日本統治を直視する韓国の静かなる肉声「SAPIO」01.9.26号
狭い自宅が古い雑誌や本でいっぱいに……。
ついに夫から「何とかせえ」と指令が……(T^T)
単行本はともかく雑誌は少しずつでも捨てていかなアカンなぁと、私も常々思っていたところでした。
となると、捨てる前にもう一度読んでおきたくなるのが人間のサガ。
1週間ぐらい前から斜め読みしてきて、面白い記事をたくさん見つけました。
「この記事は保存しておきたいなあ。あっ、この記事も!」
……って、キリがない(T^T)
そうだ!ほんとに保存しておきたいと思った記事は、テキスト化して残しておこう。
その方がかさばらないしね。
でも、私の手元にだけ置いておくのもちょっともったいない。
……じゃあブログに載せましょう!
ということで、今回から始めます。
昔の雑誌から、私が面白い、興味深いと感じた記事を転載するシリーズ。
(実は最近、似たようなことやってるんですけどね。「CREA」92年9月号から、当時の参院選と、捕鯨問題の記事を転載しました)
当面は「SAPIO」からの紹介です。
「SAPIO」は私は年に2〜3回しか買わないので、その数少ないバックナンバーからの紹介となりますが……。
今日は久々に「細切れぼやき」もあります。1個だけですが、最後まで見てって下さいね〜(^o^)
全文起こしここから____________________________
「SAPIO」2001.9.26号
特集【韓国「反日症候群」の正体】より
<非「反日」>
朴正煕・元大統領の次女ほか勇気ある韓国人がいまだから明かす
日韓マスコミが無視し続ける「日本統治」を直視する静かなる「肉声」
文・写真/ルポライター 井上和彦
マスコミによってひたすら伝えられる韓国の反日はじつは「つくられた」部分が多い。日ごろはその声が伝えられることのないサイレント・マジョリティはどういう意見を持っているのか。日本の植民地統治を是々非々で考えようとする韓国人たちの衝撃の発言、これまで封印されてきたこれらの声を今こそ日韓両国は深く冷静に受け止めるべきではないか。
ついに夫から「何とかせえ」と指令が……(T^T)
単行本はともかく雑誌は少しずつでも捨てていかなアカンなぁと、私も常々思っていたところでした。
となると、捨てる前にもう一度読んでおきたくなるのが人間のサガ。
1週間ぐらい前から斜め読みしてきて、面白い記事をたくさん見つけました。
「この記事は保存しておきたいなあ。あっ、この記事も!」
……って、キリがない(T^T)
そうだ!ほんとに保存しておきたいと思った記事は、テキスト化して残しておこう。
その方がかさばらないしね。
でも、私の手元にだけ置いておくのもちょっともったいない。
……じゃあブログに載せましょう!
ということで、今回から始めます。
昔の雑誌から、私が面白い、興味深いと感じた記事を転載するシリーズ。
(実は最近、似たようなことやってるんですけどね。「CREA」92年9月号から、当時の参院選と、捕鯨問題の記事を転載しました)
当面は「SAPIO」からの紹介です。
「SAPIO」は私は年に2〜3回しか買わないので、その数少ないバックナンバーからの紹介となりますが……。
今日は久々に「細切れぼやき」もあります。1個だけですが、最後まで見てって下さいね〜(^o^)
全文起こしここから____________________________
「SAPIO」2001.9.26号
特集【韓国「反日症候群」の正体】より
<非「反日」>
朴正煕・元大統領の次女ほか勇気ある韓国人がいまだから明かす
日韓マスコミが無視し続ける「日本統治」を直視する静かなる「肉声」
文・写真/ルポライター 井上和彦
マスコミによってひたすら伝えられる韓国の反日はじつは「つくられた」部分が多い。日ごろはその声が伝えられることのないサイレント・マジョリティはどういう意見を持っているのか。日本の植民地統治を是々非々で考えようとする韓国人たちの衝撃の発言、これまで封印されてきたこれらの声を今こそ日韓両国は深く冷静に受け止めるべきではないか。
*
野党ハンナラ党・李会昌(イ・フェチャン)総裁が「親子三代の親日派」と非難されれば、こんどは金大中(キム・デジュン)大統領の日本統治時代の軍服姿が公開され「親日派」のレッテルが貼られる。韓国では「親日派」という言葉は日本統治時代の日本協力者とされ、侮辱の言葉だ。これは政治家も一般人も変わりない。
しかし、いまから7年前、はじめてソウルを訪れた時、20代の青年だった李哲煕(イ・チョリ)氏が臆することなくこう言い放った。
「もしあの時(日韓併合当時)、日本が韓国を植民地にしなくても、ロシアか中国がそうしたでしょうね。韓国が弱すぎたんです。自分達で国を守ることができなかったんですよ」
日本人が発すれば、たちまち“妄言”として猛烈な反感を買うタブーを、なぜ韓国人がこうも簡単に口にするのか、このとき驚きを禁じ得なかった。反日一辺倒で伝えられる韓国だが、じつはそうした捉え方はおかしいのではないか。この疑問をはらすため以降幾度となく韓国を取材することになった。
67%が「植民地統治は韓国にも責任あり」
韓国の世論調査では、このような意見が少数派でないことが明らかになっている。
1996年の高麗大学新聞放送研究所による植民地統治に関する認識調査の結果では、「植民地統治は、韓国にも責任がある」と答えた者は半数を超えて55.6%に上る。「韓国に全面的な責任がある」とした11.4%を加えれば、実に67%の人が韓国の責任を認めていることになり、「日本に全面的に責任がある」と答えた29.2%を大きく上回っているのだ。こうした韓国の肉声はなぜか日本に届かない。
戦後の韓国社会では、こうした対日感情は封印されているばかりか、抗日史観を唯一絶対とし、植民地近代化論や当時の対日協力の歴史を口に出すことは、ご法度なのだ。
実際はどうだったのか。日本軍への志願者数を見てみよう。
昭和20年の内務省資料によれば、昭和13年では400名の募集に対して2946名の韓国人が日本軍に志願し、さらに昭和16年に大東亜戦争が勃発するや、3000名の募集に対して14万4743名が志願。その競争率は実に48倍にも上ったことが記録されている。
そして終戦間際の徴兵・徴用等も含め、大戦に参加した韓国人の軍人軍属の総数は24万2341名を数え、うち2万2182名が九段の靖国神社に祀られているのだ。
我々日本人は、こうした韓国人の人々の協力と尊い犠牲の上に今の日本があることを認識し、感謝すべきであろう。
しかしながら今日の韓国は、そんな感謝など受け入れる情勢ではない。
戦後15年に及ぶ李承晩(イ・スンマン)大統領の在任期間中、反日プロパガンダ・反日教育は徹底され、対日協力の事実は、韓国の近代史からきれいさっぱりと削除されてしまったのである。
戦後の韓国では、日本への協力者は「売国奴」とみなされ、職を失うなど肩身の狭い思いをしてきたという。その一方で、朝鮮戦争時の韓国軍高官の多くは日本軍時代に武勇を馳せた元軍人や、陸軍士官学校をはじめ満州軍官学校出身者で占められていたのだ。中には最後まで日本刀を帯刀して戦った金錫源(キム・ソクウォン)将軍のような英傑もいた。
しかし休戦後、こうした人々の多くも1945年までの軍歴について口を閉ざしたのである。
そんな戦後の風潮の中、元学徒兵の鄭●永(チョン・ギヨン)氏(82)は、30年の歳月をかけ、私財をなげうって大東亜戦争における韓国人戦没者の慰霊碑である「太平洋戦争犠牲韓国人慰霊碑」を釜山・永楽墓地に建立(平成11年5月13日)したのであった。鄭氏は、
「反抗的であれ従順的であれ、また逃避的であれ妥協的であれ、いずれにしてもその学徒兵生活を通じて一時なりとも民族を忘れたことがあろうか」
と、祖国を奪われた屈辱感を胸に訴えた。しかしながら、次のように続けるのだ。
「私は学徒兵の同志にも話しているのですが、その当時、日本の気持ちとはちがいながらも、日本が金をかけて私達学徒兵を教育してくれたことが、韓国の建国に貢献したんです。日本が最後の土壇場でしてくれたことをありがたく思いましょうと」
軍部、教育界、そして実業界の学徒兵出身者が日本統治時代に受けた教育を生かして韓国の建国に貢献したのだという。鄭氏は結ぶ。
「日本と韓国は、お互い良いところは認め合いながら、もっと過去を昇華したかたちで手をとらなければならない」
さらにこの時代、我々日本人が是非とも知っておきたい美談も生まれた。
「同じ国民として共に助け合った」
大戦末期、満州になだれ込んだソ連軍の暴虐によって多くの日本人の生命が奪われた。難民と化した無防備な日本人に抗する術はなく、現・中国延辺朝鮮自治州も悪行の猛火にさらされた。
この地獄絵を目の当たりにした当時25歳の朱極南(シュ・ケクナム)氏(82)は、1人でも多くの日本人を救おうと立ち上がった。
「……そのためには知恵と度胸が必要でした」
そう当時を振り返る朱氏は、逃げ惑う400人もの日本人避難民を教会に匿(かくま)い、「彼らは朝鮮人だ」と偽ってソ連軍の無差別殺戮からその生命を守ってくれたのである。
朱氏はこのときの思いを語る。
「私はクリスチャンですから、きっと神様が日本人を助けてくれたんだと信じています。……『日本人だ』『韓国人だ』というのはね、それは“小さい人”の考え方です。“大きい人”は、国境を超越して……当時韓国はまだ独立していませんでしたから、私は日本人の立場で働きました」
当時は、日本人と韓国人に分け隔てはなく、“同じ国民”として共に助け合っていたのが実状だと、朱氏は力説する。
「私は満州で日本人と仲良くやっていましたよ。日本人から信頼されてね。……いま韓国人で日本を悪くいうのは、ごく少数の人だけですよ!」
こうして封印された交流秘話を数え上げれば枚挙に暇がない。
毎年5月10日、ソウル市郊外の李王家の墓陵・金谷陵英園において、李王朝最後の皇太子と李方子(り・まさこ)妃殿下の忌辰祭が挙行されている事実もまた日本ではまったく報道されていない。
李方子妃殿下とは、先に崩御された皇太后陛下の従姉妹にあたる梨本宮方子女王殿下であり、李王朝の皇太子・英親王李垠(リ・ギン)殿下(李朝代26代皇帝・高宗の令息)に嫁いだ日本の皇族である。
大正9年4月、日韓併合から10年後の婚礼は「融和」の実践として広く内外に報じられたが、戦後、日韓両国のマスコミは、一貫してこの御成婚を“政略結婚”と揶揄し続けてきた。
がしかし、方子妃殿下は、戦後韓国で福祉事業にその生涯を捧げ、多くの韓国人から尊敬されていたことから、命日にあたる毎年5月10日に、いまも李王朝の末裔達によって忌辰祭が厳粛に執り行われているのである。
平成11年の10周忌には、忌辰祭に合わせて李方子妃殿下の遺作展がソウル市内で開かれた。
この遺作展を催したのは、韓国人青年の金満(キム・マン)氏だった。
彼は、韓国の人々に李方子妃殿下を理解してもらおうと、17年の歳月をかけて方子妃の手になる揮毫(きごう)や陶器を収集したのだと語ってくれた。
李王家の人になったとはいえ、元は日本の皇族だった方子妃の歴史評価に情熱を傾けた韓国人青年がいることを、是非とも知っておいていただきたい。
「方子妃殿下は、とくにこの『和』という文字をお好みになったようです。最も多くお書きになりました」
遺作展の会場で、方子妃殿下の遺墨に手を添えて流暢な日本語で話してくれたのは金寿姙(キム・スエム)女史(80)だった。
金女史は、方子妃殿下が創立した慈行会で1965年以来25年にわたって苦楽を共にした、方子妃殿下を最もよく知る一人である。いまも月2回の御陵詣を欠かさない金女史は回想する。
「方子妃殿下が亡くなられたとき、韓国人は皆悲しみに暮れました」
そして金寿姙女史はその思いを短歌に込めた。
殿下(ママ)逝きて 十歳の月日 陵(やま)の前 名残果さん 願はひとつ
金女史は、昨今の歴史教科書問題で、心ない人々から“親日派”のレッテルを貼られ、いわれのない嫌がらせを受けているという。
戦後、李承晩大統領は、李垠殿下に“民族の反逆者”という烙印を捺し、在任中その帰国を許さなかった。
朴正煕大統領が手本にした「明治維新」
李承晩の失脚後、1961年に政権を奪取したのは、日本の陸軍士官学校出身の朴正煕(パク・ジョンヒ)少将(当時)だった。
朴正煕大統領は、日本に暮らす病床の李垠殿下を気遣い、韓国政府のなすべき道義として李垠殿下夫妻に帰国を促したのである。しかしながら後のマスコミや日本の左翼政党は、韓国の近代化に心血を注いだ朴正煕を、その内なる清貧の正義を量ることなく、軍事クーデターの首謀者・独裁者として糾弾し続けた。またしてもマスコミの独善的な歴史裁判によって全てが醜聞の色に塗り替えられたのだ。
ところが今日では、朴正煕大統領は、歴代大統領の中で人気No.1を誇っているというから実に皮肉なものである。
現在、育英財団の理事長で、朴正煕大統領の令嬢(次女)・朴書永(パク・ショヨン)女史が品位あふれる物腰で語ってくれた。
「あの時、私はまだ年が若く、よくわかりませんでしたが、父は韓日の問題を解決するよう尽くしていました。そして明治維新をお手本にして韓国の重化学工業を発展させました。その時、日本からの援助がこの発展を助けてくれたのです。本当に素晴らしいことだと思っています」
さらに朴書永女史は、ためらうことなく日本に学ぶべきことを次のように述べた。
「過去、神戸で大きな震災がありましたね。その時、新聞記者の方々までもが一生懸命に人々の命を助けるために働いていたのをテレビで見た私は、そのことに深い感銘を受けました。こうしたことを韓国の人々にも是非見習ってもらいたいのです」
“過去”を乗り越え堂々と語る朴書永女史。
ところが、日韓両国のマスコミは彼らに都合の悪いこうした事実を封印してきたのだ。
日韓友好・未来志向を謳いながら、その一方で、国内政治の解決手段を反日に求め、「反日」=「愛国心」を唱える韓国のマスコミも、また問題の火つけ役を演じてきた日本の左翼マスコミも、実はともに、日韓離反の姑息な“扇動者”なのである。
最後に匿名ではあるが、安重根の遠戚の一人の言葉を紹介しよう。
「小泉首相は、8月15日に靖国神社へ行くべきだったと思います。韓国や中国への配慮もありましょうが、一国の総理大臣ならば、先ずは自国の英霊に感謝し、敬意を払うことを優先すべきでしょう。そんなことはどこの国でも同じなんです。またそこではじめて日韓両国は深い議論ができるのではないでしょうか」
※くっくり注:鄭●永氏の●は「王」ヘンに「其」です。
____________________________全文起こしここまで
この記事から約9年。
日韓のマスコミ事情はほとんど変わっていないように思います。
韓国のマスコミはどうか知りませんが、少なくとも日本のマスコミは未だ多くが「日本統治」を直視していませんよね。
たとえば、7月25日放送「NHKスペシャル 日本と朝鮮半島第4回」。
今回の内容は「在日コリアンの戦後▽冷戦下GHQの思惑は▽参政権停止の意見書」でしたが、相変わらずひどいもんでした。
結局、NHKは何が言いたかったんでしょうね?
「在日コリアンは可哀相なんです。日本は彼らを優遇せねばなりません。朝鮮学校を高校無償化の対象に入れましょう。参政権もあげましょう」ってキャンペーンとしか、私には映らなかったんですけど(T^T)
放送を見逃してしまった方、coffeeさんのブログで概要が分かります。
・・・・・・・・・・・細切れぼやき・・・・・・・・・・・
■社民・辻元清美議員が離党の意向 27日に会見へ(朝日新聞7/26 23:12)
おそらく、次の衆議院選挙のことを考えて離党を決めたんだろうと思います。
辻元さんは前回(2009年)の衆院選では大阪10区で当選しています。
なぜ当選できたかというと、はっきり言って、「政権交代」を最優先に考えた民主党が独自候補を擁立せず辻元さんを推薦したからです。
社民党が政権から離脱した以上、次の衆院選で民主党が独次候補を擁立してくるのは必至。そしたら辻元さん大ピンチ!
だから今のうちに、まず社民党から出ておこうって腹でしょう。
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野党ハンナラ党・李会昌(イ・フェチャン)総裁が「親子三代の親日派」と非難されれば、こんどは金大中(キム・デジュン)大統領の日本統治時代の軍服姿が公開され「親日派」のレッテルが貼られる。韓国では「親日派」という言葉は日本統治時代の日本協力者とされ、侮辱の言葉だ。これは政治家も一般人も変わりない。
しかし、いまから7年前、はじめてソウルを訪れた時、20代の青年だった李哲煕(イ・チョリ)氏が臆することなくこう言い放った。
「もしあの時(日韓併合当時)、日本が韓国を植民地にしなくても、ロシアか中国がそうしたでしょうね。韓国が弱すぎたんです。自分達で国を守ることができなかったんですよ」
日本人が発すれば、たちまち“妄言”として猛烈な反感を買うタブーを、なぜ韓国人がこうも簡単に口にするのか、このとき驚きを禁じ得なかった。反日一辺倒で伝えられる韓国だが、じつはそうした捉え方はおかしいのではないか。この疑問をはらすため以降幾度となく韓国を取材することになった。
67%が「植民地統治は韓国にも責任あり」
韓国の世論調査では、このような意見が少数派でないことが明らかになっている。
1996年の高麗大学新聞放送研究所による植民地統治に関する認識調査の結果では、「植民地統治は、韓国にも責任がある」と答えた者は半数を超えて55.6%に上る。「韓国に全面的な責任がある」とした11.4%を加えれば、実に67%の人が韓国の責任を認めていることになり、「日本に全面的に責任がある」と答えた29.2%を大きく上回っているのだ。こうした韓国の肉声はなぜか日本に届かない。
戦後の韓国社会では、こうした対日感情は封印されているばかりか、抗日史観を唯一絶対とし、植民地近代化論や当時の対日協力の歴史を口に出すことは、ご法度なのだ。
実際はどうだったのか。日本軍への志願者数を見てみよう。
昭和20年の内務省資料によれば、昭和13年では400名の募集に対して2946名の韓国人が日本軍に志願し、さらに昭和16年に大東亜戦争が勃発するや、3000名の募集に対して14万4743名が志願。その競争率は実に48倍にも上ったことが記録されている。
そして終戦間際の徴兵・徴用等も含め、大戦に参加した韓国人の軍人軍属の総数は24万2341名を数え、うち2万2182名が九段の靖国神社に祀られているのだ。
我々日本人は、こうした韓国人の人々の協力と尊い犠牲の上に今の日本があることを認識し、感謝すべきであろう。
しかしながら今日の韓国は、そんな感謝など受け入れる情勢ではない。
戦後15年に及ぶ李承晩(イ・スンマン)大統領の在任期間中、反日プロパガンダ・反日教育は徹底され、対日協力の事実は、韓国の近代史からきれいさっぱりと削除されてしまったのである。
戦後の韓国では、日本への協力者は「売国奴」とみなされ、職を失うなど肩身の狭い思いをしてきたという。その一方で、朝鮮戦争時の韓国軍高官の多くは日本軍時代に武勇を馳せた元軍人や、陸軍士官学校をはじめ満州軍官学校出身者で占められていたのだ。中には最後まで日本刀を帯刀して戦った金錫源(キム・ソクウォン)将軍のような英傑もいた。
しかし休戦後、こうした人々の多くも1945年までの軍歴について口を閉ざしたのである。
そんな戦後の風潮の中、元学徒兵の鄭●永(チョン・ギヨン)氏(82)は、30年の歳月をかけ、私財をなげうって大東亜戦争における韓国人戦没者の慰霊碑である「太平洋戦争犠牲韓国人慰霊碑」を釜山・永楽墓地に建立(平成11年5月13日)したのであった。鄭氏は、
「反抗的であれ従順的であれ、また逃避的であれ妥協的であれ、いずれにしてもその学徒兵生活を通じて一時なりとも民族を忘れたことがあろうか」
と、祖国を奪われた屈辱感を胸に訴えた。しかしながら、次のように続けるのだ。
「私は学徒兵の同志にも話しているのですが、その当時、日本の気持ちとはちがいながらも、日本が金をかけて私達学徒兵を教育してくれたことが、韓国の建国に貢献したんです。日本が最後の土壇場でしてくれたことをありがたく思いましょうと」
軍部、教育界、そして実業界の学徒兵出身者が日本統治時代に受けた教育を生かして韓国の建国に貢献したのだという。鄭氏は結ぶ。
「日本と韓国は、お互い良いところは認め合いながら、もっと過去を昇華したかたちで手をとらなければならない」
さらにこの時代、我々日本人が是非とも知っておきたい美談も生まれた。
「同じ国民として共に助け合った」
大戦末期、満州になだれ込んだソ連軍の暴虐によって多くの日本人の生命が奪われた。難民と化した無防備な日本人に抗する術はなく、現・中国延辺朝鮮自治州も悪行の猛火にさらされた。
この地獄絵を目の当たりにした当時25歳の朱極南(シュ・ケクナム)氏(82)は、1人でも多くの日本人を救おうと立ち上がった。
「……そのためには知恵と度胸が必要でした」
そう当時を振り返る朱氏は、逃げ惑う400人もの日本人避難民を教会に匿(かくま)い、「彼らは朝鮮人だ」と偽ってソ連軍の無差別殺戮からその生命を守ってくれたのである。
朱氏はこのときの思いを語る。
「私はクリスチャンですから、きっと神様が日本人を助けてくれたんだと信じています。……『日本人だ』『韓国人だ』というのはね、それは“小さい人”の考え方です。“大きい人”は、国境を超越して……当時韓国はまだ独立していませんでしたから、私は日本人の立場で働きました」
当時は、日本人と韓国人に分け隔てはなく、“同じ国民”として共に助け合っていたのが実状だと、朱氏は力説する。
「私は満州で日本人と仲良くやっていましたよ。日本人から信頼されてね。……いま韓国人で日本を悪くいうのは、ごく少数の人だけですよ!」
こうして封印された交流秘話を数え上げれば枚挙に暇がない。
毎年5月10日、ソウル市郊外の李王家の墓陵・金谷陵英園において、李王朝最後の皇太子と李方子(り・まさこ)妃殿下の忌辰祭が挙行されている事実もまた日本ではまったく報道されていない。
李方子妃殿下とは、先に崩御された皇太后陛下の従姉妹にあたる梨本宮方子女王殿下であり、李王朝の皇太子・英親王李垠(リ・ギン)殿下(李朝代26代皇帝・高宗の令息)に嫁いだ日本の皇族である。
大正9年4月、日韓併合から10年後の婚礼は「融和」の実践として広く内外に報じられたが、戦後、日韓両国のマスコミは、一貫してこの御成婚を“政略結婚”と揶揄し続けてきた。
がしかし、方子妃殿下は、戦後韓国で福祉事業にその生涯を捧げ、多くの韓国人から尊敬されていたことから、命日にあたる毎年5月10日に、いまも李王朝の末裔達によって忌辰祭が厳粛に執り行われているのである。
平成11年の10周忌には、忌辰祭に合わせて李方子妃殿下の遺作展がソウル市内で開かれた。
この遺作展を催したのは、韓国人青年の金満(キム・マン)氏だった。
彼は、韓国の人々に李方子妃殿下を理解してもらおうと、17年の歳月をかけて方子妃の手になる揮毫(きごう)や陶器を収集したのだと語ってくれた。
李王家の人になったとはいえ、元は日本の皇族だった方子妃の歴史評価に情熱を傾けた韓国人青年がいることを、是非とも知っておいていただきたい。
「方子妃殿下は、とくにこの『和』という文字をお好みになったようです。最も多くお書きになりました」
遺作展の会場で、方子妃殿下の遺墨に手を添えて流暢な日本語で話してくれたのは金寿姙(キム・スエム)女史(80)だった。
金女史は、方子妃殿下が創立した慈行会で1965年以来25年にわたって苦楽を共にした、方子妃殿下を最もよく知る一人である。いまも月2回の御陵詣を欠かさない金女史は回想する。
「方子妃殿下が亡くなられたとき、韓国人は皆悲しみに暮れました」
そして金寿姙女史はその思いを短歌に込めた。
殿下(ママ)逝きて 十歳の月日 陵(やま)の前 名残果さん 願はひとつ
金女史は、昨今の歴史教科書問題で、心ない人々から“親日派”のレッテルを貼られ、いわれのない嫌がらせを受けているという。
戦後、李承晩大統領は、李垠殿下に“民族の反逆者”という烙印を捺し、在任中その帰国を許さなかった。
朴正煕大統領が手本にした「明治維新」
李承晩の失脚後、1961年に政権を奪取したのは、日本の陸軍士官学校出身の朴正煕(パク・ジョンヒ)少将(当時)だった。
朴正煕大統領は、日本に暮らす病床の李垠殿下を気遣い、韓国政府のなすべき道義として李垠殿下夫妻に帰国を促したのである。しかしながら後のマスコミや日本の左翼政党は、韓国の近代化に心血を注いだ朴正煕を、その内なる清貧の正義を量ることなく、軍事クーデターの首謀者・独裁者として糾弾し続けた。またしてもマスコミの独善的な歴史裁判によって全てが醜聞の色に塗り替えられたのだ。
ところが今日では、朴正煕大統領は、歴代大統領の中で人気No.1を誇っているというから実に皮肉なものである。
現在、育英財団の理事長で、朴正煕大統領の令嬢(次女)・朴書永(パク・ショヨン)女史が品位あふれる物腰で語ってくれた。
「あの時、私はまだ年が若く、よくわかりませんでしたが、父は韓日の問題を解決するよう尽くしていました。そして明治維新をお手本にして韓国の重化学工業を発展させました。その時、日本からの援助がこの発展を助けてくれたのです。本当に素晴らしいことだと思っています」
さらに朴書永女史は、ためらうことなく日本に学ぶべきことを次のように述べた。
「過去、神戸で大きな震災がありましたね。その時、新聞記者の方々までもが一生懸命に人々の命を助けるために働いていたのをテレビで見た私は、そのことに深い感銘を受けました。こうしたことを韓国の人々にも是非見習ってもらいたいのです」
“過去”を乗り越え堂々と語る朴書永女史。
ところが、日韓両国のマスコミは彼らに都合の悪いこうした事実を封印してきたのだ。
日韓友好・未来志向を謳いながら、その一方で、国内政治の解決手段を反日に求め、「反日」=「愛国心」を唱える韓国のマスコミも、また問題の火つけ役を演じてきた日本の左翼マスコミも、実はともに、日韓離反の姑息な“扇動者”なのである。
最後に匿名ではあるが、安重根の遠戚の一人の言葉を紹介しよう。
「小泉首相は、8月15日に靖国神社へ行くべきだったと思います。韓国や中国への配慮もありましょうが、一国の総理大臣ならば、先ずは自国の英霊に感謝し、敬意を払うことを優先すべきでしょう。そんなことはどこの国でも同じなんです。またそこではじめて日韓両国は深い議論ができるのではないでしょうか」
※くっくり注:鄭●永氏の●は「王」ヘンに「其」です。
____________________________全文起こしここまで
この記事から約9年。
日韓のマスコミ事情はほとんど変わっていないように思います。
韓国のマスコミはどうか知りませんが、少なくとも日本のマスコミは未だ多くが「日本統治」を直視していませんよね。
たとえば、7月25日放送「NHKスペシャル 日本と朝鮮半島第4回」。
今回の内容は「在日コリアンの戦後▽冷戦下GHQの思惑は▽参政権停止の意見書」でしたが、相変わらずひどいもんでした。
結局、NHKは何が言いたかったんでしょうね?
「在日コリアンは可哀相なんです。日本は彼らを優遇せねばなりません。朝鮮学校を高校無償化の対象に入れましょう。参政権もあげましょう」ってキャンペーンとしか、私には映らなかったんですけど(T^T)
放送を見逃してしまった方、coffeeさんのブログで概要が分かります。
・・・・・・・・・・・細切れぼやき・・・・・・・・・・・
■社民・辻元清美議員が離党の意向 27日に会見へ(朝日新聞7/26 23:12)
おそらく、次の衆議院選挙のことを考えて離党を決めたんだろうと思います。
辻元さんは前回(2009年)の衆院選では大阪10区で当選しています。
なぜ当選できたかというと、はっきり言って、「政権交代」を最優先に考えた民主党が独自候補を擁立せず辻元さんを推薦したからです。
社民党が政権から離脱した以上、次の衆院選で民主党が独次候補を擁立してくるのは必至。そしたら辻元さん大ピンチ!
だから今のうちに、まず社民党から出ておこうって腹でしょう。
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Comments
在日や朝鮮人は、李氏朝鮮の時代からの本当の歴史を直視しなければ(知っても捏造するだろうが)何時まで経っても・人で無し、
北が朝鮮人にはお似合いの那。
潘基文国連事務総長が今までにやった事と言えば、「独島は韓国領」というビラを国連で配り、「二酸化炭素をもっと削減すべきだ!」と日本に圧力をかけ、国連の韓国人スタッフを増やし、オフィスの壁にサムスンの薄型テレビを並べた事ぐらいです。
反日圧力と、韓国への利益誘導以外目だった動きの無い世界大統領ですが、就任以来着々と“反日シフト”を進めて来たという事が、テレビでも報道されていましたね。
世界で最も危険な韓国人、潘基文
http://newsweekjapan.jp/stories/world/2009/06/post-234.php
>オフィスの壁にサムスン電子の薄型テレビを並べ、上級顧問に韓国人の仲間たちを選ぶなど、韓国経済の利益を図ったという点を除けば、彼の足跡はほとんど無視できるほどでしかない。
潘基文国連事務総長と韓国人の影響が強い国連は反日組織だ、外務省は歴史教科書是正勧告に抗議せよ
http://blogs.yahoo.co.jp/x1konno/32811766.html
草莽崛起ーPRIDE OF JAPAN
2009年07月27日
NHK・中堅ディレクター氏による、「内部告発」
http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-2250.html
(読まれる場合はコメント欄もどうぞ)
http://meinesache.seesaa.net/article/22321793.html
>マスコミの偏向は日本だけの現象ではありません。それは外国の諜報機関の謀略などではなく、もっと深いところに原因がある、世界的な現象なのです。工作員はいるでしょう。しかし、それは偏向の原因ではありません。偏向している土壌があるから、工作員が活躍できるのです。
以前、TVの仕事をしてらしたマイネ・ザッヘさんがこう書かれててたのを読んで、かえって根深い問題なんだな、と思った事があります。
うちの旦那は今、渋谷のNHK放送センターで仕事をしてるんですが、確かに職員には外国人もいるそうですが、ほとんどは日本人です。あの番組を何の抵抗も無く放送し、そして視聴する日本人が大勢いるという事です。
*7.8% 21:00-21:55 NHKスペシャル・プロジェクトJAPANシリーズ日本と朝鮮半島(4)
韓国の反日はマスコミが作り出したもの。彼らの本音は違う。… いくら言われても「韓国嫌い」はもう治りません。
全体から見れば「一部」なのかもしれないが、連中は「やり過ぎた」。
在日は祖国へ帰ってほしい。朝鮮半島とは未来永劫関わりたくない。…です。
韓国の記事、大変興味深いですね。じっくり拝見させて頂きます。
あと辻本議員、えげつないな〜。言葉はキレイだけどw。
いつも個別にレスを差し上げられず申し訳ありません。
ほいさん:
アドバイスありがとうございます<(_ _)>。実はOCRについては過去にも何度かお勧めいただいたことがあるんですが、当方のパソコンが古いため対応するものがあるのかという問題と、お金の問題、それから、スキャンや修正の手間などを考えると結局手で打った方が早いのでは?ということもあり、導入は考えておりません(^^ゞ
(ネット巡回していて、よく雑誌などの長文起こしを見かけるのですが、ちょくちょく誤字が含まれているのは、OCRを使われているからなのでしょうか?)
(朝鮮進駐軍でしたか?)
韓国が「反日」を強調する理由の一つには、自国の精神的独立性を確かなものにしたい思惑もあるかも知れません。
その場合、悪玉に仕立て上げられる周辺国は、我が国か中国、ロシア、アメリカに限定されてきますが、客観的に見て非難・批判を加えても反撃してこない国は我が国だけで、しかも直近の歴史的な要素も加味されて、我が国を悪玉に仕立て上げているとも考えられます。
日韓両国の間に流れる思惑と感情は根が深く、これからも頭を悩ませる問題のようです。
仕事をしているというのです、どうやら
韓国では見ていないとさぼるらしい。はるか前のことです。今ではあの三星が大会社に。日本は今度は韓国のいいところは取り入れなければ。
毎度のスレ違いお許しください。
千葉落選法務大臣の突然の死刑執行ですが、どう見ても世間の批判を回避するための、「言い逃れ死刑」としか見えないのですが。
自分の身分が大丈夫な時は綺麗ごとを並べ、おのれの保身の為には死刑執行。
ミンスは卑怯者の巣窟ですね。
辻元も千葉も根は同じですね。
だから、防衛白書の刊行を1ヶ月遅らせるんですね。
そこに「竹島」が載っていることが、韓国を刺激するので”遅らせる”とカンガンス自身が決めたと
本音を言えば竹島は削除したいでしょうね。来年度版には載せない
と…
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100728-OYT1T00559.htm
菅談話を向こうはすっごく期待しているらしいですが、慰安婦への個人賠償とか竹島の放棄とか載せないと”こと”ですよ。
どうなるんでしょうなぁ。気色悪いぐらい特アを持ち上げるマスコミも・・・楽しみなんですけど
腰抜け外務省様、おひさしぶりです。
>>千葉落選法務大臣の突然の死刑執行ですが、どう見ても世間の批判を回避するための、「言い逃れ死刑」としか見えないのですが。
わたしはそうはみておりません。
権力奪取とその維持にこそ情熱を燃やすサヨクが、
その権力維持の為に人の命を軽々しく扱った戦後日本政治史上類をみない事件にしか見えません。
でないと、選挙前の死刑に対する考え方と矛盾し過ぎです。
スターリン・毛沢東を例に出すまでもなく、権力こそがサヨクの唯一無二の目的です。
日本国民は、サヨクのこの無情の怖さを知っているんでしょうか?
死刑に関しては、わたしは現状維持派です。
木曽義昌が織田家に寝返るそうで。この機に、社民党征伐の大号令を発しましょう。
やはり福島さんは、天目山でハラキリがお似合いです。
基地問題では民主党と一緒に取り組んだのにも関わらず、都合が悪くなったら民主党に責任をなすりつけて逃げ出しました。当然、沖縄県民はそんな輩を見限りましたが、今度は内からも見限られたようで。衰運は如何ともし難いですな。
明らかに福島さんの指導力不足です。福島さんに導かれては、解党どころか消滅します。
民主党としては旧友の窮地です。助け舟を出すべきでしょう。
社民党のより良い将来を切に願う又市さんの心意気を無碍にしてはなりません。福島さん責任問題が避けられない事になったら、後継党首人事に介入するのが良いです。
福島さんが辞めたら、党の顔を張れる方は存在しません。この先、自助努力ではたかが知れています。やはり、選挙協力という援助が欲しいところでしょう。
社民党内で物分りの良い方といったら、阿部さんか又市さん辺りでしょうか。それとも民主党シンパの方でも良いかと。
両党共、連合と政策のすり合わせをしていますし、同じ路線であれば選挙協力も可能であり、生命維持装置の提供は魅力的です。来年の統一地方選挙がありますし、必要でしょう。
恩恵を背景に担いだ党首を通じて、社民党中枢に影響力を形成・発揮する事にもなります。
社民党支持者はさながら終末の序曲の如く悲鳴を挙げ、嘆き悲しみ、暗澹たる思いで悲痛なオペラを奏でております。苦痛の境地から彼らを助け出すのは旧友の務め。これからはアゴで使いましょう。
個人的には、福島さんが代表の座にしがみついてジリ貧になっていく展開を希望しています。せいぜい、同じ終わった政党同士のたちあがれ日本とチキンレースを繰り広げれば良いです。
社民党といえば、かつては55年体制の雄。もうそろそろ区切りをつけても良いかと存じます。
辻元さんはどうでも良い方です。
やりたい事は往々にして権力の中枢にあるものです。民主党に入ったら忠誠無比の働きをすれば社民党の方々もうかばれる事でしょう。
まあポスト1つぐらいでしたら差し支えないですし、次の内閣刷新時に適当なポストあてがっておけば、後に続く方も安心です。
最近の民主党は、小手先の努力ばかりしているようですが、もとが駄目だから無駄です。
民主党の取り柄は、図体の大きさからくる求心力だけです。求心力が働かなくなったらそこで終わりです。
地政学上、日韓関係を良好にする必要があります。
ですが、現状は反日思想がそれに水を差しています。たかが思想ごときに、安全保障や国家戦略を台無しにされてはたまったものではありません。彼等いる限り、ご近所付き合いですら難儀しますな。
韓国はトーチカであり、韓国人は土嚢である事が望ましいです。
問題はマスコミを支配している北朝鮮が撹乱工作でまともなことをいう韓国人を総て「親日派」と糾弾していること。
又その普通の声を擁護しない日本のマスコミにある。
雑誌を守るんだ