な前線の慰安所と相互に交替される。
 慰安所の交替は殆ど軍用トラックを使ひ、慰安婦達には軍服着用と戦斗帽を被る事になって居り、外観的には女性とは判別出来ない様に要求されてゐた。

 慰安料は、将校Pを除き日本、台湾ピーが二円、朝鮮、広東ピーが一・五円、現地人ピーは一円〜一・二円だった様に記憶してゐます。
 軍と経営者間で決定した協定(註:「○」の中に「協」)です。
 朝鮮ピーが比較的多く、大抵は二〜三年契約で雇傭され、五百円〜一千円程を貰ひ、家計の急を救った者が殆んどで、朝鮮では当時貧農の家に子供が多く、口減しの効用もあったとの事です。

 其為親達の方としては口減し出来る上に当時農村としては大金の五〇〇や一〇〇〇円は喉から手が出る程で、可愛いい娘が雇はれて何に使はれるかは全く不撰考で娘を売った様な状況らしい事も伺はれます。
 其れでも彼女達は親の為幼い弟妹達の為には、苦しい稼ぎから留守宅へ仕送りをしてゐた。

 乱暴な兵隊や生意気な下士官達に対しては「何朝鮮、パカスルカ? 朝鮮、日本天皇陛下同ししやないか」と息巻いたものでした。
 又遊楽中に空中警報があった場合、広東ピーなら急いで防空壕にかけ込む、命が大事だ、お客さんそっち退けですが、朝鮮ピーは違う。
 お客さんに抱きついて離れず、「死ぬなら兵隊さんと一緒」が彼女達の共通心理で逃げようとせず、お客さんも退避させないので迷惑千万と言ふ他ない。
 其故、慰安所が爆撃された場合、二人抱き合った侭(まま)の屍体が見られるのは全部朝鮮ピーであり、勇ましく純情?だと感心させられたものでした。
 朝鮮兵は皆勇敢と好評があり、朝鮮ピーも勇敢でした。

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[麻生徹男著「上海より上海へ」(1993年 石風社)所収「写真集 戦線女人考」。写真の脚注は麻生元軍医によるもの。日本軍とは何の関係もない慰安所だが、反日マスコミや左翼が脚注をカットして宣伝しています。詳細は反日勢力無力化ブログ様を]


 以上、数多くの証言者の中から、7名の方を紹介させていただきました。

 井上咸(はやし)さんの話に、私は特に驚きました。
 ジャングルの中、敗走していく兵隊をまだ客にとるって、なんて商魂たくましいんだろう(^_^;

 その井上さんのお話の中に、こういうくだりがありましたが…

「私の父も最初申し上げましたように朝鮮の各地で、今でいう町だとか村その付近の責任者となった場合もありますけれども、朝鮮人の知事も、かなりの高級官吏もおりましたし、警察官もほとんど朝鮮人だったと思いましたけれども、そういう中でそういう無法な事ができる訳がない。
 又その事が朝鮮総督府として許される事ではないんですね」

 昭和12年から終戦まで朝鮮総督府の官吏として働いた西川清さん(井上さんと同じ大正4年生まれ)は、「朝鮮總督府官吏 最後の証言」という本の中で、さらに具体的な証言をされています(書評こちら)。

●こうした總督府の組織、命令系統を理解した上で言えば、慰安婦連行を行政機関が命令させたということは、絶対ない。不可能なこと。女衒(ぜげん)は朝鮮人がやっていた。どこに娘がいて、どこに売るかとなれば、朝鮮人でなければできない。日本人がいきなり行って、言葉も土地もよく知らぬままではできない。

朝鮮軍司令部も、女性がどこにいるのかなど分からないから、もしも集めようなどということがあったら、徴用のように、道→郡、郡→面(村)へと集めてほしいという依頼があったはずだが、そんなことはなかった。もしそんなことを公的機関がしていたら、絶対に文書で残っているはず。もし、個人が無理にやったら捕まる。道の役所や警察にも朝鮮人がたくさんいるし、知事や私の上司の多くは朝鮮人だった。

●ただ単に禿山の管理とか、鉱山の監督をしていたのなら分からないが、内務課長として一般の行政をしていたから、日本の官吏(朝鮮人官吏も合わせて)が、売春婦を強制的に連れて行ったということは「ない」と、自信をもって言える。

●軍隊もそういうことはしていなかったのが分かる。統制の取れた厳しい組織で、戦場ではない日常の朝鮮で、しかも官吏や警察に多くの朝鮮人がいる中で、勝手に連れて行こうとしても不可能。


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2013年3月8日衆院予算委員会、日本維新の会の中山成彬議員(当時)の質疑より、当時、朝鮮半島には朝鮮人の議員や知事や警察官などが多数いたことを示す資料。クリックで拡大]


 日韓合意からもうすぐ丸1年になります。

 朴槿恵政権の次が野党政権だった場合、合意が反故にされる可能性は十二分にあるので、こりゃ朴槿恵政権のうちにソウルの日本大使館前の慰安婦像を撤去してもらわないとね、などと思っていたら…

 皆さんご承知のとおり、「国政介入疑惑」で朴槿恵大統領の弾劾訴追案が可決され、職務停止に。
 韓国の政治は大混乱、慰安婦像撤去どころではなくなってしまいました。

 っていうか、新たな慰安婦像が釜山の日本総領事館前にもできるらしい。
 31日に除幕するそうです(西日本新聞12月21日 06時00分)。

 憲法裁判所がいつ裁定を下すのかは分かりませんが、今のところ朴槿恵大統領は来年4月に退陣、6月にも大統領選かと言われているようです。

 次の政権が現政権以上に反日となるのは、ほぼ確実でしょう。
 第一野党の「共に民主党」は、慰安婦合意を反故にするようなことを、もう今から言ってますね。

 反故にするならするで構わないけど(国家間の合意を守らないのかと韓国が国際社会から白い目で見られるだけ)、その場合は日本から受け取った10億円は当然お返しいただかないとね!(-.-#)



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※拙ブログ関連エントリー(厳選)
・(旧ブログ)06/3/4付:朝日はいつまで「元慰安婦」を利用するの?(李玉善氏と金君子氏の証言の変遷)
・(旧ブログ)06/3/19付:米連邦最高裁判所が「慰安婦」にNO!
07/2/22付:「報道2001」慰安婦問題ホンダ議員生出演
07/3/17付:【資料】慰安婦問題おさらい10問10答
07/3/19付:「たかじん」慰安婦問題(全文テキスト)
07/3/27付:「WiLL」慰安婦問題特集
07/4/9付:元慰安婦「李容洙」証言の矛盾
11/12/12付:「従軍慰安婦」は朝日新聞の捏造です
12/6/2付:「慰安婦博物館」に寄付した日本の団体&韓国人の慰安婦への認識の変遷
12/8/27付:慰安婦問題まとめ2012
13/3/8付:中山成彬議員が衆院予算委で日本の真の朝鮮統治(インフラ整備、創氏改名、慰安婦など)を語ってくれました
13/4/10付:西川京子さんが衆院予算委で「従軍慰安婦」「南京大虐殺」の虚構と自虐史観に侵された入試問題について語ってくれました(中山成彬さん質疑まとめ付き)
13/5/25付:【文字起こし】面談ドタキャンで元慰安婦支援団体会見
13/5/27付:「たかじん委員会」慰安婦は当時必要だった?日本占領下の米軍の実態とは?韓国人教授が語った慰安婦の実態とは?
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14/11/8付:日本側当事者の証言から見る慰安婦問題 「正論」12月号より
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15/2/21付:“売春婦”を削除せよ!朴裕河教授の慰安婦本が韓国で事実上の出版禁止に…日本のサヨクは彼女を救わないのか?
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15/4/24付:「慰安婦の補償を日本に求めない。自分で解決する」と言った韓国のプライドはどこへ?
15/5/8付:韓国メディアの歪曲に日米歴史家が困惑
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15/12/27付:なぜ朝日は慰安婦虚報を続けたのか?「崩壊−朝日新聞」より

※拙ブログ関連エントリー(厳選)(日韓合意以降)
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16/1/4付:日韓合意で韓国以外の国はどう動く?
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16/2/17付:政府が国連委で慰安婦“強制連行”初反論「朝日新聞が“捏造”を報道」
16/2/19付:稲田朋美×青山繁晴 慰安婦問題めぐる討論 「ザ・ボイス」より
16/2/24付:青山繁晴「国連での慰安婦反論は記録に残らない!背景に中韓側との談合!?」 “インサイト・コラム”より
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※拙ブログ関連エントリー(併合時代の朝鮮)
10/7/27付:日本統治を直視する韓国の静かなる肉声「SAPIO」01.9.26号
10/8/2付:【日韓併合】外国人から見た日本と日本人(19)
11/2/22付:日本統治肯定で逮捕の韓国人作家『嘘の歴史で反日に』「SAPIO」02.7.24号
11/8/16付:【終戦の日2011】外国人から見た日本と日本人(30)
11/9/17付:戦前に朝鮮人衆議院議員がいた「SAPIO」07.5.9号
12/8/14付:【終戦の日2012】外国人から見た日本と日本人(35)
13/6/15付:三輪宗弘先生の「大韓民国の物語」書評で改めて見えた韓国の民族主義と李栄薫教授の苦悩
14/7/14付:朝鮮が劇的に豊かになった時代…イギリスの専門家が記した「THE NEW KOREA」より
14/9/8付:日本人と朝鮮人はとても仲が良かった!「朝鮮總督府官吏 最後の証言」より




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Comments

 前にくっくりさんが紹介された「朝鮮總督府官吏 最後の証言」を読みました。日本が誠実に朝鮮を朝鮮人の手でなるべく治めさせようとしていて、逆に日本人の方が学校や職場で気を使っていたなんていうのはいまと変わらないと思いました。

 今回の数々の貴重な証言を読むと、本当の事を話されているのが文章から伝わってきます。私たちがしっている日本の大人の姿そのものです。

 今は戦時中の写真や文書がSNSなどでひろまっていて、たまに写真を見ては日本人も中国人も朝鮮人も良い表情をしていると見入ってしまいます。ですから、大虐殺や朝鮮の女性を誘拐して慰安婦にしたとか言いう話は、いったい何処の世界で起ったのか、嘘つきは本当は誰なのかと思います。
都民です。 | 2016/12/22 09:40 AM
当時の状況を丹念に拾いだして、客観的に分析したら、日本軍による朝鮮女性の強制連行なんてあり得ないということが分かるんですけどね。
(そもそも、強制連行の目撃者が一人も出てこないこと自体がおかしいのです)

でも、朝日新聞のせいで、存在しないものが存在するとされてしまいました。

マスコミの邪悪な力は恐ろしいです。
kurenai | 2016/12/23 08:38 AM
こういう「生の証言」を集めて自称慰安婦の証言との相違点を指摘する という誰でも思いつきそうなことを、日本のメディアはしない。

片方(日本)の言い分を無視することによって、もう片方(韓国)の言い分だけが事実であるかのように報じるメディアは、日本だけでなく世界に向かって嘘をつき続けていることと同議だ。

日本の本当の敵は、もう身のうちに潜んでいるということを多くの日本人が認識して対応に当たらないと、日本にかけられた濡れ衣をはがすことは難しい。


証言の数々のアップをありがとうございます。
asagao | 2016/12/28 06:59 AM

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