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「文藝春秋」富田メモ

 細切れぼやきは、スパイ天国ニッポン、江沢民「歴史問題、永遠に…」、『報ステ』広田弘毅の孫インタビューなど。

 おかげさまでお盆進行も峠を越えまして……、『文藝春秋』で「富田メモ」が来てたので、買って読みました。

徹底検証 昭和天皇「靖国メモ」未公開部分の核心
半藤一利/秦 郁彦/保阪正康
▼ 藤尾、奥野、中曽根の名があった ▼ 松岡、白鳥と東條はちがうのか
▼ 松平はなぜ合祀を強行したか ▼ 昭和天皇の怒りと哀しみ

 2ちゃんねらー的には「未公開部分」じゃないと思いますが(^_^;
 全部で15ページ。副題に『原文をこの目で見たメンバーがあらゆる角度から論証する』とあります。
 
 ざっと内容を紹介します。
 「メモの信憑性」と「なぜこの時期に?」の箇所は気合い入れてますが、発売後間もないですし、それ以外はほんとにざっとです。詳細は買って読んで下さい。

・半藤氏と秦氏は日経から評価を依頼されてメモを見ていますが、保阪氏は見ておらず聞き役的な立場です。
・文中の< >内は私くっくりによる要約です。
・誌面にはメモの3ページ目と4ページ目の起こしが載っています(縦書き)。内容は以下の通り。2ちゃんねらーさんの起こしを流用してます。文字の一部が『文藝春秋』のとは違っていたので、『文藝春秋』に合わせて修正しました。

             63.4.28 〔■〕               4.28 〔4〕
☆Pressの会見                 前にあったね どうしたのだろう
[1]昨年は                    中曽根の靖国参拝もあったか
 (1) 高松薨去間もないときで          藤尾(文相)の発言.
   心も重かった                =奧野は藤尾と違うと思うが
 (2)メモで返答したのでごつごつ         バランス感覚のことと思う
  していたと思う                単純な復古ではないとも.
 (3) 4・29に吐瀉したが その前で
  やはり体調が充分でなかった          私は 或る時に.A級が
 それで長官に今年はの記者            合祀され その上松岡.白取
 印象があったのであろう             までもが、
 =(2)については記者も申して           筑波は慎重に対処して
 おりました                      くれたと聞いたが 
                      ○   松平の子の今の宮司がどう考  
[2] 戦争の感想を問われ            余そ  えたのか 易々と
  嫌な気持を表現したかった        りう  松平は平和に強い考が
  それは後で云いたい           閣で  あったと思うのに 親の心子知
  そして戦後国民が努力して        僚す  らずと思っている
  平和の確立につとめてくれた       もが   だから 私あれ以来参拝
  ことを云いたかった           知か  していない.それが私の心だ
 "嫌だ"と云ったのは 奥野国土相      ら多
  の靖国発言、中国への言及にひっかけて   ずい ・ 干連質問 干係者もおり批判になるの意
  云った積りである


メモ画像はこちら。


 内容紹介ここから_________________________________

<まずはメモを最初に見た時の半藤氏、秦氏の感想>

●富田メモの信憑性は

保阪 <前略>そこでまず、富田メモの信憑性を検証したい。これは本当に「昭和天皇の肉声」だと判断してよいのでしょうか。
 私自身は新聞を一読して、わずか130字足らずの文字ですが、昭和天皇の言葉に間違いないと思いました。史実に合致しているのです。しかし、公開されたのは膨大なメモのごく一部だったこともあって、「メモは捏造では」とか「天皇の発言ではなく、富田氏の意見では」とい疑う声も出ていますね。
半藤 えっ、捏造とまでいう人もいるの。
保阪 写真で見ると、この部分は、数枚のメモ用紙をまとめて、手帳に貼り付けられている。誰かが、靖国メモだけ付け加えた可能性もある、との見方をする人もいます。
半藤 私は現物を見ていますが、まず1年分ごとの日記帳が、昭和50年から昭和61年分まであります。さらに、黒い表紙に「T・TOMITA」と名前の入った手帳が昭和62年から平成9年分までありました。
 それとは別の昭和62、63年分の黒い手帳は、ほとんど全てのページに、横書きのメモ用紙を貼り付けたりホチキスでとめてあって、分厚く膨れているんです。そのなかに『それが私の心だ』という靖国メモも貼られてある。
 さらに、同じ2年分の白い表紙の分厚い手帳もあって、出来事や会話などが詳しく書かれています。
 富田氏が宮内庁次長に就任したのは昭和49年11月、長官をつとめたのは昭和53年5月から昭和63年6月までだから、日記とメモで、ほぼすべての期間をカバーしています。基本的に、日記と手帳の時期は重複していないんですね。日記をゆっくり書く暇がなくなったから、手帳に別紙を貼るようになったのかもしれない。私はコピーと、日経の記者がワープロに起こしたものを照合して読みました。
保阪 手帳の、該当する日付のところにメモが貼ってあるんですか。それはコピーじゃありませんよね。
半藤 もちろん富田氏の直筆メモです。さまざまなメモ用紙に書いたものを、糊やホチキスで日付順に貼って整理した、スクラップ帳みたいな感じです。メモには誤記や略字もありますし、それを補足した跡もある。そこにリアリティを感じましたね。
 おそらくメモ魔だった富田長官は、昭和天皇の話を聞いてすぐ、手近な用紙に書きとめたのでしょう。あるいは、天皇の目の前でメモをとることもあったかもしれません。いずれにせよ、聞いて何時間か後ならば、手帳にじかに書き込めばいい。わざわざ、いろんな紙に書いて貼り付ける必要はないでしょう。メモだからこそ、日記や回顧録より、表現が生々しいとも言えます。
 ひとつ確認しておきたいのですが、私は「靖国メモ」だけを見て真贋を判断したのではないんです。日経新聞が紙面に発表した範囲よりも、もっと全般を幅広く見て、そのうえで、信頼性の高い史料だと判断しています。
半藤 私も同じです。

●「中曽根、藤尾、奥野」の謎

<4ページ目のメモの上6行の内容(中曽根、藤尾、奥野)について>

半藤 日経はこの部分に詳しく触れないつもりなんでしょう。実はこの1ページ前から、ひと続きのメモなんですが。
保阪 ところが、インターネット上ではすでに、その1ページ前の文章までもが解析されつつあるそうですよ。
 ちょっと待ってください。手帳の前のページの画像は、どこにも公開されていないはずですが。
保阪 実は、右側に写っている前ページの裏側から、文字がうっすらと透けて見える。それをパソコンの画像ソフトで解析すると、かなりはっきり読めるようになるんです。
半藤 え、透けた文字で!?普通の人でも、そんなことができるの?すごい時代になったもんだなあ。
保阪 すでにさまざまな識者から、なぜ前半部分を隠すのか、本当は違うことが書いてあるのではないか。あるいは、前半を読まないと、A級戦犯のくだりの文脈が正しく理解できない、という批判が出ています。この批判には、やはり丁寧に答える必要があると思いますね。
半藤 なるほど。日経も、人名以外はほぼすべて紙面に載せていることですし、未公開部分も含めて、ここで検証していきましょう。
 我々も、昭和天皇の発言として高い信頼性があるとコメントした以上、責任がありますからね。
 まず、昭和63年4月25日に天皇誕生日に備えての、恒例の記者会見がおこなわれました。<中略>記者会見の3日後の4月28日に、天皇が富田宮内庁長官を呼んで、記者会見についての感想を語った。それがこの「靖国メモ」になったと思われます。

<3ページ目のメモの解釈が続く。その後4ページ目へ。昭和63年の奥野の発言、昭和61年の藤尾の発言について解説>

 私は、『奥野は藤尾と違うと思うが』から『単純な復古ではないとも』までは、富田長官の見解という可能性が高いと思います。一段下げて冒頭に「=」をつけて書いているでしょう。前のページで会見について『記者も申しておりました』と明らかに自分の発言をメモしている部分も、同じように「=」で始まっているんです。富田氏がメモをとるときのルールだったのかもしれません。
保阪 欄外左に『・余り閣僚も知らず そうですがが多い』と見えるのは、なんでしょうか。閣僚が事実関係をあまり知らなくて、「何々だそうですが」と伝聞調が多い、ということですかね。
半藤 うーん、ここはよくわかりません。
 ここまで読んでくると、慰霊のための靖国神社参拝が、急に政治問題化してきたことを、天皇が心から憂えていたのは明らかです。日経は、今のところ(7月末時点)、前半部分を公開していませんが、なぜなんでしょう。
半藤 現存している人の名前が出てくるから、気をつかったのかもしれませんね。

●松岡、白鳥だけが問題なのか

<昭和天皇が松岡、白鳥をどう思っていたかについてのやりとり>

保阪 <前略>ところで、「昭和天皇は、松岡や白鳥は許してないけれど、他のA級戦犯の合祀はかまわないのだ」と読解する人が、かなり多いんですよ。
半藤 『その上』とあるのに?素直に読めばいいのに。
保阪 中には白取と字を間違っているから、このメモは怪しいといった政府高官もいるらしい。
 「偽造」するなら、そんなに単純な間違いはしないでしょう。

<この後、「昭和天皇は東条に対しては好意的だったからメモには矛盾がある」説への反論。天皇は戦争末期は東条をアテにしていなかったし、昭和20年9月、ベイリーUP通信社長らとの記者会見で、真珠湾攻撃について「東条にだまされた」ということを述べている等>

 <前略>ひとつ言っておきたいのは、富田長官の日記のほうにも、天皇が靖国への批判をしているという部分が何箇所かある。たとえば、昭和60年12月31日にも『靖国・松平宮司への批判記述』とある。長官にとっては、折にふれ何回も聞いているから、A級戦犯合祀への天皇の怒りは、おなじみだったんだと思いますよ。

●合祀した宮司への言葉

<松平永芳宮司と筑波藤麿宮司の経歴などの説明>

<筑波宮司が合祀すると決めたという主張への秦氏の反論。
 もともとA級戦犯の祭神名票を送ったのは厚生省援護局中の旧軍人グループ。靖国側でも総代会のほうから、合祀すべきと要請。総代会は宮司の人事権を持っているので、筑波宮司はノーとは言えず、時期を見てと逃げた。
 筑波宮司は昭和40年に突然、鎮霊社という小さな社を靖国神社の境内につくり、白虎隊や西郷隆盛など、靖国神社に入っていない内外の戦没者の霊を祀ることにし、そこにA級戦犯を加えたという当時の靖国神社の神職の証言がある。筑波宮司はそれで済ませるつもりだった。
 ……というもの>

●松平宮司の理想とは

<松平永芳宮司の経歴をさらに。
 秦氏によれば、松平宮司は皇国史観で有名な、東京帝大の平泉澄博士の影響を受けていた。松平宮司は、総代会の最右派と、厚生省援護局の旧軍人グループによって、A級戦犯合祀のために巧みに送り込まれたコマで、昭和天皇もそのことがよくわかっていた。>

 徳川義寛元侍従長の聞き書きである『侍従長の遺言』によると、靖国神社がA級戦犯の上奏簿を御所に持ってきたとき、「松岡さんのように、軍人でもなく、死刑にもならなかった人まで祀るのはおかしい」と反対したら、「そちらの勉強不足だ」と押し返されたという。当時、侍従次長だった徳川氏は天皇のご内意を受けていると考えるのが普通ですが、松平の信念によって「天皇のほうが間違いだ」と突っぱねるわけです。松平宮司は、A級戦犯合祀で天皇が参拝しないのならそれでも構わない、という気持ちだったと思います。当時の靖国神社広報課長だった馬場久夫氏によると、宮内庁の担当者が「そういう方(A級戦犯)をおまつりすると、お上(天皇)のお参りはできませんよ」とくぎを刺したのに強行したのだから。
保阪 昭和天皇にすると、それが『易々と』という怒りにつながったんでしょう。そして、『私あれ以来、参拝していない。それが私の心だ』として、参拝しない理由をはっきり述べています。

<この後、保阪氏の松平宮司の歴史観批判、半藤氏のいまの靖国神社は神道の教義ではなく松平精神であるという批判、秦氏の遊就館批判>

●なぜこの時期に?

<あまりにも絶妙なタイミングにメモが出た件について、いろんな噂がある……>

保阪 まず、日経新聞が、中国に配慮する財界の意を受けたのではないか。あるいは、インサイダー取引をした日経社員の逮捕を目立たせないためだと説く人もいるようです。はては、靖国参拝賛成派である安倍晋三氏の、新著の発売日にぶつけたという説まであります。
 そんな深い背景はないと思いますがね。私も半藤さんも、スクープした日経記者から経緯を聞いていますが、その範囲で判断する限りは、偶然の産物でしょう。
保阪 ベテランの皇室記者なんですか?
半藤 四十代の社会部記者です。富田氏が長官のころ宮内庁担当で、最近まで新潟の長岡支局にいました。この3月に東京本社に戻って宮内庁担当になったんだけど、富田さんは平成15年に亡くなっていたので、未亡人に挨拶にいった。何度か話すうちに、実は日記やメモがあるんですよ、と見せてもらったというんです。
 富田さんの追悼集のなかにも日記の一部が収録されて、すでに関係者に配られていたんだそうです。しかし、この「靖国メモ」は手帳のメモのほうにあった。記者は「夫人は、メモは見ていない」と言っていましたね。
半藤 日記は丁寧な文章で、家族のことも書いてあるけれど、メモは箇条書きだったり、ややわかりにくいですから。
 で、記者がじっくり読んでいるうちに、これは天皇の肉声が書いてあるようだと気づいて、僕のところに意見を聞きにきたんです。僕は長岡に縁があって、彼が長岡支局のときに取材を受けて知っていたので、思い浮かんだのでしょう。それが、7月のはじめでした。
 私のところに連絡が来たのは、記事が出る1週間ほど前だったかな。
保阪 しかし、富田さんの日記が遺されていることが周知だったら、もっと前に、各社の記者が殺到していたのではないですか。
 ところが、特に誰も行かなかったのだそうです。朝日新聞の清水建宇論説委員は、生前、富田さんに「日記は棺までもっていく」と言われ断られたそうですから。どうせ無理だろうという先入観があったのかもしれない。その日経の記者は、スクープ狙いのギラギラした感じがない人なので、未亡人も警戒せずに見せたのではないでしょうか。
半藤 たしかに、ゆったりした人ですね。最初に相談に来たときも、日記やメモの現物をもってきて、「この、白取っていう人物は?」と、まだ解読しきれてない部分も多いようでした。
保阪 とすると、日経新聞の政治的、意図的なスクープではないということですね。
 むしろ、日経は及び腰でしょう。記者は「会社側は、政治的な動きと取られることを非常に恐れている。事実だけを淡々と書きたい」と言っていましたね。実際、火炎瓶を投げ込まれたりしましたし。
半藤 日経によると、記事を出す前日には、宮内庁を通じて今上天皇にも、富田元長官のメモを報じることと、靖国メモの内容をお伝えしたそうです。宮内庁からは、わかりましたという返事があったという。
 だいたい、こういうスクープは、時期を狙ってできるものではないですよ。「昭和天皇独白録」を「文藝春秋」(平成2年12月号)で掲載したときも、寺崎英成氏の娘、マリコさんのところに資料があると判明してからは大急ぎでした。私の註入れや解説などは、10日あまりでしました。
 今回出てきた天皇の「靖国メモ」を、信じたくないという人は、昭和天皇のイメージが覆されると思うからでしょう。戦争責任をふたたび問う声も出てくるかもしれない。

<この後、天皇は戦争責任についてどう考えておられたか等>

●この文書をどう受け止めるべきか

<日経が公開した日記やメモの他の部分について。昭和天皇はずいぶん人物評をしている。弟の高松宮さま、吉田茂、中曽根康弘など。未公開部分には秋篠宮さまに関する微笑ましい記述も。>

 富田さんは時期がきたら、歴史的記録として、公開してもよいと思っていたのではないでしょうか。もし出してはいけないと考えていたのなら、昭和63年に宮内庁長官を退任してから、平成15年に亡くなるまで、日記やメモを処分する時間はたっぷりあったはずです。急死されたわけではないから、家族に死後の処分を頼むこともできたでしょう。
 それに、昭和天皇も、伝えてほしいと思っていた節もある。崩御の直後に、富田氏は読売新聞で「亡き陛下をしのぶ」という連載をしています。なかに、天皇が金曜日に長時間話したばかりなのに、週明けの月曜に「もう一度話したい」とわざわざ長官を呼び出すエピソードがあるんです。
保阪 宮中の「オク」といわれる侍従ではなく、「オモテ」の宮内庁長官を呼ぶのだから、公的な性格が強い発言です。
 私はこの文書は、歴史の問題として扱うべきだと思う。だから昭和天皇のA級戦犯合祀に対する思いを、8月15日の総理参拝の問題に結びつけることは、本質的に意味が違うと思うんです。

<この後、小泉首相批判、古賀誠批判。また、もっとも悩んでいるのは靖国神社だろうが、みずから判断して動くしかないといった話>

保阪 私たち国民は、死を目前にして『それが私の心だ』と言わずにはいられなかった、昭和天皇の苦衷を思い、なおのこと真摯に歴史と向き合うしかないでしょう。

<この保阪氏の発言で終了>

 _________________________________内容紹介ここまで


 全文読んでみての感想ですが、メモの解釈については各人の主観とか歴史観も入ってるし、状況証拠はあっても決定的な証拠がないというか、「〜ではないでしょうか」「〜に見えますね」「〜だと思います」てな表現もたくさんあって、これでは論争終結とは行かないだろうな、という印象を私は持ちました。
 
 またこの対談では、徳川元侍従長発言説には全く触れられていません。
 ご覧のように、「A級戦犯合祀には徳川元侍従長(当時は侍従次長)も反対していた」というエピソードの一つとしてしか述べられてません。

 徳川元侍従長発言説は最初にメモが出た7月20日にはすでに2ちゃんねるで出始めてたし、「メモ反転画像」の存在まで知っていた保阪氏が徳川元侍従長発言説の存在を知らないというのは、ちょっと不思議な気がするんですが。
 知ってたけど取り上げるほどの説じゃないと判断して、あえて言及しなかったんでしょうか?
 ま、「メモ反転画像」の件はネット経由ではなく他人からたまたま聞いて知ったとか、そういうことなのかもしれませんが。

 それでもやっぱり引っかかるんですよね。というのも……。
 秦氏の「日経は、今のところ(7月末時点)、前半部分を公開していません」という発言箇所を見る限り、この対談は7月末に収録されたものだと思われます。
 が、8月3日発売の『週刊新潮』8/10号では、御厨貴・東京大学先端科学技術研究センター教授(公開された部分のメモだけを見たとされる人)が徳川発言説に触れています(拙エントリー8/3付参照)。8月3日発売ってことは、御厨氏はたぶん『文藝春秋』の対談が行われたのと同じ7月末頃までには『週刊新潮』からインタビュー受けてると思うんですよ。
 その御厨さんが徳川元侍従長発言説を知ってるのに、保阪氏、秦氏、半藤氏の3人ともが知らないってのは、やっぱり解せない。だから3人は意図的に無視したんだと私は思います。

 『・余り閣僚も知らず そうですがが多い』について、半藤氏が「うーん、ここはわかりません」と言ってますが、膨大な未公開部分には、半藤氏も秦氏も「ここはわからん」と思った箇所がたくさんあるんじゃないですかね。
 とにかく日経が日記全文を公開しない限り、論争は終わらないと思います。

 日経がメモを公表する前日、宮内庁を通じて今上天皇に、メモを報じることと、メモの内容を伝えていたってのも何だかなぁ……。
 陛下が「それはやめてほしい」とか仰れる立場じゃないのはわかってるのに、アリバイ作りみたいで嫌な感じ。

 日経の政治的、意図的スクープではないというのはいくら何でも……(^_^;
 何も狙ってないのなら、もっと検証を重ねて(秦氏は1週間程度しか検証していない)、終戦記念日が終わってからとか、9月の総裁選が終わってからとかでもいいわけでしょ?少なくともこの時期に出したら大騒ぎになることはわかってたはずです。
 日経の社長が4月13日に中国の唐家セン国務委員と会談していながら、その事実を同紙がまったく報道していない事実も発覚してますしね。

 最後に、関連ニュースを1つ。

<昭和天皇メモ>宮内庁長官が、公表に批判的な考え示す
 宮内庁の羽毛田信吾長官は10日の定例会見で、昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示したとされる富田朝彦・元宮内庁長官のメモについて、「長官という職にあるものとして言えば、在任中のことを外に出していくことについては、よほど慎重でなければならない」との見解を語った。
 長官の「心構え」として述べたもので、「そうでなければ、陛下が長官にものが言いにくくなる」とも語り、発言の公表に批判的な考えを示した。
(毎日新聞) - 8月10日20時42分更新

※拙ブログ関連エントリー
 ・7/21付:昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感?
 ・7/22付:富田メモ社説&福田が梯子外した!?
 ・7/23付:産経抄かと思ったら天声人語だった
 ・7/24付:「サンプロ」富田メモ
 ・7/25付:「ムーブ!」福田不出馬、安倍政権の難題、『韓半島』、富田メモ
 ・7/26付:朝日変節まとめ(細切れぼやきで富田メモについて勝谷さん見解)
 ・7/27付:日経の次はテレ朝、朝日新聞も当然援護射撃
 ・7/31付:「たかじん委員会」富田メモ疑惑
 ・8/1付:「諸君!」「正論」より富田メモで識者見解
 ・8/2付:古賀が何と言おうが疑問なものは疑問なわけで
 ・8/3付:新潮の富田メモ反論に合わせて日経がぶつけてきた?
 ・必死の朝日!だけどまたハシゴはずされた(笑)(細切れぼやきで富田メモについて青山さん見解)


・・・・・・細切れぼやき・・・・・・


■スパイ天国ニッポン

キム総書記直系企業が関与か(NHK)
東京の貿易会社「明昌洋行」の元社長、キム・ヨングン容疑者(58)は、生物化学兵器の製造にも転用できる真空凍結乾燥機1台を台湾を経由して北朝鮮に不正輸出したとして、外国為替法違反の疑いで10日、山口県警察本部などに逮捕されました。これまでの調べで、不正輸出を仲介したのは、北朝鮮にある「朝鮮綾羅888貿易会社」という会社が出資する商社だった疑いが強いことがわかりました。警察庁によりますと、「朝鮮綾羅888貿易会社」はキム・ジョンイル総書記の直系企業で、軍ともかかわりが深く、キム総書記の指示で物資の輸入をしているとみられています。この会社は9年前、宮崎県日向市の港で北朝鮮の貨物船から覚せい剤が押収された事件にかかわった疑いがあるほか、東京の久米裕さん(当時52)の拉致事件で国際手配された元工作員キム・セホ容疑者(77)もこの会社の一員として来日していたとみられています。警察は不正輸出への北朝鮮の国家的な関与の疑いがあるとみて調べています。
8月10日 18時2分

 夫がニュース見てて急に「パッパラパー?」と。「何?どしたん?」と思ってよく見たら「888(パルパルパル)」でした(^_^;
 横田めぐみさんの夫・金英男氏の勤務先とも言われてるようです。

光通信機器を露側に渡す…元ニコン社員ら書類送検
 大手光学機器メーカー「ニコン」(東京都千代田区)の元主幹研究員(47)が軍事転用可能な光通信機器を持ち出し、在日ロシア通商代表部の部員(35)に渡したとして、警視庁公安部は10日午前、2人を窃盗容疑で書類送検した。
 この部員はロシア軍参謀本部情報総局(GRU)に所属しており、問題の通信機器はロシアに運び込まれたとみられる。公安部は、この部員が軍の通信基盤を整備するため、日本の最先端技術の不正入手を図ったとみている。
 在日ロシア通商代表部員は、公安部から出頭要請を受けた翌日の今月2日、ロシアに出国している。
 調べによると、元主幹研究員は同社に在籍していた昨年2月、自分が中心になって開発していた「可変光減衰器(VOA)」を持ち出し、在日ロシア通商代表部員に渡した疑い。VOAは、光ファイバーを流れる光量を制御する最先端機器で、大量の情報を瞬時に送信するために不可欠の技術とされ、同社内でも機密扱いになっている。
(読売新聞) - 8月10日13時58分更新

 「ニコン」の元研究員はこのロシア人から報酬を6万円ほど受け取っていたのだとか。たった6万でアンタ……(T^T)
 しかも「窃盗容疑」だもんなぁ……(T^T)

<1等海曹>海自聞き取り調査後自殺 上海へ無届け渡航問題
 無届けで中国・上海などに渡航したとして、海上自衛隊佐世保地方総監部から事情聴取を受けていた1等海曹(42)が10日早朝、長崎県の佐世保港に停泊中の護衛艦「あさゆき」艦内の倉庫で首をつって死亡しているのを同僚が見つけた。自殺とみられるが、遺書は見つかっていないという。
 防衛庁によると、自殺した1等海曹は99年12月〜06年2月、上海や韓国などへ無断渡航を繰り返していた。
 同総監部では隊員の無断渡航の実態と情報漏えいの有無について調査を進めている。自殺した1等海曹は上海などに無断渡航していることが明らかとなり、数日前から聞き取り調査を行っていた。
 海上自衛隊では、上対馬警備所(長崎県対馬市)に勤務していた別の1等海曹(45)が無届けで上海に渡航を繰り返し停職10日の懲戒処分を受けている。同1等海曹については、04年5月に自殺に追い込まれた在上海日本総領事館員が交際していた中国人女性と知り合ったカラオケ店で、別の女性から接待を受けるなどしていたことや、内部情報を自宅に持ち出していたことが判明し、警察当局が女性との交際の実態などについて捜査を進めている。
(毎日新聞) - 8月10日14時7分更新

 中国のハニートラップが原因で2人めの自殺者?
 1日に3件もこの種のニュースを聞かされれば、さすがに日本人もスパイ防止法の必要性を考えざるを得なくなるだろうと思いきや、日本のマスコミはそういう方向には絶対持っていこうとはしませんからなぁ……(T^T)


<靖国参拝>小泉首相、終戦記念日参拝重ねて示唆
 小泉純一郎首相は10日朝、自らの靖国神社参拝について「日本の首相が戦没者に哀悼の念を表明するために参拝するのは当然だ。8月15日のみならず、いつ行っても批判している。いつ行っても同じだ」と述べ、終戦記念日の15日に参拝する意向を重ねて示唆した。ただ、実際に15日に参拝するかは「適切に判断する」と従来の発言を繰り返すにとどめた。モンゴル訪問を前に首相公邸前で記者団の質問に答えた。
(以下略)
(毎日新聞) - 8月10日12時39分更新

 小泉さんはひとつだけ間違ってる。
 「いつ行っても批判される」じゃなくて「全く行かなくても批判される」が正しい。
 ↓だってほら。

「歴史問題、永遠に言い続けよ」江沢民氏、会議で指示
 【北京=藤野彰】中国の江沢民・前国家主席(前共産党総書記)が在任中の1998年8月、在外大使ら外交当局者を一堂に集めた会議の席上、「日本に対しては歴史問題を永遠に言い続けなければならない」と指示し、事実上、歴史問題を対日外交圧力の重要カードと位置付けていたことが、中国で10日発売された「江沢民文選」の記述で明らかになった。
 中国は胡錦濤政権に移行した後も一貫して歴史問題を武器に対日圧力をかけ続けており、江氏の指針が現在も継承されているとすれば、歴史問題をめぐる中国の対日姿勢には今後も大きな変化が期待できないことになりそうだ。
 同文選(全3巻)は江氏の論文、演説などを集大成したもので、これまで未公開だった重要文献を多数収録。江氏は同年8月28日に招集した在外使節会議で国際情勢について演説、この中で対日関係に言及し、歴史問題の扱いをめぐる指針を示した。
 それによると、江氏は「日本の軍国主義者は極めて残忍で、(戦時中の)中国の死傷者は3500万人にも上った。戦後も日本の軍国主義はまだ徹底的に清算されていない。軍国主義思想で頭が一杯の連中はなお存在している。我々はずっと警戒しなければならない」と述べ、日本の軍国主義はなお健在との認識を表明した。
 さらに、台湾問題との関連で「日本は台湾を自らの『不沈空母』と見なしている」と批判、「日本に対しては、台湾問題をとことん言い続けるとともに、歴史問題を終始強調し、しかも永遠に言い続けなければならない」と指示した。
 江氏は同会議の3か月後の同年11月に日本を訪問。滞在期間中は歴史問題を再三とりあげ、強硬姿勢を印象付けた。
(2006年8月10日19時35分 読売新聞)

 靖国に参拝してもしなくても、結局は文句言われるってことですわ。
 それにしても「軍国主義思想で頭が一杯の連中はなお存在している」って、そりゃあんたたちでしょ!(-.-#)

※参考資料〜「過去ぼやき」05年5/25付より引用
【抗日戦争における中国側被害者数の変遷】
 
1945年  死者130万人(国民党発表)*1
1945年  死者130万人(GHQ発表)
1950年代 死者1000万人(共産党が政権を奪取した年代)
1960年  死者1000万人(中国政府発表)
1970年  死者1800万人(中国政府発表)
1985年  死者2100万人(中国政府発表)
1995年  死者3500万人(抗日戦争記念館による)
1998年  死傷者3500万人(江沢民来日時のコメントによる)*2

*1 蒋介石が終戦時発表した抗日戦の中国側死傷者数は438万人。
終戦当時の公式文書「対日戦争勝利の成果」には「中国側戦死者1,319,958人、戦傷者1,761,335人(総計3,081,293人)」とある。
*2 1998年、江沢民が早稲田大学で講演した中で「軍民3500万人が死傷、6000億ドル以上の経済的損失」と述べた。「死傷者3500万人」は現在の中国の教科書に載っている数字でもある。


■『報ステ』広田弘毅の孫インタビュー

 いわゆるA級戦犯として処刑された広田弘毅の孫、広田弘太郎氏のインタビュー。
 代々「喋るな」という家訓があるためこれまで喋れなかったそうで、今回は顔を隠して音声のみ。

 「合祀を聞いた時はびっくりした。そんなはずはない、間違えて祀ったと」
 「確信犯でやったんでしょうね。勝手に祀られたというか」
 「不快感とまで言っていいのかどうか。喜んではいない。できれば取り消してほしい」
 「家族としては英霊として祀られることを希望しません。特に靖国神社に。靖国神社とはお国のために戦死した兵隊とか軍人を祀るためにできた神社であって、軍人でもなければ戦死者でもない広田弘毅が祀られる資格さえない」
 「希望したこともお願いしたこともないし、神社側から同意を求めることもなかった」
 「もともと合祀を認めてないからこちらから分祀しろとはいわないが、合祀したのは靖国神社の意志ですから、靖国神社がそれを取り消して、広田は祀らないことにしましたと言っていただければすっきりする」

 お孫さんも色々と考えるところがあるんだろうとは思います。
 もしかしたら「他のA級戦犯の方々は祀られる資格があると思うが、広田は軍人じゃないので祀られる資格はない」ということを言いたかったのかもしれないし。
 だとしても、何でこの時期にわざわざ?という不可解さは残ります。

 でも、もっと腹が立つのはテレ朝。
 政治家へのバッシングだけに飽きたらず、靖国神社にも強烈バッシング。「A級戦犯分祀せよ!」って圧力。たまりませんわ(T^T)


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Comments

くっくりさま
全文読んでいないで「いい加減な」ことを言います。

『文藝春秋』は信用すべきではないと思います。

半藤一利/秦郁彦/保阪正康。
全員「文春知識人」です。(亀田擁護のアホと同じです)

彼らの言葉には真実はないと思って読むべきです。有るとすればそれがどこか弁別すべきです。

「戦争」「歴史」を商売にするな、と特に秦さんには言いたいですね。
後の二人はどうでもいいわ。
さぬきうどん | 2006/08/11 02:46 AM
今週土曜のチャンネル桜の3時間討論番組に秦さんが出るそうです。もう取りは終わってるみたいですが、参加者の高森さんが「体調最悪だった」とかちょっと弱きな事言ってたんでどうなるか心配してるんですが番組楽しみにしてます。
k | 2006/08/11 04:29 AM
おはようございます。あれれ?A級戦犯合祀の壮絶なドキュメント特集を文春で読んだ記憶があって「苦労したんだなぁ」って感じた記憶があるんですが。新潮だったかな?どっちかには間違いないです。
ダブスタと言われるかもしれませんが、はっきり言って昭和天皇がどう感じられていたかと靖国神社がいわゆるA級戦犯を合祀したのは、関係ないし結びつけるのは不適当と考えます。
中国の寝言は想定の範囲内。これから親中派と呼ばれる自民党議員にこの江沢民の見解をただしてみたいですね。歴史認識は各国で違うので、他国からあーだこーだ言われる必要はないですね。当時の国際法でも明らかに違法であろう原爆投下で日本が「あれはおかしい」って言ってもアメリカは「正しい判断だった」ってのが大勢のようですから。それでもそこそこ上手く言ってます。
広田弘毅のお孫さんはちょっとしゃべりすぎですね。時期を考えていただきたい。広田氏本人は禅思想に造詣が深く、淡々と処刑に向かったそうですが。確かに軍人ではないのに、祀られておかしいというのは筋が通ってますがね。
てか、この時期にわざわざ広田氏の遺族にインタビューしにいくテレ朝がむかつきますな。
お茶好き日本人 | 2006/08/11 05:09 AM
ロシアの件、むかつくことこの上ないが、製品自体はそのロシア人研究者が中心になって開発したものだから、サンプルが残っていれば、日本も一応技術は得たと考えてよいのだろうか。

だからと言ってスパイ防止法が不要なわけじゃないが。
間取 | 2006/08/11 08:28 AM
失礼しました。上記の私のコメントのこの部分、

>広田弘毅のお孫さんはちょっとしゃべりすぎですね。時期を考えていただきたい。

取り消します。くっくりさんが仰るように、色々お考えになるところがあると思います。外野がここまで言うべきではありませんでした。以後気をつけます。
お茶好き日本人 | 2006/08/11 09:17 AM
いつも楽しく拝見しています。

秦さんには時々良く分からない言動がありますね。
南京事件についても、大虐殺説と反虐殺説の中を取るような議論をしてましたし。
いわゆるA級戦犯の評価も異様に厳しい。
法学部出身者らしい公平な立論をされることが多いので、ますます不思議に思います。

秦さんの慰安婦論は、質・量ともに他の追従を許さない圧倒的な存在感がありますよ。

『慰安婦と戦場の性』新潮選書,平成11年
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4106005654/sr=8-1/qid=1155256745/ref=sr_1_1/503-0230189-3380711?ie=UTF8&s=gateway
信濃者 | 2006/08/11 09:41 AM
oSメMMl}IiC[u()oHorWlXGAAclB鍋xH
Kake | 2006/08/11 10:28 AM
こんにちは、毎日楽しみに読ませていただいてます。

> いつ行っても批判される

ご存知かもしれませんが、小泉さんの発言全文はこちらのブログで読めます。
太郎ちゃん並に熱いですね〜

小泉首相の靖国関連ぶらさがり全文
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/24222
ちゃた | 2006/08/11 10:35 AM
靖国では一年かけて名簿から御神体に御霊を移すんですよね?
靖国に祀られたくない御霊は御神体に移らないんじゃないでしょうか?
靖国の目的は慰霊であって、御霊を縛る呪いじゃないんだから、ご本人が望まなければ、靖国にはいらっしゃらないと思うんですけど。
J | 2006/08/11 10:49 AM
>日経の政治的、意図的スクープではないというのはいくら何でも……

新聞協会賞に応募してるのは、ネットでは周知の事実なのにしらじらしいです。

http://www.nikkei.co.jp/honshi/kyokaisyo.html
nami | 2006/08/11 12:38 PM
韓国選手の歓喜の輪は、やがて太極旗(国旗)を先頭にしたウイニングランになった。
「優勝したみたいやな」。横浜ベイスターズの金城龍彦(30)は、ベンチ前のさくに 寄りかかったまま、悔しそうな表情でそれを見つめた。
3月15日、米カリフォルニア州アナハイム。野球の国・地域別対抗戦(WBC)2次 リーグで日本は韓国に敗れた。日本での1次リーグに続く敗戦だった。
韓国系米国人の多い町で、スタンドは韓国への応援が圧倒的だった。似たような アウエーの雰囲気を、以前にも感じたことがあった。
94年夏。韓国・ソウルの東大門野球場に金城はいた。韓国の高校野球全国大会 「鳳凰大旗争奪大会」が開かれていた。「韓国の甲子園」と言われるこの大会に、日本から在日韓国人のチームが参加。3年生の金城も、その一員だった。
最初の試合で「おかしい」と感じた。観客からは自分たちへのヤジが飛び交う。スト ライクとボール、アウトとセーフ。審判の判定は不利なものばかりのような気がした。
「勝たせるな」という空気が、球場を包み込んでいた。
「ぼくらは敵なんやな」。初めて訪れた祖父母や父母、そして自らの「祖国」。日本を 出発する時の高揚感が、急速に冷めていく。準々決勝で敗れると、猛烈なホームシックにかかった。
祖国のことを知ってほしい、好きになってほしい。堺市に住む在日本大韓野球協会 会長の韓在愚(ハンジェウ)(36)は、そんな思いで選手を集め、毎年韓国へ連れて 行った。
審判ともめるのは毎度のこと。かつては観客から「パンチョッパリ(半日本人)」というヤジが絶えず、ツバをかけられる選手すらいた。
「これで、母国愛って生まれるのか」。韓は自問した。年々、選手や資金集めが難しくなった。56年から始まったチーム派遣は、97年を最後に中断している。
アナハイムでの日本の敗戦。かつてプロ野球・近鉄に所属した金城の父、晃世(あきよ)(60)はテレビの前で悔しがった。一方で割り切れない思いもした。息子がいなければ、どっちを応援するだろう。「複雑やな」。晃世は何度もつぶやいた。
晃世は大阪で生まれ育った在日2世。日本は「お世話になっている国」と言う。「自分の国」と言えば、韓国だ。祖国の伝統は大切にする。法事には必ず子供たちも出席させた。自らは国籍を日本に変えることはないが、子供たちには本人の判断に任せた。
金城は首位打者と新人王を獲得した00年に結婚。その後、日本国籍を取得した。
「ずっと日本に住むし、子どももいる。絶対、そっちの方がいい、と」
韓国に連敗した3日後。準決勝で日本は三たび韓国と対戦し、完勝した。「日本代表の一人として世界の舞台で戦えることがうれしかった」と、金城は言う。
それでもなお、日本人になりきれない自分を見つめる。「血はやっぱり韓国人だから」。
今も帰省すれば、母の韓国料理に舌鼓を打つ。伝統を受け継いでいるという意識も 強い。「結局、中ぶらりんなんですよ」
韓国に住む韓国人、日本に住む日本人。何の葛藤もなく「祖国」と呼べる人たちが いる。「ちょっと、うらやましい」と思う。
(朝日新聞 2006年8月9日)

根無し草の詩・・・やっぱり帰化しても宙ぶらりんなんだ。
未確認生命体 | 2006/08/11 12:55 PM
秦さんは事実を重んじるから、図式的に現実を捉えたい人には違和感のある書き方をあえてするところはあると思います。
外国から事後法によって不当におしつけられた戦争責任とはべつに、自国民に対して国家を滅亡の淵までひきづった敗戦責任はあるはずだと、どこかで主張なさっていました。A級戦犯に対する厳しさもそこに由来すると思います。
中国や韓国の外野の干渉を全部はずしてみて、よくよく考えてみるべきではないでしょうか。
A級戦犯をちょっとでも批判すると外国に媚びているって見方は
硬直し過ぎ(思考停止)ですよ。

あと、昭和天皇のお考えにかかわりなく、自分は自分で考えるって主張もどうかと思います。
そうした天皇なきナショナリズムみたいなものはあるのかも知れません。でも、それじゃあ、三国人どもの安物ナショナリズムと同じレベルになってしまう(笑)。
____ | 2006/08/11 01:31 PM
わかち書きすいません。
徳川侍従長からブリーフィングを受けた内容を富田長官はメモにしたとみなすと、「昨年の会見では
...」以降の前半部のメモと全く整合しなくなるので、検証する必要すら感じなかったのではないでしょうか???

ところでA級戦犯への昭和天皇の思い入れの証拠として、よく木戸日記を引用しているサイトをみかけますけれど、これはひどい誤解です。
まず、「戦争責任者を連合国に引渡すは真に苦痛にして忍び難きところ」と述べているのは終戦直後で
対象となるのはB級以下です。この時点では平和に対する罪で軍事政治指導者まで訴追されるとは夢にも
思っていなかったのは歴史家には常識です。
また「米国より見れば犯罪人ならんも我国にとりては功労者なり」と昭和20年暮れにあるのは、東條ら
をさすのではまったくなく、具体的に木戸内大臣一人を指すものです。
昭和天皇独白録で東條はなかなか有能と評したのは
近衛や永野軍令部長などと比較した範囲のことです。

以上のように活字にされ容易に手に入るものにあたれば間違いようのないことを誤解する人の少なくないのは、実際に読んだことのない人も少なくない
からかと思います。
なぜ、今回のメモに限って、原文を一般人にも公開しろとか、熱くなるのでしょうか。
____ | 2006/08/11 01:37 PM
____さんへ

いや,自分は自分で考えるって主張はごく当然なことだと思うんですよ.むしろ天皇陛下がこうおっしゃったから意見を変えるってのはいまだに天皇という立場に(必要以上の)権力を認めることであり,日本が民主主義国家であることを放棄するものですから.そもそも靖国参拝の賛成・反対に対して自分自身の主義主張を述べることはナショナリズムとはさして関係ないと思います(大半の人にとって靖国問題というのは中共の内政干渉こそが最も大きな問題でしょう).

なぜ、今回のメモに限って〜>おそらくマスコミ全体に対する不信感がとても大きくなっているのが原因でしょう.信用のおける相手が伝えたのであればここまで大事にはならないと思います.さらにいえば,疑う事・疑いがあるという意見を発表すること自体は誰にでもあるごく一般的な権利だと思いますよ.
aaaa | 2006/08/11 05:01 PM
天皇は文化や政治権威の見えざる源泉であるって伝統を捨ててしまうと、ただのよくあるアジアの人工民主主義国にダラクと思える私は異常かも知れませんね。

靖国問題はまず第一に哀悼を示す方法の問題なので、中韓への抗議の最前線と主にみなすのはある意味で冒涜だと思います(ナショナリズムでわかりにくいなら、ポピュリズムでしょうか)。
やつらの挑発にのって、自分たちの伝統の規定の仕方を変えてしまうのはおかしいと思います。

疑う権利は否定しませんけれど、書店で手に入るものも調べないような人は大半なのに、なぜ検証云々を論じられるのでしょうか。
事実を重視するのではなく、伝聞で聞いた話しのうち、自分の心情にしっくりくるものを自由にチョイスする傾向はありませんか??
こうした傾向は、本来、疑う権利を自ら掘り崩していると思えます。
____ | 2006/08/11 05:13 PM
わかりずらいですね
中国や韓国にどう反論してやろうか、これしか念頭にない状態は異常だし、自国の伝統と真摯に向き合っているとは思えないってことです。
あいつらはどうでもいいんです、どうせ100年あとも何でも人のせいにして被害者面のぬるま湯で何もしないんですから。
____ | 2006/08/11 05:21 PM
革マル派の親方が死にましたね。変な言論が弱まることはいいんですが、発言に筋が通っていたのは、新左翼とマジカルライトだけだった戦後を引っ張ってきた彼らはもう消え去ろうとしています。時代の流れですね。

ところでくっくりさんはどのOCRソフトを用いて引用されてます?
田中 | 2006/08/11 05:32 PM
江沢民の発言は桜井よしこさんが
だいぶ前から言っていたし、週刊新潮のコラムにも書いてあった。
日本の政治家全員やマスコミが中国に抵抗すれば何も言ってこないと思います。あとスパイ防止法もはやく作って貰いたいです。
おじさん | 2006/08/11 06:21 PM
天皇陛下と靖国を切り離されてしまうのは本義に悖る。
外国の圧力に屈しないためにそうまでしないといけないとしたら、
宗教を政治問題として議論しすぎたツケだろう。
東大の宗教学の教授は、仏教徒やキリスト教徒も含めて、天皇を事実上の主催者として、靖国で追悼集会を(例大祭の時期)に毎年行えば、合祀以前(戦前を含む)とほぼ同じ状態に復帰できるとしている。この場合、例大祭に行うのは決して外国に屈したからではなくて、従来の日本の伝統に回帰するだけだ。
一考の価値はあるだろう。
無臭 | 2006/08/11 06:50 PM
文春の富田メモの記事ですが、
結局、断片的な文章だから、読む人が都合良く解釈しているという感じですね。
相変わらず「私」が何故天皇であるか根拠が示されていないし。
日経は多分メモを全部公開しないだろうし、このまま有耶無耶になり、「昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感」というイメージだけが残りそうですね。
なつなつ | 2006/08/11 09:21 PM
>いわゆるA級戦犯として処刑された広田弘毅の孫、広田弘太郎氏のインタビュー。
 代々「喋るな」という家訓があるためこれまで喋れなかったそうで、今回は顔を隠して音声のみ。

1 本物のの広田弘太郎氏か確認できないので没
2 靖国神社の合祀するかしないか遺族等に問い合わせてするものではないので没
基準点 | 2006/08/11 09:24 PM
推定した理由は一応述べられているみたいだけど、断定する根拠は示されないまま、既成事実化するというのはやっぱりフェアじゃないですね。

親の心子知らずという言葉が有名になってしまいましたが、まして(本物だと仮定して)孫の言葉なんかに重みはないでしょう。売り家と唐様で書く三代目という川柳が象徴しています。
ぬらりひょん | 2006/08/11 11:13 PM
>____さん

分かりにくいHNは止めてください。
木戸(幸一)日記に関して云々されていますけど、具体的な論拠や史料を提示してください。
私は木戸幸一氏は好きではありません、しかし昭和天皇を守ろうとした忠義の念には尊崇の念を持っています。

それから秦さんの議論を擁護することはおかしいと思います。
今回の「富田メモ」に関してはね。
彼のこれまでの業績は私もほんとうに多くを教えられたし、学びました。
ただ、今回のコメントはいただけません、×です。
秦さんが悪いわけではなく、日経新聞が全ての元凶でしょうが。
さぬきうどん | 2006/08/11 11:36 PM
皆さん、多数コメントをいただきありがとうございます。
いつも個別にレスを差し上げられず申し訳ありません。
エントリー更新で手一杯で、ほんとすみません<(_ _)>

田中さん:
OCRソフトって何だっけ?と思ってググッてしまいました(^_^;
読み込みソフトですよね。私はこれまで一度も使ったことがありません。
くっくり | 2006/08/12 04:31 AM
保坂さんも半藤さんはノンフェクション職が強いとはいえ小説家、随筆家です。秦先生も資料鑑定などの分析という実証的な歴史研究者というより、歴史を概観する歴史家という側面が強いですのではないでしょか。3人とも歴史資料鑑定の専門家ではありません。
資料鑑定の専門家でない人々の印象を書きつられても、信用されず経済記事も含めて日経新聞の記事全体の信頼性を低下させるだけです。科学知識のないミステリー作家に科学鑑識をやらせて警察が容疑者をしょっ引いくのとおなじで、これをもって検証済みとするのはヤバすぎないでしょうか。
日経新聞が7月20日の特集で主張したように専門家の確認をとったなら、宮田メモ全体とその専門家の氏名を公開すべきです。
電脳物流 | 2006/08/13 04:15 PM
現代史には資料鑑定の専門家ってのはあまりいないようですよ。
故人の知人や知人の周囲と親しかった人、同種の事例に関して一般的な研究をしている人たちの、一種の印象の多数決で決まるようです。今回のこともおかしいかも知れません、しかし、そうなると現代史のほぼ全ての分野で資料鑑定に疑問符をつけなければいけません。
今回のメモを偽造、あるいは誤報であれば、政府はとっくに動いているのでは?安部ちゃんあたりは特に必ずアラを見つけ出すと思うのですけれど。
議論の方向として、結局、学者の人格攻撃にしかならないのは悲しいです。
nansi | 2006/08/14 09:41 AM
nansi様、ご意見ありがとうございます。
現代の資料を対象としての筆跡や資料の鑑定は歴史資料ではなくビジネスの分野や司法の分野で盛んなのですね。契約書や遺言の真贋が問題になる場合、筆跡や資料として鑑定が非常に重要に重要になるわけですから。
したがって、資料鑑定の専門家は現代の資料の鑑定については大量に存在するわけです。
通常、現代史の専門家はこのようなプロセスを経て検証済みの資料をもとに考証するわけです。
富田メモをめぐる一連の報道の問題は、そのような当然の鑑定を経ておらず日本経済新聞内部の検討しか行われていないことです。
このような訳で富田メモの信頼性に疑問を呈することは、現代史を専門家の皆様を貶めるものでも現代史の研究に用いられた資料の信頼性を疑うことにもならないと考えますがいかがでしょうか。

宮田メモの筆跡の分析は日経新聞
が富田メモを抱え込んだままなので困難ですが、映像から分析を試みた方がいるので紹介させていただきます
時事ブログ「グースの勿忘草」
http://sky.ap.teacup.com/deep/188.html
公開映像と筆跡鑑定のプロセスが画像つきで丁寧に説明され公開されておりますのでごらんいただければと考えます

引用の出展を示せば自由とのことですの一部引用させていただきます。『筆順の違い
 中曽根の「根」。所長の「長」。足の部分に注目して下さい。
 
 何となく似ている感じはしますが、足の部分の形が違っていますね。
 黒メモが一筆で書いているのに対し、青メモのほうは二筆になっています。崩して書いてある青メモほうがニ筆になっているというのは妙ですね。
 文字の形は似せれても、筆順というのは個人のクセが出るものです。


■点の角度
 意見の「意」の足の部分は「心」です。点の角度に注目して下さい。

 左側の点の角度が、黒メモは内側向き。
 青メモのほうは外側に向いています。


■点の位置
 さらに二個並んだ点の位置を見てましょう。
 
 黒メモのほうは外側の点と接触していますが、青メモのほうは内側の点と接触していますね。

 点の位置や角度というのは個人のクセが強くでる部分です。数日の間に変わるということはありません。



■数字の書き方
 数字のバランスを見てみましょう。

 2の足の部分というのも個人のクセが出る部分です。
 黒メモのほうは直線的。アルファベットのZに近い感じ。
 青メモのほうは丸めてアーチ状になっている雰囲気です。

 また4の横幅も問題です。
 黒メモが狭いのに対して、青メモのほうは明らかに広いです。


■ひらがなの比較「て」

 黒メモのほうは、「て」の尻尾の部分が直線からやや下向きの印象ですが、青メモのほうは上向きに弧を描いています。 
 黒は直線的、青は曲線的という全体的な印象、数字の2のクセに近い傾向が出ています。
さらに、「て」の最後の部分ですが、黒メモのほうはしっかりと止めています(太く黒くなっている)。一方の青メモのほうは抜いてある感じです。
 こういう単純なクセというのは隠しがたいし、真似し難いものとなります。


■偽造説
 ということで、前回の紙質の検証、今回の筆跡鑑定を見る限り、筆者としては「双方のメモは同一人物が書いたものではない」と結論します。
 黒メモは四月二十六日、青メモは四月二十八日の日付になっています。ほんの数日で筆跡が大きく変わることはありえません。
』すみません。ブログでは明確に表示されているのですが、こちらでは画像を紹介できないのでわかりづらいですね。
時事ブログ「グースの勿忘草」
http://sky.ap.teacup.com/deep/188.html
をごらんいただければ幸いです。
なお、ブログの内容は2006年8月14日現在のものです。

秦先生の今までの学問的業績と社会的行動は大変尊敬しておりますし、半藤先生や保坂先生の作品やエッセイについては楽しませていただいております。

資料鑑定がされていないことと、資料が本物であることを論証された先生方が明確な根拠を示されず資料鑑定の能力自体に信頼性がない点を指摘しただけで、先生方の人格を攻撃する意図はまったくございません。

議論や検証は論理と対話に従って相互に高めあうもので、論理は個人の人格とは別個に存在し、人格や人的ネットワークとは別個に議論され検証されるべきだと存じますがいかがしょう。

つまるところ、日経新聞が富田メモの公開を行い、第3者が資料鑑定や筆跡に分析を行い、広く現代史の専門家が検証を行うことが重要ではないのでしょうか。

長文で大変失礼いたしました。
電脳物流 | 2006/08/14 11:49 AM
普通、法務や刑事の筆跡判定の場合、大量のサンプルを元に、計量的統計的に行われるのではなかったでしょうか???
筆跡の癖だけでなく書かれた器具や状況に影響されやすいからでしょう。
ある文字の筆跡はどのような書かれ方の傾向を持っているのか、そこからどのように逸脱しているとみなせるのかは、前提としてたくさんのサンプルを必要とします。
電脳物流さんの上げられたサイトでは、あくまでわずかな字数の中でしか筆跡を検証していないので
鑑定人の主観的な(古いタイプ)の筆跡鑑定にしか思えません。
ですから、部分をみて断定している点では、肯定説も否定説も同類かと思われます。
某新聞社はその意味でも全体をしかるべき第三者に預けるべきでしょうね。

秦先生の靖国に関する著作とうまく符号する説だから自説の補強のために肯定しているけしからん学者だって書き込みをよくみかけるもので。
nansi | 2006/08/14 01:36 PM
書き忘れました。
統計的方法を用いても、長文の中の重要な一語を書き換えられてしまえば鑑定は難しくなります。
ですから裁判などでも、筆跡鑑定は補強証拠でしかなく、あくまで証拠全体の文脈の中で総合的に判断されます。
日記類で重要な部分で一語書き換えられただけでも大変なことになるのは容易に想像できます。
歴史家は筆跡鑑定よりも文章や文意の流れで自然な解釈を優先するようです。当然、あくまで解釈ですから、認めたくない人はいるでしょう。そこで議論になります。
しかし、解釈だけで押し通すから学者は主観的でけしからんってことになれば、最初の書き込みにあるように、一種の人格攻撃になるわけです。
現代史のメモランダム類で広範な筆跡鑑定自体を要した事例を私は寡聞にして知りません。
筆跡より重要なのは、むしろ保管状況や発見状況などでしょう。
(美術品なら箱書きに相当する)。
こちらについては、現皇族の立場を気にせず、むしろ自由に検証できそうなものです。
富田夫人に関するゴシップぽいことは承知しています。
nansi | 2006/08/14 02:08 PM
秦先生の人格を攻撃する方がいるのは嘆かわしいですね。

秦先生を貶めるかのような印象を私の投稿が与えたのだとしたら、意を尽くせなかった点を反省させていただきます

富田メモの保管状況や発見状況について公開されるべきとのnansiさまのご意見、大変よいと思います。

また、nansiさまのおっしゃる富田メモの全文をしかるべき第3者にあずけるという方法も検討されるべきでしょう

なお、引用させていただいた時事ブログ「グースの勿忘草」http://sky.ap.teacup.com/deep/188.html
さんについては、報道の公平を期するために富田メモは公開されるべきとのご意見で、日本経済新聞が情報を隠したままの状況の中で疑問点を指摘することで、富田メモの公開を促そうと努力されているものと理解しております。
私の引用の仕方が悪く「グースの勿忘草」さんの名誉を傷つけたのではないかと懸念し付言させていただきます

 ご存知のように秦先生のような歴史学者の方々の基本的スキルに史料批判があります。歴史学の研究で史料を用いるさいに、その史料の正当性をさまざまな面から検討することです。
 秦先生が従軍慰安婦問題を捏造した「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」の著者である吉田清治の偽証を証明されたのも、秦先生が「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」の史料批判を行い、済州島での調査という裏付けをとったためであると私は認識しております。
 従軍慰安婦問題に対する科学的論証において秦先生の功績は、学問的にも、社会的にも大変大きいものがあると考えます。

史料批判には外的批判と内的批判があります。

外的批判は史料の外的な条件を把握してゆくことで史料の正当性や妥当性を検証するものです。
検討される項目には以下のようなものがあります。
偽造や改ざんされたものでないかどうか(真偽)
その史料はどのように伝えられてきたか、そのように発見されたか(来歴)
オリジナルの史料かどうか、伝聞や引用ではないのか

富田メモの保管状況や発見状況については史料批判にうちで外的批判にあたると考えます

内的批判は史料の信頼性を検討し、史料の性格や価値を判断するものです。
信頼性というのは、記述者と書かれた内容の関係を考察し、記事の確かさを検証することです。
これは従来の史料との整合性の検証や記述された状況や記述者の性格や意図によって記述に偏りが生じていないかどうかの検証となります。
従来の史料との整合などを検討するのですから、当然解釈中心の検証作業が生じるはずです。
内的批判を行うことを非難していては史料批判はおこなえません
史料批判にかんしては史料批判をもって議論がなされるべきだと考えます。

今般、富田メモの検証において秦先生が公表されたのは内的批判にかんする成果であったと考えます

当然ながら歴史学者ではない方が内的批判を行ってはいけないということなどあるはずもないのですが、明確な外的批判の論拠や証拠が示されない限り、信頼性が低くならざるえません。
歴史読み物は科学性や客観性を有した歴史学には属さず、文学の領域に属します。

明確な外的批判の論拠や証拠が示されないなかで、日経新聞が秦先生の内的批判を文学者の方々のコメントと同列に扱ったことがいわれなき非難を呼んだものとかんがえます

富田メモに関して問題なのは、秦先生の史料批判における内的批判ではなく、史料を公開せず、恣意的な報道を行った日本経済新聞にあると考えます。

このような日本経済新聞の姿勢が富田メモの偽造や改ざんを取りざたさせるているのではないでしょうか

このため外的批判が必要であり、富田メモの公開が必要であると考えるのですがいかがでしょうか。
何らかの事情で公開がさけれるべきであるとの社会的合意が形成されるならば、nansiさまのおっしゃる富田メモの全文をしかるべき第3者にあずけるという方法も検討されるべきでしょう
電脳物流 | 2006/08/14 11:38 PM
富田メモ 
 遺稿を家族が公開したとは言っても、結果的には退職後も適用される守秘義務に違反した元長官に対し何の批判もなく、ましてどちらかに有利不利・政治問題化する事が明らかな天皇発言を、中共シンパの日経の依頼を受けて評論してしまう、この作家達や一応史学者の見識の問題は無視できません。
 
 上手く行けば分祀世論、もっと上手く行けば無責任・恩知らず・恥知らずな象徴天皇不信醸成・・・中共工作の一例ですかな?
福原 | 2006/08/15 06:26 AM
外的検証として不十分だから、即、内的検証も価値なし、とはならないわけですね。有難うございました。
nansi | 2006/08/16 04:55 PM
日経の富田メモの記事は、今年の新聞協会賞の有力候補らしい。
http://www.pressnet.or.jp/kyokaisyo/news022.html
 マスコミ総本山の日本新聞協会のウェブには、新聞全体の信用と権威を高めた記事に協会賞を与えるとある。
 公開せず、または信頼のおける専門家の検証もしないで記事が一人歩きし、政治には悪用されている。市民の間に真贋論争を引き起こしている現状を協会は知っているのか? 国民の知る権利にこたえていないものがジャーナリズムといえるのか。
 これまでの論議の視点を変える意味でも、新聞協会のこの記事に対する認識を引き出したい。候補に選んだ手前、こたえる責任があるのでは。協会の主導で、検証への道筋が開かれることを期待したい。
 新聞協会(editor@pressnet.or.jp   03ー3591−4402)
新聞協会へ 15日すぎたからこそ | 2006/08/17 09:53 AM
日経が中国に身も心も打っているのは社長の訪中隠匿(隠匿がすきだね)であきらかですが、不思議なのは、文春がどうして富田メモに絡むかですね。昭和史読み物の専門家で史料のつまみ食いを指摘されている方も文春出身ですし、立花隆も勝谷も文春系ですし、なんでだろ〜。富田メモや靖国参拝でびびったのか日経がネット批判をはじめました。IT革命をあおった過去は棚上げのようです。ということで日経さん早く富田メモをこうかいして〜
すみません。通りすがりです。 | 2006/08/17 07:13 PM

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スパイ防止法。 | 親父の威厳BLOG.ver | 2006/08/11 09:23 AM
『事情聴取の海自隊員自殺 中韓に無許可渡航』『開発中の最先端部品盗む ニコン元研究員ら書類送検』『元貿易会社社長きょうにも逮捕 北朝鮮へ凍結乾燥機不正輸出』
戦争が出来ないのは奴隷だ! | Empire of the Sun太陽の帝国 | 2006/08/12 09:41 PM
 (月間)文藝春秋が芥川賞発表と共に富田メモ擁護(本物説)の特集号を出している。
富田メモが日経記者の手に渡った時期について2つの情報の真偽は? | 橘正史の考えるヒント | 2006/08/19 02:07 AM
「昭和天皇」のご発言を書き留めたとされる、富田メモについて、未だに全容が公表され