02首相の靖国参拝反対派への反論(中)【暫定版】
<4>首相の靖国参拝に反対する日本人への一般的な反論
<4>-(1) まず踏まえておくべきこと
・国のために命を捧げた人々に対して、国家の長たる首相は参拝する義務があるのではないでしょうか。国のために尽くしたのに、感謝も敬意も払われず、まるで犬死にのように扱われ、または忘れ去られるようでは、今後一体誰が国のために血を流して戦うのでしょうか。
<4>-(2) 参拝は軍国主義の賛美、侵略戦争の美化?
・首相の靖国参拝は、中韓の言うように軍国主義の賛美、侵略戦争の美化であると本気で考える日本人もごく少数ながらいるようです。が、日本が再び軍国主義に戻ったり、侵略戦争をすることはありません。そんな動きは戦後から現在に至るまで日本にはありません。北方領土、尖閣諸島、竹島、北朝鮮による拉致……、むしろ周辺国から侵略を受けているのは日本の方だということは、日本人なら誰でも理解しているはずです。
中韓の言い分は曲解、歪曲されています。それを金科玉条のように受け止めて日本を責めるのはおかしなことです。そもそも慰霊はその国の自主性に任せるべきもので、他国に左右されることではありません。中韓は他国(日本)の慰霊の権利を剥奪しようとしており、明らかな主権侵害であり内政干渉です。
<4>-(3) 靖国神社は「神道」ではない?
・「靖国神社は明治2年に陸軍省が作った。国家の政治的意志によって作られたもので、日本の伝統・文化・習俗に基づく神道ではない」と言う人もいます。
戦後GHQは靖国神社を国から切り離し、一時は焼却計画まで立てました。日本人の信仰心に対して無知だった上に、靖国神社を軍国主義と神秘主義の統合した教義を広めるカルトの本殿と誤解したのです。が、ドイツ人のビッテル神父が「もし靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は米軍の歴史にとって不名誉極まる汚点となって残るであろう。歴史はそのような行為を理解しないにちがいない。我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道、仏教、キリスト教、ユダヤ教などいかなる宗教を信仰する者であろうと、国家のために死んだ者は、すべて靖国神社にその霊を祀られるようにすることを進言する」と、焼却に待ったをかける答申を出しました。この進言で靖国神社は救われました。
・靖国神社には戦後始まった「みたままつり」というものがあります。1946年(昭和21)年7月新暦のお盆、生活の苦しい中、長野県遺族会が全く自発的に上京して、靖国神社で盆踊りと民謡でみたまを慰めました。これに感銘を受けた靖国神社が翌年からはじめたのが「みたままつり」です。こういう英霊を慰めたいという民間の純粋な思いが、戦後ずっと靖国神社を支えてきたのです。「みたままつり」の発祥ひとつ見ただけでも、完全に民間にも根付いた信仰だったことは明らかです。
元来、神社には「社」を建てるという発想すらありませんでした。神道に「原理」はあるとしても、「原理主義」はありません。それぞれの時代に対応して自然に変化しているのです。ましてクニを近代国家にするという、それまでの日本史にない事態の中で生まれたのが、靖国神社です。
そもそも靖国神社が「国家の政治的意志」の産物にすぎないのなら、なぜ戦後、国家から切り離された靖国神社が、今も立派に存在し、日々たくさんの参拝客が訪れているのでしょうか?
<4>-(4) アジア外交が壊れている?
・「首相の参拝により日本のアジア外交が壊れている、行き詰まっている」と主張をする人がいます。が、そんな事実は全くありません。靖国問題で日本との首脳会談を拒否、アジア諸国を道連れにしようと画策しているのは中韓2国のみで、日本と他のアジア諸国との関係は相変わらず良好です。
中韓の圧力に対して、小泉首相は「一つの意見の相違があるからと言って会談に応じないのはおかしい」という正論を吐いて容赦なく反撃しました。こうした中で一度振り上げた拳を下ろせないまま立ち往生しているのは、むしろ中韓の方なのです。
・実際、中国は2006年に入って、今まで拒否してきたはずの日中外相会談に一転して応じるようになりました。胡錦濤も6月、「日本訪問への意欲」を示しました(「条件が整えば訪日したい」と宮本大使に述べました。胡錦濤が「訪日」に言及したのは就任後初めてで、それまでは「日中首脳会談」までしか言及していませんでした)。
また8月15日の小泉首相の参拝に対して、目立ったデモも起こりませんでした。国内の反日感情が再燃することを恐れた中国指導部が抑え込んだのです。指導部は反日感情が反政権に結びつくことを強く恐れています(ちなみに05年春に発生した大規模な反日デモは「靖国参拝反対デモ」ではなく、「日本の国連安保理常任理事国入り反対デモ」でした)。
・日本の経済人の多くが、中国とのビジネスに支障が出ることを恐れて首相の靖国参拝反対を主張しているようですが、政治と経済は別に考えねばなりません。企業の利潤を上げるためだけに、日本の安全保障や政治などが置き去りにされてはいけません。
2001年以降、小泉首相は毎年参拝をしてきましたが、そのことで中国あるいは韓国との経済関係に支障が出たという話は聞いたことがありません。中韓にとっていまや日本は欠かせないビジネスパートナーとなっています。目に見える実害のない靖国参拝ぐらいで日本企業に圧力をかけたりするわけがありません。そんなことしたら逆に損をするのは中韓の方です。
<4>-(5) アジアも欧米も反発?
・日本に「侵略」された国は中国と韓国だけではありません。が、靖国参拝に対して政府として公式に抗議をしてくるのはいつも中国と韓国だけで、その他の国からの公式な抗議はほとんどありません。
06年8月15日の小泉首相の参拝については中韓以外では唯一シンガポールが抗議をしてきましたが、シンガポールは華僑(中国人)の国で、人口の76%を占めています。もし「東南アジアでも靖国参拝を非難する声がある」というような記事があった場合、それは東南アジアに進出した華僑の証言です。華僑系の学校では日本は悪だと教育されています。
朝日新聞や加藤紘一衆議院議員は、06年春頃から「中韓だけでなく欧米も靖国参拝を批判している」との主張を展開していますが、欧米の一部学者や一部議員にそういう声はあるものの、少数派でしかありませんし、そもそも各国とも政府としての抗議は一切していません。
また『A級戦犯』合祀以降も、欧米、東南アジアはじめ多くの国の要人が靖国神社を参拝しています。
※参考リンク
・あんた何様?さん>06年8月15日付>マスメディアが隠蔽する、中韓以外のアジア諸国及び欧米の声(リンク先の下の方を参照)
・「思いつきブログ」hit on!さん>靖国神社 外国人参拝者(1) A級戦犯合祀判明後の外国人参拝者(S54〜H08)
・「思いつきブログ」hit on!さん>靖国神社 外国人参拝者(2)A級戦犯合祀判明後の外国人参拝者(H09〜H11)
・「思いつきブログ」hit on!さん>靖国神社 外国人参拝者(3)A級戦犯合祀判明後の外国人参拝者(H12〜H14)
<4>-(6) ドイツの首相がヒトラーの墓に参るようなもの?
・「『A級戦犯』が祀られている靖国神社への参拝は、ドイツの首相がヒトラーの墓に参るようなもの」と言う人がいます。中韓だけでなく日本にもいます。が、日本とドイツでは全く事情が異なります。日本にはヒトラーのような独裁者はいませんでした。
東京裁判の焦点は、『A級戦犯』らが「平和に対する罪」の訴因第一の「共同謀議」をやったのかどうか、つまり1928(昭和3)年から1945(昭和20)年まで、『A級戦犯』らが世界侵略の野望をもって一致団結して戦争指導をしたのか?が問われたことでした。もちろんそんな事実はありません。「共同謀議」の対象とされた1928年〜1945年の間に内閣は18回も変わっているのです(内閣総理大臣の一覧(wikipedia)を参照)。
・ドイツではヒトラーが1933年に首相、1934年に総統となり、1945年に自殺するまで「独裁体制」で、その間、ラインラント侵入、オーストリア併合からポーランド侵攻、第二次大戦と、全ての軍事行動はヒトラー以下ナチス幹部の「共同謀議」による、一貫した政策に基づいて行われました。
それに対して日本では、1931年満州事変、1937年支那事変、1941年大東亜戦争の時の内閣が全部違います。政府方針に背いて満州事変を起こした石原莞爾が支那事変には反対したように、立案・遂行した者も別々。一貫した政策もなく、政府と軍の足並みは揃わず、軍の内部でも対立があり、国内の意見は割れ続けていました。なのに東京裁判で検察団は「1928年から1945年まで、『A級戦犯』の28人が共同謀議し、一貫して満州、中国、東南アジア、太平洋、インド洋地域を侵略、支配すべく陰謀を企て、実行した」というストーリーを作り出しました。
・『A級戦犯』の1人、賀屋興宣は起訴状を読んで、「軍部は突っ走ると言い、政治家は困ると言い、北だ南だと国内はガタガタで、おかげでろくに計画も立てずに戦争になってしまった。それを共同謀議などとは、お恥ずかしいくらいのものだ」とむしろ恐縮したそうです。確かに、「共同謀議」ができたくらいなら、アメリカとももっとましな戦争がやれたことでしょう。
『A級戦犯』の象徴的存在である東条英機にしたって、1928年といえばまだ大佐になったばかりでした。つまり起訴状の期間、ヒトラーのように継続して支配的地位にいた『A級戦犯』は一人もいなかったのです。それどころか、28人の中には政敵同士だった者もいれば、東京裁判で初めて顔を合わせたという者もいました。
・余談になりますが、未だに「日本はドイツと違って戦時賠償をきちんとしていない。ドイツを見習え」といった主張をする人がいますが、基本的知識が欠けていると言わざるをえません(あるいは知っていてわざとミスリードしているのかもしれません。姜尚中氏など見ているとそう思えて仕方ありません)。
日本は北朝鮮以外のすべての関係国と講和条約、平和条約を結び、正式に「国家賠償」が完了しています。一方、ドイツは旧交戦国とはまだ講和条約すら結んでいません。ドイツが行ってきた戦後賠償とは「個人補償」であり、日本のような「国家賠償」はしていません。
ドイツが支払ってきたのは、いわゆる戦争犯罪に対してではなく、ナチスの不法行為と被害にだけです。ユダヤ人虐殺以外の戦時賠償はまだ完了していません。しかもユダヤ人虐殺は、「理想的人種社会を作る」というナチスの理念から行われた政策であり、戦争とは直接関係のない国家犯罪です。「個人補償」が「国家賠償」よりも道徳的に優位に立つなどということは、あり得ない所以です。
※参考リンク
・国際派日本人養成講座>戦後補償の日独比較
・Toron Talkerさん>WW2について>ドイツを見習え論>ドイツの「個人補償」と日本の「国家賠償」
<5>『A級戦犯』を分祀すべき?
<5>-(1) まず踏まえておくべきこと
・『A級戦犯』は『BC級戦犯』より罪が重いと勘違いしている人がいますが、そうではありません。これは裁く側が決めた種別であり、単なる分類です。ランクではありません。【8/27 18:05追記】
・神道において「分祀」(もともとこういう言葉は日本語に存在しません)というのは、霊を増殖させることになります(「分霊」にあたる)。ロウソクの炎を新しいロウソクに分けていくのと同じです。もし『A級戦犯』を分祀したら、靖国神社と、新たに祀る部所の両方に、『A級戦犯』の霊が居ることになります。一旦「合祀」したら、特定個人の霊を取り分けることはできません。
・<1>-(4)、<2>-(1)、<3>-(1)で述べた通り、中国も韓国も『A級戦犯』に関して何かを要求できる法的根拠は一切持っていません。日本や韓国は法治国家なので感情論で法を曲げることは本来許されません。ところが靖国神社について日本は、『A級戦犯』の分祀・廃社などなどの超法規的処置を、中国や韓国から求められ続けているのです。
・<1>-(3)で述べた通り、アーリントン墓地にはアメリカの歴代大統領が参っています。アーリントンには南北戦争で奴隷制を支持した側の南軍の将兵も埋葬されています。が、アーリントンに大統領が参ったからと言って、「大統領は奴隷制を肯定している」とは誰も言いません。黒人はじめアフリカ諸国が抗議したという話も聞いたことがありません。なのに、靖国神社を参っただけで、なぜ「侵略戦争を美化している」「『A級戦犯』を肯定している」となるのでしょうか?
・今、生きている人間は、生や死に対してもっと謙虚になるべきではないでしょうか。先人たちの行為を、後世の人々があたかも神のような絶対的基準をもってして、善だったか悪だったかを一律的に判断することができるのでしょうか?もし参拝することによって、結果として『A級戦犯』の霊に弔意を表したからといって、その人の生前の行動すべてに賛意を表明したことになりますか?なるわけがありません。あくまでも、その死、その魂に対する追悼でしかないのです。
過去の戦没者に対して等しく追悼、弔意を表すことが、その戦没者の「意思」を肯定することになると考えるのはあまりにも倒錯した考え方です。靖国に祀られているのは『A級戦犯』その人の業績でも何でもなく、その人の魂です。魂はあの世にあります。善も悪もありません。
・勘違いしている人が多いのですが、誰を祭神とするか選定しているのは靖国神社ではありません。終戦までは陸軍省と海軍省が、終戦後は厚生省が戦没者を個別審査して「祭神名票」を作成。靖国神社はこれを受理して、祭神一柱ごとに「霊璽簿(れいじぼ)」を作り、合祀します。『A級戦犯』も、全くこの手続き通りに厚生省から「祭神名票」が送られ、合祀されました。
<5>-(2) 『A級戦犯』を認定した東京裁判とは?
・極東軍事裁判(東京裁判)は勝者による一方的な裁きでした。判事、検事に至るまで戦勝国及びその植民地の人間ばかりで、敗戦国どころか中立国も含まれていません。反対尋問はいちおう行われはしましたが、偽証罪がなかったため、ウソを言っても責められることはありませんでした。法的観点からも事後法で裁いているから正当性に疑問があります。
また戦勝国の戦争犯罪は一切問われることはありませんでした。アメリカ人弁護士ブレイクニーは法廷で「原爆を投下した者がいる!この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認した者がいる!その者達が裁いているのだ!」と発言しましたが、同時通訳が突然止められ、日本語の速記録にもこの発言は記載されませんでした。
東京裁判のこれら問題点ついては、日本の靖国参拝反対派も異議を唱えてはいません。【8/28 2:00追記】
・『A級戦犯』はよく協議されて選ばれたのではありません。初めから「25人くらい」と決めて、悪者探しをしたのです。ナチスの場合は党の上位から選べばいいのですが、日本は内閣が10何回も変わっていますし、そう簡単には行きませんでした。そのため東条内閣の閣僚であるというだけとか、いい加減な基準で選ばれました。【8/28 2:00追記】
・『A級戦犯』として処刑された軍人・政治家らは「敗戦責任」については認めています。そして潔く死んでいきました。横浜やマニラなど世界49カ所の軍事法廷で裁かれた『BC級戦犯』も同様です。1068人が処刑されました(冤罪も多数ありました)。それと引き換えに平和条約が締結されました。
「国敗れ つみ人となり 死ぬる身は 世界平和の杭となるなり」
7歳と2歳の娘を残して処刑された片岡正雄曹長の辞世の句です。数々の遺書にあるように彼らは「祖国の礎石になる」と書き残し、その役割を引き受けて死んでいったのです。今の日本はその人々の死体を礎石として成り立っているのです。
ちなみに「戦犯」とは戦勝国が決めた呼称であり、厚生労働省は「公務死」、靖国神社では「昭和殉難者」と表現しています。
<5>-(2)-1 サンフランシスコ講和条約第11条とは
・『A級戦犯』の問題でよく引き合いに出されるのは、「日本はサンフランシスコ講和条約第11条で東京裁判を受け入れた」とされる問題です。すなわち、「日本はサンフランシスコ講和条約第11条で東京裁判の結果を受諾したのだから、『A級戦犯』が祀られる靖国神社に首相は参拝すべきではない」という主張です。
しかし、日本は「裁判」を受け入れたわけではありません。日本語訳の「裁判」は誤りで「判決」と訳すのが正解です。これは語学レベルで簡単に説明がつきます。
そもそも英語の法律用語では、「裁判」は「trial」。「judgments」には「判決」という意味しかありません。学者によっては、英語条文ではjudgmentsの語を後から二箇所のofで始まる句が修飾していて、この英文の構造だけでは、「(複数の)裁判」と「(複数の)判決」のどちらも訳語として可能、と言う人もいます。
が、条約正本であるフランス語を見ますと、英語の「judgments」にあたる「jugements」にはprononces par …という修飾語が続いており、prononces(prononcesr「〜を宣告する(言い渡す)」の過去分詞)すなわち「宣告された(言い渡された)」jugementsとは「判決」以外にはありえないのです(複数形なので「諸判決」)。ちなみにスペイン語の条約正本も「判決」となっています。
・なぜ当時の外務省がこんな初歩的な誤訳をしたか?については諸説あります。敗戦国の負い目があった、あるいは、「判決」という言葉は当時の日本人には非常に生々しく響いて大きなショックを与えかねないから和らげるためだった、など……。
・では、「日本はサンフランシスコ講和条約第11条で東京裁判の諸判決を受け入れた」とは、具体的に何を指すのでしょうか。
◇サンフランシスコ条約第11条
Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan, and will carry out the sentences imposed thereby upon Japanese nationals imprisoned in Japan. The power to grant clemency, to reduce sentences and to parole with respect to such prisoners may not be exercised except on the decision of the Government or Governments which imposed the sentence in each instance, and on the recommendation of Japan. In the case of persons sentenced by the International Military Tribunal for the Far East, such power may not be exercised except on the decision of a majority of the Governments represented on the Tribunal, and on the recommendation of Japan.
日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の諸判決を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。
つまり、東京裁判の被告が処刑されたり拘留されたことを後になって不当だとして連合国に損害賠償を求めるとか、そういった異議の申し立てはしないことを、日本は受け入れたということなのです。
そして11条の一番の目的は、すでに拘留している、あるいは服役している人たちを、日本が勝手に釈放してはならないということなのです。そうでない限り、講和条約を結んだら戦争裁判で決められた刑は未来に向かって、効力を失うというのが国際法の常識なので(「アムネスティ(大赦)条項」という国際法上の慣習があります。<5>-(2)-3で詳述)、そうさせないために11条が置かれたわけです。いわば連合国は国際法上の慣習よりも日本への報復の継続を優先したのです。
<5>-(2)-2 国民挙げての戦犯釈放運動
・講和条約発効時、日本側には「戦犯」の全員釈放を期待する思いがあり、釈放運動が活発化しました。が、当然ながら発効時には実現はせず、その時点でシベリアに抑留されていた者等を除いて、日本の国内外には1,244名を越える多数の戦犯が服役したままでした。
国の為に良かれと行動した『A級戦犯』『BC級戦犯』は被害者でもあるとする国民意識から、1952年(昭和27年)6月、日本弁護士連合会が「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を政府に提出したほか、戦争受刑者釈放を求めた署名運動もはじまり、国民運動として大きな広がりをみせ、4,000万人という署名を得ました。
・日本政府は同年8月、『BC級戦犯』服役に関わる関係各国に赦免の勧告を行い、同年11月、日本での立太子礼を理由に『A級戦犯』を含めた全員の赦免勧告を行っています。
国会として勧告を支援するべく決議を行うといった動きも活発化し、戦勝国によって裁かれた裁判だとして、早くから東京裁判の否定と『A級戦犯』の名誉回復を掲げていた改進党(現自民党)や、被害者でもある『BC級戦犯』という国民意識を背景にその釈放を掲げた社会党などが連携し、共産党や労農党が反対の立場を示したものの、戦犯の釈放や赦免を求める決議案は何れも国会において圧倒的多数で可決されました。
・つまり、当時の日本は『A級戦犯』『BC級戦犯』を「赦し」たのです。これにより、日本の国内法上「戦犯」はもはや存在しなくなりました。なのに当時の国民の総意や国会決議を無視して、半世紀以上も経ってから、しかも中韓の抗議に配慮する形で、「『A級戦犯』は分祀すべきだ」と言い出すのは、勝手すぎやしませんか?
<5>-(2)-3 東京裁判史観にとらわれるな
・加藤紘一議員は「国際社会では『処刑は終わった。戦犯たちは亡くなったのだから、もうあの戦争に関する責任問題も終わり』というわけにはいかないのです」と語っていますが、そこには、講和条約と「戦争責任」に対して根本的な誤解があります。
そもそも講和条約とは、「戦争中に一方の交戦国の側に立って違法行為をおかしたすべての者に、他方の交戦国が責任の免除を認める」(C・G・フェンウィック『国際法』)法的効果を持っています。戦争が燃え立たせた国家間の憎悪を鎮めるため、戦争犯罪を全面的に忘却し、以って国際社会の平和と安寧を維持しようというのが講和条約の主旨なのであり、国際法では「アムネスティ(大赦)条項」と呼ばれます。
簡単に言えば、講和条約の締結をもって政治的には戦争責任問題をすべて水に流そう、というのが国際慣行なのです。サンフランシスコ講和条約と関連の平和条約(日中平和友好条約も含む)を締結したことをもって、日本は国際法上、戦争責任はすべて解決したのです。
・もちろん、学問として戦犯とされた方々の功罪を論じることは自由です。しかし学問的に議論することと、国内法上犯罪人でない方々を追悼の対象から外すという行政措置とを混同すべきではありません。
・東京裁判が終わって2年も経たない朝鮮戦争最中の1950年(昭和25)年10月15日、マッカーサーはトルーマン大統領とのウェーキ島会談において、「東京裁判は誤りであった」と報告し、更に帰国後の1951年5月のアメリカ上院の軍事外交委員会において、「この故に日本が戦争に入った目的は、主として自衛のため余儀なくされたものであった(Their purpose, therefore, in going to war, was largely dictated by security)」と証言しました。その後に述べている事は、本質的に自存自衛のための戦争であったとする東条英機被告の宣誓供述書と同じ内容です。
東京裁判はマッカーサーの権威のみにもとづいて(つまり国際法とかアメリカなどの法によらず)行われたものですが、それを当のマッカーサーが公式の場で否定しているのです。東京裁判史観などは過去の亡霊であることは確かです。【8/28 2:00追記】
<5>-(3) こんな『A級戦犯』もいる
・『A級戦犯』として服役した重光葵(禁固7年)は鳩山内閣の副総理・外相となり、賀屋興宣(終身禁固刑)は池田内閣の法相となるなど、かつての戦犯が政界に復帰できました。
賀屋興宣は釈放後、1957年頃にアメリカ政府から東南アジアの開発について意見を求められ、アメリカ大使館に出向き、国務省の極東部長、参事官らに説明をしました。その際、賀屋が衆議院議員選挙に出ることを知っていたアメリカの参事官から、「総理大臣になって、大いに国家と国民のために、よいことができるのではないか」と激励されています。講和条約締結後は、たとえ『A級戦犯』が国会議員や首相となったとしても何ら問題ではないというのが、アメリカ政府の立場だったのです。
また日本は1952年に国連加盟を果たしましたが、国連総会で演説をしたのは重光葵外相でした。が、『A級戦犯』である重光に対し、連合国はじめどこかの国が批判や抗議をしたという形跡は一切ありません。『A級戦犯』は国内だけでなく国外的にも「赦された存在」であった証左と言えます。
<5>-(4) 全国戦没者追悼式では『A級戦犯』も慰霊の対象
毎年8月15日に武道館で催されている「全国戦没者追悼式」にはいわゆるABC級すべての戦犯遺族も招待されています。そこには天皇皇后両陛下、首相、衆参議長も参列しています。全国戦没者追悼式で『A級戦犯』が慰霊されるのは問題なしで、靖国神社は駄目という理由があるのでしょうか?
<5>-(5) 『A級戦犯』さえ分祀すれば中韓は抗議しなくなる?
・分祀でも靖国参拝容認せず 韓国政府が内部確認(産経新聞06年8月17日付)
韓国の聯合ニュースは16日、小泉純一郎首相ら日本の政治家の靖国神社参拝問題について、A級戦犯が分祀(ぶんし)されても参拝は容認できず、問題解決とはならないとの考えを韓国政府が内部で確認したと伝えた。
韓国政府は15日の小泉首相の靖国参拝に対し「A級戦犯が合祀(ごうし)されている靖国神社」との表現で非難したが、今後は分祀問題よりも首相ら政治指導者の歴史認識の改善が最重要との方針で対応する姿勢を示したといえそうだ。
韓国の青瓦台(大統領官邸)関係者は聯合ニュースに対し、靖国神社内の「軍事博物館」である遊就館が侵略戦争を美化する施設と指摘、分祀した後に政治家らが参拝しても容認できないと述べた。(共同)
(08/17 00:31)
中国も「A級戦犯を分祀すれば解決する」などと公式に言ったことはありません。<2>-(4)で詳述しましたが、たとえ『A級戦犯』が外されたとしても、次に『BC級戦犯』外しを要求してこない保障はありません。
・上の韓国の報道が真実ならば、我々は遊就館を取り壊す、あるいは展示内容を中韓のお気に召すように変えさせるなどすべきでしょうか?日本は憲法で表現の自由が保障されています。展示内容が気にくわないからと、民間の施設である遊就館に圧力をかけることは許されません。
仮に遊就館をどうにかしたところで、中韓がまた別の注文をつけるのは必至です。なぜなら中韓は本当のところ、靖国問題が解決すると困るのです。問題解決は、「靖国」という半永続的に使える対日外交カードの消滅を意味するからです。
<5>-(6) 中韓の抗議とは関係なく日本人の意思として分祀をすべき?
・「中韓の抗議とは関係なく、日本人の自発的な意見として分祀論が出てきた」と主張する人もいますが、ウソです。もしそうであれば1979年4月の『A級戦犯』合祀判明の時点で、彼らは反対を表明したはずです。が、そんな動きはありませんでした。
メディアも同様です。靖国問題の急先鋒である朝日新聞は79年の『A級戦犯』合祀報道以来、1985年中曽根公式参拝直前までの6年間、『A級戦犯』合祀に反対する社説を1本も書いたことはありません。現在盛んに分祀を口にしている人間、メディアは中韓の抗議があればこそなのです。
<5>-(7) それでも『A級戦犯』は悪い。日本を戦争へと煽ったじゃないか?
・戦前の日本はマスコミも国民もイケイケドンドンでした。『A級戦犯』の象徴的存在である東条英機は開戦時の首相でしたが、彼は「戦争回避」のために首相になったのです。この時期、軍統帥部の反発を抑えながら戦争回避工作ができる軍人は彼しかいなかったからです。が、すでに世論は開戦論が大勢で、「米国撃つべし!」「この期に及んで東条は何を弱腰になっているのか」「国賊、東条!東条を抹殺せよ!」と、逆に東条を非難する始末でした。
しかもアメリカ側には妥協する意思は全くなく、全面降伏を迫るに等しい「ハルノート」を突き付けました。東京裁判で「『A級戦犯』は全員無罪」と主張したインドのパール判事は後に、「ハルノートのようなものを受け取れば、モナコやルクセンブルクのような国でもアメリカに対し武器を持って立ち上がったであろう」と断じています。
・開戦後戦況がみるみる悪化して、日本の負けは時間の問題だったのに終戦の決断が遅れたことについては、『A級戦犯』の中にも確かに責められるべき人はいるでしょう。但し、だからと言って『A級戦犯』分祀論につなげるのは短絡的ではないでしょうか。彼らを罪人と認定したのは戦勝国であり、日本国民ではありません。たとえ罪人だったとしても、彼らはすでに自分の命で「罪」を償っているのです。そんな彼らの墓(神社には墓はないが)を暴くような行為は日本の文化にはなじまないのではないでしょうか。日本人はそんなに無慈悲な民族ではないはずです。
<5>-(8) 富田メモで昭和天皇が『A級戦犯』に不快感を示されているが?
・メモの解釈には様々な意見があり、論争はまだ始まったばかりです(以下の拙エントリー参照)。
・7/24付:「サンプロ」富田メモ
・8/1付:「諸君!」「正論」より富田メモで識者見解
・8/3付:新潮の富田メモ反論に合わせて日経がぶつけてきた?
・8/1付:「諸君!」「正論」より富田メモで識者見解
・8/11付:「文藝春秋」富田メモ
・どうしても指摘しておきたいことが2点あります。
1点は、昭和天皇のお言葉を紹介した他の文献と、富田メモの内容とでは辻褄が合わない箇所がいくつもあることです。具体的に言えば、富田メモから導き出されている「松岡、白取(白鳥)に限らずA級戦犯全員の合祀に昭和天皇は反対」という見方は到底とれないお言葉が書かれているのです。
・『昭和天皇独白録』によれば、『A級戦犯』の代名詞のように位置づけられた東条英機について、天皇はこう仰っています。
「元来東條と云ふ人物は、話せばよく判る、それが圧制家の様に評判が立つたのは、本人が余りに多くの職をかけ持ち、忙しすぎる為に、本人の気持が下に伝わらなかつたことゝ又憲兵を余りに使ひ過ぎた」「東條は一生懸命仕事をやるし、平素云つてゐることも思慮周密で中ゝ良い処があった。『マリアナ』防備も彼が参謀総長を兼ねてから後〈十九年二月〉、督促してやっと出来たが、時巳に晩かつた。あの時、非戦闘員の玉砕には極力反対してゐたが、世間では東條が玉砕させた様に、云つてゐる」「彼が大東亜各地を飛んで廻った事も〈十八年春から夏〉、彼自身の宣伝の様に云はれて評判が悪いが、これも私の許可を得てやった事である」
また、東条がサイパン陥落を機に辞表を提出したときのことも天皇はこう述べられました。「東條は平沼に云はれて辞表を提出した。袞龍(こんりょう)の袖に隠れるのはいけないと云つて立派に提出したのである」
・昭和天皇が如何なる形にせよ罪に問われるのを防ぐため、『A級戦犯』たちは一方的に裁かれる法廷で天皇を守るために各々の立場で闘いました。東条は当初、日本を犯罪国家として裁いたキーナン検事に、「日本国の臣民(自分)が陛下のご意思に反してかれこれすることはありえぬことであります」と答えました。しかし、この証言は天皇に対する不利な証言となります。そのことに気がついた彼は次の法廷で「(天皇は)私の進言、統帥部その他の責任者の進言によって、しぶしぶ(戦争に)ご同意になった」と述べて、証言を変えたのです。
天皇を庇う『A級戦犯』たちについて昭和天皇は「裁判にかけるといっても皆国のために一生懸命やった者許(ばか)り」と語り、だから「この際自分一人が犠牲になってすむものなら自分が責任をとりたいとお話しなされた」(『木戸幸一日記』第三巻)のです。
・『A級戦犯』7名をGHQは昭和23年12月23日、今上天皇のお誕生日にぶつけて処刑しました。昭和天皇はそのことを知ると、一晩中一睡もせずに部屋を歩き回り、部屋を出る時は眼を真っ赤にさせていたことを、当時の徳川義寛侍従が書いています。
さらに『木戸幸一日記』の9月20日にはこう書かれています。「敵側のいわゆる戦争犯罪人、ことにいわゆる責任者はいずれもかつてはひたすら忠誠を誓った人々だ」。「いわゆる」を2回も使っておられます。ということは、彼らを戦争犯罪人、戦争責任者だと云うのはご自分の意志ではない、というお気持ちの表れではないでしょうか。
・昭和天皇はご自分に責任があると思われ、責任を果たすために一身を投げうつ覚悟をもたれていた(マッカーサーにその旨述べています)が、現実には東条はじめ臣下の者たちの死によって責任は償われ、ご自身は生き残りました。そのことの重い意味を陛下は忘れてはおられなかったはずです。だからこそ、昭和天皇は東条家に毎年、お使いを派遣し、御下賜の御品と、「東條の家族は今どうしているだろうか」というお言葉をかけられていたのではないでしょうか。
・指摘しておきたいことのもう1点は、靖国神社が『A級戦犯』合祀後も、春秋の例大祭に際して昭和天皇から勅使を戴いてきたことや、昭和天皇の弟宮である高松宮殿下や三笠宮殿下を始めとする皇族方がたびたび御参拝になっている事実です。これらは重く受け止められるべきではないでしょうか。昭和天皇が『A級戦犯』合祀に反対して参拝をとりやめられたのならば、合祀後も、皇族方がご参拝になられるはずがありません。
また、たとえ昭和天皇が『A級戦犯』全体に個人的に不快感を示されていたのが事実だとしても、それを理由に分祀をするというのは、国民主権の今の日本にはなじまないのではないでしょうか?
【8/28 13:40この項大幅修正・追記】
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首相の靖国参拝反対派への反論(下)【暫定版】へ続きます。
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Comments
自分は、ヒトラーが神社に祀られているのならば、参拝してもよいと思います。
日本全国の神社を調べてみると分かりますが、祀られているのはいい人ばかりではありません。
イヌやキツネなどの動物、敵、反逆者、反乱者、はてまた鬼さえも祀られています。
あくまでも祀った霊が鎮まることを願うのが目的です。
霊が鎮まらなければ、この世に災いや祟りなどがあると信じられているからです。
だから、いわゆるA級戦犯がそれほど極悪人であれば、なおさら神社に祀り霊を鎮めるべきではありませんか。
あまり関係ないですし、既にご存じならば申し訳ないのですが、ユダヤ人虐殺には
証拠がないのでちょっとした注釈でも付けた方がよいのではないかと。
南京大虐殺のように未だにホロコーストは存在するという話が
確定したかのように出回ってますが、矛盾点がたくさんありますし、
否定派から見れば悪魔の証明なので完全な否定は難しいです。
ご存じない方は一度調べてみると面白いですよ。
戦争はどの国がやったって、「悪の集大成」だと思います。
「A級戦犯」の件。 死生観の問題だと考えます。死生観は、各国の伝統・歴史、個々人の宗教観により、国家間ではもちろん個々人間でも、「死生観」は異なるものと考えます。
お互いの死生観の違いを認めつつ、建設的な議論をしていくことが大事だと思います。
解かりやすく丁寧で、とっても勉強になります。
一寸、気になったのですが・・・
<4>−(6)
ドイツではヒトラーが1933年〜〜〜〜オーストラリア併合
とありますが、オーストリアではないでしょうか?
間違っていたらごめんなさい。
いつも個別にお返事を差し上げられず、申し訳ありません。
じんべいさん:
ご指摘ありがとうございます。先ほど修正いたしました。
それにしても、めっちゃベタな入力ミスですねぇ……ははは(^^ゞ
しかし、道義外交に道義で反論するのは、外交的には同じようにリアリズムから外れています。
その意味では、アジア外交は壊れています。
梅原猛さんによれば
靖国は日本の伝統から外れた西洋的なものだそうです。
西郷さんなど、賊軍とされた人はひっそり末社に追いやられています。敵味方の区別なく、との日本古来の伝統を破って、国家のために顕彰を行う施設に近代化されたのは、ひとつには大村益次郎はフランスかぶれだったので、フランス式の顕彰施設を念頭にしていたからでしょう。
その意味でも靖国の歴史を見直すべきです。これは日本本来のものではありません。
このようなまとめをしてくれて、ありがとうございます。
ただ気になったことがあります。
他の方のサイトでもヒトラーのことを例に挙げて、説明していることがあるのですが、日本の歴史に比べて、ドイツの歴史について調査されているのでしょうかということです。
ヒトラーについてはイメージ先行で記述されているような感じがします。
ヒトラーの件については削除したほうがよいかと思っております。
それがなくても、十分なほどの出来だと思うからです。
ご検討よろしくお願いします。
これは木戸内大臣のことだけを指しています。該当箇所をお読みになったのでしょうか???
「昭和天皇がとりわけ東条英機を忠実な臣下として信頼しておられたことは、さまざまな資料から」
よく引かれる独白録の記述は、他の重臣・軍人に比較した範囲のことで、積極的に特に信頼していたとの記述はまったくありません。
東條英機を首相に推したのは誤りであったと木戸は後悔しています。木戸は近衛との確執の中で
戦術的に東條を押したのであって
開戦回避の可能性をきちんと検証して決断したのでありません。
事実を確認してください。
ご指摘ありがとうございます。ナチスの件について他の方からもご指摘をいただいています。
「ユダヤ人虐殺」について私は肯定する材料も否定する材料も持っていません(ネット上で否定派が増えていることを知っている程度です)。ドイツについては丸ごと削除するかどうかも含めて今後検討します。
. | 2006/08/28 10:52 AMさん:
ご指摘ありがとうございます。木戸のことだけを指している件については確かにその通りでした。他の点も含めて大幅に記述を修正しました。資料をどう読み解くかで各識者の主観の入ってくる点についてはご期待に添えないこともあるかと思いますが、何卒ご容赦下さい。
>ナチスの件について他の方からもご指摘をいただいています。
すみません、これエコさんのことでした<(_ _)>
木戸日記についてあまりに強引な引用をする学者の方もいらっしゃいます。立論をかえってあやうくする愚かな行為だと思うので、引きずられるべきではないでしょう。
木戸日記や独白録を離れても、私個人は以下の点にも疑問をもっています(これは歴史の解釈の問題でしょう)。
マッカーサーは東京裁判開始以前の段階で、天皇を占領統治に利用しようと意図していたので、果たして、昭和天皇の戦争責任を法廷(?)で本気で扱うつもりはあったのか、どうなのか。
連合国の西側にそのような意図は仮に希薄だったとすれば、被告となった重臣たちの挺身はいったい何だったのか、反東京裁判史観にも、もう少し「冷戦」の影響(米ソ対立の紆余曲折)を加味していくべきではないか、と思います。
上〜下まで通読させていただきました。非常に的確なまとめです。素晴らしいお仕事をされましたことに敬意を表します。
もしも可能であれば、
<5>-(2) 『A級戦犯』を認定した東京裁判とは?
では是非とも裁判の管轄権についても触れていただければと思っています。
事後法で裁くという立法上の不当性に管轄権がないという訴訟手続き上の不当性の両面で東京裁判のでたらめさへの理解が深まるのではないかと思います。
蛇足ではありますがご検討いただけたらと思います。
御ブログで紹介して下さったんですね。光栄です。ありがとうございます(T^T)
管轄権について、ご指摘ありがとうございます。ご指摘をいただいて、追記しようとある程度まとめまして、いざUPしようとしたら……ブログの字数制限に引っかかって入らない!(T^T)。最低限の記述にして他サイトに振る形にしても入らない。富田メモのところで銚子に乗って大幅追記したのがまずかったみたいです。うーんどうしよう……。(下)がまだ字数余裕あるから構成やり直すか……。すみませんが暫くお時間下さい<(_ _)>
× 銚子に乗って
○ 調子に乗って
すんません……<(_ _)>
ご丁寧なコメントをありがとうございます。富田メモの部分も重要ですので、ゆっくりと推敲なさってください。構成を組み直すのは大変ですからお気遣い無きよう。
↓
鎮めるため
ご指摘ありがとうございました。修正しました。一通り誤字脱字は見たつもりなんですが、他にもまだまだありそうですね〜(T^T)
靖国神社に関してですが神道には教義が存在しない為、何をもってして宗教的行為かみなす判断は個々人に任せられております。くっくりさんも神社での宗教的行為とは何かとたずねられたら答えられるでしょうか?
神社での宗教的行為とは、本来であれば祭りに参加する事を指します。通常であれば、例大祭や月次祭などの神社のお祭りに参加する事を宗教的行為とするのです。玉串奉典を宗教的行為とするのであれば、墓参りも宗教的行為にあたる筈なのでが・・・神社の側からすると記念日に参拝したからといって宗教的行為とは片腹痛いというか・・・あほくさいというか・・・
日本の政教分離の概念からすれば、国が神社で慰霊祭を主催しない限り政教分離違反に問われる事は無いはずです。判例でも目的効果基準として公費を支出しなければ違憲ではないという事になっているはずです。
なぜ今になって日本人がこのように騒ぐのか考えると、以前有った宗教的な素養が日本人から失われているからでしょう。欧米化した事による弊害なのか近代化による進歩なのか・・・
一度考えてみてください。