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護憲派共感?!「サイボーグ009」第16話“太平洋の亡霊”

 先日、ひょんなことから、色んな意味でとても興味深い動画を見つけました。

110912-009taiheiyou.jpg
 
 「サイボーグ009」(1968年版)第16話「太平洋の亡霊」です。

 Cyborg 009 16-1
 http://www.youtube.com/watch?v=Itob3D2_vLg(削除済)
 Cyborg 009 16-2
 http://www.youtube.com/watch?v=-IABCcwTmCE
 Cyborg 009 16-3
 http://www.youtube.com/watch?v=rxOKZ2z8tiY

 特に護憲派の方々が共感を覚える内容ではないかと思います。

 最初のパートはすでに削除されているのですが、問題のシーン(原爆死没者慰霊碑の碑文や憲法9条の条文が流れる)は2つめのパート(16-2)の8:00あたりからなので、概略をつかむのにさほど支障はないと思います。

 ちなみに最初に書いた「ひょんなこと」っていうのは……

 先日、自宅の本棚を整理していたら、こんな古い文庫本が出てきましてね。

110912-009bunko.jpg

 【懐かしのTVアニメ ベストエピソード99】
 (東映動画 編)二見文庫 1995/10/25初版発行

 1960年代、70年代の懐かしいアニメが紹介されている本です。

 それをなにげにパラパラ見てたんですね。
 そしたらいきなり「憲法第九条」って文字が目に飛び込んできまして。

 以下、その項目を全文引用。


【第7章 やっぱり忘れられない、心に残る異色テーマ

 エピソード77:蘇ったゼロ戦と「009」と憲法第九条

 ★「サイボーグ009」#16「太平洋の亡霊」
   脚本/辻真先・演出/芹川有吾 1968年7月12日放送


 原作から数回にわたるアニメ化作品まで、一貫して『009』に流れる最大のテーマは「反戦」である。戦うことだけを目的に人間でなくされた00ナンバーのサイボーグたちは、唯一の平和の守りとして巨悪に立ち向かい、人が心を捨てて戦うことの愚かさと、自己犠牲の尊さを伝えてくれる。

 そうした『009』作品中でも、最もストレートに反戦テーマを打ち出したエピソードが、本作「太平洋の亡霊」である。

 物語は、太平洋戦争で息子を亡くした平博士が、戦争の教訓を忘れ、軍拡にうつつを抜かす世界への復讐を目的に、理念を実体化させることのできる装置を使って旧連合艦隊を現代に蘇らせるというもの。

 日常に突如として現れる非日常が戦争であるならば、本作品の平博士は個人的な私怨から、戦争の教訓を忘れた平和ボケの世界に戦争の悪夢を現出させる神になるという自己矛盾を演じてしまう。終戦記念日の一月前という放映時期もあり、当時のインパクトは相当なものだっただろう。作品内でこれほどストレートにこの問題を扱うことのできない現在の視点から観たとき、本作品のテーマはいっそう鮮烈なものになる。

 脚本を執筆したのは、例によって辻真先。氏は左のように語っている。

 「SF的なプロットは無茶苦茶でしたが、都築道夫さんの小説……『いじわるな花束』だったと思います……精神から物質を作り上げるというアイデアがありまして、それで強引にというか、正面きって徹底してやったわけです」

 平博士は、戦争で尊い命を失った人々の霊に報いるためには、絶対に再び戦争を起こさないという決意以外にないと語る。が、相変わらず世界は軍備拡張にうつつを抜かし、あまつさえ唯一の被爆国、日本にさえも軍需で私腹を肥やす企業が存在する。博士にはそれが我慢できなかったのだ。ドクロ化した英霊を乗せたゼロ戦は、俺たちの死は無駄だったのか、とかつての戦友が乗る自衛隊機を撃墜し、ビキニの水爆実験の目標として使われた悲劇の戦艦・長門は、放射能を発散させながらサンフランシスコを目指す。

 平博士と009たちの会話シーンには、広島の慰霊碑の全景と、碑文「安らかにお眠り下さい、過ちは決して繰り返しませぬから」のイメージ・ショットが挿入され、スーパーで重ねられた戦争を否定する日本国第九条の文面がスクロールしていく。もちろん、バックは小杉太一郎による劇場版『009』の感動的なあのコーラス曲だ。

 憲法の文面を画面に出す趣向については、辻は脚本に書きながらも無理だろうと思っていたとか。思い入れたっぷりなこのシーンの演出は、おなじ戦中派の芹川有吾と意気投合した結果のようだ。旧日本軍の亡霊の復活から瓦礫に還るくだりまで、一貫してムソルグスキーの「禿山の一夜」が効果的に用いられているが、この選曲も芹川によるものという。

 「当時、某県の教育委員会の方から、猖獗(しょうけつ)を極めるアニメは子供たちに悪影響を与えるという文句がきました。そこで、岩波かどこかへこのフィルムをもっていき、上映と公開討論をやった覚えがあります」(辻真先/談)

 時代のうねりに翻弄され、戦場に駆り出されて若い命を散らした全世界の方々。その無念の思いに応えるには恒久平和の実現以外にないとのテーマは重い。映像技術における幾多の反戦物に比肩する傑作である。】 



 私はこれを読んで、「もしかしたら009のこの回、ネットに動画があるかも?」と思い立ち、探し出したのが、今日最初に紹介した動画というわけです。

 脚本の辻真先さんは1932年3月23日生まれ。
 演出の芹川有吾さんは1931年6月20日生まれ。
 ともに少国民世代ですね。うーーむ(--)

 1968年7月といえば、私はまだ3歳。本放送はもちろん観た記憶がありません。
 再放送も観た記憶がありません。てか「009」旧作版自体、これまで一度も観たことがありませんでした。

 でも当時これを観た子供たちは、確かに衝撃を受けたでしょうね。

 もしビデオが普及していた時代だったら、日教組の先生あたりがこの回をビデオに録画し、学校の授業などで子供たちに見せていたかも?!

 てか、今現在、学校で見せている可能性もなきにしもあらずだと思います。

 というのは、この「009」旧作版、これまでに何度かビデオやDVDで発売されているからです(アマゾンで現在入手可能なのは2009年発売バージョン)。

 学校関係で上映されたという情報は見つけることができませんでしたが、「映画人九条の会」という団体が2008年6月のイベントで上映会を催したとのことです。

 とにかく、護憲派や反戦平和主義者を自称する方々にとって、この「太平洋の亡霊」の回はグッドジョブらしく、ネットで検索すると、ブログでストーリーを紹介されている方や感想を書かれている方をたくさん見つけることができます。

 ここではいちいち紹介はしませんが、興味のある方は探してみて下さい。

 一言だけ、ガッチガチの護憲派の方に私が言いたいのは、「守るべきは『憲法9条』ではなく『平和』なのでは?」
 もっと厳密には、「平和」=「平和を維持するための秩序」といったところでしょうか。


 以下はおまけの話。

 アニメと憲法と言えば、数年前、個人的にこんな出来事がありました。

 大学の時の同級生(男子)と某SNSで偶然再会し、何度かやりとりした時のことです。

 お互い昔からアニメが好きだったので、その方面の話で大いに盛り上がったんですが、やりとりを重ねるうち、だんだんと何か様子がおかしいというか、話が噛み合わなくなってきました。

 そしたら何度目かのやりとりで、非常に分かりやす〜いメッセージが彼から届きました。
 
  「動画サイトで宇宙戦艦ヤマト3を観たけど、
   高度な科学文明を誇ったシャルバート星が武器を捨てて、
   恒久平和の為には例え侵略されても、
   武器は使わないというメッセージが込められていました。
   戦いの果てに平和はないと。
   これって、憲法第9条そのものちゃうん?
   って思い、感動しました


 だめ押しは、彼が勤め先の会社で労働組合の幹部をやっていたと知った時。
 大学時代からそういう傾向が多少はある人でしたが、「あー、完全にそういう方面に行っちゃったのね」とガックリ来ました。

 ま、向こうは向こうで、私に対してはやはりガックリ来たと思いますけどね。
 特に政治とかに興味があるわけでもなく、あえて言えば「やや左」だった私が(もっとも当時(1980年代前半)の大学生は圧倒的多数が「やや左」でしたが)、保守系のブログを運営していると知り、たいそう驚いた様子でしたから。

 「くっくりちゃんのブログってどこ?」と聞かれましたが、ここのURLは彼には一切教えませんでした。
 来ていただいてもお互い気まずくなるだけだと思いましたから(^^ゞ


 最後にこれまたおまけですが……、2005年8月16日付産経新聞に掲載された小野田寛郎さん×櫻井よしこさんの対談より、小野田さんの言葉です。

 「戦争の悲惨さは伝えなければいけませんが、ただそれだけでは十分ではないと思います。戦争とは悲惨なものである。じゃあ、戦争しないためにはどこまで我慢できるか。その我慢が切れたら結局、戦争になってしまうのです。そんなことも考えずに平和、平和っていいますが、そういう人たちは平和を守ることのつらさを真剣に考えてくれているのかな、と思ってしまいます

 「わがまま一方のことを言ってる人が多い。街に防犯カメラをつけるといえばプライバシーの侵害だという。だったら、空き巣に入ってもらえばいいのに、空き巣もいやだという。考えていることや、やっていることが矛盾しています。それでいて、その矛盾に気が付かない。自分がおとなしくして、事を荒立てなければすべてが安全、平和にいくんだと誤解しているんですよ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※拙ブログ関連エントリー(憲法9条関連文字起こし)
07/8/18付:「日本の、これから」憲法9条 小林よしのりさん他出演
09/5/4付:「たかじんのそこまで言って委員会」憲法SP安倍さん出演
10/3/13付:「日本の、これから」日米同盟 櫻井よしこさんとプロ市民


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Comments

くっくりさんの同級生には悪いのですが、「戦いの果てに平和はない」は極めて敗戦国的な感覚だと思います。
もちろん核戦争など、戦いのレベルでも違うと思いますが。

戦いに勝った連合国側は「戦って平和(或いは正義)を勝ち取った」でしょうからね。

それに武器を捨て、戦いを捨て、みんなで仲良くしようとしたとしても、そのすきを縫い、或いはそれを好機と見て、自己の思惑を成し遂げようと武力を使う者がいるでしょうし。
すぷー | 2011/09/12 10:06 PM
フェミマンガを叩いておられるウイスパーボイスさんが、この太平洋の亡霊を大層褒めておられたように思います。(間違っていたらすみません。)
彼は憲法問題についてはどう思っているのでしょう。
フェミニズムさえなくなれば平和憲法は問題ないのでしょうか?

でも川内康範さんも、ある時までは熱烈な憲法9条論者でしたから、昭和40年代まであれにかぶれたのは仕方が無いのかもしれませんね。
八目山人 | 2011/09/12 10:51 PM
シャルバートの話は、結局、理想的9条国家を実現するためには、究極の鎖国、存在を完全に消し去らねばならない、ということだと思いましたがね。見つかったが最後、滅びると。
捜さないように、伝説でさえも残さずに。
Γ8 | 2011/09/13 12:01 AM
憲法九条厳守のチラシを配る共産党運動員に「自宅住所,教えろ。知合いの中国人を行かすから憲法九条精神で対応して見せろ」と言ったら,硬直してしまった。(笑)
アホは想像力無いないから,現実問題として提示してやりました。
ギロチン | 2011/09/13 12:17 AM
実社会、現実社会の厳しさや暗部をまだ理解する必要のない「幼い子供」に
言うようなことを「責任ある大人」に対して主張し、強いるのが九条教。

大人は自分の署名一つ、投票一つ、判断一つで
自分、家族、勤め先、社会…と様々な影響を与えてしまう。
責任も持たなければならない。更に社会は複雑に絡み合い、均衡を保っている。



たとえば電力発電所が他国に攻撃されれば、当然ながら作業員に死者が出る。
しかし、影響はそれだけでなく電力が供給されなければ
企業や工場が稼働できなくなったり企業の食料庫が維持できなくなったりする。

そうなると、必然的に国民に水や食料が手に入らなくなって社会は崩壊し、多くの死者が出る。
もちろん、日本という国自体が貧しくなり、貧民や困窮者で溢れかえる。
だからこそ、時には攻撃を受ける前の先制攻撃という手段も必要になってくる。



結局、九条教は複雑に絡み合った社会構造に疎く、想像力の乏しい人間の宗教
だとしか思えない。
pppp | 2011/09/13 01:28 AM
戦争の反対は?と聞くと何と答えますか。
多くの人は平和と答えるかも知れません。
平和とは状態を表してます。平和状態の反対は無秩序な「動乱状態」です。
戦争とは国家間の問題を解決する方法の一つなので反対は、「外交」です。
井沢元彦氏の説明だったと思います。国家を無くせば戦争が無くなるのでしょうか?動乱の世になるのは明白でしょう。9条を信じるのは日本語が判らないか、日本解体を考える輩だと思います。
CMOS | 2011/09/13 07:11 AM
新009のオープニングは原作の石ノ森章太郎氏の作詞。

九人の戦鬼と ひとのいう
だが我々は 愛のため
戦い忘れた ひとのため

そして曲名は「誰がために」。

“原作から数回にわたるアニメ化作品まで、一貫して『009』に流れる最大のテーマは「反戦」である。”
少なくとも、原作者は争いを一切放棄すればOKなどという簡単な「反戦」なるものを想定してはいなかったのでしょうね。
そうでなければ「平和のための戦い」など矛盾そのものだし、サイボーグ戦士たちがいなければ、世の中は平和にならなきゃいけないはずだし。

抜かずの剣をもつことと、丸腰になることはまるで違う。
武術を収めた人間と、運動に縁がなかった人間。争いを起こすのは常に前者であるとするのは短絡である。
大人ならわかること。

少しだけ同情的に見るならば、終戦から20年足らずの放送時は、世の中を動かしている人たちの殆どが戦争経験者。理性ではなく、感覚的に「戦争は嫌」であっても仕方がない部分はあったと思います。
ただ、現代において、これを祭り上げるのであれば、「考えなし」と判断して良いのではないでしょうか。
TM | 2011/09/13 09:23 AM
こういう九条教や全ての武器を放棄して〜ということ言ったり書いたり人を見るたびに思うのは、今自分たちが生活で使っている日用品は軍事技術から転用ということを知っているのだろうか?と。

そしてもう一つ九条教の人は偽善かつ冷酷ということです。事なかれ主義・社会悪に目をつぶり長いものに巻かれろだったり好戦的な所も滲み出ていますから(あの九条ナイフの事件とか)。

>うぃすぱー・ぼいす
このブログは自分も以前アクセスして見ていましたがあまりの極論ぶりに数日で見るのをやめました(書いている方は子持ちのようですが子供の将来が心配です、こんな極論の親に育てられたらグレる確率が高くなるんじゃないか?と)
このブログは保守系を装った工作員のブログじゃないのか?と疑っています・・。
無所属廃人 | 2011/09/13 11:10 AM
以前自衛隊の幹部の人と話をした時に、何が大変かというと、日本は何かあればいきなり本土決戦だからねといわれてました。
いきなり本土決戦は確かに辛い。
panme | 2011/09/13 11:19 AM
たかじんの番組で、女性ゲストが「日本が侵攻されても話し合いを」といったような主張をされていた時に、「あなたは銃をもった泥棒に『お前が撃つんならこっちは話し合うぞ!』と言って相手が引くと思うか?」という内容の反論をされていたのを思い出しました。

私自身たっぷりと反戦教育を受けた世代ですので、子供のころは「戦争=自衛隊=いけないもの」
みたいな感覚を持ってましたが、大人になって考えてみると、(特に近隣諸国の性質を考えても)国を守るための武力は必要だと思うようになりました。
sahala | 2011/09/13 01:08 PM
宇宙戦艦ヤマトに思い入れのある世代として、あのシャルバート星には随分疑問を感じた事を覚えています。

作品の中の些細な矛盾点は、シャルバート星は戦いをやめたというのに、膨大な武器を破棄せず封印しているだけというもの。
まぁ、その武器の中の一つで地球が救われるので、物語を構成する為のダブスタなのでしょうがw
そもそも、その武器を狙ってくる者たちから隠す為に星そのものを隠してしまっているのですが、それなら武器を破棄してしまえばいいじゃないかと思えます。

あとは、襲来した敵兵に対してシャルバートの長老は「やめなされ!」というだけで民を守る戦いをしなかった。これって重要なことですよ。
無防備を貫くという事は、目の前で家族が蹂躙され殺されても、ただ黙って見ているか、見殺しにして自分は逃げるという事です。

非暴力非武装を掲げる平和論者は、強盗の被害に遭っても絶対に警察には届けないのでしょうね?w
だって、強盗に対する防衛力(武力)になるんですから。
斜陽 | 2011/09/13 01:21 PM
いつも書き起こしを読ませていただいています。

例えとしては良くありませんが、私たちは日常生活において武器も持たず、当然、他者に危害を加えようなんて考えることもなく過ごしていますが、それでも暴漢に襲われるという事件は後を絶ちません。
(だからと言って日常で武器を携帯することを勧めているわけではないですよ、当たり前ですけど)


戦争というのは仕掛けることで起きるだけではなく、仕掛けられても起きてしまうものです。
武力がなければ戦争を起こすことはできませんが、起こされる可能性は否定することはできません。
戦争を起こさない為には内政努力が、起こさせないためには外交努力が必要ですが、それら裏づけ(経済力然り、軍事力然り)があってこそできるものですから、非武装で両手を挙げているからといって、攻撃されないとは限りません。


戦争の悲惨さや平和の重要性については伝えていかなくてはならないことだと思いますが、護憲派の人たちは本当に平和を訴えるのなら、日本だけでなく、日本周辺の国家に対しても憲法9条を受入れるよう訴えかけなくてはならないと思います。
しかしながら、護憲派の人たちのそのような活動については聞いたことがありません。


護憲信者とでもいうのでしょうか、護憲派の人たちは”日本が(侵略)戦争を起こさせないことだけ”に固執しており、攻め込まれることなんて微塵も考えていないんでしょうね。

本当に憲法9条を実現するには、Γ8さんの書き込みにあるように鎖国するしか手は無いんでしょう。
ぎゅうぎゅう | 2011/09/13 01:38 PM
皆さん、コメントありがとうございます。いつも個別にレスを差し上げられず申し訳ありません。
いただいたコメント、大変参考にさせていただいています。私は「ヤマト3」は観ていないので、そのあたり特に。


sahalaさん:
たかじんの番組のそのやりとり、もしかしたら田母神さんが出演された回かも?
手前味噌ですみませんが拙ブログの過去記事より。


2008/11/30放送「たかじんのそこまで言って委員会」
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid588.html

>原和美さんにはほんとにイライラしました。
>「もし他国やテロリストに攻撃されたらどうするのか?」という質問には、「攻撃されないようにするためにどうするか考える」とかそんな回答ばかりで、もう全然ダメ。そのへんやっぱり社会党(社民党)と同じですね。

>井上和彦さんがそんな原さんにキレちゃって、「何をバカなことを言ってる。だから日本はダメ。外交交渉というのは、後ろに軍事力が要る。軍事力をもって『おまえら言うこと聞かなかったらミサイルぶち込むぞ!』と。ところが日本は何かというと、あなたみたいな人が『話し合い』という武器を持ってるんですよ。で、『おまえら言うこと聞かなかったら話し合うぞ!』と言うんですよ。そんなもんバカにされますよ」。
>この発言にはもう会場全体、大ウケでした(≧∇≦)

>原和美さんはさらに、「イラクのフセイン政権が核ミサイルを持ってたらアメリカは攻撃したか?」って質問にもトンチンカンな返事をするばっかりで、全然話が前に進まなかった。辛坊さんが2回も3回も同じ質問くり返して、全員もうあきれ返ったという(^_^;
>あと、この人、「政治は理想」とか言って、「政治はリアリズムでないと困る」ってツッコミも入れられてました。
くっくり | 2011/09/13 03:04 PM
たしかガルマンガミラス帝国とボラー連邦という二大列強が植民地政策をとるにあたり、苛烈な搾取を行ったからその反発で生まれたマザーシャルバートという宗教だったと思います。

一応、デスラー総統に影響を与えて、その後の統治が緩やかになったという話だったかと。
まぁ、その続編で帝国は天変地異であっさり滅んだというオチがつきますが(笑

個人的には、シャルバートは行きすぎた平和主義は何も生み出さない、という教訓話だったと思います。
無抵抗が通用するのは、無抵抗であることに少なくなくても呵責を覚える相手に限ります。
奪わねば明日が無いタイプとか、ヒャッハーな連中にそんな善意を期待する方が間違ってます。


原爆死没者慰霊碑に刻まれてる「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」という言葉は大変重い言葉だと思います。

国土に核兵器を使わせたこと、これは大きな過ちです。
使った側により大きな責任があるのはもちろんですが、使う隙を与えないのは、今を生きる私達日本人の使命だとも思います。
もふ | 2011/09/13 03:05 PM
はじめまして。
私も、反戦教育を受けた一人です。
小中学の時代に、憲法第9条は世界に誇れる日本の憲法と教わりました。
高校の日本史の授業のときですが、
「世界で軍隊のない国なんて日本だけだよ。永世中立国のスイスにだって軍隊はある」
と、第9条を否定するようなことを先生が言ったんです。
私は、え?と思いました。
知らなかったんです。スイスが自国の中立と平和を守るために強大な軍事力をもってることを。
(現在のスイスが完全に中立を保ってるかどうかってのは、また別の問題として)

戦争はイヤです。絶対、イヤです。世界中から戦争がなくなって欲しい。
すべての国が武力をもたなければいい。そしたら、戦争は起こらない。
けれど、それは理想でしかありません。
自分を、自分の家族を、自分の国を守るには、やはり力が必要だと思います。
めい | 2011/09/13 04:28 PM
くっくりさん、こんばんは〜

panmeさんが言われる通り、「専守防衛とは本土決戦である。」という事実と、その意味するところは「ある者は血を流して戦い、ある者はこの狭い国土を逃げまどう。」という意味を理解しないと、本質的な防衛議論は不可能ではないでしょうか?

確かに日本は1945年、連合国に降伏し、数年間の占領期間を経験しましたが、その期間、極めて例外的にGHQは日本人の生命、財産、ある程度の政治的、思想、言論の自由を認めました。

この歴史上まれにみる寛大な占領の経験が、知識人が良く言う「戦争になれば占領されればいい」という、大甘な狂気の沙汰の様な発言に繋がっているような気がします。(カルタゴは焼き払われ、国土には塩を撒かれました。)

話は代わり、ちなみにですが、ロシア海軍の艦艇が多数、宗谷海峡を通過しましたが、その大半(或いは全部?)が1980年代かそれ以前の設計、建造であり、またその多くが小型艦艇です。いわば「ボロ船の大名行列」程度ですので、大騒ぎするほどの事では御座いません。(船の数よりもその政治的に意図するところの方が重要かと。)
腰抜け外務省 | 2011/09/13 06:55 PM
英霊が出てきて父親を説得するのはいいけど
いくらなんでも「パパ」はないだろ「パパ」は(´・ω・`)ショボーン
辻真先自身が戦前から「パパ」派だったとかそういうこと?
w | 2011/09/13 07:26 PM
よく戦中、戦後のドラマを見ていると、日本敗戦のニュースを聞いた直後に「戦争が終わってよかったね」とか「これで日本も平和になるね」と登場人物が話すシーンを見かけます。
これっておかしくないですか?結果としてたまたまGHQが寛容な処置をしたからよかったものの(それでも強姦や殺人被害はありましたが)、占領者が中国人やロシア人、韓国人だったらどうなっていたでしょう。朝鮮進駐軍の話もありますし。
「戦争が終わってよかったね」なんて呑気なセリフ言ってるヒマなんかなかったと思いますよ。

…と戦争を知らない人間は推測するのですが、実際のところどうだったんでしょうね。戦争の現実ってそんなに甘いものではないはずなのですが。
ener | 2011/09/14 01:16 AM
結局は「戦争」と言うものについての教育が欠落している為かと。
ま、戦争についての教育と言うと、決まって「センソウハンターイ」とか「グンカノオトガー」とか壊れたスピーカーが五月蝿く鳴り出すのが一番の癌なわけですがね……。

さて、こんな言葉が有ります。
「貴方が天国への道を求めるならば、先ず地獄への道を熟知せよ」と。

地獄への道を熟知すると言う事は、「それを選ばない」選択肢がとれるようになると言うことに他なりません。

戦争についても同じ事が言えるでしょう。
「戦争を知る」と言う事は「戦争を回避する手段を探る事が出来る」のです。
戦争を知らなければ、戦争を避ける手段を模索する事はできません。何故なら戦争と言うものが何かを知らない為です。
そして往々にして、平和主義者はこの部分が欠けています。
「平和主義者(パシフィスト)こそが戦争を引き起こす」と言われる所以ですね。

しかしながら、残念な事に世界と言うのは十全でも何でもないわけであって。
自分が幾ら注意していて、完全に地獄への道を避けていたとしても、自分ではない他の誰かが、「貴方を地獄への道に誘う」ミス(時にミスではなく故意かもしれませんが)を犯してしまうと言う事もまた普通に起こる事なのですが……。
crow | 2011/09/14 02:31 AM
同じアニメでもこんなアニメもありました。
今なら放送できないかもね。

第16話「キャシャーン無用の街」。
破竹の勢いで進撃するアンドロ軍団は、巨大な武器製造工場のあるブッキー市を次の攻略目標に定め、その隣町のハテナイ市を駐屯地にすることを決定した。それを聞いたハテナイ市では緊急会議が開かれたが、ここでは逃げるか戦うかの議論は起こらなかった。
というのもハテナイ市の市長は絶対平和主義者であって、彼の一存でハテナイ市の降伏は最初から決定していたからだ。

「いくさによって、この街が破壊されるのを望みません。同時にまた、戦いによって私たちの尊い命が失われるのを望みません。例え戦っても勝てる相手ではないのです。みなさん、私たちは軍団に服従するしかない。人間としての誇りさえ捨てれば平和が約束される。恥がなんです! 人間の命ほど、大切なものはないのです」

議会は満場一致で市長を支持し、市民にはアンドロ軍団への絶対服従が通達された。
キャシャーンは議員たちに抗戦を訴えるが、迷惑だから出て行けと街を追い出されてしまう。
やがてブライキングボスが直々に率いる本隊がハテナイ市に入ってくると、街頭スピーカーからはこんなアナウンスが流れる。
「アンドロ軍団のみなさま、ようこそこのハテナイ市に。私たちは今日からロボットの皆様の手足となり、何事にも耐え、よろこんで服従を誓います」

市長以下の議員は公邸に集められると、さっそく服従の証しとして四つん這いにさせられ、その上にロボットたちが腰をかけた。人々はロボット工場に集められると、奴隷のようにムチで打たれての強制労働だ。
ブライキングボスは大笑いする。
「わはは、このようにして守るほど、平和とはありがたいものかな」

沈鬱な調子のナレーションが入る。
「人間がこころを捨て、ロボットに服従したとき、人間はもはや人間ではなく、一個の機械となった・・・」

大通りでは犬のように首輪でつながれた人間が、ロボットに散歩させられていた。
しかしキャシャーンが危惧したとおり、人間の忍耐にも限界があった。犬コロ扱いされた男は発狂してロボットに反撃を試み、惨殺された。それをきっかけとして、ついに人々の反乱が始まった。
抗戦を叫ぶ人々が市長の邸宅を包囲して、投石を始めた。

そんな騒ぎを収拾しようと、ブライキングボスは市長に、市内に潜入しているキャシャーンの殺害を命じる。
絶対平和主義者を自認する市長はいったんは銃口を向けたものの、「戦いは好まん」と言ってキャシャーンを逃がす。ところがその様子をブライキングボスに取り入ろうと目論んでいた議員の一人に目撃され、密告されてしまう。

キャシャーンはハテナイ市を諦めてブッキー市に移動しようとしていたが、そこへ瀕死のハテナイ市民が救援を求めてやってくる。キャシャーンが街に戻ってみると、すでに市民は全員虐殺され、廃墟だけが広がっていた。ロボットにリンチを受けて息も絶え絶えになった市長は、街を見渡して言う。
「これが・・・私のつくった平和か・・・」
しかし、市長は最後まで「自分が正しいと思っている」と言いながら死んでいくのだった・・・。
panme | 2011/09/14 02:32 AM
腰抜け外務省さんの書き込みをみて思ったんですが。
なぜ、戦争をしてはいけないのか。

もちろん、戦場になった場所でたくさんの被害がでるからなんですが、それ以外に負けたら何もかも失うかもしれないからなんですね。

特に国家間で行う存亡をかけた戦いになると、負けた側は何をされても文句を言うことが出来ない。
思うに、戦後間もない朝鮮のクズども非道な振る舞いは、戦勝国の人間(では、ヤツラはありませんが。)がとる態度としては普通なのかもしれません。
だから、普通は負けた側が臥薪嘗胆の想いで復讐するというのが歴史が繰り返してきた経緯ではないかと。

つまり、戦争をするということは負けたら何をされても文句は言えない。
悔しかったら次の戦争で勝つしかない。
そうして、次から次へと戦争が起きてしまうから、戦争はしてはならない。
と言えるんじゃないでしょうか。

まぁ、せっかく日本は寛大な戦後を迎えて次の戦争へと連鎖しそうにないにも関わらず、勝手に尊大になって敵愾心をあおっている馬鹿な国がありますけど・・・

問題なのは尊大な態度を許させている今のが、我が国の国民によって選ばれた政党であることは、正直笑えないんですが。
もふ | 2011/09/14 09:57 AM
いつも拝見しています。

平和の定義については井沢さんの説明を引用されている方が居られましたね。小林よしのり氏の本でも紹介されていたような気がします。

西部邁氏の解説では平和というのは、パクスが語源で、パクス・ロマーナという有名な言葉がありますね。
つまり強者に平定されている状態。これが平和ということです。そのあたり考えてみると、今の日本人そのもののような気がします(つまり植民地の民の発想)。

色々な記録によると、アメリカに直接占領されていた時代は、敗戦民ということで警察でもアメリカ軍人には手が出せませんでした。女性は昼間から強姦されてしまうのは日常的でしたし、男はからかわれても文句も言えない状態でした。加えて思想的な洗脳もあり、最終的に代表的な日本人として鳩山首相だったり菅首相だったりがでてきたんですね。
政治家、官僚の覚醒と教育の改善なくして好転はないと思います。
じいさん | 2011/09/14 01:23 PM
>もふさん

現代では相手が国際法に違反していれば文句を言うことはできますよ。
国内法みたいに順調に司法手続きが進む…というわけでもないでしょうが。

というか大戦後の時代でも言うことは出来たのです。
実際、アメリカの占領政策がポツダム条約違反であると訴えた外務官僚がいました。
まあその人はGHQにより左遷されましたが。
ドイツと違い、日本の場合は条約による停戦で、立場は連合国と対等だったので、それでも言い続ければよかったのかもしれません。

強く言えなかった、又は言わなかった理由は…
私ははっきりとした答えを持っているわけではありませんが、終戦の詔書や、「負けたのに文句を言うのは負け犬の遠吠えで見っともない」という古来からの考えや、アメリカの占領政策の上手さというのがあるのでしょうかね。
すぷー | 2011/09/14 03:56 PM
ヤマト3のシャルバートの扱いについては、放送期間短縮の影響もあるのでは無いのでしょうか。
ヤマトは初回もそうですが本来4クール予定が裏番組が強くて2クールで打ちきりですので。それで矛盾が出ているのかも。後ガルマン・ガミラス帝国が滅亡したのはアクエリアスの影響では無かったでしょうか。
星屑倶楽部 | 2011/09/14 11:43 PM
新造人間キャシャーン 第14話 キャシャーン無用の街
http://www.veoh.com/watch/v19147992MFksBKc2

無防備都市宣言を予言するかのような内容になっており
でてくる台詞の一つ一つが、今現在の推進派や反対派が言う言葉と重なります。

こういった話は、この世代の人にしか発想も想像もできないものなのかもしれません。
| 2011/09/15 10:01 AM
すぷーさん

御指摘、ありがとうございます。

>現代では相手が国際法に違反していれば文句を言うことはできますよ。
そうですね、国際関係が前大戦よりは大事に扱われているし、声を上げることはかのうです。

侵略者たち聞いてくれるかどうかは分かりませんが(w;

同僚たちと話すると、戦争や侵略されるという類の話になると
「何言ってんのオマエ?」とか「軍ヲタがまたはじめた」って感じになります。
思うに戦争とか領土に興味がないんじゃないかと感じます。

それでも民主党がダメだとか、政治の話はできるようになりましたから、マシにはなってきたと思うんですが・・・
もふ | 2011/09/15 08:08 PM
更新乙です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/無防備都市宣言

関連項目に「キャシャーン無用の街」がエントリーされてます。

一時期地方でブームになりつつあった?無防備都市宣言も、いまや社民党以外は「反対」だそうで。
無頼 | 2011/09/16 04:51 AM

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