桜よ日本よ被災地よ
そろそろ桜の季節ですね(^o^)
今日はちょっと趣向を変えて、桜にまつわる言葉・歌・エピソードなどを、桜の画像とともにお届けします。
過去に拙ブログで紹介したものもかなり混じってますが、ご了承を(^^ゞ
※桜の画像は、言及がない限りはフリー素材からの転載です。
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パラオ共和国の政府顧問をしていたイナボさんの言葉です。
「日本で大切なものが四つある。御皇室と靖国神社と桜と富士山だ。これを忘れたら日本は日本ではなくなる」
※名越二荒之助編著「昭和の戦争記念館」第4巻“大東亜戦争その後”(2000年5月発行)より
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さくらの語源については、いくつかの説があります。
その一つに、古事記に登場する「木花開耶姫」(このはなさくやひめ)のさくやが転化したものだという説があります。
また、さくらの「さ」は穀霊(穀物の霊)を表す古語で、「くら」は神霊が鎮座する場所を意味し、「さ+くら」で、穀霊の集まる依代(よりしろ)を表すという説があります。
昔から、桜の開花が農作業の目安の一つになっていたことを思えば、いにしえの人々が桜に実りの神が宿ると考えたとしても不思議ではありません。
※「四季の花図鑑」さん>桜(さくら)についてより
日本(沖縄と北海道を除く)での桜の80%はソメイヨシノだと言われていますが、他にもたくさんの種類の桜があります。上記サイトでは画像付きで桜の一覧が掲載されています。
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さくら さくら
やよいの空は 見わたす限り
かすみか雲か 匂いぞ出ずる
いざやいざや 見にゆかん
さくら さくら
野山も里も 見わたす限り
かすみか雲か 朝日ににおう
さくらさくら 花ざかり
Wikipediaによると、上のバージョンが元々の歌詞です。下のバージョンは昭和16年に改められたもので、現在音楽の教科書等にはこちらの歌詞を掲載しているところもあるそうです。また、下の歌詞を1番、上の元々の歌詞を2番と扱っているものもあるとのことです。
私が子供の頃に習ったのは、たぶん下のバージョンです。
ちょっと前にテレビで放映されていた「外為どっとこむ」のCM(動画こちら)では、上のバージョンが使われています。
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【さまざまの 事おもひだす 桜かな】
松尾芭蕉、45歳の作です。
句意は、「ふるさとである上野に帰って今は亡き旧主禅吟公の庭前に昔のように咲き乱れている桜を見ると、自分が若い日旧主に仕えた日のことなど、この桜にまつわるさまざまのことが思い出されてならない」。
桜を見ていると、これまでの思い出が蘇ってくることってけっこうありますよね。
やはり人生の節目の時期に咲くからでしょうか。
※参考:「芭蕉句集&句碑」さん
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【世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし】
在原業平の作。
句意は「桜を愛する余りに、雨や風やが気がかりで、心は落ち着かない。こんな想いをするのならば、いっそこの世に桜がなければと(決して桜を悪んで無ければよいという意ではない)」。
【散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき】
詠み人知らず、上の在原業平の歌に対する返歌。
句意は「散るからこそ、いっそう桜はすばらしい。この憂き世に不滅のものなどないのですから」。
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【敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂う 山桜かな】
江戸期の国学者・本居宣長のあまりにも有名な歌。
この歌は、「本居宣長六十一歳自画自賛像」に賛として書かれています。
句意は 「日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知る、その麗しさに感動する、そのような心です」。
一般論としての「大和心」を述べたのではなく、宣長自身の心だそうです。
だから、この歌は『鈴屋集』(宣長の歌文集)には載せられなかったのだとか。
※参考:「本居宣長記念館」さん>「敷島の歌」
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【越南の 地に死すとも 我が心 祖国に桜花(はな)の 咲く日祈らむ】
富田文市さんの作。
富田さんは静岡県出身、陸軍少佐、サイゴン憲兵分隊長。
昭和22年8月12日サイゴン・ビルギルに於いて法務死。当時35歳でした。
先ごろ日本国籍を取得したドナルド・キーンさんは、若い頃にアメリカ海軍の日本語学校を卒業し、大東亜戦争の前線に送られました。
そこでキーンさんは、日本人捕虜や兵士が残した書類や所持品に向き合うようになり、その時、たくさんの本の入った大きな箱に出会います。
驚いたことに、それらの本の中で一番多かったのは万葉集だったそうです。
当時の日本人にとってそれほど和歌は身近なものだったのですね。
戦地で和歌を残した(遺した)将兵もかなりの人数に上ります。
※山口志郎編「太平洋戦争 将兵万葉集」より
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【若桜 美しく散りて 国の為 錦をば着て 故郷へ帰る】
山内文夫さんの作。
山内さんは静岡県出身、二等飛行兵曹、甲種飛行予科練習生12期。
神風特別攻撃隊第一正統隊員。
昭和20年4月6日沖縄周辺の艦船に特攻戦死。当時18歳でした。
亡くなる間際に書き残した特攻隊員の辞世の歌には、桜をテーマにしたものが数多くあります。
短い命を燃やし、潔く散る。桜の美学とも言うべきその姿と、自らの生き様(死に様)が重なったからでしょう。
第一神風特別攻撃隊の4つの部隊の名称は、先ほど紹介した本居宣長の【敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂う 山桜かな】から取って、敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊と名付けられました。
※山口志郎編「太平洋戦争 将兵万葉集」より
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さくら さくら ただ舞い落ちる
いつか生まれ変わる時を信じ
泣くな友よ 惜別のとき
飾らないあの笑顔で さあ
森山直太朗さんの「さくら(独唱)」です。
J-POPでは毎年のように桜にまつわる新曲が登場しますが、私はこの歌が一番好きです。
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幕末から明治にかけて日本に滞在した欧米人の多くが、日本人の特徴の一つとして挙げている事柄があります。
それは「貧しい階層ですら芸術や自然を愛している」というものです。
欧米ではそれらを愛するのは富裕層だけなのに、日本はそうではないので驚いているのです。
特に日本人の「花好き」は特筆すべきものだったようで、たとえば、植物採集のため幕末の日本を訪れていたイギリス人のロバート・フォーチュンは、『幕末日本探訪記』(三宅馨訳)の中でこう述べています。
「日本人の国民性のいちじるしい特色は、下層階級でもみな生来の花好きであるということだ。…もしも花を愛する国民性が、人間の文化生活の高さを証明するものとすれば、日本の低い層の人びとは、イギリスの同じ階級の人達に較べると、ずっと優って見える」
フォーチュンは万延元年(1860年)の秋から年末まで1回目の来日を果たし、翌年4月、再来日しました。
春に日本に来た時は見事な八重桜などを目にし、「どこの国でも春は美しいが、日本の春は格別だ」と書き記しています。
※参考:産経新聞2008年3月29日付朝刊紙面「おもかげ」“日本の春は格別だ”
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【国によって四季がはっきりしているところやそうでないところがありますが、日本は四季がはっきりしている方の国です。それが理由なのかどうかはわかりませんが、他の国の人に比べると日本人は季節の移り変わりに敏感なような気がします。
例えば春のお花見。桜が開花するとニュースになり、見頃が新聞にも載ります。花が咲き始めてから街のあちこちに桜の木があったことに気づくこともよくあります。(外国人の)学生に「桜はきれいだと思いますが、新聞に載っているのはちょっとびっくりしますね」と言われると、花の様子を毎日新聞に載せるのは日本だけかもしれないと思います】
※蛇蔵&海野凪子「日本人の知らない日本語3」より
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【花冷え】
桜の花の咲く頃は陽気が変わりやすく、思わぬ寒さに驚くことがあります。これが花冷えです。
1988年4月8日、関東地方は満開の桜の上に春の大雪が降りました。
【花曇(はなぐもり)】
桜の花の咲く頃は天気が短い周期で変化し、良く晴れていると思っていてもすぐに薄雲が流れてきて太陽が暈(かさ)を被ったりします。
このような曇り空を、文学的に花曇と呼んでいます。
※高橋健司「空の名前」より
※画像は2009年4月7日(火)夕刻に筆者が近所の公園で撮影したもの
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数学者の藤原正彦さんの家に、日本の中世文学を専攻するイギリス人が遊びに来た時のこと。
藤原さんが「日本の中世文学を勉強するうえで何が難しいですか」と尋ねたところ、彼はただちに「もののあわれだ」と答えました。
イギリスにもそういう感性は勿論あるけれども、日本人ほど鋭くないそうで、「もののあわれ」に対応する英語も、それに近い英語も存在しないそうです。
この日本人の感性の鋭さの一例が、桜の花に対するものだと、藤原さんは言います。
桜は本当に綺麗に咲くのはたったの3、4日で、あっという間に散ってしまう。そのたったの3、4日に命をかけて潔く散っていく桜の花に、日本人は人生を投影し、そこに他の花とは別格の美しさを見出している。
たとえば、アメリカにも桜はありますが、アメリカ人にとって桜は「オー・ワンダフル、ビューティフル」と眺める対象にすぎず、そこにはかない人生を投影するヒマ人はいないそうです。
※参考:藤原正彦「国家の品格」
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日本に3年間留学した中国人の宋静●(スン・チンウェン)さん(●=雨かんむりに文)の言葉。
【日本に対する初めての印象というと、小学校一年生の時に音楽科で習った「桜」という曲です。もちろん、翻訳した中国語で歌っていました。改めてその曲を歌ったのは、大学で日本語を専攻して五十音を勉強した頃で、日本語で歌いました。この歌によって、なんだか桜が好きになりました。いつか日本を訪れて、桜の「花吹雪」の様子を観るのが夢になりました。
ついに夢がかなって2007(平成19)年4月、初めて桜の様子を観に行くことができました。それは有名な上野公園などの桜の名所ではなく、来日した頃に住んでいた東京都板橋区のある小さな公園で観たのです。その時桜は満開の時期が過ぎていましたが、花びらが樹上よりも地上近くに多く見られ、それは遠くから見れば地面にまるで雪が降り積もっているようでした。子供たちがそんな景色の中でわいわいと遊んでいて、美しい絵を構成しているかのようでした】
※加藤恭子編「続・私は日本のここが好き!—外国人43人が深く語る」より
※画像は2008年4月11日(金)夕刻に筆者が近所の公園で撮影したもの
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3・11直後、テキサス親父ことトニー・マラーノさんから贈られた日本へのメッセージには、こうありました。
【「真に自由を愛する人間とは、国家と同胞に対して、犠牲と貢献をいとわない人間のことである」。
今回の件で、君たちは世界中の人に向けて、こうしたメッセージを発信している。
そして、こうした想像を絶する悲劇に見舞われても、君たちの国家と文化は、決して屈することはないということも示している。
日本人の、サムライのような勇敢さ、そして満開の桜のような穏やかさを、改めて見せつけられた思いだ】
※「Propaganda Buster」2011/3/17より
※画像は時事通信「東日本大震災 被災地の桜 写真特集」より、岩手県の大念寺に咲いた桜の花(2011年04月18日)。
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仙台空港内にある航空保安大学校岩沼研修センターは、東日本大震災の被災地で救助に当たる自衛隊の駐屯地になっていました。
2011年春、満開の桜の前で、隊員たちが救援装備を運んでいました。
※週刊ポスト2011年5月6日・13日号より
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宮城県石巻市大川地区にお住まいの「げんた」さんの言葉。
【5月になると毎年、私達の目を楽しませてくれた八重桜が今年(2011年)も咲きました。
庭は三週間以上、(津波で)塩水に浸かっていたので、庭木は全てダメになっただろうと思ってましたが、この四本の八重桜は今年も花を咲かせました。
例年より遅く、花の数も少ないですが、よく生き残ってくれたものです。
昨年までは花が散ると庭全部が玄関先までピンクの花で埋め尽くされ、それは綺麗な光景でした】
※げんたさんのサイト>「希 望 〜 復 興 へ」より。画像も。
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スイス人で投資顧問会社会長のウルフガング・アンベルドローさんが、日本人の美徳として挙げたもの。それは……
【『これまでの伝統を引き継ぐこと、普通であることへの強い思い入れがあること』です。
今回(東日本大震災の翌月)の日本滞在中、浅草へお花見に行きました。
過去に10年間日本に住んでいたときのお花見とは、ずいぶん違うことに気づきました。
今回のお花見客は、誰もが本当に感謝の気持ちをもっているのです。
この苦しく、先行きのわからない不安なときであっても、季節がいつものように巡ってきて、桜の木は、今年も変わらず美しい花を咲かせているという事実を、本当に有り難く思っているのです。
あの3月11日の大震災のあと初めて、日本の人々の顔には、ほっとしたような安堵の表情が浮かんでいました】
※加藤恭子編「私は日本のここが好き!ム特別版 親愛なる日本の友へ」より
※画像は時事通信「東日本大震災 被災地の桜 写真特集」より、国の天然記念物に指定されている塩釜神社の塩釜桜(宮城・塩釜市の塩釜神社)(2011年5月07日)
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被災者の復興にかける思いを描いたドキュメンタリー「津波そして桜」。
ルーシー・ウォーカー監督の言葉です。
【桜はなぜかいつも、美しく、優しく、そして自然に、人生の苦難に向き合うとき、後押しをしてくれます】
はかなくも折れない、「桜」をめぐるエピソード。
そこから垣間見えた不屈の精神を、監督は作品で表現しました。
・映画『津波そして桜』予告編(YouTube)
http://www.youtube.com/watch?v=PGFvFn0Tj5s
※FNNニュース2012年2月26日より
※画像は時事通信「東日本大震災 被災地の桜 写真特集」より、桜の見頃を迎えた花見山。奥はソメイヨシノ、黄色はレンギョウ、手前はハナモモ(福島市渡利の花見山公園)(2011年4月18日)
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昨年、ツアーの来日中に震災に遭遇したシンディ・ローパーさん。
【桜の木を見て、毎年、「また頑張ろう」という気持ちになってもらおうと、持ってきました】
今年3月5日、宮城県石巻市の市立大街道小学校を訪問し、桜の苗木をプレゼントしました。
※FNNニュース2012年3月5日より
※画像は時事通信「東日本大震災 被災地の桜 写真特集」より、福島市渡利の花見山公園。震災の影響で観光客は例年の2割程度に落ち込みましたが、多くの地元の人たちが花見に訪れたそう(2011年4月18日)
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旧東京市が米首都ワシントンに約300本の桜を贈ってから今年で100年。
毎年春に開かれる「桜祭り」は、ワシントンで最も重要な祭典の一つに数えられており、桜は日米友好の礎を築きました。
桜を寄贈したのは当時の尾崎行雄市長ですが、最大の功労者は元シカゴ・トリビューン紙記者で日本に滞在したこともあるエリザ・シドモア氏とニューヨーク日系社会のリーダー格だった高峰譲吉氏。
当時、日本移民排斥運動が盛んだったため、高峰氏は桜の寄贈により事態の悪化を防ごうとしたのです。
今年の「桜祭り」では、3月20日〜4月27日の期間中、日米交流を深めるさまざまな行事が行われます。
地元のグレイ市長は「震災からの懸命な復興を続ける日本の方々に祈りをささげるとともに、日米友好の不朽の象徴である桜の美しさで首都を訪れる人を魅了したい」と語っています。
※参考:時事通信2012/03/02、時事通信2012/03/24
※画像は共同通信より
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被災地では昨年はお花見どころではなかった方が大半でしょう。
今年はどうかお花見を楽しまれて、少しでも元気を取り戻していただければと思います。
また被災しなかった地方の皆さんも、被災地への心情的な配慮からお花見を自粛された方が多かったようです。
今年は昨年の分も桜を愛でましょう。
もちろんお酒や食材はできるだけ東北産で!
復興の手助けをしましょう!(^o^)
※拙ブログ関連エントリー(ぼやきくっくり)
・09/3/21:桜と日本人の感性
・09/4/7付:さくらさくら今咲きほこる(写真と和歌)
※拙ブログ関連エントリー(お気楽くっくり)
・08/3/31:日本の春は格別だ
・08/4/6付:日本の春は格別だ その2
・08/4/17付:日本の春は格別だ その3
・10/4/3付:私の周りの桜たち
・11/4/9付:満開まで
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パラオ共和国の政府顧問をしていたイナボさんの言葉です。
「日本で大切なものが四つある。御皇室と靖国神社と桜と富士山だ。これを忘れたら日本は日本ではなくなる」
※名越二荒之助編著「昭和の戦争記念館」第4巻“大東亜戦争その後”(2000年5月発行)より
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さくらの語源については、いくつかの説があります。
その一つに、古事記に登場する「木花開耶姫」(このはなさくやひめ)のさくやが転化したものだという説があります。
また、さくらの「さ」は穀霊(穀物の霊)を表す古語で、「くら」は神霊が鎮座する場所を意味し、「さ+くら」で、穀霊の集まる依代(よりしろ)を表すという説があります。
昔から、桜の開花が農作業の目安の一つになっていたことを思えば、いにしえの人々が桜に実りの神が宿ると考えたとしても不思議ではありません。
※「四季の花図鑑」さん>桜(さくら)についてより
日本(沖縄と北海道を除く)での桜の80%はソメイヨシノだと言われていますが、他にもたくさんの種類の桜があります。上記サイトでは画像付きで桜の一覧が掲載されています。
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さくら さくら
やよいの空は 見わたす限り
かすみか雲か 匂いぞ出ずる
いざやいざや 見にゆかん
さくら さくら
野山も里も 見わたす限り
かすみか雲か 朝日ににおう
さくらさくら 花ざかり
Wikipediaによると、上のバージョンが元々の歌詞です。下のバージョンは昭和16年に改められたもので、現在音楽の教科書等にはこちらの歌詞を掲載しているところもあるそうです。また、下の歌詞を1番、上の元々の歌詞を2番と扱っているものもあるとのことです。
私が子供の頃に習ったのは、たぶん下のバージョンです。
ちょっと前にテレビで放映されていた「外為どっとこむ」のCM(動画こちら)では、上のバージョンが使われています。
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【さまざまの 事おもひだす 桜かな】
松尾芭蕉、45歳の作です。
句意は、「ふるさとである上野に帰って今は亡き旧主禅吟公の庭前に昔のように咲き乱れている桜を見ると、自分が若い日旧主に仕えた日のことなど、この桜にまつわるさまざまのことが思い出されてならない」。
桜を見ていると、これまでの思い出が蘇ってくることってけっこうありますよね。
やはり人生の節目の時期に咲くからでしょうか。
※参考:「芭蕉句集&句碑」さん
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【世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし】
在原業平の作。
句意は「桜を愛する余りに、雨や風やが気がかりで、心は落ち着かない。こんな想いをするのならば、いっそこの世に桜がなければと(決して桜を悪んで無ければよいという意ではない)」。
【散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき】
詠み人知らず、上の在原業平の歌に対する返歌。
句意は「散るからこそ、いっそう桜はすばらしい。この憂き世に不滅のものなどないのですから」。
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【敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂う 山桜かな】
江戸期の国学者・本居宣長のあまりにも有名な歌。
この歌は、「本居宣長六十一歳自画自賛像」に賛として書かれています。
句意は 「日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知る、その麗しさに感動する、そのような心です」。
一般論としての「大和心」を述べたのではなく、宣長自身の心だそうです。
だから、この歌は『鈴屋集』(宣長の歌文集)には載せられなかったのだとか。
※参考:「本居宣長記念館」さん>「敷島の歌」
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【越南の 地に死すとも 我が心 祖国に桜花(はな)の 咲く日祈らむ】
富田文市さんの作。
富田さんは静岡県出身、陸軍少佐、サイゴン憲兵分隊長。
昭和22年8月12日サイゴン・ビルギルに於いて法務死。当時35歳でした。
先ごろ日本国籍を取得したドナルド・キーンさんは、若い頃にアメリカ海軍の日本語学校を卒業し、大東亜戦争の前線に送られました。
そこでキーンさんは、日本人捕虜や兵士が残した書類や所持品に向き合うようになり、その時、たくさんの本の入った大きな箱に出会います。
驚いたことに、それらの本の中で一番多かったのは万葉集だったそうです。
当時の日本人にとってそれほど和歌は身近なものだったのですね。
戦地で和歌を残した(遺した)将兵もかなりの人数に上ります。
※山口志郎編「太平洋戦争 将兵万葉集」より
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【若桜 美しく散りて 国の為 錦をば着て 故郷へ帰る】
山内文夫さんの作。
山内さんは静岡県出身、二等飛行兵曹、甲種飛行予科練習生12期。
神風特別攻撃隊第一正統隊員。
昭和20年4月6日沖縄周辺の艦船に特攻戦死。当時18歳でした。
亡くなる間際に書き残した特攻隊員の辞世の歌には、桜をテーマにしたものが数多くあります。
短い命を燃やし、潔く散る。桜の美学とも言うべきその姿と、自らの生き様(死に様)が重なったからでしょう。
第一神風特別攻撃隊の4つの部隊の名称は、先ほど紹介した本居宣長の【敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂う 山桜かな】から取って、敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊と名付けられました。
※山口志郎編「太平洋戦争 将兵万葉集」より
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さくら さくら ただ舞い落ちる
いつか生まれ変わる時を信じ
泣くな友よ 惜別のとき
飾らないあの笑顔で さあ
森山直太朗さんの「さくら(独唱)」です。
J-POPでは毎年のように桜にまつわる新曲が登場しますが、私はこの歌が一番好きです。
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幕末から明治にかけて日本に滞在した欧米人の多くが、日本人の特徴の一つとして挙げている事柄があります。
それは「貧しい階層ですら芸術や自然を愛している」というものです。
欧米ではそれらを愛するのは富裕層だけなのに、日本はそうではないので驚いているのです。
特に日本人の「花好き」は特筆すべきものだったようで、たとえば、植物採集のため幕末の日本を訪れていたイギリス人のロバート・フォーチュンは、『幕末日本探訪記』(三宅馨訳)の中でこう述べています。
「日本人の国民性のいちじるしい特色は、下層階級でもみな生来の花好きであるということだ。…もしも花を愛する国民性が、人間の文化生活の高さを証明するものとすれば、日本の低い層の人びとは、イギリスの同じ階級の人達に較べると、ずっと優って見える」
フォーチュンは万延元年(1860年)の秋から年末まで1回目の来日を果たし、翌年4月、再来日しました。
春に日本に来た時は見事な八重桜などを目にし、「どこの国でも春は美しいが、日本の春は格別だ」と書き記しています。
※参考:産経新聞2008年3月29日付朝刊紙面「おもかげ」“日本の春は格別だ”
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【国によって四季がはっきりしているところやそうでないところがありますが、日本は四季がはっきりしている方の国です。それが理由なのかどうかはわかりませんが、他の国の人に比べると日本人は季節の移り変わりに敏感なような気がします。
例えば春のお花見。桜が開花するとニュースになり、見頃が新聞にも載ります。花が咲き始めてから街のあちこちに桜の木があったことに気づくこともよくあります。(外国人の)学生に「桜はきれいだと思いますが、新聞に載っているのはちょっとびっくりしますね」と言われると、花の様子を毎日新聞に載せるのは日本だけかもしれないと思います】
※蛇蔵&海野凪子「日本人の知らない日本語3」より
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【花冷え】
桜の花の咲く頃は陽気が変わりやすく、思わぬ寒さに驚くことがあります。これが花冷えです。
1988年4月8日、関東地方は満開の桜の上に春の大雪が降りました。
【花曇(はなぐもり)】
桜の花の咲く頃は天気が短い周期で変化し、良く晴れていると思っていてもすぐに薄雲が流れてきて太陽が暈(かさ)を被ったりします。
このような曇り空を、文学的に花曇と呼んでいます。
※高橋健司「空の名前」より
※画像は2009年4月7日(火)夕刻に筆者が近所の公園で撮影したもの
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数学者の藤原正彦さんの家に、日本の中世文学を専攻するイギリス人が遊びに来た時のこと。
藤原さんが「日本の中世文学を勉強するうえで何が難しいですか」と尋ねたところ、彼はただちに「もののあわれだ」と答えました。
イギリスにもそういう感性は勿論あるけれども、日本人ほど鋭くないそうで、「もののあわれ」に対応する英語も、それに近い英語も存在しないそうです。
この日本人の感性の鋭さの一例が、桜の花に対するものだと、藤原さんは言います。
桜は本当に綺麗に咲くのはたったの3、4日で、あっという間に散ってしまう。そのたったの3、4日に命をかけて潔く散っていく桜の花に、日本人は人生を投影し、そこに他の花とは別格の美しさを見出している。
たとえば、アメリカにも桜はありますが、アメリカ人にとって桜は「オー・ワンダフル、ビューティフル」と眺める対象にすぎず、そこにはかない人生を投影するヒマ人はいないそうです。
※参考:藤原正彦「国家の品格」
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日本に3年間留学した中国人の宋静●(スン・チンウェン)さん(●=雨かんむりに文)の言葉。
【日本に対する初めての印象というと、小学校一年生の時に音楽科で習った「桜」という曲です。もちろん、翻訳した中国語で歌っていました。改めてその曲を歌ったのは、大学で日本語を専攻して五十音を勉強した頃で、日本語で歌いました。この歌によって、なんだか桜が好きになりました。いつか日本を訪れて、桜の「花吹雪」の様子を観るのが夢になりました。
ついに夢がかなって2007(平成19)年4月、初めて桜の様子を観に行くことができました。それは有名な上野公園などの桜の名所ではなく、来日した頃に住んでいた東京都板橋区のある小さな公園で観たのです。その時桜は満開の時期が過ぎていましたが、花びらが樹上よりも地上近くに多く見られ、それは遠くから見れば地面にまるで雪が降り積もっているようでした。子供たちがそんな景色の中でわいわいと遊んでいて、美しい絵を構成しているかのようでした】
※加藤恭子編「続・私は日本のここが好き!—外国人43人が深く語る」より
※画像は2008年4月11日(金)夕刻に筆者が近所の公園で撮影したもの
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3・11直後、テキサス親父ことトニー・マラーノさんから贈られた日本へのメッセージには、こうありました。
【「真に自由を愛する人間とは、国家と同胞に対して、犠牲と貢献をいとわない人間のことである」。
今回の件で、君たちは世界中の人に向けて、こうしたメッセージを発信している。
そして、こうした想像を絶する悲劇に見舞われても、君たちの国家と文化は、決して屈することはないということも示している。
日本人の、サムライのような勇敢さ、そして満開の桜のような穏やかさを、改めて見せつけられた思いだ】
※「Propaganda Buster」2011/3/17より
※画像は時事通信「東日本大震災 被災地の桜 写真特集」より、岩手県の大念寺に咲いた桜の花(2011年04月18日)。
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仙台空港内にある航空保安大学校岩沼研修センターは、東日本大震災の被災地で救助に当たる自衛隊の駐屯地になっていました。
2011年春、満開の桜の前で、隊員たちが救援装備を運んでいました。
※週刊ポスト2011年5月6日・13日号より
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宮城県石巻市大川地区にお住まいの「げんた」さんの言葉。
【5月になると毎年、私達の目を楽しませてくれた八重桜が今年(2011年)も咲きました。
庭は三週間以上、(津波で)塩水に浸かっていたので、庭木は全てダメになっただろうと思ってましたが、この四本の八重桜は今年も花を咲かせました。
例年より遅く、花の数も少ないですが、よく生き残ってくれたものです。
昨年までは花が散ると庭全部が玄関先までピンクの花で埋め尽くされ、それは綺麗な光景でした】
※げんたさんのサイト>「希 望 〜 復 興 へ」より。画像も。
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スイス人で投資顧問会社会長のウルフガング・アンベルドローさんが、日本人の美徳として挙げたもの。それは……
【『これまでの伝統を引き継ぐこと、普通であることへの強い思い入れがあること』です。
今回(東日本大震災の翌月)の日本滞在中、浅草へお花見に行きました。
過去に10年間日本に住んでいたときのお花見とは、ずいぶん違うことに気づきました。
今回のお花見客は、誰もが本当に感謝の気持ちをもっているのです。
この苦しく、先行きのわからない不安なときであっても、季節がいつものように巡ってきて、桜の木は、今年も変わらず美しい花を咲かせているという事実を、本当に有り難く思っているのです。
あの3月11日の大震災のあと初めて、日本の人々の顔には、ほっとしたような安堵の表情が浮かんでいました】
※加藤恭子編「私は日本のここが好き!ム特別版 親愛なる日本の友へ」より
※画像は時事通信「東日本大震災 被災地の桜 写真特集」より、国の天然記念物に指定されている塩釜神社の塩釜桜(宮城・塩釜市の塩釜神社)(2011年5月07日)
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被災者の復興にかける思いを描いたドキュメンタリー「津波そして桜」。
ルーシー・ウォーカー監督の言葉です。
【桜はなぜかいつも、美しく、優しく、そして自然に、人生の苦難に向き合うとき、後押しをしてくれます】
はかなくも折れない、「桜」をめぐるエピソード。
そこから垣間見えた不屈の精神を、監督は作品で表現しました。
・映画『津波そして桜』予告編(YouTube)
http://www.youtube.com/watch?v=PGFvFn0Tj5s
※FNNニュース2012年2月26日より
※画像は時事通信「東日本大震災 被災地の桜 写真特集」より、桜の見頃を迎えた花見山。奥はソメイヨシノ、黄色はレンギョウ、手前はハナモモ(福島市渡利の花見山公園)(2011年4月18日)
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昨年、ツアーの来日中に震災に遭遇したシンディ・ローパーさん。
【桜の木を見て、毎年、「また頑張ろう」という気持ちになってもらおうと、持ってきました】
今年3月5日、宮城県石巻市の市立大街道小学校を訪問し、桜の苗木をプレゼントしました。
※FNNニュース2012年3月5日より
※画像は時事通信「東日本大震災 被災地の桜 写真特集」より、福島市渡利の花見山公園。震災の影響で観光客は例年の2割程度に落ち込みましたが、多くの地元の人たちが花見に訪れたそう(2011年4月18日)
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旧東京市が米首都ワシントンに約300本の桜を贈ってから今年で100年。
毎年春に開かれる「桜祭り」は、ワシントンで最も重要な祭典の一つに数えられており、桜は日米友好の礎を築きました。
桜を寄贈したのは当時の尾崎行雄市長ですが、最大の功労者は元シカゴ・トリビューン紙記者で日本に滞在したこともあるエリザ・シドモア氏とニューヨーク日系社会のリーダー格だった高峰譲吉氏。
当時、日本移民排斥運動が盛んだったため、高峰氏は桜の寄贈により事態の悪化を防ごうとしたのです。
今年の「桜祭り」では、3月20日〜4月27日の期間中、日米交流を深めるさまざまな行事が行われます。
地元のグレイ市長は「震災からの懸命な復興を続ける日本の方々に祈りをささげるとともに、日米友好の不朽の象徴である桜の美しさで首都を訪れる人を魅了したい」と語っています。
※参考:時事通信2012/03/02、時事通信2012/03/24
※画像は共同通信より
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被災地では昨年はお花見どころではなかった方が大半でしょう。
今年はどうかお花見を楽しまれて、少しでも元気を取り戻していただければと思います。
また被災しなかった地方の皆さんも、被災地への心情的な配慮からお花見を自粛された方が多かったようです。
今年は昨年の分も桜を愛でましょう。
もちろんお酒や食材はできるだけ東北産で!
復興の手助けをしましょう!(^o^)
※拙ブログ関連エントリー(ぼやきくっくり)
・09/3/21:桜と日本人の感性
・09/4/7付:さくらさくら今咲きほこる(写真と和歌)
※拙ブログ関連エントリー(お気楽くっくり)
・08/3/31:日本の春は格別だ
・08/4/6付:日本の春は格別だ その2
・08/4/17付:日本の春は格別だ その3
・10/4/3付:私の周りの桜たち
・11/4/9付:満開まで
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Comments
桜と言えば名曲「さくらさくら」。
震災直後、個人的に大好きなイタリア人ジャズピアニストのジォヴァンニ・ミラバッシ(Giovanni Mirabassi)が、日本のためにこの曲を寄せてます。
うっとりするような美しい演奏ですよ^^
http://www.youtube.com/watch?v=HIXHLN9vcWY
今回のような内容で、私が思い出すのは徒然草第137段「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。」で始まる一節です。たぶん高校の頃、問題集か何かで読んだんだと思いますが、それ以来すごく印象に残っています。今、中国との仕事をやっていますが、大部分の中国人には絶対分からない感覚だと思います。
西行の本(雑誌)を読んでいます。
私は
「願わくば 花の下にて 春死なん かの如月の 望月のころ」
という歌が大好きで、まさにこの通りに亡くなった西行を羨ましく思います。多分、日本人として、最高の死に方ではないでしょうか。(因みに西行は私の実家の近くで亡くなっています。)
で、
「世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」
ですが、高校生の時、文学部のクラブ紹介で、上の歌をひねって、
「世の中に 絶えて女の なかりせば 男の心は のどけからまし」
という歌が載っていました。
最近の草食男子はどうか知りませんが、若いころは肉食系だった私には、心にしみる一首でした。
(すいません、今も肉食系かも)
地元でもそろそろ城山こと松江城にも桜が舞い散る時期が近づいております。
ここ最近日本はもうだめだ・国外脱出ダー以外にも憎悪や対立を煽ることが大部分を占めているので上に書かれている桜の話を聞いていると少しでも心が安らぎます・・・
5キロじゃなく6キロだったんですが、”値段は据え置き” のようなのです。
もしかして、東北産ということで買い叩かれているんじゃないかと、少し心配になります。
谷川俊太郎の作だそうですが
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない
http://www.j-cast.com/2011/06/29099908.html
http://www.youtube.com/watch?v=8-g6Gna3uZw&feature=related
今年も桜は咲くんですね。復旧もままならない町で…
個人的には秋・冬厨なので、春の息吹・桜の艶やかさと過し易さ・楽しみの別れが交錯する、満開の桜の美しさと儚さをそれにかけて眺めています。
● ようつべ 〜 旅立ちの日に(08.12.12)
http://www.youtube.com/watch?v=57URIDLV0tA
● 〃 〜 flumpool 「証」 Music Video (Full Chorus ver.)(11.9.28)
http://www.youtube.com/watch?v=bjwv4m-Aji4
おっさん・おばさん世代は知らない曲ですけど、卒業・入学の時期ですし。
おっさん・おばさんは桜の下でドンチャン騒ぎですかね。ゴミは各自片付けて欲しいものです。
● togetter 〜 カンニング竹山氏の福島旅行と炎上 (12.2.24)
http://togetter.com/li/262811
● 〃 〜 【炎上】たむらけんじ氏vs脱原発派&反瓦礫受け入れ派、焼肉屋の営業妨害へ(12.2.29)
http://togetter.com/li/265213
無粋な輩達がいるようで。是非とも、民主党には政権政党としての責務を、確りと十二分に果たして欲しいものです。
民主党の政治生命を鑑みれば、復興の遅れはあってはならない事でしょう。
更に、瓦礫・原発・普天間・北のミサイル等々を鑑みれば、用済みの左翼を始末するのが宜しいでしょうな。
我が身第一の民主党にとっては、既に分かりきった事でしょうかね。
一日も早い復興を願っております。復興の為にも出来る事であれば、応援は惜しみませんぞ。
カイワレさん、私もご紹介の曲知りませんが、おっさん・おばさん世代は疲れてとてもドンチャン騒ぎは無理だと思いますよww。
かくいう私も上野の森で騒げたのは20代までで今はとても無理ですw。
最近は静かに近所の桜を見るのがとても好きです。今はまだ白梅・紅梅の時期なんですが、満開でとてもきれいなんですよ!
応援クリック。
この一言で私もツイ一言.
地球温暖化と騒いでいた方々はお元気?
北極の氷が解けると騒いだ方々もお元気?
今年は南極の氷も特に厚い様で.
取り敢えず.
http://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/tokusyu/2011/h240327_t.html
うれしいです。
桜の花を見ると、ただただ涙が出ます。喜びと悲しみ、両方を体現してくれる花ですね。
東北のみなさんに早く春が来ると良いですね。
万葉集読んでみようかなあ・・・と思います。
ドンチャン騒ぎは構いませんけど、後がゴミだらけってのがなんだかなあって思ってしまいます。瓦礫の受け入れは大半の国民が賛成な一方、こういう身近な事にも確りして欲しいものです。
曲は、卒業式にかかる曲で、10〜20代向けの曲です。
それと、オレンジさんの事は、最初は20代の方かなと思っていましたw