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【過去】「日本共産党史」から消された「朝鮮総連」結成秘話
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今回は過去記事再掲で失礼します<(_ _)>
週刊新潮2005年6月2日号掲載【「日本共産党史」から消された「朝鮮総連」結成秘話】という記事です。
拙ブログではその2年後、2007年6月5日に紹介しました。
再掲しようと考えたきっかけは、先日、ネットで注目されたこの記事でした。
■「徴用工」の賃金は共産党に流れていた(デイリー新潮 12/1(土) 7:31配信)
yahoo!ニュースがリンク切れの場合は、以下にコピペがあります。
(1)(2)(3)
ここで取り上げられているのは、2004年に刊行された金賛汀氏の著書『朝鮮総連』の記述。
11月28日の「虎ノ門ニュース」で上念司さんが紹介したことで、注目を集めました(番組音声はこちら)。
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今回は過去記事再掲で失礼します<(_ _)>
週刊新潮2005年6月2日号掲載【「日本共産党史」から消された「朝鮮総連」結成秘話】という記事です。
拙ブログではその2年後、2007年6月5日に紹介しました。
再掲しようと考えたきっかけは、先日、ネットで注目されたこの記事でした。
■「徴用工」の賃金は共産党に流れていた(デイリー新潮 12/1(土) 7:31配信)
yahoo!ニュースがリンク切れの場合は、以下にコピペがあります。
(1)(2)(3)
ここで取り上げられているのは、2004年に刊行された金賛汀氏の著書『朝鮮総連』の記述。
11月28日の「虎ノ門ニュース」で上念司さんが紹介したことで、注目を集めました(番組音声はこちら)。
デイリー新潮の記事からその部分を引用すると…
【注目を集めているのは、戦後間もない時期の朝鮮総連の活動資金に関する次のような記述だ。
「最大の財源になったのは帰還していく強制労働者の未払い賃金等であった。1946年末までに朝連中央労働部長名で強制連行者を雇用していた日本の各企業に未払い賃金の請求が出された。
その請求額は4366万円に達し、朝連はかなりの金額を企業から徴収し、それらのほとんどは強制連行者の手には渡らず朝連の活動資金に廻された」
当時の4366万円がどれほどの大金かは言うまでもないだろう。少なく見積もっても現在の価値に換算すれば数十億円になるのは間違いない。
そして同書はこの莫大な金の行先について驚くべき指摘をしている。
「これらの豊富な資金は日本共産党再建資金としても使用された。1945年10月10日、連合国最高司令官・米国太平洋陸軍司令官総司令部(GHQ)は府中刑務所に収容されていた徳田球一、金天海ら16名の共産主義者などを釈放した。彼らを府中刑務所門前で出迎えたのは日本の各地からトラックに分乗して集まってきた数百人の朝鮮人だった」
釈放された徳田らは、すぐに日本共産党再建委員会を組織して、7人の中央委員を選出した。
「こうして日本共産党は活動を再開したが、金天海が中央委員に選出されたこともあって、日本共産党再建初期の活動資金のほとんどは朝連が拠出した。こうして朝連と日本共産党の強い結びつきが成り立ったのであった」
まとめると、朝鮮総連が企業から金を徴収し、それを日本共産党に献金した、という具合に金が流れたのだ、と金氏は指摘している】
私はこれを読んで、週刊新潮2005年6月2日号【「日本共産党史」から消された「朝鮮総連」結成秘話】を思い出したというわけです。
戦後の日本共産党の再建資金のほとんどを当時の在日組織である朝連(在日本朝鮮人同盟)が提供するなど、日本共産党における朝鮮人の役割は大変大きかったという内容で、「強制労働者の未払い賃金」への言及こそありませんが、戦前から戦後にかけての日本共産党と朝鮮人の密接な関係を知ることができます。
そして日本共産党が自らの過去に目を閉ざしていることも。
ということで、ここからが拙ブログ2007年6月5日の再掲となります。
過去記事ここから________________________________
拙ブログの読者さんから「朝鮮総連と日本共産党の関わりについて書かれた記事が載っている少し前の週刊新潮(05年6月2日号)を持っているんですが、くっくりさん、活用されませんか?」というお申し出があり、雑誌の現物をこちらにお送りいただきました。
今日はその記事を起こします。
朝鮮総連(在日朝鮮人)と日本共産党の関わりついては、「マンガ嫌韓流」でも少し描かれましたし、大枠はご存知の方も多いと思いますが、細かいこととなると「ハテ?」……。
そういう方(私もそうですが(^^ゞ)は、是非お読み下さい。
※赤字強調は引用者によります。
私は残念ながら筆者の林玲氏のことを知りません。
ネットで検索したところ、特ア関連で若干お名前は挙がってくるんですが、経歴などは挙がってきませんでした。
新進のジャーナリストさんなのでしょうか?
あるいは内容が内容なので、普段とは別のお名前を使われてるとか、そういうことなのでしょうか?
※拙ブログ関連エントリー
・4/16付:2年前の「新潮」 国益より池田大作
同じく週刊新潮05年6月2日号から起こした記事です。
________________________________ 過去記事ここまで
冒頭の2018年12月1日デイリー新潮記事に対し、ネットでは、「共産党が『元徴用工』にお金払ってあげればいいのに。弱者の味方なんでしょ?」といった意見が噴出しました。
私もこの記事が真実なら(金賛汀氏の「朝鮮総連」の記述が真実なら)払ってあげれば?と思います。
ただ、共産党は職員に残業代も払えない(払わない)という、まさにブラック企業の様相を呈しているので、無理な相談かもしれません。
■16/7/26付:残業代がつかない共産党職員 関テレ参院選特番より
もっとも上念さんも指摘したように、代々木の共産党本部ビル(11階建て・建設費85億円)を売れば、費用はいくらでも捻出できそうですが(^_^;
なお、金賛汀氏の「朝鮮総連」は、ネットで話題になったこともあってか、古書相場は高騰しています。
Kindle版であれば定価で購入できます。
Kidle端末を持ってなくても、パソコンやスマホやタブレットで見られるそうです。
たとえば以下のサイトさんを参照。
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【注目を集めているのは、戦後間もない時期の朝鮮総連の活動資金に関する次のような記述だ。
「最大の財源になったのは帰還していく強制労働者の未払い賃金等であった。1946年末までに朝連中央労働部長名で強制連行者を雇用していた日本の各企業に未払い賃金の請求が出された。
その請求額は4366万円に達し、朝連はかなりの金額を企業から徴収し、それらのほとんどは強制連行者の手には渡らず朝連の活動資金に廻された」
当時の4366万円がどれほどの大金かは言うまでもないだろう。少なく見積もっても現在の価値に換算すれば数十億円になるのは間違いない。
そして同書はこの莫大な金の行先について驚くべき指摘をしている。
「これらの豊富な資金は日本共産党再建資金としても使用された。1945年10月10日、連合国最高司令官・米国太平洋陸軍司令官総司令部(GHQ)は府中刑務所に収容されていた徳田球一、金天海ら16名の共産主義者などを釈放した。彼らを府中刑務所門前で出迎えたのは日本の各地からトラックに分乗して集まってきた数百人の朝鮮人だった」
釈放された徳田らは、すぐに日本共産党再建委員会を組織して、7人の中央委員を選出した。
「こうして日本共産党は活動を再開したが、金天海が中央委員に選出されたこともあって、日本共産党再建初期の活動資金のほとんどは朝連が拠出した。こうして朝連と日本共産党の強い結びつきが成り立ったのであった」
まとめると、朝鮮総連が企業から金を徴収し、それを日本共産党に献金した、という具合に金が流れたのだ、と金氏は指摘している】
私はこれを読んで、週刊新潮2005年6月2日号【「日本共産党史」から消された「朝鮮総連」結成秘話】を思い出したというわけです。
戦後の日本共産党の再建資金のほとんどを当時の在日組織である朝連(在日本朝鮮人同盟)が提供するなど、日本共産党における朝鮮人の役割は大変大きかったという内容で、「強制労働者の未払い賃金」への言及こそありませんが、戦前から戦後にかけての日本共産党と朝鮮人の密接な関係を知ることができます。
そして日本共産党が自らの過去に目を閉ざしていることも。
ということで、ここからが拙ブログ2007年6月5日の再掲となります。
過去記事ここから________________________________
拙ブログの読者さんから「朝鮮総連と日本共産党の関わりについて書かれた記事が載っている少し前の週刊新潮(05年6月2日号)を持っているんですが、くっくりさん、活用されませんか?」というお申し出があり、雑誌の現物をこちらにお送りいただきました。
今日はその記事を起こします。
朝鮮総連(在日朝鮮人)と日本共産党の関わりついては、「マンガ嫌韓流」でも少し描かれましたし、大枠はご存知の方も多いと思いますが、細かいこととなると「ハテ?」……。
そういう方(私もそうですが(^^ゞ)は、是非お読み下さい。
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【特別読物】
「日本共産党史」から消された「朝鮮総連」結成秘話
ジャーナリスト 林 玲
【5月25日、朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)が、創立50周年を迎えた。北朝鮮を支持する在日団体として、何かと話題になることが多いが、かつての日本共産党との深い関わりを知る人は少ない。日本革命を共に目指した在日朝鮮人のコミュニストの多くが、総連結成に参加したのである。党史から抹殺された秘話をジャーナリスト林玲氏がレポートする。】
今では党史のどこにも書かれておらず、すっかり忘れ去られているが、実は日本共産党は戦前から戦後にかけて、在日朝鮮人と共に歩み、大いに助けられた。
共産党と在日朝鮮人の関係を辿ってみよう。
1922年(大正11年)の創立時から、共産党は植民地解放の方針に基づき、朝鮮の独立を綱領に掲げた。コミンテルン(共産主義インターナショナル)の方針で、1930年代以降、日本在住の朝鮮人共産主義者は、日本共産党に所属した。ちょうど在米中の片山潜がアメリカ共産党に所属し、在仏中のホー・チミンや●小平(●=トウ=登にオオザト)がフランス共産党に入党したのと同じである。
戦前から、日本共産党のもとに多くの在日朝鮮人が集っていた。例えば、共産党系の労働組合の全協(日本労働組合全国協議会)は、最盛時の1931年(昭和6年)ごろ、組合員数は3万人だったが、うち3割を朝鮮人が占めていた。
1945年(昭和20年)、敗戦の年の10月、徳田球一ら共産党幹部が、府中刑務所を出獄した。その際、
<歓迎 出獄戦士 万歳>
の幔幕を掲げ、熱狂的に出迎えたのは、数多くの朝鮮人だった。その後、催された歓迎大会の会場を設営したのもまた朝鮮人党員である。彼らが待ちわびていたのは、獄中15年の不屈の闘士、金天海であった。金天海は在日朝鮮人から圧倒的な支持を集めていた。
その年の11月、共産党は再建の第一歩として、第4回党大会を準備するため、全国協議会を開催する。全国から300人の代議員が東京・代々木の本部に集まり、行動綱領草案、規約草案、日本共産党の当面の政策を採択した。さらに、1カ月以内に第4回党大会を開催することも決定する。
その準備委員に選任されたのが、徳田球一、志賀義雄、袴田里見、金天海、宮本顕治、黒木重徳、神山茂夫の7人だった。この名簿順位は、当時の党内ランクを示している。
会議では、金天海を責任者として、朝鮮人部を設置することも決めた。実は、日本共産党の再建資金のほとんどは、当時の在日組織である朝連(在日本朝鮮人連盟)が提供している。このことは、党史には一行も触れられていない。
金天海は、同年12月1日に開かれた共産党第4回党大会で、7人の中央委員、5人の政治局員の一人となった。この党大会では中央委員候補に、同じ在日の宋性徹も選ばれている。
翌46年(昭和21年)2月の第5回党大会では、同じく在日の金斗鎔、朴恩哲、保坂浩明(李浩明)も中央委員候補となり、後に遠坂寛(崔斗煥)も加えられた。第5回党大会当時の党員数はおよそ6000人。うち約1000人が朝鮮人だったという。一大勢力であった。
金天海は、1898年(明治31年)、慶尚南道蔚山生まれ。本名を金鶴儀といった。1920年(大正9年)、仏教の勉強のために来日。日本大学社会科に入学したものの中退し、運動に身を投じた。活動家としてすぐに頭角を現し、1920年代には、早くも在日朝鮮労働総同盟(在日労総)委員長に就任。朝鮮共産党日本総局責任秘書も歴任する。責任秘書とは、今でいえば総書記とか書記長ということで、実質的な組織の責任者であった。人情家で在日朝鮮人の間では信望が厚かった。
筋金入りのコミュニストだった金天海は、戦前、2度投獄された。戦後、出獄後に朝連の最高顧問に就任している。
1949年(昭和24年)、朝連が強制的に解散させられる際、金天海は公職追放を受け、北朝鮮へ密出国する。北朝鮮では朝鮮労働党中央委員、社会部長、祖国統一民主主義戦線議長、最高人民会議常任委員を務めるなど、要職にあった。しかし、1970年代の金日成個人崇拝の高まり以降、消息は全くわからない。
在日は少数民族
金天海が、戦後再建時の日本共産党で、5人の政治局員の一人であったことをみても、在日団体に対する共産党の影響力が大きかった、というよりもむしろ、日本共産党における朝鮮人の役割がいかに大きかったかがわかる。
共産党が、在日団体である朝連などへの指導をぶれることなく続けられたのは、「朝鮮フラクション(支部)」を設置していたからだった。この組織は1947年(昭和22年)1月26日、金天海のもとで、責任者に「朝鮮民衆新聞」を創刊した朴興奎、後に朝鮮総連初代議長となる韓徳銖ら6名の委員と、4名の委員候補からなっていた。
☆
敗戦直後から、在日朝鮮人の間で、子弟に対する民族教育をしたいという要求が高まっており、在日団体が自然発生的に各地につくられた。それらをまとめ、相互扶助的な団体として、
<全日本に在留する240万同胞の生命と財産を保護し、あらゆる権利を主張すべき唯一の代表機関>
を宣言して、1945年10月15日に結成されたのが、朝連、在日本朝鮮人連盟であった。
当時を憶えている在日の古老たちによると、
「味噌とか醤油とか木炭を配給したりして、今でいう生協のようなものだった」
「隠退蔵物資を摘発して、在日の商工業者へ原材料を提供することもやっていた」
という。
在日朝鮮人の運命は、激動する国際情勢にゆさぶられ続けていた。
第二次世界大戦の戦後処理問題討議のため、米英ソ3国の外相会議が、1945年12月、モスクワで開催された。朝鮮については、
<米ソの協議により朝鮮民族の臨時民主政府の樹立を準備し、米ソ両国は5年間の信託統治を実施する>
ということが決まった。
この決定は、朝鮮民族を信託統治に対する賛成、反対で二分し、南北に別々の政府が樹立されるきっかけとなる。朝連は信託支持であり、一方の反信託側は、46年10月に民団(在日朝鮮居留民団)を結成。それ以降、在日団体は二分されることになった。
1949年(昭和24年)3月27日、朝連は他団体とともに大阪の扇町公園で、吉田内閣打倒人民大会を開催する。大会後、デモ隊と警察官が衝突し、重軽傷者は16人にのぼった。同年6月11日には、朝連の参加する公安条例反対共闘委員会が、皇居前広場におよそ5万人もの参加者を集めて大規模集会を開催する。朝連の活動は活発だった。
日本政府は朝連を恐れるようになっていく。その年の9月8日、朝鮮民主主義人民共和国建国1周年の前日、朝連を強制的に解散させる。団体等規制令に抵触したという理由だが、背景には、冷戦の進行、中国大陸で共産党政権樹立という状況があったのである。
朝連解散後、日本共産党は民族対策部(民対)を設置する。民対は前身の朝鮮人部と同じく、主として在日党員で構成されていた。
朝鮮戦争勃発の翌年の51年(昭和26年)1月、在日朝鮮人統一民主戦線(民戦)が結成される。民戦は議長団の一人に民団の副団長である李康勲が加わるなど、当初は何とか統一戦線であろうとした。李康勲は、熱烈な民族独立運動家で、“北朝鮮支持”は決して口にしなかった人物である。しかし、結成から3年後の1954年(昭和29年)、李康勲は、
<民戦は民族団体ではなく、日本共産党の尖兵>
という声明を発表して民戦を離脱する。
実際、民戦は“オモテ”の顔としては日本国内の在日朝鮮人組織の統一戦線であったが、“ウラ”の顔としては、共産党の民族対策部の指導下にあった。
そのため、活動に参加した朝鮮人党員の多くは、1951年2月の4全協(第4回全国協議会)で決定された“武装闘争”の前面に立つことになり、大きな犠牲を出してしまう。
なぜ、多大な犠牲を払ってまで“在日朝鮮人”は、共産党の“武力闘争”の方針に積極的に従ったのか。
実は、4全協では在日朝鮮人を、戦時下の日本政府にならったのかどうか、
<日本のなかの少数民族>
と規定したのである。
この規定では、在日朝鮮人は外国人ではないことになる。つまり日本革命をなし遂げることなくしては、在日問題は何一つ解決しない、とされたのである。
大量だった在日の逮捕者
その年の8月19日、共産党第20回中央委員会総会で、『日本共産党の当面の要求――新しい綱領』、いわゆる51年綱領の草案が提出された。51年綱領は、平和革命の可能性を全面的に否定し、4全協で採択された軍事方針を正当化し、山村工作隊活動や火炎ビン闘争を展開する極左冒険主義方針の根拠となった。綱領草案は、10月16日の第5回全国協議会(5全協)で採択された。
『日本共産党の60年』や『日本共産党の70年』など公式の党史は、極左冒険主義や軍事方針は当時の、“徳田球一書記長を中心とした分派”がやったこととして、責任を回避している。しかし、分派闘争、内部の勢力争いにうつつをぬかしたのは、徳田、宮本顕治(のちに書記長、中央委員会議長)などひと握りの幹部たちだけであった。朝鮮人党員を含めて大部分の党員は、共産党の方針を正しいと信じて、身の危険をかえりみず忠実に参加したのである。
共産党の軍事方針のもとで、いくつもの騒乱事件が起きた。
1952年(昭和27年)の5月1日、第23回メーデーで、デモ隊と警官隊とが衝突したいわゆる“血のメーデー事件”がある。戦後、皇居前広場は“人民広場”と呼ばれ、たびたび集会場として使われてきたが、その日、政府は使用禁止とした。だが、メーデー参加者たちは広場に突入。在日朝鮮人はデモ隊の先頭で警官隊に対峙した。
この事件では在日朝鮮人から多くの逮捕者(1232名中130名)が出た。広場になだれ込んだ2万人のうち、5000人が在日だったといわれる。
その年、大阪で起きた吹田事件(6月25日)、名古屋の大須事件(7月7日)でも、多数の逮捕者が出た。吹田事件の在日の逮捕者は250名中92名。大須事件では、269名中150名が在日だった。
こうした騒乱事件の多発に対し、大須事件直後の7月13日、民戦中央本部は、実力闘争偏重を批判する。第一線の実行部隊が朝鮮人である場合が多かっただけに、切実だった。
一方、日本共産党は、12月中旬になっても全国軍事会議を開催し、武装闘争と日常戦闘との結合を強調するなど、極左冒険主義は改めそうになかった。
血のメーデーから2年後の1954年(昭和29年)8月30日、日本政府の朝鮮人処遇について、北朝鮮外相による抗議声明が発表された。朝鮮人への扱いは国際法違反であるとして、「在日朝鮮人は朝鮮民主主義人民共和国の公民」であるから、当然の権利を認め、日本居住、就業の自由、生命財産の安全を保障するように日本政府に要求した。北朝鮮政府が、在日朝鮮人の利益を代表するという立場の表明だった。
その年の10月30日、中国紅十字会(赤十字)代表団の一員として、中国の対日工作の最高指導者、廖承志が来日する。廖承志はあいさつの中で、
「在日中国人団体は、日本の政治に干渉してはならない」
と語った。
北朝鮮政府の声明と、廖承志のあいさつは、関連性がないように見える。しかし、実はともに、暗に日本共産党の在日朝鮮人運動に対する指導性を否定するものであった。これが、在日朝鮮人運動の“路線転換”を促す契機となる。
結成時、一斉に離党
1955年(昭和30年)1月1日、共産党はようやく、機関紙『アカハタ』で「極左的冒険主義と手を切る」と発表した。
その後、在日朝鮮人活動家の間では、二つの考え方が対立するようになる。
一つは、北朝鮮支持の旗を実際に日本国内で掲げるべきという考え方。もう一つは、幅広い統一戦線をつくるために、旗は心の中に掲げるべきという日本共産党民対の考え方であった。対立は激しかった。
ここにキー・パーソンが登場する。韓徳銖である。後に朝鮮総連中央常任委員会議長、北朝鮮最高人民会議常任委員を歴任する彼は、1907年(明治40年)慶尚北道で生まれている。1927年(昭和2年)渡日して、日大専門部に入学(後に中退)。共産党系の労組である全協に加入し、1934年(昭和9年)、熱海線トンネル工事の争議に加わり検挙される。戦後は朝連に参加。朝連中央本部総務局長などを歴任した。
韓徳銖は、共産党の指導下で日本革命を共に目指したいわゆる“民対派”に対して、朝鮮や朝鮮労働党との結合を(おそらく朝鮮労働党側の内意を受けて)主張した“民対派”として、在日朝鮮人運動の路線転換に主導的役割を果たした。
1955年(昭和30年)3月11日、民戦は中央委員会を開いた。その席で韓徳銖は“在日朝鮮人運動の転換について”演説する。反対派のヤジが激しく、中断せざるをえなくなった。だが、彼の作った路線転換への流れは変わらなかった。
5月23日、浅草公会堂で最後の民戦6全大会が開かれ、翌24日解散する。
こうして1955年5月25日、今からちょうど50年前、民戦解散の翌日、朝鮮民主主義人民共和国支持、日本の内政不干渉を掲げて、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が結成された。共産党に党籍のあった在日朝鮮人は一斉に離脱した。
同年7月24日、共産党は民族対策部を解消。朝鮮人党員離党の方針を決定することで、これを追認した。
戦前、戦後の最も苦しかった時代、共産党の中で最も困難な仕事を引き受け、党を支えたのは在日朝鮮人の人々であった。共産党の正史では、そのことに一言も触れられていない。
半世紀という歳月は、共産党と朝鮮総連という二つの組織を、全く別々の遠い所まで連れていった。在日朝鮮人と日本共産党が、共に夢見た濃密な“時”を振り返る者ももういない。
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