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集団自決 真実を語れない沖縄の特殊性

6月下旬から、別人を装い多数のHNを使ってコメントされる方が出没しています。皆様方におかれましては、「このコメントは何か変だな」と思ったら相手をせず、スルーして下さい。


「河野談話」の白紙撤回を求める署名
 「河野談話」の白紙撤回を求める署名にご協力を!

 25日の署名一時提出と米国大使館デモは延期、4〜5日ずらすそうです。最新情報はよーめんさんのブログでご確認下さい。
 

 さて、本題。
 6月23日は「沖縄慰霊の日」でした。

 沖縄戦では軍民合わせて18万8000人が戦死、うち、沖縄県民の犠牲者は12万人を超えたそうです。
 亡くなられた方々のご冥福を改めてお祈りするとともに、今日は沖縄戦集団自決「軍命令」問題について考えてみたいと思います。
 
 
■慰安婦問題と似ている沖縄集団自決「軍命令」問題

 少し前の記事になりますが、まずはこちらをご覧下さい。

【正論】現代史家・秦郁彦 沖縄戦の集団自決と大江氏裁判(産経07/4/14)
■両守備隊長の優れた人間性明らか

≪高校教科書修正の当否≫

 3月31日の新聞各紙は、沖縄戦における住民の集団自決に関する高校教科書の記述の修正結果を1面で大きく報じた。

 たとえば三省堂の日本史Aの「県民は日本軍に〈集団自決〉を強いられ…」とした申請を、文科省は「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現」と指摘、主語を抜いた「追いつめられて〈集団自決〉した」へ変わった。他の教科書(6冊)の申請、指摘、修正もほぼ同じである。

 この修正に対し産経、読売は肯定的、朝日、毎日は否定的反応を見せたが、執筆者や出版社からの抗議は出なかった。教科書の記述が実態にそぐわないことに気づきはじめていた執筆者たちにとって、文科省の修正要求は「渡りに船」だったとも考えられる。

 しかし、朝日、毎日は「当日の軍命の有無ではなく」とか「検定は日本軍の加害性を否定するもの」のような識者の反論を掲載、4月4日付朝日新聞朝刊の「天声人語」は「修正後の表現は状況があいまいで、住民が自ら死を選んだ印象が強い。これまでの検定では合格していた表現なのに」と不満を並べている。

 慰安婦問題で官憲の強制連行はなくても、全体としての強制性はあったはずと強弁するに似たすり替え論法と見受けた。では事実はどうか。

 ≪稀に見る人権侵害的記述≫

 軍命令説の起源は、戦後まもない時期に沖縄タイムスが刊行した『鉄の暴風』(昭和25年)で、それが子引き、孫引きされて広まったのだが、渡嘉敷(とかしき)島の場合は曽野綾子氏の『ある神話の背景』(昭和48年)によって全面否定され、赤松嘉次守備隊長はむしろ「自決するな」と制止した事情が明らかになった。

 座間味(ざまみ)島の場合も、自決を指示したのは村の幹部で、そのための手榴(しゅりゅう)弾をくれという要請を梅沢裕守備隊長は拒絶し、谷間で生きのびてくれと指示した事実が明確となり、県史もその線に沿った訂正をすませている。

 真相の解明がおくれたのは、別の事情もあった。遺族が厚生省(当時)の援護年金を受給するには、軍命令があったという形式を取る必要があり、両守備隊長も「お世話になった村のために」と了承し、沈黙を守りつづけた。

 そこで90歳の梅沢元少佐(と赤松氏の遺族)が「汚名」をそそごうと、作家の大江健三郎氏(と岩波書店)を相手どって平成17年夏、謝罪と著書『沖縄ノート』の出版差し止めなどを求め大阪地裁へ提訴したとき、私はついでに沈黙を守ればよいのにと思わぬでもなかった。

 だが、くだんの『沖縄ノート』を読んで、その思いは砕かれた。大江氏は両守備隊長を集団自決の命令者だという前提で、「ペテン」「屠殺(とさつ)者」「戦争犯罪人」呼ばわりしたうえ、「ユダヤ人大量殺戮(さつりく)で知られるナチスのアイヒマンと同じく拉致されて沖縄法廷で裁かれて然るべき」と「最大限の侮蔑を含む人格非難」(訴状)をくり返していたからである。

 しかし、他の孫引き本がほとんど絶版となっているのに、この本は昭和45年の初版から修正なしに50刷を重ね、現在も売られているのは信じがたい事実だった。

 こうした稀(まれ)にみる人権侵害的記述を有名文学者だからという理由で、許容する余地はないと私は感じている。

≪「自決せず生きのびて」≫

 裁判は進行中だが、原告側は座間味村役場の援護係だった宮村幸延氏が昭和62年に、集団自決は当時の村役場助役の命令だったが、遺族補償のため梅沢守備隊長の命令として申請した事情を記して、梅沢氏へ渡した「詫(わ)び状」を提出した。梅沢氏の無実を証する決定的証拠といえるもので、文科省の検定でも援用された。

 これに対し大江氏側は「詫び状」は宮村氏を泥酔状態に陥れハンコを押させたとか、守備隊長と記し実名は書いていないから特定できぬはずだとか、日本軍全体の非人間性に目を向けろ式の見苦しい弁明に終始している。

 その半面、法廷記録から浮かびあがってきたのは赤松、梅沢両氏のすぐれた人間性であった。25歳、27歳の若さなのに彼らは絶望的な戦況下、数百人の部下と島民をまとめ、冷静、沈着な判断力で終戦までの5カ月をしのいだ。「自決するな。生きのびなさい」と指示したのに、米軍の砲火でパニックに陥り死を選んだ島民を思いやって「汚名」を甘受した2人に比し、「現存する日本人ノーベル文学賞作家」の醜悪な心事はきわだつ。「私自身、証言に立ちたい」(17年8月16日付朝日新聞)と公言した大江氏は法廷で何を語るのだろうか。(はた いくひこ)

 大江健三郎に謝罪と著書『沖縄ノート』の出版差し止めなどを求めた訴訟については、今回は紙幅も時間もないのでスルーします。詳細はこちらをご覧下さい。

 秦先生の言われるように、実は「軍命令あった派」は近年、慰安婦問題よろしく「広義の強制性」を主張しています。

 集団自決の話題でよくマスコミに登場し、日本軍批判を繰り返している沖縄キリスト教短期大学名誉教授の金城重明氏ですら、

 「自決を命令する言葉があったかなかったではなく、軍隊によって住民が追い詰められていったことが問題だ」沖縄タイムス05/8/27
 「島に日本軍がいる中、米軍が上陸し、離島の狭い空間で精神的にも追い詰められていき、死につながった」沖縄タイムス07/6/3

 といった曖昧な発言が目立ち、必ずしも「軍命令があった」と主張しているわけではありません。

 しかも、集団自決を教育基本法改正問題、教科書採択問題、慰安婦問題などに利用してる団体も多くて(沖縄タイムス05/6/20)、明らかに反日プロパガンダが入っています。


1コ前のエントリーにいただいたコメントから
ところで、昨日のNHKのクローズアップ現代を見たのですが、沖縄の集団自決問題を取り上げてましたね。「軍の関与」を消すような教科書検定に沖縄人は怒っている、と。

で、インタビューに出てきた大城将保と言う人が、「沖縄の人達は軍のために協力して飛行場や陣地の建設に協力した。そのため軍の機密を知ってしまった。軍はその情報が敵に知られては困るから捕虜になるな、と自決を強要したんですよ」と言い、国谷キャスターが「でも、軍が命令したという証拠、文書は残っていないんですよね」と言うと「当時の軍は全て口頭命令ですよ。証拠など残ってはいません。だからこそ、実際の体験者の証言こそが大事な証拠です」と。あれ、どこかで聞いたような論理ですよね。慰安婦問題と一緒じゃん。

番組の中では、梅沢隊長サイドに立った自由史観研究所の藤岡信勝氏のインタビューもありましたが、見た人は「集団自決は軍により強制・誘導されたもので沖縄の各地で多くあった事」という印象を持った事でしょう。しかし、実際には渡嘉敷島と座間味島で主にあった事で、二つとも裁判で軍の関与は否定されたのでは?

沖縄の人でこの板をご覧の方、本当に皆さん、怒っておられるんですか?

Risshin | 2007/06/23 06:33 AM

 6/22放送「クローズアップ現代」もそうだし、同日放送「NEWS23」もそうでしたが、ほんと左に偏ってて、見ちゃいられませんでした。
 ただ、ちゃんと見てると、「軍命令あった派」の主張は穴だらけというか……。

 たとえば「NEWS23」では、あるお婆ちゃんが集団自決について証言してましたが、中身は又聞きだし、しかもその後のナレーションがこんなの。

 「(彼女は)軍による強制があったかどうかについて 、多くを語ろうとはしませんでした」

 多くは語ろうとしなかった――、そのことが全てを物語っているのでは?

 Risshinさんが紹介して下さった「クローズアップ現代」の中に、「当時の軍は全て口頭命令」とありますが、当時軍属で伝令をされていた方で、その口頭命令すらなかったと証言している方もいます。

 その件も含めて、次項を読んでみて下さい。
 重要な証言がたくさん載っています。一部引用のつもりがかなり長くなってしまいましたが(^^ゞ


■「正論」6月号掲載 横浜市立中学校教諭・服部剛氏【今こそ沖縄戦の真実を「教壇」で語ろう】

 平成17年5月20日〜22日、自由主義史観研究会が座間味島と渡嘉敷島にて現地調査を行いました。これに服部氏も参加されました。その時のレポートです。

■「軍命令のはずがない」

 座間味島で一夜を明かし、翌21日朝、最初の聞き取り調査に応じていただいたのは、宮平敏勝さんである。昭和3年生まれの宮平さんは、20年2月末、17歳で戦隊本部付きの伝令として徴用された。「軍属です。左腕に星(☆)ひとつですよ」とおっしゃっていた。「17歳ですか」の質問に、生まれ月が早い者は防衛隊に任命されたとのことで、同級生4人中、宮平さんだけが徴用にあたったという。

 徴用されてすぐに米軍が上陸、熾烈な戦闘になった。4月11日、擲弾筒で左腿を負傷。その後、梅澤隊長(引用者注:座間味島守備隊長・梅澤裕氏)より集合がかかり、「これ以上戦闘は困難ゆえ、皆親元に帰れ」との解散命令が出る。民間人は米軍に捕まっても、すぐに解放されたので無事だった由。以下、宮平さんの証言の要点を記す。

 集団自決(3月25日、米軍上陸の日)については、宮平さん自身は「軍と行動を共にしていて、山中にいたので自決のことは全く知らなかった。解散命令が出て、山を下りた時、初めて知った」という。戦闘が始まって以降、軍は「民間人との接触はほとんどなかった」のである。「もし、自決が軍命令なら、伝令である自分が知っている。軍命令のはずがない」と断定された。宮平さんは自決現場そのものには居合わせなかったとはいえ、有力な傍証である。

 住民の意識はというと、戦闘が始まる前から「誰といわず、死を決意していた。そういう空気だった」。行政のリーダーを始め、特に「兵事係(*服部注…村長・助役・収入役の次のポストで、強い権限を持つとの由)が強硬派で、『自決すべし』であった」。

 解散直後、自決の状況を近親者や友人らに詳細を聞いたが、「世間では集団自決と言うが、それぞれの壕で家族が『無理心中』的に自決したのが実相です。役場から忠魂碑前に集まれとの集合がかかったけれども、艦砲射撃で皆ちりぢりになってしまった。それで各壕の各家族で自決した」。「自決したのは他と孤立した所にある壕の家族に多かった。情報が入ってこなかったから」だ。

 また、「中には率先して軍と共に戦う人も出たけれど、それは少数」であったらしい。

 私たちの「米軍が来るのは分かっていたのに、なぜ住民は疎開しなかったのか?機密保持のために軍が住民を疎開させなかったという説もあるが」との質問に、「確かに機密の保持やスパイ対策という意味合いで、島を自由に出てはいけないということになっていた…、しかし、住民は『どうせ死ぬなら島で死にたい』という思いがたいへん強く、疎開はしなかった」と説明された。沖縄には、一族は同じ墓に入るという伝統がある。どうせ死ぬのなら、家族一緒に死のうと考えていたというのである。

 宮平さんの話を聞いて私たちは、追いつめられたということだけで住民が自決に至ったわけではないとの思いに至った。本土並みを希求した沖縄人の<自分たちは真の日本人なのだ>という気概が「古来の風習(日本の武士は落城に際して、潔く自刃して城と運命をともにする)」に則った自決へと導いたのではないかと感じた。農民出身ゆえに武士以上に武士道を実践した新撰組・近藤勇らの心情に通じる気迫を感じた。

 そして宮平さんは、「自決はあくまで『役場主導』だった」ときっぱりと言われた。

 梅澤隊長の人物像について「隊長は28歳にして少佐です。エリートです。すごい軍人であり、人間的にも素晴らしい人でした。たいへん落ち着いている人で、信頼して部下に任せるタイプです」と伺った。後年、梅澤氏自身が「軍人は民間人に『死ね』などとは絶対に言わない」と明言されたように、責任感に溢れる隊長であった。

 「住民スパイ虐殺説」に関しても、興味深い証言をされた。よく言われているような「言葉(方言)で住民をスパイ扱いしたわけではありません。実際にスパイはいました。移民のハワイ日系社会と通じていた」のだそうだ。宮平さん自身、夜中に高い崖の上から沖合に向けてチカチカと発せられる懐中電灯の光を何度となく目撃している。何らかの信号を米艦隊に向けて送っていたのであろう。しかし、「梅澤隊長は終戦が間近であることを察知してか、スパイの住民を見逃していました。そのため、住民の悪感情は全くありません。他の島ではスパイが見つかったら処刑したから住民殺害説が出来上がったのでしょう」とのことである。

 また、軍が渡したとされる手榴弾について、「女子青年団(*軍属のような形で軍に協力した)は、手榴弾を渡されて所持していました。しかし、その他の手榴弾はどこから持ってきたものかわかりません。兵といえども、3名に1丁の三八銃がある程度。だから、住民には請われても渡せません。たぶん島の防衛隊(*民間人で結成された防衛組織)か住民が、軍の保管場所から勝手に持ってきたものでしょう」とも聞いた。

 偽証による補償金問題に関しては、「これはもう、どうしようもなかった」という。一同、島民の苦難と悲劇に思いを致した。それでも「この座間味は真実を言いやすい空気」だという。なぜなら、自決命令を出した村の三役自らが自決して亡くなっているからだ。それに対して渡嘉敷島では「命令者の村長始め、村のリーダーが戦後も存命だったから、大っぴらに言える空気ではなかった」のだ。

 以上が調査の要点である。その後、宮平さん自身が案内人となり、集団自決の現場、「平和の塔」「昭和白鯱隊玉砕の地」などの慰霊に臨んだ。

■鉄の暴風は「全部ウソ」

 一行は渡嘉敷島に渡り、民俗資料館館長の金城武徳さんにお話と現地調査の案内をお願いした。金城さんは当時13歳で、自決現場に居合わせたが、命を永らえた。集団自決の地に建つ「集団自決跡地」碑を前にしての金城さんの証言は、実際に現場を知る者として迫真に満ちた内容であった。以下、金城さんの証言であるが、『正論』平成18年11月号水島聡氏による「妄説に断!渡嘉敷島集団自決に軍命令はなかった」と重複する話を割愛して肝心な点のみ記したい。

 まず軍命令を流布した沖縄タイムス社刊『鉄の暴風』の記述について、あれは全部、ウソ。島民はそのことを分かっているので、あんな本は絶対に読みません。怒って捨ててしまう」と吐き捨てるが如く言われた。

 自決に使用された手榴弾の出所に関しては「島の防衛隊が手榴弾を持っていました。戦闘が激しくなって、各々が自分たちの家族のところに逃げてきていたので、持っていた手榴弾を自決に使った」と、座間味島と同様であることがわかった。

 自決の地は谷間で、皆まとまって自決した。曾野さんの著書(引用者注:曽野綾子氏の『ある神話の背景』昭和48年発行)の通りで間違いないことを確認する。悲惨な自決の様子を語られた後、金城さんは「本土の兵隊が『お母さん!』と叫び戦死したのに立ち会ったけれども、島民は皆『天皇陛下万歳!』と言って自決しましたよ」と堂々とおっしゃった。

 そして「赤松隊長(引用者注:渡嘉敷島守備隊長・赤松嘉次氏)は絶対に自決を命じていない。自決の音頭をとったのは村長のほか、村の指導者たちだったと何度も断言されていた。

■これは正義と道徳の問題だ!

 22日の最終日は沖縄本島で戦跡を巡る予定であったが、急遽、貴重な重要証言を聞ける機会がもたらされた。元琉球政府の照屋昇雄さんの話を伺えたのである。照屋さんは、島民に「戦傷病者戦没者遺族等援護法」を適用して遺族補償金を拠出させた経緯をすべて知っている当事者だ。昨年8月27日付産経新聞「渡嘉敷島集団自決、軍命令を否定する証言」のスクープで証言された方である。

 実は照屋さんは、この日の直前まで証言を躊躇されていた。曰く、「私は今までずっと正しいことは言えなかった。それほど左翼勢力の力が恐ろしいのが沖縄です。もし真相を話したら、ここには住めなくなるし、命の危険もある。今日は特別。誰にも話したことがないことを話します」。私たちは沖縄の複雑な事情に改めて驚いた。以下、要点のみ記す。

 まず今の「混乱の原因は援護法にある」と言われた。要するに「軍の要請によって壕から出て死亡したら補償金が出る。しかし、自分から壕を出て死亡したらお金はゼロ。荒廃した島の現状を知っている私たちの側には、住民の申請が『ウソ』と分かっていても目をつぶって受理する方針があったのです」とのことだった。これが利用され、「悪逆非道の日本軍」との神話が出来上がってしまった。

 赤松隊長については、「たいへんに立派な人。アメリカの従軍記者も赤松隊長をとても誉めていた」。住民と兵との関係については「渡嘉敷、座間味の住民は、兵と親しかった」との由。兵は常々「我々はどうせ死ぬから(もともと赤松隊長は海上特攻隊である)。食料はあそこに隠してある。みんな長生きしてくれ」と言っていたのだそうだ。しかし、座間味の自決の件が慶留間に伝えられ、渡嘉敷にも報じられて、島民は「座間味同様、我々も…」となったようだ。

 戦後、援護法適用に際して厚生相の資格審査委員会で「隊長命令があったなら…」となり、玉井喜八村長が何度も赤松氏宅を訪ね、懇願した経緯を語られた。「隊長命令があったことにして欲しい」と泣きながら頼まれた赤松氏は次のように述べたという。「私は渡嘉敷で死ぬはずだった。しかし、渡嘉敷の人たちのおかげで、今生きていられる。命令があったことにしましょう」。資格審査が通り、補償金の支給が決定した。以後、この筋で、座間味島も承認され、他の島々へと波及していったのだという。照屋さんは「玉井村長と『この話は墓場までもっていこう』と誓い合った」そうだ。「赤松隊長が新聞や本で批判されているのを見るたび『申し訳ありません』と手を合わせ、心が張り裂ける思い」だった。大江健三郎氏が著書『沖縄ノート』で、1970年の慰霊祭に訪沖した赤松氏を激しく批判しているが、そもそもは村長や遺族会などが「赤松隊長のおかげで今の村がある」と、氏を招待したのに左翼団体のせいで大騒ぎになってしまったと無念そうに話された。

 赤松氏が癌に冒されて余命幾ばくもなくなった時に、奥様から玉井村長に「自決命令の件を『村史から消してほしい』」との要請があった。軍の名誉を守るためという。しかし、村長は以来、日々眠れない夜を過ごすことになった。「真相を明らかにしたらどうなるか…、援護金の件と隊長への恩義の間で板挟みに合ってたいへん苦しんでいました」。真実が明かされぬまま、赤松氏は逝去される。村長はなおも苦悩し続け、赤松氏の後を追うようにして亡くなった。生前、赤松氏を「神様のような人」と形容していたという。

 「島民は、真相を知っているのか」との質問には「島民は全部、分かっています。でも誰にも本当のことは言わなかった」。なぜなら「自決命令を否定するとなると、役場は該当者の全ての戸籍を書き換えて改定しなければならない。そんなことは今さら出来ない。それゆえ、調査もしない。だから、今でも『村史』から消していない」のである。

 しかし、私たちは役人の事情とは別にして「ウソを教えること」「正しい人を貶めること」は絶対に許してはならない。これは「道徳」と「正義」の問題であると確認した。

 別の貴重な証言もお聞きした。日本軍が避難中の住民を壕から追い出したとされる件の真相である。沖縄県平和祈念資料館には、常設展示として壕内の避難住民に銃剣を向け、険しい表情で立っている日本兵の蝋人形があるやに聞いている。自分たちが助かるために兵が住民を壕から追い出したのだと言いたいらしい。現にこの話は教材としてもまかり通っている。しかし、そんな馬鹿なことはやはり無かった。照屋さんによれば、真相はこうである。

 「米軍が上陸してきて白兵戦が必至になった時、隊長と兵隊が、付近に隠れている住民を壕や亀甲墓から出させて、避難させたのです。避難を指示する際も、当然、着剣で銃を前に持って構えていますよ。いつ白兵戦になるかわからないから。その上、兵隊も緊張して興奮してます。すぐそこにアメリカ兵が迫っているんですから。もうパニック状態で言葉も荒い。『今すぐに壕から出て逃げろ!』って動作も乱暴だったでしょう。状況がよくわからなかった住民もいたかもしれません。でも、それは住民を早く逃がすため、助けるためでした。これが<住民の壕を奪って軍の陣地にするために追い出した>となってしまった

 件の資料館が反日偏向教育の拠点と言われるのもむべなるかなとの思いを深くした。

 最後に、この聞き取りで得たあまり知られていない秘話を紹介したい。実は渡嘉敷島には、赤松隊長の小さい顕彰碑がある。当初、立派なものを作ろうと計画したが、左翼勢力が騒ぐとの理由で、誰にも分からない場所に隠匿している。そして、今でも毎年、遺族会などの人たちの手で赤松隊長の慰霊祭を秘かに続けているのだそうだ。

 元琉球政府の照屋昇雄さんの証言は産経新聞06/8/27付に掲載されました。拙エントリー06/8/28付:「集団自決、軍命令は創作」初証言に記事全文を転載していますので、ぜひご覧下さい。

 上記の方々以外にも、軍命令を否定する証言をされている方は何人もいらっしゃいます。

 たとえば、座間味島の女子青年団長だった宮城初枝さんは昭和32年、厚生省引揚援護局の職員が調査に訪れた際、隊長命令による自決だった旨の証言をしましたが、それはやはり補償金問題に起因するものでした(村の長老が彼女にウソの証言をさせた)。

 昭和52年、彼女は「梅澤隊長の自決命令はなかった」ことを娘さんに告白しています。
 「梅澤隊長のもとに自決用の弾薬をもらいに行ったが、断わられ追い返された」「集団自決の命令を下したのは、梅澤隊長ではなく、村の助役だった」という内容でした(「史」平成18年9月号【沖縄集団自決の「軍命令」は創作だった】)。

 座間味・渡嘉敷に配置された日本軍は海上挺身隊という名の「海の特攻隊」で、彼らの任務は米艦に突撃して死ぬことでした。
 隊長は事実として住民に自決命令を出さなかったというだけではなく、そもそも住民にそのような命令を下す権限を持たなかったのです。制度上・組織上、「軍命令」などあり得ないのです。
 住民を指揮する権限を持っていたのは村長・助役などの行政側でした(産経6/21「正論」藤岡信勝教授)。


■皆さんにより注目していただきたいのは――

 関係者の「軍命令はなかった」という証言の重要性もさることながら、今回、皆さんにより注目していただきたいのは、「沖縄にはこの問題で自由な発言がしづらいムードがある」ということです。要するに、「軍命令はなかった」と言いにくい空間が出来上がってしまっているのです。

 「軍命令はなかった」と発言すれば、集団自決そのものがなかったと主張しているかの如く受け取られてしまいかねない、ひとでなし扱いされかねない、そんな空気すら感じます。
 (このへんも慰安婦問題に似ていますね。あくまで慰安婦の「強制連行」を否定しているのに、慰安婦の存在そのものを否定しているかの如く言われてしまうことが、私もこれまで多々ありました)

 産経の社説もそのあたりに少し触れています。

産経社説6/23:沖縄戦集団自決 文科省は検定方針を貫け
 沖縄県議会で、教科書の沖縄戦集団自決に関する記述に付けられた検定意見の撤回を求める意見書が、全会一致で採択された。県議会で与党最大会派の自民党までもが国の検定方針に異を唱えたことは残念であり、沖縄県の特異な政治状況をうかがわせる。

 意見書は「集団自決は日本軍の関与なしに起こり得なかった」「教科書記述の削除・修正は体験者による数多くの証言を否定しようとするものだ」などとしている。

 しかし、文科省の検定意見は、日本軍の命令によって住民が集団自決を強いられたとする誤った記述に対して付けられたものだ。軍の関与や体験者の証言を否定しようとはしていない。
(以下略)

 自民党は当初は意見書に慎重でした。が、「世論」に追い込まれる形で方針転換したのです。

 自民党の岸本恵光県議は、党内に“事態が長引けば、7月の参院選に悪影響が出かねない”という懸念があったことを認め、「時間があれば軍命を検証できるが、県民世論が待ってくれない、と私は主張した」と述べています。
 また、元海上自衛官で自民党の小渡亨県議は意見書に「軍命」を明記することに最後まで反対したそうで、「すべてを軍の責任にして当時の日本人の思想を問わないのはおかしい。この問題では自由な言論が封殺される圧力を感じた」と語っています(西日本新聞6/22)。

 沖縄における「特異な政治状況」「自由な言論が封殺される圧力」の一端が見える資料として、小林よしのり氏の講演書き起こしの一部を以下に引用します(出典:「ゴーマニズム宣言EXTRA パトリなきナショナリズム」)。
 この講演は、氏の著作「沖縄論」が発行されてから約2カ月後に行われたものです。


■小林よしのり沖縄講演会<「沖縄論」を語る>
 2005.8.14 沖縄コンベンションセンター劇場
 こちらに6日前に来て沖縄戦の取材を始めましたが、対馬丸記念館ではジッとわしを監視している人がいまして、なんか秘密警察みたいな不思議な雰囲気だなあと思いました。

 沖縄タイムスでは3回にわたって批判が繰り返されて、小林よしのりは軍国主義者で、沖縄人を「国民」にして、戦争を再び起こしてその最前線に立たせて犠牲にしようとしている、騙されるなという主張でした。

 伊江島に行った帰りのフェリーでも反戦平和学習の団体がいて、寝ていたところをたたき起こされて、目を覚ますと20名ばかりの女性と子供に取り囲まれていました。その中のガイドのような男の人に「沖縄戦について聞かせてほしい」と言われて、他のお客さんに迷惑がかかるので外に出ましょうと言って、デッキでしばらく議論しました。その一番後ろから秘書が、わしが拉致でもされるのかとあわててついてきたんですが、後ろの方では「何が迷惑かかるのよ!」「自分のファンだと思ってるんじゃないの?」とか言ってたそうです。

 あるガマ(引用者注:自然洞窟・鍾乳洞、岩の窪み等を意味する沖縄の方言。戦時では避難場所として使われた)では、わしはしっかりガイドさんの話を聞いて、亡くなった人に手を合わせて冥福を祈ったんですが、そのガイドさんはわしが沖縄でどう思われているのか全く知らない善意の人で、ただテレビかなんかでわしの顔だけは知っていて、小林よしのりを案内したと誰かに話したらしい。するとやっぱり「なんてことしたんだ!」という圧力がかかったようで、泣きながら自分の名前も顔も絶対出さないでと言ってきた。

 もちろん出すつもりなんか初めからありませんでした。前の取材で沖縄はどういう空気なのかわかってましたから、迷惑がかからないようにしなければと思っていました。しかしわしの思想性も何も知らずにガイドした人が、ずいぶん悩まれたようでした。

 本当に悪いことをしたと思うけど、わしがやって来るということはダース・ベイダーがやって来るかのような雰囲気になっているらしくて、わしに協力する人は非常に疎外される。今日、講演会を企画してくれた人たちも、何の党派性も特定の思想性もない本当に一般の人たちですけど、彼らも周りの人から「なんであんな奴を呼ぶんだ」と言われ、友達関係も親戚関係もうまくいかなくなってしまう。宮城さんとか喜友名さんとか、名前も似顔絵も出した人はちゃんと了解を取ってますけど、沖縄の取材ではかなり気をつけないといけない。今までずっと描いてきましたけど、こういう経験をしたことはなかったですね。

 つまり、沖縄というのは非常に同調圧力が強い。意見が異なる者をなんとしても排除せねばならないという空気があるらしくて、この『沖縄論』に書いてある論旨を、読んで考えてみようということすら言えない状況になっている。先にレッテルを貼って、読まないようにしてしまおうという戦略が進められている。ものすごく特殊な所ですよ。

 やっぱりマスコミ、教育界などを特定のイデオロギーを持った人たちが占拠して、一つの言葉、思想しか許さないという空気が出来上がっているんだと思います。果たしてそれでいいのかと、考えてくれるだけでいいんです。

 沖縄戦の集団自決について理解するには、どうやらまずは沖縄そのものの特殊性(歴史や県民性や言論状況)から勉強しなければいけないようです。
 私もまた1から勉強です……。


 最後に――。
 草莽崛起−PRIDE OF JAPANさんによると、高校教科書の沖縄集団自決記述の削除に対する抗議署名が、自治労広島の間で廻されているとのこと。
 自治労といえば、先日から年金記録漏れ問題でネットや一部マスコミ(民主党の支持母体であるせいか、あまり報道されていない?)にて非難が集中しているのは皆さんご周知の通り(「たかじんのそこまで言って委員会」でも批判されてました)。
 その自治労がいったい何をやっとんねん。そんな暇あったら仕事せえ!仕事を!(-.-#)

 ……本日もスクロールお疲れ様でした<(_ _)>


※参考リンク

自由主義史観研究会>沖縄集団自決:虚構の軍命令
 今回記事を引用させていただいた服部教諭の【軍命令はなかったことを教える、授業実践報告(中学)】など、目を通していただきたいコンテンツがたくさんあります。リンク集も充実しています。

※拙ブログ関連エントリー

拙エントリー06/8/28付:「集団自決、軍命令は創作」初証言
拙エントリー07/3/31付:「集団自決に軍関与」高校教科書から削除


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Comments

通州事件なんかが歴史年表に掲載されるようになるといいですにね。

私は、21世紀の今でも、中共軍に捕まるくらいなら自決を考えるのだけど、当時は米軍だって無差別に空襲や艦砲射撃をしてたわけでその相手に捕まるのは怖かったと思います。病院船だって雷撃されているし。
また少なくとも当時の中国軍やソ連軍が日本人をどのように取り扱ったかは、それなりの知識を持っていただろうし。
私の父はS7年生まれですが「空襲警報があって米軍機が来るとそれまでブンブン木の葉落しの訓練をしていた日本の飛行機(練習機の赤とんぼのことらしい)が皆逃げていなくなった」といいつつ「でも16で志願兵になって戦うつもりだった」って言ってますもの。

私はくっくりさんと異なり、小中学校の先生が右が多かった(正確には地主階層が多かった。先生の家にはだいたい「蔵」があった)ので「大東亜戦争は米の物量に負けただけ」と家でも学校でも教わった(運動会の行進は普通に「君が代行進曲」を使っていた)ので、案外左派の意見に新しさを感じたりもするのですけどねぇ。

それでも、NHKの番組をみて思ったのは、「誰と誰が戦争をしていたのか分かっているのか?」「軍命令による、などというがそれに従わなかった者に対する、強制力(罰則)とは何か?」なんて思っていました。
pega | 2007/06/24 03:13 AM
 時節柄、やはり沖縄集団自決ですね。
 
 
 戦陣訓以前から存在した虜囚忌避感情(日清・日露・日中戦で、より学習)が、集団自決を招いたにも関わらず、戦後になって「国家・軍の強要」と責任転嫁する、加えて
 
>「沖縄の人達は軍のために協力して飛行場や陣地の建設に協力した。そのため軍の機密を知ってしまった。軍はその情報が敵に知られては困るから捕虜になるな、と自決を強要したんですよ」
 
 飛行場は奪われ、陣地放棄して「転進」した後の無価値機密保持で、老幼婦女子まで自決強要ですか?
 
 捏造証言するより「部隊の集結場所、転進後の塹壕配置などを密告されるのを恐れて、スパイとして処刑、収容所内の民間人・捕虜を狙撃した。」の方がまだマシですね。
 
 「23」の沖縄・集団自決特集で、「軍は住民を守れたか」と問われたおばあさんが「それは無理だった。食べ物も無かったし・・・」などと、至極当然のことを淡々と語っておられたけども、玉砕を覚悟し壊乱状態の軍が民間人を庇護する事は不可能。
 
 とは言え、海軍・太田閣下の「沖縄県民かく戦えリ。後世格別のご高配を」の願いは実現したとは言えないので、沖縄の方々の怒りもご尤かも。
 
 陸軍の誘いを謝絶して前線に残った海軍と、転進転進で住民を巻き込む形になった陸軍。
 県民としては、海軍こそせめて住民庇護の軍隊だったのだけど、本土としては、日本軍の斬り込み隊におばさんまで参加するなど、住民まで巻き込み本土決戦を遅らせる・・・「本土上陸はもっと大変」と思わせた陸軍の方が、結果として評価に繋がるかも。
 だとしたら、沖縄優遇策は不十分。
 
 くっくりさんのお父上も、日本軍批判で沖縄・満州を挙げておられたそうですが、住民を巻き込むしかなかった沖縄と、居留民避難の邪魔までして逃亡した関東軍・満州とは、やはり区別したいですね。
福原 | 2007/06/24 04:21 AM
くっくりさん
今日も長編お疲れ様です。じっくり読ませていただきました。

ところで学校教育について、面白いことを思い出しました。
実はうちの両親は小学校一年の一学期だけ戦前教育で、夏休み明けに教科書を墨で塗らされた人たちなんですね。それで、GHQの戦後教育バリバリで、なおかつ左翼の目からみたら優等生みたいな反戦派なんですよ。
ところが、私は保守で超タカ派(?)

実は私が小学生の頃、左翼教師が蔓延し始めたんですね。
それで、親たちは思想とは関係なく彼らを「デモシカ教師」と呼んでいたんです。学生運動でまともな会社に就職できず「先生にデモなるか」とか「先生にシカなれない」と揶揄していたわけですね。

思想的なことよりも「デモシカ」の方が小学生には理解しやすかったので、「デモシカ」の行う反戦授業なんて聞いちゃいないし、戦前派の先生の言うことのが説得力があるし立派に見える。(実際立派な人が多かった。デモシカはだらしなく見えた)

そんな経験から「左翼はダメだ」という意識が、無条件に小学生のころから身についてしまったのかもしれません(笑)
日教組の狙いが見事に外れた教育効果です。子供に影響与えるのって思想よりも、目に見える生活態度なんですよね。
にゃはにゃは | 2007/06/24 08:49 AM
コメントと取り上げて頂いて、ありがとうございました。

よりのりさんの、「つまり、沖縄というのは非常に同調圧力が強い。意見が異なる者をなんとしても排除せねばならないという空気があるらしくて」というこの空気こそが、集団自決の原因である、と確信できました。
Risshin | 2007/06/24 11:25 AM
俺は同じ沖縄県民として恥ずかしいし、怒りを覚えます。まだまだ左巻きの人が多いですが少しずつですが変わりつつあると思うし変わってほしいと願っています。話は変わりますが少し前に「俺は君の為にこそ死にに行く」?を観に行きました。土地柄あんまり観に来る人なんていないんだろうなって思ってたんですが、満員でしたし、半分は老人でした。いたる所ですすり泣きや「だーる、だーる」(そうだという意味)という声が聞こえてきました。エンドロールが終わるまでほとんどの人が席を立たずにいました。その時思ったんですが、「やっぱ、当時戦争を体験した人達は本当の事が分ってるんだなぁ、そして戦後生まれの左巻きの人達によって本当の事が言いにくくなってんじゃないのかなぁ」と思いました。
キキ130 | 2007/06/24 11:32 AM
くっくり 様
毎日、早い更新ありがとうございます。

沖縄といえば地上戦のあった地域。以前、「摩文仁(まぶに)の丘」やひめゆり従軍看護婦として献身的に尽くして落命した女学生たちを慰霊した「ひめゆりの塔」へ行きました。沖縄は、風光明媚な観光地である一方、現在も大規模な米軍基地があり、戦争の影を落とす特殊な地域だと思います。

私は「沖縄集団自決」と聞くと、最後まで軍のために職場を守り服毒自殺の道を選んだ北海道の「真岡郵便局電話交換手9人の女性たち」の存在を思い出します。
私の両親は昭和一桁生まれ。当時の日本軍にとって「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」の言葉は彼らの精神に深く刻まれ、それは非戦闘員たる民間人でも同様の気持ちだった、と私が子供の頃から教えてくれました。

相手が沖縄進駐の米軍であれ北海道進駐のロシア軍であれ、当時の日本人にとっては同じ敵軍であり、民間人にとってはさらに大きな脅威だった筈。軍の強制があろうがなかろうが、集団自決の道は避けられなかったことは容易に想像がつきます。(現在は補償金問題がその裏にあるのでしょう)

私にとって大きな疑問は、左巻き政治家やマスコミによる問題のすり替え。「沖縄の集団自決で軍の関与を否定」が、必ず「高校の教科書から削除」「日本の軍国化」「日本の右傾化」とセットになり、実に低レベルで短絡的なすり替えをTVで洗脳放送していることです。
戦争を否定するためには大東亜戦争の真実も歪曲してかまわない、とする低レベルな左巻き人間の姿勢にはムシズが走る!
山桜の君 | 2007/06/24 11:44 AM
典型的な歴史捏造ですね
「遺族年金」が出るように配慮したのが仇となりサヨクに利用された典型例でしょう
いつの間にかこれが歴史の通説のなる事を恐れます
「慰安婦」も日本国内で疑問が上がると何も知らないアメリカで問題にする
「強制連行」も「密入国、密航」だとばれましたが興味がない者は未だに「強制連行」だと思っています
やはり、教科書にしっかり書くべきです
「強制連行」「慰安婦」「集団自決」「創氏改名」など日本人が知っておくべき事は(根拠のない誹謗中傷に反論するためにも)たくさんあります
我々は近代の歴史がすっぽり抜けています
これでは根拠のない中傷を信じる者が多くなっても仕方がありません
教科書、学校で教えないなら大手新聞などでやるべきなのですが、その大手新聞が謝った歴史を植えつけるのですからどうしようもありません
(それどころか学校では「日本が侵略した、強制した、悪だったですから・・・)
日本もレッドパージでもしないと益々日本の将来は暗くなりそうです・・・orz
take | 2007/06/24 01:06 PM
>空気こそが、集団自決の原因である、と確信できました。

Risshinさんのご指摘ですが、「虜囚」に対する恐怖感は日本人の共通認識だったのですから、集団自決自体は満州でも在りましたし、より少数・・・真岡などや家族単位の自決も少なくありませんでしたので、沖縄の空気の所為では有りませんね。

「沖縄というのは非常に同調圧力が強い。」のは事実。

本島全域が戦場になり、戦後は米軍統治を受け、本土復帰後も経済的に厳しい状況にあったのは、県民共通認識です。
家族や血縁に戦死者があり、戦後の強姦事件比は本土以上、本土と違い食糧買出しに行く農村も壊滅し米兵個人から食糧を得る為にどうするか。
本土復帰したら「日本を守った英雄」どころか差別、誇りも奪われて被害感情ばかりが蓄積していったら、「同調圧力」も強くなります。
福原 | 2007/06/24 01:22 PM
>>「本土並みを希求した沖縄人の<自分たちは真の日本人なのだ>という気概が「古来の風習(日本の武士は落城に際して、潔く自刃して城と運命をともにする)」に則った自決へと導いたのではないかと感じた。農民出身ゆえに武士以上に武士道を実践した新撰組・近藤勇らの心情に通じる気迫を感じた。」>>

この問題で、常々疑問に思ってた件が氷解しました。幕末の会津藩ではあるまいし、なぜ当時の沖縄(琉球)の人々が?と、疑問に思ってました。しかし、現代の一部の沖縄の人々はこうした時代精神(?)みたいなものをもはや理解できなくなってるんでしょうかね。
冷凍力 | 2007/06/24 01:25 PM
「リンドバーグの衝撃証言」でも言及されていますが、当時のアメリカ軍の残虐性は酷いものでした、捕虜の虐待や虐殺は日常でも行われていました。
抜粋を紹介
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~ttakayam/beigunzangyaku.htm
「これ 見逃すな」
http://miko.iza.ne.jp/blog/entry/127886/
僭越ながら参考にしてください。
ざんぶろんぞ | 2007/06/24 05:15 PM
慰安婦問題、この集団自決問題、共通項がありますね!
どちらも、後で作られた話し、物的証拠はない。
こういう場合は、「あった」と主張する方に立証責任があるのが普通ですがそれを言ったってしょうがありません。
ボクにもこれらの問題について妙案はありません。いちばん肝心なことは、反論するに際して「相手の土俵に乗らない」ということがいちばん大事だと思います。
Gくん | 2007/06/24 06:13 PM
米公文書に「軍命」慶良間・集団自決/発生直後の住民証言

関東学院大学の林博史教授が米国立公文書館で発見した。記録は一九四五年四月三日付の「慶良間列島作戦報告」。慶留間島の住民への尋問で「住民らは日本兵が米軍が上陸してきた時は自決せよと命じたと繰り返し語っている」と記述されている。「集団自決」発生直後の記録として、住民への命令状況を伝える貴重な資料。林教授は「自決命令があったことは、既に三月下旬時点で島民たちによって語られていた。戦後創作されたものではない」と指摘。近年、「集団自決」の軍命を否定、沖縄戦の事実をゆがめようとする動きを批判した。
コピペ | 2007/06/24 06:23 PM
西日本新聞「社説」=2007/04/03付 西日本新聞朝刊=(抜粋)

歴史の事実はゆがめるな 高校教科書検定

 文科省は「当時の指揮官が民事訴訟で命令を否定する動きがある」「指揮官の直接命令は確認されていないとの学説も多い」として、断定的な表現を避けるようにしたという。
 だが、係争中の民事裁判を持ち出し、しかも一方の主張だけを方針転換の根拠とする姿勢には疑問を感じる。
 日本軍が直接、集団自決の命令を住民に下したかどうかは、確かに学説や判断が分かれるところかもしれない。
 しかし、日本軍は沖縄の住民に「米軍の捕虜になるな」と命じ、自決用の手榴弾を配った。それは多くの住民が証言している。
 慶留間島で集団自決の現場を目撃した元座間味村長は「事実のすり替えだ。日本軍は村長や地区長を使って集団自決をさせた」と痛烈に批判している。
コピペ | 2007/06/24 06:40 PM
訴訟は現在大阪地裁において継続中であり、証人の尋問さえ行なわれておらず
「集団自決」をした住民たちが「軍(隊長)の命令があった」と認識していたことは、原告側も認めている。

文部科学省が「集団自決」裁判を参照するのであれば、被告の主張・立証をも検討するのが当然であるところ、原告側の主張のみを取り上げて教科書の記述を修正させる理由としたことは、誠に遺憾であり、強く抗議するものである。

2007年4月4日
(株)岩波書店
大江健三郎
沖縄「集団自決」訴訟被告弁護団
コピペ | 2007/06/24 09:19 PM
>コピペ さま

大変香ばしい情報をどうも(失笑)。
ところで、関東学院大学の“経済学”がご専門らしき林博史教授に関する情報を見つけてしまいました。失礼は重々承知ですが、平成12年の下記情報の真偽は如何に‥?
気になります。

http://homepage2.nifty.com/shukenkaifuku/yomimono/12_1_15.htm
山桜の君 | 2007/06/24 09:28 PM
こういう問題の難しさは、「証言」しか存在しないところにあるんでしょうね。
証言には裏付けとなる証拠が必要なわけですが、どの資料もあくまでも住民による証言の域を出ていない。
調査したのがどういう機関であれ、証言は証言でしかない。
新たに住民による反対証言も出ているわけで。
おそらく確たる「証拠」と言えるものが出てこない限り、論争は続くのでしょう。
しかし、個々の事例で村主導で行われたと地元住民が認めているような例は、教科書等にもそのように明記すべきですし、軍人個人の名誉も公に回復させるべきでしょう。
にゃはにゃは | 2007/06/24 09:46 PM
皆さん、多数コメントいただきありがとうございます。
いつも個別にレスを差し上げられず申し訳ありません。
いただいたコメントは全て拝読、参考にさせていただいています。

pegaさん:
中国やソ連もひどいですが、米軍もたいがいひどいんですよね。今週の週刊新潮の高山正之さんのコラムに載ってましたが、19世紀末、アメリカがフィリピンを侵略した際、「水治療」という拷問(もともとは中世の魔女狩りの審問法。20リットルの水を飲ませ、それでも口を割らないと膨れた腹めがけて米兵が飛び降りる。相手は水を6フィートも噴き上げて絶命する)を使ったのですが、後に日本が占領した時にこの「水治療」をしたと、そっくり日本軍の仕業にされ、そしてそれを口実に多くの日本人が処刑されたそうです。で、今こういう見え透いたウソのお先棒を担いでいるのがNHKと朝日新聞だと、そういう内容のコラムでした。

キキ130さん:
沖縄県民、あるいはご出身の方にコメントをいただくことがほとんどないので、コメントいただけて嬉しいです。私は沖縄には行ったことすらないのですが、そんな私が言うのも変なんですが、ネットも普及しましたし、少しずつでも変わっていくんじゃないかと思っています。

山桜の君さん:
>私にとって大きな疑問は、左巻き政治家やマスコミによる問題のすり替え。
これ、私も強く感じます。全てを「日本が右傾化している」「日本はまた戦争をやろうとしている」という方向に持って行きたがるんですよね。日本軍が全て悪かったことにすれば、二度と戦争は起きないはずだと考える、あの思考回路、理解できないです。本当に戦争を起こしたくないなら、ちゃんと歴史の真実を見て、検証・学習して今後に活かすのが正しいやり方だと思うのですが。

takeさん:
学校ではまず近現代史から教えるべきだと思うのですが、サヨク教師が多い今それをやるとかえって恐ろしいことになるような気も。前に町村さんが外相だった時にテレビで言ってましたが、近現代史については意見が対立しているので、あえて学校では教えないようになってる、みたいなことを。両論併記で教えるとか、何とか工夫して教えること、できないんですかね。

冷凍力さん:
他の何かの本でも読んだのですが、当時の沖縄の方は、本土から差別されていて、「日本人になりたい」という思いが非常に強かったと。

ざんぶろんぞさん:
HP紹介ありがとうございます。文章だとなかなか伝わりづらいものも、ライフ誌の写真みたいに視覚で訴えられると、ぐっと伝わり度も増しますね。

コピペさん:
> (株)岩波書店
> 大江健三郎
> 沖縄「集団自決」訴訟被告弁護団
http://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/201600/
元琉球政府職員の照屋さんが経歴詐称をしていると被告側は主張、沖縄タイムスが記事にしましたが、被告側のその主張がウソであることが判明(照屋さんが辞令を大切に保存していた)。何だかなぁ、そこまでして兵隊さんを悪者にしたいのか、ウソの歴史を作りたいのか、と。悲しくなります。

山桜の君さん:
「日本兵の赤ん坊串刺し事件」って、もうすっかりガセだとわかってる話を林博史氏は大学の講義で話してるんですか(H12年ですからちょっと前の話ではありますが)。

にゃはにゃはさん:
私の父は10歳、母は5歳で終戦です。父は小学校の途中で急に教育が一変した世代なので、その分、「日本軍に騙された」感が強いんだろうなと思います。
慰安婦問題でも、実は親に売られてたんだけども自分はそのことを知らなくて、強制的に連行されたと思い込んでる人もいるでしょうし、この問題でも思い込みや不幸な勘違いとかがあるんだろうと思います。補償金絡みでこれまで真実を言えなかった方々が証言してくれれば有り難いんですけど、照屋さんが言っているように、「もし真相を話したら、ここには住めなくなるし、命の危険もある」状態で、しかも自分だけでなく親類縁者みんなに迷惑がかかるとなれば、よほどの覚悟がなければ今さら証言できないんだろうと思います。
くっくり | 2007/06/24 10:54 PM
原告が証拠で採用している「母の遺したもの」の著者の宮城晴美氏が、原告側の
主張していることを批判している点に注目。

雑誌『正論』による沖縄戦の真実をゆがめる記述に抗議する

私たちがこの論文について看過できないと考えたのは、第一に軍隊によって強制された集団死について、原告らと「沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会」が、この裁判をとおして「愛国心のために、自らの命を絶った。」として世間一般に流布するという目的にある。

また彼らは、沖縄戦研究者の書籍や論文の中から自らに都合のいい文言だけを抜き出して沖縄戦研究者も原告の主張を認めている、という印象を与えるために、沖縄戦研究者の名前を利用している点である。

私たちは、沖縄戦の真実を捻じ曲げる目的で書かれたこの雑誌『正論』の論文に対して、沖縄戦研究者として、また沖縄県民として到底容認することはできず、厳重に抗議する。

2006年10月17日
安仁屋政昭 大城将保 宮城晴美
コピペ | 2007/06/24 11:08 PM
沖縄の言論の不自由がよく理解できるエントリーです。
ありがとうございます。

コピペさんとやら、コピペばかりでなく、他の方のような独自の意見はないのかね。
虎寅 | 2007/06/24 11:32 PM
NHKでまた偏向番組が放送されました!
http://hepoko.blog23.fc2.com/blog-entry-313.html
今回は、反日放送局NHKが21日(木)に放送した、『クローズアップ現代』(集団自決”62年目の証言〜沖縄からの報告〜)極めて一方的で偏向した内容でしたので、以下にテキスト化してみました。本当に憤りを覚える内容ですので、是非読んでみて下さい。
| 2007/06/25 01:26 AM
沖縄戦「集団自決」から62年 真実の攻防   世界日報 5/21
----------------------------------------------------------------
『軍命裏付ける証言得られず』 曽野氏、疑問抱き丹念に関係者取材
以下一部抜粋
曽野氏の取材は昭和四十五、六年だったが、当時まだ集団自決の状況を知る村の関係者や赤松元隊長をはじめ隊の関係者が多く生存していた。
その一人ひとりに直接会い、取材をした結果、「赤松氏が集団自決の命令を出した、という証言はついにどこからも得られなかった」と語る。

その根拠の第一として、常に赤松氏の側にいた副官の知念朝睦氏が、明確に軍命令を否定。

また赤松氏を告発する側にあった村長は、集団自決を口頭で伝えてきたのは当時の駐在巡査だと言明したが、その駐在巡査は、曽野氏の直接の質問に対して「赤松氏は自決命令など全く出していない」と明確に証言したからという。
コピペ | 2007/06/25 01:29 AM
日本軍が駐留した島では集団自決が起きて、村長が駐留を拒んだ島(前島)では集団自決は起こらなかった。

赤松隊長にしても梅澤隊長にしても、住民に玉砕を命じておきながら、自分達は生き残ったのが、恥ずかしくてならなかったのだろう。
生きて虜囚の辱めを受けず、の戦陣訓を守れなかった自らの恥を隠すためには、軍命を認めるわけにいかないのは理の当然。

赤松も梅澤も自決する機会はいくらでもあっただろうに、どうして自決しなかったのだろうか。
住民には手榴弾を渡しておきながら、自分達は米軍に突っ込むだけの意気地もなかったわけだ。
コピペ | 2007/06/25 01:32 AM
また荒らしですか
河野談話撤回署名にしろ、集団自決軍命令捏造にしろ、日本を貶めたい勢力がこんなにも跋扈している様を見て、GHQの洗脳、戦後民主主義教育の悪影響をあらためて痛感

“安仁屋政昭 大城将保 宮城晴美”

連名というのがミソですね
大方、安仁屋・大城の両氏に何か吹き込まれたのでしょう
娘さんにとってはお気の毒なことではありますが

今の世の中ネットといえど正論を言うのは勇気のいる所業です
管理人様におかれましては屈せず頑張って頂きますよう
侍 | 2007/06/25 01:52 AM
コピペ氏のコピペ

>日本軍が駐留した島では集団自決が起きて、村長が駐留を拒んだ島(前島)では集団自決は起こらなかった。

 戦術的に重要であれば、村長の駐留拒否は認められない。
 日本軍が駐留しない・・・戦術的価値の無い島には、米軍も上陸後回し。
 敵上陸(戦闘目的)が無いから自決する必要も無かったのに、日本軍駐留の有無に歪曲する。
 
 自決強要が軍の命令であったのなら、日軍駐留・米軍上陸とは無関係に、全島で自決頻発していなければならない。
 
>赤松隊長にしても梅澤隊長にしても、住民に玉砕を命じておきながら、自分達は生き残ったのが、恥ずかしくてならなかったのだろう。
生きて虜囚の辱めを受けず、の戦陣訓を守れなかった自らの恥を隠すためには、軍命を認めるわけにいかないのは理の当然。

 自分に責任が無いのに、生き残った事に罪責を感じるのは、戦時中だけのことではないが、両隊長も命令の存在を認めたのは住民への同情心から。

 長期間、汚名に耐えて軍命を認めてきた事実を忘れて、
 「自らの恥を隠すためには、軍命を認めるわけにいかないのは理の当然。」
 
 「理の当然」という言葉を使うのなら、「自らの恥を隠すためなら、当初から恩給受給目的の軍命存在を否定すれば良かったものを、住民を懇請を受けて軍命を認めたのは、両隊長の義心から・・・が、理の当然。」

>自分達は米軍に突っ込むだけの意気地もなかった

 住民への自決強要を批判しながら、軍人には平然と自決強要する反日サヨク(w
 
 
 集団自決は沖縄の「特許」じゃないのに、利権を奪われるとでも思い違いをしているのだろうか。
 
終戦前後の満洲における惨劇
http://home.s01.itscom.net/i-ioriya/sangeki.html
 軍命令無し・・・というより、軍が関与しなかった結果。
福原 | 2007/06/25 03:33 AM
「軍の命令があった」と主張する方が、それを本にして出版することはかまわない。
でも結論の出ていない点については「教科書」への記述を避ける。
これは当然のことですね。

集団自決で戦争の悲惨さを伝えるなら、
樺太真岡郵便局の九人の乙女たちの話を取り上げてほしいと思うのですが、
全国の日教組の先生方はこれを教えてるのかな?
ムリでしょうねえ。ソ連が悪者になっちゃいますからねえ。

しょせんは反日左翼の皆さんが、子供たちに反日左翼教育をするための道具にすぎないんですよね。
沖縄戦で亡くなった方は、あの世で何を思ってらっしゃるのでしょうか。
aa | 2007/06/25 12:49 PM
くっくりさん、こんにちは。
沖縄と関係なくて恐縮ですが、あんた何様日記を見た所、昨日放送のたかじんの委員会放送内容が変更されていたそうです。勝谷さんブログ情報だそうですが、李とうき氏の訪日と中国台湾をテーマに予定だったそうですが、北朝鮮に変更されたそうです。私も
金さんも出ているし、台湾をやって欲しいと思ってたのに、何かの圧力で変更とは腹たちます。読売TVに抗議した所で意味ないでしょうか。
長くなってすみません。
yum | 2007/06/25 01:26 PM
皆さん、引き続きコメントありがとうございます。
時間があればレスをきちんとおつけしたいのですが、ほんと、すみません<(_ _)>
何やエントリーをろくに読みもせずに妄想されてる方が約1名おられるようですが、時間もないのでスルーします(福原さん、ご丁寧なツッコミありがとうございます)。

yumさん:
情報ありがとうございます。こちらですね。
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=45126&pg=20070624
昨日番組を見ていて、2つめのテーマがVTRなかったので、あれ?とは思ったんですが、そんなことがあったとは。
ただ、あんた何様?さんが指摘されているように、公式HP内のアンケート期間がいつもより長めなので、来週(金美齢さんのいない日に)やるつもりかな?という気もします。
ほんとに何らかの圧力があったとして、その場合、勝谷さんや宮崎さんが「ムーブ!」などで話してくれるかもしれません。「いやぁ、他局なんですけど、先日こういうことがあってさ」みたいな感じで(^_^;。金美齢さんも「WiLL」などで暴露してくれるかも(^_^;。ということで、私の方でも動向をチェックしてみます。
くっくり | 2007/06/25 03:09 PM
くっくりさん、こんにちは。くっくりさんのブログはよくみていますが、コメントは初めてです。
私は沖縄出身で現在も沖縄に住んでいますが、今回の教科書検定のことで怒っていません。クローズアップ現代を見ましたが、内容は納得できません。大城さんのような、自分の意見を沖縄の人全体の意見と断定するのはやめてほしいと思っています。偏った報道にはうんざりしている沖縄県民もいることをお知らせしたくて、コメントしました。
KY@沖縄 | 2007/06/25 05:14 PM
県内四十一市町村中、三十六市町村議会が検定意見撤回を求める意見書を可決している。二十八日までには全議会が可決の見込みだ。

 県議会は意見書で「沖縄戦における『集団自決』が、日本軍の関与なしに起こり得なかったことは紛れもない事実」と指摘し、「今回の削除・修正は体験者による数多くの証言を否定しようとするものである」と強く批判している。
 県議会の意見書可決で、名実ともに県民世論は「検定意見の撤回」の要求を政府に突きつけた。(6/23 09:49)
コピペ | 2007/06/25 05:29 PM
島民の証言

友軍(守備隊)の兵隊さん3〜4名が各民家に下宿し寝食を共にしていた。
毎日の生活の中で兵隊さんから「アメリカ軍の捕虜になったら男は殺され、女は強姦される」という話を何度も聞かされた。
コピペ | 2007/06/25 05:32 PM
「村長が駐留を拒んだ島(前島)では集団自決は起こらなかった。」

逆に言えば、村長がいた村では集団自決は発生したとまで受け取れるんですけどね...

「毎日の生活の中で兵隊さんから「アメリカ軍の捕虜になったら男は殺され、女は強姦される」という話を何度も聞かされた。」

これと軍による自決の強要とは関係ないですね...
Katsu | 2007/06/25 06:37 PM
くっくりさん
お疲れ様です。丁寧なレスありがとうございます。

確かに私も親の世代の「裏切られ感」は感じておりますし、一応理解もしてあげてはいるんですが・・・
しかし、戦争に負けたぐらいで国家に裏切られたと感じるなんてのは、第二次大戦後の日本でしか起きていない現象なのですよ、これが。
だから、やっぱりGHQの洗脳教育と戦後左翼教育のたまものかと思ってしまいます。
もう一回り上の世代は、そういう教育受けていないのでもっと現実的ですしね。

外国人と話していると「原爆投下が日本の責任という考え方はおかしい」とほとんどの人が言います。(除く米国人)

あと、日本の左翼についてよく説明するんですが、特にヨーロッパ人は「それは左翼じゃない」と言います。なぜかと言うと、対外的問題に関しては、どこの国でも国益重視で右も左も大筋一致するそうです。
日本の左翼のように、特定の外国に利益を与えるような考え方は左翼思想とは言えず、単なる売国行為だと。

まあ、だから日本の左翼はサヨクに成り下がったと言われるわけですが。

因みに、戦後教育のせいかどうか、ヒトラーやムッソリーニが社会主義者だって知らない人が多いんですよね。実は当時のファシストってのは左翼なんだってことは、世界の常識なんですが、日本では軍国主義と結びつけて変な教え方してますよね。

やっぱり日本の戦後教育って、世界の基準から相当ズレてます。
にゃはにゃは | 2007/06/25 07:13 PM
>>「毎日の生活の中で兵隊さんから「アメリカ軍の捕虜になったら男は殺され、女は強姦される」という話を何度も聞かされた。」

実際、米軍占領下で3万件以上の強姦事件、2500件以上の殺人事件が起きているので、ウソではないわな。

リンドバーグによると、投降兵は捕虜にせずに殺すのが基本方針。
1000人の投降兵のうち、捕虜として生き残れるのは100〜200人程度。国際法違反もいいところ。
| 2007/06/25 07:25 PM
>| 2007/06/25 07:25 PM
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うん、いいとこ突かれますね。

YouTubeから、桜のビデオをいくつか持ってきてあります。まだ見てない方はどうぞ。(名前のとこからいけると思います)

梅沢隊長の裁判って大阪でやってるんですね。7月からいよいよ証人喚問がはじまるそうで、9月には大江健三郎氏が見れるかもしれません。
たか | 2007/06/25 08:41 PM
逆に「米軍が攻めてきたらあなた達はすぐに投降しなさい。そうすれば人道的に保護してもらえます」なんて住民に大嘘言えるわけないでしょうに…

ともあれ、サヨクの弾圧をかいくぐって関係者が存命のうちに証言を集めると同時に、本土に住む人たちが無意識のうちに沖縄のことを他人事と突き放して来たことは謙虚に認め、考える必要があると思います。

ただ、そういった「沖縄の空気」を説明するための知識は、サヨクの望む結論のためには邪魔になるので、教育も難しいというところでしょうね。

本土の人以上に日本人として認められたかった、という心理は胸につまされます。卑近な例えですが、養子にもらわれた子が「僕を子供にして良かったよね?これからもお父さんお母さんでいてくれるよね?」と必死で努力する様を連想します。実子のように「生んでくれって頼んだわけじゃねーよ」とは言えないのですよ。
茜 | 2007/06/25 09:02 PM
>コピペ氏
軍優先のあの時代に例え戦略上の価値がない島とはいえ、島の一介
の村長が駐留を拒んで、その拒否を軍が認めて駐留をしなかったと
いうことは、軍が住民に軍令を強いていなかったということの良い
例じゃないですかね。
特ア嫌い人 | 2007/06/25 09:12 PM
 ちょっと話がずれてしまいますが、最近、沖縄で出される歴史書(副教材で使われるものも含む)の中には、1468年に琉球軍2000名が奄美の喜界島に攻め込み、島主を殺害して占領した事件について「琉球王が奄美に遠征し、凱旋した」と書かれているものが幾つも見られます。
 仮に薩摩による琉球支配を同じ表現で書いたら沖縄のマスコミは大騒ぎするでしょうが、先述のような表現を、奄美の人々がどう思うか考えているのでしょうか?
 ちなみに、私は沖縄本島で奄美や八重山、あるいは本島以外の島出身者に対する差別的な言動を何回も見ています。本土で見られる沖縄出身者への差別は確かに許されることではありませんし、恥ずべき点ですが、沖縄もたまには自らを省みるべきではないでしょうか。
  
ishii | 2007/06/26 01:05 AM
皆さん、引き続きコメントありがとうございます。
個別にレスを差し上げられず、ほんと申し訳ありません。
私が突っ込まずとも皆さんが突っ込んで下さるので助かっております<(_ _)>

KY@沖縄さん:
沖縄の方のお声が聞けて大変有りがたく思っています。「国民はこう思っている」というふうに、「国民の声」をある一定方向に一括りにしてしまう番組は実に多いですが、沖縄の諸問題を扱った番組では、それがより顕著のように思えます。

たかさん:
動画提供、いつもお世話になっています。ところで大江健三郎がノーベル賞をとった頃、私は朝日新聞読者でした。めちゃくちゃ立派な人なんだなーと無条件に思い込んでいました。まさかこんな酷い人間だったとは。
くっくり | 2007/06/26 01:42 AM
 本エントリーも終盤・・・なので、くっくりさんや皆さんに訴えたいマトメ。
 
 「沖縄の空気」や「日本人として認められたかった」のは、事実として否定しません。但し、それが集団自決の要因であったと理解してしまうのは誤りです。
 
終戦前後の満洲における惨劇
http://home.s01.itscom.net/i-ioriya/sangeki.html
 リンク先を開くのも面倒な方もいらっしゃるでしょうから概説します。
 
 死因不明の実質自決者や、小グループの自決を合算すれば、膨大な数になると思いますが、前記ページでは少なくとも集団自決と記録されているのは2900名以上。
 他の記録を加えれば、実質自決は万単位になるのではないでしょうか。
 
 沖縄だけの「集団自決」でないものを、沖縄に意味付けする理由はありません。
 
 満州では、約18万の非戦闘員・・ほとんどは老幼婦女子が虐殺されていったのです。
 「憲法9条を守って滅びた」・・・言うのは簡単ですが、軍が先に逃亡・・・軍が存在しなければ「地獄」という実態がそこにはある。
 
 以前、満州の日本軍についてウヨクの方と論争したとき感じたのは、満州で何があったのかがあまり知られていないのではないかという事です。
 
 興味を持って頂けたら、(南京の真実は支持してますが)攻撃に対する防御より、満州を使えば対露・中・朝の攻撃カードとして使い道があるし、国内反日・護憲派(非常識な方)を追い込めますよ。
福原 | 2007/06/26 04:27 AM
にゃはにゃはさんのご指摘に同感です。
普通の国では、右翼も左翼も国益重視で一致している。日本の「サヨク」は、利敵行為をする単なる売国勢力であると。
最近この説明、よく見かけます。
やはり、戦後教育が悪いのでしょうか!
Gくん | 2007/06/27 09:25 PM
糸冬了
リョーヨク | 2007/06/29 03:50 AM
『沖縄戦集団自決事件をめぐる 「反日神話」の背景(2)』
椿原泰夫/自由主義史観研究会会員
http://www.jiyuu-shikan.org/rekishi106.html
座間味島の防衛隊長は、集団自決を命令し、自身も率先して家族とともに自決したとされる、村助役(当時)宮里盛秀氏であったことが梅澤裕元少佐の手記に出てくる。

「防衛隊長の命令は軍の命令と見なせる」として、「軍命令による集団自決」の筋書きを考えたという

沖縄戦では、「国家総動員法」の趣旨に基づき、十四歳以上四十五歳までの健康な男子は「防衛隊員」として召集されていた。軍による動員であり、「正規軍」の一員としての扱いであった。
コピペ | 2007/06/30 03:59 AM
在日も屑だが沖縄人も負けず劣らずの屑だ、と感じました


16世紀(?)に薩摩に占領されて以来、先の沖縄戦に至るまで沖縄人は日本を敵視しているので、これは一種の伝統芸能かとさえ思いたくなるものです。
甲子園で負けて帰る途中の沖縄の高校生どもが、甲子園の土を海に投げ棄てたこともありましたっけ。

>キキ130
>KY@沖縄
>俺は同じ沖縄県民として恥ずかしいし、怒りを覚えます。
>偏った報道にはうんざりしている


沖縄人という左巻き連中が反日を謳歌していることが恥ずかしいし、怒りを覚えます。そして、日本から逃げてきたサヨクの残党を引き込んで反日運動をしているその存在自体にうんざりしています。

そんなに日本が嫌いなら、敬愛する中国サマにでも拾ってもらえばいいんです。
反在日 | 2007/07/01 11:34 AM
>甲子園で負けて帰る途中の沖縄の高校生どもが、甲子園の土を海に投げ棄てたこともありましたっけ。

これは事実誤認です。
当時、沖縄はまだアメリカの占領下にあり、検疫に引っかかったため、捨てることを余儀なくされたのです。
反在日氏へ | 2007/07/01 01:17 PM
>当時、沖縄はまだアメリカの占領下にあり、検疫に引っかかったため、捨てることを余儀なくされたのです

雑菌の塊である土が検疫に引っかかることは承知していながら、それでも日本の土を積み込んだ行為には、
『日本の土なんか海にポイ捨てしてやるが、露骨に反日を謳ったら後々メンドーだから、表向きはアメリカの検疫のせいで捨てたことにしよう』
という幼稚な言い訳が垣間見えます。


また、仮に(あくまで仮に)反日感情は持たずに本当に日本が好きならば、
検疫になど従わずに投獄上等で土を持ち込むくらいのことはする筈です。
それをしなかった沖縄人はその程度、ということになります。
反在日 | 2007/07/01 10:23 PM
>雑菌の塊である土が検疫に引っかかることは承知していながら
>幼稚な言い訳が垣間見えます。
>本当に日本が好きならば、検疫になど従わずに投獄上等で土を持ち込むくらいのことはする筈です。

すべてあなたの妄想ですねw
ワロタ | 2007/07/01 10:57 PM
>キキ130、KY@沖縄、ワロスなど沖縄人


沖縄戦を口実にサヨクと共闘して反日的言動を繰り返す沖縄人の思考こそ妄想ですが?
本土の土を海に投げ捨てたり、日の丸を焼いたり、皇族を戦犯呼ばわりしたりと、ある意味在日を超える反日ぶりですからね、沖縄人は。




ハブにでも噛まれれば目が覚めるんじゃないですか?
反在日 | 2007/07/03 12:25 AM
反在日さん:
沖縄人の中にもまともな人はいますよ。エントリーでご紹介した宮平敏勝さんとか金城武徳さんとか照屋昇雄さんとかもダメなんですか?KY@沖縄さんも、偏った報道(沖縄人はみんな集団自決は軍命令だと思っているかのような報道)に怒りを呈しておられるじゃないですか。沖縄人=全て悪いという発想はいかがなものかと思います。
沖縄の土の件は、上で説明をいただいた通りです。投獄上等と言いますが、法律は守らねばならないものだと思います。
くっくり | 2007/07/03 02:22 AM
追記です。キキさん130さんを入れるの忘れてました。すみません。
くっくり | 2007/07/03 02:52 AM
>沖縄人にもまともな人はいますよ。


“悪に抗わぬも悪、悪を見過ごすも悪”
という言葉があります。
くっくりさんが名を挙げている連中は何をしました?
『左翼勢力の力が恐ろしいのが沖縄です。もし真相を話したら、ここには住めなくなるし、命の危険もある。』
命惜しさに口を閉ざす腰抜けがまともな人とは思えません。相手を刺し違えてでも真実を守る、という気概のある人がひとりでもいましたか?

今まで何もしないで‘いやぁ〜、集団自決はウソだったんですよぉ〜’とニヤニヤしているような連中はある意味、サヨク沖縄人以上に醜悪です。
こんな連中が日本人であることが恥ずかしいし悔しいです。
反在日 | 2007/07/05 06:29 PM
反在日さん:
だから何故そうやって一括りにするのかと。例えば私は大阪在住ですが、大阪って一般的に他地方からは「ガラが悪い」とか「ひったくりが多い」とか見られているようです。じゃああなたは私くっくりのことも「ガラが悪い」とか「ひったくりをしている」と思うのですか?
戦後何十年も経って、であっても、こうやって勇気を出して今証言して下さっていることを評価できませんか?「相手を刺し違えてでも真実を守る」、口で言うのは簡単です。あなたのHNを素直に解釈すれば、在日を相当憎んでおられるのだと思いますが、では、あなたは実際に在日の方と刺し違えてでも何かを守ろうという行動を、実際に今、起こされているのでしょうね?(ネットで匿名でこのように書き込む行動は含みませんよ)
大変失礼ですが、かなり低レベルな論議になっているようですので、私の方からはもうこのへんでやめさせていただきます。ご容赦下さい。
くっくり | 2007/07/05 07:12 PM
m(__;)mこんにちは。集団自決について検索していたところ、このブログを見つけました。このトラックバックとやらの使い方もよくわからないのですが・・・沖縄県民について何やら書かれているようなので、一沖縄県民としてコメントを書かせていただきたいです。なにとぞ宜しくお願いいたします。

沖縄県は、周知のように左翼の影響が強く、TV、新聞などもカルト的な左翼の影響下にあります。私も学生のころにはまともにその影響を受けていて、「日本軍って悪いことをしてたのか」ぐらいにしか思っておりませんでした(見事に洗脳されていたわけですね)。今ではそういう考えは全く消し飛んで、あらためて歴史の勉強をしなおそうと思っているところです。

本土の人にはわからないかもしれませんが・・・・新聞やTVが「反戦反日一色」の状況では、なかなか思ったことを素直に言えない時もあります(韓国に住んでいる人が「竹島は日本領土なんだよね」なんて言えないようなもんかな・・・)。

新聞の投稿欄には左翼的なコメントばかりが採用され、真面目に「そんなに米軍が嫌いなら、米軍を追い出して沖縄を自衛隊に守ってもらったら良いんじゃないの?」的なことすら書けない状況です。

ただ、新聞やTVで報道される姿だけが沖縄県民の姿というわけではないです。確かに左翼の影響が強くて馬鹿たれなことを言う人は多いですが、それを嫌う人もいるということを是非 知っていただきたい。
kokemomo | 2007/07/08 08:16 PM
>戦後何十年も経って、であっても、こうやって勇気を出して今証言して下さっていることを評価できませんか?


沖縄人なのに沖縄の反日を否定するのは虚言癖なのかキチガイなのか、どちらにしろある意味反日沖縄人以上にタチの悪い卑劣な連中なので評価などしません。
さっそくkokemomoとかいうのが湧いてきましたねw
同胞を裏切って正義派気取りですか?
反在日 | 2007/07/09 11:36 PM
 サオが短いと、なかなか釣れません。
福原 | 2007/07/10 01:03 AM
「反在日」氏は在日によるなりすましではないか。一連のカキコは「日本人は差別をする民族」とアッピールするための工作ではないか。そうでないのなら即刻このような誹謗中傷はやめるべきだ。
R | 2007/07/10 01:49 AM
>「反在日」氏は在日によるなりすましではないか。

 サヨクは親沖縄だし、ウヨクは本土防衛に貢献した沖縄へのリスペクトは忘れない・・・それなら歴史を捏造歪曲する民族は・・・ですね。
福原 | 2007/07/10 06:15 AM
はじめまして。沖縄集団自決事件に興味を持つ者です。
まだ調べ始めたばかりでろくに書物も読んでいませんが、
自分のブログもとりあげています。
くっくり様の文章をお借りし、トラックバックを貼らせていただきましたのでご連絡させていただきました。
minami | 2007/07/14 03:55 PM
あのね、私はね、軍隊経験あるから言わせて貰うけど、防衛隊って軍が知らないところで、住民が勝手に組織できるものなんですか?
そんな訳ないでしょ。
その防衛隊が軍に無断で勝手に手榴弾持ち出せるものなんですか?
そんな訳ないでしょ。
私は戦争中満洲にいて、沖縄のことは知らないけど、沖縄では住民の間にスパイがいるのではとピリピリしてたんじゃないのですか?
それなのに軍の手榴弾を住民が勝手に持ち出せるんですか?
有り得ないでしょ。
これは私の推測に過ぎないですけれど、軍から住民に「いざとなったら、これで自決しろ」と手榴弾が渡ったんじゃないですかね。
それ以外考えられないですよ。
そして、ある時点で住民が勝手に「今」が「いざとなった」時だと判断して自決してしまった。
だから、割と連絡が付き難かったところの方が自決が起きてしまった。
だけど、これを住民が勝手に一家心中した如くに言うのは間違っているでしょ。
「いざとなったら自決しろ」と言われた人が、それが錯誤であっても「いざとなった」と思って、自決したのであれば、それは言われた通りのことをしたわけでしょ。自決命令に従ったわけでしょ。それ以外の何物でもないでしょ。
手榴弾を渡した人が隊長なのか下っ端の下士官なのか知らないけど、軍人は軍人でしょ。
例えば交通整理のお巡りさんが、「止まれ」と言ったら、それは警察の命令でしょ。
言った人が警察署長じゃないとか、命令書がないとか、そんなことで命令じゃないとか言い出したら警察は交通整理出来なくなりますよ。
衛生兵 | 2008/04/17 05:13 AM

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