日本よ、これが「太平洋戦争」だ
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[画像はWikipedia>太平洋戦争_(1879年-1884年)よりアリカの戦い]
半世紀近くも生きていると、自分が興味を持っている分野であればそれ相応の知識が蓄えられていると思いがちですが、時々全くそうではないことに気づかされます。
このコラムなど、私にとってその良い例でした。
「正論」2013年8月号 産経新聞編集委員・大野敏明氏のコラム【不都合な日本語「太平洋戦争」】より引用。
※画像はイメージとしてこちらで付けさせていただいたもので本文とは直接関係ありません。
起こしここから______________________________
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[画像はWikipedia>太平洋戦争_(1879年-1884年)よりアリカの戦い]
半世紀近くも生きていると、自分が興味を持っている分野であればそれ相応の知識が蓄えられていると思いがちですが、時々全くそうではないことに気づかされます。
このコラムなど、私にとってその良い例でした。
「正論」2013年8月号 産経新聞編集委員・大野敏明氏のコラム【不都合な日本語「太平洋戦争」】より引用。
※画像はイメージとしてこちらで付けさせていただいたもので本文とは直接関係ありません。
起こしここから______________________________
かつて毎年8月15日の新聞の1面コラムは「あの日も暑かった。ことしも終戦の日がめぐってきた」ってな感じのものが多かったですな。
そして各新聞は、終戦特集を組み、あの戦争を「太平洋戦争」と何の疑いもなく書いておりました。
そして、いまも書いているね。
新聞だけではない。
学校の教科書には「太平洋戦争」と大まじめに書いてある。
私の手元に、河出書房新社が平成10年に出版した米国人ジョージ・C・コーン著(鈴木主税訳)の「世界戦争事典」がある。
その「太平洋戦争」の項を開くと「1879-1884。ペルー、ボリビア、チリはアタカマ砂漠の支配権を握りたがっていた。」で始まる解説が載っている。
えっ、「太平洋戦争」って日本が戦った戦争じゃないの?
同砂漠は火薬の原料となる硝石の産地で、チリが採掘地を拡大しようとして、ボリビアとペルーに宣戦布告をしたんですな。
双方は軍艦を出して、太平洋において海戦を行うに至った。
これが世界で認知されている「太平洋戦争」なんですね。
結果はチリの圧勝。
世界中、どこの国の士官学校も兵学校も「太平洋戦争」とは19世紀末の南米における硝石戦争のことと教えております。
米国もでありますよ。
では、日本が「太平洋戦争」としている戦争は、何と呼んでいるか。
それは「第二次世界大戦における太平洋」、あるいは、「第二次世界大戦・対日戦争」といっているのです。
真珠湾攻撃に始まるあの戦争を「太平洋戦争」などといっているのは日本だけのようですな。
じゃあ、なぜ、日本だけが「太平洋戦争」といっているのでしょう。
昭和16年12月8日、日本は米国、英国及びオランダに宣戦布告をし、戦争に突入、4日後に「今次対英米戦ヲ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」と閣議決定したのです。
以来、「大東亜戦争」は広義では、昭和12年7月から終戦までの戦争、狭義では昭和16年12月から終戦までの戦争を指すようになりました。
当時の日本人は、みなそのように理解していたんだね。
ところが、戦後、日本を占領した米軍を主力とするGHQ(連合国軍総司令部)が、昭和20年12月7日、すなわち米国時間の開戦4周年の日に、自分たちが作った「太平洋戦争史」を各新聞社に配布して掲載するように命令しました。
さらに15日に「神道指令」なる命令を出して「大東亜戦争」の呼称を禁止してしまったんです。
GHQの命令は、当時絶対でしたからね。
以後、「大東亜戦争」は姿を消してしまった。
あの戦争で、米国は太平洋でしか戦っていないよね。
マレー・シンガポール作戦、インパール作戦、中国(支那)本土での戦闘、そして最後の満州におけるソ連の侵略、いずれもあの戦争の主要な戦いですが、米国は無関係。
だから、米国が戦った太平洋のみを重視して、「太平洋戦争」としたわけなんだね。
サンフランシスコ講和条約が発効して、独立を回復した後も、GHQの命令をひたすら守って、いまだに「太平洋戦争」といっているわけ。
だけど考えて見れば、あの戦争で亡くなった方たちは、何という戦争で亡くなったんだろうか。
彼ら、彼女らは「大東亜戦争」で亡くなったんですよ。
それを戦争が終わってから、勝手に名称を変えてはいかんよ。
それは戦死者への冒涜だよ。
太平洋以外で戦った、支那や英国、オランダの軍隊に対しても失礼かもしれないよ。
まあ、火事場ドロボーのソ連はどうでもいいけど。
昭和16年の閣議決定は、いまだに取り消されておりません。
日本国憲法成立前に制定された法律、条例、政令、勅令、閣議決定などは、日本国憲法と矛盾しない限り有効とされています。
したがって、閣僚はもちろん、すべての公務員は、すべからく「大東亜戦争」というべし。
______________________________起こしここまで
まさか地球の裏側に本物の「太平洋戦争」があったとは!
(GHQによって「大東亜戦争」の呼称が禁止されたことは私もさすがに知っていましたが)
ちなみに「正論」9月号(上のコラムの翌月号)の読者欄には、こんな話が載っていました。
千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館では「アジア・太平洋戦争」という表現を使っていて、これはおかしいのではないかと感じた投稿主の方が、博物館のアンケート用紙に「大東亜戦争、もしくは太平洋戦争(大東亜戦争)とするべきだ」と書いて回答を求めたのだそうです。
すると、博物館側から次のような回答が送られてきたとのこと。
【1931年9月の柳条湖事件から、1945年8月までの戦争については、これまでさまざまな呼称が使われてきました。
日本政府は、1941年12月の日米開戦直後、1937年以来の支那事変を含めて、戦争の呼称を大東亜戦争としました。
これは、大東亜共栄圏を作るための戦争という意味です。
開戦後、アメリカはこの戦争を太平洋戦争と呼びました。
敗戦後には、アメリカ占領下で太平洋戦争という呼称が使われることが多くなりました。
1950年代半ば以降には、1931年から1945年にわたる戦争は、歴史学界を中心に十五年戦争と呼ばれることも多くなりました。
(中略)近年、学界ではアジア・太平洋戦争と呼ぶことが多くなってきています。
この呼称は、1970年代に始まり、現在では多くの歴史教科書でも紹介されています。
(中略)この呼称は、1941年以後に限定するのではなく、1931年から1945年までの戦争の総体をさす広義の概念として使われています。
その根拠は、戦闘の時間や空間に限定をせず、日本と植民地や占領地との関係をしっかりと見据え、さらに戦時だけではなく、戦後のなかでも補償や責任、和解などの問題が依然として続いていることを意識した用語であるからです。
戦争の呼称は、このように言葉の問題を超え、戦争の性格をどのように理解し、未来に向き合うかを中心に議論されてきました。
このような根拠からアジア・太平洋戦争という呼称を使っています】
この回答に対して投稿主の方は当然ながら憤慨され、このように主張されています。
「これが莫大な税金を使って運営されている国立博物館の回答だ。
あの戦争は大東亜共栄圏を目指した日本の侵略戦争だったから大東亜戦争という言葉はよくなく、植民地や占領地、戦後補償などの問題も考えてアジア・太平洋戦争という言葉がふさわしいと言っているようだ。
当時使っていた言葉をあとから思想・信条・解釈によって否定し、別の言葉に言い換えることが、果たして歴史研究として正しいのか疑問だ」
ほんと、その通りです。
私も博物館側の回答を読んだ時、ああ、これは自虐史観丸出しの文章だと思いました。
特に、戦争の呼称と戦後補償などの問題は全く別の次元の話でしょう。
なのに、なぜ呼称にそのことを織り込まねばならないのか。
そして、この投稿に対し「正論」編集部からはこう添えられていました。
「日本の歴史学界、特に近現代史の分野はいまだに『講座派』の流れをくんだバリバリの左翼が牛耳っています。『アジア・太平洋戦争』という呼称もその連中の造語です。彼らは師弟という逆らうことのできぬ関係を通じて左翼イデオロギーをもった研究者、教育者を次々に育成しています」
左翼イデオロギーに染まった歴史学界、これは本当に深刻な状態です。
かつて拙ブログでも紹介しましたが、「正論」2012年7月号掲載の鼎談で渡部昇一さん・伊藤隆さん・小堀桂一郎さんが、こんな話をされていました。
小堀
先ほど渡部さんも触れられた、東京裁判史観を日本に固定させているのは、いったい何かという問題です。結論から言えば、私はアカデミズムだと思います。つまり、東京裁判史観が日本のアカデミズムを支配している。私の身の回りにも私と同様の歴史観を身につけている若い研究者が何人かいますが、東京裁判史観を批判するような考えを述べると、先輩が「君の言うことはよく分かる。自分も同感だ。しかし、それを学会で言ったりするなよ。そうしたら就職できなくなるぞ」と注意するそうです。これが非常に分かりやすいアカデミズムの支配ということなのです。
渡部
そのアカデミズムの支配はどうして起こったのか。東京裁判の翻訳官だった横田喜三郎が東京大学法学部で国際法の教授になり、彼の説が権威となってしまいました。憲法学の権威は、当初の押し付け憲法説から宗旨替えした宮澤俊義でした。横田や宮澤の説を受け入れない限り、いかに優秀であっても大学の教師にも外交官にもなれない。
小堀
そうですね。私も横田喜三郎が東京裁判史観を権威化させた元凶であると考え、そのように書いておりました。ある時、外務省の官僚から「あなたの意見は本当にそのとおりだと思う。実は、自分も横田喜三郎教授の国際法の講義を受け、そしていま外務省の官吏として勤めている。その頃からおかしい、おかしいと思っていたけれど、今になってつくづく自分の受けた害毒を痛感しているが、どうにもならない」という電話がかかってきました。
渡部
小堀さんが真っ当なことを言い続けてこられたのは、独文科だからですよ。法学部で先生が横田喜三郎や宮澤俊義だったら、とても東京大学には残れなかったでしょう。
伊藤
私は彼らとも非常に関係があるのですが、弟子たちは自由ですよ(笑い)。私に言わせれば、裁判の判決が歴史解釈となるような学問があること自体、おかしな話です。東京裁判は戦争の勝者による一方的な裁きであり、判決はいわば敗者への復讐のための理屈に過ぎません。それを歴史解釈の「正解」としてしまうのは、学問的良心に照らしてあり得ないでしょう。
このやりとりの後、小堀さんは、東京裁判史観擁護派は「占領利権者」であり、この利権者が大勢を握っている現状を覆さねばならないと主張されています。
私の大学時代(1980年代中頃)を思い出すと、憲法のA先生が実は珍しくバリバリの改憲派で、講義でも事あるごとに「9条は改正すべき」と話しておられました。
あの当時はもう誰もかれもが護憲派の「うす甘いサヨク」全盛時代でしたから、A先生は生徒の目から見ても完全に浮いておられました。
が、30年近く経った今もなおこのような状況は続いています。
たとえば、今日(10月28日)放送の「ザ・ボイス そこまで言うか!」のオープニングで、勝谷誠彦さんがこんな話を。
勝谷さんがかつて某大学に呼ばれて講演した時、「勝谷みたいな右翼を来させるな」と左翼がビラを撒いたのだそうです。
勝谷さん曰く、「大学って結局、今、数少ない左巻きの方々の、絶滅危惧種保護特別区なんですよ。日本左翼遺産っていうとこに指定されている(笑)」
昨日(10月27日)、その勝谷さんが富山県の高岡法科大学の学園祭で講演したそうですが、そこの先生によれば、勝谷さんを呼んだことにはやはり相当反発があって、先生はもう腹をくくって、「このあと僕は大変なんですよ」とおっしゃってたと。
(まぁでも勝谷さんに関しては、別の理由で「来させるな」ってのがあったのかも?トークが超過激ですから(^_^;)
学界も「戦後レジーム」からの脱却が急がれますね。
一筋縄にはいかないでしょうが…。
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※拙ブログ関連エントリー(「日本よ」シリーズ)
・13/2/18付:日本よ、これが朝日だ
・13/3/4付:[続]日本よ、これが朝日だ
・13/3/23付:日本よ、これが韓国だ
・13/4/22付:日本よ、これがスーチーだ
突然ですが、今日のイチ押しツイート!(^▽^)
くまモンが両陛下出迎え 体操披露に皇后さま「ありがとう」 http://t.co/NhRl8DOUGy 皇后陛下「くまモンはお一人なの」 熊本県知事「子どもの夢を壊さないため、くまモンはくまモンです」 pic.twitter.com/mNkt4H7bOD
— くっくり (@boyakuri) October 28, 2013
中の人、めっさ緊張しはったやろなぁ〜(^_^;
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Comments
その後も我が皇軍がマレー半島攻略中にオランダに第三国ルートで進駐を打診していましたが、結局拒否され、翌年1月に我が国政府もオランダとの戦争状態を認める宣言を出したのです。
先週金曜日に深夜に地震があったけど朝生では東北出身者が出演しているにも関わらず一切無視。
数分後に地震・津波情報が出たけど「この番組は放送直前に録画されたものです」とのテロップ。
今世間を騒がせている「偽造表示」そのもの。企業もマスコミもモラルが無さ過ぎる昨今。
まず、「太平洋戦争」なんて呼んでるのは日本だけ、みたいな記述がありますが、アメリカでも「太平洋戦争(Pacific War)」と言ったら普通1941年から45年のあの戦争のことです。(アメリカで数年間勤務していろいろな人と話す機会がありましたが、あの国の人達の大半は基本的に自分の国の事しか興味ありませんから、自国が日本と戦った歴史ならともかく、チリ・ペルー・ボリビア間の戦争なんてまるで知らないと思います。)
また、戦争の呼称を後から変えるなど戦死者への冒涜だという記述がありますがその論理が不明瞭ですし、それを言ったら、「支那事変を含めて大東亜戦争と呼ぶ」という1941年の時点の決定で既に呼称変更がされているでしょう。だいたい、戦後に名前が決まった戦争なんてざらにあります。大東亜戦争の件を一般化して呼称変更が戦死者への冒涜だとか言うのは違うでしょう。
最後に、公立の博物館が学界の呼称を用いるのは蓋し当然のことでしょう。更正すべきは博物館ではなく学界だと思います。学界は本来独立不羈であるべきでしょうが、日本国内の歴史学界は特定の思想の勢力が強くて「独立不羈」とは真逆の状態のようですから。
この名称を使う時は、中国が全く視野に入ってないのですから。
あと、読売新聞は一時期「昭和戦争」と呼ぼうとか書いて頑張ってましたが、結局定着しませんでしたね。
私も、この名称は歴史的な重みを感じない変な名称としか思いませんでしたしw
東京裁判史観については、サンフランシスコ講和条約の締結で、この裁判に縛られることは全くないと言えるでしょう。
国際法の解釈でそうなるのですね。
「太平洋戦争」といった場合、世界史上では、中南米で生起した別の戦争が二 つ存在している点である。有名なものは、1879年から84年まで、硝石資源をめぐってチリ とボリビア・ペルーの間で戦われた戦争があり、原語では「the War of the Pacific」、「la guerra del Pacifico」(スペイン語)、もしくは「la guerre du Pacifique」(ポルトガル語) と表記されている。また、186年から66年にかけてチリ・ペルーとスペインが戦った戦争 も、「太平洋戦争」(la guerra del Pacifico:スペイン語)と称しているが、いずれも中南 米における戦争を指している。
ちなみに、日本の「太平洋戦争」は英語では、一般に「the Pacific War」と表記され、 中南米の戦争と区別している。また、米国などではむしろ、「the War in the Pacific (Theater)」、「WWII-Pacific Theatre」、もしくは「the Pacific Theatre in the Second World War」とも表記されている。日本で刊行されている関連辞書や年表には、中南米の戦争は、 日本の「太平洋戦争」とともに,同様に「太平洋戦争」として掲載されている。こうした 先例があるため、国際的には「太平洋戦争」という呼称は誤解を与え兼ねないといった指 摘もなされている。
戦没者への冒瀆かどうかは置いといて、日中戦争も太平洋戦争も実態と違うんだから当時の呼び名に戻しましょうに一票。
ついでに国際連合も実態に合わせて戦勝国連合に変えるってのはどう?(笑
余談だけど 2013/10/29 12:24 AM とぼそさんはご本人でしょうか?
いつもの方とはまったく別人の印象を受けるのですが・・・
(もしご本人だったらゴメン!先に謝っときます)
無頼さん:
管理者として申せば、ご本人様だと思います。
フライングタイガースが支那で日本軍と戦っていました。表向きは義勇軍だけど、実態は米軍。
すいません、本人ですぅ。
まあ、人それぞれいろんな意見があるということで、お目こぼしください。
筆者の大野氏は「世界戦争辞典」と世界の士官学校や兵学校の事例について述べている。批判するなら、よく読もうな。
>戦争の呼称を後から変えるなど戦死者への冒涜だという記述がありますがその論理が不明瞭ですし、それを言ったら、「支那事変を含めて大東亜戦争と呼ぶ」という1941年の時点の決定で既に呼称変更がされているでしょう。
時系列や主体が支離滅裂。1941年の呼称変更は現在進行形。「太平洋戦争」は戦後であり、他国の差し金。
支那戦線で亡くなった戦死者が太平洋戦争の犠牲者であるはずがない。この矛盾を指摘する論理は極めて明瞭である。
>公立の博物館が学界の呼称を用いるのは蓋し当然のことでしょう。
税金を使って設置・運営されている施設が納税者の改善要望を受け入れないのは不当だ。それを指摘するのは蓋し当然のことである。
欧州戦線(北アフリカ戦線を含む), 西南アジア戦線,
太平洋戦線に分けられ, 後に, 西南アジア戦線から
支那戦線を独立させた経緯があるようです.
日本から見れば人的消耗の大きい太平洋戦線が米国の
対日戦線の印象があるが, 米国の軍事力の観点から
見れば, アジアを取り巻く周辺全海域各々に大きな
力を注いだと言うのが本当のようです.
実際問題として, 重慶勢力攻略のためのビルマ戦線で
日本軍が大きな戦力消耗をしたこと, そして,
その背後に米国の軍事力があったことを考えれば,
日米は実質的には太平洋以外でも戦ったと言えそうです.
少なくとも, 米国から見ればそうなります.
意見の中味っていうより、まず文体がいつもと違ってるように感じたのでした。
・・・すいません、勝手な思い込みでした。
くっくりさんにもお手数かけました(汗
*+*+ 47NEWS +*+*
http://www.47news.jp/CN/201310/CN2013102901001348.html
http://www.m9l-o-l.com/archives/33574109.html
日本人が、本当の『国史』を学ばなければ、祖国日本に未来はない。
”Pacific War”で検索にかけると第2次世界大戦のものが圧倒的に多いですし、”War of the Pacific”ですと後者の方が多く、やはり英語だと両者は明確に区別されている様です。
少なくとも世界の世間一般では、”Pacific War”=「日米間の戦争」として流通しているのは明らかです。
ですから、この記事で
『これが世界で認知されている「太平洋戦争」なんですね』『真珠湾攻撃に始まるあの戦争を「太平洋戦争」などといっているのは日本だけのようですな』
としているのは明らかに言い過ぎでしょう。
>河出書房新社が平成10年に出版した米国人ジョージ・C・コーン著(鈴木主税訳)の「世界戦争事典」
この本の日本語訳の段階で”War of the Pacific”を「太平洋戦争」と訳しているのならば、この2つの戦争を区別出来なくなります。これがこの記事の著者の誤解の元ではないでしょうか? 「太平洋戦争」という呼称を批判したいが為の勇み足の様な気がします。この著者の論旨は理解出来ますが、最初の『世界で認知されている「太平洋戦争」』の件(くだり)は必要なかったと思います。
どうかお気になさらず。
文体がいつもと違うのは、何か悪い物でも食べたせいだと思います。
やす様、
ちゃんとよく読んだ上で批判してますよ。
大野氏は日本の新聞や学校の教科書で「太平洋戦争」の呼称が使われていることを問題視していますが、そこで世界の「士官学校や兵学校の」教育事例を持ち出すのは、比較対象としてずれていませんか? 上述の通り、アメリカでも、「太平洋戦争」に関する士官学校での認識と一般人の認識は違うんですよ。
冒涜の話と博物館の話については、やすさんとは異なる意見です。
冒涜云々の論理構成は私には今もって不明瞭ですし、公立の博物館が学界の呼称を用いるのは自然だと私は思います。私立の博物館ならまだしも。
あの戦争を「大東亜戦争」と呼ぶべきだという主張は十分理解しますが、その論理構成がいい加減だと、本丸の主張そのものの真っ当さが揺らぐので、私なりにおかしいと思うところを指摘しているまでです。
これだから、安倍さんが「歴史学者に任せる」って言ってるのは危険なんですよ。彼も知らないはずは無いんですけどね・・・
Youtubeにて「国立歴史博物館」で検索するとレポや抗議活動が沢山アップされています。
私も企画展を見るために以前はよく行っていたのですが、これらの報告を見てゲンナリし、もう5年ほど行っていません。
非常に大きな博物館ですから、じっくり見学していると常設展示だけでも一日で見きるのは大変なこともあり、昔は恥ずかしながらあまり気にしていませんでした。
ただ、原始から始まって近代・現代のコーナーに入ると雰囲気が急に俗っぽくなるので変だなあ、とは感じていました。
久々に行って、「博物館の現実」を確認してこようかしら。
N県のN大学病院の接遇セミナーで、韓国式の挨拶(腕をできるだけ張り上げ、臍の上で手を組む)するよう指導されたそうです。北京オリンピックでそれが美しいと評価されているからだそうです。