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朝鮮総督府官吏だった野伏翔監督の父「気を遣っているのはいつも日本人の側だった」

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 月刊「正論」に『シリーズ対談 日本が好き!」という連載があります。
 ジャーナリストの井上和彦さんが、各界(主として芸能界)の方々にインタビューするというもの。

 辛坊治郎さん、桂ざこば師匠、フィフィさんなど、“番組つながり”と思われる方も多いですが、ひし美ゆり子さん、桜井浩子さんといった女優さんや、お笑いのスギちゃんも登場したことがあります。

 2017年5月号(第13回)は、演出家で映画監督の野伏翔さんでした。
 
 野伏翔さんは、1982年に劇団夜想会を設立。
 これまでの演出作品は50作品を超え、拉致問題をテーマにした舞台劇『めぐみへの誓い』は全国各地で上演されています。

 野伏さんによると、こうした保守系の作品にマスコミは冷淡だそうです。
 『めぐみへの誓い』は、私の地元・大阪でも今年2月に上演されたそうですが、メディアで取り上げられたことは皆無に近かったと思います。
 拉致問題に敏感である(と自負する)私ですら、今回の記事を書くためにネットを検索していて、偶然知ったぐらいですから。


 今日、特に紹介したいのは、野伏さんのお父さんの話です。
 お父さんは、朝鮮総督府にお勤めだったそうです。
 そのあたりのやりとりを引用。


 引用ここから_________________________________

野伏 祖父が職業軍人だったんです。祖父は「陸軍に永田あり」「永田の前に永田なく、永田の後に永田なし」などといわれた永田鉄山と幼年学校、陸軍士官学校の同期だったんです。永田からの手紙などうちに普通にありましたからね。ですから、そういう子供のときの環境はありますね。
 父親と母親は朝鮮からの引き揚げ者で、父親は総督府、母は馬山から帰ってきてお見合いで結婚したんです。

井上 朝鮮総督府にお勤めになっていたんですか。それは超エリートじゃないですか。

野伏 父は下っ端のほうだったらしく、エリートでは決してありませんでしたが、祖父はシベリア出兵後の軍縮で軍人をやめてからも京城帝国大学に就職、軍服を着たまま、日本史と戦史を教えていたそうです。肩書きは日本史の講師。さぞ皇国史観だったことでしょう。

井上 いや、それはすごい(笑)。

野伏 うちの親父は、小説家を志望する文学的な人で実際、何冊か小説を書いていました。恐らく軍人である自分の父に対して、ある種の反抗心があったと思うんです。ただ、戦後のどさくさの中のそれも引き揚げ者でしたから、食べていくので精一杯という時代だったのでしょう。小説家という夢は諦めざるを得なかったようです。
 その父からはずいぶんいろんな話を聞きました。朝鮮人というものはどういう民族だったのかといった話もよく聞かされました。当時の朝鮮総督府には上司にも朝鮮人がいっぱいいて、下にもたくさんいた。違和感など全然なかったし、差別など、どちらかというと気を遣っているのはいつも日本人側だったといいます。すごくいい人も確かにいたそうです。
 誤解されている人が多いですが、朝鮮統治時代のいわゆる県知事にあたる方々にしても三分の一は現地の朝鮮人で警察官だって半分以上は向こうの方なんです。
 「従軍慰安婦」の問題が持ち出されたころ、父はまだ生きていましたからよく「冗談じゃない。そんな馬鹿な話ありえない」「そんなことが実際あったら、われわれは殺されちゃったよ、周りから」と言っていました。
 私は昭和二十七年生まれですから、両親たちが身ぐるみ剥がされて帰ってきたあと生まれたわけです。両親から引き揚げのころのいろんな話を聞きましたが、ただ、今言われているほど悲惨な話ばかりでは決してなくて、いい話もあるんです。馬山では韓国人が自警団までつくって母の家族を守ってくれて、ちゃんと日本に送ってくれた話とか。そうした話だってちゃんとあるんですよ。

 _________________________________引用ここまで


 日本統治時代の朝鮮において、議員や県知事や警察官など公職に就いていた朝鮮人の割合は意外と高く、要職を務めた朝鮮人も少なくありませんでした。
 このことは、かつて中山成彬さんも国会で取り上げてくれました。

当時の朝鮮の道議会選挙、当選者の8割以上の人が朝鮮人。忠清南道の知事は初代、6代、8代、9代、10代、昭和20年に至るまで全部朝鮮人。他の道も同じようなものでした。この大田警察、ナンバー2の警部、高等刑事も朝鮮人。このような体制で、官憲の強制連行は考えられないんじゃないですか】

13/3/8付:中山成彬議員が衆院予算委で日本の真の朝鮮統治(インフラ整備、創氏改名、慰安婦など)を語ってくれました

 ↓画像はクリックで拡大表示されます。

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 あと、引き揚げの際に日本人に良くしてくれた朝鮮人も、数は少なかったでしょうが確かに存在していました。
 たとえば「竹林はるか遠く-日本人少女ヨーコの戦争体験記」でも紹介されています。

13/8/19付:韓国系が排斥する「竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記」を読みました



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 朝鮮総督府で官吏(役人)として働いていた日本人の証言はたくさん残されています。
 拙ブログでもこれまで、慰安婦問題に関連する形で証言をいくつか紹介したことがありますので、プレイバック。


★西川清さん
 大正四年、和歌山県田辺市生まれ。昭和12年(1937)から終戦まで朝鮮総督府の官吏として勤務。
●役所の中では、基本的に日本語で話していたが、朝鮮人同士は日本語か朝鮮語。自然なことだから、誰かが何か言うこともなかった。「朝鮮語を使うな」なんて言うこともなかった。

●「内鮮一体」ということは過去には差別があったということでもある。それを否定するつもりはない。しかし、差別を日本人は無くそう、朝鮮人も同じ権利にしようと努力していた。この努力を日本人は懸命にしていた事実を知ってほしい。

●徴用は強制だったが内地の日本人と同じ。朝鮮では徴用されても行かなかった人もいた。私の前の担当者は割り当ての人数を集められなかった。私は割り当て人数分を集めた。「こういう徴用をするのでどうか協力してください」と、面長(村長)や関係者にきちんと説明をして、本人にも納得するように説明してもらった。きちんと、日本に行って、日本人と同じ仕事をして、賃金もきちんと貰えると、係官に説明してもらった。

●創氏改名や徴用などは總督府の正式な行政手続きを踏んだもの。創氏改名は強制ではない。強制ならば總督府からの指令があったはず。總督府は「創氏改名は自由である」とはっきり言っていた。道庁の朝鮮人官吏でも創氏改名しない人は沢山いた。半数以上はそうだった。もし命令があったなら、朝鮮人官吏は真っ先に改名しなければならなかったはず。

●こうした總督府の組織、命令系統を理解した上で言えば、慰安婦連行を行政機関が命令させたということは、絶対ない。不可能なこと。女衒(ぜげん)は朝鮮人がやっていた。どこに娘がいて、どこに売るかとなれば、朝鮮人でなければできない。日本人がいきなり行って、言葉も土地もよく知らぬままではできない。

●朝鮮軍司令部も、女性がどこにいるのかなど分からないから、もしも集めようなどということがあったら、徴用のように、道→郡、郡→面(村)へと集めてほしいという依頼があったはずだが、そんなことはなかった。もしそんなことを公的機関がしていたら、絶対に文書で残っているはず。もし、個人が無理にやったら捕まる。道の役所や警察にも朝鮮人がたくさんいるし、知事や私の上司の多くは朝鮮人だった。

●ただ単に禿山の管理とか、鉱山の監督をしていたのなら分からないが、内務課長として一般の行政をしていたから、日本の官吏(朝鮮人官吏も合わせて)が、売春婦を強制的に連れて行ったということは「ない」と、自信をもって言える。

●軍隊もそういうことはしていなかったのが分かる。統制の取れた厳しい組織で、戦場ではない日常の朝鮮で、しかも官吏や警察に多くの朝鮮人がいる中で、勝手に連れて行こうとしても不可能。

14/9/8付:日本人と朝鮮人はとても仲が良かった!「朝鮮總督府官吏 最後の証言」より


★大師堂経慰さん
 大正6(1917)年、朝鮮生まれ。朝鮮総督府の江原道地方課長、朝鮮総督府事務官などを歴任。
 婦女子の強制連行がなかったと思う根拠の第一は、もしも婦女子の強制連行があったとすれば、その目撃者は強制連行された者の何倍もいたはずだし、いかに戦時中であっても大きな抗議運動が展開されて当然であるはずだが、目撃証言も抗議運動も一切なかった事実である。

 根拠の第二は、戦時中の総督府の施政姿勢である。内鮮一体を唱え、戦争遂行に大きな協力を求めていた総督府の頭脳が、施政に当たって最も気を遣っていたのは民心の動向であり、処遇において朝鮮人と内地人を差別してはならぬ、というのは施政の基本であった。このような雰囲気のなかで、日本人と差別をして朝鮮人婦女子だけを強制連行することなど、全く考えられぬことである。

 総督府首脳には苦い経験があった。29(昭和4)年の秋、発端は内地人中学生と朝鮮人中学生の小さなもめ事であった。光州(全羅南道)への汽車通学中に内地人中学生が朝鮮人女学生をからかったということから始まった。女学生の兄が、からかったという内地人中学生に「お前、何で俺の妹をからかったんだ」と詰問し、喧嘩になった。喧嘩はそこで終わらず、朝鮮人中学生と内地人中学生の小さな集団による喧嘩にまで発展した。警察は関係者を連行して取り調べたが、その際、内地人学生と朝鮮人学生の取り扱いに差別があった、ということで光州の朝鮮人中学生(当時は高等普通学校)が抗議行動を展開した。この抗議行動が光州で留まらず、間もなく全朝鮮の朝鮮人中学生の抗議行動に拡大した。この予想外の展開は総督府首脳を慌てさせたが、これは「理の通らぬ民族的な差別扱いには敏感に反応する民族性」を強く印象づけた事件であった。

 このことがあってから10年、総動員体制から戦時体制に移行していた総督府施政において内鮮人の処遇の差別と見られるようなことのないよう常に気を遣っていた。内地人と朝鮮人との差別の象徴とされていたものが官吏の加俸制度であった。官吏の俸給表は内地人も朝鮮人も同じものが適用されていたが、内地人には判任官は6割、高等官には4割の加俸が支給され、これが内鮮人処遇上の大きな差別であった。小磯総督はこの差別をなくすよう強く主張され、結局高等官には昭和19年4月11日の総督府令168号で、判任官には1年遅れの昭和20年4月12日の総督府令75号で朝鮮人にも加俸を支給することになって、この差別は解消されたのであった。これは歴代総督の出来なかった差別の解消であり戦時中であったことを考慮にいれても特筆すべき決断であった。

13/7/29付:慰安婦強制連行があったのなら、なぜ朝鮮人男性は反乱も起こさず黙っていたのか

 
★井上咸(はやし)さん
 元菊兵団・歩兵太尉。大正四年、朝鮮の京城(現在のソウル)生まれ。父は日韓併合当時に朝鮮に渡った役人であり、朝鮮の各地を転々とし、兄弟すべて朝鮮生まれ。自身も23歳で軍隊に入り、南方の部隊に配属されるまで全て朝鮮で生活。
(この方は軍人ですが、お父さんが朝鮮総督府にお勤めだったということで紹介します)
 満州事変以来朝鮮総督府が一番苦労したのは内鮮融和ということであります。
 どうかして早く一体にしたいわけで、今言ったような突然警察官や軍隊が村を囲んで有無を云わさず若い女を引っ張っていったという事はあり得ないですね。
 私の父も最初申し上げましたように朝鮮の各地で、今でいう町だとか村その付近の責任者となった場合もありますけれども、朝鮮人の知事も、かなりの高級官吏もおりましたし、警察官もほとんど朝鮮人だったと思いましたけれども、そういう中でそういう無法な事ができる訳がない。
 又その事が朝鮮総督府として許される事ではないんですね。
(中略) 朝鮮人は当時は日本人ですから現地の人にとっては日本の女ということになっておりますし、特に台湾人に対しては朝鮮人の方が本当の日本人に近いという感覚でむしろいばっていたような状況がありました。
 現地の慰安所が兵隊、軍によっていじめられたとか、むちゃくちゃな待遇をしておったとかいうことは私の経験と見聞の中には出てきませんね。
 むしろ非常に大切にされていたと思います。

16/12/22付:続・日本側当事者の証言から見る慰安婦問題


 皆さんの証言から浮かび上がってくるのは…

 ・議員や知事や警察官など公職を務めた朝鮮人はたくさんいた。
 ・朝鮮総督府でも朝鮮人がたくさん働いていて高級官吏もいた。
 ・朝鮮総督府は差別をなくすため努力していた。
 ・朝鮮総督府で働く日本人も朝鮮人に気を遣っていた。
 
 こういう話ってマスコミはほんと伝えないですよね。
 「日本の植民地にされた朝鮮では、人々は搾取され、自由も奪われ…」みたいな、韓国側の妄想捏造ストーリーを伝えるばかりで。

 慰安婦問題でも日本側の証言は山のようにあるのに、それもスルーしてきました。

14/11/8付:日本側当事者の証言から見る慰安婦問題 「正論」12月号より
16/12/22付:続・日本側当事者の証言から見る慰安婦問題

 演劇界と同じく、マスコミ業界の「左へのブレ」も、まだまだ続きそうですね(T_T)





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※拙ブログ関連エントリー(朝鮮の歴史、日本の統治など)
09/11/1付:「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(4)終
10/8/2付:【日韓併合】外国人から見た日本と日本人(19)
10/12/16付:韓国軍によるベトナム民間人虐殺問題「SAPIO」01.9.26号
11/2/22付:日本統治肯定で逮捕の韓国人作家『嘘の歴史で反日に』「SAPIO」02.7.24号
11/8/16付:【終戦の日2011】外国人から見た日本と日本人(30)
11/9/17付:戦前に朝鮮人衆議院議員がいた「SAPIO」07.5.9号
12/8/14付:【終戦の日2012】外国人から見た日本と日本人(35)
13/3/8付:中山成彬議員が衆院予算委で日本の真の朝鮮統治(インフラ整備、創氏改名、慰安婦など)を語ってくれました
13/5/6付:250年前の朝鮮人が羨み恨んだ豊かな日本…金仁謙「日東壮遊歌」より
13/7/29付:慰安婦強制連行があったのなら、なぜ朝鮮人男性は反乱も起こさず黙っていたのか
13/12/14付:日本が残酷な統治をしていたのなら、なぜ朝鮮人に銃を持たせたのか
14/7/14付:朝鮮が劇的に豊かになった時代…イギリスの専門家が記した「THE NEW KOREA」より
14/9/8付:日本人と朝鮮人はとても仲が良かった!「朝鮮總督府官吏 最後の証言」より
14/11/8付:日本側当事者の証言から見る慰安婦問題 「正論」12月号より
15/4/20付:朝鮮に尽くした伊藤博文と今も変わらない朝鮮人の気質 「1907 IN KOREA WITH MARQUIS ITO」より
15/6/8付:池上彰SP「韓国の憲法前文は日本と戦ったという建国神話(ウソ)に基づいてできている」
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東アジア(歴史) | comments (2) | trackbacks (1)

Comments

本当の話が色々あります。
始めから決めて話をしないことですが、何しろ政治の話が好きでそのためには具体的な現実を無視して話をする連中がどこにでもわんさかいます。

私は経験を通じて戦前の教育を受けた日本人と戦後の教育を受けた日本人は別な集団であると分かっています。
ここで書かかれている日本人・朝鮮人は韓国の教科書には出てきませんが日本の教科書にも出てきません。
私は親から聞いて知っていますが
注意しなければいけないのは朝鮮に住んでいた日本人も日本に住んでいた朝鮮人も社会的にはその地域の少数者であるということです。
その立場を通じて社会を理解する人達が少ないのは常識です。

これはこれからも変わりません。
金 国鎮 | 2017/04/20 11:06 AM
何年も前に、ネットのチャットルームで戦後生まれの韓国の人達と何度か話す機会がありましたが、その時思ったことは「戦争中は内地も大変だったが韓国人はそのことを知らず、自分達だけが不当な目に遭わされたという意識しかない」「戦後生まれの日本人の方も『戦争中、内地も大変だった』ことを具体的によく知らず、韓国人に『韓国はこんな酷い目に遭わされた』と言われればそのまま恐れ入ってしまう」ということでした。

例えば韓国人は「戦時中、韓国では食べ物が無く大変な思いをさせられた(と聞いている)」と怒りをぶつけるが、戦後生まれながら親等から戦時中の話を聞いている私は「それは内地でも同じことでは。」と思う。
韓国人の頭では「日本が食料を奪ったので韓国人は飢餓に苦しみ、韓国から奪った食料で日本人は腹が満ちていた」というイメージの様子。実際には「外地」で食糧難が深刻化したのはむしろ内地より後になってからとも聞くが。

戦時中は「貴金属」や「金属」を「供出」させられ、ナベ、カマ、果ては金属製のバケツまで出さされた、寺の由緒ある鐘なども「供出」で失われたところは少なくないなどの話は、一定年齢以上の戦後生まれの日本人も親の世代から聞いて知っていると思うが、韓国でも当時同様のことがあったようだが、「内地も同じだった」という認識が無い以上、「韓国人が日本人によって考えられないような酷い強奪に遭った」ということにしかならない。

戦時中は「勤労動員」で内地でものんびり勉強出来る環境にいた生徒はいない、工場での作業や農家の手伝い等を強いられてロクに学校で授業を受けることが出来ず、挙句、繰り上げ卒業で学校を出されてしまったと年配の人が嘆くのを耳にしたが、韓国人は「韓国人だけが勉強機会を奪われた」という認識らしい。

まあ仮に「内地も同様か、もっと酷かった」ことを知ったところで「日本人が大変な目に遭ったのは自業自得。関係の無い韓国人まで巻き込まれたことが許せない」ということなのだろうが。

慰安所の話も従軍した人のエッセイなどで、「従軍慰安婦問題」が起こる前に読んだことがあったが、韓国人の主張するような話ではなかったし、当時「日本人」として従軍した韓国人の多くも慰安所を利用して実態を知っているはずなのにと思う。戦後生まれの韓国人と話していると「少女を騙して戦場に拉致して性奴隷にして虐待したり殺して食べたりし、終戦と同時に証拠が残らぬように虐殺した」と熱く語るので言葉を失います。
うさぎん | 2017/04/20 08:18 PM

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1953年の日韓交渉に生じた慰安婦問題 | 森羅万象の歴史家 | 2017/04/20 08:45 PM
 1965年の日韓基本条約締結に至る日韓国交正常化交渉において、韓国政府は慰安婦問題の解決を要求し、日本政府は応諾していたのである。