勝者に裁かれ【将兵万葉集】(4)戦争裁判の犠牲者-1
「太平洋戦争 将兵万葉集」山口志郎 編・東京堂出版(1995年初版)という本があります。
昭和に生きて、戦い、多くは亡くなって行った兵士・軍人の和歌がまとめられた本です。
鎮魂と平和への願いを込めつつ、拙ブログではこの本から少しずつ和歌を紹介しています。
今回は【戦争裁判の犠牲者】の項からの引用、その1回目です。
※過去記事
・2/6付:北方領土の日によせて【将兵万葉集】(1)シベリア抑留者
・3/8付:中共が靖国を否定する理由【将兵万葉集】(2)特別攻撃隊・神風-1
・5/7付:民族の誇りに…【将兵万葉集】(3)特別攻撃隊・神風-2
大東亜戦争終結後、各地で戦争裁判が行われました。
勝者の敗者に対する一方的な裁判であり、日本に対する報復の意味合いが強かったとも言われています。
裁かれた方々の中には人違いで法廷に立たされた方もいましたし、部下あるいは上司の罪を背負って刑死した方もいたそうです。
ちなみに、「戦犯」とは戦勝国が決めた呼称です。
戦犯裁判による刑死者や収監中死亡者を、厚生労働省は「公務死」あるいは「法務死」、靖国神社では「昭和殉難者」と表現しています。
この「太平洋戦争 将兵万葉集」では「法務死」と表現されています。
死刑判決を受けた戦犯の方々の多くは遺書・遺髪等を遺すことが許されず、遺骨も秘密裏に焼却・埋葬されました。
隠し持った鉛筆などで、紙切れ、トイレットペーパー、敷布の断片、シャツ、ハンカチなどに密かに遺書を書き(中にはご自身の血で書かれたものもあります)、教誨師などに託して遺族に届けてもらった方々もいましたが、それも一部の方だけでした。
※和歌の下の( )は出典です。
今回転載させていただく歌の出典の多くは「世紀の遺書」となっています。
「世紀の遺書」は、巣鴨プリズン内に置かれた「巣鴨遺書編纂会」の呼びかけで遺族その他から寄せられた遺書や遺稿であり、多くの人の協力と援助によって1953年(昭和28年)12月に出版されました(wikipedia参照)。
………………………………………………………………………………
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【【【中国関係】】】
兄へ……
■日の本は幻の国夢の国なつかしの国帰れざる国
(祖国への遺書)
安藤茂樹
香川県出身、憲兵准尉、華南憲兵隊勤務。
昭和二十二年一月十日広東に於いて法務死。
我が子に贈る辞世……
■今は唯何も恨まず諸人の代わりと散りて我は往くなり
(世紀の遺書)
大場金次
静岡県出身、憲兵大尉、東京電機大学卒。
昭和二十三年六月二十四日上海に於いて法務死。三十九歳。
※チャンネル桜旧掲示板に、
大場憲兵大尉の「我が独子憲次に贈る遺書」が掲載されています。
爆撃により母、兄、姉妹を失い独りになった我が子に対し、
上海監獄から贈ったものです。
・2004-10-15 20:55:29 No.74478
■新しき生命に生きん幼児の幸を祈りて吾は往くなり
(世紀の遺書)
桑島恕一
山形県出身、軍医大尉。
昭和二十三年三月一日上海に於いて法務死。三十歳。
※桑島軍医大尉は奉天陸軍病院にて入院した米軍の俘虜患者を
献身的に治療に当り、多くの俘虜の生命を救ったと言われているが、
何の非情ぞ他に死亡者が続出したのでその責任を問われたと言う。
この戦争裁判の杜撰さを痛感する。
■子の孫のその子の孫よ千代かけて祖国を守れ心つくして
■天にも地にも我はづるなし国民ののび行く力我祈るなり
(世紀の遺書)
酒井 隆
東京都出身、陸軍中将、陸軍大学卒。
第二三軍司令官で昭和十八年に一線を退いたが、
二十一年九月南京で法務死。
■靖国の杜にしづもる戦友よこの恥に逝く吾を迎ふるや
(大東亜戦争殉難遺詠集)
高橋雷二
福岡県出身、憲兵曹長。
昭和二十二年十一月一日北京に於いて法務死。三十一歳。
獄中歌日記 三月九日…
■国の為尽くせし事の今の世に迎えられざる身の運命哀し
(世紀の遺書)
高谷巌水
大阪府出身、憲兵軍曹、華南派遣憲兵隊勤務。
昭和二十二年四月広東にて法務死。二十八歳。
犠牲精神の権化と言われた。
■身はたとへ異域の土となるとても魂は返らん君が御側へ
(世紀の遺書)
谷 寿夫
東京都出身、陸軍中将、陸大卒、第六師団長。華北・南京作戦参加、
南京事件に関して二十二年四月南京で法務死。六十五歳。
■清く散るこの身惜しまじ若桜東洋平和の犠牲(いけにえ)ならば
(世紀の遺書)
野上 誠
広島県出身、憲兵軍曹。
昭和二十三年一月三十一日漢口に於いて法務死。二十八歳。
旧部下の判決に……
■命のまま努めし兵士戦罪負いて君待つ御親に如何に詫びなん
(祖国への遺書)
日高保清
鹿児島県出身、陸軍大尉、輜重兵三十七連隊に勤務。
昭和二十二年十一月二十八日広東に於いて法務死。
■今更に散る身惜しとは思はねど心にかかる国の行く末
(世紀の遺書)
前田三郎
石川県出身、海軍中尉、日本大学卒、予備学生。
海南島陸戦隊勤務、昭和二十二年九月十六日広東にて法務死。二十八歳。
※刑執行時着衣の内側に竹の尖で書いた辞世。
………………………………………………………………………………
【【【オランダ領インドネシア関係】】】
■ふがひなく逝く身なれども心には祖国の行く末憂ひやまざる
(世紀の遺書)
浅木留次郎
北海道出身、憲兵中尉、終戦時スラバヤ憲兵隊勤務。
昭和二十三年九月二十三日グロドックに於いて法務死。四十五歳。
※チャンネル桜旧掲示板に、
浅木憲兵中尉の絶筆が掲載されています。
・2004-12-03 12:04:55 No.90313
・2004-12-03 18:18:55 No.90466
・2004-12-03 20:02:56 No.90523
■吾が如く世を去るものの魂を生かせ久遠の祖国の栄に
(世紀の遺書)
井手尾 薫
鳥取県出身、憲兵軍曹。
昭和二十三年十月四日午前八時マカッサルに於いて法務死。二十八歳。
■吾をかも岩木と言へる外国人に見せむ逝く日の武士の旅
(世紀の遺書)
小方文次
神奈川県出身、陸軍准尉。
昭和二十二年十二月三十日グロドックに於いて法務死。三十一歳。
※チャンネル桜旧掲示板に、
小方陸軍准尉の他の歌及び遺書がが掲載されています。
・2004-11-24 12:02:37 No.86633
・2004-11-24 15:36:08 No.86750
遺詠……
■この衣吾がありし日の形見にと語り伝えよ末の末まで
■国敗れ今は術なく醜の矢に散るますらをの道はかなしも
(世紀の遺書)
河村 明
愛知県出身、陸軍法務曹長。
昭和二十三年四月六日グロドックに於いて法務死。三十歳。
※処刑前夜、日常着ていた上衣に小指を切り書いたもの。
※チャンネル桜旧掲示板に、
河村陸軍法務曹長の遺詠と遺稿が掲載されています。
・2004-11-22 23:16:22 No.86255
・2004-11-22 23:46:22 No.86275
義兄に……
■戦犯の弟故に教職の義兄に及ぼす科なかれかし
(ジャワ獄中記)
佐藤源治
岩手県出身、憲兵曹長。
昭和二十三年九月二十二日チビナンに於いて法務死。三十二歳。
※靖国神社の平成二十二年一月の社頭掲示は、
佐藤源治憲兵曹長の「僕は唱歌が下手でした」でした。
■日の本の民はたくまし百難を乗越えて立つ時ぞ待たるる
(世紀の遺書)
田中 透
佐賀県出身、陸軍少将、士官学校卒。終戦時台湾第二連隊長。
昭和二十三年四月グロドックに於いて法務死。五十六歳。
※チャンネル桜旧掲示板に、
田中陸軍少将の遺稿が掲載されています。
・2005-02-17 12:08:32 No.119409
・2005-02-17 21:07:05 No.119604
・2005-02-17 21:30:48 No.119611
■露と消ゆ我が身は更にいとはねど心に残る日本の行く末
(世紀の遺書)
中島 環
大分県出身、憲兵准尉、ゲテリー憲兵隊勤務。
昭和二十三年六月十五日グロドックに於いて法務死。
■数ならぬさざれ小石の誠をば積み重ねてぞ国は泰けれ
(世紀の遺書)
平山辰巳
鹿児島県出身、憲兵曹長。
昭和二十二年三月三日メナドに於いて法務死。三十二歳。
※チャンネル桜旧掲示板に、
平山憲兵曹長の遺書が掲載されています。
・2004-11-10 12:59:37 No.81726
■やぶるれば科なきものも罪に散る今も昔も世のならひかな
(世紀の遺書)
古瀬虎獅狼
長崎県出身、憲兵准尉。
昭和二十三年十月四日マカッサルに於いて法務死。三十五歳。
※チャンネル桜旧掲示板に、
古瀬憲兵准尉の遺書が掲載されています。
・2004-11-09 16:40:19 No.81422
・2004-11-09 20:15:23 No.81496
■敗れてもやがて起つべき日の皇国日の丸輝く将来を見つめて
(世紀の遺書)
宮崎良平
千葉県出身、陸軍大尉。
昭和二十三年十月十八日メダンに於いて法務死。四十五歳。
※チャンネル桜旧掲示板に、
宮崎陸軍大尉の遺書が掲載されています。
・2004-12-04 10:54:44 No.90831
・2004-12-04 11:22:44 No.90843
母上と兄上への手紙に……
■身は赤道心は九段の桜花春は無くとも咲き誇るらむ
(世紀の遺書)
宮島順吉
石川県出身、海軍上等兵曹。
昭和二十三年九月二十四日ポンチャナックに於いて法務死。三十四歳。
※チャンネル桜旧掲示板に、
宮島海軍上等兵曹の遺書が掲載されています。
・2004-11-27 08:59:17 No.87743
■国敗れ罪に問はれて逝く身にも思ひは皇国の前途なりけり
(世紀の遺書)
安島末蔵
福島県出身、憲兵軍曹。
昭和二十二年四月三日マカッサルに於いて法務死。三十歳。
■国敗れ無念に吾は死するとも何時の日か立つ日の本の民
(遺稿集)
山岸延雄
長野県出身、憲兵准尉。
昭和二十三年四月三日アンボンに於いて法務死。三十七歳。
※チャンネル桜旧掲示板に、
山岸憲兵准尉の遺稿が掲載されています。
・2004-11-17 11:58:10 No.84275
・2004-11-17 19:21:27 No.84437
■誠もてえびすの人に尽くせしに報ひは悲し死のさだめなり
(世紀の遺書)
山根重由
広島県出身、陸軍軍医大尉。
昭和二十三年十一月二十三日グロドックで法務死。三十二歳。
※獄中日記に、「雨がしょぼしょぼ降ってきた。不思議な事である。
死刑執行があると必ず雨が降る。天もこの非道をお怒りになるのか。」
※チャンネル桜旧掲示板に、
山根陸軍軍医大尉の遺稿が掲載されています。
・2004-10-31 18:48:47 No.78954
・2004-10-31 22:04:59 No.79013 他多数
遺詠(獄中日記、二月十九日)
■刑受けてメダン原頭露と散るこの身思はず名こそ惜しけれ
(世紀の遺書)
山根 隆
東京都出身、憲兵少佐、パレンバン憲兵隊勤務。
昭和二十四年三月四日メダンに於いて法務死。
※チャンネル桜の旧掲示板に、
山根憲兵少佐の遺詠が掲載されています。
・2005-01-21 23:09:51 No.109014
■いざさらば再起日本の礎石てふ誇りに生きて雄々しく死なむ
(世紀の遺書)
亘 就市
京都府出身、海軍中尉。
昭和二十三年十月四日バリックパパンに於いて法務死。三十四歳。
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【【【ビルマ関係】】】
■真心の道に貫く益荒夫はほゑみのぼる絞首台上
(世紀の遺書)
塩田源二
栃木県出身、陸軍中尉、士官学校卒。
昭和二十二年十一月二十二日ラングーンに於いて法務死。二十四歳。
※「クンユアム第二次大戦戦争博物館」のHPに、
塩田源二陸軍中尉が父母に宛てた手紙が掲載されています。
(昭和六十一年十一月靖國神社社頭掲示)
■我が魂は永久に消えまじはらからと共に励みて平和来むまで
(大東亜戦争殉難遺詠集)
鈴木喜代司
東京都出身、憲兵曹長。
昭和二十一年十一月九日ラングーンに於いて法務死。三十一歳。
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………………………………………………………………………………
戦争裁判の犠牲となった方々の歌は、概ね次のように分類されます。
・故郷に残る家族を思う歌
・ともに戦犯とされた友を思う歌
・戦犯とされた理不尽さを訴える歌
・国の行く末を憂える歌
・国は破れたがきっと立ち上がってくれよという祈念の歌
首相や閣僚の靖国神社参拝問題ではもっぱら、いわゆる「A級戦犯」のことだけが俎上に上り、「BC級戦犯」については見落とされがちです。
横浜やマニラなど世界49カ所の軍事法廷で裁かれた「BC級戦犯」のうち、1068人が処刑されました。冤罪も多数ありました。彼らの尊い命と引き換えに平和条約が締結されたと言っても過言ではありません。
「国敗れ つみ人となり 死ぬる身は 世界平和の杭となるなり」
7歳と2歳の娘を残し、昭和24年2月12日巣鴨において処刑された片岡正雄陸軍曹長(享年30歳)の辞世の歌です。
数々の遺書や遺詠に見られるように、彼らは「祖国の礎石になる」と書き残し、その役割を引き受けて逝かれました。
今の日本は彼らの「死体」を礎石として成り立っているのです。
※おすすめ単行本
・【国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選】
靖国神社では昭和35年以来、英霊たちの遺書、遺稿を毎月1通ずつ境内の鳥居横に掲げてきました。これは神社が発行する冊子「英霊の言乃葉」にまとめられ、現在9集まで出されていますが、靖国神社でしか買うことができませんでした。この本は靖国神社の全面協力のもと、その膨大な遺書や遺稿の中から小林よしのり氏が、現代の日本人に特に伝えたいもの、残したいもの100編を選んで再編集し、初めて一般書籍化したものです。
産経新聞7/19付でもこの本が紹介されました。
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勝者の敗者に対する一方的な裁判であり、日本に対する報復の意味合いが強かったとも言われています。
裁かれた方々の中には人違いで法廷に立たされた方もいましたし、部下あるいは上司の罪を背負って刑死した方もいたそうです。
ちなみに、「戦犯」とは戦勝国が決めた呼称です。
戦犯裁判による刑死者や収監中死亡者を、厚生労働省は「公務死」あるいは「法務死」、靖国神社では「昭和殉難者」と表現しています。
この「太平洋戦争 将兵万葉集」では「法務死」と表現されています。
死刑判決を受けた戦犯の方々の多くは遺書・遺髪等を遺すことが許されず、遺骨も秘密裏に焼却・埋葬されました。
隠し持った鉛筆などで、紙切れ、トイレットペーパー、敷布の断片、シャツ、ハンカチなどに密かに遺書を書き(中にはご自身の血で書かれたものもあります)、教誨師などに託して遺族に届けてもらった方々もいましたが、それも一部の方だけでした。
※和歌の下の( )は出典です。
今回転載させていただく歌の出典の多くは「世紀の遺書」となっています。
「世紀の遺書」は、巣鴨プリズン内に置かれた「巣鴨遺書編纂会」の呼びかけで遺族その他から寄せられた遺書や遺稿であり、多くの人の協力と援助によって1953年(昭和28年)12月に出版されました(wikipedia参照)。
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【【【中国関係】】】
兄へ……
■日の本は幻の国夢の国なつかしの国帰れざる国
(祖国への遺書)
安藤茂樹
香川県出身、憲兵准尉、華南憲兵隊勤務。
昭和二十二年一月十日広東に於いて法務死。
我が子に贈る辞世……
■今は唯何も恨まず諸人の代わりと散りて我は往くなり
(世紀の遺書)
大場金次
静岡県出身、憲兵大尉、東京電機大学卒。
昭和二十三年六月二十四日上海に於いて法務死。三十九歳。
※チャンネル桜旧掲示板に、
大場憲兵大尉の「我が独子憲次に贈る遺書」が掲載されています。
爆撃により母、兄、姉妹を失い独りになった我が子に対し、
上海監獄から贈ったものです。
・2004-10-15 20:55:29 No.74478
■新しき生命に生きん幼児の幸を祈りて吾は往くなり
(世紀の遺書)
桑島恕一
山形県出身、軍医大尉。
昭和二十三年三月一日上海に於いて法務死。三十歳。
※桑島軍医大尉は奉天陸軍病院にて入院した米軍の俘虜患者を
献身的に治療に当り、多くの俘虜の生命を救ったと言われているが、
何の非情ぞ他に死亡者が続出したのでその責任を問われたと言う。
この戦争裁判の杜撰さを痛感する。
■子の孫のその子の孫よ千代かけて祖国を守れ心つくして
■天にも地にも我はづるなし国民ののび行く力我祈るなり
(世紀の遺書)
酒井 隆
東京都出身、陸軍中将、陸軍大学卒。
第二三軍司令官で昭和十八年に一線を退いたが、
二十一年九月南京で法務死。
■靖国の杜にしづもる戦友よこの恥に逝く吾を迎ふるや
(大東亜戦争殉難遺詠集)
高橋雷二
福岡県出身、憲兵曹長。
昭和二十二年十一月一日北京に於いて法務死。三十一歳。
獄中歌日記 三月九日…
■国の為尽くせし事の今の世に迎えられざる身の運命哀し
(世紀の遺書)
高谷巌水
大阪府出身、憲兵軍曹、華南派遣憲兵隊勤務。
昭和二十二年四月広東にて法務死。二十八歳。
犠牲精神の権化と言われた。
■身はたとへ異域の土となるとても魂は返らん君が御側へ
(世紀の遺書)
谷 寿夫
東京都出身、陸軍中将、陸大卒、第六師団長。華北・南京作戦参加、
南京事件に関して二十二年四月南京で法務死。六十五歳。
■清く散るこの身惜しまじ若桜東洋平和の犠牲(いけにえ)ならば
(世紀の遺書)
野上 誠
広島県出身、憲兵軍曹。
昭和二十三年一月三十一日漢口に於いて法務死。二十八歳。
旧部下の判決に……
■命のまま努めし兵士戦罪負いて君待つ御親に如何に詫びなん
(祖国への遺書)
日高保清
鹿児島県出身、陸軍大尉、輜重兵三十七連隊に勤務。
昭和二十二年十一月二十八日広東に於いて法務死。
■今更に散る身惜しとは思はねど心にかかる国の行く末
(世紀の遺書)
前田三郎
石川県出身、海軍中尉、日本大学卒、予備学生。
海南島陸戦隊勤務、昭和二十二年九月十六日広東にて法務死。二十八歳。
※刑執行時着衣の内側に竹の尖で書いた辞世。
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【【【オランダ領インドネシア関係】】】
■ふがひなく逝く身なれども心には祖国の行く末憂ひやまざる
(世紀の遺書)
浅木留次郎
北海道出身、憲兵中尉、終戦時スラバヤ憲兵隊勤務。
昭和二十三年九月二十三日グロドックに於いて法務死。四十五歳。
※チャンネル桜旧掲示板に、
浅木憲兵中尉の絶筆が掲載されています。
・2004-12-03 12:04:55 No.90313
・2004-12-03 18:18:55 No.90466
・2004-12-03 20:02:56 No.90523
■吾が如く世を去るものの魂を生かせ久遠の祖国の栄に
(世紀の遺書)
井手尾 薫
鳥取県出身、憲兵軍曹。
昭和二十三年十月四日午前八時マカッサルに於いて法務死。二十八歳。
■吾をかも岩木と言へる外国人に見せむ逝く日の武士の旅
(世紀の遺書)
小方文次
神奈川県出身、陸軍准尉。
昭和二十二年十二月三十日グロドックに於いて法務死。三十一歳。
※チャンネル桜旧掲示板に、
小方陸軍准尉の他の歌及び遺書がが掲載されています。
・2004-11-24 12:02:37 No.86633
・2004-11-24 15:36:08 No.86750
遺詠……
■この衣吾がありし日の形見にと語り伝えよ末の末まで
■国敗れ今は術なく醜の矢に散るますらをの道はかなしも
(世紀の遺書)
河村 明
愛知県出身、陸軍法務曹長。
昭和二十三年四月六日グロドックに於いて法務死。三十歳。
※処刑前夜、日常着ていた上衣に小指を切り書いたもの。
※チャンネル桜旧掲示板に、
河村陸軍法務曹長の遺詠と遺稿が掲載されています。
・2004-11-22 23:16:22 No.86255
・2004-11-22 23:46:22 No.86275
義兄に……
■戦犯の弟故に教職の義兄に及ぼす科なかれかし
(ジャワ獄中記)
佐藤源治
岩手県出身、憲兵曹長。
昭和二十三年九月二十二日チビナンに於いて法務死。三十二歳。
※靖国神社の平成二十二年一月の社頭掲示は、
佐藤源治憲兵曹長の「僕は唱歌が下手でした」でした。
■日の本の民はたくまし百難を乗越えて立つ時ぞ待たるる
(世紀の遺書)
田中 透
佐賀県出身、陸軍少将、士官学校卒。終戦時台湾第二連隊長。
昭和二十三年四月グロドックに於いて法務死。五十六歳。
※チャンネル桜旧掲示板に、
田中陸軍少将の遺稿が掲載されています。
・2005-02-17 12:08:32 No.119409
・2005-02-17 21:07:05 No.119604
・2005-02-17 21:30:48 No.119611
■露と消ゆ我が身は更にいとはねど心に残る日本の行く末
(世紀の遺書)
中島 環
大分県出身、憲兵准尉、ゲテリー憲兵隊勤務。
昭和二十三年六月十五日グロドックに於いて法務死。
■数ならぬさざれ小石の誠をば積み重ねてぞ国は泰けれ
(世紀の遺書)
平山辰巳
鹿児島県出身、憲兵曹長。
昭和二十二年三月三日メナドに於いて法務死。三十二歳。
※チャンネル桜旧掲示板に、
平山憲兵曹長の遺書が掲載されています。
・2004-11-10 12:59:37 No.81726
■やぶるれば科なきものも罪に散る今も昔も世のならひかな
(世紀の遺書)
古瀬虎獅狼
長崎県出身、憲兵准尉。
昭和二十三年十月四日マカッサルに於いて法務死。三十五歳。
※チャンネル桜旧掲示板に、
古瀬憲兵准尉の遺書が掲載されています。
・2004-11-09 16:40:19 No.81422
・2004-11-09 20:15:23 No.81496
■敗れてもやがて起つべき日の皇国日の丸輝く将来を見つめて
(世紀の遺書)
宮崎良平
千葉県出身、陸軍大尉。
昭和二十三年十月十八日メダンに於いて法務死。四十五歳。
※チャンネル桜旧掲示板に、
宮崎陸軍大尉の遺書が掲載されています。
・2004-12-04 10:54:44 No.90831
・2004-12-04 11:22:44 No.90843
母上と兄上への手紙に……
■身は赤道心は九段の桜花春は無くとも咲き誇るらむ
(世紀の遺書)
宮島順吉
石川県出身、海軍上等兵曹。
昭和二十三年九月二十四日ポンチャナックに於いて法務死。三十四歳。
※チャンネル桜旧掲示板に、
宮島海軍上等兵曹の遺書が掲載されています。
・2004-11-27 08:59:17 No.87743
■国敗れ罪に問はれて逝く身にも思ひは皇国の前途なりけり
(世紀の遺書)
安島末蔵
福島県出身、憲兵軍曹。
昭和二十二年四月三日マカッサルに於いて法務死。三十歳。
■国敗れ無念に吾は死するとも何時の日か立つ日の本の民
(遺稿集)
山岸延雄
長野県出身、憲兵准尉。
昭和二十三年四月三日アンボンに於いて法務死。三十七歳。
※チャンネル桜旧掲示板に、
山岸憲兵准尉の遺稿が掲載されています。
・2004-11-17 11:58:10 No.84275
・2004-11-17 19:21:27 No.84437
■誠もてえびすの人に尽くせしに報ひは悲し死のさだめなり
(世紀の遺書)
山根重由
広島県出身、陸軍軍医大尉。
昭和二十三年十一月二十三日グロドックで法務死。三十二歳。
※獄中日記に、「雨がしょぼしょぼ降ってきた。不思議な事である。
死刑執行があると必ず雨が降る。天もこの非道をお怒りになるのか。」
※チャンネル桜旧掲示板に、
山根陸軍軍医大尉の遺稿が掲載されています。
・2004-10-31 18:48:47 No.78954
・2004-10-31 22:04:59 No.79013 他多数
遺詠(獄中日記、二月十九日)
■刑受けてメダン原頭露と散るこの身思はず名こそ惜しけれ
(世紀の遺書)
山根 隆
東京都出身、憲兵少佐、パレンバン憲兵隊勤務。
昭和二十四年三月四日メダンに於いて法務死。
※チャンネル桜の旧掲示板に、
山根憲兵少佐の遺詠が掲載されています。
・2005-01-21 23:09:51 No.109014
■いざさらば再起日本の礎石てふ誇りに生きて雄々しく死なむ
(世紀の遺書)
亘 就市
京都府出身、海軍中尉。
昭和二十三年十月四日バリックパパンに於いて法務死。三十四歳。
………………………………………………………………………………
【【【ビルマ関係】】】
■真心の道に貫く益荒夫はほゑみのぼる絞首台上
(世紀の遺書)
塩田源二
栃木県出身、陸軍中尉、士官学校卒。
昭和二十二年十一月二十二日ラングーンに於いて法務死。二十四歳。
※「クンユアム第二次大戦戦争博物館」のHPに、
塩田源二陸軍中尉が父母に宛てた手紙が掲載されています。
(昭和六十一年十一月靖國神社社頭掲示)
■我が魂は永久に消えまじはらからと共に励みて平和来むまで
(大東亜戦争殉難遺詠集)
鈴木喜代司
東京都出身、憲兵曹長。
昭和二十一年十一月九日ラングーンに於いて法務死。三十一歳。
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………………………………………………………………………………
戦争裁判の犠牲となった方々の歌は、概ね次のように分類されます。
・故郷に残る家族を思う歌
・ともに戦犯とされた友を思う歌
・戦犯とされた理不尽さを訴える歌
・国の行く末を憂える歌
・国は破れたがきっと立ち上がってくれよという祈念の歌
首相や閣僚の靖国神社参拝問題ではもっぱら、いわゆる「A級戦犯」のことだけが俎上に上り、「BC級戦犯」については見落とされがちです。
横浜やマニラなど世界49カ所の軍事法廷で裁かれた「BC級戦犯」のうち、1068人が処刑されました。冤罪も多数ありました。彼らの尊い命と引き換えに平和条約が締結されたと言っても過言ではありません。
「国敗れ つみ人となり 死ぬる身は 世界平和の杭となるなり」
7歳と2歳の娘を残し、昭和24年2月12日巣鴨において処刑された片岡正雄陸軍曹長(享年30歳)の辞世の歌です。
数々の遺書や遺詠に見られるように、彼らは「祖国の礎石になる」と書き残し、その役割を引き受けて逝かれました。
今の日本は彼らの「死体」を礎石として成り立っているのです。
※おすすめ単行本
・【国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選】
靖国神社では昭和35年以来、英霊たちの遺書、遺稿を毎月1通ずつ境内の鳥居横に掲げてきました。これは神社が発行する冊子「英霊の言乃葉」にまとめられ、現在9集まで出されていますが、靖国神社でしか買うことができませんでした。この本は靖国神社の全面協力のもと、その膨大な遺書や遺稿の中から小林よしのり氏が、現代の日本人に特に伝えたいもの、残したいもの100編を選んで再編集し、初めて一般書籍化したものです。
産経新聞7/19付でもこの本が紹介されました。
※拙ブログ関連エントリー
・2/6付:北方領土の日によせて【将兵万葉集】(1)シベリア抑留者
・3/8付:中共が靖国を否定する理由【将兵万葉集】(2)特別攻撃隊・神風-1
・5/7付:民族の誇りに…【将兵万葉集】(3)特別攻撃隊・神風-2
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Comments
このシリーズはいつも不覚にも涙が流れてしまいます。
一つ気になる言葉がありました。
山根重由
広島県出身、陸軍軍医大尉。
昭和二十三年十一月二十三日グロドックで法務死。三十二歳。
※獄中日記に、「雨がしょぼしょぼ降ってきた。不思議な事である。
死刑執行があると必ず雨が降る。天もこの非道をお怒りになるのか。」
と言う件。
お怒りではなく嘆きだと。
理不尽に刑が執行される事に対する天の嘆きと自分は感じたのですけどね。
今の日本人は戦争のことを極力避けています。
日教組は日本軍全てに罪を被せ自分達は関係が無い、軍がずべて悪いと言った教えを推進しています。
でも、これらの句を見ればおかしいと気が付きますよね。
今の子供には反戦教育の一環としてこれらの句を話して意味を伝えてあげれば日本の将来を考えるきっかけになり、日本が本当に再起する様になると思うのですが。
ただ、教育も全て今の現実は駄目。
保守と言うよりも日本を本当に良い国として、外国にも左右されない独立した国とする政治家が集まらなければ駄目な国になっている気がします。
日本人は調和を最も尊いものと思っている民族だと思っているのですが、いかがでしょうか?
日本の軍人なら、死刑でもいいの?
冤罪について、民主党内で「冤罪防止」を声高に唱えている議員たちは、どう思うのでしょう?
日本の軍人の冤罪は、晴らさなくていいの?
「沖縄に感謝する」と言う管総理は、先の太平洋戦争で尊い命を懸けて戦い、散っていった靖国の英霊たちへの感謝を、忘れていませんか?
是非こちらでも取り上げてください。
宜しくお願いします。
◆☆◆吉田首相がマッカーサーに宛てた、韓国人の全員を送還したい旨の内容の手紙も記載されているそうです。
吉田首相はこの異常な民族性を見抜いていました。是非、多くの人に読んで貰いたい 本です。
『朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実』の本の 拡散宣伝お願いします。
http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-85.html
〜〜〜〜〜〜〜〜 一部転載
8月15日に菅首相へ「日韓併合100周年謝罪談話」を求めている韓国政府の動きと連動しています。
『嫌韓流』は、日本のマスメディアが無視していましたが、ニューヨーク・タイムズなど外国メディアが報道していました。
『朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実』は、『嫌韓流』出版当時、明らかになっていなかった資料を満載し、直接解読できるように掲載しましたので、疑惑が確信になると思っております。
保守インターネットユーザーの皆様、菅首相の「日韓併合100周年謝罪談話」を、総力戦で阻止しましょう。
《菅首相の「日韓併合100周年」謝罪談話を阻止できる反撃本を国民の手に!》
前田三郎
石川県出身、海軍中尉、日本大学卒、予備学生。
海南島陸戦隊勤務、昭和二十二年九月十六日広東にて法務死。二十八歳。
先ほど自民党の稲田朋美先生のブログを閲覧していたら、このような記述がありました。
稲田朋美の『今日の直言』
山崎正昭先生・決起大会あいさつ
2010年07月22日(木)18時19分
(一部引用)
>いまブームになっている坂本竜馬が暗殺される直前に福井にきて、由利公正や横井小楠と この国の行く末について語り合いました。
>その時に坂本竜馬が詠んだ歌があります。
>君がため 捨つる命はおしまねど 心にかかる 国の行く末
>この歌が幕末福井藩でとても流行ったといいます。
>まさしく その竜馬の精神 命を捨ててでもこの国の行く末をおもう その心が政治に問われています。
>そして明治維新のときにこの福井から発信したのが「有道・有徳の国」「道義大国を目指す」ということでした。(以下略)
http://www.inada-tomomi.com/diarypro/diary.cgi?no=129
上の前田三郎海軍中尉の辞世の歌の後半部分が、同じく「心にかかる 国の行く末」で、両歌の趣旨に潔さと愛国心を感じる事もあり、坂本竜馬の歌を踏まえたのかな?と思いました。
>献身的に治療に当り、多くの俘虜の生命を救ったと言われているが、
>何の非情ぞ他に死亡者が続出したのでその責任を問われたと言う。
>この戦争裁判の杜撰さを痛感する。
先ほど報ステで山崎宏という元日本軍脱走兵で101歳の老人医師の特集をやっていた。
脱走しておいて何ら咎められず中国で結婚して子供ももうけ、日中国交回復後は日本への帰国も果たし、その後また中国に戻って現在も医師を続けている。
桑島軍医大尉とのあまりの落差に腹が立って仕方がなかった。