田辺誠が南京大虐殺紀念館建立を後押しした!?
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[1937年(昭和12年)12月20日、南京住宅街にて。支那の子供達の笑顔に「大虐殺」の影は全く感じられない。画像ソース]
12月13日(昭和12年)は南京陥落の日ですね。
「正論」2015年12月号(先月号)の特集【「南京」と堕ちたユネスコ・国連】。
「南京事件」の資料がユネスコの世界記憶遺産に登録されてしまった問題について、識者の方々の論説が掲載されています。
※アマゾンのレビューで★がひとつになっていますが、これはレビューがあまり書き込まれない上に、特定の人物が毎月★ひとつを付けているためです。
今日はその中のひとつ、阿羅健一さんの【習近平も信じない「大虐殺」を許した外務省の大罪】から、一部を紹介します。
世界記憶遺産とは直接関係のない部分です。
中国が習近平政権になってから、“歴史戦”をますますエスカレートさせているのは皆さんご承知のとおり。
が、当の習近平は、本気で「南京事件」があったと信じているのでしょうか?
阿羅さんによれば、ずばり習近平は「南京事件」を信じていない。
その理由は、
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[1937年(昭和12年)12月20日、南京住宅街にて。支那の子供達の笑顔に「大虐殺」の影は全く感じられない。画像ソース]
12月13日(昭和12年)は南京陥落の日ですね。
「正論」2015年12月号(先月号)の特集【「南京」と堕ちたユネスコ・国連】。
「南京事件」の資料がユネスコの世界記憶遺産に登録されてしまった問題について、識者の方々の論説が掲載されています。
※アマゾンのレビューで★がひとつになっていますが、これはレビューがあまり書き込まれない上に、特定の人物が毎月★ひとつを付けているためです。
今日はその中のひとつ、阿羅健一さんの【習近平も信じない「大虐殺」を許した外務省の大罪】から、一部を紹介します。
世界記憶遺産とは直接関係のない部分です。
中国が習近平政権になってから、“歴史戦”をますますエスカレートさせているのは皆さんご承知のとおり。
が、当の習近平は、本気で「南京事件」があったと信じているのでしょうか?
阿羅さんによれば、ずばり習近平は「南京事件」を信じていない。
その理由は、
(1)習近平は、中学校でも、清華大学でも、「南京事件」を学んだことがない。中国が教科書に載せたのは昭和56年、習近平が28歳になった時。28歳の時に突然教科書に現れた「南京事件」を信じてはいまい。
(2)共産党員が学ばなければならない党史、たとえば胡喬木の「中国共産党の三十年」は事件を記述していない。党史にないことを習近平が事実と見なすか?
(3)中国の高官たちが事件をなかったと見なしてきた。習近平だけがあったと見なすことは考えられない。
(1)については、石平さんも以前、関西ローカルの番組でこう話していました。
逆に言えば、若い世代は「南京事件」があったと信じており、その中から将来中国の指導者が出てくるわけで、それはそれで非常に憂慮すべき事態ですが、その話はまた別の機会にということで、先を急ぎます。
(3)について、中国高官たちが「南京事件」をなかったとする例として、阿羅さんは、三岡健次郎氏と中国高官らとのやりとりを挙げています。
三岡健次郎氏とは…
昭和9年に陸軍士官学校を卒業、戦争中は大本営で船舶課参謀を務める。
戦後は自衛隊に入り、アメリカ陸軍参謀大学で学び、第九師団長を務める。
昭和44年、陸将で退官。
昭和52年に訪中し、鄧小平副総理と1時間あまり会談。
それをきっかけに、退役自衛官を集めて中国政経懇談会を設立し、会長に就任。
引き続き中国を訪れ、徐向前、王震、張愛萍といった副総理とも会談。
三岡健次郎氏が初めて中国を訪れた昭和52年、中国で「南京事件」は語られていませんでした。
鄧小平は三岡氏と会談した時、こう述べています。
「日本の軍国主義は中国を侵略した。そのため蒋介石は後退し、それにより八路軍は勢力を広げることができ、最後は蒋介石を打ち破ることができた」
鄧小平は日本軍を非難するとともに感謝もしていたけれども、「南京事件」を語ることはなかったのです。
その4年後の昭和56年、中国は教科書に「南京事件」を記述し、さらに4年後の昭和60年、南京市に南京大虐殺紀念館(日本では「記念館」と表記されることも多いが、正しくは「紀念館」)を建てます。
南京大虐殺紀念館が建立された翌年、さっそく三岡氏も案内されました。
三岡氏は士官学校卒業とともに兵隊の教育に従事しましたが、その兵隊と南京戦に従軍した兵隊は同じ年齢です。
日本兵の素質を知っていた三岡氏は、かりに南京で不祥事があっても、事件として指摘されるようなことは起きえない、と捉えていました。
三岡氏は昭和61年9月、党政治局員兼書記の余秋里と会談した時、「南京事件」を持ち出します。
余秋里は、毛沢東の腹心で、文化大革命の頃は石油鉱業相を務めていました。
会談の4年前に当たる昭和57年の第12回党大会で政治局員に選ばれ、その翌年に国家中央軍事委員会副主席となり、会談が持たれた時は軍の中で極めて重要な地位にいた人物です。
三岡氏は余秋里にこう尋ねました。
「20万人しかいない南京で30万虐殺があったと中国は主張しているが、話が合わないではないか」
それに対して余秋里はまともに答えず、こうはぐらかしました。
「揚子江寄りの下関で2万人を殺したと日本から言ってきている」
そこで三岡氏は戦場というものに言及し、こうたたみかけました。
「2万人の死体がどれくらいか、軍人なら君もわかるだろう」
すると、余秋里はそこで話を切り上げ、逃げてしまいました。
三岡氏は納得できませんでしたが、相手の立場も考えなければならなかったため、切り上げざるをえませんでした。
ただ、三岡氏の追及がこれで終わったわけではありません。
三岡氏は平成3年9月、中央軍事委員会副主席の劉華清と会談した時、再び声を上げました。
劉華清は、海軍司令を務めた後、昭和63年4月、中央軍事委員会副主席に就任、余秋里と同じように軍の中で強い影響力を持っていた軍人です。
三岡氏が劉華清と会談した翌年、鄧小平から江沢民への権力継承が行われ、その時の第14回党大会で劉華清は軍事委員会で2番目、政治局常務委員会で6番目の地位に上っていました。
中央軍事委員会と政治局常務委員会の双方を兼任しているのは江沢民と劉華清だけでした。
その劉華清に、三岡氏はこう質問しました。
「南京大虐殺紀念館を案内されたが、なぜ事実でもない虐殺の記念館を建てるのか」
劉華清はこう答えました。
「中国が解放される前の時代を若い人へ知らせるために行っている。虐殺紀念館は中国の中でのことだ」
やはりまともには答えていません。
が、それで引き下がるわけにはいかないので、三岡氏はさらに30万という数字を出して質問しました。
すると劉華清は黙ってしまい、答えませんでした。
答えられなかったのでしょう。
鄧小平から始まって、中国高官らは、答えたくない時はこのように話を切り上げてしまいます。
それらを思い返した三岡氏は、「南京事件」は中国内の政治的発言であり、それらを問題にする日本が間違っていると納得させ、以後、問いただすことをやめてしまったそうです。
補足すると、櫻井よしこさんが、2005年に中国社会科学院研究所研究員の歩平氏と議論をした時も、こんなことがありました。
櫻井さんが「日中戦争の犠牲者数がなんの説明もなく増えていったのはなぜか」と問うたら、歩平氏は逃げ腰に。
3度目に問い質した時に、歩平氏はやっとこう答えています。
「戦争の犠牲者についてですが、歴史の事実というのは孤立して存在するのではなく、それは感情というものに直接関係してくるということを申し上げたいと思います」
「たとえば南京大虐殺の30万人という数字について、当然、根拠はありますが、これはたんに一人ひとりの犠牲者を足していった結果の数字ではありません。被害者の気持ちを考慮する必要もあります」
※詳細はこちらを→15/10/3付:犠牲者数は中国人民の感情に比例する!?
さて、残念ながら三岡氏は追及をやめてしまいましたが、中国の言うままにしてはおけないと考えた日本人は三岡氏の後にもいました。
亀岡高夫氏もその一人です。
亀岡氏は、陸軍士官学校を卒業し、戦後は衆議院議員となり、建設大臣を務めた人です。
戦場と日本軍をよく知っている亀岡氏は、中国の軍高官に抗議しました。
「『南京事件』は作りごとであり、まして30万人などとは…」
すると、軍高官から、こう反論されたそうです。
「日本社会党の田辺誠委員長から言ってきている」
衆議院議員の稲葉大和氏も、やはり30万人という数字について中国軍の高官に抗議しました。
すると、「虐殺紀念館の建設は日本から言い出したことだ」と言われて、二の句が継げなかったそうです。
同じような中国側の言い訳は、三岡健次郎氏も経験しています。
盧溝橋にある反日記念館に行き、あまりの残虐さに驚いたものの、「田辺誠から言ってきている」と反論され、黙るしかなかったそうです。
これらのことから見えてくる共通点は、
(A)中国の高官は30万という数字にまともな反論をしていない。
(B)展示を追及されると、日本の記者や、日本の政治家からの要請だと言って、逃げている。
要するに、中国高官は「南京事件」を事実だと捉えていないのです。
南京大虐殺紀念館が建てられた時に館名を書いた鄧小平が、「南京事件」をよく知っていたかといえば、これもそうではありません。
鄧小平は南京が陥落する頃、日本軍と正面から対峙せずに山西省の西部、南部と移動していました。
支那事変が始まると前線で共産党軍を指揮していたという地位から、さまざまな情報が入り、南京陥落も知ることができたでしょうが、「南京事件」は知らなかったであろうというのが、阿羅さんの見立てです。
戦後、鄧小平は文化大革命で失脚、昭和48年に副総理として復帰、昭和52年に復権が決議されます。
三岡健次郎氏が鄧小平と会ったのはこういう時期でした。
鄧小平の復帰と並行するように、昭和50年に蒋介石が没し、昭和52年1月には周恩来が、同年9月には毛沢東が没します。
このように「南京事件」について知る人たちが亡くなって数年、初めてそれが語られるようになったのは、日本軍が南京を攻めてから44年もの月日が経ってからです。
[平成2年(1990年)、金丸訪朝団が金日成と会見。右が田辺誠]
もうひとつ気になるのは、複数の中国高官の口から田辺誠の名前が出てくることです。
田辺誠は群馬県選出の衆議院議員で、昭和57年に日本社会党の副委員長に就任、58年2月に書記長を兼務、59年2月に書記長専任となり、平成3年から5年まで委員長を務めた人物です。
戦争の頃はどうしていたかというと、昭和18年に徴兵され、予備仕官の道を進み、終戦の時は千葉県稲毛にある戦車予備士官学校に在学中でした。
阿羅健一さんは平成11年、田辺誠に電話取材をしています。
直接会って話を伺いたいと申し出たものの、田辺は電話取材しか受けなかったそうです。
「あなたの方から『南京事件』は事実だと言ってきたと、中国側は言っていますが?」
「盧溝橋の展示について、これもあなたから言ってきたと、中国側は言っていますが?」
と、阿羅さんは質問しました。
しかし、田辺の答えは……、
「盧溝橋の展示館に行った時に署名はしたがそれだけで、歴史は詳しくないのでそういう発言をしていない」
「私が朝鮮や中国と関係があったので、そう言うのではないか」
阿羅さんは、電話越しだったので微妙なところは分からないとしながらも、「田辺誠から言ってきている」と答えた中国高官が一人ではないことや、亀岡高夫氏と稲葉大和氏の間に関連はないことから、田辺誠が怪しい(嘘を付いている)と示唆しています。
以下は、私の方で調べていて気づいたのですが…
故・浜田幸一氏が、平成5年に出版した著書『日本をダメにした九人の政治家』の中で、田辺誠が1980年代に南京市を訪れた際に、南京大虐殺紀念館を建設するよう求めたと述べるとともに、この要請や総評から南京市への3000万円の寄付によって同紀念館が建設されたと語っています。
総評というのは、日本社会党の支持団体です(平成元年に解散)。
田辺誠だけでなく、総評まで出てきたので私は驚きました。
ハマコーの話なんて信じてよいの?と思う向きもあるかもしれません。
が、他にも同様の証言をしている人はいます。
元教科書是正訴訟事務局長の半本茂さんです。
平成19年にチャンネル桜(動画)に出演した際に、こんな話をしています。
※MILLENNIUMさま「南京大虐殺記念館は日本社会党が作ったのか」から書き起こしを転載<(_ _)>
田辺誠本人が今年7月に亡くなってしまったので、真相は藪の中です。
中国の高官らが日本人に話した内容をそのまま信じてよいのかという根本的な疑問もあるでしょう。
が、総合的に見て、田辺誠が何らかの形で「南京大虐殺紀念館」の建立に関わったのは間違いないだろうというのが、私の受け止めです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※おまけ
月刊正論12月号・業田良家さん「それいけ!天安悶」より(産経 2015.12.7 07:00)
本当にやりそうで恐い!!(T_T)
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※拙ブログ関連エントリー(南京事件)
・07/3/6付:「南京大虐殺」入門の入門
超初心者の友人のためにUPしました。
・07/12/15付:新「南京大虐殺記念館」まだ30万人て言うとんのか!
中共は「30万人という数字について、当然、根拠はある」と言いながら根拠を示さない。挙げ句に「数の問題じゃない」「30万人という数字は政治的な数字である」。
・09/1/10付:日本の昔のお正月について調べてたはずが大脱線(笑)
「大虐殺」進行中に支那の人々はこんなふうに笑えるものでしょうか?
・09/4/14付:ある老兵士の孤独と嘘(細切れぼやきも)
「朝まで生テレビ」で「南京大虐殺」体験者として出演した老兵士Aさんは、南京攻略戦のあった昭和12年12月13日には軍隊にまだ入っていませんでした。
・11/12/17付:鈴木史朗さんが「南京大虐殺」は真実ではないと思う理由
「私にとって、中国は『第二の故郷』なのです。その中国の方々が、このような『嘘』を永久に教え込まれ続けるとすれば、本当に悲しいことです」
・12/2/27付:河村市長頑張れ&支那軍と支那人の特徴及び南京陥落前の大混乱
「南京大虐殺には動かぬ証拠がある」というのは中共の決まり文句。「動かぬ証拠」があるなら見せて下さいよと思うんですが、見せてくれたためしがありません。
・12/3/5付:河村市長断固支持!青山さんの正論&「南京虐殺」反論英文資料
アメリカ人の「南京虐殺目撃証人」は一人もいなかった。
・13/3/30付:支那人が支那人を殺す戦争!蒋介石の破壊と大虐殺
周恩来首相の下で副首相を務めた郭沫若曰く、「抗戦八年の間に、踏みにじられた同胞の数は、戦死したり日本の侵略者に虐殺されたりしたものの少なくとも百倍以上はあっただろう」。
・13/4/10付:西川京子さんが衆院予算委で「従軍慰安婦」「南京大虐殺」の虚構と自虐史観に侵された入試問題について語ってくれました(中山成彬さん質疑まとめ付き)
「南京の問題は、1980年代、朝日新聞が、大キャンペーンを張った中で大きな政治問題として、中国、韓国がこれを利用するようになった。これが実態です」
・14/9/22付:本多勝一が“誤用”を認めた南京事件捏造写真&「中国の旅」と支那人体験記の残虐記述がそっくりな件
「中国の旅」が掲載された1971年当時、南京戦に参加した元日本兵でご健在の方々がまだ多くいた時期だったため、記事に対するごうごうたる非難の投書が朝日新聞社には殺到しました。
・15/10/10付:“南京大虐殺”が世界記憶遺産に登録 「断固たる措置取る」と日本政府は言うが…
中国が「記憶遺産」として申請していた「南京事件」をめぐる資料について、ユネスコが登録することを発表。「30万人大虐殺」という捏造がいよいよ史実にされてしまう危機?!
※拙ブログ関連エントリー(支那全般)
・09/9/27付:GHQ焚書「敗走千里」より支那軍の実態
・10/9/27付:9月24日は国恥記念日 船長釈放でますます嵩にかかる中国
・10/11/16付:尖閣問題を考える上での具体例を77年前の本に学ぶ
・10/12/7付:支那人の民族性を考える上での具体例を77年前の本に学ぶ
・10/12/20付:支那人にまつわる坂東忠信さんのインタビュー「正論」11月号より
・11/2/5付:支那五千年の殺戮の歴史の集大成「三十六計」
・11/7/25付:中国高速鉄道事故 車両隠蔽に朝日記者も驚愕!?
・12/6/11付:旧日本軍軍装品から尖閣地図まで!歴史改竄のため史料を買い漁る支那人
・12/7/23付:旧日本兵らが支那に寄贈した小学校が一般企業に払い下げられていた
・12/11/5付:長崎事件をご存知ですか?支那を憂う明治天皇と沿岸防備に寄附した国民
・13/2/9付:沖縄は支那の属国か?いわゆる朝貢体制の本質(付:レーダー照射問題)
・13/3/25付:捕虜も婦女子も皆殺し!支那の非公開アンケート
・15/8/10付:鈴木史朗さんの引き揚げ体験「私たちの財産を取り上げた中国が、いまも謝罪や賠償を求めてくるのは許せない」
・15/9/4付:嘘で固められた抗日戦争勝利70年式典
・15/9/14付:満州国は輝ける近代国家だった
・15/10/3付:犠牲者数は中国人民の感情に比例する!? Tweetまとめ15.09.16〜15.09.30
・15/11/7付:70年間同じ茶番を繰り返している日本のリベラル! 石平×有本香「リベラルの中国認識が日本を滅ぼす 日中関係とプロパガンダ」より
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(2)共産党員が学ばなければならない党史、たとえば胡喬木の「中国共産党の三十年」は事件を記述していない。党史にないことを習近平が事実と見なすか?
(3)中国の高官たちが事件をなかったと見なしてきた。習近平だけがあったと見なすことは考えられない。
(1)については、石平さんも以前、関西ローカルの番組でこう話していました。
正義のミカタ★南京記憶遺産(1)石平「中国はアンネの日記の登録に触発された。旧日本軍をナチスと同列にして日本のイメージダウン図る。少なくとも30万人殺害はない。市民は避難して20万人しかいなかった。私の学生時代、教科書に大虐殺とか一切載ってなかった。80年代にぼちぼち出てきた」
— くっくり (@boyakuri) 2015, 10月 10
逆に言えば、若い世代は「南京事件」があったと信じており、その中から将来中国の指導者が出てくるわけで、それはそれで非常に憂慮すべき事態ですが、その話はまた別の機会にということで、先を急ぎます。
(3)について、中国高官たちが「南京事件」をなかったとする例として、阿羅さんは、三岡健次郎氏と中国高官らとのやりとりを挙げています。
三岡健次郎氏とは…
昭和9年に陸軍士官学校を卒業、戦争中は大本営で船舶課参謀を務める。
戦後は自衛隊に入り、アメリカ陸軍参謀大学で学び、第九師団長を務める。
昭和44年、陸将で退官。
昭和52年に訪中し、鄧小平副総理と1時間あまり会談。
それをきっかけに、退役自衛官を集めて中国政経懇談会を設立し、会長に就任。
引き続き中国を訪れ、徐向前、王震、張愛萍といった副総理とも会談。
三岡健次郎氏が初めて中国を訪れた昭和52年、中国で「南京事件」は語られていませんでした。
鄧小平は三岡氏と会談した時、こう述べています。
「日本の軍国主義は中国を侵略した。そのため蒋介石は後退し、それにより八路軍は勢力を広げることができ、最後は蒋介石を打ち破ることができた」
鄧小平は日本軍を非難するとともに感謝もしていたけれども、「南京事件」を語ることはなかったのです。
その4年後の昭和56年、中国は教科書に「南京事件」を記述し、さらに4年後の昭和60年、南京市に南京大虐殺紀念館(日本では「記念館」と表記されることも多いが、正しくは「紀念館」)を建てます。
南京大虐殺紀念館が建立された翌年、さっそく三岡氏も案内されました。
三岡氏は士官学校卒業とともに兵隊の教育に従事しましたが、その兵隊と南京戦に従軍した兵隊は同じ年齢です。
日本兵の素質を知っていた三岡氏は、かりに南京で不祥事があっても、事件として指摘されるようなことは起きえない、と捉えていました。
三岡氏は昭和61年9月、党政治局員兼書記の余秋里と会談した時、「南京事件」を持ち出します。
余秋里は、毛沢東の腹心で、文化大革命の頃は石油鉱業相を務めていました。
会談の4年前に当たる昭和57年の第12回党大会で政治局員に選ばれ、その翌年に国家中央軍事委員会副主席となり、会談が持たれた時は軍の中で極めて重要な地位にいた人物です。
三岡氏は余秋里にこう尋ねました。
「20万人しかいない南京で30万虐殺があったと中国は主張しているが、話が合わないではないか」
それに対して余秋里はまともに答えず、こうはぐらかしました。
「揚子江寄りの下関で2万人を殺したと日本から言ってきている」
そこで三岡氏は戦場というものに言及し、こうたたみかけました。
「2万人の死体がどれくらいか、軍人なら君もわかるだろう」
すると、余秋里はそこで話を切り上げ、逃げてしまいました。
三岡氏は納得できませんでしたが、相手の立場も考えなければならなかったため、切り上げざるをえませんでした。
ただ、三岡氏の追及がこれで終わったわけではありません。
三岡氏は平成3年9月、中央軍事委員会副主席の劉華清と会談した時、再び声を上げました。
劉華清は、海軍司令を務めた後、昭和63年4月、中央軍事委員会副主席に就任、余秋里と同じように軍の中で強い影響力を持っていた軍人です。
三岡氏が劉華清と会談した翌年、鄧小平から江沢民への権力継承が行われ、その時の第14回党大会で劉華清は軍事委員会で2番目、政治局常務委員会で6番目の地位に上っていました。
中央軍事委員会と政治局常務委員会の双方を兼任しているのは江沢民と劉華清だけでした。
その劉華清に、三岡氏はこう質問しました。
「南京大虐殺紀念館を案内されたが、なぜ事実でもない虐殺の記念館を建てるのか」
劉華清はこう答えました。
「中国が解放される前の時代を若い人へ知らせるために行っている。虐殺紀念館は中国の中でのことだ」
やはりまともには答えていません。
が、それで引き下がるわけにはいかないので、三岡氏はさらに30万という数字を出して質問しました。
すると劉華清は黙ってしまい、答えませんでした。
答えられなかったのでしょう。
鄧小平から始まって、中国高官らは、答えたくない時はこのように話を切り上げてしまいます。
それらを思い返した三岡氏は、「南京事件」は中国内の政治的発言であり、それらを問題にする日本が間違っていると納得させ、以後、問いただすことをやめてしまったそうです。
補足すると、櫻井よしこさんが、2005年に中国社会科学院研究所研究員の歩平氏と議論をした時も、こんなことがありました。
櫻井さんが「日中戦争の犠牲者数がなんの説明もなく増えていったのはなぜか」と問うたら、歩平氏は逃げ腰に。
3度目に問い質した時に、歩平氏はやっとこう答えています。
「戦争の犠牲者についてですが、歴史の事実というのは孤立して存在するのではなく、それは感情というものに直接関係してくるということを申し上げたいと思います」
「たとえば南京大虐殺の30万人という数字について、当然、根拠はありますが、これはたんに一人ひとりの犠牲者を足していった結果の数字ではありません。被害者の気持ちを考慮する必要もあります」
※詳細はこちらを→15/10/3付:犠牲者数は中国人民の感情に比例する!?
さて、残念ながら三岡氏は追及をやめてしまいましたが、中国の言うままにしてはおけないと考えた日本人は三岡氏の後にもいました。
亀岡高夫氏もその一人です。
亀岡氏は、陸軍士官学校を卒業し、戦後は衆議院議員となり、建設大臣を務めた人です。
戦場と日本軍をよく知っている亀岡氏は、中国の軍高官に抗議しました。
「『南京事件』は作りごとであり、まして30万人などとは…」
すると、軍高官から、こう反論されたそうです。
「日本社会党の田辺誠委員長から言ってきている」
衆議院議員の稲葉大和氏も、やはり30万人という数字について中国軍の高官に抗議しました。
すると、「虐殺紀念館の建設は日本から言い出したことだ」と言われて、二の句が継げなかったそうです。
同じような中国側の言い訳は、三岡健次郎氏も経験しています。
盧溝橋にある反日記念館に行き、あまりの残虐さに驚いたものの、「田辺誠から言ってきている」と反論され、黙るしかなかったそうです。
これらのことから見えてくる共通点は、
(A)中国の高官は30万という数字にまともな反論をしていない。
(B)展示を追及されると、日本の記者や、日本の政治家からの要請だと言って、逃げている。
要するに、中国高官は「南京事件」を事実だと捉えていないのです。
南京大虐殺紀念館が建てられた時に館名を書いた鄧小平が、「南京事件」をよく知っていたかといえば、これもそうではありません。
鄧小平は南京が陥落する頃、日本軍と正面から対峙せずに山西省の西部、南部と移動していました。
支那事変が始まると前線で共産党軍を指揮していたという地位から、さまざまな情報が入り、南京陥落も知ることができたでしょうが、「南京事件」は知らなかったであろうというのが、阿羅さんの見立てです。
戦後、鄧小平は文化大革命で失脚、昭和48年に副総理として復帰、昭和52年に復権が決議されます。
三岡健次郎氏が鄧小平と会ったのはこういう時期でした。
鄧小平の復帰と並行するように、昭和50年に蒋介石が没し、昭和52年1月には周恩来が、同年9月には毛沢東が没します。
このように「南京事件」について知る人たちが亡くなって数年、初めてそれが語られるようになったのは、日本軍が南京を攻めてから44年もの月日が経ってからです。
[平成2年(1990年)、金丸訪朝団が金日成と会見。右が田辺誠]
もうひとつ気になるのは、複数の中国高官の口から田辺誠の名前が出てくることです。
田辺誠は群馬県選出の衆議院議員で、昭和57年に日本社会党の副委員長に就任、58年2月に書記長を兼務、59年2月に書記長専任となり、平成3年から5年まで委員長を務めた人物です。
戦争の頃はどうしていたかというと、昭和18年に徴兵され、予備仕官の道を進み、終戦の時は千葉県稲毛にある戦車予備士官学校に在学中でした。
阿羅健一さんは平成11年、田辺誠に電話取材をしています。
直接会って話を伺いたいと申し出たものの、田辺は電話取材しか受けなかったそうです。
「あなたの方から『南京事件』は事実だと言ってきたと、中国側は言っていますが?」
「盧溝橋の展示について、これもあなたから言ってきたと、中国側は言っていますが?」
と、阿羅さんは質問しました。
しかし、田辺の答えは……、
「盧溝橋の展示館に行った時に署名はしたがそれだけで、歴史は詳しくないのでそういう発言をしていない」
「私が朝鮮や中国と関係があったので、そう言うのではないか」
阿羅さんは、電話越しだったので微妙なところは分からないとしながらも、「田辺誠から言ってきている」と答えた中国高官が一人ではないことや、亀岡高夫氏と稲葉大和氏の間に関連はないことから、田辺誠が怪しい(嘘を付いている)と示唆しています。
以下は、私の方で調べていて気づいたのですが…
故・浜田幸一氏が、平成5年に出版した著書『日本をダメにした九人の政治家』の中で、田辺誠が1980年代に南京市を訪れた際に、南京大虐殺紀念館を建設するよう求めたと述べるとともに、この要請や総評から南京市への3000万円の寄付によって同紀念館が建設されたと語っています。
総評というのは、日本社会党の支持団体です(平成元年に解散)。
田辺誠だけでなく、総評まで出てきたので私は驚きました。
ハマコーの話なんて信じてよいの?と思う向きもあるかもしれません。
が、他にも同様の証言をしている人はいます。
元教科書是正訴訟事務局長の半本茂さんです。
平成19年にチャンネル桜(動画)に出演した際に、こんな話をしています。
※MILLENNIUMさま「南京大虐殺記念館は日本社会党が作ったのか」から書き起こしを転載<(_ _)>
半本氏「あれは、昭和60年頃だったと思いますけどね、南京虐殺記念館を作りつつあるという情報が入ってきたものですから、これ何とか止めないといけないというので、何人か集まりましてね、それじゃあ、中国行ってね、交渉し、綱領を持ち込もうという話になったんですけど、ところが、いや、それはビザを受けられないだろうと。発行されないだろうということでね、どうしようということで、たまたま教科書裁判の仲間にマグチ・ヒロシさんという方がおられてね、この人は陸軍士官学校の53期だったんです。彼が『自分の同期に、中共軍の顧問をしているのがいて、それに話をして彼になんとか言ってもらったほうがいいだろう。』ということになって、それで彼に話をつければ我々は入れるというので話をしてもらいに行ったんですよ。そうしたら、亀岡さん*1が言ってくれたんです。それで向こうの参謀副長官かなにかに話をしたら、とんでもない話だと。我々には金もないのに、そんなのなんで作らなければならないのだと、言ったんですね。」
Ch桜「中共側が言ったんですね。」
半本「中共側が言ったんです。じゃあ、どうなんだと言ったら、作れ作れというのは日本側が言っているんではないかと。日本人が来て作れ作れと何回も言っていると。文句言うなら日本人に言えばいいと。そんなのは誰ですか、と聞いたら、『田辺』という人なんだと。はっきり聞いたんです。」
Ch桜「例の社会党の田辺さん・・・」
半本「社会党の田辺さん。」
Ch桜「委員長だったですよね。」
半本「そうですね。それで、『えーっ』っていうんで、その人は帰ってきて、『実はこんなことだった』と。じゃあ中国行って文句言いに行っても、何もならなかったと。悪いのは日本人だと。たまたま、それを裏づけするようにね、私の非常に親しいコグレ・ヤマト*2という参議院議員が、新潟出身でおりましてね、彼から電話で、たしか平成7,8年ごろでしたね。電話でね『いや、それは本当だよ。自分が中共軍のベトナム戦争のときの総司令官だったサイ・イップという人と十年来の付き合いで友達なんだけども、彼から直に聞いたんだと。あのときに、日本の総評から3000万円の金を持ってきたと。それであの記念館を建てたんだと。ところがそのとき870万円しか金がかからなかったと。それで仲間でみんなで分けちゃったと。そこまで話を聞いたよ』と。いうことで・・・」
Ch桜「とんでもない話ですね。」
半本「それから○○(聞き取り不能)から聞いたけどね、これはどうもあのー、あそこの設計がね、日本の設計だったと。」
Ch桜「え、設計まで日本人がやったと。」
半本「設計まで日本人がやったと。」
Ch桜「玄関のところに30万と書いてある。壁にはレリーフでね、残虐行為やっているし、もう庭行くとなんですか、その、社会党の議員訪問団が、その申し訳ない、申し訳ないと頭下げているし、あれ中国人が見たら、日本人がこれだけ謝っているんだから、きっとあったんだろうと思っちゃいますよ。なんか展示はめちゃくちゃインチキですけどね。インチキ写真とかごろごろしていて撮影させませんけどね。」
半本「なんで日本人が、そのー今となっては遅いですけどね。」
Ch桜「総評が3000万出したんですか。」
半本「これは、コグレ・ヤマトという参議院議員から聞いたんですけどね。」
*1 阿羅さんも言及している元衆議院議員の亀岡高夫氏と思われる。
*2 木暮山人氏と思われる。
田辺誠本人が今年7月に亡くなってしまったので、真相は藪の中です。
中国の高官らが日本人に話した内容をそのまま信じてよいのかという根本的な疑問もあるでしょう。
が、総合的に見て、田辺誠が何らかの形で「南京大虐殺紀念館」の建立に関わったのは間違いないだろうというのが、私の受け止めです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※おまけ
月刊正論12月号・業田良家さん「それいけ!天安悶」より(産経 2015.12.7 07:00)
本当にやりそうで恐い!!(T_T)
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※拙ブログ関連エントリー(南京事件)
・07/3/6付:「南京大虐殺」入門の入門
超初心者の友人のためにUPしました。
・07/12/15付:新「南京大虐殺記念館」まだ30万人て言うとんのか!
中共は「30万人という数字について、当然、根拠はある」と言いながら根拠を示さない。挙げ句に「数の問題じゃない」「30万人という数字は政治的な数字である」。
・09/1/10付:日本の昔のお正月について調べてたはずが大脱線(笑)
「大虐殺」進行中に支那の人々はこんなふうに笑えるものでしょうか?
・09/4/14付:ある老兵士の孤独と嘘(細切れぼやきも)
「朝まで生テレビ」で「南京大虐殺」体験者として出演した老兵士Aさんは、南京攻略戦のあった昭和12年12月13日には軍隊にまだ入っていませんでした。
・11/12/17付:鈴木史朗さんが「南京大虐殺」は真実ではないと思う理由
「私にとって、中国は『第二の故郷』なのです。その中国の方々が、このような『嘘』を永久に教え込まれ続けるとすれば、本当に悲しいことです」
・12/2/27付:河村市長頑張れ&支那軍と支那人の特徴及び南京陥落前の大混乱
「南京大虐殺には動かぬ証拠がある」というのは中共の決まり文句。「動かぬ証拠」があるなら見せて下さいよと思うんですが、見せてくれたためしがありません。
・12/3/5付:河村市長断固支持!青山さんの正論&「南京虐殺」反論英文資料
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・13/3/30付:支那人が支那人を殺す戦争!蒋介石の破壊と大虐殺
周恩来首相の下で副首相を務めた郭沫若曰く、「抗戦八年の間に、踏みにじられた同胞の数は、戦死したり日本の侵略者に虐殺されたりしたものの少なくとも百倍以上はあっただろう」。
・13/4/10付:西川京子さんが衆院予算委で「従軍慰安婦」「南京大虐殺」の虚構と自虐史観に侵された入試問題について語ってくれました(中山成彬さん質疑まとめ付き)
「南京の問題は、1980年代、朝日新聞が、大キャンペーンを張った中で大きな政治問題として、中国、韓国がこれを利用するようになった。これが実態です」
・14/9/22付:本多勝一が“誤用”を認めた南京事件捏造写真&「中国の旅」と支那人体験記の残虐記述がそっくりな件
「中国の旅」が掲載された1971年当時、南京戦に参加した元日本兵でご健在の方々がまだ多くいた時期だったため、記事に対するごうごうたる非難の投書が朝日新聞社には殺到しました。
・15/10/10付:“南京大虐殺”が世界記憶遺産に登録 「断固たる措置取る」と日本政府は言うが…
中国が「記憶遺産」として申請していた「南京事件」をめぐる資料について、ユネスコが登録することを発表。「30万人大虐殺」という捏造がいよいよ史実にされてしまう危機?!
※拙ブログ関連エントリー(支那全般)
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Comments
いつもありがとうございます。
ツィッターをやらないのですでにツィートされていたらすみません。
BBCの動画記事(日本語訳付き)です。
絶句という感じで感想が書けません。
せめてリンクだけでも。。。
2015/12/15「BBC記者、南沙諸島の人工島に上空から接近 中国海軍は警告を」
http://www.bbc.com/japanese/video-35099381