【過去】「南京大虐殺」まとめ(2)
【過去】「南京大虐殺」まとめ(1)から読んで下さいね(^o^)
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■05/2/5(土)話題の「南京事件写真検証本」を買いましたよ〜
■<南京事件「証拠写真」を検証する>東中野修道ほか著
まだ最初の10ページほど読んだだけなので、総評などは書けないんですが、とりあえずこの箇所を読んでみて下さい。
(写真はここに載せられないけど、文章だけでも十分意味が通ると思います。有名な写真なので、南京事件についてけっこう勉強されてる方なら、「ああ、あの写真だな」とすぐにわかるかもしれませんね)
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■05/2/5(土)話題の「南京事件写真検証本」を買いましたよ〜
■<南京事件「証拠写真」を検証する>東中野修道ほか著
まだ最初の10ページほど読んだだけなので、総評などは書けないんですが、とりあえずこの箇所を読んでみて下さい。
(写真はここに載せられないけど、文章だけでも十分意味が通ると思います。有名な写真なので、南京事件についてけっこう勉強されてる方なら、「ああ、あの写真だな」とすぐにわかるかもしれませんね)
※プロローグ 「証拠写真」の源流をたどる (P.15〜16)より引用
プロローグの段階でもうすでに核心を突いてるような気がするのは、私だけでしょうか?(^_^;
■05/3月6日(日)南京大虐殺あった派は逃げずに出てきなさい
■今日の読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」
いつも私が「全国ネットではここまで絶対できないでしょうね〜」と言ってる、関西の高視聴率番組「たかじんのそこまで言って委員会」、今日は南京大虐殺がメインテーマでした。
先日<南京事件「証拠写真」を検証する>という本を出版した東中野修道教授をゲストに迎え、白熱した議論が行われました。
と言っても、虐殺肯定派の専門家は今回も不参加。別に、番組が偏向してるとかじゃないんですよ。前回(去年の10月)も番組サイドは肯定派に出演依頼をしたのですが、全部断られたんだそうです。
近年、肯定派はすっかり分が悪くなっちゃってますしね。出てきても叩かれるだけなので怖くて出てこれないんでしょうね(^_^;
議論の内容は、この番組のウォッチャー(?)であるユウコの憂国資料室さんがテキスト化して下さってますので、ぜひご覧になって下さい。
動画をダウンロードできる場所についても紹介されてますので、放送エリア外の人はぜひ動画も。
さて、731部隊のことまで持ち出して「南京大虐殺はあった!」と実質一人で頑張っていたのが、デーブ・スペクター。
そんな彼も東中野教授や三宅久之さんや金美齢さんらにすっかり論破されてしまい、最後にはもう何も反論できなくなってしまいました。
たかじんに「考え、変わった?」と問われて、「後日返事していいですか?」と捨て台詞が精一杯。その上、「だからって一概に中国がどうのこうのと決めつけるのは良くない」と、論理のすり替えを始める始末でした。
(以下略)
【追記11/28 13:45】
・たかじん05/3/6放送分「南京大虐殺」英語字幕版
【追記12/3 16:35】
・たかじん05/3/6放送分「南京大虐殺」英語字幕版(写真検証バージョン)
世界に広めて下さい<(_ _)>!
■05/05/13(金)■新しい歴史教科書をつくる会記者会見 (5月10日・外国特派員協会)テキスト起こし
(sok様による起こし。全文はこちらに掲載)
【外国人記者:25分02秒から25分10秒まで(字幕)】
Q.南京事件の兵士と市民それぞれの犠牲者の数について
【藤岡:25分11秒から31分12秒まで】
A: 『つくる会』の統一見解というものはございませんので、その点はご勘弁頂きたいと思います。私の見解でよろしければ申し上げたいと思います。
南京で起こったのは戦争、一つの戦争の中の戦闘でありました。
日本軍は1937年の12月13日に南京城を占領致しました。で、その24時間前に日本軍は無血開城することを勧めました。国民党の側にですね、勧めたわけであります。ちょうどヨーロッパの戦争でフランスが無血開城されたように、(訂正)パリが無血開城されたように、南京も色んな文化遺産があるので、それを保護するために無血開城するよう勧めたのですが、これは無視されました。
そこで戦闘が起こったわけですが、どのくらい死んだかということについて、死者の数がですね、ある程度特定できます。
戦闘でですね、死んだ国民党の兵士の数は約1万5千くらいと見積もられます。
これは年が明けましてから春先にそういう、遺体が腐敗するので衛生上の問題があるということで、日本軍がお金を出して中国の人達を雇って、そして埋葬の処理を致しました。当時の埋葬処理能力やその日にちなどを厳密に計算した研究がございますが、それに基づけば埋葬された死者の数は1万5千ぐらいです。
日本兵もたくさん死にましたけれども、戦闘で死にましたが、日本兵については日本軍が占領した際に、日本兵である認識票という金属の付けたものがございますが、それを基にして日本兵を集めて火葬にしております。
次に民間人ですが、民間人については実は南京城内に15人からなる欧米人のコミュニティーが作られまして、「そこを中立地帯として、どちらの軍も入らないよう」ということを要請したわけです。しかし、中国軍はここにですね、軍服を脱いで大量に入り込んでしまったために、後に問題が起こります。
まあ、いずれにしましても、占領した日本軍に対して欧米人のコミュニティーが食糧を要求しております。
そして、それはこの中立ゾーンの、safety zoneの中に、安全区の中に20万人の中国市民がいるので、その食糧を調達して欲しいと要請しております。
で、通常は南京事件、南京大虐殺で30万人の市民が殺されたと言っておりますが、実際はこの一週間後、占領してから一週間後にまた委員会が食糧を要求する。で、その時の数はやはり20万人であります。「20万人のチャイニーズ・シビリアンがいる」という風に言っております。
で、その一週間後にも同じ数字が出てきて、その一週間後にもという形でずっといきまして、一ヶ月後にはなんと安全区の中国人市民の数は25万人に増えております。
したがいまして、何万とか何千とかいうオーダーの市民の殺害はありえません。
他方で西洋人の委員会は毎日毎日、克明にその戦争被害、まあ色々なですね、事件を克明に記録した文書を残しております。
で、これを私ども詳細に研究しましたが、そこでですね、伝聞ではなくて、つまり誰かから聞いた話として書かれてることではなくて、直接私が見たとして証言している殺人事件というのは1件であります。
ですから、南京大虐殺というのは、私は市民の計画的な大虐殺というのは殆ど考えられないと思っています。
たくさんの国民党の兵士がその戦闘で死んだということは事実でありますし、万のオーダーの戦死者というのは、おそらく死屍累々とした状態であったと思いますので、これを見た人が何十万とか言ってもですね、それはそういう表現というのは解りますけれども、これはいわゆる不法な虐殺ではなくて、戦闘によって生じたことである、という風に理解しています。
但し、その全く日本軍による、なんて言いますか、色んな事件がなかったとは私は考えておりませんし、ですから教科書の南京事件という風に書いてありますけれども、それは事の真相はそういうことで、この10年くらいの間に南京事件の研究も日本で急速に進んでおりますので、私は先ほどのご質問に関連して言いますと、これはまさに事実がどうであるかという問題なので、立場の違いに関わらず事実を客観的に確定していくということが必要だと思っております。
【外国人記者:31分14秒から31分53秒まで(字幕)】
Q:手元にある英訳された文章には南京事件の記述が見当たりませんが・・・
【藤岡:31分58秒から32分14秒まで】
A:ちょっとよろしいですか。今のはですね、注に書いてあります。(外国人記者「chuu?」) Noteですね。In foot noteに書いてあります。
■05/5/25(水)誤報、捏造、情報操作……メディアは本当に厄介です(つい先日紹介済)
(前略)中国人や日本のサヨクはよく「数の問題じゃない。日本によって中国が多大な損害を被ったのは事実。1000人でも1000万人でも中国人民の気持ちが傷つけられたことに変わりはない」などと言い返してきますが、ちょい待ち〜!
何の根拠も提示せずにここまで一方的に数字を膨らませてるんですよ。「数の問題じゃない」ではすまされません。
一番わかりやすい例である南京事件(南京大虐殺)を例にとると……
となると、たとえ民間人が殺されたとしても、多く見積もっても千の単位ではないでしょうか。
そう言うと、また彼らは「数の問題じゃない」と言い返してきますが、そうじゃない。これは数の問題です。
彼らは公式に「無抵抗な民間人30万人を組織的に虐殺した」と主張してるんですから、まずこの数字から崩していかないと日本の冤罪は晴れません。
中国兵は敗走する際、「安全区」と呼ばれる民間人の退避地区に民間人のふりをして多数逃げ込みました。
その敗残兵(便衣兵)狩りの過程で、民間人が巻き添えを食って殺されたことはあったでしょう。
が、南京という限定された地域・限定された期間・限定された武器で、民間人を組織的に30万人も殺すことが果たして可能でしょうか?しかも人口20万人しかいない都市で!
■05/7/4(月)「報道2001」中国の反日教育の実態明かす
(全文はこちらに掲載。入れなかったらキャッシュからどうぞ)
中国共産党の代弁者として、おなじみ野田毅元自治相(日中協会会長)、そして宮崎公立大教授の王智新が出演(二人ともスタジオ出演じゃなく中継でした)。
(中略)
●南京事件について
櫻井よしこさんが中国国民党が欧米人(ティンパーリ)にお金を払って「南京大虐殺」についての本を書かせて、世界に宣伝させたという話をしたところ……
王智新
「ティンパーリにどこから金が支払われたというのか。根拠のないことを言わないで下さい」
櫻井よしこ
「国民党の国際宣伝部の担当者である曽虚白(そ・きょはく)が自伝の中でそう書いているんです。『ティンパーリは理想的な中国の広報のための人物だった。ティンパーリを通してスマイスにお金を使って書いてもらった』と書いてあります。もっと勉強なさって下さい」
王智新
「……調べてみます」
野田毅
「日本も日露戦争の時、謀略や工作をやった。他国を味方につけようとした。中国もやって当たり前」
黒岩祐治
「野田さん、他人事みたいに言われてますが、日本がそんなふうに(事実を曲げて)伝えられてることはどうなんですか?我々は当事者ですよね。野田さんの中に怒りが感じられないんですが」
野田毅
「私はこういう問題をずっとやって来たから。大事なのは中国の多くの人がそれを史実と思い込んでる。喧嘩状態で言っても進まない……」
●中国歴史・教師用指導書より
王智新
「この文の最初にある『日本』という二文字を消したら、皆さんどうですか?ファシズムに警戒するのは当たり前じゃないですか?『日本』と書いてあるから皆さんは怒ってるだけでしょ」
一同、一瞬固まってしまう。「は?何言ってんの?」という感じ。
黒岩祐治
「そうでなく、なぜ今あえてこれを言うんですか?そういう一般論でなく、今こういうことが書かれてあることについて、どう思いますか?」
王智新
「ファシズム復活は警戒して当然でしょう。皆さん、そういうコンセンサスがなかったら、今日は話はできません」
黒岩祐治
「そんなことは言わずもがなじゃないですか!(苦笑)」
王智新
「それはあなたがそう思ってるだけであって……」
ごちゃごちゃ詭弁を弄する王氏。スタジオは皆、脱力。この後、野田による中共の代弁が続く。
(以下略)
■05/7/22(金)人民元切り上げ〜謝罪しない日本人は診療拒否
これは「諸君!」8月号に載っていた櫻井よしこさんの話なんですが……
櫻井さんが最近、韓国の知日派の金鍾泌元首相に会った時のこと。
「A級戦犯を合祀している靖国神社になぜ参拝するのか」と詰問されたので、櫻井さんはあまり角が立たないよう、靖国神社やA級戦犯とされた人々に関する事実関係をごく簡単に指摘、靖国参拝は日本人として当然のことだと語ったそうです。
すると金元首相はものすごく声を荒らげて、「日本人は南京で30万人殺した」と言い、「当時の南京の人口は60万人で、日本人が虐殺して30万人に減ったのだ」と、全く事実ではないデータを挙げて一方的なことを言ったそうです。
櫻井さんは、「知日派とされる政治家にもかかわらず、当時の南京の人口は30万人に満たなかったという知識さえ持ち合わせてないことに私は驚愕しました」と言っています。
韓国の政治家ですらこうなんですから、中国の民間人は当然もっと何にも知りませんわな。
ソクラテスは「無知は罪なり」と言いましたが、中国や韓国の場合、政府がある種の意図を持って国民に対して無知を強いている、とも言えるわけで。
■05/12/13(火)京都小6殺害&細切れぼやき多数
■12/8付産経国際面コラム「北京春秋」〜歴史の改竄(ネットソースなし)
産経ってこういうドエライ記事がさりげなく載ってるから好き!(≧▽≦)
■05/12/21(水)GHQ主導ラジオ番組「真相はこうだ」の闇
産経新聞の特集“続・歴史の自縛”が今日からスタート。
(中略)
●一面より引用(本文)
●一面より引用(用語解説)
●三面より引用(本文)
(中略)ちなみに、『真相はこうだ』では「虐殺数二万人」となっていますが、東京裁判の判決では「捕虜などを含めて約20万人が殺された」となりました。
一説によれば20万人という数字は広島・長崎の原爆投下による犠牲者数に近く、米国の戦時国際法違反から日本人の目をそらさせるために考え出されたといわれています。
■06/1/7(土)中国人による「数字」について
(前略)というのも、「諸君!」2月号の大特集『もし中国にああ言われたらこう言い返せ』の中の櫻井よしこさんの論文に、この「中国社会科学院」の研究所員が登場するんですが、これがおよそ学者とは思えないトンデモ発言をしているからです。
戦後60年の間に中国政府が日中戦争の犠牲者の数字をどんどん水増ししてきたことについて、櫻井さんと中国社会科学院の研究所員とのやりとりの箇所から引用します。
「被害者の気持ち」や「国民感情」というよりは、「中国共産党の都合」というのが正しいんでしょうけどね。中国では歴史=政治ですから。
でもさすがにそれは言えないから、「被害者の気持ち」を前面に出して日本人の贖罪意識を刺激する、と。
これが筑紫哲也とか加藤千洋とか若宮啓文だったら納得して帰ってくるんでしょうが、櫻井さんや田久保さんには通用しませんって(^_^;
■06/1/8(日)皇室典範〜物事の本質を見よ
■東史郎氏の死をさっそく中共がプロパガンダに利用している模様
1/7付産経朝刊国際面にこんな記事が載ってました(ネットソースなし)。
・【中国】南京事件関連著者の元日本兵死去/日本糾弾で“共闘” 異例の追悼大報道
中共に「良識を持つ人」と言われたり“特別待遇”を受けたりする人物=日本の国益を損なう人物。
※参考リンク
あやしい調査団盧溝橋へ 4 東史郎展
写真入りでわかりやすいまとめです。裁判の経過も書かれてありますが、全く「不当な判決」ではないことがわかります。
■06/7/27(木)日経の次はテレ朝、朝日新聞も当然援護射撃
■産経7/26【「友好」の舞台裏】中国の対日宣伝工作(下)メディア使い世論操作
これ、すごく良い特集だと思うんですが、WEBに載ってるのは(上)だけで、(中)(下)は載ってないみたい(T^T)
今日の(下)では、南京事件についてちょっと興味深いことが載ってました。
■06/7/29(土)サッカーでは大暴れ、ARFでは引きこもりの北朝鮮
■月刊『WiLL』9月号
渡部昇一さん<「中国を永久に黙らせる100問100答」保存版30ページ>
■06/9/25(月)生まれ変わっても日本人になりたいですか?
■中国:「事実」伝えた本多勝一氏ら表彰 南京大虐殺記念館
こんなふうに堂々と工作員認定されたら、かえって活動しづらくなるんじゃないですか?(^_^;
※参考リンク
・本多勝一(Wikipedia)
これがジャーナリストの言うことか?(-.-#)
■06/10/14(土)朝日新聞の捏造・放火の歴史
●1971.8.26-11.26 「日本軍虐殺」捏造コラム掲載
「中国の旅」と題する「日本軍虐殺」捏造コラムを計31回連載。著者は本多勝一氏。いわゆる「南京大虐殺」が知られるきっかけとなったものだが、中国政府当局やその恐怖政治の影響下にある人間による「日本軍の蛮行」に関する「証言」を丸写ししたものだった。
後年大量の嘘写真や捏造事例などが暴かれ、本多氏自身も「証言」を丸写ししたものであることを認めている。
●1984.8.4 「南京大虐殺」を捏造
生首のごろごろ転がる写真を「南京大虐殺の証拠写真」とし、南京に入城した元歩兵二十三連隊の上等兵が記したという「日記」を併記して掲載。
これに対して、元歩兵二十三連隊の有志からなる「都城二十三連隊会」が立ち上がった。元兵士の懸命の調査により、1年4カ月後になって、この写真が全く別の場所の写真であることが判明する。「都城二十三連隊会」は記事取り消しや謝罪文掲載の要求を朝日につきつけた。
それに対して朝日は1985/1/22、このような数行のおわび文を掲載した。「(前略)日記は現存しますが、記事で触れられている写真三枚は南京事件当時のものでないことが解りました。(後略)」。全く、元歩兵二十三連隊が南京大虐殺をしていないという記述はどこにもない。「都城二十三連隊会」は更に朝日に対して不信感をつのらせた。
写真の嘘が明らかになったのなら、あとは日記の真偽が焦点となる。例によって朝日は、取材情報源の秘匿を主張し、さんざんゴネた上に朗読まではしぶしぶ行ったが、筆跡鑑定のための開示を拒んだ。
「都城二十三連隊会」は日記の開示を求め、1986/8/22に小倉簡易裁判所に日記保全の申し立てをし、全て開示し写真に取らせよという判決が12/27に下った。が、朝日は取材情報源の秘匿を理由に、福岡地裁小倉支部に抗告し、裁判引き延ばし戦術に出た。最年長の老人は心労のため入院した。今なお朝日は真相を隠蔽している。
過去記事ここまで___________________________________
※紹介しきれなかった南京事件関連エントリー(比較的新しい物)
・06/3/28付:GO!GO!松原仁−1(3月10日衆議院外務委員会)南京事件でGJ発言
・06/3/28付:GO!GO!松原仁−2(3月15日衆議院外務委員会)南京事件でGJ発言
・06/3/31付:高校教科書検定で南京事件はどうなった?
・06/5/25付:百人斬り訴訟と靖国合祀中止訴訟
※参考リンク
・YouTube>「南京大虐殺」…貴重な映像や証言の数々
・南京大虐殺はウソだ!さん
・あやしい調査団さん「反日アミューズメント 中国人民抗日戦争記念館」
・あやしい調査団さん「あやしい調査団、南京へ」
・【ニュース】カナダ在住の華人 南京大虐殺を地元の教科書に盛り込む--人民網日文版--2006.07.21
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たとえば上の写真AとBであるが、カメラマンは首を斬ろうとしている被写体や斬り終わったあとの場面に真正面から向き合っている。しかも至近距離から撮影している。これほどの写真を撮るには事前の許可が絶対に必要とされたであろう。いったい誰が許可したというのであろうか。もし許可が出たのであれば、カメラマンは中国人や欧米人ではなかったはずだ。そうすると、日本人以外にはない。しかし、この写真は南京陥落から早くも半年後の昭和13年7月に出版された国民政府軍事委員会政治部編『日寇(にっこう)暴行実録』〈現在はスタンフォード大学フーバー研究所が所蔵〉や田伯烈(テインバーリ)編『外人目撃中の日軍暴行』に出ている。まさか、日本人が敵国の本に写真を提供するために、日本軍の許可を得て撮影できたはずもなかったであろう。
また、ここに写っている四人の日本兵の名前は当時はすぐにわかったであろう。「百人斬り」という戦意高揚を目的とした創作記事が原因で、野田毅、向井敏明両少尉〈ともに当時の階級〉が南京裁判にかけられ、昭和23(1948)年に銃殺刑に処せられたように、その四人も戦後すぐに問題になったはずだ。ところが、四人が追及された形跡はない。また南京戦(昭和12年12月)の冬に薄着であることは、南京の写真としてそぐわないのではないか。
プロローグの段階でもうすでに核心を突いてるような気がするのは、私だけでしょうか?(^_^;
■05/3月6日(日)南京大虐殺あった派は逃げずに出てきなさい
■今日の読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」
いつも私が「全国ネットではここまで絶対できないでしょうね〜」と言ってる、関西の高視聴率番組「たかじんのそこまで言って委員会」、今日は南京大虐殺がメインテーマでした。
先日<南京事件「証拠写真」を検証する>という本を出版した東中野修道教授をゲストに迎え、白熱した議論が行われました。
と言っても、虐殺肯定派の専門家は今回も不参加。別に、番組が偏向してるとかじゃないんですよ。前回(去年の10月)も番組サイドは肯定派に出演依頼をしたのですが、全部断られたんだそうです。
近年、肯定派はすっかり分が悪くなっちゃってますしね。出てきても叩かれるだけなので怖くて出てこれないんでしょうね(^_^;
議論の内容は、この番組のウォッチャー(?)であるユウコの憂国資料室さんがテキスト化して下さってますので、ぜひご覧になって下さい。
動画をダウンロードできる場所についても紹介されてますので、放送エリア外の人はぜひ動画も。
さて、731部隊のことまで持ち出して「南京大虐殺はあった!」と実質一人で頑張っていたのが、デーブ・スペクター。
そんな彼も東中野教授や三宅久之さんや金美齢さんらにすっかり論破されてしまい、最後にはもう何も反論できなくなってしまいました。
たかじんに「考え、変わった?」と問われて、「後日返事していいですか?」と捨て台詞が精一杯。その上、「だからって一概に中国がどうのこうのと決めつけるのは良くない」と、論理のすり替えを始める始末でした。
(以下略)
【追記11/28 13:45】
・たかじん05/3/6放送分「南京大虐殺」英語字幕版
【追記12/3 16:35】
・たかじん05/3/6放送分「南京大虐殺」英語字幕版(写真検証バージョン)
世界に広めて下さい<(_ _)>!
■05/05/13(金)■新しい歴史教科書をつくる会記者会見 (5月10日・外国特派員協会)テキスト起こし
(sok様による起こし。全文はこちらに掲載)
【外国人記者:25分02秒から25分10秒まで(字幕)】
Q.南京事件の兵士と市民それぞれの犠牲者の数について
【藤岡:25分11秒から31分12秒まで】
A: 『つくる会』の統一見解というものはございませんので、その点はご勘弁頂きたいと思います。私の見解でよろしければ申し上げたいと思います。
南京で起こったのは戦争、一つの戦争の中の戦闘でありました。
日本軍は1937年の12月13日に南京城を占領致しました。で、その24時間前に日本軍は無血開城することを勧めました。国民党の側にですね、勧めたわけであります。ちょうどヨーロッパの戦争でフランスが無血開城されたように、(訂正)パリが無血開城されたように、南京も色んな文化遺産があるので、それを保護するために無血開城するよう勧めたのですが、これは無視されました。
そこで戦闘が起こったわけですが、どのくらい死んだかということについて、死者の数がですね、ある程度特定できます。
戦闘でですね、死んだ国民党の兵士の数は約1万5千くらいと見積もられます。
これは年が明けましてから春先にそういう、遺体が腐敗するので衛生上の問題があるということで、日本軍がお金を出して中国の人達を雇って、そして埋葬の処理を致しました。当時の埋葬処理能力やその日にちなどを厳密に計算した研究がございますが、それに基づけば埋葬された死者の数は1万5千ぐらいです。
日本兵もたくさん死にましたけれども、戦闘で死にましたが、日本兵については日本軍が占領した際に、日本兵である認識票という金属の付けたものがございますが、それを基にして日本兵を集めて火葬にしております。
次に民間人ですが、民間人については実は南京城内に15人からなる欧米人のコミュニティーが作られまして、「そこを中立地帯として、どちらの軍も入らないよう」ということを要請したわけです。しかし、中国軍はここにですね、軍服を脱いで大量に入り込んでしまったために、後に問題が起こります。
まあ、いずれにしましても、占領した日本軍に対して欧米人のコミュニティーが食糧を要求しております。
そして、それはこの中立ゾーンの、safety zoneの中に、安全区の中に20万人の中国市民がいるので、その食糧を調達して欲しいと要請しております。
で、通常は南京事件、南京大虐殺で30万人の市民が殺されたと言っておりますが、実際はこの一週間後、占領してから一週間後にまた委員会が食糧を要求する。で、その時の数はやはり20万人であります。「20万人のチャイニーズ・シビリアンがいる」という風に言っております。
で、その一週間後にも同じ数字が出てきて、その一週間後にもという形でずっといきまして、一ヶ月後にはなんと安全区の中国人市民の数は25万人に増えております。
したがいまして、何万とか何千とかいうオーダーの市民の殺害はありえません。
他方で西洋人の委員会は毎日毎日、克明にその戦争被害、まあ色々なですね、事件を克明に記録した文書を残しております。
で、これを私ども詳細に研究しましたが、そこでですね、伝聞ではなくて、つまり誰かから聞いた話として書かれてることではなくて、直接私が見たとして証言している殺人事件というのは1件であります。
ですから、南京大虐殺というのは、私は市民の計画的な大虐殺というのは殆ど考えられないと思っています。
たくさんの国民党の兵士がその戦闘で死んだということは事実でありますし、万のオーダーの戦死者というのは、おそらく死屍累々とした状態であったと思いますので、これを見た人が何十万とか言ってもですね、それはそういう表現というのは解りますけれども、これはいわゆる不法な虐殺ではなくて、戦闘によって生じたことである、という風に理解しています。
但し、その全く日本軍による、なんて言いますか、色んな事件がなかったとは私は考えておりませんし、ですから教科書の南京事件という風に書いてありますけれども、それは事の真相はそういうことで、この10年くらいの間に南京事件の研究も日本で急速に進んでおりますので、私は先ほどのご質問に関連して言いますと、これはまさに事実がどうであるかという問題なので、立場の違いに関わらず事実を客観的に確定していくということが必要だと思っております。
【外国人記者:31分14秒から31分53秒まで(字幕)】
Q:手元にある英訳された文章には南京事件の記述が見当たりませんが・・・
【藤岡:31分58秒から32分14秒まで】
A:ちょっとよろしいですか。今のはですね、注に書いてあります。(外国人記者「chuu?」) Noteですね。In foot noteに書いてあります。
■05/5/25(水)誤報、捏造、情報操作……メディアは本当に厄介です(つい先日紹介済)
(前略)中国人や日本のサヨクはよく「数の問題じゃない。日本によって中国が多大な損害を被ったのは事実。1000人でも1000万人でも中国人民の気持ちが傷つけられたことに変わりはない」などと言い返してきますが、ちょい待ち〜!
何の根拠も提示せずにここまで一方的に数字を膨らませてるんですよ。「数の問題じゃない」ではすまされません。
一番わかりやすい例である南京事件(南京大虐殺)を例にとると……
・南京陥落直前の人口=20万人
(国際機関の認定による)
・陥落10日後=20万人
(南京外国人会のジョージ・フィッチが南京城内の食糧補給のため算出)
・陥落1ヶ月後=25万人
(日本軍の調査により外国人が発表)
・陥落3ヶ月後=22万1150人
(ルイス・S・C・スミス博士が学生を動員して調査。調査員の手のとどかない所もあり、移動途中の民衆を加えると25万〜27万と推定される)
となると、たとえ民間人が殺されたとしても、多く見積もっても千の単位ではないでしょうか。
そう言うと、また彼らは「数の問題じゃない」と言い返してきますが、そうじゃない。これは数の問題です。
彼らは公式に「無抵抗な民間人30万人を組織的に虐殺した」と主張してるんですから、まずこの数字から崩していかないと日本の冤罪は晴れません。
中国兵は敗走する際、「安全区」と呼ばれる民間人の退避地区に民間人のふりをして多数逃げ込みました。
その敗残兵(便衣兵)狩りの過程で、民間人が巻き添えを食って殺されたことはあったでしょう。
が、南京という限定された地域・限定された期間・限定された武器で、民間人を組織的に30万人も殺すことが果たして可能でしょうか?しかも人口20万人しかいない都市で!
■05/7/4(月)「報道2001」中国の反日教育の実態明かす
(全文はこちらに掲載。入れなかったらキャッシュからどうぞ)
中国共産党の代弁者として、おなじみ野田毅元自治相(日中協会会長)、そして宮崎公立大教授の王智新が出演(二人ともスタジオ出演じゃなく中継でした)。
(中略)
●南京事件について
櫻井よしこさんが中国国民党が欧米人(ティンパーリ)にお金を払って「南京大虐殺」についての本を書かせて、世界に宣伝させたという話をしたところ……
王智新
「ティンパーリにどこから金が支払われたというのか。根拠のないことを言わないで下さい」
櫻井よしこ
「国民党の国際宣伝部の担当者である曽虚白(そ・きょはく)が自伝の中でそう書いているんです。『ティンパーリは理想的な中国の広報のための人物だった。ティンパーリを通してスマイスにお金を使って書いてもらった』と書いてあります。もっと勉強なさって下さい」
王智新
「……調べてみます」
野田毅
「日本も日露戦争の時、謀略や工作をやった。他国を味方につけようとした。中国もやって当たり前」
黒岩祐治
「野田さん、他人事みたいに言われてますが、日本がそんなふうに(事実を曲げて)伝えられてることはどうなんですか?我々は当事者ですよね。野田さんの中に怒りが感じられないんですが」
野田毅
「私はこういう問題をずっとやって来たから。大事なのは中国の多くの人がそれを史実と思い込んでる。喧嘩状態で言っても進まない……」
●中国歴史・教師用指導書より
日本の右翼勢力が南京大虐殺の真実を隠し、侵略の事実を消し去ろうとする企みに対して、常に警戒し、ファシズムの復活を警戒するようにする。
王智新
「この文の最初にある『日本』という二文字を消したら、皆さんどうですか?ファシズムに警戒するのは当たり前じゃないですか?『日本』と書いてあるから皆さんは怒ってるだけでしょ」
一同、一瞬固まってしまう。「は?何言ってんの?」という感じ。
黒岩祐治
「そうでなく、なぜ今あえてこれを言うんですか?そういう一般論でなく、今こういうことが書かれてあることについて、どう思いますか?」
王智新
「ファシズム復活は警戒して当然でしょう。皆さん、そういうコンセンサスがなかったら、今日は話はできません」
黒岩祐治
「そんなことは言わずもがなじゃないですか!(苦笑)」
王智新
「それはあなたがそう思ってるだけであって……」
ごちゃごちゃ詭弁を弄する王氏。スタジオは皆、脱力。この後、野田による中共の代弁が続く。
(以下略)
■05/7/22(金)人民元切り上げ〜謝罪しない日本人は診療拒否
これは「諸君!」8月号に載っていた櫻井よしこさんの話なんですが……
櫻井さんが最近、韓国の知日派の金鍾泌元首相に会った時のこと。
「A級戦犯を合祀している靖国神社になぜ参拝するのか」と詰問されたので、櫻井さんはあまり角が立たないよう、靖国神社やA級戦犯とされた人々に関する事実関係をごく簡単に指摘、靖国参拝は日本人として当然のことだと語ったそうです。
すると金元首相はものすごく声を荒らげて、「日本人は南京で30万人殺した」と言い、「当時の南京の人口は60万人で、日本人が虐殺して30万人に減ったのだ」と、全く事実ではないデータを挙げて一方的なことを言ったそうです。
櫻井さんは、「知日派とされる政治家にもかかわらず、当時の南京の人口は30万人に満たなかったという知識さえ持ち合わせてないことに私は驚愕しました」と言っています。
韓国の政治家ですらこうなんですから、中国の民間人は当然もっと何にも知りませんわな。
ソクラテスは「無知は罪なり」と言いましたが、中国や韓国の場合、政府がある種の意図を持って国民に対して無知を強いている、とも言えるわけで。
■05/12/13(火)京都小6殺害&細切れぼやき多数
■12/8付産経国際面コラム「北京春秋」〜歴史の改竄(ネットソースなし)
「うっかりミスにより、お届けしたばかりの第四十四号に重大な事故(錯誤)が生じましたので送り返してください」。大手週刊誌「三聯生活週刊」社から、十一月下旬発行の最近号の回収に協力を求める通知が来た。刷り直した雑誌と交換するという。
誌面に訂正が必要なほど重要なミスがあり、当局から回収を指示されたのだろう。そう察して、改めて目を通したが、「重大な事故」は発見できなかった。同誌に問い合わせ、写真に問題があったと分かった。
写真は、北京の天安門広場南にあり、明、清の時代から繁華街として栄えた前門大街の胡同(路地)の取り壊しに関する記事の冒頭に掲げられた。人波の中を人力車が走る往時の前門商店街を記録した歴史写真だ。
商店街に高く掲げられた横断幕が問題だった。「慶祝南京陥落」と大書されていたからだ。一九三七年十二月、旧日本軍が南京を攻略した直後に、地元商店街が、北京を既に支配していた日本の歓心を買うために掲げていたに違いない。
出版社側は写真から横断幕の文字を消し、刷り直したが、「返送しないなら、この部分を黒く塗りつぶして欲しい」と言った。どっちにしても歴史的事実が消えるわけではない。中国側の言葉を借りれば、「歴史の改竄」ではないのか、これは。
(伊藤正)
産経ってこういうドエライ記事がさりげなく載ってるから好き!(≧▽≦)
■05/12/21(水)GHQ主導ラジオ番組「真相はこうだ」の闇
産経新聞の特集“続・歴史の自縛”が今日からスタート。
(中略)
●一面より引用(本文)
終戦直後に連合国軍総司令部(GHQ)が主導し、NHKが放送したラジオ番組「真相はこうだ」=当時は「真相はかうだ」と表記=の初回と第二回放送、それに南京事件を扱った回の録音が現存していたことが、19日までに産経新聞の調べでわかった。
現存が確認されたのは、NHKが過去の放送番組を保存している「NHKアーカイブス」(埼玉県川口市)と「キングレコード」(東京都)。昭和二十一年二月に放送された最終回だけは、横浜市内の放送ライブラリーで保存・公開されているが、このほかの回は録音盤はむろん台本などの資料も散逸したとみられていた。
このうち、南京事件の回についてNHKは産経新聞社の要請に応じ、放送から六十年ぶりに内容を公開した。保管されていたのは約十五分で、登場人物である「文筆家」の声で始まり、最後はベートーベンの「運命」を流し、「真実が進軍しているんだ」というナレーションとともに終わる。
(中略)
「真相はこうだ」は、昭和二十年十二月八日からGHQがすべての新聞に掲載を指示した「太平洋戦争史」(全十回)と同じく、二十一年五月に始まる東京裁判に向けた国内世論対策の色彩が強かった。
放送の反響は大きく、日本の行為を一方的に断罪する番組構成に反発する投書がNHKに多数寄せられ、出演者に脅迫状が送られたこともあった。だが、占領下ではそういった事実は報道されることはなかった。
●一面より引用(用語解説)
「真相はこうだ」
真珠湾攻撃4周年にあたる昭和20年12月8日にあわせて9日に始まり、翌年2月10日まで毎週日曜午後8時のゴールデンタイムに全10回、NHKで放送された。日本が敗戦に至るまでの出来事を「太郎君」の質問に「文筆家」が東條英機元首相ら「戦争犯罪人」らの罪状を暴露、「真相」を明かすというドラマ形式の番組だった。連合国軍総司令部(GHQ)で教育やメディアの改革を担当していた民間情報教育局(CIE)のラジオ課が、東京・内幸町にあったNHKに陣取り、脚本、演出を手がけた。ただ、番組では米国を「敵」と呼び、日本製であるように装った。
米国で人気があったラジオ番組「マーチ・オブ・タイム」を参考にしたとみられ、爆撃音や悲鳴などの効果音やクラシック音楽を使う演出は、それまでの日本のラジオ番組にはなかったという。
●三面より引用(本文)
終戦直後の日本で「真相はこうだ」が、GHQの思惑通り受け入れられたとはいえない。
「グロテスクでおどろおどろしく、子供だましという印象だった」
北海道岩見沢市で敗戦を迎えた東工大名誉教授、芳賀綏(七七)の脳裏には、十七歳で聞いた「真相はこうだ」第一回の印象が焼きついている。
ラジオ好きの芳賀は新聞の予告記事で新番組が始まるのを知った。しかし、何回も聞くうちに大げさな内容、演出にばかばかしさが募ったという。
芳賀は「とにかく終戦時の日本は間違っていたというキャンペーンばかりで、GHQがやらせていることはすぐに分かった。戦場から帰った人も実感した戦争とあまりにも違う荒唐無稽な番組と思っただろう」と語る。
(中略)
同番組は、「虐殺数二万人」と放送したが、亜細亜大教授、東中野修道は「南京在住の欧米人が南京陥落後に戻ってきた米大使館員に話したという根拠のない数字のことだろう」と言う。
東中野は、文筆家が「これが真相だよ。南京から掘り出されたアメリカ宣教師の撮ったニュース映画を見ればよくわかるよ」と、「虐殺」の根拠をあげる場面も「全くのうそ」と否定する。
「米国人のマギー牧師が十六ミリフィルムで当時の南京の様子を撮っており、米国立公文書館に所属されているが、虐殺シーンは写っていない」
(中略)
「真相はこうだ」制作にかかわり、後にNHK専務理事になった春日由三は、「不成功に終わった占領軍時代の代表的なものだ。この番組に対する聴取者の抵抗が予想以上に激しく大きかったのを見て、私は日本人の愛国心というものに頼もしさを覚えた」(「体験的放送論」)と書き残した。
だが、GHQは「真相はこうだ」の“失敗”に学び、さらに巧妙な「情報戦」を仕掛けることになる。
(中略)ちなみに、『真相はこうだ』では「虐殺数二万人」となっていますが、東京裁判の判決では「捕虜などを含めて約20万人が殺された」となりました。
一説によれば20万人という数字は広島・長崎の原爆投下による犠牲者数に近く、米国の戦時国際法違反から日本人の目をそらさせるために考え出されたといわれています。
■06/1/7(土)中国人による「数字」について
(前略)というのも、「諸君!」2月号の大特集『もし中国にああ言われたらこう言い返せ』の中の櫻井よしこさんの論文に、この「中国社会科学院」の研究所員が登場するんですが、これがおよそ学者とは思えないトンデモ発言をしているからです。
戦後60年の間に中国政府が日中戦争の犠牲者の数字をどんどん水増ししてきたことについて、櫻井さんと中国社会科学院の研究所員とのやりとりの箇所から引用します。
中国人による“数字”について、私は2005年夏、興味深い体験をした。「文藝春秋」の企画で杏林大学客員教授の田久保忠衛氏と共に北京を訪れ、中国を代表する学者2名と共に日中歴史問題について論じたときのことだ。中国側の学者両氏は、歴史問題では日本が悪いとの主張を、表現を変えて繰り返した。私は彼らに、320万人から570万人、2168万人、さらに3500万人へと被害者数が増加した根拠について問うた。さらに、たった一種類しかない中国の国定教科書で、日中戦争の犠牲者は1960年までは1000万人と教えられ、85年には2100万人と改訂され、95年には3500万人と、なんの説明もなく増えていったのはなぜかとも問うた。
彼らは当初、右の問いには全く答えようとせず、話題を他の点に移そうとした。しかし、中国流の事実の歪曲を知るにはどうしても答えてもらわなければならない。三度目に問い質したとき、中国社会科学院研究所研究員の歩平氏が次のように答えたのだ。
「戦争の犠牲者についてですが、歴史の事実というのは孤立して存在するのではなく、それは感情というものに直接関係してくるということを申し上げたいと思います」
馬脚を露すとはまさにこうしたことだ。日中戦争の犠牲者の数の理不尽な増加が国民感情に直結していると言うのであれば、その数は日本への恨みと憎しみの感情表現に他ならず、歴史事実とはなんの関係もない。しかもその恨みと憎しみを愛国主義教育によって植えつけ、増幅させるのが中国の国策である限り、反日感情も、犠牲者数も、その主な部分は中国政府自らが創作したものだと言われても弁明できないだろう。
右のくだりで歩平氏はこうも述べた。
「たとえば南京大虐殺の30万人という数字について、当然、根拠はありますが、これはたんに一人ひとりの犠牲者を足していった結果の数字ではありません。被害者の気持ちを考慮する必要もあります」
中国を代表する立場で、社会科学院の学者が、事実上、南京事件の犠牲者、30万人という数も、事実ではないと言っているのだ。中国国民の感情の反映であれば、この数字もいつの日か、日中戦争全体の犠牲者の数が根拠もなく増加したのと同じく、増えていく可能性はゼロではないだろう。
「被害者の気持ち」や「国民感情」というよりは、「中国共産党の都合」というのが正しいんでしょうけどね。中国では歴史=政治ですから。
でもさすがにそれは言えないから、「被害者の気持ち」を前面に出して日本人の贖罪意識を刺激する、と。
これが筑紫哲也とか加藤千洋とか若宮啓文だったら納得して帰ってくるんでしょうが、櫻井さんや田久保さんには通用しませんって(^_^;
■06/1/8(日)皇室典範〜物事の本質を見よ
■東史郎氏の死をさっそく中共がプロパガンダに利用している模様
1/7付産経朝刊国際面にこんな記事が載ってました(ネットソースなし)。
・【中国】南京事件関連著者の元日本兵死去/日本糾弾で“共闘” 異例の追悼大報道
日中戦争中の南京事件に関する著書で知られる旧日本軍兵士の東史郎氏が今月初めに93歳で死去した。6日午前、京都府京丹後市で行われた葬儀には、関係者約150人が集まり、南京市から派遣された中国の関係者の姿も見られた。中国当局とメディアは東氏の死去を受け、「勇気と良識を持つ国際友人」と氏を持ち上げ、異例の追悼キャンペーンを展開している。日中関係が冷え込み、日本に対する中国の厳しい姿勢が続くなか、東氏が受ける“特別待遇”は際立っている。
江蘇省の新聞、南京晨報によると、東氏が死去した翌日の4日、南京市の大虐殺記念館で市関係者や南京事件の研究者らが集まり、「東史郎先生をしのぶ会」が開かれた。
また、中国外務省の秦剛報道官は5日、定例記者会見で「(東氏は)中日友好へのたゆまぬ努力により、われわれの理解と尊重を勝ち取った」と中国政府を代表して哀悼の意を表した。人民日報をはじめ、多くの中国紙も氏の訃報を評伝付きで大きく伝えた。
東氏は1912年生まれ、37年に召集されて京都第16師団に入隊し上海・南京攻略戦などに参加。戦後、町会議員や農協役員などを務めた。
氏が中国で注目され始めたのは87年。南京攻略戦を振り返る著書で、目撃談として当時の上官が中国人を郵便袋に詰め、虐殺したと書いたため、元上官から事実無根として名誉毀損で訴えられた。一審から最高裁まで、東氏の主張が信憑性不十分として却下された。だが中国当局がこの判決を「南京大虐殺全体への不当な否定」と位置づけ、東氏を中国に招き、日本政府を糾弾するキャンペーンを始めた。新華社通信などによると、それ以来、東氏は2004年まで計7回訪中した。
南京市政府が東氏の遺族に送った弔電は「歴史の真相を守るため、日本の右翼勢力と不撓不屈の闘争を展開した東先生の精神はわれわれを激励し続ける」と述べた。
(矢板明夫)
中共に「良識を持つ人」と言われたり“特別待遇”を受けたりする人物=日本の国益を損なう人物。
※参考リンク
あやしい調査団盧溝橋へ 4 東史郎展
写真入りでわかりやすいまとめです。裁判の経過も書かれてありますが、全く「不当な判決」ではないことがわかります。
■06/7/27(木)日経の次はテレ朝、朝日新聞も当然援護射撃
■産経7/26【「友好」の舞台裏】中国の対日宣伝工作(下)メディア使い世論操作
これ、すごく良い特集だと思うんですが、WEBに載ってるのは(上)だけで、(中)(下)は載ってないみたい(T^T)
今日の(下)では、南京事件についてちょっと興味深いことが載ってました。
「中国共産党は、『アジプロ』を重視していた。アジテーション(扇情)とプロパガンダ(宣伝)という意味だ。日本人は『扇情』『宣伝』というと後ろ暗く感じるが、彼らは公然とやっている」と、現代史家の秦郁彦氏は指摘する。秦氏は「最大限で4万人」との立場だが、かつて中国人学者に30万人説について聞いたところ、「『たくさん』という意味だ」との答えが返ってきた。
秦氏は「中国は『30万人』は絶対に譲らない。つじつまが合おうと合うまいと、情報戦の世界では『たくさん』というイメージを作るのは当たり前。中国がカードを切れば、日本国内で何倍も大騒ぎしてくれる。こんなに安くつく情報宣伝工作はない」と指摘する。
■06/7/29(土)サッカーでは大暴れ、ARFでは引きこもりの北朝鮮
■月刊『WiLL』9月号
渡部昇一さん<「中国を永久に黙らせる100問100答」保存版30ページ>
Q21 南京大虐殺の虐殺人数は三十万人だ
【答】当時の南京の居住者は約二十万人。戦闘行為中は逃げていたのでしょうが、日本が南京に入城すると安心して南京に戻ってくる人が多数出て、間もなく二十五万人になった。約二十万人しかいないところで三十万人殺して、一カ月後に二十五万人になっているというのはおかしい。これじゃ魔法です。
■06/9/25(月)生まれ変わっても日本人になりたいですか?
■中国:「事実」伝えた本多勝一氏ら表彰 南京大虐殺記念館
中国江蘇省南京市の南京大虐殺記念館は24日、南京大虐殺の「事実」を伝える上で大きく貢献したとして、ジャーナリストの本多勝一氏、元早大教授の故洞富雄氏ら8人を表彰することを決めた。新華社が同日伝えた。
ほかの6人は、南京大虐殺を研究してきた国内の学者ら。(北京・共同)
毎日新聞 2006年9月25日 12時57分
こんなふうに堂々と工作員認定されたら、かえって活動しづらくなるんじゃないですか?(^_^;
※参考リンク
・本多勝一(Wikipedia)
著書『中国の旅』については、「独自の取材をすることなく、中国当局から紹介された人々からの聞き取りをそのまま載せている、中国政府の主張のままだ」として、大虐殺否定論者などから攻撃されることが多い。 本多勝一は上記の批判に対し「私は中国側の言うのをそのまま代弁しただけですから、抗議をするのであれば、中国側に直接やってください。」と反論している。
これがジャーナリストの言うことか?(-.-#)
■06/10/14(土)朝日新聞の捏造・放火の歴史
●1971.8.26-11.26 「日本軍虐殺」捏造コラム掲載
「中国の旅」と題する「日本軍虐殺」捏造コラムを計31回連載。著者は本多勝一氏。いわゆる「南京大虐殺」が知られるきっかけとなったものだが、中国政府当局やその恐怖政治の影響下にある人間による「日本軍の蛮行」に関する「証言」を丸写ししたものだった。
後年大量の嘘写真や捏造事例などが暴かれ、本多氏自身も「証言」を丸写ししたものであることを認めている。
●1984.8.4 「南京大虐殺」を捏造
生首のごろごろ転がる写真を「南京大虐殺の証拠写真」とし、南京に入城した元歩兵二十三連隊の上等兵が記したという「日記」を併記して掲載。
これに対して、元歩兵二十三連隊の有志からなる「都城二十三連隊会」が立ち上がった。元兵士の懸命の調査により、1年4カ月後になって、この写真が全く別の場所の写真であることが判明する。「都城二十三連隊会」は記事取り消しや謝罪文掲載の要求を朝日につきつけた。
それに対して朝日は1985/1/22、このような数行のおわび文を掲載した。「(前略)日記は現存しますが、記事で触れられている写真三枚は南京事件当時のものでないことが解りました。(後略)」。全く、元歩兵二十三連隊が南京大虐殺をしていないという記述はどこにもない。「都城二十三連隊会」は更に朝日に対して不信感をつのらせた。
写真の嘘が明らかになったのなら、あとは日記の真偽が焦点となる。例によって朝日は、取材情報源の秘匿を主張し、さんざんゴネた上に朗読まではしぶしぶ行ったが、筆跡鑑定のための開示を拒んだ。
「都城二十三連隊会」は日記の開示を求め、1986/8/22に小倉簡易裁判所に日記保全の申し立てをし、全て開示し写真に取らせよという判決が12/27に下った。が、朝日は取材情報源の秘匿を理由に、福岡地裁小倉支部に抗告し、裁判引き延ばし戦術に出た。最年長の老人は心労のため入院した。今なお朝日は真相を隠蔽している。
過去記事ここまで___________________________________
※紹介しきれなかった南京事件関連エントリー(比較的新しい物)
・06/3/28付:GO!GO!松原仁−1(3月10日衆議院外務委員会)南京事件でGJ発言
・06/3/28付:GO!GO!松原仁−2(3月15日衆議院外務委員会)南京事件でGJ発言
・06/3/31付:高校教科書検定で南京事件はどうなった?
・06/5/25付:百人斬り訴訟と靖国合祀中止訴訟
※参考リンク
・YouTube>「南京大虐殺」…貴重な映像や証言の数々
・南京大虐殺はウソだ!さん
・あやしい調査団さん「反日アミューズメント 中国人民抗日戦争記念館」
・あやしい調査団さん「あやしい調査団、南京へ」
・【ニュース】カナダ在住の華人 南京大虐殺を地元の教科書に盛り込む--人民網日文版--2006.07.21
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Comments
今度は本当のようです。
個人としては中国関連、関係のものは買わない事ですかね。
ALOは使ってないし・・・。
抗議は中国には通じないだろうし・・・。
日本政府にメールでもして政府から抗議をしてもらうとか、日本のの映画関係者のブログに意見を送るとかぐらいっスかね。
政府がプロジェクトでも立ち上げて反論キャンペーンを大々的にやってもらいたいトコですが・・・。
いわれなき中傷を受けるのはもう嫌ですから。
万円くらいカンパしますぜ。
コメントありがとうございます。
とりあえず官邸とか外務省とかにメールですかね。でも外務省はいまいちあてにならんので、やっぱ麻生外相に直メールかな?
さっき「TVタックル」で宮崎哲ちゃんが「安倍さんが訪中してから日中は蜜月状態。日本の政治家がみんな北京に行きたがってる」みたいなことを言ってました。官僚はなおさら動きませんよねぇ(T^T)
実は私、メアドだけAOLなんです。もう10年近くずっと同じメアドで、仕事でも使ってるし、夫も使ってるし、変更が面倒なので今までずるずる来ましたが、どうしたもんやろか〜(T^T)
ぽこぺんさん:
コメントありがとうございます。
この前、チベット人虐殺の映像が2ちゃんねるなどで話題になりましたが、映画となるとなかなかないですよね。「セブン・イヤーズ・イン・チベット」ぐらいですかね?あの映画は欧米を中心にチベット問題の存在を広く世界に知らせたと思いますが、でも実際のチベット侵略、虐殺はあんなもんじゃないですよね(T^T)
『中国人にのっとられる』」
http://sasakima.iza.ne.jp/blog/entry/51750/
政治レベルでは蜜月関係と言われる露中関係。
しかし、ロシア人の中国人に対する不信感はすさまじいものがあります。
「ロシアの記者はいつも、『中国はいつロシアを侵略するのか』
中国人はバッタ。大群がやってきて、最後の最後まで食い尽くす。獰猛な目の侵略者。
「中国人と一緒に空気を吸うのもいや」「このままでは、領土が中国人に乗っ取られる」
「中国人は、われわれの土地を最後の最後まで搾り取る。中露国境の薄い膜は、最後の一匹まで動植物を捕ろうとする十数億人の人の圧力でゆがみ、今にも破裂しそう。祖国が危機に面している」
中国と地続きというのは本当に恐ろしいことですね。
そういえば、8月に爆弾テロが起き、10人の中国人が殺されたのはまだ記憶の新しいところです。
コメントありがとうございます。
大国ロシア人ですらそのように感じているとは…。
>中国と地続きというのは本当に恐ろしいことですね。
全くです。海を隔てていても恐ろしいなと思うんですから。日本がもし中国と地続きだったら、とっくの昔に侵略されて滅ぼされてるような気がしますわ(T^T)
この話をご存知ですか?
国賊許せない!
コメントありがとうございます。
昨日の新聞広告で見出しを見て気になったので、今日コンビニで立ち読みしました。
つーか、すでに昨日のうちにmumurさんちに全文が掲載されてたみたいです(^_^;
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50695135.html
思想がどうこう以前の問題で、人としての品性を疑いますね。
> プロローグの段階でもうすでに核心を突いてるような気がするのは、私だけでしょうか?(^_^;
これについては
http://www11.ocn.ne.jp/~nbbk/143/143_006.html
か
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/143photos/num/n-006-7.htm
をどうぞ。
>近年、肯定派はすっかり分が悪くなっちゃってますしね。出てきても叩かれるだけなので怖くて出てこれないんでしょうね(^_^;
どうせフェアな扱いしないことが目に見えているから断られたんじゃないですかね。
> で、その一週間後にも同じ数字が出てきて、その一週間後にもという形でずっといきまして、一ヶ月後にはなんと安全区の中国人市民の数は25万人に増えております。
> したがいまして、何万とか何千とかいうオーダーの市民の殺害はありえません。
これはすでに指摘したトリックですね。第一に、安全区以外の南京市全域が(兵士を除いて)無人であったことを証明した人物は一人もいません。逆に、否定派の田中正明の文献に”城外にも難民がいた”ことを示す記述があるほどです。戦争が終わっているのに安全区に人が集まっているというのは、逆に言えば安全区の外が危険だったからなのです。
>櫻井よしこ
>「国民党の国際宣伝部の担当者である曽虚白(そ・きょはく)が自伝の中でそう書いているんです。『ティンパーリは理想的な中国の広報のための人物だった。ティンパーリを通してスマイスにお金を使って書いてもらった』と書いてあります。もっと勉強なさって下さい」
しかしその曽虚白は、ティンパリーが南京で事件を「目撃した」という虚偽を書いているんですな。櫻井よしこはもっと「勉強」して、都合のいい資料を鵜呑みにせずに他の資料とつき合わせて資料批判することを学ぶべきです。この点については
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20061018/p1
もどうぞ。
>終戦直後の日本で「真相はこうだ」が、GHQの思惑通り受け入れられたとはいえない。
戦後の日本人がGHQに洗脳されてきたというのはウソ、ということですな。
>一説によれば20万人という数字は広島・長崎の原爆投下による犠牲者数に近く、米国の戦時国際法違反から日本人の目をそらさせるために考え出されたといわれています。
歴史学プロパーの研究者でそんな「説」をとっている人がいますかね?
>渡部昇一さん<「中国を永久に黙らせる100問100答」保存版30ページ>
>Q21 南京大虐殺の虐殺人数は三十万人だ
>【答】当時の南京の居住者は約二十万人。戦闘行為中は逃げていたのでしょうが、日本が南京に入城すると安心して南京に戻ってくる人が多数出て、間もなく二十五万人になった。
安全区と南京市をごっちゃにするような回答では「永久に黙らせる」ことなど永久に出来ないでしょうね。
>写真の嘘が明らかになったのなら、あとは日記の真偽が焦点となる。例によって朝日は、取材情報源の秘匿を主張し、さんざんゴネた上に朗読まではしぶしぶ行ったが、筆跡鑑定のための開示を拒んだ。
秦郁彦の『現代史の謎を負う』上巻、194頁を参照。実は朝日が使った日記は都城二十三連体会が以前に連体詞を編纂した際借り出して、二カ所を引用したことのある本物。連隊会はそのことに気づいていながら抗議を続けていたわけです。
南京大虐殺というものがあったのかどうかはわかりませんが、一つ気になることがあります。
唖然、中国の方がTVでおっしゃっていたのですが、昔(20年ほど前と言ってたかな)は南京のことは中国の教科書に全く載っていなかったそうですね。
あった、と主張するならどうして昔は載っていなかったのだろうか、と不思議に思います。
あと、当時の中国の新聞紙も伝えていない、とか……。
なので、私は南京で意図された虐殺ではないが何かがあって、そして民間人が多数殺されたのは間違いないと思うのですが、だからと言って相手方の言い分を無条件に聞くのは危険だと思います。
>唖然、中国の方
唖然ではなく以前、です。
何やってんだ、あたし……。
小学校の教科書ではその通りですが、中高では60年代から載っていました(それまでについては内戦があったことに留意してください)。
>あった、と主張するならどうして昔は載っていなかったのだろうか
そもそも教科書に載るかどうか以前に、国民政府が主催した南京軍事法廷で1947年に「犠牲者30万人説」が打ち出されています。共産党政府が南京軍事法廷の主張を採用するまで紆余曲折があったのはむしろ当然でしょう。
>あと、当時の中国の新聞紙も伝えていない、とか……。
いいえ、ちゃんと報道されています。ただし、中国側が被害規模について自分で調査できるようになったのは1945年以降ですから、それ以前には「南京事件の犠牲者=30万人説」が見られないのは当然ですが。
>私は南京で意図された虐殺ではないが何かがあって
捕虜の殺害、敗残兵の殺害については日本軍は「命令」に基づいて行なっています。日本軍が「戦果」を報告するための文書にその旨記載がありますよ。
独り言だったのでまさか返事があるとは思ってもいませんでした。ありがとうございます。
他所様のブログですので、あまり会話みたいにしたくないのですが、これだけ……。
今までは学校で「南京大虐殺」という名前だけで習ったので前後の事情なんかが全く分からずにとりあえずあったんだな〜程度にしか思っていなかったので、否定派の意見を聞くとさもそうかのように聞こえるんですよね。ですから、肯定派の意見をもっとTVで聞きたいのですが、たかじんの番組でもそうでしたが、出てこないので不満です。たとえ論じるまでもなくあったんだ、と思っていても否定派が現れた時点で肯定派も出てきてしゃべって欲しいです。
少し気になったのですが、
>捕虜の殺害、敗残兵の殺害
というのは所謂「南京大虐殺」の中に入るのですか?私の認識ですが、この事件は非戦闘員を無差別に意図的に殺害したから問題なのではなかったのですか?
虐殺と言われると、それこそナチスのホロコーストのように何か目的(ナチスの場合はユダヤ人の排斥でしたよね)があって無差別に殺害するようなイメージがありますので、南京大虐殺と言われると、一体何が目的で行ったんだ、と不思議なのです。軍という組織が何の目的もなく兵士を動員し、弾丸などを使うとは思えないものですから。
個人的には、もっと否定派・肯定派両方の意見を聞きたいです。きちんと根拠のあるもので。
すいません、軒先をお借りします。
りんさま
>肯定派の意見をもっとTVで聞きたいのですが、たかじんの番組でもそうでしたが、出てこないので不満です。
これについてはテレビ局が呼ばないのか、呼んだとしても本気で呼んでないのか、本気で呼んでたとしてなぜ出演しないのか、当事者に確認したことはないので確証はありません。ただ他の事例からの類推として個人的に確信を持っているのは、「テレビというメディアは丁寧に反論する必要がある側にとって不利」だということです。
例えば、テレビで大学教授が「人口20万のところで30万人殺せるはずがない」って発言すれば、予備知識のない人は大抵「おおっ、そりゃそうだな」って思うじゃないですか? では、これに対してテレビで反論しようとするとどう言わねばならないか?
1.俗に「南京」と呼ばれている地理的範囲には「南京城内」「南京城区(狭義の南京市)」「南京特別市」があり、さらにこれとは別に南京城内に設けられた「安全区」という空間的範囲がある。
2.1937年12月初旬における公式の人口統計は存在しない
3.戦争前の人口は「南京城内=約85万」「南京城区=約100万」「南京特別市=200万以上」であった
4.陥落前後の安全区の難民数については一応信頼できる証言があるが、安全区以外の城内、城外の人口推移については決定的な証言は存在しない。断片的に「城外にも多数の難民がいた」といった証言があるだけである。他方、安全区以外は「無人」であったことを決定的に示す証拠ももちろんない
5.「人口20万のところで…」という表現は南京防衛軍の将兵の存在を無視している。南京事件についての一般的な認識は、捕虜や敗残兵、非戦闘員の殺害が生じたというものなのだから、「30万人説」の妥当性を判断するには軍人の数を考慮に入れる必要がある。しかし、上海方面から敗走してくる将兵や、南京で急遽招集された兵士の存在もあるため、5万説から15万説までの開きがある。
6.それゆえ、陥落当時の南京の人口が「20万」であったということはまったく証明されておらず、それゆえ「30万人殺害は不可能」ということも証明されない
となるわけです。文章で読み比べればともかく、テレビ(一気にしゃべらせてもらえるのはせいぜい数十秒です)で有利になるのはどちらか、明白だと思います。
まあこれは私の立場からの発言として割り引いて聞いてもらえればいいのですが、「デタラメを言うのは5秒ですむが、そのデタラメを訂正するのには5分かかる」ということですね。
>私の認識ですが、この事件は非戦闘員を無差別に意図的に殺害したから問題なのではなかったのですか?
いいえ、違います。そのような「認識」のソースになっているのがなになのか、よろしければご教示いただけませんでしょうか? 同じようなことをおっしゃる方にこの数日何度か出会いましたので。
東京裁判の判決なり南京軍事法廷の判決なりを参照していただければわかりますが、戦後すぐの戦犯裁判以来捕虜や無力化した敗残兵の殺害も問題にされています。さらに言えば、リアルタイムでの海外の報道でも捕虜の殺害等が問題にされています。
>虐殺と言われると、それこそナチスのホロコーストのように何か目的(ナチスの場合はユダヤ人の排斥でしたよね)があって無差別に殺害するようなイメージがありますので
「虐殺」は「残虐なしかたで殺すこと」でしょう。ホロコースト的な殺害については「集団虐殺」「民族浄化」「ジェノサイド」など、固有の表現があります。たとえば「聖バレンタインの大虐殺」でググってみてください。
>軍という組織が何の目的もなく兵士を動員し、弾丸などを使うとは思えないものですから。
もちろん目的があって「兵士を動員」したんですよ。当初の目的は「上海居留法人保護」でした。ところが、派遣された軍の司令官は出発前から「この際(首都の)南京を攻略して国民政府を屈服させるべきだ」と公言してはばからなかったんです。そして(ソ連との戦争に備えるために)上海方面での戦線を拡大したくない参謀本部の意向を無視して現地軍が独走し、それを支持する参謀本部の中堅幹部や陸軍省の強硬派が後押しして、いつの間にやら南京まで進撃することになったわけです。
本来南京まで進撃する予定のなかった軍ですから、食糧等の補給が追いつきませんでした。そのため掠奪が発生することになり、掠奪に抵抗する民間人の殺害や強姦が発生します。次に、日本軍は中国との戦争では「捕虜をとらない」という方針をもっていたため、投降兵を片っ端から殺してしまうことになります。さらに、「上海居留法人保護のため」と聞かされて出征した兵士たちは、激戦のすえようやく上海戦で勝利を収めたのに、今度は300キロも先の南京まで行けといわれる。食糧の補給もない。軍靴がなくて地下足袋を履いて行軍した兵士も多かったとされています。なんのために戦っているかもよくわからないのにいつ死ぬかわかったもんじゃない、それでいて食糧の補給すら満足にない。捨て鉢になった兵士たちの心は荒んでいくわけです。しかも兵士の犯罪を取り締まる憲兵は殆ど配備されてない、と。
日本軍が「南京で捕虜や非戦闘員を殺害するため」に出兵したのでないことは事実ですが、しかし日本軍の無理な進撃や、捕虜をとらないという(国際法違反の)方針や、憲兵不足を看過したといった不作為が南京事件の原因となっているのです。
以上は、犠牲者数の推定を除けばすべて、保守派の歴史家秦郁彦の『南京事件』(中公新書)にすべて書いてあることです。
Apeman様
長い文章ありがとうございます。
言われていたソースですが、ネットではなく、TVでこういう話になると度々中国の方がそういうことを言われるので、そうなんだと思っていました。「非戦闘員」というところが非常に問題みたいに言われていたので。何の番組だったっけなぁ?
当時の南京の人口については確か中国の駐日大使が約100万人とかはっきりと言っていたのを覚えています。色んなところから人が流れてそのぐらいの数値になった、と言っていた気がします。ネット上の新聞で読みました。その当時の資料は私は読んでいませんので、それを聞いてそうなんだ、とは判断できませんでしたが。逆に当時の南京の人口は20万人しかいなかったから南京大虐殺はない、というのもそのまま鵜呑みにすることはありませんでした。
最後にお聞きしたいのですが、
この問題がこんなに今話題になっているのはアイリス・チャンの『レイプ・オブ・南京』を参考に映画化するという話があったからだと思うのですが、この本についてはどうお考えですか?
私はどこかの記事で国内外から矛盾点が指摘されている、という記述を見たことがあります。先日も、(別のBLOGで)南京事件の肯定派であろう方がこの本は捏造だろうが、みたいに言っていたので、この本の内容は本当に怪しいのか?と疑問です。なんせ読んだことがないもので……。
今まで私が見たり聞いたりした肯定派の意見というのが(ネットサーフィンで行き着いたので今はもうそのサイトは分かりませんが)、
「南京大虐殺はあった!」
と主張し、どうしてそう思うのか、と他の人から言われたら
「そう習ったから」
とか
「そう思うから」
とか話にならないものばかりだったので、Apeman様の意見はきちんとされていて助かります。
コレを足がかりに色々な意見を目にしたいと思います。
最後に管理人様、お目汚し申し訳ございませんでした。
もしくっくりさんにご迷惑をかけないかたちでなにかお尋ねがありましたら、当方のブログの適当なエントリにコメントいただいても結構ですよ。
>「非戦闘員」というところが非常に問題みたいに言われていたので。
それは多分、捕虜や敗残兵はもともと軍人ですから、戦闘行為の中で殺害した場合には「違法」ではない、それゆえ違法な殺害だったのか、それともそうではないのかがケース・バイ・ケースで問題になりうる、しかし非戦闘員の殺害は弁明のしようがない…ということなんじゃないか、と思います。私は「これこれこういう具合に合法的だった」ということを日本側が証明できない限り、虐殺だったと言われてもしかたないと思ってますが。なぜなら、日本の領土内ではなく中国の領土内で起こった出来事だからです。
>アイリス・チャンの『レイプ・オブ・南京』を参考に映画化するという話があったからだと思うのですが
プロデューサーがアイリス・チャンの本を読んだのがきっかけ、とはされていますが、映画の脚本自体がアイリス・チャンの本に基づいているという確実な情報は現時点ではありません。むしろ産経の「トバシ」じゃないかと思っています。こちらもご参照ください。
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20061127/p1
Internet Movie Database(http://www.imdb.com)でキャスティングをみる限り、「南京に残留した欧米人の目を通した南京事件」というアプローチになるんじゃないか…と個人的には予測しています。
>この本の内容は本当に怪しいのか?と疑問です。
アイリス・チャンはアカデミックなトレーニングを受けた歴史学者ではありませんので、実証面で彼女の本に問題があることは日本の代表的な「南京事件=あった」派の笠原十九司であるとか、海外の研究者も指摘しています。写真に関しても誤用があったようです。その意味で、全面的に信用してよい本ではない、というのは確かだと思います。
だから、学問的なレベルで『レイプ・オブ・南京』の批判が行なわれることは大変いいことだと思うのです。ただ、日本だって「シベリア抑留」や「原爆投下」のように、犠牲者の規模や殺害の歴史的位置づけに関して相手国と共通の認識を持っていない問題はあるわけですよね? 仮にシベリア抑留について日本人が書いた本に実証面での誤りがあったとして、その誤りを指摘するだけならともかく、「いわれているようなシベリア抑留はなかった」とか「シベリア抑留は幻だった」とロシア人が言い出したらどう感じるだろうか? と。このように、「逆の立場だったら?」という想像をふまえたうえで批判するならもっと批判のしかたも変わってくるだろうし、相手の受けとめ方も違ってくると思うんですよね。
>と主張し、どうしてそう思うのか、と他>の人から言われたら
>「そう習ったから」
>とか
すんません、私たちの努力が足りんということですね(^^; 私自身も集中的に勉強しだしたのはこの数年ですので。真摯にコメントを読んでいただきまして、ありがとうございます。
http://tech.heteml.jp/2006/12/httptec.html
突然すいません。質問ですが、上記の「捨て鉢になった兵士たちの心は荒んでいくわけです」は誰かの証言を元にしてるんでしょうか?
証言があったかよく思い出せないので…すいません。m(__)m
りんさんも注意してね。
http://tech.heteml.jp/2006/12/httptec.html
>で、比較的染まってない人への啓蒙?(笑)
>すぷーさん
行軍の途中の食糧補給については、中国の農家から鶏買ったりしてた記録はありますよね。
私もそれは覚えています。^^
ちなみに私が上記の質問をしたのは、軍隊と言う所は兵には戦う意味など考えさせない所なので、少し奇妙に思ったからです。
上官の命令が下ったらその通りに動くよう教育するものなんですね。
休憩中でも、突然100キロ歩けと命令したら歩かせるように教育するものなんです。
戦場は計画通りに事が進むとは限らないので、どのような状態に陥ったとしても命令通りに行動してくれなくては困るんですよね。
普段の生活でも、たとえば重労働のあとの休暇が何らかの理由で潰れたとしても、代休などは取らせないんです。
つまり、「一戦したら休める」などという教育はしていないんですね。
ですからこの時点でそんな心境になったのか疑問なんです。
Apemanさん、もし上記の文章が誰かの証言を元にしたとしたら、どの部隊で、部隊全体の雰囲気がそうだったと証言しているのかも知りたいです。
・プロローグの段階で核心、の反論が中共プロパガンダならどっちもどっち。
・戦後教育により、50年フェアな扱いして来なかったマスコミ批判?
・城門が閉じられる前に脱出もせず、攻撃目標に難民が押し寄せ人口85万以上に復活し、砲爆撃対象の危険な安全区外に65万以上がいたので34万以上虐殺可能?
・南京にいなかったティンパリーの「目撃」が虚偽である事と、ネタ元となった目撃録を書いたのが、国際宣伝処との関係濃厚のベイツなら論旨は変わらず?
・事実を知る・理解する人は一部にいただけで、戦後の日本人がGHQに洗脳されてきたというのをウソ断定?
・原爆投下のみならず無差別爆撃を公式に認めざるを得なかった、「長崎の鐘」出版はマニラ虐殺と引き換えという事実より、歴史学プロパーの研究者の「説」が大事?
・安全区と同様に危険な南京市の人口も増加する筈?、・・・安全区と南京市をごっちゃにするような意見では「永久に黙らせる」ことなど永久に出来ない?
・中国側が被害規模について自分で調査できるようになったのは1945年以降であるが、調査なし&調査拒否?
・捕虜はとらない方針だったので、部隊規模の「命令」はあった!
・「戦闘員を含む中国人を無差別に意図的に殺害された」けど、歴史遺産申請は諦めた?
・捕虜をとらずに宣誓解放したなら国際法違反ではなく、交戦資格を失った敗残兵殺害は違法ではない・・・が問題。弁護するとすれば、中国の捕虜になればほとんど殺害、時間があれば解体だったので復仇?
・安全区からの敗残兵摘出が正確でない限り、非戦闘員の殺害は起こり得た。但し、非戦闘員の殺害をも目的にしていたなら、敗残兵選別は不要な行為。無かった事を日本側が証明・・・不可能な証明を求める理由が、国際条約の基づいて駐留していた上海日本軍に対し先制攻撃を行い、東京裁判でも上海から南京まで侵略戦争ではないと認定されているのに、中国の領土内で起こった出来事だから?
・「シベリア抑留」はエリツィンが謝罪。「原爆投下」は違法性の阻却程度で、どちらも国際的に公認されている事実の例を出して、中共プロパガンダを事実と思わせる?
ご指摘のブログにはコメントもしてますし自分のブログからトラックバックも打っております。
すぷーさん
もちろん資料的根拠に基づいて主張しています。詳細は帰宅してからまた改めて。まずは一般的な点のみ。
>ちなみに私が上記の質問をしたのは、軍隊と言う所は兵には戦う意味など考えさせない所なので、少し奇妙に思ったからです。
日本軍が「上官の命令は疑うことなく実行せよ」と教え込む軍隊だったのは事実です。しかし、そのような教育で「実行」させることはできたとしても、内面までを完全にコントロールできるものでしょうか? 兵士たちは現に、命令通り南京まで進軍しました(ただし、脱走した兵士の例もあります)。しかし進軍しながら内心でなにを思っていたかはまた別のはなしです。
>つまり、「一戦したら休める」などという教育はしていないんですね。
日本はソ連に備えて第一線の師団をなるべく温存しようとしたので、予備役や後備役から召集された兵士が多かったんです。そういう軍隊の論理から離れた生活をずっとしてきた人々が招集されたんですよ。これも帰宅したら具体的な数字を出せます。
>どの部隊で、部隊全体の雰囲気がそうだったと証言しているのかも知りたいです。
一般論としては上海派遣軍の方にそういう傾向が顕著でした。
まず予備役・後備役兵の比率が高かった、というデータからです(ソースは藤原彰、『南京の日本軍』、大月書店)。常設師団の場合現役が3割、予備役が4割、残りが後備役と補充兵という割合になります。特設師団になると後備役兵が主力(6割前後)、現役兵はほとんどいないという状態です。下級将校にしても同様で、特設師団には現役将校は殆どおらず、なんと58才の中隊長がいたとのことです。
このように、いわゆる「社会人」を経て招集された将兵にしてみれば、「上海居留民保護のために出征して、上海戦で勝ったら凱旋できる」というのはむしろ当たり前の発想でしょう。
以下、吉田裕の『天皇の軍隊と南京事件』(青木書店)からの孫引きです。
「最近、陣中には大場鎮陥落もそれほど遠くはないのだろうという、思いがけない観測が流布されはじめている。…既に、若しそのような事態が到来したら、凱旋の夢も不可能ではないといった淡い、希望的観測とも願望ともつかない流言飛語が密かに陣中に流れ出している」(第101師団の軍医。「淡い、希望的観測」といわれているのは、この師団が上海戦で多大な損害を出した師団だからです)。
「只今大場鎮を総攻撃中ですが 随分苦戦しています。之が落つれば上海の戦線も一段落となりて一時楽土となると思います」
「大場鎮が済むと師団も交代になるとか噂されて居ります」(いずれも兵士の内地への手紙より)
激戦場であった大場鎮の陥落後。
「戦争は終わったんだ、内地へ帰れるぞという噂が広がった」(第9師団の下士官)
「早朝から『上海』が見える、見える』と兵隊一同大騒ぎ、出てみるとはるかに陸戦隊本部の海軍旗が見える、活気づいて来た、今までの悲観的な空気が一度に消滅した。…色々のデマが飛ぶ。休戦か、故郷に帰れる話がある」(第101師団の見習い軍医の日記)
また、石川達三の「生きている兵隊』はフィクションの体裁をとっていますが、第16師団の兵士に南京攻略戦の直後に取材して書かれたもので、「なにが起こったか」の資料としてはともかく兵士の心理を理解するうえでは重要な資料になりうるものですが、ここでも華北から転用された第16師団の兵士たちが「凱旋だ」と喜んでいたのに「まだ凱旋ではない。土産物を買ってはならん」と部隊長に言われるシーンが出て来ます。
第十軍法務官の日記に、“3人を殺害、3人に重傷を負わせ、6人の女性を拉致した”事件の調査のために憲兵隊と法務部員が向かったところ、喜んで豚や鶏をお土産にくれたという話が載ってますな。もっとも、それより多いのは掠奪の証言ですが。
福岡で編制された連隊の連隊史に、金持ちの家の床下から金の延べ棒をかっぱらった話が載っているのを見たことがあります。
まず予備役、後備役ですが、兵役法では陸軍は兵の場合、常備役を2年勤めた後自動的に予備役として5年勤めることになっています。
期間中は年に1回召集されて訓練を受け、予備役終了後、後備役の任につきます。
中隊長は大尉か少佐がその役職につきますが、大尉は48歳、少佐は50歳まで現役です。
。
つまり、何れも現役をといてからそれほどの年月が経っているわけではなく、その間にも年1回訓練されているんですね。
特に中隊長の場合は軍隊生活は長期間経験しています。というより、働ける年齢のほとんどが軍隊生活だったといえるでしょう。
それに予備役というのは常備兵役です。常備役が終わったら軍隊から解放されるわけではないことは周知です。
ですからその本の「『社会人』を経て招集された将兵にしてみれば」や
「なんと58才の中隊長がいたとのことです。」、「『上海居留民保護のために出征して、上海戦で勝ったら凱旋できる』というのはむしろ当たり前の発想でしょう」という記述には逆に違和感を感じます。
このようなことですので、「内地に帰れる」という噂や「まだ凱旋でない」という証言を加えたとしても捨て鉢になったというのは説得力が低いです。
それから「生きている兵隊」ですが、著者の石川達三は、「この稿は実戦の忠実な記録ではなく、作者はかなり自由な創作を試みたものである」と書いているので、どの部分が証言通りの記述なのか、創作が加えられているのか判別がつきにくいんですね…。
このような物なので、この作品の創作と史実の割合がはっきりしてるなら、それを考慮して雰囲気を伝えるものとして参考資料にはなるかもしれませんが、証言の資料として使うのは適当でないと思います。
>参考資料にはなるかもしれませんが、証言の資料として使うのは適当でないと思います。
だから初めからそう申しあげていますが?
「生きている兵隊」については私の間違いですね。すいません。
その作品の「創作」というのが何なのかがわからないことを言いたかったのです。
Apemanさんは「意見」と言って書籍の引用のみをしていますので、その「意見」は引用に沿っていると判断しました。
そしてその引用の『南京の日本軍』では、「『社会人』を経て招集された」ことについて引用されていますが、社会人を経たとして、それがなぜ南京進撃で捨て鉢になるのか説明しきれていないと思ったので上記の意見を投稿しました。
当時の日本は国民皆平等ではありません。農業は小作農が存在しており、商工業も師弟制度が強く残っています。学校教育でも個人の自由などを教えているわけではありません。当時は上から言われたらその通りにするのが常識の時代です。その「社会」を経たことでどのように変わるというのでしょうか。
時代は多少違いますが、大正時代に米騒動という事件がありました。この事件でも米の価格が暴騰してから直ぐに起こっているわけではありません。当時の日本人は仕方のないこととして我慢するんですね。
そのような人たちが転戦を1回命じられただけで捨て鉢になるというのは大げさな気がします。
つまり『天皇の軍隊と南京事件』のその引用とその幾つかの証言だけではこの疑問を解消できないんです。
ずいぶんと「自虐的」な戦前像をお持ちなのですね。「大正デモクラシー」ってご存知ですよね? 戦前の日本にも「市民としての権利」への目覚めは一定程度あったのです。
さらに、すでに申し上げてたことですが、仮に「上から言われたらその通りにする」のだとしても、どのような心境で「その通りにする」のかはまた別問題です。スプーさんは「当時の兵士は一切不満を抱かなかった」と主張されるのでしょうか? だとしたらその資料的根拠はなにですか?
ちょっと大げさに書いただけですw
前にも書いた通り、予備役、後備役は軍隊経験者です。予備役中でも在郷軍人会に入会しています。社会人に戻っていると言っても軍(の風紀)から離れているわけではありません。
>「当時の兵士は一切不満を抱かなかった」と主張されるのでしょうか?
そうではありません。戦記を読めば不満を吐露していることなど珍しくない。
それを捨て鉢になったという心理につなげている理屈が甘いと思っているんです。