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鈴木史朗さんが「南京大虐殺」のウソを再び語る

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dmenuTVより]

 アナウンサーの鈴木史朗さんが「南京大虐殺」のウソについて再び語っておられます。
 今日はそれを紹介します。
 
 拙ブログでは、鈴木史朗さんの寄稿(貴重な手記!)を過去、何度か紹介してきました。

11/12/17付:鈴木史朗さんが「南京大虐殺」は真実ではないと思う理由
15/8/10付:鈴木史朗さんの引き揚げ体験「私たちの財産を取り上げた中国が、いまも謝罪や賠償を求めてくるのは許せない」
16/1/25付:鈴木史朗さんが靖國神社のみたままつりで出会った“奇跡”と英霊への“お返し”

 いずれも「WiLL」に掲載されたものでしたが、今回は「正論」。
 2018年8月号(6月30日発行)です。
 
 「南京大虐殺」のウソ、中国からの引き揚げ時の苦労、戦後賠償の問題、「からくりTV」の「ご長寿クイズ」のあれこれ…、多岐に渡って話をされています。
 過去に紹介した記事と内容が重なっている部分もありますが、新たな記述も多数あります。

 慰安婦についてご長寿の皆さんからうかがった話とか。
 蒋介石が起こした「黄河決壊事件」とか。
 細かなことで言うと、鈴木さんの耳をほめてくれたのは、「WiLL」では単に「南京のある中国人」となっていたのが、今回は「媽太太(マータイタイ)と呼ばれていた素封家*の中国人の奥様」というふうに、より具体的になっています。

 *素封家とは民間の大金持ちのこと。

 「南京大虐殺」のウソに関する部分のみですが、書き起こしておきます。

※引用転載はご自由に。連絡不要です。但し誤字などに後日気づいて修正をすることが多々ありますので、必ずこちらのURLを添えておいて下さい。
※画像は冒頭を除き、こちらで付けたもので、今回の記事に掲載されたものではありません。



 書き起こしここから____________________________
 
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アナウンサー 鈴木史朗が語る
【無実の父は、中国に捕らえられた…】
南京大虐殺のウソと引き揚げの思い出


 鈴木史朗氏
 昭和13年京都市出身。37年TBSに入社。アナウンサーとして報道番組で活躍する一方で、『さんまのからくりTV』内の『ご長寿早押しクイズ』の司会者として人気を得た。


〈南京を訪れた経験〉

 私は昭和13年、南京攻略戦があった直後に生まれました。
 父が日中貿易会社を天津に設立、北京でも会社を営み、日本軍に軍事物資や援助物資などを届ける仕事をしていました。
 私はまもなく母とともに中国大陸に渡り、5歳の時に、父に連れられて南京を訪ねたことがあります。
 父の取り引き先か、援助物資を受けたのか、細かなことは定かではありませんが、ご縁のあった南京の素封家に招かれたのです。

 5歳の出来事でしたが、街の中心部に中華門と書かれたトンネルのような長い門があったことは明確に覚えています。
 暗くて長いトンネルを歩いて抜けると、露店がいっぱい並んでいました。
 子供心に「珍しいものばかり売っているなあ」と胸躍る思いだったことを鮮明に記憶しています。

 街は平穏そのものでした。
 平和で賑わいある街でした。
 街を歩いていて中国人から襲われるかもしれないから気をつけなさい、などといわれたことなどありません。
 「虐殺」が仮に行われていたのであれば、断片的にもそうした話を耳にするでしょうが、そんなことなど一度もありません。
 「虐殺」なんて意識したことすらありませんでした。
 だから「爪痕」なんて考えもしなければ、ありもしなかった。

 私が招かれた素封家には媽太太(マータイタイ)と呼ばれていた中国人の奥様がいました。
 体格もしっかりしていて皆に慕われ、威張ってもいる、日本でいえば肝っ玉母さんのような存在です。
 その媽太太が随分、私たちを歓迎してくれました。
 私を抱きかかえながら、おんぶまでしてくれて私の耳を「福耳だ」といって褒めてくれました。
 媽太太の耳には翡翠の飾り物があって私をあやすたびにちゃらちゃらと音がする。
 ほおずりまでしてくれました。

 とにかく現地の中国人の対日感情はとても良かったんです。
 それは日本兵の評判がとても良かったからです。

 日本兵は戦えば確かに強かった。
 それは私たちの世代には昔の大和魂がたたき込まれているからでしょう。
 ともかくやる。
 自分が死ぬことを恐れてはいかん。
 日本のために死ぬことは名誉だ、という意識が徹底されていました。
 でも勇敢ではあっても野蛮ではないんです。
 当時5歳だった私は当時から「自分もいずれは兵士になって出征して完全に玉砕したい」と願っていました。
 それが小さいころからの夢で、幼年学校に入りたいと思っていました。
 父はそんな私に「史朗、兵隊は強いことは大切だけれども、優しく思いやりがなければいけない」と繰り返していました。
 今でも心のどこかにそういう思いが宿っているように思います。

 日本兵が南京を攻略すると、むしろ逃げていた中国人がどんどん戻ってきていました。
 なかには自分で日の丸の腕章を作って、戻ってきたものもいたそうです。
 全然日本兵を怖がったりもしません。
 むしろ、これで安心できるという安堵の表情だったそうです。
 そういう感覚は北京と天津にいても同じでした。
 日本兵は中国兵と違ってどこに行っても現地の人に歓迎されたんです。
 
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[昭和12(1937)年12月17日撮影/「支那事変画報」大阪毎日・東京日日特派員撮影、第15集より/わが軍から菓子や煙草の配給を受け喜んで日本軍の万歳を叫ぶ南京の避難民/撮影者、佐藤振壽(毎日新聞カメラマン)]

 規律正しさにおいても庶民に対する態度にしても中国兵とはもう雲泥の差でした。
 女性へのレイプなどありません。
 衛生兵が病気の人を手当してくれたり、物も絶対に奪わない。
 物をもらうときは必ず軍票を渡して「あとでお金に換えることができるから」と言う。
 こうした光景が中国人にとっては信じられなかったんです。
 というのも中国兵は略奪もレイプも散々でしたから現地の中国人から嫌われていたんです。

 特に酷かったのは、脱走するときに中国兵は途中の村を襲って物は盗る、火を放つ、レイプもするで、中には死んだ日本兵の軍服、軍帽をかぶってやる者もいました。
 これは戦後、従軍された日本の兵隊さんから直接聞いた話ですが、日本の兵隊は怒っていました。

 黄河の堤防を蒋介石が決壊させて100万人が亡くなった、という大事件もありました。
 昭和13年の6月の出来事です。
 日本軍は進軍を中止し、救出に当たりました。
 あふれた水のなかに向こうの伝馬船を浮かべ日本兵が災害を受けた方を救っている写真をみました。
 まさに今で言えばPKO活動です。

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[日本軍に救出された避難民。『支那事変画報』33号、「皇軍の慈愛/宣撫班員の活動」より(毎日新聞社、昭和13年7月11日発行)]
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[被災地における日本軍の救助作業(同盟ニュース、昭和13年6月23日)]

 ところが、被災者600万人という大惨事を起こしたうえに蒋介石は日本軍がやった、と大宣伝したんですね。
 さすがに世界は信用しませんでしたし、現地では中国人も実際に日本兵を見ていますから、わかっているんです。
 中国人にとって脅威は何をしでかすかわからない中国兵だったんです。


〈濡れ衣が着せられていないか〉

 日本兵が女性をレイプしなかった理由は、規律が高かったからだけではありません。
 実は現地の衛生状態は決して良くなかった。
 性病や伝染病も懸念されていました。
 ですから慰安所が必要だったし設置されていたんです。
 性交渉で梅毒を患う恐れも十分ありましたからレイプなどはもってのほかでした。
 日本兵はレイプなど眼中になかったし、まずやらなかった。
 日本兵が女性を見たら手当たり次第に襲った、なんて話が流布され、今では真に受けている日本人もいますが、当時の日本兵は実に用心深かった。
 衛生観念が徹底していたんです。
 ですから、そんな話、当時を知る人間から見ると、荒唐無稽であり得ない話なんです。

 むしろ、中国兵が行ったことが日本兵がやったことに話がすり替えられている話も多いわけです。
 東中野修道先生が南京事件の写真検証をなさっています。



 あの手のニセ写真のなかには、例えば、通州事件で亡くなった日本人の写真を南京大虐殺で中国人が惨殺された証拠写真のように扱われていたものがありました。
 馬賊や匪賊を処断した写真もあります。
 処刑方法を見ると、どうみても中国式の処断方法だと思える写真ですが、それが日本兵による虐殺だとされているものもありました。
 相当な部分で中国兵による行いがなすりつけられていると思っています。

 私は終戦まで中国にいました。
 戦況をめぐる話もしばしば耳にしましたが、日本兵が南京で住民の人たちを虐殺した─などという話は全く聞いたことがありませんでした。
 南京で仮に虐殺があったのなら、何か断片的にもそうした痕跡を察知するはずでしょうが、それもない。
 それは今言われているような虐殺が南京であった、というのは全くの作り話だったからだと私は思っていますし、私が生きているうちに日本の兵隊さんの汚名をそそぎたいと思っています。


〈大変だった引き揚げ〉

〈中国こそ賠償してほしい〉

〈ご長寿との楽しい出会い〉

(以上省略。引き揚げの苦労、無実のお父さまが一時身柄を拘束された話、中国に財産を取り上げられた話については、15/8/10付書き起こしを参照)


〈史朗さん、聞いとくれよ〉

 これまでに番組(くっくり註:「からくりTV」の「ご長寿クイズ」)に参加してくださった1万2000人のうち、半分近いご長寿の方が兵士として日中戦争に参加されています。
 南京戦にも沢山の方が携わっておられます。
 収録の前後に私たちはいろいろな話をしますが、そのなかで「南京戦のことについて、どうしてもいいたいことがある」といってくるご長寿の方はかなりいらっしゃいます。

 一様に仰有るのは「俺たちはずいぶん歓迎されたよ」ということです。
 私が南京で感じたことや見聞きした話と何ら齟齬はありません。
 ご長寿の方のなかには、「兵隊さん頭刈ってあげるよ」と中国人から声を掛けられて路上で散髪してもらったとか、「いい判子を彫ってあげるよ」と声を掛けられてその判子は今でも大切に持っている─と話してくださった方もいます。
 多くの方が仰有るのが、「中国の人々は全然われわれを怖がらなかった。女性も子供もそうだった」という話です。

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[昭和12(1937)年12月20日 南京住宅街にて撮影/「支那事変写真全集(中)」と朝日新聞昭和12年12月25日より/支那事変写真全集(中)上海戦線 南京陥落後旬日(じゅんじつ)にして、早くも平和の曙光に恵まれた市中では、皇軍将士と共に玩具をもてあそんでたわむれる支那の子供達/撮影者、朝日新聞林カメラマン]

 「史朗さん、南京虐殺はないよ。
 だって、行ったときに兵隊はほとんどもうやっつけちゃったからいないし、市民たちは安全区に入っていたもんで日本兵が来たと言ったら『じゃあ大丈夫だ』といって戻ってくる南京の市民たちによく会ったよ」


 こうはっきり仰有ったご長寿の方もおられます。

 別の方からは
 「衛生兵として南京に入城し、逃げそこなった中国の若い負傷兵の怪我を手当して、近郊の実家に軍のトラックで送り届けたところ、大変感謝された。
 家宝の掛け軸をいただいて『是非戦争が終わったら来てほしい。歓待したい』と言われ、南京に行きたいのであります」

 と打ち明けられました。

 慰安婦についてもご長寿の皆さんから随分、いろんなお話をうかがいました。
 こんな話です。

 「鈴木さん、聞いとくれよ、あいつらは恵まれていたんだ!
 俺たちの間じゃ、“俺もなりたや慰安所の女、3食ごちそう昼寝付き 金はたっぷり家が建つ”って言われていたんだ。
 枕元にずだ袋があってさ、金と軍票がぎっちり詰まっているし、また威張ってんだよ。

 若い兵士は慰安婦を見ただけで終わっちゃうし、
 “ほら、洗って!”
 洗ったあとは
 “ほら乗って!”
 もうまるで上官に敬礼みたいに
 “失礼いたします”
 “お願いいたします”
 “はい。終わり”
 あっという間ですよ」

 このようにユーモラスに明るくご長寿の皆さんは話されていますが、きっと心のどこかに「慰安婦=性奴隷」などという主張に「それは違うよ!」と思ってらっしゃるように思えてなりません。

 「南京大虐殺」もそうでしょう。
 私自身が南京で直接吸った空気や見聞きした話と元兵士の皆さんの話には矛盾がありません。
 日本国内では「南京大虐殺」などなかった、という認識は相当知られるようになりましたし、かつて盛んに言われた、30万人虐殺などといった話は史実としても理屈としてもあり得ないという認識が浸透しました。

 ですが、今なおユネスコの世界の記憶に南京大虐殺をめぐる資料に登録された、といったニュースが伝えられるなど、当時現地にいらした元兵士の皆さんにとってはきっと心穏やかではないはずです。

 ご長寿クイズは20年を超えました。
 今でも年に1回続いています。
 私も80歳になり、今出演されるご長寿の皆さんは、私と同年代、従軍経験のない方々が増えています。
 元兵士の方がお出になることは減りました。
 少し寂しい気も致しますが、私は今までどおり、真面目に皆さまに楽しんでいただくという気持ちでやっていきたい。
 そして、ご長寿の方々が私に「史朗さん、聞いとくれよ」と言いながら語ってくれた慰安婦の汚名、南京の汚名をそそぎたい、そう思っています。




 ____________________________書き起こしここまで


 手前味噌ながら、補足を<(_ _)>

 「中国兵は略奪もレイプも散々だった」「敗走するときに中国兵は途中の村を襲って物は盗る、火を放つ、レイプもする…」というのは、もう非常に有名な話で、文献はたくさんありますが、拙ブログではたとえばこちらにまとめています。
12/2/27付:河村市長頑張れ&支那軍と支那人の特徴及び南京陥落前の大混乱

 中国兵自身がそれを証言している文献もあります。
 中国軍に「強制徴募」されて戦場に送られた青年の私小説です。
09/8/23付:GHQ焚書「敗走千里」より支那軍の実態

 「黄河の堤防を蒋介石が決壊させて100万人が亡くなった、という大事件」については、こちらにまとめました。
13/3/30付:支那人が支那人を殺す戦争!蒋介石の破壊と大虐殺


 あと、今回、書き起こしは省略しましたが、終戦の時(7歳)の話の中で、鈴木史朗さんはこういうことも語っておられます。

【…とにかく実感が湧かなかったんです。
 ただ、身の回りにいた中国人や朝鮮系の方々の態度が急に変わったことは覚えています。
 特に朝鮮系の方々の変わりぶりは豹変といっていいものでした。
 急に威張り出す者もいました。
 居丈高で傍若無人な振る舞いになる者もいました。
 日本人をみると竹やりを持って投げ付けてきたこともあります。
 幸い、子供でしたから私が襲われることはありませんでしたが、嫌な思いは随分しました。
 同級生のなかには訳もなく殴られた者もいました】


 日本が戦争に負けたら、あっという間に手のひら返し。
 定番ですね…(T_T)


 最後に……
 毎年、鈴木さんは靖国神社のみたままつりに「書」を奉納されていますが、今年はこちら。

「如何なる国も侵略出来ない強い日本になろう!!」
 鈴木さんがおっしゃると、重みが違いますね。

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デカ旗@tanikiri17さんのツイッターから画像拝借]

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※拙ブログ関連エントリー(鈴木史朗さん)
11/12/17付:鈴木史朗さんが「南京大虐殺」は真実ではないと思う理由
 テレビ局(TBS)の自主規制についても言及されています。
15/8/10付:鈴木史朗さんの引き揚げ体験「私たちの財産を取り上げた中国が、いまも謝罪や賠償を求めてくるのは許せない」
 中国だけでなく、その尻馬に乗って騒いでいる韓国の批判も。
16/1/25付:鈴木史朗さんが靖國神社のみたままつりで出会った“奇跡”と英霊への“お返し”
 みたままつり当日、体調がすぐれなかった鈴木さんに起きた奇跡。

※拙ブログ関連エントリー(「南京事件」と支那の民族性)
07/3/6付:「南京大虐殺」入門の入門
07/12/15付:新「南京大虐殺記念館」まだ30万人て言うとんのか!
09/1/10付:日本の昔のお正月について調べてたはずが大脱線(笑)
09/4/14付:ある老兵士の孤独と嘘(細切れぼやきも)
09/8/23付:GHQ焚書「敗走千里」より支那軍の実態
10/11/16付:尖閣問題を考える上での具体例を77年前の本に学ぶ
10/12/7付:支那人の民族性を考える上での具体例を77年前の本に学ぶ
11/2/5付:支那五千年の殺戮の歴史の集大成「三十六計」
12/2/27付:河村市長頑張れ&支那軍と支那人の特徴及び南京陥落前の大混乱
12/7/7付:昭和21年7月南京・元日本兵の証言&米国高校副読本「虐殺40万人」
13/3/30付:支那人が支那人を殺す戦争!蒋介石の破壊と大虐殺
13/4/10付:西川京子さんが衆院予算委で「従軍慰安婦」「南京大虐殺」の虚構と自虐史観に侵された入試問題について語ってくれました(中山成彬さん質疑まとめ付き)
14/9/22付:本多勝一が“誤用”を認めた南京事件捏造写真&「中国の旅」と支那人体験記の残虐記述がそっくりな件
16/12/3付:朝日新聞“南京大虐殺”虚報と東史郎のニセ証言




okirakubanner.jpg「お気楽くっくり」更新済
 昭和56年夏の甲子園…。

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竹島に関する動画:英語版(Takeshima - Seeking a Solution based on Law and Dialogue

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Comments

1945年の敗戦で、敗戦国の日本にはどのようなことを言ってもいいという不文律が設定されているのが歯がゆいのです。
この設定を破棄しない限り、どのような正論も受け入れてもらえないでしょう。

国内のいじめの報道を見てもわかる通り、主導権を持っていない場合は教育委員会やマスコミからも無視されます。

だからマスコミや文化人は世界の主流派に受けが良いような言動をするのでしょう。しかし、正しくなければ気色悪いだけです。日本のマスコミや文化人や野党のダメさは、他人の正しさで動いていて自分の正しさで動いてないからだと思いますし、そう見えます。

今の日本はいじめられっ子がいじめを学校や教育委員会や警察に訴えても無視あるいは虚言として非難されている状況で、大変遺憾ではあります。
ただ、力を涵養して潮目が変わった時に堂々と行くべきだと思います。

今の世界はあまりに醜く腐っているので、行動を起こすにも注意が必要でしょう。
しろぎつね | 2018/08/25 11:10 PM
戦争はしてはいけない。
でも、始まってしまったら「どんな事をしてでも」勝たなくてはならない。
これが戦争だと思います。
fine | 2018/08/27 12:52 AM

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