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産経新聞的ちょっといい話(2)(読者投稿欄より)

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 中国だの韓国だの偏向メディアだの、ウォッチに疲れてきた…。
 そういう読者様も多いのではないでしょうか?

 というわけで、ここらでちょっと一息…。

 「産経新聞的ちょっといい話」第2弾です(^▽^)
 第1弾はこちら。

 私は産経新聞の購読者ですが、読者投稿(オピニオン面「談話室」)は毎日漏れなくチェックしており、ここ数年は「良いなぁ」と思ったものを手元に保存しています。

 今日はその中から、特に産経らしさが表れた投稿を紹介させていただきます。
 おそらくほとんどが朝日新聞では採用されない内容だと思います。

 改めて「日本」に思いを馳せてみませんか?

※画像はイメージとしてこちらで付けさせていただいたもので本文とは直接関係ありません。
 
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【胸張り国歌を歌う姿に感銘】
 2015.10.21
 無職 岡田肇(69)大阪府泉南市

 ラグビーのワールドカップの1次リーグで、日本は3勝1敗の好成績を収めました。残念ながら、準々決勝進出はなりませんでしたが、過去の戦績を考えると、歴史的快挙と言っていいでしょう。そして、私は代表選手の姿に大きな感銘を受けました。

 私はスポーツの国際大会をよくテレビで観戦しますが、国歌演奏のときの選手の態度に不満を持っていました。ところが、アメリカ戦に臨むラグビー日本代表選手たちは違いました。

 外国出身選手を含め、全員が胸を張り、大きな声で「君が代」を歌いだしたのです。選手の歌う姿がテレビに次々とアップで映しだされるのを見ていると、中には涙を流している選手もいました。私も感激で涙が止まらなくなりました。

 日本代表としての誇りを忘れず、ひたむきに情熱を傾け続けてきた姿勢が、今回の好成績として結実したのでしょう。ぜひ、他の競技の選手も見習ってほしいと思います。

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※日本代表でニュージーランド出身のリーチ・マイケル主将は以前、産経新聞の取材に対して、「試合の前の合宿中には、必ず全員で君が代の練習をします」と語っていたそうです。しかも、「君が代の中身を自分たちにつなげて、歌詞を理解して歌わないとダメだと思います」とも話していたそうです(産経 2015.1.2)。

【「卑屈になるな」と涙の諭し】
 2013.12.13
 医師 西村保(84)大阪市東淀川区

 昭和20年の終戦当時、私は旧制中学4年生だった。前年4月から、私たちは軍需工場に動員されていたが、終戦を受け、9月に私たちは学校に戻った。

 しかし、敗戦による虚脱感と、突然与えられた自由と民主主義に教師と生徒らは戸惑うばかり。何よりも、食糧難で私たちは食べることばかり考えていた。

 そんなある日、クラス内で弁当の盗難が起きた。事件を聞いた担任の先生は教壇で目を潤ませながら、私たちを諭した。

 「君たちは育ち盛りの食べ盛り。さぞかし白いご飯を食べたかろう。確かに日本は戦争に負けたが、精神は卑屈になってはいけない。渇しても盗泉の水を飲まぬ気概をもってほしい」

 先生は翌年、「教師としての信念と誇りを失った」と退職された。いまだにあのときの先生の姿と言葉が忘れられない。

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※戦後の食糧難の話は母親(1940年生)からさんざん聞かされました。父親(1935年生)は農家の子だったせいか、さほど苦労はしなかったようです。

【台湾で感激した敬愛の挨拶】
 2014.1.9
 主婦 三澤祐子(43)東京都大田区

 昨年末、台北旅行に出かけたときのことです。行天宮で現地に住む親友におみくじを翻訳してもらっていたところ、突然、「日本の方ですか」と声をかけられました。振り向くと高齢のご婦人が立っており、「ようこそ台湾においでくださいました」と深々とお辞儀をされました。

 恐らく日本語教育を受けた世代なのでしょう。微妙な間の取り方や敬語の使い方など美しい言葉遣いに加え、お辞儀の仕方にも日本に対する深い敬愛の念が感じられて感激しました。以前、夫の転勤で半年ほど台北で暮らしたことがあり、日本語を話せる人が大勢いらっしゃることは知っていましたが、実際に接したのは初めてでした。もう少しお話をうかがえばよかったと悔やんでいます。

 きっとあのご婦人は、戦後68年もの間、日本人を見かけると、心のこもった挨拶をしてきたのでしょう。日本をずっと愛してくださる台湾のみなさまに、改めて感謝したいと思います。

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※画像は台湾の行天宮。

【国旗・国歌への敬意に感動】
 2014.1.30
 国家公務員 田中克己(46)和歌山市

 先日、次女の高校の卒業式に出席した。会場に入ると、壇上には国旗と校旗が掲揚され、張り詰めた緊張感に包まれていた。

 卒業生が入場し、式が始まると、まずは参加者全員が起立し、国歌を斉唱した。卒業証書の授与、学校長の式辞などが続き、在校生代表が「これからは私たちが、先輩が守ってきた校風を引き続き守っていきます」と送辞を述べると、卒業生代表が「ネット犯罪など混迷した現代社会を私たちは生き抜いていきます」などと力強く答辞を述べた。そして、最後は卒業生が「仰げば尊し」を合唱。誰もが感動の涙を抑えきれない中、式が終了した。

 それにしても、校長や来賓の方々、卒業生等が壇上で国旗に黙礼する姿は凜(りん)としており、すがすがしく感じた。これこそが日本の文化や歴史、伝統を守っていく姿なのだと感じた。

 次女は本当に素晴らしい学校で過ごすことができた。先生たちに心より感謝したい。

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※戦後世代の多くは二番の歌詞を知りません。私も学校では一番と三番しか歌いませんでした。戦後、「身を立て 名をあげ」の箇所が立身出世主義だと教育現場で声が上がったと言われています。それどころか、近年では「仰げば尊し」自体が教師への尊敬を押し付けるとして、卒業式であまり歌わせなくなったと聞きます。
※ちなみに国歌についてですが、投稿者の田中さんと同じく、私(1964年生)も20歳過ぎまで和歌山市に住んでいました。小中高と公立でしたが、すべての卒業式で(その他の行事でも)国歌を斉唱した記憶がありません。小学校低学年の頃、音楽の教科書の一番後ろに載っている「君が代」が何なのか分からず、母に尋ねたことがあります。Wikipediaによれば、1996年頃から、文部省の指導で公立学校では国歌斉唱が事実上、義務づけられるようになったそうです。


【歴史はしっかり勉強しよう】
 2014.2.3
 高校生 松岡樹(16)千葉市美浜区

 米ペンシルベニア州の私立高校に留学していたとき、学校やパーティーで日本の歴史についてよく聞かれた。だが、知らない質問も多く、しばしば困った。

 同級生から、米国人にも知られている新渡戸稲造の「武士道」について聞かれたときなど、読んだことがなかったので答えられず、恥ずかしかった。

 また中年男性から、旧日本海軍のトップとしか知らなかった山本五十六の人物像を聞かれたときも焦った。ただその方から「米海軍は日本の病院船を攻撃したりしてフェアではなかった」「欧州の植民地だったアジアの国々を解放した日本に誇りを持て」といわれ、ホッとしたこともあった。

 全体的には好意的な質問や反応が多かったが、慰安婦問題では誤解しているような印象を受けた。海外では相手が高校生でも日本の代表者として質問してくる。日本の歴史はしっかり勉強しておくことが大事だと思う。

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※新渡戸稲造と山本五十六。

【国の祝日には素直に国旗を】
 2014.2.10
 会社員 大渕航(24)新潟県小千谷市

 祝日を「旗日(はたび)」と呼ぶことを知ったのは最近のことでした。考えてみれば祝日は国が決めた国民のための日ですから、国旗を掲げてお祝いし、その日を「旗日」と呼ぶのは自然なことだと思いました。

 ただ戦後、国旗を掲げる家が少なくなったことから廃れてきたのでしょう。私の幼い頃も、日の丸の旗が掲げられていたのは市役所や商店街のアーケードぐらいのもので、一般家庭に日の丸が翻っている光景など皆無でした。

 ところが最近、国旗を掲げる家庭が増えてきたような気がします。私の町内会でも数年前から祝日の掲揚を呼びかけるようになり、わが家も今年の正月には掲げました。

 日の丸を戦争の象徴に結びつけ、掲揚を忌避する声もありますが、自国の象徴である旗に誇りを持ち、敬意を払うのは国際常識です。国の祝日には素直に日の丸を掲げてもいいのではないでしょうか。

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2010年の「昭和の日」、近所を散策中に撮影。この年のGW期間中、国旗を掲揚していたのは、私が見かけた中ではこちらの1軒だけでした。

【国旗掲揚を全国に広げたい】
 2014.2.25
 無職 栗原征治(76)京都府福知山市

 私の住む地区には130戸ほどの家があります。しかし、祝日に国旗を掲げている家は数軒しかなく、残念に思っていました。

 日本は、古くから歴史と文化を誇るすばらしい国なのに、なぜなのか。なんとか国旗の揚がる地域にならないかと、昨年春、近くに住む先輩と2人で国旗掲揚運動を始めました。

 まず昨年3月から1カ月ほどかけて約50軒を回り、国旗掲揚の意義を説明し協力を求めました。するとゴールデンウイークには、賛同してくださった約40軒の家で日の丸が掲げられ、なんともすがすがしい光景を見ることができました。

 その結果に勇気づけられ、その後も各家を訪問、8月までに85軒の賛同を得ることができました。今では、天気にもよりますが、祝日には半数近くの家で日の丸が掲げられます。

 多くの方の協力に感謝するとともに、この運動が近隣の町から全国へと広がることを願っています。

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※画像は産経新聞2012年6月30日付【震災復興へ「国旗掲げ、心一つに」広がる 創祀2670年の枚岡神社】(元記事消滅のためこちらのサイト様に依拠)より、平成23年天皇誕生日の東大阪市松原の風景。約100軒の玄関先に国旗が掲げられました。

【日本を守るため励む高校生】
 2014.4.9
 自営業 松下知美(46)岡山県倉敷市

 私の息子は先日、陸上自衛隊高等工科学校を卒業した。3年間、高校の勉強をしながら、自衛官になるための訓練を受けてきた。

 忘れもしない、東日本大震災直後の3年前の春。厳しい訓練と勉学を両立できるのかと不安を抱きながら、私は小柄でおとなしい息子を送り出した。

 つらくて枕を涙でぬらしたこともあっただろう。やめたいと思ったこともあるだろう。しかし、息子は晴れて卒業の日を迎えた。

 卒業生は全員丸刈り。号令とともに一糸乱れぬ動きで起立し、国歌は会場が割れんばかりの大合唱だった。そして、きびきびとした卒業証書授与に、「仰げば尊し」の大合唱。感動的な卒業式に参加することができ、本当に息子のことを誇りに思った。

 私は日本中の人たちに知ってもらいたい。日本を守るために頑張っている高校があることを。そして男子が号泣する日本一の卒業式であることを。

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※陸上自衛隊高等工科学校のサイトはこちら。

【女性自衛官の同期会で感激】
 2014.4.15
 元海上自衛官 永井南行(73)神奈川県横須賀市

 先日、25年前に海上自衛隊に入隊した女性自衛官の同期会が行われ、教育担当だった私も招待されて参加した。

 この期はおよそ100人が入隊したが、約4カ月の練習員課程で一人の落後者もなく修業。それぞれの25年を歩み、久しぶりに再会した彼女たちは、当時の思い出や家族について楽しく会話を弾ませた。

 現在も自衛官として頑張っている人は、5分の1の約20人いる。そのうちの一人の息子さんがこの日、写真係としてテキパキと動いていたが、彼もまた海上自衛隊に入隊し、母親と同じ道を歩み始めている。そういう親子はほかにもいるということだ。

 隣国の脅威を強く感じる昨今、きっと自分の将来について両親とよく考え、進んで入隊したのだろう。このような士気の高い人たちがわが国を守っているのだと思うと、期待と感謝の気持ちでいっぱいになった。会に参加してよかったと感激しつつ帰路についた。

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【高校生の孫と拝んだ観音様】
 2014.5.1
 無職 藤森日出子(86)東京都世田谷区

 ぽかぽか陽気の昼下がり、2年前から預かっている高校生の孫娘と買い物に出かけた帰り、近くの世田谷観音まで散歩しました。ここには特攻平和観音といって、特攻隊で戦死した御霊(みたま)をまつる観音様があり、戦争経験者の一人として孫娘にはいつか見せたいと思っていました。

 観音様を拝み、境内を歩いていると、池のそばに石碑がありました。「神州不滅特別攻撃隊之碑」や「天山隊之碑」などと刻まれ、亡くなられた方のお名前が書かれています。

 そこへ恐らく戦争に行っていた方なのか両手につえをついた男性がやってきて、石碑を静かになでられました。

 私と孫娘は手を合わせて拝みました。するとその直後、木々の茂みから「ホーホケキョ」とウグイスが鳴いたのです。思わず2人で顔を見合わせました。きっと英霊の御霊に思いが届いたのに違いありません。孫娘を連れてきてよかったと思いました。

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※画像はYouTubeより「神州不滅特別攻撃隊之碑」。

【トルコとの友好関係を確認】
 2014.5.20
 教員 北郷聖(53)神奈川県茅ヶ崎市

 東京都文京区の東洋文庫ミュージアムで開催中の企画展示「−日本・トルコ国交樹立90周年−トルコ」を見にいってきた。トルコが親日国ということは知っていたが、日本との交流などどんな歴史があるのか興味があったのだ。

 展示では、モンゴル草原で発見された古代文字の写しやウイグルの人物画など古い芸術品や歴史的書物が陳列され、いかにトルコ系民族が世界史の中で大きな役割を果たし、世界的な文化の伝播(でんぱ)に貢献したかを認識することができた。

 同時に日本との関係を伝える展示もあり、特に明治23年のエルトゥールル号海難事故関連が印象に残った。

 エルトゥールル号は和歌山沖で沈没したが、地元民らが懸命に乗組員の救助に当たり、日本とトルコとの友好関係を決定づける出来事になった。貴重なものを見たとの感慨とともに、親日国との友好を大切にしないといけないとの思いを新たにした。

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※こちらは、日本との修好100年を記念してトルコが発行した切手だそうです。微笑むトルコ女性と日本女性、その後ろにはエルトゥールル号が描かれています。エルトゥールル号海難事故と日本とトルコの友好関係については拙ブログでも過去に何度か取り上げました。
09/5/23付:日本とトルコ 友好の歴史
10/6/21付:世界が忘れない日本の物語「ビーバップ!ハイヒール」より
※2015年12月5日には、エルトゥールル号海難事故をテーマとした日本・トルコ合作映画「海難1890」(公式サイト)が公開されます。楽しみですね(^▽^)


【学校で皇室について教えよう】
 2014.5.27
 主婦 田中直子(62)愛媛県伊予市

 20日付の産経新聞で、天皇陛下に対して「尊敬の念を抱いている」とした人の割合が過去最高の34%に達したという意識調査(NHK放送文化研究所)の結果が紹介されていた。

 最近は、天皇陛下の歌碑に上った児童を注意するどころか、記念撮影しようとした教師や、「天皇はマスコット」とツイッターで発言する元女性タレントがいたりして、情けない気持ちになっていた。そんな中、この記事を読んでうれしくなった。

 戦後の教育では、日本の皇室が世界最古であり、今上天皇まで男系で続いていることや、皇室と日本の成り立ちとのかかわりを十分に教えてこなかった。だから、天皇陛下を尊敬する人も減ってしまった。

 天皇、皇后両陛下は、いつも私たち国民の幸せを祈ってくださっている。

 天皇陛下や皇室を敬う人が増えるよう、日本の宝である皇室について、学校でしっかりと教えてほしい。

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※当該のNHK放送文化研究所の意識調査結果を紹介した産経記事はこちら

【私の幸せを願い戦地で散る】
 2014.6.6
 主婦 最乗寿子(72)千葉県船橋市

 私は父の顔を写真でしか知りません。母が実家で私を産んで1週間、命名のために私たちに会いにきたとき、父は赤紙を手にしていました。その日は一日中私を抱いて、次の日、その足で軍隊に行ったそうです。そしてそのまま帰らぬ人となりました。

 軍隊や戦地からは時々手紙が来て、私が元気にしているかといつも書いてあったそうです。一度電話で、私の声を聞きたい、お尻をつねってでも聞かせてくれと言ったと母から聞き、どんなにか私に会いたかったのだろうと、胸が締め付けられる思いがしました。

 私の名前には、幸せになるようにとの思いが込められています。父の願いどおり、優しい主人と子供たちや孫に恵まれ、幸せな日々を過ごしています。もしかなえられたらあの世で父に会い、思いきり抱きしめてもらいたいです。

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【伝えていくべき伝統や風習】
 2014.6.17
 会社顧問 及川靖久(69)さいたま市西区

 最近、街を歩いていても茶道教室や生け花教室といった案内をさっぱり見かけなくなった。お琴の教室にいたっては、もう何年も目にしたことがない。

 私の母も妻も生け花の免状を持っていて、折々に花を生けては部屋に飾っていた。生けたくても床の間がない、と言った知人がいたが、床の間がなければ玄関に飾ればいい。今の若い人はこういった日本の伝統文化に関心を持たなくなってしまったのだろうか。

 われわれの世代には当たり前の風習も廃れてきているようだ。今年の5月、こいのぼりを掲げている家はほとんど見かけなかった。節分の豆まきもわが家では大声を張り上げているが、今ではどれくらいの家庭でやっているのだろう。端午の節句の菖蒲(しょうぶ)湯、冬至のゆず湯など、何げない生活習慣の中、家族の絆が培われていたような気がする。若い人や孫の世代にこれらを教え伝えていくことは、大人たちの務めだと思う。

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※私の母は嫁入り前にお琴を習っていましたが、数年前に思い立ち、再びお琴教室に通うようになりました。私も勧められていますが時間とお金が…(T_T)
※日本の伝統や風習を伝えていくことに、スーパーも一役買っていると感じます。私は仕事でスーパーのチラシを作っていますが、多くのスーパーが年明けには七草がゆの材料、冬至の時期にはゆず、というふうに商品を、時には由来など説明も添えた上で、チラシに掲載します。もちろんスーパーとしては「イベント」で集客しようという思惑があるのでしょうが。


【国民守る自衛隊に温かな目を】
 2014.7.16
 元公務員 盛岡啓夫(76)大阪市東淀川区

 新聞を読んでいて、自衛隊が今年、創設60年を迎えたことを知りました。私も五十数年前、北海道の自衛隊に勤務していました。

 当時は援農支援と称した農作業の手伝いがありました。北海道の春と秋は短く、田植えや稲刈りは急ぐ必要があったのです。作業の合間に、農家の方々と親しく話をしたことを今も覚えています。

 しかし、自衛隊を見る社会の目は冷たく、制服姿で休暇に実家へ帰省すると、列車の中で肩身の狭い思いもしました。

 今では自衛隊に対する国民の目もずいぶん温かくなりましたが、それでも「自衛隊嫌い」を公言する人たちがいます。

 彼らは、地震や台風で自分や家族が危険な目に遭っても、自衛隊に助けを求めないのでしょうか。他人の命を救うため、わが身も顧みない隊員の姿に何も感じないのでしょうか。国民のために働く自衛隊員を悪く言うのはやめてほしいものです。



※同時に、自衛隊員を政治利用するのもやめてほしいものです。こちらの拙記事を参照。

【一の宮を参拝して平和祈る】
 2014.7.31
 会社員 蛯原延雪(49)横浜市磯子区

 全国に100社ほどある一の宮を参拝すること、34社を数えました。きっかけは3年前の東日本大震災です。かつて16年間にわたって宮城県、福島県に住んでいた私にとって心を痛めた出来事でしたが、一方で被災された方々の振るまいや多くの支援者のみなさまの行動から、世界に誇ることのできる日本人のすばらしさに気づきました。

 その後、日本が大好きになり、その礎となる文化、伝統、風習に人間観、世界観を形成してきたものの一つが神道ではないかと考えて、神社の鳥居をくぐるようになりました。東北や関東など近いところから回っていますが、厳かな雰囲気の中、自然への感謝と畏怖の気持ちとともに、祖先からの教えを感じます。

 同時に、普段の何げない生活がいかに大切かということも改めて考えることができます。これからも一の宮に参拝することで、日本の平和と繁栄を祈念し続けていきたいと思います。

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※画像は京都の賀茂別雷神社(上賀茂神社)。
全国の一の宮リスト。地方別に紹介してくれてます。


【兵隊さんの思いとキャラメル】
 2014.9.2
 日本語講師 毛利知愛(45)東京都大田区

 自宅のマンションから新幹線の線路が見える。かつて近所に住む80代の女性がその景色を眺めながら語ってくれた。

 「戦時中は、新幹線が走っているところに、兵隊さんが乗った列車がたくさん通ったのよ。品川を出て戦地にいっていたのね」としみじみ。「兵隊さんの列車が来るのが分かると、子供は、丘を転がるように降りて、手を振って兵隊さんの歌を歌って見送った。そうすると窓を開けて、ぱーっとキャラメルを投げてくれた。私たちはそれがうれしくて」という。

 この話を聞いたとき、涙があふれてきた。私の子供は今、中学生。戦時中、この子と同年代の子供たちに送られて戦地に向かう兵隊さん。窓からまいたキャラメルにどんな思いが込められていたのか。

 新幹線がまた通過していく。命をかけて未来の日本の子供たち、国のために戦った日本人に、心から感謝したい。

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※画像は旅先ホワイトボード様より東海道新幹線 品川〜新横浜間。

【靖国の英霊の思いに応えよ】
 2015.4.8
 元会社員 松本耕一郎(64)兵庫県姫路市

 先月末、桜が満開の靖国神社を訪れた。靖国神社内にある展示施設「遊就館」が戦後70年の企画として募集した「英霊に贈る手紙」に、今年米寿になる母と応募したところ、応募者すべての手紙を神前に奉納する奉告祭に招待されたのだ。

 私たちが書いたのは二十歳前で招集された母の姉への手紙だった。日本赤十字の看護婦として戦地に赴き、命を落とした。

 企画には600通近い手紙が寄せられたといい、そのうち60通が「英霊に贈る手紙」という本に収められた。母の手紙も選ばれ、白衣の伯母の写真とともに掲載された。

 結婚もせず、子供を残さなかった伯母の魂を将来、誰が慰めていくのか。

 伯母は国を守るため、何の不平も漏らさず、戦地に行った。もし命を落としても、靖国に祭られ、国民こぞって慰霊してくれるのだと信じていたことだろう。

 国は、そんな英霊の思いに応えてほしい。

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 私は新聞はまず一面から政治面、国際面あたりまで読み、次に読むのが読者投稿が載っているオピニオン面です。
 コーヒーブレイク的に読ませていただくことが多いです。

 投稿の大半は、日常の体験談や、日々のニュースに対するちょっとした感想だったりするのですが、そういった何げない投稿から勉強させられることが数多くあります。

 最近、自分自身、ニュースを追いかけすぎて、頭でっかちになっている部分もあるのではないかと感じることがあります。

 日本のあるべき姿、目指すべき姿というのは、こういった市井の人々の体験談や感想にこそ、込められているのではないかと思ったりもします。

 私が産経新聞を購読し始めてから、およそ18年になります。
 結婚を機に変更しました。
 それまでは朝日新聞でした。

 2014年8月、朝日新聞が慰安婦記事を訂正しましたが、朝日を追い詰めた功労者の一人(一社)が産経であることは間違いありません。

 日本を歪める朝日に対抗する意味でも、産経にはこれからも頑張ってほしいので、私は今後も購読を続けるつもりです。


 最後に、誰に頼まれたわけでもないけど、お知らせ。

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※拙ブログ関連エントリー
13/10/21付:産経新聞的ちょっといい話(読者投稿欄より)




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Comments

いつもromばかりですが、毎日欠かさず拝読して勉強させていただいております。今回は初めてのコメント投稿です。


年齢もくっくりさんと同じですので、親近感を勝手ながら抱いております。

今朝は心が洗われるような記事をありがとうございます。
当方、生まれも育ちも北海道で言わずと知れた「道新」を購読しています。

道新の読者の声欄には載る事がないような投稿の数々、とても新鮮に映ります。これからもぜひ、折にふれて紹介していただければ幸いです。

こちらでは雪もちらちら…という季節になりました。
くっくりさんも時節柄、ご自愛ください。いつも応援しております。
はなしのぶ | 2015/10/31 09:59 AM
戦前、戦時中、戦後直後、こうした逆境の時代を生き抜いてきた人達は、既に80近くかそれ以上の年齢の方達ではありますが、現代の自分達よりも、遥かに精神的に身体的にもタフであるという事を、自分自身も身に染みて感じています。

なぜならば、彼らは「やるしかなかった」からだろうと思います。やらなければ、激動の時代を生きていくことなど、できませんでしたから。

だから、戦後奇跡的な復興を遂げ、そして経済、産業を成長させることができたのだろうと思います。

その過程には、もちろん紆余曲折(公害問題や学生運動など)もありましたし、復興と経済発展もアメリカのおかげの部分もありましたが、祖父母の世代の負けん気に近いような力が無ければ、あの状態からあれだけの復興と成長を遂げるのは難しかったのではないかと思います。

しかし、経済的成長が行き詰まり、停滞している時代ほど、「やるしかない」という気持ちが弱くなる傾向が強くなりがちです。

ある意味幸せなのかもしれませんが、別の味方をすれば危機感が無いという事になります。

私たちは、今は(昔に比べれば)豊かな生活ができていますが(もちろん格差の問題もありますが)、こうした財産などを築き上げてきたのは、私たちの祖父母の血のにじむような努力があったからであり、天から勝手に降ってきたようなものでは無いという事に気付かなければなりません。

社会は今後どうなっていくかは分かりません。しっかりとした長期的な見方ができなければ、日本が即座に地に落ちる可能性だってあります。

今の日本に欠けているのは、こうした「やるしかない」という負けん気根性だろうと思います。祖父母の世代を尊敬、敬愛する事がいかに大切か思い知らされます。

歴史教育がいかに大切か思い知らされます。

我々の祖先が、多くの血と汗と涙を流して守り抜いてきた伝統と文化と財産を、私達が後生に受け継いでいかなければならないという使命感でいっぱいになります。
西 | 2015/10/31 08:41 PM
はじめてこちらのブログを拝見しました。
私も生まれも育ちも北海道で新聞といえば子供のころからきまってる「道新」
ずっと政治に無関心でしたが、このたびの安保法案でのことでマスコミの偏向報道に気が付きました。
どれだけアホな・・・と思われるでしょうが、いまさらながらホントです。
で、一番身近で長い付き合いだったこの新聞がとんでもなく酷いものだったと思い知り、購読をやめました。
地方の情報には便利な点もありますが、自分が悪の片棒を担いでるような罪悪感でたまりませんでした。
実際、私たちの購読料が「道新」を支えているのではないですか?
小さなことしか出来なくても、せめて加担しないようにしていくことが、声を発信してくれるブロガーさんたちにもこたえられるのではないかとささやかながら思っています。
北海道も変わっていけるといいと思います。
どさんこ | 2015/10/31 09:41 PM
あるとき、いい年して着物のひとつも着れないのは恥ずかしいなと思い、着付け教室に通いました。その後、全く着ていませんが(笑)街中で礼装でなく、昔でいうところのおしゃれ着を着ている人を見かけると、凝視してしまいます。(ストーカーか!)着物を着るのは大変ですが、紐を結んだり、帯を締めたりするところに、日本人の精神があるように思います。
うめ | 2015/11/10 07:23 AM

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