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元日本兵がミャンマーに建てた涅槃像&ロヒンギャ問題で沈黙するスー・チー「未来世紀ジパング」より

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■2015年6月22日放送
 テレビ東京系「未来世紀ジパング 〜沸騰現場の経済学〜」
 【もはや無視できない!アジア驚異の成長国!!ミャンマーSP】



 日本ではほとんど知られていない戦争秘話が取り上げられました。
 戦争とミャンマーといえば竹山道雄氏の名作「ビルマの竪琴」(ビルマはミャンマーの旧国名)を思い出される方も多いと思いますが、もちろんそれとは全く別の実話です。
 日本のテレビとしては初めての紹介だそうです。
 その部分を書き起こします。

※引用転載はご自由に。連絡不要です。但し誤字などに後日気づいて修正をすることが多々ありますので、必ずこちらのURLを添えておいて下さい。
画像を利用される方は、直リンクでなく必ずお持ち帰り下さい。当方のサーバーへの負荷軽減のためご協力のほど宜しくお願いいたします。「直リンク」の意味が分からない方はこちらをご覧下さい。現在、直リンクされても画像が表示されない措置をとらせていただいています。



 内容紹介ここから____________________________
 


 ミャンマー中部の古都、バガン。
 1000年以上前に建てられたという仏塔などが、そのまま残っている。



 カンボジアのアンコールワットと並び、世界三大仏教遺跡のひとつと称されるが、実はまだ世界遺産にも登録されていない。



 そこに日本人からやって来た一行が。
 しかし、目的は観光ではなかった。

日本人男性A
「迎えに来たよ、魂を、うちに連れて帰ります」




 訪れた本当の理由はここ。
 慰霊碑だ。
 70年前のあの戦争。
 多くの日本人の遺骨が、ミャンマーに取り残されている。
 渡航ビザなど、ミャンマー側の外国人受け入れが進み、ようやく訪れることができたのだ。



日本人男性B
「今まで来たいと思ってた所ですからね」




日本人男性A
「これで、弔いができたと、いうことで。うん、言葉にならないよね」




 ここは、1944年のインパール作戦の激戦地。
 後に、「史上最悪の作戦」と呼ばれる戦いだった。



 山岳地帯で、武器や食料の補給もないまま、部隊は退(ひ)くことを一切許されなかった。
 無謀な玉砕戦と、飢えや疫病によって亡くなった命は、およそ3万。
 敗走した道は「白骨街道」と呼ばれ、今も多くの遺骨が眠ったままだ。



 閉ざされてきたミャンマー奥地で、今回、ある秘話が明らかになった。



 インパール作戦激戦地のひとつ、ミッチーナにある寺院。



 中に入ると、現れたのは、まだ新しい巨大な“涅槃像”。
 地元の人々が祈りを捧げる、その大きさは、30メートル以上もある。



ミャンマー人女性A
「これを見に、はるばる来ました」
ミャンマー人女性B
「ここに来たのは2回目です。この仏像はとても有名なんです」




 台座に、この涅槃像を建てた人物の名前が書かれていた。
 MUTSUMI SAKAGUCHI。
 日本人だ。
 寺の中に、その日本人に関する特別な場所があるという。

取材スタッフ
「立派な銅像がありますね」




 坂口睦さん。
 一昨年、90歳を過ぎて亡くなっていた。



スタウンピー寺 サンニさん
「坂口さんは長年かけて、日本で11億円も集めて、涅槃像を造ってくれたんです。私たちは彼を忘れないように、銅像を造ることにしたのです」




 坂口さんの視線の先には、遺影が並んでいた。



 所属していた部隊の戦友たちだ。
 彼らは満足な武器や食料も与えられず、その地を死守せよとの命令に従い、玉砕していった。



 坂口さん自身も死を覚悟していたが、突然、退却命令が下される。
 絶対だった司令部からの玉砕命令を拒絶し、部隊を退却させた人物がいた。



 水上源蔵少将。
 その決断が、坂口さんをはじめ、3000人の命を救う。
 しかし、水上少将自らは、責任を取り、自決した。



 戦後、坂口さんはその恩に報いようと、50年以上かけ、私財もなげうち、募金活動に奔走する。
 こちらが、生前の坂口さん。



 軍事政権時代にも関わらず、ミャンマー奥地のこの場所を訪ね、悲願だった涅槃像を寄贈した。



スタウンピー寺 サンニさん
「戦争に巻き込まれ、この町でもたくさんの人々が命を落としました。どちらにもつかず、隠れるしかなかったのです」




 刻まれていた想い…。
 『被害を受けたミャンマー国民へのいささかの償いとして、涅槃像を建立した』



 国を超えた想いは、今に引き継がれている。
 仏像の前には、祈りを捧げる人たちが、後を絶たない。



 そして、この地には、古くから語り継がれている逸話があった。



地元ガイド ヤンジーさん
「日本人がここで切腹したというんだ。あの場所だと聞いている」




 そこは、大きな川の中州だった。
 あの水上少将が、部隊に退却命令を出したあと、この地で一人、命を絶った。



地元ガイド ヤンジーさん
「あなたたちが来て、言い伝えが初めて本当だと分かりました」


 戦後70年を経て、明らかになった真実。





 ____________________________内容紹介ここまで


 この川はイラワジ川といいますが、番組ではここからミャンマーと中国との間に持ち上がっている問題に話が移ります。

 簡単に紹介しておくと…

 中国が水力発電用のダム(ミッソンダム)を建設することになった。
 2006年、ミャンマーの当時の軍事政権と中国が契約。
 完成すれば世界15番目の巨大ダム。
 2009年に工事が開始し、護岸工事が進んでいたが…



 イラワジ川流域には、ミャンマー国民の7割が暮らす。
 しかしダムで得られるはずの電力は、中国が持っていってしまう。
 ミャンマーが使えるようになるのは30年も後。




 母なる大河をせき止められ、その上、電力も持っていかれると、国民は猛反発。



 予想以上の反発に、テイン・セイン大統領は工事の一時中断を決定。



 中国は、ミャンマーでダムだけではなく石油・ガスパイプラインも建設。
 雲南省まで2400キロ続いている。
 これに関しても、国の大事な資源を中国に売ってしまうということで、ミャンマー国民は怒っている。


 番組ではこのあと、アウン・サン・スー・チー女史の独占インタビューも放送されました。

 ミャンマーではこの秋に総選挙を控えており、なおいっそう国際社会の注目を浴びている人ですが、大した内容ではありませんでした。

 スー・チーの自宅を訪問した日本人女性(大学時代からの友人)にテレビカメラが同行したのですが、世間話や一般論を少し話した程度で、政治的な話は一切なし。



 私はスー・チーのことは評価していないけれども、日本のメディアはいつも持ち上げるので、この番組もてっきりそうだろうと思ったら、そうでもなかった。

 スタジオで、スー・チー率いるNLD(国民民主連盟)が秋の総選挙で圧勝するとみられているが、彼女自身は次の大統領になれない(憲法に、本人、両親、子供、配偶者のいずれかが外国国民の場合は大統領になれないという規定がある。彼女の2人の息子はイギリス国籍)という話題になった時のこと。



 出演者の一人、竹田圭吾氏がこう述べました。

スー・チーさんが大統領になるのが、ミャンマーにとっていいことかどうかは疑問。
 民主化とか民主主義のシンボルの人は大事だが、国家の運営がうまいかどうかは全然別な問題。
 だから簡単にたとえば政権交代してしまった時に、今そこそこ安定しているミャンマーの改革や経済がそのままやっていけるかどうか」



 ナビゲーターの後藤康浩氏(日本経済新聞社 編集委員)からも、こんな説明がありました。

 軍事政権は階層的に人材が豊富だが、NLDにはポスト・スー・チーがいない。
 しかも今、ミャンマーはロヒンギャ問題(少数民族問題)を抱えている。
 ミャンマー国民にとっては「異教徒の不法移民」で、同じ国民とは考えられない。

 が、総選挙を控えているので、世界から批判されるよりも国内から批判されて票を失う方が恐いということで、政府はこのロヒンギャ問題には一切手をつけないし、スー・チーですら、ロヒンギャ問題に関しては沈黙を守っている。

 この点について、後藤氏は、「軍とスー・チーさんの間である種の妥協ができて、混乱しないように国を運営しようという協調態勢がある気がする」と解説していました。



 ここからは番組を離れて、私の雑感。

 2013/4/22:日本よ、これがスーチーだ でも紹介しましたが、実際のところ、スー・チーは2012年に議員になった時から、他の少数民族の問題にも冷淡でした。

 中国企業と軍系企業との合弁による鉱山開発事業について住民らが中止を求めた問題でも、彼女は住民側ではなく政権・中国側につきました。

 ロヒンギャ問題におけるスー・チーの“沈黙”については、こちらが詳しいです。

 これらは政権や中国との対立を避ける行動で、要するに彼女は「政治家」として現実的な動きを取っているということです。

 この6月10日には、スー・チーは訪中して習近平国家主席と会談しています。
 ミャンマー軍事政権を支援してきた中国を批判してきた彼女が訪中したのも驚きですが、中国の国家主席が野党党首と個別に会談したのも異例です。
 NLDが総選挙で政権を取る可能性を見越して、厚遇に至ったようです。



 ちなみに今回の訪中で、スー・チーが中国の人権問題に言及するかどうかが注目されていましたが、残念ながらそれはなかったようです。

 ニューヨーク・タイムズは、「民主化を促す世界的な代表人物から政権樹立を目指す政治家に変身していることを露呈した」として、「人権問題の闘士」という肩書きに大きな傷を残したと、手厳しいコメントを送ったそうです(大紀元6月16日)。

 総選挙が近づけば、日本でもミャンマーの報道が出てくるようになると思いますが、「スー・チー=民主化運動の星」という幻想から抜けきれない日本のメディアが、このあたりを公平に伝えられるかどうか、注目したいと思います。

※その他、大まかな番組内容は番組サイトを。
※この日の番組は現時点で、YouTubeなど動画サイトにもUPされています。







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Comments

坂口さん他、こういった日本人は多数おられます。
牽強付会かもしれませんが、インドネシアに残って、インドネシア独立戦争を戦った方も、その範疇に入るかも。


習近平になってから、覇権主義・中華思想が露骨になってきましたね。

スーチー女史、思考はイギリス風も加わっているので、ロヒンギャ問題は切り捨てるでしょう。
現状では、ミャンマーが出ても損するだけなのは確かですから。

逆に、習近平(&首相)に会った人をリストアップすれば、地雷かも。
区分としては、喜んで・嫌々、がカギになるかと。
これでいくと、翁長沖縄知事は・・・w
オルグイユ | 2015/06/26 02:30 AM
イギリスが植民地支配に用いた手法で、植民地を周辺の少数民族に中間支配層として支配させ、国内が一致団結しないように宗教・人種の対立因子を撒くというものです。今のバングラディシュのイスラム教徒の少数民族であったロヒンギャ族をミャンマーの支配層に置いた為、ミャンマー人や周辺諸国が彼の民族を危険視し待遇が冷淡なのも当然です。
『無知』な日本人が安っぽい人道主義を振り回すことで、逆に不快感を覚える国がある事を考慮すべきでしょう。
hanehan | 2015/06/26 11:31 AM
我が家は誠に残念なことに終戦直前に大叔父二人が亡くなってますので、気軽に慰霊にいけるような国になってもらえればなあ、と思います。
| 2015/06/26 12:26 PM
スーチー女史は、夫が英国人であり、ミャンマーに戻るまでは英国の庇護を受けていたいわば「英国の代弁者」というべき人物ですから、

英国の植民地時代の負の遺産

であるロヒンギャ問題については沈黙せざるを得ないのです。確か、そのため、女史は今般改正された憲法でも大統領就任資格を与えられていません。

欧米がスーチー氏を【マドンナ】のように持ち上げることについてはそのような「バイアス」があることも一員でしょう
kahn | 2015/06/28 08:40 PM

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温情はもう捨てよう | 凪に反日って言われちゃった v(^_^ ) | 2015/06/27 11:50 AM
 7月9日の更新期限切れが迫っている。 この前日の7月8日までに在留のための処理をしていない者は、不法滞在になる。 正直、ここまで来て在日擁護なんぞしてる連中は、理由がどうあれ在日・反日と同類扱いするしかないだろう。 これらは、もう左翼・反日の類とみなし、切り捨てるしかないのでは、と考えている。 ...