世界が忘れない日本の物語「ビーバップ!ハイヒール」より
【宮崎県における口蹄疫被害:募金のお願い】→こちらから
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■6/17放送「ビーバップ!ハイヒール」世界が忘れない日本の物語
拙ブログの読者様にはおなじみのエピソードが大半かもしれませんが、これを地上波で放送したことに大きな意義があると思います。
木曜深夜11時台の放送にもかかわらず、2桁の視聴率をとるという関西の人気番組です。
例によって、番組の中身をざっくりとですがまとめてみました。
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■6/17放送「ビーバップ!ハイヒール」世界が忘れない日本の物語
拙ブログの読者様にはおなじみのエピソードが大半かもしれませんが、これを地上波で放送したことに大きな意義があると思います。
木曜深夜11時台の放送にもかかわらず、2桁の視聴率をとるという関西の人気番組です。
例によって、番組の中身をざっくりとですがまとめてみました。
【当日のテレビ欄より】
日本は世界から尊敬されてる▽日本人だけが知らない感動秘話
【番組公式サイトより】
日本は自分たちが思う以上に世界から愛されている!世界は知っている“愛される日本”のエピソードを紹介!
「ハテナの自由研究」は、ブラックマヨネーズの「はじめての日本」第5弾。
【出演者】
ハイヒール(リンゴ・モモコ)
筒井康隆、江川達也、たむらけんじ
ブラックマヨネーズ(小杉・吉田)
澤山璃奈、岡元昇(ABCアナウンサー)
井沢元彦(ゲスト。作家。歴史をテーマにフィクション、ノンフィクション問わずに幅広く活動。『逆説の日本史』『言霊』など著書多数。大正大学文学部客員教授)
※一部進行を変えて再構成しています。
※「ハテナの自由研究」コーナーはカットしました。
※画像は読者様にご提供いただいた動画からキャプチャさせていただきました。
(私の使っているMacOS9でついにYouTube視聴ができなくなりました。
裏技使ってキャプチャしたので画像が粗いですがご容赦下さい)
大ざっぱな内容紹介ここから_________________________
こんな調査をご存知だろうか?
「世界に良い影響を与える国」第1位、日本。
これは世界の主要30数カ国を対象とした世論調査で、嬉しいことに日本は2006年から3年連続でトップの座を獲得している。
「金儲け」「アメリカの腰ぎんちゃく」……。
我々日本人は世界からマイナスのイメージを持たれていると何となく思いがちだが、実は自分たちの思う以上に世界から愛されているのだ。
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■プロローグ〜リトアニアのユダヤ難民を救った杉原千畝〜
オスカー・シンドラーは第二次大戦中、ナチスの強制収容所から1200人のユダヤ人の命を救ったドイツ人。
その正義の姿は世界中で知られ、スティーブン・スピルバーグによって映画化もされた。
しかし、そのシンドラー以上に多くのユダヤ人を救い、世界から高く評価されている日本人がいる。
杉原千畝。
実に6000人ものユダヤ人を救い、その勇気ある行為から「東洋のシンドラー」と呼ばれている人物である。
1940年、リトアニアの日本領事館にいた杉原。
当時、ナチスに迫害され逃げてきた多くのユダヤ難民は、さらなる迫害から逃れるため、国外脱出を望んでいた。
どこの国もビザの発給を拒む中、杉原は本国外務省の指示にそむき、ユダヤ人を国外へ逃すため、独断でビザを発給。
しかし戦後、命令に背いたことを理由に、杉原は外務省から追放され、その行いは一切日本では語られなかった。
彼の名が広く世間に知られたのはその45年後。
ユダヤ人の国イスラエル政府が、ノーベル平和賞に匹敵するとされるヤド・バシェム賞(諸国民の中の正義の人賞)を授与した時だった。
リトアニアの首都では、彼の功績を称え、スギハラ通りと名付けられた道が、今も残されている。
そんな、我々日本人は知らないが世界は知っている、愛すべき日本の歴史を紹介してくれるのが、作家の井沢元彦。
「逆説の日本史」シリーズで知られる、歴史探究のプロフェッショナル。
井沢元彦
「日本人は私たちが思っている以上に、世界の人たちから愛されています。それには当然愛されるだけの理由があるんですが、その理由となる歴史や物語も、意外と日本人は知らないでいるんです」
今夜の「ビーバップ!ハイヒール」は、世界が忘れない日本の物語。
これを見ればもっと日本が好きになる!
〈スタジオトークより〉
井沢元彦
「杉原千畝は、形式的には外務省の本省の命令に逆らったわけでしょ。だからずっと外務省としてはあいつは悪い奴だってことになってて、ひどい扱いを受けてたんです。外国から評価されて初めて、外務大臣が謝りに行ったという」
「他にもこういう人の話はたくさんあるが、今の日本人というのは、ひとつは教育の場で教えられないこともあるし、日本人自体も、これはいいことでもあり悪いことでもあるんですが、人に悪いことしても忘れちゃうし、いいことしてもみんな忘れちゃう。つまり過去にこだわるのは悪いことだという感覚があるので、いいことも悪いことも忘れる」
リンゴ
「日本人は、いいことしたのを『いいことした、いいことした』って言うのを、ちょっと恥ずかしいと思う国民性じゃないですか。『それほどでも…』みたいな(笑)」
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■世界が忘れない日本の物語1〜トルコの「恩返し」〜
「今から48時間後、イランの上空を通過する全ての飛行機を攻撃対象とする」
イラクのフセイン大統領の爆弾宣言が世界を混乱に陥れたのは1985年。
イラン・イラク戦争の真っ只中のことだった。
この時、200人以上もの日本人がイランに取り残されていたのだ。
外務省はなかなか決断ができず、ついにタイムオーバー。
日本から救援機を飛ばしても間に合わなくなった。
もうあきらめるしかないのか……。
しかしその時、意外なところから救いの手が差し伸べられた。
トルコのオザル首相が、事態を知ってこう言ったのだ。
「OK。我が国が飛行機を出そう。我々は日本人に恩返しをしなければいけないからね」
翌日、日本のマスコミは、タイムリミットまであと3時間という、トルコ航空の奇跡の救出劇を大々的に報じた。
だが、オザルの言う恩返しの意味を知る者はほとんどいなかった。
なぜトルコが日本を助けてくれたのか?
全ては95年前に遡る。
1890年(明治23年)9月16日。
この日、和歌山県・大島を大型台風が直撃。
嵐の樫野崎灯台には宿直担当が二人。
「かなりの雨だな」
「そうですね、今夜がピークですかね」
その時、部屋に入ってきたのは傷を負った大男。
彫りの深い顔立ちに、びしょぬれの身体。
一目で海難事故だと分かった。
「おい、大丈夫か!」
「どこの国の船だ?!」
いくら問いかけても、言葉が全く通じない。
「これならどうだ。分かるか?!」
宿直が差し出したのは世界地図。
男は震える指でひとつの国旗を指さした。
……トルコ!!
「とにかく先に怪我の手当をしましょう」
そうこうしていると、次々に怪我人がなだれ込んできた。
「もう俺たちの手には負えない」
「とりあえず村の人たち全員に知らせましょう!」
知らせを聞いた村の男たちは、海岸で悲惨な光景を目にした。
おびただしい数の船の破片と、倒れた男たち。
わずかに息をしているが、ほとんど体温は感じない。
一人でも多くを救いたい。
ある者は自らの体温で体を温め、またある者は潜って生存者を捜索。
持てる力を振り絞って救出にあたった。
一夜明けて、事故の全容が分かった。
遭難したのはトルコの軍艦エルトゥールル号。
乗組員は総勢650名。うち生存者69名。
つまり581名が死亡するという大惨事だった。
大島村の人々は村をあげて寝ずの救護にあたった。
しかし、ここは半農半漁の貧しい村。
69人もの遭難者に与えるには、着る物も食べる物もない。
さらに台風で村の食料はほとんど底をついた。
「もう限界よ…。もう食べさせてあげる物がないのよ」
「俺たちの分をあいつらに食わしてやろう。俺たちはまだ食わなくたって生きられる」
自分たちの生活をなげうち、一心不乱に救護にあたる村民たちの姿は、不安と心細さでいっぱいだった乗組員たちの心に深く刻み込まれた。
事故は全国に新聞報道され、義援金が募られた。
その後、乗組員たちは神戸の病院に移され、手厚い看護を受けて順調に回復。
そして、事故からおよそ1カ月後の10月11日、彼らは真新しい服に身を包み、日本の士官とともにトルコに帰ることになった。
「我々はこの度の措置に心から感謝している。乗員一同は帰国後、広く日本人たちの温情を同胞に告げる」
……時は流れ、95年後の1985年。
トルコ航空による日本人救出。
なぜトルコが日本のために?
経緯を知らない日本のマスコミに対し、駐日トルコ大使は短く答えた。
「エルトゥールル号の借りを返しただけです」
この事件は、トルコの教科書にも掲載されるほどの、誰もが知っている話だという。
日本がなした献身的な救助、それをトルコの人々は95年経っても忘れていなかったのである。
〈スタジオトークより〉
筒井康隆
「これ最初、マスコミね、トルコが助けてくれたのは、経済問題でと言っていた」
井沢元彦
「そう、カネのためだとか言ってた。とんでもない話。そういうことを言うマスコミの奴がいるんですよ。なぜトルコが助けてくれたのか、それは日本からの経済援助をあてにしてたり、経済援助を受けてるからだと、新聞が書いたんですよ。日本の新聞が。さすがにトルコの大使は怒りましてね、投書したんですよ。『我々は借りを返しただけだ』と。これがどんなにすごいことかというと、トルコ国民もイランに600人ぐらい残ってたのに、それよりも日本人をまず助けてくれた。しかもあの飛行機っていうのは、なぜ日航が行かなかったかというと、撃墜されるから。要するに、早く脱出しなきゃいけない、ところが外務省がグズグズしてたので(テロップ:外務省に加えて「JALの労働組合が反対したこと」も理由)、もう行く時間がない。もう切羽詰まってトルコに頼んだら、分かりましたと。トルコ国民はギリギリで陸路で脱出した」
アンディさん(「はじめての日本」コーナーでおなじみのトルコ人)
「エルトゥールル号遭難は学校で勉強した。だいたい高校で。トルコではことわざがある。『自分の歴史を知らない人には未来がない』。だから自分の国の歴史に何があったというのはちゃんと学校で勉強する。そこで、トルコからめちゃ離れているのに日本という国が和歌山県で助けてくれたと知った」
「自分は海外に行くなら日本と思っていた。父には海外に行くことは反対された。が、どこに行くのかと聞かれ、日本と言ったらすぐOKが出た」
「イメージが良いのは、日本に対する感謝と尊敬。自動車メーカー、電気製品、ほとんど日本じゃないですか(テロップ:「敗戦後、復興して世界に通用する工業国になったことを尊敬してくれている」)」
「トルコはサッカーがすごく好きだが、日本でのW杯の時(2002年)、日本とあたった。その時、もちろん勝ちたいが、でもどっかで敗れるんだったら日本に負けても仕方ないと。トルコ人の友だちとみんなで四ツ橋(大阪市西区)のトルコ料理店で『どっち応援する?』と。もちろんトルコだが、でも負けてもいいかと。違う国に負けるよりは悔しくない。在日トルコ人だけでなく、トルコに住んでいるトルコ人もそういう考え方の人が多い」
リンゴ
「教育は大きい。日本は戦後教育で、日本が外国に悪いことしたばっかり習って、日本が外国にいいことしたことは教えてもらってない」
※くっくり注:エルトゥールル号遭難事件をコラムとして扱っている日本の教科書は、中学歴史教科書についていえば、2009年に採択にかけられた全9社のうち、大阪書籍と自由社と扶桑社のみでした(撃論ムック【世界を愛した日本】「中学歴史教科書2009年度版 徹底比較」)。
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■世界が忘れない日本の物語2〜ポーランドのシベリア孤児救済〜
1920年(大正9年)、ロシア・シベリア。気温マイナス40度。
ヨーロッパの人たちから見れば、この世の最果てとも言えるシベリアで、10数万人ものポーランド人が寒さと飢えに耐えていた。
当時のシベリアは、独立を願ってロシアと戦ったポーランド人たちの流刑地。
1918年に独立を勝ち取った後も、ロシアとの激しい戦争が続き、祖国に帰りたくても帰れない人々がこのシベリアに取り残されていたのだ。
「せめて戦争で親を失った孤児たちだけでも、この寒く苦しいシベリアから脱出させたい」
そんなポーランド人の一人、アンナは、仲間と「ポーランド救済委員会」を作り、欧米諸国に孤児たちの輸送と援助を要請。
しかし莫大な費用のかかる救済事業に、どの国も難色を示した。
「世界中で誰もこの子たちを助けてくれないなんて。このまま寒く厳しい冬が来れば、また無数の命が失われてしまう」
万策が尽きたと思われた時、意外な国から救いの手が差し伸べられた。
それは日本。
当時、日本はポーランドと外交関係さえ結んでいなかった。
しかし、アンナの訴えを受けた外務省は、孤児たちの窮状を聞き、直ちに日本赤十字社に依頼。
決断までわずか17日。それは世界の外交史上でも異例の速断だった。
シベリアから日本に到着した幼い孤児たちは、総勢765人。
誰もが青白くやせこけ、病気で弱っている子供も多かった。
出迎えた人々は、着ていた洋服を全部脱がして、すぐに熱湯消毒し、代わりに日本の浴衣を着せてあげた。
この時、浴衣のそでに飴やお菓子を入れてあげ、孤児たちはとても喜んだという。
このニュースは、直ちに日本全国に報道された。
「貧しい食事に哀れな姿」……。
見出しを受けて、全国から寄付金はもちろんのこと、おもちゃや人形など、子供たちが喜びそうな物がたくさん集まった。
そして日本の子供は、彼らに日本の遊びを教えてあげたという。
彼らの面倒をみた女性たちは、親のない子供たちにとって母親代わりとなった。
「はーい、みんな、いい?……さん、はい!」
(再現VTR……日本の童謡を歌うポーランド孤児たち)
♪もしもしかめよ かめさんよ
せかいのうちで おまえほど
あゆみののろい ものはない
どうしてそんなに のろいのか♪
こうして人の温かみに触れ、順調に健康を取り戻した孤児たちは、ポーランドに帰ることに。
別れの港で彼らは、片言の「ありがとう」を叫び、日本の友だちやお母さんとの別れを惜しんだという。
その後、このシベリア孤児たちはどうなったのか?
1939年、第二次世界大戦の発端となる、ナチスドイツによるポーランド侵攻が始まる。
そんな情勢の中、ナチスと戦うレジスタンス組織を指導する一人の青年がいた。
イエジ・ストシャウコフスキ。
17年前に神戸からポーランドに帰ってきた、あのシベリア孤児の一人だ。
イエジはやっと帰ってきた祖国を愛し、ナチスドイツと戦うが、抵抗は長く続かず、何と再び極寒のシベリアへと送られてしまったのだった。
……時は流れ1983年、一人の老人が日本の地を踏みしめた。
あのイエジだった。
彼は二度にわたるシベリア送りを奇跡的に生き抜き、61年ぶりに日本へやってきたのだ。
イエジは子供時代にお世話になった日本の関係者と再会を果たし、こう言った。
「私の仲間の誰もが、ここでこうして感謝の言葉を述べたかったに違いありません。その仲間の分も一緒に、心からのお礼を述べさせていただきます。本当にありがとうございました」
61年の時を超え、次々と甦ってくる子供時代の記憶。
感極まったイエジは、思い出したように口を開いた。
♪もしもしかめよ かめさんよ
せかいのうちで おまえほど
あゆみののろい ものはない
どうしてそんなに のろいのか♪
あの日、日本で覚えた歌。
忘れられない感謝の気持ちが、61年ぶりにこの歌を思い出させたのだ。
今、シベリア孤児たちは皆、その生涯を閉じた。
誰一人この世には残っていない。
しかし、ポーランドの人々は、90年経った今も、あの時、日本人から受けた善意を決して忘れていないという。
〈スタジオトークより〉
井沢元彦
「ポーランドはものすごい親日国。主な大学に日本学科がある」
「帰国後、孤児たちはお医者さんとかボランティアとか、人を助ける職業に就かれた方が多いという。実は阪神淡路大震災の時に、両親を失った子供たちを、孤児たちの子孫とか関係者がポーランドに招待してくれた。それみんな知らないでしょう?あの時の恩を忘れない、恩を返したいという人たちは未だにいるんですよ。ちょうど神戸だったからね。孤児たちが来たのは」
筒井康隆
「震災の時、ポーランドの人たちは、親を亡くした子供たちが身寄りがない、引き取り手がないと思っていた。だから最初は引き取りますという話だったらしい」
………………………………………………………………………
■世界が大好き!日本のカルチャー
いかに日本の文化が世界から愛されているか?をクイズ形式で。
(正解はこのエントリーの最後にあります)
Q1:メキシコでは日本の即席ラーメン「マルちゃん」が人気。あまりの人気から「マルちゃん」という言葉を別の意味で使う。いったいどんな意味で使っているのか?
Q2:2005年に日本の自衛隊がイラクに派遣された時に、現地の人たちに親しんでもらおうというわけで、給水タンクの載ったトラックに、ある工夫を施した。その結果、現地の子供たちにトラックが大人気になった。どんな工夫をしたのか?
_________________________大ざっぱな内容紹介ここまで
杉原千畝の話は日本でも広く知られるようになりましたよね。
2005年には反町隆史さん主演でドラマ化もされました。
あと、トルコのエルトゥールル号の話もけっこう有名かな?
いや、全国的にはそうでもないんでしょうか?
和歌山県が舞台ということで、私の住む関西では新聞の地方版やテレビのローカルニュースでエルトゥールル号に関することが時々伝えられます。
特に今年は日本トルコ友好120周年ということで、ニュースも増えているようです。
■寛仁さま、トルコ特命大使らが慰霊 エルトゥールル号沈没120年(産経6/3)
つい先日、和歌山県串本町で式典がありました。
■日本トルコ友好120年 上田正樹、友情テーマに新曲 大きな愛、今の時代に(産経6/5)
「悲しい色やね」でおなじみの上田正樹さんがエルトゥールル号救助の話に感銘を受け、友情や大きな愛をテーマにトルコ語で歌を制作!
■トルコ建国の父の銅像を設置 和歌山・串本(産経5/20)
一時期ネットでも大変心配されていたトルコ建国の父、ムスタファ・ケマル・アタチュルク初代大統領の銅像ですが、無事に樫野埼灯台前の広場に設置されました。
トルコが親日である理由として、エルトゥールル号のほかに実はもうひとつ大きな歴史的理由があります。日露戦争です。
そのあたりも含め、以前記事を書いていますので、未読の方はぜひ!
・09/5/23付:日本とトルコ 友好の歴史
ポーランドの孤児のお話はややマイナーですかね?
イエジ・ストシャウコフスキさんについては、大和国奇譚(やまとのくにきたん)さんがまとめて下さっていますので、ぜひご訪問を。
ちなみに、2002年に天皇皇后両陛下がポーランドを御訪問された際、生存していたシベリア孤児とお会いになり、感動的な出会いとなったそうです(在ポーランド日本国大使館のサイト参照)。
スタジオトークでは、アンディさんが言われたトルコのことわざが私の心に深く残りました。
『自分の歴史を知らない人には未来がない』
これって、拙ブログのタイトル部で紹介させてもらっている櫻井よしこさんの言葉に共通するものがありますね。
『日本人は今、世界一、自分の国の歴史を知らない人たちになっている。自分の国の歴史を知らない人が、何で「国民」なのか。日本人の歴史を知らない人が、何で「日本人」なのか』
………………クイズの答です。………………
A1:「簡単に」「すぐに」という意味。
たとえばサッカーW杯で、メキシコ代表の速攻を「マルちゃん作戦」と呼んだりしたそうです(東洋水産のサイト参照)。
A2:漫画「キャプテン翼」のイラストを描いた。
「キャプテン翼」は世界中で大人気で、ジダン、トッティ、ロナウジージョなど、「キャプテン翼」を見てサッカーを志したと言われる選手は多くいます。
似たような話がもっと以前にあって、それはバレーボール。昔、日本は強かったのですが、その後、イタリアなどみんな強くなりました。その理由は、それらの国で「アタックNo.1」が大人気になり、それを見た少女たちが志したからだと言われているそうです。
自衛隊の「キャプテン翼」のトラックは日本でもすごく有名ですよね。
イラクの子供たちの笑顔がいい!(≧∇≦)
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※拙ブログ関連エントリー/「ビーバップ!ハイヒール」
・09/5/9付:日本人の習慣の由来 「ビーバップ!ハイヒール」より
・6/13付:京都裏ミステリー七不思議第2弾 「ビーバップ!ハイヒール」より
・10/3付:国旗に秘められた物語第2弾「ビーバップ!ハイヒール」より
・11/23付:京都の地名に潜むミステリー「ビーバップ!ハイヒール」より
・12/20付:日本人の習慣第2弾 年末年始編「ビーバップ!ハイヒール」より
・10/1/11付:城に隠された歴史ロマン「ビーバップ!ハイヒール」より
・10/5/3付:したたかに生きる小国たち 「ビーバップ!ハイヒール」より
※拙ブログ関連エントリー/ 「日本人」シリーズ
・【一覧】外国人から見た日本と日本人
・05/12/5付:憂国フラッシュリンク集
・06/10/8付:【アンケート】「生まれ変わっても日本人になりたい?」結果と全コメント
・07/3/5付:「日本人」について考えさせられた記事
・08/11/3付:「雷」工藤艦長の武士道精神とサー・フォールの報恩
・08/12/16付:「ATLAS日本」アメリカから見た現代日本
・09/3/21付:桜と日本人の感性
・09/5/23付:日本とトルコ 友好の歴史
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Comments
君が代も、音楽の先生が何故か「こっそり」教えてくれて、なんでだろうと思いました。
教育というものは怖いものです。
打倒・日教組!
打倒・輿石!
ユダヤ難民を救ったのは日本全体であり、杉原氏個人の英雄だけでは成り立たないはずだし、この件で首になったことについては疑問です。
ほかのについても、時間が短すぎてかエピソードをはぶきすぎ。
とはいえ、褒めておくべきか。
しかし、本国の命令に逆らって勝手に発行したビザを無効とせずに、日本への入国を認めた時点でこの説には無理があります。
当時の日本政府はどちらかというと親ユダヤで、ナチスに迫害されるユダヤ人のために、満州国に亡命ユダヤ人の自治区を作る構想もあったほどでした。
ドイツとの同盟関係にひびがはいるのを恐れ、実現はしませんでしたが、もし実現していたならその後の歴史も変わっていたかもしれません。
戦後、日本は米軍に占領されて外交権を失い、外務省は一大リストラが行われ、数多くの人が失職しました。
杉原氏もその一人で、政府の名に逆らったというのは後付けの理由です。
この説に異論があるのは認めます。
杉原氏の奥様がこの説を一蹴しておられますし、外務省が故杉原氏に謝罪し、名誉回復を行っていますから。
しかし当時の世界情勢をマクロ的に見ると杉原氏の行為も違った視点で見ることができるのは確かでしょう。
問題は、保守とされる井沢元彦氏の監修があってあの程度のレベルなのかということです。
MIXIで紹介しました。
杉原さんを紹介するなら樋口季一郎も是非とも紹介していただきたかったです。
アンディさんのキャラは楽しく、嫁さんと大爆笑でした。
番組では山田寅次郎の話が、完全に抜けているのが非常にもったいない。
>杉原千畝は、形式的には外務省の本省の命令に逆らったわけでしょ。だからずっと外務省としてはあいつは悪い奴だってことになってて、ひどい扱いを受けてたんです。外国から評価されて初めて、外務大臣が謝りに行ったという
これはちょっと違うと思います。
ビザ発給後も杉原さんは処分を受ける事なく、外交官として東欧で情報収集の仕事を続け、昭和19年には勲五等瑞宝章を授章しています。
「例の件で責任を問われている」と口頭で言われ、退職したと杉原夫人は証言していますが、著書では当時3分の1もの外交官が退職を余儀なくされた大リストラが行われていた事にも触れています。
イスラエルでの評価については反町さんのドラマ放映時、2ちゃんのドラマ板でこんな指摘がありました。
ニシュリさんというユダヤ人が戦後23年も経ってから杉原さんを探し当て、翌年イスラエルから勲章を受けた事に関して
『ホロコースト産業』について
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hb/a6fhb811.html
>フィンケルシュタインによれば、「戦後ある時期までナチ・ホロコーストは注意を払われなかった。第二次世界大戦の終結から1960年代の終わりまで、このテーマを取り上げた書籍や映画はほんのわずかだったし、この問題を扱う講座のある大学はアメリカの中で一つだけだった。
>フィンケルシュタインによればホロコースト産業が発生したのは1967年6月の第三次中東戦争(6日戦争)の直後だったという。
これも一つの説であり、外交官だった杉原さんの目にこの事がどう映っていたかは今は知る由もありませんが・・・とは言え、ビザの発給要件を満たさないユダヤ難民数千人に外務省の許可なくビザを発給するという決断をしたのは事実です。
杉原さん自身は晩年、手記にこう書いています。
「・・・果たして浅慮、無責任、我無者らの職業軍人グループの、対ナチス協調に迎合することによって、全世界に隠然たる勢力を擁するユダヤ民族から永遠の恨みを買ってまで、旅行書類の不備、公安配慮云々を盾にとって、ビザを拒否してもかまわないのか。
それが果たして、国益に叶うことだというのか。
苦慮、煩悶の揚句、私はついに、人道、博愛精神第一という結論を得た。
そして私は、何を恐るることなく、職を賭して忠実にこれを実行し了えたと、今も確信している。」
他に取り上げるべき人物も取り上げられていないし、バラエティーの域を超えませんね。
あえてここで取り上げる意味があるとも思えません。
因みに井沢氏が言うところの「だからずっと外務省としてはあいつは悪い奴だってことになってて、ひどい扱いを受けてた」のはおそらく戦後の話でしょう。
時期が明記されていないのでよくは判りませんが。
余計な一行
番組は見ていませんが、記事を読ませていただきました。
恥ずかしながら、全部知らない話でした。
なので、ここで知る事ができて良かったです!
自分でも色々勉強します。
ご紹介の番組「ビーバップ!ハイヒール」で今回取り上げた内容が、
過去に日本人が外国人を多く助けたから日本に対する評価が高いのだ、と
主張しているように受け取りました。
ご存知のように、番組制作局の朝日放送は、反日マスコミの筆頭格の朝日新聞社の関連会社です。
何ゆえに日本を評価するような番組を放送したのでしょう。たぶん今年から実施される「第三国定住制度」を
根付かせたいタメなのでしょう。
今年は、ミャンマーから難民30人を日本に定住化(日本語学研修実施、定職を与える)の為に受け入れます。
おそらく、現政権は多くの「脱北者」をこの制度を使って受け入れようと考えているのでしょう。
その為の洗脳番組です。
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1.ミャンマー難民30人受け入れへ、「第三国定住」を試行導入
政府は18日、いったん他国で保護された難民を日本に受け入れる
「第三国定住」と呼ばれる新たな難民政策を試行的に導入することを決めた。
http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/6b5c8a3de10989bec98b665827fb201a (2008年12月19日)
2.視点・論点 「ミャンマー難民受け入れと日本」
ヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表 土井 香苗
日本政府は、タイの難民キャンプで暮らすビルマ難民を日本に受け入れる
「第三国定住」制度を今年から行ないます。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/40853.html (2010年03月23日)
>何ゆえに日本を評価するような番組を放送したのでしょう。たぶん今年から実施される「第三国定住制度」を
>根付かせたいタメなのでしょう。
「ビーバップ」はほぼ毎週みていますが比較的良質の番組と思います。
Veさんは「ビーバップ」のほかの回をごらんになったことがありますか?
過去の放送内容 ttp://asahi.co.jp/be-bop/backnumberList.html
日本を評価するような内容の放送はなにも今回だけではありません。
日本の歴史や伝統や文化やものづくりなど評価する回が何度もありました。
かしこブレーン(ゲスト)も今回の井沢さん、吹浦忠正さん不肖宮嶋さんのような保守の人も過去に登場しています。
(余談ですが・・・吹浦さんが出た国旗の回ではスタジオに君が代が流れ日の丸が掲揚されました。)
終わってしまいましたが「ムーブ!」も曜日によっては保守色の強い作りになっていました。
ですのでひとくくりに「朝日新聞系列だからだめ」とは云うのはまちがいです。
もっともVeさんはスレ違いのこと(ミャンマー難民と第三国定住のこと)をここに書くために強引に「ビーバップ」批判をされているふうにもみえますが・・・
もしそうならテープ起こしをされたブログ主さんに対しても失礼なことであると思います。
何でそんなに必死なんですか?
第三国定住制に触れたのが,
ヒラメ君の癇に障りましたか。
場合によっては、「そこ、ちょっと違うよ」という事もある訳です。
私は(多分)この番組を見た事もなく、本文にて紹介された内容も知らないものでしたので、興味深く読ませていただきました。
恩を受け 恩義で返す国あれば 仇にて返す国もあるかな
ある意味当たっていますが、一応訂正しておきます。
失礼しました。
いつも個別にレスを差し上げられず申し訳ありません。
Veさん:
いつも有益な情報をいただきありがとうございます。
実はこの番組に対しては私は水走さんとほぼ同じ考えで、「朝日関連」にしてはかなりマシだと思っています。だからこれまで何度か起こしてきてるんですよ(^o^)。実は前々回のひらがな誕生の物語も起こしたいなと思ってたんですが、録画に失敗してしまいました(T^T)
「朝日関連」であっても、たとえば「TVタックル」は在日外国人参政権とか時々良い特集をやってますよね。またTBSも私はかなり偏ってると思うんですが、「報道特集」ではたまに良い特集をやってますよね。
もしVeさんが「ビーバップ!ハイヒール」を普段よくご覧になっていて、その上でそうお感じになったのならば仕方ありませんが、もしそうでないなら、私の過去の起こしやネット上に残っている「ビーバップ!ハイヒール」の他の回の動画を一度ご覧になってみて下さい。
もちろん「第三国定住」の問題は重要だとは思いますが、この番組に限っては無関係だと思います。
番組を見ての素直な感想なので、「何でそんなに必死なんですか?」とは言わないで下さいね(^^ゞ
「これ最初、マスコミね、トルコが助けてくれたのは、経済問題でと言っていた」
→筒井さんは従軍慰安婦も信じてるんですよね〜未だに(汗)。困ったもんだ。
命のビザについて色々議論されているようですが、私も昔ベルギーのテレビ局が製作したドキュメンタリーを見たことがあります。「上海に亡命したユダヤ人」というような番組でした。その中で紹介されていたのは以下の事です。うろ覚えの箇所もありますが、何かの参考になれば幸いです。
1.リトアニア領事館でビザを発給した杉原氏(奥様がインタビューに答えていらっしゃいました)。
2.ソ連から日本に向かう船中で、ユダヤ人達が「今日はユダヤ教の安息日だから旅行をしてはいけない。でももしこの船を買い取ればそこは自分の家となる訳だから、この船を買い取らせて欲しい」騒ぎ出した。日本の船会社は船長に「1ドルで売り渡せ、そして港に着いたら1ドルで買い戻せ」と指示した。(前述の在日ユダヤ人はこれを「日本人がいかに我々ユダヤ人に協力的であったか、そしていかにユーモアのセンスがあったかを表している」と証言)。
3.ユダヤ人が日本に着いたとき、敦賀で彼等の受け入れに立ち会った在日ユダヤ人の証言。
「当時、日本人と我々との間には紳士協定のようなものがあり、亡命してきたユダヤ人がうっかり「アメリカに行く」と言ってしまっても、(正規のビザがなく)まだインクも乾かない急ごしらえの偽ビザを出しても、日本の入国担当官は黙って受け取ってくれました」
4.日本滞在中、日本人はユダヤ人の元を訪ねてきてその運命に同情し、差し入れをしてくれた。中には日本人とユダヤ人が同じ祖先を持つ民族だと信じているグループもいた。
5.当時日本はドイツと同盟関係にあったが、日本はユダヤ人排斥は五族協和の目的に反するとユダヤ人の亡命者を受け入れた(ただし時が経つにつれドイツからの圧力に抗しきれずユダヤ人達は上海に逃げ延びることになる)。
6.上海の日本人租界では中立国からの援助物資に限るという条件で亡命ユダヤ人の支援を許可した(犬塚大佐の奥様が証言していらっしゃいます)。
生存者の証言「ある時、以前親しくしていた日本人の将校と偶然街で会いました。彼は「君はナチスがポーランドで何をしているか知っているか」と聞きました。私が知らないと答えると、彼は詳しく話してくれ、「心配はいらない。もし彼らがここで同じ事をしようとしたら君達を守ってやる」と言いました。私は驚いて彼から聞いたことをラビ達に伝えましたが、誰一人それを信じようとしませんでした」。
せっかく、くっくりさんがご苦労をしてUPして下さったのに、内容が薄いとか、どうとか・・・まあ、博学の方ばかりではないのですから。
テレビ局の方と仕事で会うこともありますが、某2局のように、反日のレッテルを貼られている局も、中にいる方には常識をお持ちの方も多く、某宗教団体や、某民族団体への警戒感を示される方は多いですよ。
詳しく書いた書籍などでは「アタッカーYOU」と書いてあります
おそらく後者では視聴者に伝わり辛いので配慮したのかもと
思いますが念のため
でると必死にそれを否定仕様とする人はなんなんだろう
サヨク(左翼、リベラルではない)の人は
日本は世界の嫌われ者というレッテルを
一生懸命広めようとしてたから
嘘がばれるのがこわいんだろう
あ、それと地方の今回のようなABC朝日やTBS系列のMBSなど東京の朝日やTBSとは縛りや圧力が無く、線を引いてるから偏向報道は比較的少ないですよ。東京の放送局がどれだけ牛耳られてるか分かりますねw
日本政府自体が黙認していた
日本政府がユダヤへ虐待する事はなく、ドイツがユダヤ人の引渡しを求めても断っていた
今回も、杉原氏、孤児の件どちらもその部分について語られることはなかったようですね。残念です。
皆さんの投稿を読ませていただき、内容が薄いだの、レベルが低いだの、あの話が抜けているだの、ここは違うだの、文句の多さに驚いています。
ここにお集まりの皆さんは、上級者でそれなりに知識を得た方々でしょう。ですが、そんな皆さんも、杉原千畝、エルトゥールル、ポーランドの孤児、などの話を初めて知った時、そこまで深く知識を得ましたか?
番組を録画しておき、週末に娘に見せました。娘にとっては初めて聞く話です。昔そんなえらい日本人がいたんだと、すごいねと、素直に感動していました。
誰でも、まず入口の話を知って興味を持って、それについて書かれた本を読んだりして、深く知っていくものではないでしょうか。
私がこれらの話を知ったのは、大人になってからでした。小学生のうちに知ることができた娘は、幸せだと思います。取っ掛かりを作ってくれたこの番組に、母親として感謝しています。
密かに、闇に葬り去ろうとしているのです。
下記の、掲示板(67番〜103番、121番、125番)を、ご覧下さい。
http://wm-giron.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6239310
nanaさんそれは違うと思いますよ。
みなくっくりさんの書き起こしに感謝されていてそれとは別に、TVがやる仕事としての粗さが目立つと言っているのでは?
それこそ、この番組でとっかかりを見つけて、その後いろいろ調べれば、コメント欄の補足が正しいことに気づかれると思いますよ。
個人でそういった事を調べるのは、はっきりいってものすごく時間がかかります。
TVはこの放映にあたり、時代背景や状況をつかんでると思いますが、なんで軽〜く見えるように作ったのか、正直なところ私も不満です。
それと、子供さんにとって良いお話を教えるのは、間違いなくいいことだと思います。ですがそんなの大人の責務です。別段、改めてTVに感謝するほどのことでもないと感じます。出演者はみな大人ですよね?
私はトルコの件をネットで知りましたが、個人で資料を集めて書かれたもので、最初っからたいへん詳しい説明に当たることができ、良かったと思っています。
要するに、バラエティーとして薄く軽く作ったものではなくて、真剣に、「どうしても伝えたい」という情熱が伝わってきたので、なにか大事なことが書いてある・・と思ったのです。
TVは情報の拡散におおきな影響力を持っていますが、情報をただの娯楽にして消費させてしまうこともあるので要注意ではないかと思っています。
こちらの書き起こしが皆さんの役に立っているのは事実でしょうし、議論の取っ掛かりとなることを否定するわけではありません。ただ、番組そのものを否定されるようなご意見が目につきましたので、そうではない人間がいることもお伝えしたかったのです。
子供に良い話を教えるのは大人の責務というのは、そのとおりだと思います。でも、私は現在は仕事をしていませんが(派遣の仕事が契約終了して、次の仕事を探しています)、仕事をしている時は、子供の話を聞いてあげるのがせいいっぱいで、良い物語を自分で見つけてきて、じっくり話してあげる時間はなかなか作れません。
そんな私がテレビ欄でこの番組のこの回を知り、娘に見せてあげたいと思ったことは、大人の責務を放棄したことでしょうか。「薄い内容のテレビ」に頼るのでなく、自分で何もかも調べて、娘に教えなさいということなのでしょうか。
これは重厚な教養番組ではなく、毎週幅広いテーマをわかりやすく、吉本芸人やアイドルを交えて紹介する番組です。再現ドラマなども入れて、子供でも理解できるよう、わかりやすく作られています。娘がもう少し成長したら、さらに詳しい番組や書物を薦めたいと思っています。
私はABCの回し者でもなんでもありません。でも、この番組に感謝の気持ちを持ったことは、そんなにおかしなことなのでしょうか。
南天です。
こちらこそ、丁寧なお返事を頂戴し、恐縮しています。
おっしゃることのほぼすべて、私もうなづけることです。
ただ私が大人の責務と書いたので、nanaさんになにやら違って伝わってしまいました。
大人の責務は文字通りの意味合いで書きました、おそらくnanaさんには「親の責務」として伝わってしまったのでは?
よそのご家庭に意見する気は、まったくありませんでしたので、もしそうであればたいへん失礼しました。
先のコメントも、誤解されるやも・・と思いつつ書いたので、ご理解いただけない部分は私の文章が稚拙なせいです。すみませんでした。
うまくお伝えできるかどうかわかりませんが、番組に出ている人たちは、それでお給料をもらって生活をなしているし、電波は公共の財産です。そして、これまでTVはいつも一方的に展開して、基本的に批判は受け付けない仕組みでした。
私の今回の番組に対しての批判は「そんな番組を作るな」という批判ではなくて、「もっと掘り下げてほしい」「もっと詳しく伝えてほしい」という方向のものです。
おなじ時間をかけるのだったら、目次ばかりじゃなく、中身もちゃんと作ってほしいと思っています。そうすると、子供さんにはわからなくなるのかというと、そんなことないと思いますが・・。
ですので、
>大人の責務を放棄したことでしょうか。
>娘に教えなさいということなのでしょうか。
このようなことは、まったく思っていません。
私事ですが、私の祖父母なんかは、先代がどうだったこうだったということは茶のみばなしでよく話してくれました。大人の責務と書いたのは、そのまま、こういった話を伝えるのは年長者の役割だということを述べたかったのです。
TVや講演会で「わざわざ」聞かせていただくようなことでもないはずなのです。いまは、老人が変な力を持ってますのでなにかありがたいような風潮だけど、そもそも、長生きしたものの努めです。TVはその代わりを埋めているだけです。
もちろん個人の意見なので、nanaさんと端々で違うこともあるかと思います。
お読みいただいてありがとうございました。
一介の外務省役人が独断でビザを発給出来たのには訳が有ります。
そもそも日独防共協定締結に際し時の陸軍大臣板垣征四郎の発議により帝国議会において「この協定批准において我が大日本帝国は如何なる人種差別政策に与せず」と閣議決定していたからです。
この閣議決定があったからこそ杉原千畝はビザが出せたのであり関東軍はオトポールでユダヤ人を保護できたのです、ちなみにオトポール事件での激しいドイツ政府の抗議を頑として跳ねつけたのは時の関東軍参謀長東条英機でした。
いつもありがたく読ませていただいております。
226さんのおっしゃるように
1937年12月26日、日本の関東軍の認可によって、第1回極東ユダヤ人大会が開かれました。
3日間の予定で開催された同大会に、日本陸軍は「ユダヤ通」の安江仙江陸軍大佐をはじめ、樋口季一郎ハルピン陸軍特務機関長(少将)らを派遣。
この席で樋口氏は、前年に日独防共協定を締結したばかりの同盟国であるナチス・ドイツの反ユダヤ政策に対し、
「ユダヤ人追放の前に、彼らに土地を与えよ」
と激しい批判演説を行ったといいます。
これを知ったドイツ外相のヨアヒム・フォン・リッベントロップは、駐日ドイツ特命全権大使を通じてすぐさま抗議した。
ところが、樋口氏の上司に当たる関東軍参謀長・東條英機氏は、かたくなに樋口少将を擁護。日本との同盟関係崩壊を怖れたドイツも、それ以上の強硬な態度に出ることはできなかったといいます。
「ねずきちの ひとりごと」 より
ねずきちさんのブログには昔の日本人の誇らしいエピソードが詳しく満載です。
いつも涙して読んでいます。
私の勘違いがたくさんあったようです。こちらこそ申し訳ありませんでした。
この番組はいちおう1時間枠ですが、他のコーナーが合間に挿入されていたりするので、時間的な制限も影響していると思います。1回につき1つの物語をじっくりやるぐらいが、ちょうどいいのかもしれないですね。
番組の内容を紹介して下さったくっくりさんに深く感謝致します。
また、取っ掛かりを与えて下さった番組の関係者各位とnanaさんにも感謝致します。
まだ幼稚園児なのでかなりかみ砕いて伝える必要がありますが。
幼稚園ではまだ少し難しいかもしれませんね。私は娘が幼稚園のころは、日本の昔話や世界の童話などをよく読ませましたが、最近は、そういう親御さんは減ってきているのでしょうか。少し前にニュースで、桃太郎の家来をアンパンマンだと答える子供がいると報道され、びっくりしました(関係のないお話で、すみません)。
この番組からはあまりそうした印象はないですが、もっと露骨にVeさんの書かれたような難民受け入れに利用する人もいました。
杉原千畝 - Wikipedia 日本政府の対応について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E6.94.BF.E5.BA.9C.E3.81.AE.E5.AF.BE.E5.BF.9C.E3.81.AB.E3.81.A4.E3.81.84.E3.81.A6
書類不備のため入国審査に引っかかり、ウラジオストックへ一時送り返されたユダヤ人もいましたし、
>「欧亜連絡船天草丸は、23日午前8時敦賀へ入港したが、去る16日査証不備のためウラジオへ送還されたユダヤ人80名が、再び舞い戻ってきた。神戸のユダヤ人協会支部員キャラクター氏等が、やっと入手した南米キュラソー島行きの査証を示したので、前途不安だった一行も興奮して上陸、直に神戸に向かった」(読売3/24)
渡辺勝正「真相 杉原ビザ」
また、ユダヤ人らの滞在延長が許可されない事に困り果てたユダヤ教研究者・小辻節三氏が松岡外相に直に相談し、法の抜け道を伝授されるという事もあったようです。
>その便法というのは、避難民が入国するまでは外務省管轄であるが、入国後は内務省警保局外事部が管理することになり、滞在延期については各地方長官の権限に委ねられている、という助言であったと考えられる。
渡辺勝正「真相 杉原ビザ」
杉原さん自身は元外交官らしく、退職後も多くを語りませんでした。それゆえ一般的には「人道精神に基づいて一人で決め、やり通した」という事になっています。
出身地に建てられた杉原千畝記念館の解説
http://www.town.yaotsu.lg.jp/sugiharatiune/index.html
>悪逆非道の大日本帝国政府
とは具体的にどの様な行為の事実をもって示されるのか?
2次大戦後のフランスや、英国のほうが悪逆非道では?
また、各国が拒否したポーランド人の子女の受け入れをどう説明されるのか?
各位が指摘されているように、杉原氏のビザだけではユダヤ人は助けられなかった。そこに日本国の国家意思があって、初めてユダヤ人たちは助けられた。
その程度のことを読みとれない貴方は「ゆとり」世代ですか?それとも「団塊」の世代ですか?
戦前の日本を悪者にしたがるのはご自由ですが、事実を基に議論をして頂かなければ、単なる誹謗中傷ですよ。
ちなみにその他の大日本帝国の悪逆、非道行為を、根拠を持って例示頂けますか?何しろ当方浅学でございますので。
>悪逆非道の大日本帝国政府
これって、日本刀の100人切りとか、住民の皆殺しとか、堤防の決壊とかを差しいているのですかね???
ほとんどが共産党のデマ(日本も鬼畜米英とか言っていたのでしかたないが)信じるに値しない。
住民の虐殺は、中国軍が撤退時に住民から略奪をしてから撤退したのは事実。堤防の決壊は日本軍の侵攻を遅らせる為に中国軍がやったのも事実。しかし、その行為事態は日本軍がやったとデマも流したのも事実。
大日本帝国がいっさい悪いことをしてなかったなどとは言うつもりはないが、
さて、悪逆非道の大日本帝国政府がどんな命令を出していたのか聞けるのが楽しみだ。
蒋介石の国民党政府→台湾故旧院に南京で略奪した支那の財宝が沢山ありますね。
毛沢東の中共政府→文革、核開発で自国民を3億人飢え死にさせました。
スターリンのソ連政府→不戦条約を一方的に破って日本に宣戦布告し北方領土を略奪し60万もの日本人を抑留6万人を虐殺しました。
ルーズベルト、トルーマンの米政府→戦時国際法を破り東京大空襲で10万を越す一般民衆を一晩で焼き殺し、広島、長崎では原子爆弾で30万を一瞬にして灰にしました。
悪逆非道はどちらですか?
杉原さんのハルビン学院での同窓生であるウラジオストック総領事代理・根井三郎さんの元へも外務省から「条件不備のユダヤ難民を乗船させてはならぬ」と指示が飛びますが、根井さんは「帝国公館発給のビザが無効では、国の威信に関わるじゃないですか」と返信して外務省を言いくるめ、難民らを日本へ送り出します。
ユダヤ難民到着後には松岡外相が滞在延長の裏技を助言するなど、どうも外務省内でも、実際に難民の相手をしなければならなかった現地職員と本省では、だいぶ温度差があったようですね。
杉原さんも晩年このような事を語っています。
「あなたは私の動機を知りたいという。
それは実際に避難民と顔をつき合わせた者なら誰でもが持つ感情だと思う。
目に涙をためて懇願する彼らに、同情せずにはいられなかった。避難民には老人も女もいた。
当時日本政府は一貫性のある方針を持っていなかった、と私は感じていた。」
また手記ではこんな感じの疑問を投げかけています。
「当時ハルビンでは樋口中将が中心となって極東ユダヤ共和国作りを真剣に考えており、来日したユダヤ難民も官民あげて歓待されたというのに、外務省は軍部からも内務省からもつんぼ桟敷に置かれていたのだろうか。ビザ問題は外務省より軍部に出した方がよかったのかもしれない。」(要旨)
ユダヤ難民来日を伝える当時の新聞記事を見ても
「ユダヤ人は金持ちというイメージだが、難民は貧しい身なりで哀れだ」
「流浪の民の前途やいかに」
という感じで、今のほうがもっと大騒ぎになるんじゃないかと思うほどです。
ユダヤ難民に冷淡だった欧米諸国
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hb/a6fhb300.html
>米国史上、第二次世界大戦中ほど反ユダヤ感情が高まった時期はない。世論調査によれば、1938年から1945年にかけて、人口の35〜40%が、反ユダヤ的立法を支持していた。1942年の調査によれば、米国にとって、ユダヤ人は日本人とドイツ人に次ぐ大きな脅威とみなされていた。
上海と満州のユダヤ難民
〜 ユダヤ難民を保護した日本 〜
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hb/a6fhb100.html
>日本の海外進出への努力は、常に自国と周辺の異国との直接の対比のなかで行なわれた。ユダヤ人は日本人にとって『ユダヤ人』なのではなく単に外国人なのだった。日本は自分がユダヤ人と出会うまで、この民族が世界各国にとって問題をもつ存在であることを無視していた。ドイツと同盟を結んだ後でもそれは変わらなかった。『想像上の』ユダヤ人と『現実の』ユダヤ人には決定的な相違があった。ユダヤ人は日本人でなく、西洋の異人であり、所詮外国人だったのだ。
反ユダヤとか無縁で、結果的にいい方に解釈されるのはそうかもね。
日本人にとっては白人も黒人も中国人も全部「外国人」っていう変な方向の平等はあるよね。
まあ、中国人もおちつけよ。南京のやつが原爆投下の罪悪感を払拭したいアメリカの創作って
いう最近の説もちょっとは信じてみろよ。意外に辻褄合うぜwww
少なくとも氏名・死体不明の10万人とか100人切れる斬鉄剣よりはましさ。