オバマ大統領の広島訪問を基本的に歓迎します
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発表から10日。
時機をやや逸してしまいましたが、やはり書いておきたいので…。
[画像は2015年4月に安倍総理が訪米した時のもの]
伊勢志摩サミット出席のため来日するオバマ大統領が、5月27日、安倍総理とともに被爆地・広島を訪問します。
日本国内は概ね歓迎ムードですね。
「オバマ大統領のレガシー作りに利用されるのは困る」という懸念はあるものの、私も基本的には歓迎です。
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発表から10日。
時機をやや逸してしまいましたが、やはり書いておきたいので…。
[画像は2015年4月に安倍総理が訪米した時のもの]
伊勢志摩サミット出席のため来日するオバマ大統領が、5月27日、安倍総理とともに被爆地・広島を訪問します。
日本国内は概ね歓迎ムードですね。
「オバマ大統領のレガシー作りに利用されるのは困る」という懸念はあるものの、私も基本的には歓迎です。
世界でただ一国、核兵器を実戦で使用し、何十万人もの無辜の民(私たちの同胞)を殺害したアメリカ、その現役大統領による初の被爆地訪問という重みを考えた時、やはり感慨深いものがあります。
被害国と加害国のトップが、ともに被爆地で、犠牲者(広島を含む第二次世界大戦で亡くなった人々、というのがオバマ政権の見解)に哀悼の意を表する。
日本だけではなくアメリカにとっても重たいことで、そこはオバマ大統領の決断を素直に評価してもいいのではないかと思っています。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
広島の平和記念公園にある慰霊碑にはこう書かれています。
主語がないため、何かと物議をかもす文章ですよね。
では、主語が必要な英語では、これはどう訳されるのでしょう?
4月に広島でG7の外相会合が行われ、外相らが平和記念公園を訪れた時、外務省は、碑文の主語を「WE=人類」であって、決して特定国を指すものではないと、各国に説明したそうです(朝日新聞4月12日)。
これは、1970年に当時の山田節男広島市長が、「主語は『世界人類』であり、碑文は人類全体に対する警告・戒めである」との見解を示したことから来ているようです。
が、日本の左派の間では、主語は「日本」、つまり原爆投下は日本に責任があるという解釈がされることも未だにあるようです。
そんな馬鹿な。
原爆を投下したのはアメリカなのに、なぜ日本に責任が?
本来なら、あの碑文の主語は「アメリカ」とすべきです。
百歩譲っても、外務省や広島市側が言う「人類」でしょう。
であれば、オバマ大統領が被爆地を訪問することで、少なくとも主語に「アメリカ」が含まれることになりませんか?
つまり、左派の「原爆投下の原因と責任の全ては日本にある」という主張はこれで崩れませんか?
そんなささやかな希望を私は持っています。
オバマ大統領の広島訪問を実現させるため、日米間では、民間も含め、さまざまな人々が努力を続けてこられたと思います。
安倍総理はもとより、広島出身の岸田外相の思いは特に強かったようです。
アメリカでは、キャロライン・ケネディ大使(オバマ大統領と直接やり取りできるらしい)の尽力が大きかったと聞きます。
決定的だったのは、4月にケリー国務長官がG7の外相の一員として広島を訪れたことでしょうか。
ケリー国務長官は、原爆資料館を訪れ、原爆慰霊碑に献花をし、「誰もが広島を訪れるべきだ。アメリカの大統領もここを訪れてほしい」とメッセージを発しました。
これは、自国民の反応を見るアドバルーンでもあったようです。
微妙な問題なので、何かひとつでもボタンの掛け違いが生じていたら、大統領の訪問は実現しなかったかもしれません。
私はふだん親米でも反米でもないですが、原爆投下や空襲で民間人の大量虐殺を行ったという点については、とことん反米です。
特に原爆投下、これはまさに悪魔の所業です。
原爆の被害は、投下直後だけでなく、長い年月に及んでいます。
こうの史代さんの「夕凪の街 桜の国」という広島原爆がテーマの漫画があります(以前紹介しました)。
周囲に被爆者や関係者がいない私は、この漫画でそれを追体験することができました。
第一部の主人公の女性は、被爆から10年後に後遺症で亡くなります。
今際の際の彼女の言葉(モノローグ)は、こういうものでした。
【十年経ったけど
原爆を落とした人はわたしを見て
「やった!またひとり殺せた」とちゃんと思うてくれとる?
…ひどいなあ
てっきりわたしは死なずにすんだ人かと思ったのに】
第二部は、彼女の生き残った家族と子孫の物語(昭和62年と平成16年が舞台)ですが、彼らも原爆の影響とは無縁ではいられませんでした。
漫画を例に引きましたが、現実も同じです。
原爆の「傷」は、今も残っています。
本人だけでなく、子孫や周囲の人も巻き込んで。
それでも、アメリカ側に無理に謝罪を求めない日本側(被爆された方や遺族や今も苦しんでいる方々)の姿勢を私は素晴らしいと思っています。
過去よりも、未来を考えてほしいという姿勢。
もちろん内心、忸怩たる思いでいる方も多いとは思いますが…。
もし、日本側から謝罪を求めるような動きが少しでもあれば、オバマ大統領の広島訪問は見送られていたでしょう。
謝罪よりも、核兵器の廃絶を願い、二度と使われることのないようアメリカはじめ国際社会に求めていく。
そして、日米両国のさらなる友好を願う。
そんな日本の「やわらかな姿勢」が、実は私は好きだったりします。
中韓の自己中心的な姿勢を見るにつけ、その思いはより強くなります。
中韓の代弁者・朝日新聞は、5月11日の社説でこう書いたそうです。
【米大統領の被爆地訪問は、日本の戦争責任をめぐる論議を再燃させる可能性がある。韓国や中国ではすでに「加害者である日本を被害者にするものだ」といった反発の声が聞かれる。
オバマ氏を広島に迎えることは、日本の政治指導者も、過去の戦争責任をどう受け止めるべきか、改めて考える機会としなければならない。】
これを機に「日本の戦争責任をめぐる論議を再燃」させてやろう!という、朝日のよこしまな思いが伝わってきます。
まずは、オバマ大統領を広島に静かに迎え、私たち国民も改めて犠牲者に哀悼の意を表しませんか。
そして、大統領が私たちにどんなメッセージを送るか見守りませんか。
まっちゃん(松本人志さん)が5月15日放送「ワイドナショー」で言っていたこれは、ちょっと甘いかもしれませんが…
でも、そう思いたい気持ちは分かります。
というか、私はまっちゃんより、もっと甘いことを考えているのかもしれません。
私は、いつか自発的にアメリカの側から謝罪する日が来るのではないか、という希望を持っているのです。
もっとも、近い将来は無理でしょう。
その理由として、アメリカで現在行われている教育の影響も大きいし、日本と戦った軍人たちがご存命であることも挙げられます。
もうひとつの大きな理由として、そもそもアメリカ含め世界の人たちは、原爆の恐ろしさをあまり知らないですよね。
彼らの認識は、80年代とさほど変わっていないと思います。
アメリカでは、今も半数以上の国民が、「広島・長崎への原爆投下は正しかった」と考えているそうです。
戦争の早期終結のためにはやむをえなかったことで、必要悪であったと。
(実は私も若い頃、そう思っていた時期がありました。刷り込みというのは恐ろしい!)
ただ、そのアメリカも、若い世代だけを見ると、「原爆投下は間違いだった」という声が逆転しているそうです。
このように、歴史認識や価値観というものは、時代・世代の移り変わりとともに変化していくことがあります。
日本では、「オバマ大統領は謝罪すべきだ」「謝罪なき訪問だったらいっそ来ない方がいい」という意見もあるようですが*1、一足飛びに謝罪させようというのがそもそも無理筋だと思うし、まずは原爆の悲惨さを知ってもらうことが先決ではないでしょうか。
その意味でも、現役大統領の訪問はやはり大きいと思います。
*1 たとえば青山繁晴さんは「オバマ大統領は謝罪すべき。謝罪が無理ならそれに代わる表現、すなわち2009年のプラハ演説で述べた『道義的責任(Moral responsibility)』をメッセージに盛り込んでほしい」という趣旨の主張をしています。
日本は今後も、謝罪云々よりも、まずは核兵器の恐ろしさを理解してもらって、「原爆投下は間違いだった」と考えるアメリカ人が増えていくよう尽力すべきだと思います。
そうすれば、やがて自発的にアメリカ側から謝罪の言葉が聞ける日が来ると、私は信じています。
その日が、10年後なのか100年後なのかは分かりませんが…。
ちなみに、私は日本が核武装がすべきどうかについては、長年ずーっと悩んでいます。
理屈で言えば、「二度と落されないためには持つべきかもしれない」とは思います。
一方で、「持とうとすれば国際的に孤立してしまう」という現実的な心配ももちろんあります。
これだけは確実に言えるのは、広島・長崎の方々やオバマ大統領がいくら核廃絶を訴えても、残念ながら、「一度持ってしまった物はなくせない」ということです(核兵器以上に強力で安上がりな武器が出てくれば別ですが)。
大切なのは、日本が二度と核兵器の惨禍にさらされないようにすることで、そのための議論はどんどんすべきだと思います。
議論するだけでも抑止力になりますし。
ただ、日本の言論状況は、あいかわらず厳しいですね。
故・中川昭一さんが約10年前、「議論すべき」と発言し、野党や左派メディアなどから袋叩きにされたことがありました。
その後、中川さんはこう言いました。
「非核三原則に『言わせず』を加えた非核四原則どころか、『考えてもいけない』という非核五原則だ」
今の日本は、その当時とほとんど何も変わっていないように見えます。
「言ってはいけない」「考えてもいけない」と強要する左派の人々は、かつての“軍国主義日本”の指導者たち(彼らが最も忌み嫌う存在)と同じことをしていることに、気づいていないようです。
オバマ大統領の広島訪問により、日本ではさらに議論しにくい環境になっていくかもしれないので、そこはちょっと心配ですね。
但し、「在日米軍基地撤退」「日韓の核武装容認」を示唆したトランプ氏が次の大統領になったら(最終的にはなれなくても勢いが続けば)、また違ってくるかもしれませんが…。
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※拙ブログ関連エントリー
・(旧ブログ)05/8/8:「たかじん委員会」辛坊さんが原爆で左派教育者批判
・07/7/1:「原爆投下はしょうがない」発言について
・07/7/6:「ムーブ!」日本の“原爆歴史観”
・08/10/28:【アンケート】「日本は核武装すべきですか?」結果と全コメント(1)
・08/10/28:【アンケート】「日本は核武装すべきですか?」結果と全コメント(2)
・13/5/24:『原爆投下は神の懲罰』安倍政権に対する韓国の嫉妬
・13/8/12:「はだしのゲン」より、こうの史代さんの漫画をお薦めします
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これは、1970年に当時の山田節男広島市長が、「主語は『世界人類』であり、碑文は人類全体に対する警告・戒めである」との見解を示したことから来ているようです。
が、日本の左派の間では、主語は「日本」、つまり原爆投下は日本に責任があるという解釈がされることも未だにあるようです。
そんな馬鹿な。
原爆を投下したのはアメリカなのに、なぜ日本に責任が?
本来なら、あの碑文の主語は「アメリカ」とすべきです。
百歩譲っても、外務省や広島市側が言う「人類」でしょう。
であれば、オバマ大統領が被爆地を訪問することで、少なくとも主語に「アメリカ」が含まれることになりませんか?
つまり、左派の「原爆投下の原因と責任の全ては日本にある」という主張はこれで崩れませんか?
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オバマ大統領の広島訪問を実現させるため、日米間では、民間も含め、さまざまな人々が努力を続けてこられたと思います。
安倍総理はもとより、広島出身の岸田外相の思いは特に強かったようです。
アメリカでは、キャロライン・ケネディ大使(オバマ大統領と直接やり取りできるらしい)の尽力が大きかったと聞きます。
決定的だったのは、4月にケリー国務長官がG7の外相の一員として広島を訪れたことでしょうか。
ケリー国務長官は、原爆資料館を訪れ、原爆慰霊碑に献花をし、「誰もが広島を訪れるべきだ。アメリカの大統領もここを訪れてほしい」とメッセージを発しました。
これは、自国民の反応を見るアドバルーンでもあったようです。
微妙な問題なので、何かひとつでもボタンの掛け違いが生じていたら、大統領の訪問は実現しなかったかもしれません。
私はふだん親米でも反米でもないですが、原爆投下や空襲で民間人の大量虐殺を行ったという点については、とことん反米です。
特に原爆投下、これはまさに悪魔の所業です。
原爆の被害は、投下直後だけでなく、長い年月に及んでいます。
こうの史代さんの「夕凪の街 桜の国」という広島原爆がテーマの漫画があります(以前紹介しました)。
周囲に被爆者や関係者がいない私は、この漫画でそれを追体験することができました。
第一部の主人公の女性は、被爆から10年後に後遺症で亡くなります。
今際の際の彼女の言葉(モノローグ)は、こういうものでした。
【十年経ったけど
原爆を落とした人はわたしを見て
「やった!またひとり殺せた」とちゃんと思うてくれとる?
…ひどいなあ
てっきりわたしは死なずにすんだ人かと思ったのに】
第二部は、彼女の生き残った家族と子孫の物語(昭和62年と平成16年が舞台)ですが、彼らも原爆の影響とは無縁ではいられませんでした。
漫画を例に引きましたが、現実も同じです。
原爆の「傷」は、今も残っています。
本人だけでなく、子孫や周囲の人も巻き込んで。
それでも、アメリカ側に無理に謝罪を求めない日本側(被爆された方や遺族や今も苦しんでいる方々)の姿勢を私は素晴らしいと思っています。
過去よりも、未来を考えてほしいという姿勢。
もちろん内心、忸怩たる思いでいる方も多いとは思いますが…。
もし、日本側から謝罪を求めるような動きが少しでもあれば、オバマ大統領の広島訪問は見送られていたでしょう。
謝罪よりも、核兵器の廃絶を願い、二度と使われることのないようアメリカはじめ国際社会に求めていく。
そして、日米両国のさらなる友好を願う。
そんな日本の「やわらかな姿勢」が、実は私は好きだったりします。
中韓の自己中心的な姿勢を見るにつけ、その思いはより強くなります。
オバマ大統領の広島訪問決定で、中韓メディアが「日本が加害を隠そうとしてる」「被害者になろうとしてる」てな反応。ケリー国務長官が広島訪問した時もそんな反応でしたね。何でそんな目でしか見られないのかな。加えて言うと、嘘の「従軍慰安婦」「南京大虐殺」と違い、原爆投下は歴史の事実です。
— くっくり (@boyakuri) 2016年5月10日
【阿比留瑠比の極言御免】原爆投下、謝罪や賠償求める必要なし 決めるのは米国 https://t.co/WzaUSyYaUf 「相手国に謝罪や賠償を突きつけることで道徳的に優位に立とうとするような流儀は、日本にはなじまない」。私達は、計算ずくの中国や感情むき出しの韓国とは違うのだ。
— くっくり (@boyakuri) 2016年5月11日
【オバマ氏広島訪問】「戦犯国の日本が被害者に化けるあきれた事態」韓国メディア 米大統領に「要求」 https://t.co/8jS0Riw3Vc「訪問決定は性急で、遺憾だ」とか「オバマ大統領は、太平洋戦争の象徴的な場所の広島で日本の戦争責任を指摘しろ」とか、自分勝手な主張ばかり。
— くっくり (@boyakuri) 2016年5月13日
中韓の代弁者・朝日新聞は、5月11日の社説でこう書いたそうです。
【米大統領の被爆地訪問は、日本の戦争責任をめぐる論議を再燃させる可能性がある。韓国や中国ではすでに「加害者である日本を被害者にするものだ」といった反発の声が聞かれる。
オバマ氏を広島に迎えることは、日本の政治指導者も、過去の戦争責任をどう受け止めるべきか、改めて考える機会としなければならない。】
これを機に「日本の戦争責任をめぐる論議を再燃」させてやろう!という、朝日のよこしまな思いが伝わってきます。
まずは、オバマ大統領を広島に静かに迎え、私たち国民も改めて犠牲者に哀悼の意を表しませんか。
そして、大統領が私たちにどんなメッセージを送るか見守りませんか。
まっちゃん(松本人志さん)が5月15日放送「ワイドナショー」で言っていたこれは、ちょっと甘いかもしれませんが…
松本は、今回のオバマ大統領訪問に対して、広島市民が「(大統領が)来ることに意味がある」とコメントしていることを取り上げ、「僕はなんて日本国民って礼儀正しい国民なんだろうと思って感動するんですよ」と指摘した。
そして、こんな国はどこを探してもないと称賛した上で、各種メディアはこうした発言を幅広く発信することで、世界中の人に「日本人って、なんて美しい人種なんだ」と感じてほしいと訴えた。
しかし一方で松本は「アメリカ人はそれをいっぱい聞いて恥じてほしいな」とも注文をつける。
「謝るとか、そんな次元ではないと僕も思うんですよ」とし、「恥じてくれたらいいんですよ。『美しい国になんて美しくないことをしてしまったのかな』と思ってくれるだけで、僕はいいんですけどね」と主張した。
でも、そう思いたい気持ちは分かります。
というか、私はまっちゃんより、もっと甘いことを考えているのかもしれません。
私は、いつか自発的にアメリカの側から謝罪する日が来るのではないか、という希望を持っているのです。
もっとも、近い将来は無理でしょう。
その理由として、アメリカで現在行われている教育の影響も大きいし、日本と戦った軍人たちがご存命であることも挙げられます。
もうひとつの大きな理由として、そもそもアメリカ含め世界の人たちは、原爆の恐ろしさをあまり知らないですよね。
米ケリー長官はじめG7外相が広島原爆資料館視察、慰霊碑献花。原爆の残虐さを少しでも知ってもらえたのなら嬉しい。80年代に「ザ・デイ・アフター」(米ドラマ)「風が吹くとき」(英アニメ映画)などの「ぬるい」描写に、欧米の人は原爆の実態をよく知らないのだなとガッカリした覚えがあります。
— くっくり (@boyakuri) 2016年4月11日
彼らの認識は、80年代とさほど変わっていないと思います。
アメリカでは、今も半数以上の国民が、「広島・長崎への原爆投下は正しかった」と考えているそうです。
戦争の早期終結のためにはやむをえなかったことで、必要悪であったと。
(実は私も若い頃、そう思っていた時期がありました。刷り込みというのは恐ろしい!)
ただ、そのアメリカも、若い世代だけを見ると、「原爆投下は間違いだった」という声が逆転しているそうです。
このように、歴史認識や価値観というものは、時代・世代の移り変わりとともに変化していくことがあります。
日本では、「オバマ大統領は謝罪すべきだ」「謝罪なき訪問だったらいっそ来ない方がいい」という意見もあるようですが*1、一足飛びに謝罪させようというのがそもそも無理筋だと思うし、まずは原爆の悲惨さを知ってもらうことが先決ではないでしょうか。
その意味でも、現役大統領の訪問はやはり大きいと思います。
*1 たとえば青山繁晴さんは「オバマ大統領は謝罪すべき。謝罪が無理ならそれに代わる表現、すなわち2009年のプラハ演説で述べた『道義的責任(Moral responsibility)』をメッセージに盛り込んでほしい」という趣旨の主張をしています。
日本は今後も、謝罪云々よりも、まずは核兵器の恐ろしさを理解してもらって、「原爆投下は間違いだった」と考えるアメリカ人が増えていくよう尽力すべきだと思います。
そうすれば、やがて自発的にアメリカ側から謝罪の言葉が聞ける日が来ると、私は信じています。
その日が、10年後なのか100年後なのかは分かりませんが…。
ちなみに、私は日本が核武装がすべきどうかについては、長年ずーっと悩んでいます。
理屈で言えば、「二度と落されないためには持つべきかもしれない」とは思います。
一方で、「持とうとすれば国際的に孤立してしまう」という現実的な心配ももちろんあります。
これだけは確実に言えるのは、広島・長崎の方々やオバマ大統領がいくら核廃絶を訴えても、残念ながら、「一度持ってしまった物はなくせない」ということです(核兵器以上に強力で安上がりな武器が出てくれば別ですが)。
大切なのは、日本が二度と核兵器の惨禍にさらされないようにすることで、そのための議論はどんどんすべきだと思います。
議論するだけでも抑止力になりますし。
ただ、日本の言論状況は、あいかわらず厳しいですね。
故・中川昭一さんが約10年前、「議論すべき」と発言し、野党や左派メディアなどから袋叩きにされたことがありました。
その後、中川さんはこう言いました。
「非核三原則に『言わせず』を加えた非核四原則どころか、『考えてもいけない』という非核五原則だ」
今の日本は、その当時とほとんど何も変わっていないように見えます。
「言ってはいけない」「考えてもいけない」と強要する左派の人々は、かつての“軍国主義日本”の指導者たち(彼らが最も忌み嫌う存在)と同じことをしていることに、気づいていないようです。
オバマ大統領の広島訪問により、日本ではさらに議論しにくい環境になっていくかもしれないので、そこはちょっと心配ですね。
但し、「在日米軍基地撤退」「日韓の核武装容認」を示唆したトランプ氏が次の大統領になったら(最終的にはなれなくても勢いが続けば)、また違ってくるかもしれませんが…。
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※拙ブログ関連エントリー
・(旧ブログ)05/8/8:「たかじん委員会」辛坊さんが原爆で左派教育者批判
・07/7/1:「原爆投下はしょうがない」発言について
・07/7/6:「ムーブ!」日本の“原爆歴史観”
・08/10/28:【アンケート】「日本は核武装すべきですか?」結果と全コメント(1)
・08/10/28:【アンケート】「日本は核武装すべきですか?」結果と全コメント(2)
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Comments
なぜか謝罪という雑音が暴れまわってアメリカに謝罪ではないと明言させ、せっかくの追悼にケチが付きましたがオバマ氏の英断を歓迎いたします。
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2016051902000277.html
【オバマ大統領広島訪問 「日本国民の反応にとても心動かされた」】
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00325146.html
オバマ大統領は、今回の訪問中に、「道義的責任」に触れた上で、核廃絶に向けて将来の核使用を防ぎ、核の役割を低減する意向を表明する。そして被爆者と会う可能性はあるそうで、被爆の体験談が記された書籍などを自ら読んでいるそうです。
くっくりさんの紹介された「夕凪の街 桜の国」が英語であれば読んで頂きたいです。
核兵器についてちゃんとした賛成・反対の議論する為にも、非核5原則はなくさないと、私達に「カエルの楽園」の9条信徒カエルと同じ厳しい現実がやって来そうな気がします。
日本人は謝れ!としつこく言って謝ってもらう事にあまり価値を見出していないと思います。
形だけでも謝罪の言葉が聞けたら、それをネタに金や立場を要求する事をよしとしないから。
こちらから何も言わずとも、相手に心からの謝罪の気持ちが芽生えた時に、静かにそこに寄り添い、
二度と同じ過ちを犯さないように
お互いに未来に向かって歩ける関係になれる事が理想ですね。
オバマ大統領が原爆資料館をご覧になって
胸に迫るものがあり、密かに心に誓うものがあれば、
今はそれで良いのではと被爆者2世の自分は思います。
両方とも投下直後から存在していた批判ですが、後者は核抑止力が存在し、核兵器を全否定することが困難な現状ではもってこいの理由でしょうね。
それに核兵器の「残虐さ」は、核抑止力の正体ともいえるものではないでしょうか。
実は核兵器の残虐さを声高に叫ぶことは、核の抑止力の凄さを宣伝していることにもなるという見方もあるのです。
まあ核に代わる兵器や戦略というものも構想としては出てきているのですが。
まだ技術的な問題があったり、国防予算の減額のあおりを受けたりで開発は停滞しているよう(?)です。
ともあれ、このオバマ大統領訪問で何かが変わるきっかけになればいいですね。
余談ですが「風が吹くとき」の中に、主人公たちが板を45度の角度で設置すれば放射能が反射するとか言っている描写があったそうで。
これ、実際に当時の英国政府の公式パンフレットの中に書かれていたことだそうです。
指摘を受けた政府は急いでパンフレットを回収したという話を、当時の「月刊アニメージュ」で読んだ記憶があります(かなりうろ覚えなのですが)。
しかし本当に、謝罪を求めないこと、オバマ大統領訪問の実現、そしてそれらがたとえ表面的であろうと二国間のわだかまり解消への一歩へと向かいそうであることをかの国はどう思うのでしょうか。
何も思わないかもしれませんが…
いつも読ませて頂いております、ありがとうございますm(_ _)m
上手く説明出来るかわかりませんが・・・
私はオバマ大統領(というかアメリカ大統領)は、謝罪するべきでないと考えております。
と申しますのは、原爆投下は誰が見ても間違いで、ハーグ陸戦条約も明らかに違反しています。
まして実験としての投下であったとなれば、なおさらです。
それを今更謝罪するのではなく、あえて謝罪をせずに戦争がどれだけ狂気を正当化させる恐ろしいものであるかを身を持って示す事が(それらを正当化し、なじられる事が)、アメリカの謝罪になるのではないかと考えております。
又、本当に謝罪をするのならアメリカ一国だけではなく、連合国が東京裁判について謝罪するべきだと思います。
(当然インドをのぞきます)
原爆の被害者の方々及び被害者のご家族は、せめて謝ってもらわないとやりきれないという思いがおありだろうとは思います。
けれど薄い謝罪の言葉より、戦争と原爆の恐ろしさをアメリカに・世界に広め、どれだけ被害者とご家族が苦しんだかを伝え、何がいけないのかを真剣に考えてもらえば、少しは報われるのではないでしょうか。
私は憲法九条改正に賛成ですが、もちろん戦争は反対です。
戦争・テロで失われる命が少しでも減ります様に、心より祈ります。
拙い文章で申し訳ありませんでした。
相手方を無差別に殺戮する戦いは、とっくの昔にやめています。
アメリカという国は、日本国民の立ち振る舞いに学んでほしいものです。(一部のおかしな人を除く。)
広島や長崎を大統領が訪れることに意義があり、そこで、祈りをささげることが第一歩だとおもいます。
「謝罪の意思の無い人間に謝罪させても意味が無い」と思いますし、「火病の国の民のように謝罪を要求する」気もありません。
「謝罪なき訪問でも広島訪問の意義はある」と思いますし、「いつか自発的にアメリカの側から謝罪する日が来る」とも思います。
ただ、忘れてはいけません、オバマは「プラハ演説」でノーベル平和賞をもらっていることを
オバマが「プラハ演説」などしていなければ、「オバマが広島訪問をレガシー作りに利用する」ことすら気にならなかったと思う。
「核兵器を使ったことのある唯一の核保有国として、行動する道義的責任がある」「核兵器のない世界の平和と安全保障を追求するという米国の約束を明確に宣言する」と宣言したのです。
勿論のこと核廃絶など容易にできるものではないですが、核廃絶のために必要な第一歩は「核を持たない国が安全保障上の不利益を被らない」ようにすること。
具体的には、「如何なる前提条件を持たずに核の兵器の使用は【悪】」と規定して、「核兵器保有国(米・英・仏・露・中)は、何れかの核兵器保有国Aが核兵器非保有国を核攻撃ないし核で恫喝した場合は、【無条件で】A以外の核兵器保有国はAに核攻撃をする義務を課す」という第一歩が必要です。
でないと北朝鮮のように「自国の安全保障のために」核を持とうとする国が後を絶たず、核廃絶とは真逆の核拡散が進むのです。
(核兵器の使用が【悪】でなければ、【無条件】での制裁という理屈が成立しない/除外条件が発生してしまうという点が大事です)
核廃絶の第一歩は、核の兵器の使用は【悪】と規定すること、即ち、米国の広島・長崎への原爆投下【悪】だったと認め謝罪することです。
自分は「プラハ演説」をしたオバマは広島で謝罪すべきと思います。
オバマ大統領にはできたら記者会見もしてほしくないのですが、その上で自らの大言壮語に再考の機会を与えることになればと願ってやみません。
レイムダックはレイムダックです。マスコミの斜め上な電波がない限り今のオバマに何を期待してもいけないのです。
それと、実際に核兵器を持つかどうかは別問題です。
個人的には、持つことにより抑止力向上にはなると思います。
しかし、わが国は国土が狭く、核兵器を使う使わないは別にして、戦場となった場合に攻め込まれたときの反撃が極めて困難です。
そういう意味では、核兵器の保有は、そもそもの戦線勃発を抑止するという意味で有利と考えます。
「法的には違法だと思うが、罪には問わない」という事ですね。
自分は東京裁判で、どう考えてもハーグ陸戦条約違反の兵器である原爆投下の罪が問われなかった事は、おかしいとは思いますが、この裁判はあくまで「政治的な決着」を図る為に行われた「政治ショー」であると考えている為、東条英機らA級戦犯が敗戦責任を背負う形で、政治的決着自体はついているのだと思います。
一方で、左派がよく述べる「日本の戦争責任論」はおかしな議論だと思いますね。
そもそも「戦争責任」とは何なのかがよく分かりません。
「戦争」とは「政治」の一種なので、あるとしたら「政治責任」、「敗戦責任」しかないのではないかと思いますが、「戦争」自体が直ちに「悪」とするのは違和感を覚えます。
「侵略」を表明している国家から「防衛」する事は国家の義務ですから、それ自体まで否定するのは、相手国の「属国」となるわけで、「主権」を放棄する事に等しいのではないかと思います。
核を持たない国が、核を持つ国を非難するのは理解できますが、核を持つ国が、同じく核を持つ国や、これから持とうとする国を非難するのはおかしいだろうと思います。
たとえ、支那や北朝鮮のような野蛮国家であったとしても、米国などの先に核武装を行っている国が非難する筋合いは無いように思いますね。
日本は、北や支那を非難する事ができますが、それだけですね。
「防衛」という観点からしてみれば、「核」を持つ事まで否定するのはどうかと思います。
外交的に孤立する可能性は無きにしも非ずですが、それだけで孤立するのならば、支那やロシア、米国も孤立しているとは思いますが、していません(北朝鮮でさえも孤立という意味では、微妙なところで、むしろ核を持たない韓国の方が孤立していると思います)。
核を持つ事で新たな展望が開けるのならば、核を持つ事を議論するべきかと思いますね。
http://ameblo.jp/orange54321/entry-12058297272.html
戦後に進駐してきた米国は、広島と長崎に原爆傷害調査委員会(ABCC)を設置して放射能の影響調査を始めました。そこに生存者を連れて行き、血液を採取し、傷やケロイドの写真、死亡した被爆者の臓器などを摘出して、様々な調査や記録を行っていましたが、治療をすることはほとんどありませんでした。
被爆した人を治療すると言って病院に入院させたが治療をまったくせず、その後に死亡すると司法解剖して臓器などをホルマリン漬けにして保存し、アメリカに持って行き分析もしていました。
米国は、原爆によって重度の火傷や放射能傷害の治療方法を必死に模索していた広島と長崎の医者達に、治療方法の発表と交流を禁止し、被爆者のケロイドの皮膚・臓器・血液などやカルテを没収していました。
更に、日本政府に国際赤十字から医薬品の支援申し出を拒否させ、治療させることをことごとく妨害していました。外部から広島や長崎に入ることを禁じ、原爆報道も全て禁止しました。
>現在きれい事の被曝者談話を聞く事が多いと思います。
田母神俊雄さんが「そこまで言って委員会」で「私は被曝者に会った事があるが、本当はあいつらに同じ目にあわせてやりたいと言っていた。」と語っていた事がいまだに心に引っかかっています。
復讐心を飲み込んで生きていかなければならなかったというのが本当の所ではないでしょうか?
GHQのWar Guilt Information Programも日本人の復讐心を抑え込む為のものだった事も間違いないでしょう。
原爆投下は明らかにアメリカの蛮行です。しかし、戦時中日本もアジアで数多くの蛮行を重ねました。つまりは、戦争は全てをむちゃくちゃにします。だから戦争はしてはいけないのです。
日本は戦後、平和国家の道を歩んできました。敵国アメリカとも和解しました。
広島訪問という非常に厳しい選択を勇気を持って決断したオバマ大統領を星条旗で歓迎することが、こうした戦後70年の日本国民の歩みを端的に世界に示すことになると考えます。
広島を星条旗で満たせば、世界は和解の大切さを改めて認識するのではないでしょうか。
https://youtu.be/EHZYOPI89SY
(動画)
最近この様な動画を沢山見かけるようになりました。
アメリカ大統領オバマ氏の日本への謝罪(広島原爆記
念碑訪問)の為の情報宣伝活動でしょうか。
支那朝鮮に支配されている反日売国テレビ局・マスコミ
の宣伝してきた事と真逆の内容です。
詳細は
神 風 軍 団
http://www.aixin.jp/axbbs/ktr/kkg.cgi
犯罪だというからには法的根拠が必要なのです。
それはともかく(話は変わりますが)、国際社会というのは、そもそも国内のように法律が国家を拘束するような法治社会とは言えないのですね。
なぜなら国家の上に立つものが無いからです。
つまり国際社会というのは一つの法律の下に動いているのではなく、それぞれの法律を持った各国家それぞれが取り決めを作ったり、または集まって決めていくものなのですね。
国連も、特権を持った五か国という存在はありますが、主権を持った各国家が集まって物事を決めようとする組織にすぎません。
国際法も、違反したら必ず罰しなければならないというものではなく、これを構成する二つの法源 ─条約はそれを批准した国家だけが守る責務を負うものであり、慣習法は国家間の行いによって変わってゆく可能性がある─ というもので、違反しても罰する動きがなければそれまでなのです。
国家の都合や情勢の変化によって扱いが変化するものと言えばいいでしょうか。
国際社会は声が通るものや力の強いもの、徒党を組んだものがが幅を利かす世界と言ってもいいかもしれません。
このような社会では、道義的な価値観というものは弱くなりやすいものになると思うのです。
まあこのようなことを書けば、「力が強ければ何をしてもいい」と思う人もいるでしょうし、実際そのような面はありますが、やって反感を持たれたらその国の印象が悪くなり、その行動に対処しようとする動きが活発化するので、あまり得策とは言えないかもしれません(現在の中国がその状態に陥っていますね)。
http://mainichi.jp/articles/20160516/k00/00m/030/105000c
元米兵捕虜、オバマ氏来日同行へ 広島訪問、被爆者と対面も
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016052201001348.html
正直、こういうアメリカの反応を見ると、日本のやり方は甘いと思うし、アメリカにも通じてないと思う。
ライスの発言からは、謝罪を要求されるのは必然的な事だと思っているので、それを恐れているのが分かるし、捕虜同行の件からは、原爆との相殺を図っていることが分かる。アメリカ兵の捕虜を虐待した報復の結果だから仕方が無いと言わんばかりの対応だ。
しかし、このアメリカのロジックからすれば、ベトナムやイラクにもアメリカを核攻撃する権利があることになる。今や、テロリストでさえこの屁理屈を使う時代になったので、自ら作った屁理屈により、アメリカが一番リスクに晒されているともいえる。
百歩譲って謝罪しなくとも、原爆の使用が誤りだったことをオバマが今回の訪問で認めなければ、彼の主張する核の廃絶など絵空事である。
全くその通りですね。
捕虜同行を知った時は愕然としました。
相殺など到底出切る筈はありません。
広島の皆さんがこの元捕虜達にどんな暴言を吐かれるのかと考えるだけで、腸が煮えくり返る思いです。
★阿羅漢さんへ
>戦時中日本もアジアで数多くの蛮行を重ねました。
とんでもない間違いです。
日本史を正しく勉強しなさい!。
戦争法規をを最も守って戦ったのは日本軍です。
そんな史実も知らないのですか!?
自分は悪い事をした、と素直に認めて謝罪できる良い人間だ、とアピールしたいと言うのは、貴方の勝手な自己満足に過ぎません。
その貴方の勝手な自己満足、自己陶酔で、日本の為に命をかけて闘った英霊の皆様をを貶めるのは絶対許されない。
★すぷーさんへ
原爆投下は大犯罪だと断定できます。人種差別による明らかな人体実験です。もう遥か昔から知られている事実です。
上記の taigenさんのコメントに貼られているURLを見て確認しなさい。
意味不明な屁理屈を長々垂れて自己満足する等とは、愚かな左翼と同じです。
自分だけの勝手な自己満足、自己陶酔で日本を貶める自己中な日本人?の何と多い事か・・・
いや、人間の所業ではない。
まさに悪魔の為せる暴挙。
以下は私が別の人のブログのコメント欄に書いたものですが、これが私が「原爆投下が犯罪だと断定できるものではない」と考える理由です。
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原爆投下が人体実験だったかはともかく、犯罪だったと断定できる状態ではないと思います。
皆さんが原爆投下が犯罪だったと断定する理由はハーグ陸戦条約を根拠とされていると思います。
この「条約」というのも国際法を形作る一つの要素なのですが、もう一つの要素である「慣習法」 ─多数の国家間で慣行とされているか─ が断定を防げている理由であると、私は考えます。
戦争というものの歴史を考えてみましょう。
元々戦争は政策や現状を劇的に変えるために行われていたもので、感情の発露を伴うものです。
だから当然無法状態となります。
戦争は本来、物資は略奪し放題、一般市民は虐殺し放題というわけです。
しかしそれではあまりにも残酷だということで、歴史を下るにつれ、捕虜の扱い方や非戦闘員の扱い方を規制する条約が制定されてきました。
ハーグ陸戦条約もその中の一つです。
一方、もう一つの要素である慣習法なのですが…
第一次大戦後、イタリアのジュリオ・ドゥーエという軍人が「制空」という戦略論を発表します。
航空機で敵の政治の中枢や工場などの戦略施設を破壊すれば短期間で戦争を終了させることが出来るというわけです。
戦争で多大な犠牲を払った各国は、その思想に注目、各国で空軍が創設されはじめますが、その戦略論の中に「総力戦では国民も国力を支える一つの要素なのだから国民を標的にするべきである。攻撃にさらされた国民は戦争終結を叫びだすので早く終わらせることが出来る」という無差別爆撃論があったことが、第二次大戦に影響を与えることになります。
この戦略論は各国で研究されますが、この理論を最初に実行したのがドイツで、スペイン内戦中にスペイン北部の街ゲルニカを実験的に無差別爆撃します。
この爆撃で一応の成果があったと認識したのか、ドイツは第二次大戦開戦直後のワルシャワ空襲やベルギー侵攻、そしてロンドン空襲でも無差別爆撃を実行し、その報復としてイギリスも無差別爆撃を開始します。
一方、ソ連も1941年にフィンランドとの間で始まった継続戦争でも無差別爆撃を実行することになります。
このように、欧州では、日米開戦までの間に、既に無差別爆撃が敵味方双方で行われるようになっています。
その後、アメリカも対日攻撃で無差別爆撃を行うので、もはや常態化したと言ってもいい状況になったと言えるでしょう。
つまり、この流れでは総力戦では無差別爆撃を容認する一つの慣習が成立していたと考えることが出来る可能性があると思います。
広島・長崎への原爆投下の目的は複数の理由が考えられますが、この無差別爆撃論の流れに乗っている可能性は高いと考えられるのです。
そして平和条約の締結。
「世界がさばく東京裁判」という本を監修した国際法学者の佐藤和男氏によると、平和条約は「(戦争の)全面的忘却」の精神に基づき、双方とも戦争犯罪を免除する「アムネスティ条項」が付随していると考えるのが慣習となっているとこの本の中で書いています。
結論として、アメリカの原爆投下は、国際法違反の可能性が不明瞭である上に、平和条約の締結により犯罪の追及も既に免除されていると考えられると思われます。
ただ、戦後の国際世論は人道犯罪は時効を設けず追及するべきという考えが出てきています(慰安婦問題が人道上の問題にすり替えられたのも、これが念頭にあったのかもしれません)。
原爆はハーグ陸戦条約第23条5条「不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること」の禁止に違反しているという説を唱える人もいます。
この考えからなら追及出来る可能性があるのかもしれませんね。
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人道的な考えから犯罪だというのは理解できます。
しかかし犯罪だというからには法的根拠が必要なのですよ。
私はこの点がはっきりしていないと思うのです。
戦争というのは、本来は略奪・虐殺なんでもありの無法なものなのです。
少しでもタガが外れれば、戦争本来の姿が顔を出します。
そして国際法というのは、ひとつ前に書いたように「国家の都合や情勢の変化によって扱いが変化するもの」なのです。
国内の刑事事件のように、法に書かれていることと違うことをしたから何が何でも罰しなければならないというものではないのです。
誤解を恐れずに言えば「みんなで破れば怖くない」の世界であり、場合によっては「破った方が正しい」ことになってしまう世界なのです。
(だからそれに備えなければならない。相手がどんな抜け穴やロジックを使って軍事行動を起こすかわからないからですね)
第二次大戦でなくとも、このような例は調べれば散見されます。
最近の例で言うならば、ロシアがクリミア侵攻で占拠したクリミア半島は、半ば既成事実化されようとしていますね。
それを傲慢不遜、自惚れと言うのです。
そのような自分勝手な自己満足人間ののたまう講釈に何の意味がありましょうか。
ただただウンザリです。
単なる浅はか、浅知恵を振り回して、御自分の評価をそれ以上お下げにならないよう、ご忠告申し上げておきます。
別に私は自分を「博学且つ人徳溢れる人間」だなどとは思ってないですよ。
私のことを浅はかだの浅知恵というのなら、その理由を説明してくれませんか?
そうでなければ根拠のない罵倒に過ぎないと思いますよ。
私は自分自身で文章を調べたり考えて、自分なりの答えを出して書いているだけです。
あなたが私が書いたことと違うとお考えなら、自分の説明のどこが正しいと思うのか、私の説明のどこが間違っているのか説明すべきだと思いますが。
語る価値無し。
お二方のやりとり、勉強させていただいています。
ケロさん、すぷーさんは10年ほど継続的にこちらに投稿いただいている方で、私とは意見が違うことも時々ありますが、「語る価値無し」と切り捨てるにはもったいないというか、私も管理者という立場を超え、あなたの具体的な反論を期待しています。
折角ですがご辞退させて頂きます。
私はくっくりさんの一読者としても未だ6〜7年ですし、投稿者としては新参者です。
青山繁晴氏、櫻井よしこ氏を心から尊敬している、ただそれだけの人物です。
彼等二人の考えに疑問を持つ事も稀にありますが、それは些細な事です。
しかし、すぷーさんのご意見は私の心に何一つ響かない、受け入れられない、いわば感情的なもので、冷静な論理が正しいとは全く思っていないのです。
お返事頂いたのは感謝致しますが、私はまた一読者に戻って、くっくりさんを応援していきます。
相手に納得してもらうためには必要なものだと思うのですよ。
私は自分の主張に根拠を取り入れて書いているのですけどね。
ところがケロさんは、それには一切耳を貸さない。
ただ私の主張に対して、その根拠も理由も示さずに放漫だの自惚れだの言うだけ。
根拠なしに言うだけなら、白いものを指して「これは黒だ」と言うことだって出来るのですよ。
終いには、相手の話には答えずに語る価値無しなどと一方的に話を切ってしまう。
結局、ご自分の主張の説明は一切ありませんでしたね。
「URLを見て確認しなさい」などと命令調で書いてきたので、よっぽど自信がおありだと思ってたのでしたけどねぇ。
まあ心に響くだの響かないだのと書いているところを見ると、あなたの判断基準は論理ではなくご自分の感情の動きのようですね。
そのうえ自分の主張の正しさを説明出せず、相手の主張の間違いだと思うところも説明せず、それであなたは自分の言うことに納得しろと言うのですか?
そのような態度こそが放漫だと思うのですがね。
くっくりさんへ
くっくりさんの仲裁も入ったので、私もこのくらいにします。
意見が違うのなら、お互いに説明をすることで自分の間違いや相手の間違いが見えてきて、考えを深めることが出来ると思っているのいるのですよね、私は。