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“奇跡”を目撃…天皇皇后両陛下フィリピン行幸啓&報道されない日本軍の真実

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2016mapEfuchi.png2月22日は竹島の日。今年は韓国による不法占拠から63年目。
ブログやSNSをされている皆様、「竹島プロジェクト」にご協力を。
参加表明くださった方は記事内にリンクを貼らせていただきます。


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 先の大戦で、国外最多の51万8000人に上る日本人犠牲者を出したフィリピン。

 にも関わらず、これまで天皇皇后両陛下による慰霊は実現していませんでした。

 このたびの行幸啓は両陛下にとって、まさに悲願でした。
 
 両陛下は、皇太子ご夫妻時代の1962年(昭和37年)に昭和天皇の名代としてフィリピンを行啓されています。

 しかし、当時はまだ日本人の慰霊碑はなく、現地での慰霊は実現しませんでした。

 1973年(昭和48年)に日本政府により「比島戦没者の碑」が建設されたものの、両陛下の他国への行幸啓は法律上、内閣が決める規定となっているため、両陛下のお気持ちだけでご訪問先は決められないという制限がありました。

 特に初訪問国は、親善のための国賓としての公式訪問となるため、過去に訪問歴のあるアメリカの自治領サイパンに慰霊を目的に訪問されたケースなどと、フィリピンは事情が異なり、なかなか実現できなかったそうです。

 宮内庁幹部によれば、今回の行幸啓は日比両国の経済的な強い結びつきを背景に、戦後70年を経て、外交関係の節目という絶妙なタイミングが後押しして実現したとのことです。

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[29日、天皇皇后両陛下はマニラ郊外にある「比島戦没者の碑」に向かわれ一礼されたあと、日本から持ち込まれた白菊を供花台に供えられ、深く拝礼されて戦没者の霊を慰められました]


 「比島戦没者の碑」ご訪問についてはNHKが生中継していましたが、そこで私は奇跡のような出来事を目撃しました。


 ツイッターで書き漏らしたことがあります。

 両陛下のお車が到着されて強風が吹いた時、テレビの画面に映っていたのは、慰霊碑の両脇に掲揚された日比それぞれの国旗が大きくはためく姿でした。

 私はそれを見た瞬間、英霊はじめ日本人犠牲者はもちろん、フィリピン側の犠牲者の方々も、両陛下のご訪問を喜んでくださっているのだろうと感じました。

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[慰霊碑前に到着され、お車から降りられた両陛下。この直前まさに一陣の風が吹き渡っていました]

 「奇跡のような」と書きましたが、天皇陛下や皇室が関わる行事で、こういうこと(悪天候が急に好転するなど)は実は意外とよく起きているんですよね。

 だから本当は「起こるべくして起きた」と言うべきかもしれません。

 たとえば2013年の、60年に一度の出雲大社の式年遷宮ではこんなことがありました。

 最重要行事である、改修された国宝の本殿に仮殿からご神体を戻す「本殿遷座祭(せんざさい)」が行われた日、出雲大社では雨が降っていましたが、遷座祭を避けるように昼すぎに止みました。

 そして、ご神体が本殿に到着した後に再び降り始め、参列者たちを驚かせたそうです。


 それにしても…。
 長年の悲願でいらしたとはいえ、真冬の東京から暑いフィリピンへ…。

 ご高齢をおして慰霊の旅を続けられる両陛下のお姿を拝見していると、切なさを感じることもしばしばです。

 天皇陛下は、御父上の昭和天皇が果たすことがかなわなかった「責務」を受け継がれ、それを命懸けで果たそうとなさっているのでしょう。

 皇后陛下も、そんな天皇陛下をやはり命懸けでお支えになっています。

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[28日、両陛下は日系人2世ら約90人と面会され、苦労をねぎらわれた]

 もちろん慰霊だけではなく、戦中戦後、苦難を味わってきた戦没者ご遺族や日系人の方々への慰労も…。

 今回も両陛下は行かれた先々で、それこそ一人一人に丁寧にお声をかけていらっしゃいました。

 「比島戦没者の碑」の掃除など管理をしてくれているフィリピン電力公社(厚労省が委託)の方々にも、感謝の言葉を述べられたそうです。

 月並みな言い方で恐縮ですが、本当に頭が下がります。


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 あと、27日の晩餐会に関して言えば、日本のメディアは陛下のおことばだけを報道したところが多かったようですが、アキノ大統領のあいさつも素晴らしかったです。

 一部引用します(ともに全文はこちらを)。

【……私が天皇、皇后両陛下にお目にかかるのはこれが4度目となります。最初は1986年に私の母の日本訪問に随行したとき、その後は私が大統領として貴国を訪れた際のことです。お目にかかるたびに感銘を受けるのは、両陛下が示される飾り気のなさ、ご誠実さ、そして優美さです。両陛下が今日までいかにして責務や義務を果たされ、多大な犠牲を払われてきたのかを思うと、誰もが驚嘆せずにはいられません。そしてそのすべては、さまざまな関係を立て直してさらによいものにしていきたいという、ご生涯をかけた献身の一環を成すものなのです。
 貴国の象徴として、善意を体現する存在として、天皇、皇后両陛下がいかなる困難を担われてきたのか、私には想像することしかできません。私が大統領の座に就く際には、任期中に限っては自身を犠牲にしなければならないということを十分承知して、国民から負託されたこの職務を引き受けました。その私が両陛下にお会いして実感し、畏敬(いけい)の念を抱いたのは、両陛下は生まれながらにしてこうした重荷を担い、両国の歴史に影を落とした時期に他者が下した決断の重みを背負ってこられねばならなかったということです。
 しかし、こうした歴史の上に、両国は以前よりもはるかに揺るぎない関係を築いてきました。貴国は堅実で有能かつ信頼できるパートナーとして、今日まで我が国民の発展を後押ししてくださっています。……】


 アキノ大統領の両陛下に対する尊崇の思いがとても良く伝わってきました。

 ひょっとしたら平均的な日本人(それほど皇室に興味のない日本人)よりも、よほど両陛下のことを理解してくださっているのかもしれない、とも思いました。

 両陛下のこのたびの行幸啓をきっかけに、日本とフィリピンとの友好関係が今後ますます深まっていくことは間違いないでしょう。


 2005年(平成17年)のサイパン行幸啓や、昨年のパラオ行幸啓もそうであったように、両陛下が慰霊の旅をなさることによってメディアが大きく報道し、戦争に対する私たちの記憶が呼び覚まされたり、新たな歴史の事実を知ることもできます。

 知ることは本当に大事です。

 先人の功績や苦難を知ることは、すなわち戦没者(国籍や軍民関係なく全ての方々)への供養にもつながると私は考えています。

 もちろん、報ステのような偏った報道も多いから、注意が必要ですが…。


 まるで戦時中、全てのフィリピン人が日本軍を憎んでいたかのような伝え方でした。
 でも、本当にそうだったのでしょうか?

 たとえば、これは青山繁晴さんが1月28日「ザ・ボイス」で言っていたこと(要旨)。

大東亜戦争でのフィリピンにおける戦いについて、一般に言われてきたことが本当だと思い込まない方がいい。
 アメリカでも僕はずいぶん国防大学の人なんかと議論してきた。
 まず、一番無残だと言われている1945年のマニラの戦い、ここにアメリカ軍は無差別爆撃、無差別攻撃をやってる。日本軍のために、たとえばマニラの戦いで10万人死んだと普通に言われてたりするんですけど、実はフィリピンの現地で聞いても、アメリカ側で聞いても、日本で言ってるように10万人日本のために死んだと言ってる人はいないんですよ。
 もともとアメリカはフィリピンを植民地にしていて、そこに強い日本軍が入ってきて、アメリカをいったん追い払った。そのために、アメリカと協力して、日本軍と戦ったフィリピンの国民がいらして、その人たちと日本軍は戦わざるをえなかったところがあるんですけども、特にそのマニラの戦いについて、10万人が日本の責任っていうのはこれ全く話が違うんですよ。
 それからフィリピンの方々全員の、亡くなった方が110万人ってことも一般に流布されてるんですけど、本当にそういう数字なのか。これは歴史をもっときちんと検証してみないといけない。つまり日米の激戦に巻き込まれる形でたくさんの方が、フィリピンの普通の方も犠牲になってるんですけれども、それを日本の戦争責任というだけで片付けることができるのか。日米双方に実は責任がある。
 そして、マニラの戦いでなぜアメリカ軍が無差別爆撃をやったか。日本人にとってフィリピンの方々は同じアジア人。だから、日本軍が行ったことによってアメリカの植民地から解放するという意図。それが全部だと言わないが、インド、ベトナム、同じように日本としては考え方があった。しかしアメリカから見たら、いわば人種差別の意識に基づいて無差別攻撃ができた側面は、これ実はアメリカ自身が別に否定してないんですよ。一般的な評論家とかメディアは別にして、アメリカ軍の内部で。
 アメリカは国防大学や士官学校でずっと歴史を検証してる。そういう公平な見方を日本も取り入れるべき】


 また、フィリピンは「特攻」の始まりの地でもありました。
 当時を知るフィリピン人のこんな証言もあります。

 自宅が戦争当時、日本海軍の航空隊司令部に貸与されていたフェルナンド・サントス氏。

【日本人兵士と私は仲良くなり、親密になりました。終戦の2〜3週間前、彼は私に日本の歌を教えてくれました。(中略)
 「戦争は終わります。もう、君と会うことがないでしょう。身体に気をつけて、僕は山に行きます」
 それが彼との最後でした。彼は二等兵でした。日本人もフィリピン人と同様にセンチメンタルなんだと分かりました。
 遠いアメリカを味方にして、隣国の日本と戦わなければならないフィリピンの思いが想像できますか。でも、それが人生です。失敗から学べます。
 死を覚悟していました。そんな彼が好きでした。彼がここから去って行く時、彼は二度と日本へ帰らない事、死んでいく事を知っていたのです。このような英雄的資質の武勇伝を現代の日本の若者は知るべきなのです。
 私からのメッセージは、もっと神風特別攻撃隊に関する本を読んでください。
 日独伊枢軸国やアメリカ同盟国の英雄として認められている人でも、神風特別攻撃隊員の勇気、決断、武勇に等しい人はいません。
 一つの大きな違いは、だれでも戦争に出征すれば死を覚悟します。死を覚悟して出征するのですから勇気があります。しかし、この勇気ある人々は、今死ぬということを知らない人達です。
 特攻隊員の場合は、離陸した時点で死んでいくことを知っているのです。事実、彼らは祖国のために自分を殺します。比類の無い存在ですから。
 尊敬されるべきであり、記憶されるべきなのです。日本国民は今の日本人の本質と粘り強さを受け継いだ象徴として彼らに感謝すべきです。
 長崎と広島に原爆が投下されたにもかかわらず、世界に対し大国になったのも神風特攻隊と同じように必死に頑張った人々がいたからです】

(2001年(平成13年)8月16日フジテレビで放送されたドキュメンタリー「特攻・國破れても國は滅びず」より)

 次に、画家のダニエル・H・ディゾン氏。
 1974年(昭和49年)、ルソン島のパンパンガ州マバラカット市に神風特攻隊慰霊碑が建立されましたが、これを市長に進言したのが彼でした。
 戦争当時、少年だった彼も、日本兵と交流がありました。

【私は、ヨーロッパ・アメリカ・中国・フィリピンの歴史を様々な角度から検証してみました。その結果、なぜ日本が立ちあがり、戦争に打って出たのかがよくわかったのです。そして日本が、欧米列強の植民地支配に甘んじていたアジアを叱責した理由も理解できたのです。
 当時、白人は有色人種を見下していました。これに対して日本は、世界のあらゆる人種が平等であるべきとして戦争に突入していったのです。神風特別攻撃隊は、そうした白人の横暴に対する力による最後の“抵抗”だったといえましょう。
 神風特攻隊をはじめ、先の大戦で亡くなった多くの日本軍人をどうか敬っていただきたい。これは私から日本の若者たちへのメッセージです】

(2000年(平成12年)にマバラカットで行われた神風特別攻撃隊の戦没慰霊祭の翌日、井上和彦氏に語った言葉より)

 ダニエル・H・ディゾン氏については、coffeeさんが詳しくまとめて下さっているので是非こちらを。

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[神風特攻隊慰霊碑。画像ソースは「フィリピンにびっくりコキマロ!」様


 そういや報ステは、昨年4月の両陛下のパラオ行幸啓の際もひどい報道をしていました。


 報ステは今春の改編期にメインキャスターが古舘伊知郎氏からテレ朝の富川悠太アナに交代しますが、番組全体を貫く反日路線は変わらないでしょうね。

 ついでに言えば、岸井成格氏から朝日新聞の星浩氏にキャスターが交代するNEWS23も、きっと何も変わらないでしょう。






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Comments

大変な親日国のパラオや、基本的には親日国のフィリピンへの、両陛下の行幸啓を、一部の皇室ブログが批判しているのが不思議です。
天もお祝いしているのに。
枯 | 2016/01/30 11:54 AM
通常兵器による無差別爆撃で最も残酷だと言われるものは、イギリス空軍のアーサー・ハリス将軍の計画により行われたドレスデン爆撃でしょうか。
この爆撃は対ドイツ爆撃としては最大級で、なおかつ戦略的に意味がなく、市民の殺害が主目的だったと言われています。
敵国民を殺傷し、戦意を挫くことが勝利への近道と考えられ始めていた矢先に始まった戦争であったために、欧州戦線では無差別爆撃が第二次大戦の早い時期から枢軸・連合国双方で行われており、この爆撃は効率と憎しみの行き着いた先の出来事と言えるでしょう。

文字通り「敵を殺すこと」が主目的になってしまっていたとも言えるかもしれませんね。
supu- | 2016/01/30 05:41 PM
2014年12月に天皇皇后両陛下の広島行幸啓がありました。

この日の天気予報は雨だったのですが
雨どころか、晴れてしまいましたよ^^b
リーガロイヤルホテルにご到着の時には
カラスが鳴いておりました。

ただ、翌日の平和公園では小雨が。。。
きっと涙雨だったのだと思います。
ユリ助 | 2016/01/31 12:37 AM
フィリピンというと特攻隊を扱ったフラッシュ「真実はどこに」を思い出します。何度見ても泣ける…。
ん | 2016/01/31 02:35 PM
天皇皇后両陛下の此度のご訪問前回のパラオ同様海保の巡視艇秋津島を持って行かれたようですね
その隙をつくように支那の艦が領海侵犯してしまいました
まあ海保の方達は優秀なので色々南シナ海関連を調査していると信じています

両陛下は慰霊の旅とのことですが、なぜ英霊たちのお御霊がある
靖国神社をご参拝なさらないのか
不思議に思います。
魔.蘭 | 2016/01/31 05:21 PM

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