-言葉の力 - PRAY FOR JAPAN&朝日新聞縮小版東日本大震災
『PRAY FOR JAPAN ‐3.11世界中が祈りはじめた日‐』より。
東横線の車掌さん、
アナウンスで
「大変なことになってますが、
ここが頑張りどころです。
みんなで力を合わせて乗り切りましょう!」と。
たぶん、マニュアル外だと思う。
素敵だ(^^)
@sumogoma
未来の歴史の教科書に
「この大地震で壊滅的な被害を受けたが、
日本は見事に立ち直っていった。」
というふうに書かれていてほしいです。
@dragons4320
亡くなった母が言っていた言葉を思い出す。
「人は奪い合えば足りないが分け合うと余る」。
被災地で実践されていた。
この国の東北の方々を、日本を、誇りに思います。
@yoshi0miyu
中三の少年と父親が自転車で、
知り合いたちの安否確認のために移動していた。
たぶん震災前は、少年も父に繰り返し反抗していたのだろう。
だが、父は父として力強く、少年は、そんな父を慕っていた。
苦難の中では大人の経験が頼りになる。
被災地の父よ、母よ。
子どもたちに未来を引き継いで欲しい。
@momoikazuma
仙台の友の言葉。
「暗すぎて今までに見たことないくらい星が綺麗だよ。
仙台のみんな、上を向くんだ」
こんなくさいセリフが心に突き刺さった。
@ryoji96
じいちゃんが電話で言っていた。
「お国のために電気を消すのも
燃料を節約するのも全く苦ではない。
今回は空から爆弾が降ってくるわけではない。
放射能で汚染された野菜も米も肉も
誰かが一生懸命作ったものに変わりない」
号泣しました。
@Masaiiiii
今まで以上に
力強い国になりますように。
皆が優しく分け合う心を
持ち続けていられますように。
一人の力ではどうにもならないことでも、
多くの人の知恵と力で
共感・共鳴の輪が広がっていきますように。
オビナタ ナオマサ
皆さんとっくにご存知でしょうが、いちおう説明を。
ツイッターやフェイスブックを通じてWeb上に寄せられたメッセージを集めたサイト『prayforjapan.jp』。大学生の男性が東日本大震災発生の夜、栃木北部の停電中の一時避難所で立ち上げました。
それを「本」という形で「10年後も20年後も、親から子どもに語り継がれるものを作りたい」ということで生まれたのが、この『PRAY FOR JAPAN ‐3.11世界中が祈りはじめた日‐』です。
ちなみにこの本では、1つ1つのメッセージ全てに英訳文が添えられています。
「言葉の力」とよく言いますが、こんな未曾有の地震や津波に襲われて、家族や大切な人を失ったり、住まいや職場を失ったり、明日の食事すらどうなるか分からず、寒さに震えてる、そんな切迫した状況にいる被災者の方々に、果たして「言葉」は届くものなのだろうか?
私と同じようなことを考えた方は、大勢いらっしゃるのではないでしょうか。
関東大震災の時にもこの種の議論はあったそうです。
産経新聞5/9付【国語逍遥】で、清湖口敏氏(せこぐち・さとし。産経新聞東京本社編集局校閲部長)が紹介しています。
内容を要約しますと……
関東大震災で被災した文壇の大御所・菊池寛は、文芸の無力を嘆き、こう記しました。
「生死の境に於ては、ただ寝食の外必要のものはない。食うことと寝ることだ」
「『パンのみに生くるものに非(あら)ず』などは、無事の日の贅沢だ」
小説家の広津和郎は、そんな菊池寛にこう反論しました。
「火に責められているものには水こそ救いであり、餓(うえ)に泣いているものにはパンこそ救いであり、それと全く同じ意味で、芸術の渇きを感じているものには、芸術こそ救いである。それは別々に考えなければならない」
清湖口氏はあらためてこの一節を読み返しつつ、再確認したそうです。
生死の境においては水も食料も確かに重要ではあるが、それでも切実に「言葉」を待っていた人もいたろうし、「言葉」によって生きる力を取り戻した人も少なくなかったに違いない、と。
そして、実際に、今回の震災報道においても、人の命を助け、沈む心を奮い立たせるような魂の響きにあふれた言葉がしばしば目についた、と。
清湖口氏は、真の「国語力」とは単に漢字や語彙の知識量を問うものではなく、相手の胸底をふるわすような情緒をいかに伝えられるかにかかわるものだと指摘します。
文化庁「国語に関する世論調査」(平成20年度)でも、「美しい日本語とはどのような言葉か」との質問に対し、「思いやりのある言葉」との回答が断然の最多となっているそうです。
とは言うものの、日本中から、また世界中から寄せられたネットのメッセージを読んで、「感動した」「勇気をもらった」と言っているのは、大多数が被災を免れた人たちで、被災地から遠く離れた安全で暖かい場所でそれを読んでいるのでは?(私もその一人)と私は思っていました。
でも、中にはこのようなメッセージも届いていることを知って……
被災地からです。
みんなの声がちゃんと届いてる!
そして隣のひとと泣いている。
ありがとう。
すぐそこでは、遺体が何百人とうちあげられてる状況に悔しいだけ。
また悔しくて泣く。
こんなに悔しいのは人生で一番。
とにかく皆の声に支えられてる!
ao
……ああ、被災地にはやはり、「言葉」を待っていた人たち、「言葉」によって生きる力を取り戻した人たちも確かにいたのだ、と。
そして現在も、未来にも、そういう人たちはきっといるのだと。
この『PRAY FOR JAPAN ‐3.11世界中が祈りはじめた日‐』という本は、ネットの『prayforjapan.jp』から厳選されたメッセージを掲載してあるだけあって、どの言葉にも「相手の胸底をふるわすような情緒」が感じられます。
ネットでご覧になった方も、まだご覧になってない方も、よろしかったらご購入下さい。
印税は全額、復興のための寄付にあてられるそうです。
誰かに頑張って欲しいと願うなら、
100回「頑張れ」と言うよりも、
自分が1回頑張った方が伝わる。
私たちが、頑張ろう。
@etoile_22S1
被災された方々の本当の気持ちというものは、被災しなかった私には分かりません。ましてや気持ちを共有するなんてとても無理でしょう。
そこのところはわきまえながら、それでも同じ日本国民として彼らに思いを馳せ、自分にできることを今後もやり続けていきたいです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この本も買いました。
『朝日新聞縮刷版 東日本大震災 特別紙面集成2011.3.11〜4.12』
朝日新聞(だけではないですが)は自衛隊の扱いがものすごく小さい、今回の震災報道でも相変わらずだ、とあちこちで聞くので、どこまで小さいのかなという興味もあって購入。
3月12日朝刊から4月12日夕刊の震災関連紙面が全部載っているだけあって、本文だけでも653ページ。電話帳並みの厚さと重さ。
震災記録資料としての価値は十分あるとは思いますが、自衛隊の扱い、ほんとーーーに小さいですね。
ある程度予想していたとはいえ、産経購読者から見ると本当に違和感を覚えます。
福島第一原発3号機に陸自のヘリが空中放水を試みた時(3/17・18付)は、さすがにヘリの写真入りで大きく報道していますが、あとはほとんど取り上げてませんし、取り上げてもベタ記事扱い。
現場で身を粉にして働いている自衛隊の方々の存在が全く伝わってきません。「顔」が全く見えてこないのです。
たまーに生身の自衛隊員の写真が出てきたと思ったら、死者・不明者数を伝える記事に添えてあるだけで、しかもキャプションがなければ自衛隊員とは分かりづらい(3/16付)。
あるいは記事とは関係なく、脈略なく写真だけ載せてあるとか。しかもこんな米粒みたいな写真。これもキャプションがなければ自衛隊員とは気づかない(3/26付)。
他に驚いたのは、3/23付に「米空母・ヘリに同乗」ってことで米軍の活動のリポートが写真入りで載ってるんですが、……あれ?我が自衛隊のリポートは?
自衛隊の特集記事が出たのはその4日後の3/27付。「自衛隊10万人奮闘」ってことで写真入りで出てますが(やっと「顔」が見えた!)、スペースは3/23付の米軍リポートの半分程度しか取られてませんでした。
あと、自衛隊とは違う話ですが、かつ、ずっと昔からのことなんですが、何でこの新聞は「国民」を「市民」と言い換えるんでしょう?
例えば3/21付社説【震災から10日 人の強さを信じて進む】では……
「想定を超える事態に混乱も起きている。だがその働きぶりに思うのは、幾多の災害を経て蓄えた教訓が、多少なりとも生きているということだ。被災地から遠く離れて暮らす市民も無関係ではいられない」
「政府が積極的に情報開示をすべきなのは言うまでもない。市民もまた、冷静に事態を受け止め、自律する力が、求められているのだ」
「全国の自治体で被災者を受け入れる動きが広がる。胸裂かれる思いでふるさとを離れた人を、どう迎えるか。それぞれの町で市民にできることが、格段と増えている」
「熱き心と冷たい頭で、市民社会のしなやかさが問われる」
……と、こんな具合。
私が「国民」という言葉に馴染んでいるからってこともあるのでしょうが、あまりにも「市民」「市民」と連呼されると、対象範囲がすごく狭く感じるというか、これって日本国民全体に向けられたものでなく、限られた地方の人たちに向けられたメッセージなの?って、大袈裟でなくそんな錯覚にすら陥りそうです。
古くからの読者様はご存知でしょうが、拙ブログでは以前、朝日新聞のツッコミをよくやってました。
・現ブログ>朝日新聞カテゴリ
・旧ブログ>朝日新聞カテゴリ
慰安婦捏造問題、NHK圧力改変捏造問題は言うに及ばず、時には社説を丸々1本パロディにしてみたり。
UPから4年半も経つというのに、朝日新聞の捏造・放火の歴史へは未だに多くのアクセスをいただいています。
が、あまりにもワンパターンすぎる朝日の所作に徐々に興味を失い、ここ数年は社説すらまともに読んでません。
それできっと免疫力が落ちてたんでしょうね。今回この縮小版を一気に斜め読みして、「市民」という言葉に違和感を覚えると同時に、嫌悪感もものすごく湧いてきました。
そんなにも「国民」という言葉(というか「国」を意識させる言葉)が嫌いなのか!と。
それでも平時の記事だったら、ここまで気にならなかったかもしれません。
が、何しろ今は「国難」ですから。
「国難」と「市民」って言葉の組み合わせは、どうにもしっくり来ません。
先ほど紹介した『prayforjapan.jp』に絡めて言うと、「言葉の力」というものを全く感じないのです。
ついでに言えば、この「国難」の時に、政権の重要ポストに「市民運動家」出身の政治家が多いってことも、大いにしっくり来ないんですけどね。
そして彼らからも同様に、「言葉の力」は全く感じない。
……って、今さら言うまでもないか(^^ゞ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※拙ブログ関連エントリー(震災関連から抜粋)
・3/15付:【東日本大震災】外国人から見た日本と日本人(22)
・3/22付:【東日本大震災-2】外国人から見た日本と日本人(23)
・3/28付:【東日本大震災-3】外国人から見た日本と日本人(24)
・4/2付:天皇皇后両陛下が避難所ご訪問 このような方々を戴けた日本人の幸運
・4/4付:独特の災害史観を持つ日本人は何度も立ち向かい乗り越えてきた
・4/16付:【東日本大震災-4】外国人から見た日本と日本人(25)
・4/18付:東北のものづくり産業を守れ!
・4/23付:画像で見る東日本大震災 - 希望 -
・4/25付:【東日本大震災-5】外国人から見た日本と日本人(26)
・5/2付:3月11日に天皇皇后両陛下がなされた事
・5/9付:保守系識者諸氏が見た震災(1)
【募金受付まとめ】東北地方太平洋沖地震 被災地に手助けを!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■「お気楽くっくり」更新済
最近何か芸能界の訃報が多いような…。
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英語・中国語・韓国語版もあります。ダウンロードはこちらから。コピーフリーです。世界に広めましょう!
「島根県の竹島英文ページを検索に引っ掛かり易くする作戦」もよろしく。
takeshima dokdo dokto tokdo tokto
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それを「本」という形で「10年後も20年後も、親から子どもに語り継がれるものを作りたい」ということで生まれたのが、この『PRAY FOR JAPAN ‐3.11世界中が祈りはじめた日‐』です。
ちなみにこの本では、1つ1つのメッセージ全てに英訳文が添えられています。
「言葉の力」とよく言いますが、こんな未曾有の地震や津波に襲われて、家族や大切な人を失ったり、住まいや職場を失ったり、明日の食事すらどうなるか分からず、寒さに震えてる、そんな切迫した状況にいる被災者の方々に、果たして「言葉」は届くものなのだろうか?
私と同じようなことを考えた方は、大勢いらっしゃるのではないでしょうか。
関東大震災の時にもこの種の議論はあったそうです。
産経新聞5/9付【国語逍遥】で、清湖口敏氏(せこぐち・さとし。産経新聞東京本社編集局校閲部長)が紹介しています。
内容を要約しますと……
関東大震災で被災した文壇の大御所・菊池寛は、文芸の無力を嘆き、こう記しました。
「生死の境に於ては、ただ寝食の外必要のものはない。食うことと寝ることだ」
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小説家の広津和郎は、そんな菊池寛にこう反論しました。
「火に責められているものには水こそ救いであり、餓(うえ)に泣いているものにはパンこそ救いであり、それと全く同じ意味で、芸術の渇きを感じているものには、芸術こそ救いである。それは別々に考えなければならない」
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そして、実際に、今回の震災報道においても、人の命を助け、沈む心を奮い立たせるような魂の響きにあふれた言葉がしばしば目についた、と。
清湖口氏は、真の「国語力」とは単に漢字や語彙の知識量を問うものではなく、相手の胸底をふるわすような情緒をいかに伝えられるかにかかわるものだと指摘します。
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とは言うものの、日本中から、また世界中から寄せられたネットのメッセージを読んで、「感動した」「勇気をもらった」と言っているのは、大多数が被災を免れた人たちで、被災地から遠く離れた安全で暖かい場所でそれを読んでいるのでは?(私もその一人)と私は思っていました。
でも、中にはこのようなメッセージも届いていることを知って……
被災地からです。
みんなの声がちゃんと届いてる!
そして隣のひとと泣いている。
ありがとう。
すぐそこでは、遺体が何百人とうちあげられてる状況に悔しいだけ。
また悔しくて泣く。
こんなに悔しいのは人生で一番。
とにかく皆の声に支えられてる!
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……ああ、被災地にはやはり、「言葉」を待っていた人たち、「言葉」によって生きる力を取り戻した人たちも確かにいたのだ、と。
そして現在も、未来にも、そういう人たちはきっといるのだと。
この『PRAY FOR JAPAN ‐3.11世界中が祈りはじめた日‐』という本は、ネットの『prayforjapan.jp』から厳選されたメッセージを掲載してあるだけあって、どの言葉にも「相手の胸底をふるわすような情緒」が感じられます。
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朝日新聞(だけではないですが)は自衛隊の扱いがものすごく小さい、今回の震災報道でも相変わらずだ、とあちこちで聞くので、どこまで小さいのかなという興味もあって購入。
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現場で身を粉にして働いている自衛隊の方々の存在が全く伝わってきません。「顔」が全く見えてこないのです。
たまーに生身の自衛隊員の写真が出てきたと思ったら、死者・不明者数を伝える記事に添えてあるだけで、しかもキャプションがなければ自衛隊員とは分かりづらい(3/16付)。
あるいは記事とは関係なく、脈略なく写真だけ載せてあるとか。しかもこんな米粒みたいな写真。これもキャプションがなければ自衛隊員とは気づかない(3/26付)。
他に驚いたのは、3/23付に「米空母・ヘリに同乗」ってことで米軍の活動のリポートが写真入りで載ってるんですが、……あれ?我が自衛隊のリポートは?
自衛隊の特集記事が出たのはその4日後の3/27付。「自衛隊10万人奮闘」ってことで写真入りで出てますが(やっと「顔」が見えた!)、スペースは3/23付の米軍リポートの半分程度しか取られてませんでした。
あと、自衛隊とは違う話ですが、かつ、ずっと昔からのことなんですが、何でこの新聞は「国民」を「市民」と言い換えるんでしょう?
例えば3/21付社説【震災から10日 人の強さを信じて進む】では……
「想定を超える事態に混乱も起きている。だがその働きぶりに思うのは、幾多の災害を経て蓄えた教訓が、多少なりとも生きているということだ。被災地から遠く離れて暮らす市民も無関係ではいられない」
「政府が積極的に情報開示をすべきなのは言うまでもない。市民もまた、冷静に事態を受け止め、自律する力が、求められているのだ」
「全国の自治体で被災者を受け入れる動きが広がる。胸裂かれる思いでふるさとを離れた人を、どう迎えるか。それぞれの町で市民にできることが、格段と増えている」
「熱き心と冷たい頭で、市民社会のしなやかさが問われる」
……と、こんな具合。
私が「国民」という言葉に馴染んでいるからってこともあるのでしょうが、あまりにも「市民」「市民」と連呼されると、対象範囲がすごく狭く感じるというか、これって日本国民全体に向けられたものでなく、限られた地方の人たちに向けられたメッセージなの?って、大袈裟でなくそんな錯覚にすら陥りそうです。
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慰安婦捏造問題、NHK圧力改変捏造問題は言うに及ばず、時には社説を丸々1本パロディにしてみたり。
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が、あまりにもワンパターンすぎる朝日の所作に徐々に興味を失い、ここ数年は社説すらまともに読んでません。
それできっと免疫力が落ちてたんでしょうね。今回この縮小版を一気に斜め読みして、「市民」という言葉に違和感を覚えると同時に、嫌悪感もものすごく湧いてきました。
そんなにも「国民」という言葉(というか「国」を意識させる言葉)が嫌いなのか!と。
それでも平時の記事だったら、ここまで気にならなかったかもしれません。
が、何しろ今は「国難」ですから。
「国難」と「市民」って言葉の組み合わせは、どうにもしっくり来ません。
先ほど紹介した『prayforjapan.jp』に絡めて言うと、「言葉の力」というものを全く感じないのです。
ついでに言えば、この「国難」の時に、政権の重要ポストに「市民運動家」出身の政治家が多いってことも、大いにしっくり来ないんですけどね。
そして彼らからも同様に、「言葉の力」は全く感じない。
……って、今さら言うまでもないか(^^ゞ
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※拙ブログ関連エントリー(震災関連から抜粋)
・3/15付:【東日本大震災】外国人から見た日本と日本人(22)
・3/22付:【東日本大震災-2】外国人から見た日本と日本人(23)
・3/28付:【東日本大震災-3】外国人から見た日本と日本人(24)
・4/2付:天皇皇后両陛下が避難所ご訪問 このような方々を戴けた日本人の幸運
・4/4付:独特の災害史観を持つ日本人は何度も立ち向かい乗り越えてきた
・4/16付:【東日本大震災-4】外国人から見た日本と日本人(25)
・4/18付:東北のものづくり産業を守れ!
・4/23付:画像で見る東日本大震災 - 希望 -
・4/25付:【東日本大震災-5】外国人から見た日本と日本人(26)
・5/2付:3月11日に天皇皇后両陛下がなされた事
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Comments
>>他に驚いたのは、3/23付に「米空母・ヘリに同乗」ってことで米軍の活動のリポートが写真入りで載ってるんですが、……あれ?我が自衛隊のリポートは?
言い古された事だけど、サヨク(朝日)の人は米軍をウルトラマンだと思ってるんでしょうね。
普段は、必要最小限の警察力(名前も科学特捜隊ですし)だけもってて、大きな敵が来たら星(海)の彼方からヒーローが無償の助けをくれる。
こんな状況に、そしてこんな国になってしまっても、まだそんな夢物語に引き込んで現実を見ようとしない。
この国難の時、イデオロギー云々は一時棚上げにしても、
日本の本当の宝『子供たち』の未来を考えたら、本当は何を信じて何をするべきか見えて来るはずだと思うんですが...
何で彼等には見えて来ないんでしょうかねえ。
市難の時とはいいませんねぇ
至難の時かしらん
おそまつm(_._)m
怒りや嫌悪感はPBことトニー・マラーノ氏が
ある種の左巻きを「コミュニスト」と呼んで唾棄
している事に通じるものがありましょうね。
トニーさんに言わせれば朝日新聞の類とは
米国社会を根底から覆そうと画策する存在
なんでしょうね。つまり民主主義を破壊しよう
とする存在であると。
朝日新聞は、高校生には読ませたくないです。あまりに歴史の捏造が多すぎます。多くの教科書が「市民」の言葉を使っているようです。
地球市民だとか言っているが、実際に東日本で災害を被ったのは国民であり、日本国の助けを必要としている人々です。
いつも個別にレスを差し上げられず申し訳ありません。
skydogさん:
>そういえば5年前でしたね。朝日新聞さんが「私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言 朝日新聞」なんってキャンペーンしていたのは。
ああー!これだったんですね。実は自分で記事書いてる間、「言葉の力」という文言に何かすごくデジャビュを感じてたんです。しまったー!(^_^;
パンやカップ麺など、むしろ変わった食料の分類。
しかし、居住地居住空間はそれとは別、
人災は否定できません、今となっては尚更。
真実は、今月中に必要な仮設住宅のすべてが完成可能でした。
言葉の力は、プラスにもマイナスにも働くので、私には被災者の方々にかけられる言葉はないなあ……というのが、個人的な実感です。阪神淡路の時、被災した友人にかけた言葉、かけられなかった言葉……今でも振り返って思うこと多し、です。
ただ、「元気な関西が、私たちが頑張るからね!」とは伝えたいかな。今はそれだけでしょうか。
むしろ言葉をぶつけたい相手は別のところにいますからねえ!永田町とか首相官邸とか国会議事堂とか!言葉程度では全く感じも動じもしないハリボテどもですが!今ほど言葉がそのままナイフになればと思ったことはありません。自分で言うのもなんですが、殺傷能力抜群の刃物になること間違いなしですのに。口の悪さには定評がありますから!(笑)
優しい言葉に篭められた温かい気持ちが、どうか被災者の心に届きますように。
直接捜すにもガソリンが無くて、移動は自然に制限されます。車社会ですから、致命的です。
リアルでもネットでも、とても心配されました。
無事の一言を発する事が出来なかったのは苦しかったです。
悩みましたが、コメントさせてもらいました。
海外に出れる自分たちは何ジンなんですか..
ホントに市民運動家と政治家ってアプローチが全然逆なような。
===========================
停電すると、それを直す人がいて、
断水すると、それを直す人がいて、
原発で事故が起きると、それを直しに行く人がいる。
勝手に復旧しているわけじゃない。
俺らが室内でマダカナーとか言っている間
寒い中、死ぬ気で頑張ってくれている人がいる。
=====================
まだ私が子供のころ、夜、近所で電柱に落雷があり、停電したことがありました。まだゴロゴロ雷鳴が響き、雨が降り続く中、電力会社の人が電柱に登って修理してくれました。
子供ながらに「すごいなー」と感心した覚えがあります。
数年前の福知山線の事故の後も、毎日時間通りにやってくる電車(反対方向の電車が駅を出発してカーブを曲がった頃に、こちら側の電車がカーブを曲がってやってくる)に対して、その当たり前のことが非常に尊いと感じました。
JR西日本も、東電ももちろん被害を出したことは責めを負うべきですし、それを庇う気持ちはありませんが、一方で、私たちが受けた、そしてまた今後受け続けるであろう恩恵がある事も忘れてはいけないことだと思います。
案の定ありませんでした。(がんばろう宮城、くらいはありました)
こんな時でも日本が一つになるのは嫌なようです。
百人斬り裁判から南京へ
これを読んで朝日が屑以下の新聞だと知りました。
この本の中には、朝日新聞の捏造記事が原因で、汚名をきせられ中国で銃殺された向井、野田中尉の遺書が書かれています。
もし書店でこの見つけたら12ページを読んでください。
2人の写真は、今も南京大虐殺記念館にあります。
「市民、市民」と記事に練りこむような朝日新聞の論者には、一生分からないでしょうね。