「ムーブ!」チベット抵抗史 ペマ・ギャルポさん出演
3月28日、政府の拉致問題対策本部がアニメ映画「めぐみ」をHPで公開しました。こちらで見ることができます。日本語の他に、英語・中国語・韓国語版があります。ダウンロードコーナーもあります。世界に広めましょう!
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日付は変わってますが、本日2本目のエントリーです。
■3/24(月)放送「ムーブ!」
チベット人(05年日本帰化)のペマ・ギャルポさんが生出演されました。
それだけでも「ムーブ!」GJと褒めてあげたい気分。
細かい相づちやツッコミはカット、言葉尻など曖昧な箇所もありますが、それ以外はほぼ完璧です。
画像はYoutubeで拾ったビデオから、キャプチャさせていただきました。各画像をクリックすると新規画面で拡大します。
内容紹介ここから____________________________
…………………………VTR開始…………………………
暴動に巻き込まれた日本人
「チベット人の若い男性に取り囲まれて、殴る、ける……。死ぬかもしれないと思ったのは、頭に石が当たって、意識がですね、フワーッと、その瞬間ですね」
日本人観光客も漢民族に間違えられ襲われたという、中国チベット自治区で起きた騒乱。
チベット自治区政府 リンポチェ首相
「少なくとも130人〜140人の死亡が確認されている」
このようにチベット亡命政府は死者130人から140人としているのに対し、中国側は死者18人と発表。真相は依然食い違ったまま――。
騒乱から10日が経っても未だに正確な情報は伝わってきません。
そこで今日の「ムーブ!」は、中国軍によって家族を失ったチベット人のペマ・ギャルポさんが生出演。
チベット人がなぜ中国に反発するのか。生の叫びを伺います。
…………………………VTR終了…………………………
堀江政生
「今回チベットで騒乱が発生してから10日が経ちましたが、未だに海外メディアが入ることができなくて、正確な情報というのは一切伝わってこない(注:3月27日、外国メディアは騒乱発生以来初めて中国当局から取材を認められた)。えー、そういう中で今日は、チベット人でダライ・ラマと同じくインドへ亡命したペマ・ギャルポさんに、スタジオにお越しいただきました。えー、よろしくお願いいたします」
ペマ・ギャルポ
「よろしくお願いします」
堀江政生
「ペマ・ギャルポさんはインド政府の難民キャンプで少年期を過ごしまして、1965年に日本にやってまいりましてね。で、ダライ・ラマ法王アジア・太平洋初代、えー、担当の初代代表ということで、現在日本に帰化してらっしゃいます。まずこちらの数字から行きましょう。チベット騒乱での今回の死者数なんですが、中国政府は18人というふうに発表しています。しかしチベット亡命政府は少なくとも130人から140人というふうに発表しています。大きな開きがありますが、ペマさん、いかがですか」
ペマ・ギャルポ
「あのー、まず、何よりもまずチベット人の立場からすると、これは抗議デモから始まったものであって、最初からその、中国への暴動を起こしてるとか、そういう事実は全くないわけです。で、その、平和的なデモ行進に対して、公安当局が挑発的に暴力を振るったというのがきっかけなんです。それから中国政府が最初、新華社から発表した18名というのは、中国側の、その、彼らが言うイノセント・ピープル、一般市民ということであって、自分たちが殺すのは当たり前だと思ってるらしくて、その数に入ってないということですね。で、これがまあ最終的に今は19名とか言ったり、今朝(3月24日)の新聞では、中国側も99名ぐらいの負傷者が出たようなことも言ってますけれども、ま、いずれにしてもたぶん最後まで、中国はほんとのことは認めないと思います」
堀江政生
「えー、なぜチベットは独立を求めるのか。このチベットの歴史を見ていきます。上田さんです」
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日付は変わってますが、本日2本目のエントリーです。
■3/24(月)放送「ムーブ!」
自由と独立を求め…チベット抵抗史を語る(当日のテレビ欄より)
チベット人(05年日本帰化)のペマ・ギャルポさんが生出演されました。
それだけでも「ムーブ!」GJと褒めてあげたい気分。
細かい相づちやツッコミはカット、言葉尻など曖昧な箇所もありますが、それ以外はほぼ完璧です。
画像はYoutubeで拾ったビデオから、キャプチャさせていただきました。各画像をクリックすると新規画面で拡大します。
内容紹介ここから____________________________
…………………………VTR開始…………………………
暴動に巻き込まれた日本人
「チベット人の若い男性に取り囲まれて、殴る、ける……。死ぬかもしれないと思ったのは、頭に石が当たって、意識がですね、フワーッと、その瞬間ですね」
日本人観光客も漢民族に間違えられ襲われたという、中国チベット自治区で起きた騒乱。
チベット自治区政府 リンポチェ首相
「少なくとも130人〜140人の死亡が確認されている」
このようにチベット亡命政府は死者130人から140人としているのに対し、中国側は死者18人と発表。真相は依然食い違ったまま――。
騒乱から10日が経っても未だに正確な情報は伝わってきません。
そこで今日の「ムーブ!」は、中国軍によって家族を失ったチベット人のペマ・ギャルポさんが生出演。
チベット人がなぜ中国に反発するのか。生の叫びを伺います。
…………………………VTR終了…………………………
堀江政生
「今回チベットで騒乱が発生してから10日が経ちましたが、未だに海外メディアが入ることができなくて、正確な情報というのは一切伝わってこない(注:3月27日、外国メディアは騒乱発生以来初めて中国当局から取材を認められた)。えー、そういう中で今日は、チベット人でダライ・ラマと同じくインドへ亡命したペマ・ギャルポさんに、スタジオにお越しいただきました。えー、よろしくお願いいたします」
ペマ・ギャルポ
「よろしくお願いします」
堀江政生
「ペマ・ギャルポさんはインド政府の難民キャンプで少年期を過ごしまして、1965年に日本にやってまいりましてね。で、ダライ・ラマ法王アジア・太平洋初代、えー、担当の初代代表ということで、現在日本に帰化してらっしゃいます。まずこちらの数字から行きましょう。チベット騒乱での今回の死者数なんですが、中国政府は18人というふうに発表しています。しかしチベット亡命政府は少なくとも130人から140人というふうに発表しています。大きな開きがありますが、ペマさん、いかがですか」
ペマ・ギャルポ
「あのー、まず、何よりもまずチベット人の立場からすると、これは抗議デモから始まったものであって、最初からその、中国への暴動を起こしてるとか、そういう事実は全くないわけです。で、その、平和的なデモ行進に対して、公安当局が挑発的に暴力を振るったというのがきっかけなんです。それから中国政府が最初、新華社から発表した18名というのは、中国側の、その、彼らが言うイノセント・ピープル、一般市民ということであって、自分たちが殺すのは当たり前だと思ってるらしくて、その数に入ってないということですね。で、これがまあ最終的に今は19名とか言ったり、今朝(3月24日)の新聞では、中国側も99名ぐらいの負傷者が出たようなことも言ってますけれども、ま、いずれにしてもたぶん最後まで、中国はほんとのことは認めないと思います」
堀江政生
「えー、なぜチベットは独立を求めるのか。このチベットの歴史を見ていきます。上田さんです」
上田剛彦
「今から1000年以上前、7世紀から9世紀にかけて、チベットはチベット王国として現在よりも大きい、広い領土を持っていました」
上田剛彦
「しかし13世紀以降になると、中国側は一部として組み込まれていたと主張し、そして一方のチベット側は独立した国家だったと、このころから主張が食い違い始めます」
上田剛彦
「そして1912年、中国最後の王朝である清が滅亡すると、チベットは独立を宣言。モンゴルやイギリスと条約を結んだことを拠り所として、国家として認識されたと主張します。しかし中国側はチベットは独立していないと主張をしています」
上田剛彦
「その後1951年に中国は全土の解放を宣言して、武力行使をかけ完全支配下に置きます。一方のチベットでは抵抗運動が続き、1959年にチベット動乱が起きまして、ダライ・ラマ14世はこの時にインドへ亡命をしているんですが、この1959年の動乱の6年前に、53年、ペマ・ギャルポさんは誕生したということです。えー、そして同じくインドへ亡命をしています」
堀江政生
「うん、えー、中国側の主張と、ま、チベット側の主張は大きく食い違うわけなんですが、どうご覧になってますか」
ペマ・ギャルポ
「まず、あの、私たちは独立を求めるのではなくて、もともと独立だったということですね」
堀江政生
「なるほど」
ペマ・ギャルポ
「それから先ほどおっしゃいましたように、そのチベット側の方が、ここにも動乱っていうことになってますけれども、中国は嘘を100回言えばほんとになると思ってるんです。だから今回もたとえばオリンピックという、その、平和の祭を使って、チベットが中国の一部であるということを既成事実を作ろうとしてるんです。で、その、皆さんもあの、無意識のうちに中国に洗脳されてるのは、たとえば皆さんは中国人のことを漢民族、漢族と言うんですね。僕たちのことをあの、チベット族とかって言うんです。これはまさに中国の洗脳を受けてるんです」
堀江政生
「はあ、はあ、ああ」
ペマ・ギャルポ
「なぜかというと、日本ではしろそうぞく(?)とかですね、暴走族と言うけど、普通の民族に対して何々族なんか言わないですよ」(例:「日本人」を「日本族」と言う人はいない)
堀江政生
「まあ言わないですね」
ペマ・ギャルポ
「ええ。それから中国人も日本人に対してシナなんて言っちゃいけないと言ってるけれども、自分たちは平気で言ってるわけなんですね。で、自分たちが言う時は全然問題ない。たとえばインドはチェニンと言うし、ネパール人はチェニアと言うし、で、あの、シナと言ってもですね、問題ないわけですよ。だからそういう形で、あの、無意識のうちに洗脳してしまうというのが中国のやり方なんですね。で、その他にたとえば1959年においても、先ほどおっしゃったように、私たち、あの、日本はたとえば、一番わかりやすいのは、日本と中国は戦争してるんですよ。だから中国、未だに謝れ謝れって言ってんですよ。その時、じゃあチベット人は何名殺されたのか。1人も殺されてないですよ。唯一殺されたのは、日本人の一員として参加したチベット人が殺されてるんです。中国軍の一員として殺されてないです。それだけでも日本人はチベットがもともと独立だったこと、わかるはずなんですね」
堀江政生
「なるほど。えー、勝谷さん、そのあたりの歴史……」
勝谷誠彦
「明治時代にですね、河口恵海(かわぐちえいかい)というお坊さんがですね、チベットをずっと旅行した、『チベット旅行記』という大変立派な本があるんですけども、それを読んでもですね、その当時のチベットのその、社会や風俗の様子が書かれてるんだけども、明らかにその、独立した自分たちの文化を持ってそれを大切にしていて、しかもそれが非常に宗教的な気持ちによってまとまりのある一つの民族であり国家であるってことは、これ明らかにわかるんですよね。さまざまな客観的なことが全部そう示していて、チベットは中国の一部だって言ってるのは、はっきり言って中国だけなんですよ、歴史的には」
堀江政生
「重村先生……」
重村智計
「あの、例の、チベット自治区と中国は言いますよね。しかし実際には自治はさせてないですよね」
ペマ・ギャルポ
「もちろん違う。自治っていうのは、自治がないから自治って言ってるのであって、もう一つはですね、今日も(地図の)この赤くなってる所は、本来のチベットの半分ぐらいなんですね。120万平方キロメートルで、実際は230万平方キロメートルで、今の中華人民共和国のだいたい、えー、4分の1がチベットになるんですよ。え、僕が生まれたのも、今、四川省に併合されてるんです」
堀江政生
「そうみたいですね」
ペマ・ギャルポ
「ええ。それからあの、先ほど13世紀から、あの、要するに元の時代からチベットは中国の一部であったと言ってるんですけど、元の時代のモンゴルとチベット、あれ中国の一部じゃないです。モンゴルとチベットはローマ法王とイタリアの関係みたいだったんです。どっちが偉いんじゃなくて、それぞれがお互いに助け合って、片方があなた王様です、認知して、片方は何かあった時に物質的な、あの、まあ献上物なんか出してたわけですね」
堀江政生
「その、生まれて育ったチベットなんですけれども、ペマさんの想像するような(想像を絶するような?)実体験がここから始まってしまいます」
上田剛彦
「1953年6月にペマ・ギャルポさんは四川省のチベット自治州生まれです。父が藩主ということもあり、北京政府と結んだ条約に基づいて県長に。『藩主の子』と中国からは呼ばれてかわいがられていたということなんですが、そして今では考えられないんですが、家にはダライ・ラマ14世と毛沢東、2人の写真が掲げられていたということなんです。比較的、中国とは仲良く暮らしていたということなんですが」
上田剛彦
「しかしある日、突然雰囲気が変わり、村の子供が毛沢東の写真を傷付けて喜ぶというようなことがあった。中国軍に水を届けた女の子が乱暴されるということが何回もあり、村人たちが立ち上がったというんです。もちろん中国軍にはかないませんでした」
上田剛彦
「そして1958年頃、ペマ・ギャルポさんはインドへ逃げる途中に、自身も逃げながら何度か追っ手の中国軍と戦った経験があるというんです。村を出た時には200人だったチベットの人たちも、インドに着いた時には20人ぐらいに減っていた。さらに村に残ったおばあさん2人と兄2人は餓死したり、射殺されたりしたと、あとで聞いたということです」
上田剛彦
「そして他にも、ペマさんのお父さんには2人の妻がいたということなんですが、そのうち年下の方の奥様は、騒乱を起こしたうちの1人だったということなんです。そこで中国政府は処刑したように見せかけるために、年下の妻にそっくりのいとこを殺したということです」
上田剛彦
「ペマさんは、チベット全土では家族が全員そろっている人はいないとおっしゃいます」
堀江政生
「うん、ペマさん、その、最初はダライ・ラマの写真と毛沢東の写真と、そしてまだ蒋介石(?)もいたり……」
ペマ・ギャルポ
「あのー、その時、その時の法王と5人ですね。あの、真ん中に毛沢東が座っていて、それから両脇に法王とパンチェン・ラマ、それから劉少奇と周恩来が座ってたんです。で、それはいわゆる、その、1951年に押し付けられた17条の条約に基づいて、法王があの、中国に54年に訪問したんです。その時に写真を撮ったものなんですね。それであの、チベットの人たちも法王も、中国を信じて写真を飾ったんです。ところが実際上は、その17条の条約というものを、次から次へと破られてくるわけです。で、そして人々が我慢できないような、たとえば人民裁判が始まったり、それからあの、一般の人たちに乱暴したり、それからそれまで一般の人たちはチベット政府にもそれまでの税金を払って、さらに中国人が入ってきた者たちを養っていかなくちゃならない。そうするとほんとに立ち上がったのはむしろチベット政府というよりもチベット人民が立ち上がったんです。で、それでそのあとにまあ僕たちは、その、だんだんと悪化して、あの、ふるさとを去ってインドに亡命しました。で、その時にね、僕は戦ってはいなんですよ。僕が戦ったのはシラミと、あと飢餓だけですよ」
堀江政生
「ああ、そうですか」
関根友実
「5才とか6才とかそれぐらいですよね」
ペマ・ギャルポ
「まだ子供ですから。ええ。ただ、あの、やっぱりですね、夜、あの、移動して昼寝てますので、それで1枚着てるだけですから、あの、シラミがいっぱいできたり、それからもちろん食べ物が途中でなくなるから、僕はそういう意味で飢餓とシラミと戦ったけど、あの、中国と戦ってない。で、一生懸命逃げてました」
関根友実
「いや、でも想像を絶します」
ペマ・ギャルポ
「あの、でもその間に追っ手が来て、何回も撃ち合いになって、あの、僕の乗った馬が殺されたり、それからの、前に(おでこを示して)石が当たって、今でもですね、頭痛がするんです。へこんでるんです」
堀江政生
「ああー」
ペマ・ギャルポ
「その時はすぐ血が出なかったから、結局何か、かえってあの、膿みたいなのできて、そういう経験はしてるんです。ただ僕以上にもっともっと苦しい経験した人がたくさんいます」
堀江政生
「家族を失った方も大勢いる……」
ペマ・ギャルポ
「はい」
堀江政生
「花田さん、そうやって命からがら、今、生きてらっしゃる……」
花田紀凱
「んー、いや、そうですね、それでそういうその、亡命っていうのは現在も続いてるわけ。今でもその、子供たちがね、ヒマラヤを越えてね、もうあの、毎年何十人とね、亡命してるわけですね」
勝谷誠彦
「その、そうした子供たちをですね、中国の国境警備隊が射殺するという映像が、このネットの世の中ですから、ネットに出回って世界中が見てますよね」
堀江政生
「中国はチベットの何を傷付けているんでしょうか。こういうこともしていました」
上田剛彦
「チベット仏教の思想では、全ての生き物は死後生まれ変わるとされています。ダライ・ラマは観音菩薩の化身でチベット仏教の最高位。たとえばダライ・ラマ1世が亡くなれば、どこかに2世として生まれ変わるということなんですが、それが認定される、選ばれる方法は聖なる湖のお告げ、先代の遺言、遺体の状況、先代の遺品を認識できるか?などで高僧らが探すということで、チベット人にとって最も重要な儀式とされています。そしてここにも中国の関与があったわけです」
上田剛彦
「以前、清の時代にダライ・ラマら転生者を金の壷に入れたクジを引いて決めようと、提案をしたこともあったということなんです」
上田剛彦
「そして有名なのはパンチェン・ラマ11世問題です。これは1995年の5月、ゲンドゥン・チューキ・ニマという6才の男の子を11世というふうに認定したんですが、実はこの男の子は認定後すぐに行方不明になっていて、現在も見つかっていないという状況になっています。これを中国政府は自分たちが見つけたんだとして、1995年11月、ギェンツェン・ノルブという6才の男の子を11世として即位させました。えー、ここで、この時点で、現在も見つかっていないということになりますので、パンチェン・ラマ11世が2人になっています。中国はこういったチベット人が最も大切にする存在も手に入れようとしてきています」
堀江政生
「このチベット側が認定したパンチェン・ラマ11世、中国にさらわれたという話もありますね」
ペマ・ギャルポ
「そうですね。未だに生きてるか死んでるかわかんないんですけども、この11才(6才?)の子供には何の罪もないんですよ。もし罪があるとすれば、彼が生まれ変わりであるということだけなんですね。にも関わらず北京政府は何を恐れているのか。わかんない。で、何を恐れているかというと、本当はですね、前のパンチェン・ラマが亡くなる3日前に、世間ではパンチェン・ラマは中国寄りだったようなこと言ってるんですけども、あの、大演説をしまして。我々は過去、中国から得た物の何倍もの物を失われた、取られたっていうことの大演説をしてるんです。そして数日後に亡くなられたんですね。ですから、それの本当の生まれ変わりだったら、やっぱり彼らの言いなりになれないってことを、たぶんね、彼らは一番恐れてると思うんです」
勝谷誠彦
「パンチェン・ラマ11世はですね、要するに何も悪いことしたわけでもないわけなんですね。つまりこれは政治的なことで拘禁、もし今も拘禁されてたら拘禁され、あるいは殺されたわけですから、世界で最も幼い政治犯と呼ばれてます」
関根友実
「ダライ・ラマ14世は文化的虐殺だという言葉は……」
勝谷誠彦
「おっしゃる通りだと思います」
花田紀凱
「その通りですよね」
関根友実
「こういうの見たらすごくそれを感じるんですけども」
ペマ・ギャルポ
「ま、文化的虐殺というのはね、たとえばその、お寺がですね、昔7000ぐらいあったんですけれども、僕なんか実態調査に行った時には、北京政府も一時はそういうチャンスをもらったんですね、で、7000のうちの8カ所だけ、かろうじて残ってたんです。あと全部、完全破壊されました」
勝谷誠彦
「そうですね」
ペマ・ギャルポ
「それからあと、あの、もちろんチベット人が、チベット人の価値観で生活することはできない」
堀江政生
「それは非常に問題ですよね」
ペマ・ギャルポ
「ええ。たとえば、あの広い中国でですね、全部、北京の時間ですよ。それだけ考えてもですね、まだ昼のうちのあの、夕食食べなくちゃならないし」
堀江政生
「だからそういうこと、文化的な生活を認めないということはもちろん、宗教も含めてですから」
ペマ・ギャルポ
「宗教も含めて」
堀江政生
「そこを一番こう、認めてもらえないのはしんどいってことですよね」
ペマ・ギャルポ
「やっぱり21世紀になって、あの、アフリカやアジアの国々が次から次に独立して、そしてその最後に今、コソボなんか独立してるわけですね。民族自決に基づいて」
堀江政生
「そうですね」
ペマ・ギャルポ
「だけど未だに植民地持ってる国、時代の逆のことやってるのが、中華人民共和国って国だけだと思いますよ」
勝谷誠彦
「僕が非常に覚えているのはですね、こう、一番西の端の開発区まで行きましたけど、夜10時でも明るいんです。北京の時間に合わさってるから」
堀江政生
「夜10時なんですね、それは」
勝谷誠彦
「国道、道に、道についてる里程標は、北京まで何キロということで書いてるわけですね」
花田紀凱
「一番の問題はやっぱり言葉ですよね。言語を奪っちゃってるから」
堀江政生
「そして、何をではチベット民族は求めているのか。ダライ・ラマ14世の和平プラン(1987年)というのがあります。えー、チベット全土を平和地帯にするとか、中国人の大量移住政策の放棄、チベット人の基本的人権と民主主義の自由の尊重、核兵器の製造と核廃棄物の処分場としての使用を禁止するということ、将来のチベットの地位に関し真摯な交渉を開始するということです。ま、これ、ま、我々の感覚からすると、ごくごく普通のことのような気がするんですが、これができてないわけですね」
ペマ・ギャルポ
「はい。あの、たとえばですね、法王がその平和地帯化するってことをおっしゃったのは、当時中国政府はネパールをね、平和地帯化することに賛成してたんです」
堀江政生
「なるほど」
ペマ・ギャルポ
「だけどネパールはこんなに小さいし、ほんとに平和地帯化するんだったら、世界最大と2番目に人口の多い中国とインドの間にやっぱり不干渉地帯としてチベットがいて、しかもそこを国連、たとえば法王がおっしゃったのは、あの、チベットは地下資源が豊かなんです。そういう所に人類のためになるようなその、研究機関とか、そういうものをチベットに作ってもらって、チベットをもう非武装地帯化しようと、あの、非武装地帯化だったんです。で、これを中国政府は交渉の段階で、あの、独立を求めないってことに変えなければならないということになったんです。で、法王はそこもですね、まあどこにいらっしゃっても、私は独立求めてないということを、言葉で変えたんですね。もちろんそうすると、チベットの人たちからすると、過去60年間言って、中国は何一つ約束を守ってない。法王がそんなことおっしゃってもですね、それを裏付けるようなものがないってことで、ま、多少不満と不安を感じてる人たちもどんどん出てきてるんですね」
堀江政生
「あの、ペマさんとしてですね、どういうふうに今回の騒乱を解決していったらいいのか。えー、ペマさんはこういうふうに考えてらっしゃいます。制度として中国が連邦国家のようなものにすべきだ。これソビエトのような形、ロシアのような形と言ったらいいんでしょうかね。えー、連邦国家のような形に中国がなるべきなんじゃないか。そして、世界の世論で中国を何とか追い込んでいってほしいという思いのようですね」
ペマ・ギャルポ
「ま、あのー、このチベットのですね、今の一連のできごとに関しては、法王の呼びかけもあったし、北京政府もあの、軍隊で押さえることは全然問題ないんです。ですからあの、表面上の騒乱と言ってるようなことは沈静化します。だけど本当の問題解決はやっぱり中国そのものが変わって行かなくちゃならないですね。で、その前に、たとえば私たちが民族自決権に基づいてって言うと、中国はすぐ怖がるんです。だけど世の中にはEUのように、すでに独立国家だったのが自分の自由意思で、自分の主権の一部を譲って、あの、集合体になるものもあれば、逆に幸せじゃなかったらお互いに離婚した方がいいというのも、当然あるわけです」
堀江政生
「なるほど」
ペマ・ギャルポ
「ですからあの、いずれにしてもですね、中国はこの問題から逃げることはできないと思うんですね。だからそのために世界世論で中国に圧力をかけて、かつてあの、南アフリカのアパルトヘイトの政策に対してやったように、あの、平和的に圧力かけることによって、これ以上血を流さずに、中国の人たちもですね、あの、事態の深刻さに悟ってもらえるんじゃないかなということは、私は思ってるんです」
堀江政生
「あのー、一つ、まあ、よく言われるのは、その、チベット、まあ民族のチベット人同士でですね、えー、すでに考え方が2つも3つもなっていて、割れているんじゃないかと」
ペマ・ギャルポ
「いや、割れてはないです」
堀江政生
「大丈夫ですか」
ペマ・ギャルポ
「その、チベット人の人たちの中で、確かにですね、あの、法王が北京政府と対話することにあたって、本当に信じていいのかっていうそういう今までの北京政府の……」
堀江政生
「裏切られたような思い……」
ペマ・ギャルポ
「裏切られたからアレルギーがあるっていうことだけであって、最終的にはたとえば今回の法王の、もしこれ以上、あの、暴力、武力に発展したら、自分が退位するとおっしゃることがですね、ちょうど天皇陛下の終戦の時の玉音と同じぐらいの効果あるわけですよ。だからその、法王のもとにおいてチベット人がまとまらないこともないし、最終的にはチベットの人たちは決してその、割れてないです。さっき言ったように、その、中国に対する思いがやっぱり、特に若い人たちの中で違うということです」
重村智計
「よくダライ・ラマの基本は、あの、非暴力抵抗っていう、非暴力によってあの、問題解決していくということですね」
ペマ・ギャルポ
「ええ、そうですね」
重村智計
「ですからそこを一生懸命強調されてる」
ペマ・ギャルポ
「そうです」
重村智計
「で、アメリカの議会も何回も決議を出してる。それはやっぱりそういうダライ・ラマの思想にみんなやっぱり、あの、感激してる……」
ペマ・ギャルポ
「そうです。国連もあの、3回決議出してるんですね。ですから僕なんか子供の時に毎晩、毎朝、中国が国連に入ること祈ってましたですよ。だけど今度はあの、拒否権持ったらですね、問題にすらならないですね」
堀江政生
「それはそうですね」
花田紀凱
「だからチベットには、あれですよね、ダライ・ラマはもう70いくつだからね、これは時間がないんですよね。もしこれ、ダライ・ラマが亡くなったら、これ、求心力のある人がいないでしょ、今」
ペマ・ギャルポ
「求心力のある人がいないってことは、北京政府にとってもですね、もしかしたらこれがアフガニスタンの問題みたいに、どんどんどんどん手に負えなくなるって可能性もあるってことをですね、北京政府は知るべきだと思いますよ」
勝谷誠彦
「あの、ユーゴの問題、コソボや何かの独立を欧米は認めますよね。全く同じなんです。だからアメリカ、ヨーロッパにとってもこれ、ダブルスタンダード。ただ彼らから言うと、遠い場所だからいまいちピンと来ない。だから一番近い友人である日本人が声を大きくしなくては。これ、たとえばね、ああいう場を僕、使うべきだと思う。僕、チベット行きましたけど、素晴らしい自然です。世界の人類の宝です。それを国道に沿って中国の車が全部プラスチックのボトルを道端に捨てながら走ってるから、両側が真っ白ですよ。ああいうの、たとえば洞爺湖サミット、環境問題って言うんだったら、そのことだけでも取り上げたらいいじゃないですか」
堀江政生
「あの、時間がない中で来ていただきまして、もう時間になってしまったんですけれど、ペマ・ギャルポさん、どうもありがとうございました」
ペマ・ギャルポ
「ほんとにどうもありがとうございました」
堀江政生
「またぜひいらして下さい」
ペマ・ギャルポ
「よろしくお願いします。ありがとうございました」
____________________________内容紹介ここまで
先日発売になった「WiLL」5月号にペマ・ギャルポさんの論文が載っています。
その中でも、寺院のほとんどが破壊され8つしか残らなかったという指摘がされていますが、実はその後中国側はかなりの数の寺院を修復したそうです。世界的に価値のある寺院は国が、その次のランクは地方政府が修復予算を組んで行ったそうです。
但し、それはチベット文化を大事にするためではなく、寺院復興のための、外国にいるチベット人の仕送りや日本からの浄財や、寺院目当ての観光客の落とす外貨稼ぎのためだったとのことです。
宗教以外の文化的な同化政策について、ペマ・ギャルポさんが「WiLL」で挙げられているのはたとえば以下のようなものです。
このように小細工めいたものも含めて、侵略のために邪魔なものはどんなにささやかな民族文化でも破壊しつくすのが中国なのです。
※参考リンク
・挑発に怨念噴出 チベットの哀しみ ペマ・ギャルポ氏(産経3/21)
※チベット関連ニュース
・「外国メディアは事実歪曲」 中国記者協会が非難(産経3/28(共同))
・五輪開会式ボイコット他国へ波及か 欧州3カ国明言(産経3/28)
・ポーランド首相、チェコ大統領も五輪開会式出席せず(産経3/28)
・「漢民族に不満ない」ラサでの暴動容疑者が外国人記者に(産経3/28(共同))
・北京の「アンチCNN」に半官製サイトの疑惑!(産経3/27)
・デモ隊にまた発砲か 中国四川省(産経3/27(共同))
・インド閣僚が訪中を中止、チベット情勢の高圧姿勢に対抗か(読売3/27)
・胡主席がダライ・ラマと対話に条件、米大統領と会談で表明(読売3/27)
・「すべてやらせだ」直訴のチベット僧らTV映像に(読売3/27)
・「チベットは自由でない」外国人記者団に仏教僧が直訴(CNN3/27)
・中国政府指名の外国メディア陣がラサ入り、暴動後初(読売3/27)
・欧州議長「五輪開会式、出欠検討を」・EU各国に要請(日経3/27)
・「事態を憂慮」日本ペンクラブ、ラサ暴動鎮圧に声明(読売3/26)
・「チベットでは人権侵害が継続」…英外務省が「懸念」明記(読売3/26)
・四川省で20日「デモに発砲、2人死亡」・米政府系放送局(日経3/26)
・北京五輪開会式ボイコット示唆 サルコジ仏大統領(産経3/26)
・産経抄(3/26)
・社説:五輪聖火リレー 強権姿勢改めて「対話」を(産経3/26)
・ダライ・ラマ14世との対話、中国政府が事実上拒否(読売3/25)
・チベット暴動、仏大統領が「仲介の用意」…胡主席に親書(読売3/25)
・長野の聖火リレーで中国側がデモ抑止対応など要請(信濃毎日3/25)
・北京五輪の聖火、19日にバンコク走る・大王孫娘はボイコット(newsclip.be3/25)
・埼玉の世界一砲丸作り職人 「北京五輪提供しない」(J-CAST3/25)
・採火妨害シーンは真っ黒…中国メディアが報道管制(産経3/25(共同))
・チベット亡命政府「死者140人」と発表(CNN3/25)
・チベット論議「必要なら」 日中首脳会談で首相(産経3/24)
「国が違えば意見が食い違うのは、あって当然だ」by福田首相。
・チベット暴動:不正指摘は義務 五輪ボイコット論、欧州選手に浮上(毎日3/22)
※拙ブログ関連エントリー
・07/5/5付:大高未貴さんチベットを語る
・07/5/12付:ペマ・ギャルポさんチベット・モンゴルを語る
・07/10/9付:Nスペ「激流中国『チベット』」
・08/3/15付:「ムーブ!」スピルバーグ北京五輪にNO!(最近のまとめとチベットも)
・08/3/18付:「ムーブ!」中国の軍事費が急増(台湾総統選とチベット騒乱も)
・08/3/20付:「アンカー」チベット暴動 写真が暴く中国の嘘
・08/3/22付:チベット問題に関心を持ち続けよう
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「今から1000年以上前、7世紀から9世紀にかけて、チベットはチベット王国として現在よりも大きい、広い領土を持っていました」
上田剛彦
「しかし13世紀以降になると、中国側は一部として組み込まれていたと主張し、そして一方のチベット側は独立した国家だったと、このころから主張が食い違い始めます」
上田剛彦
「そして1912年、中国最後の王朝である清が滅亡すると、チベットは独立を宣言。モンゴルやイギリスと条約を結んだことを拠り所として、国家として認識されたと主張します。しかし中国側はチベットは独立していないと主張をしています」
上田剛彦
「その後1951年に中国は全土の解放を宣言して、武力行使をかけ完全支配下に置きます。一方のチベットでは抵抗運動が続き、1959年にチベット動乱が起きまして、ダライ・ラマ14世はこの時にインドへ亡命をしているんですが、この1959年の動乱の6年前に、53年、ペマ・ギャルポさんは誕生したということです。えー、そして同じくインドへ亡命をしています」
堀江政生
「うん、えー、中国側の主張と、ま、チベット側の主張は大きく食い違うわけなんですが、どうご覧になってますか」
ペマ・ギャルポ
「まず、あの、私たちは独立を求めるのではなくて、もともと独立だったということですね」
堀江政生
「なるほど」
ペマ・ギャルポ
「それから先ほどおっしゃいましたように、そのチベット側の方が、ここにも動乱っていうことになってますけれども、中国は嘘を100回言えばほんとになると思ってるんです。だから今回もたとえばオリンピックという、その、平和の祭を使って、チベットが中国の一部であるということを既成事実を作ろうとしてるんです。で、その、皆さんもあの、無意識のうちに中国に洗脳されてるのは、たとえば皆さんは中国人のことを漢民族、漢族と言うんですね。僕たちのことをあの、チベット族とかって言うんです。これはまさに中国の洗脳を受けてるんです」
堀江政生
「はあ、はあ、ああ」
ペマ・ギャルポ
「なぜかというと、日本ではしろそうぞく(?)とかですね、暴走族と言うけど、普通の民族に対して何々族なんか言わないですよ」(例:「日本人」を「日本族」と言う人はいない)
堀江政生
「まあ言わないですね」
ペマ・ギャルポ
「ええ。それから中国人も日本人に対してシナなんて言っちゃいけないと言ってるけれども、自分たちは平気で言ってるわけなんですね。で、自分たちが言う時は全然問題ない。たとえばインドはチェニンと言うし、ネパール人はチェニアと言うし、で、あの、シナと言ってもですね、問題ないわけですよ。だからそういう形で、あの、無意識のうちに洗脳してしまうというのが中国のやり方なんですね。で、その他にたとえば1959年においても、先ほどおっしゃったように、私たち、あの、日本はたとえば、一番わかりやすいのは、日本と中国は戦争してるんですよ。だから中国、未だに謝れ謝れって言ってんですよ。その時、じゃあチベット人は何名殺されたのか。1人も殺されてないですよ。唯一殺されたのは、日本人の一員として参加したチベット人が殺されてるんです。中国軍の一員として殺されてないです。それだけでも日本人はチベットがもともと独立だったこと、わかるはずなんですね」
堀江政生
「なるほど。えー、勝谷さん、そのあたりの歴史……」
勝谷誠彦
「明治時代にですね、河口恵海(かわぐちえいかい)というお坊さんがですね、チベットをずっと旅行した、『チベット旅行記』という大変立派な本があるんですけども、それを読んでもですね、その当時のチベットのその、社会や風俗の様子が書かれてるんだけども、明らかにその、独立した自分たちの文化を持ってそれを大切にしていて、しかもそれが非常に宗教的な気持ちによってまとまりのある一つの民族であり国家であるってことは、これ明らかにわかるんですよね。さまざまな客観的なことが全部そう示していて、チベットは中国の一部だって言ってるのは、はっきり言って中国だけなんですよ、歴史的には」
堀江政生
「重村先生……」
重村智計
「あの、例の、チベット自治区と中国は言いますよね。しかし実際には自治はさせてないですよね」
ペマ・ギャルポ
「もちろん違う。自治っていうのは、自治がないから自治って言ってるのであって、もう一つはですね、今日も(地図の)この赤くなってる所は、本来のチベットの半分ぐらいなんですね。120万平方キロメートルで、実際は230万平方キロメートルで、今の中華人民共和国のだいたい、えー、4分の1がチベットになるんですよ。え、僕が生まれたのも、今、四川省に併合されてるんです」
堀江政生
「そうみたいですね」
ペマ・ギャルポ
「ええ。それからあの、先ほど13世紀から、あの、要するに元の時代からチベットは中国の一部であったと言ってるんですけど、元の時代のモンゴルとチベット、あれ中国の一部じゃないです。モンゴルとチベットはローマ法王とイタリアの関係みたいだったんです。どっちが偉いんじゃなくて、それぞれがお互いに助け合って、片方があなた王様です、認知して、片方は何かあった時に物質的な、あの、まあ献上物なんか出してたわけですね」
堀江政生
「その、生まれて育ったチベットなんですけれども、ペマさんの想像するような(想像を絶するような?)実体験がここから始まってしまいます」
上田剛彦
「1953年6月にペマ・ギャルポさんは四川省のチベット自治州生まれです。父が藩主ということもあり、北京政府と結んだ条約に基づいて県長に。『藩主の子』と中国からは呼ばれてかわいがられていたということなんですが、そして今では考えられないんですが、家にはダライ・ラマ14世と毛沢東、2人の写真が掲げられていたということなんです。比較的、中国とは仲良く暮らしていたということなんですが」
上田剛彦
「しかしある日、突然雰囲気が変わり、村の子供が毛沢東の写真を傷付けて喜ぶというようなことがあった。中国軍に水を届けた女の子が乱暴されるということが何回もあり、村人たちが立ち上がったというんです。もちろん中国軍にはかないませんでした」
上田剛彦
「そして1958年頃、ペマ・ギャルポさんはインドへ逃げる途中に、自身も逃げながら何度か追っ手の中国軍と戦った経験があるというんです。村を出た時には200人だったチベットの人たちも、インドに着いた時には20人ぐらいに減っていた。さらに村に残ったおばあさん2人と兄2人は餓死したり、射殺されたりしたと、あとで聞いたということです」
上田剛彦
「そして他にも、ペマさんのお父さんには2人の妻がいたということなんですが、そのうち年下の方の奥様は、騒乱を起こしたうちの1人だったということなんです。そこで中国政府は処刑したように見せかけるために、年下の妻にそっくりのいとこを殺したということです」
上田剛彦
「ペマさんは、チベット全土では家族が全員そろっている人はいないとおっしゃいます」
堀江政生
「うん、ペマさん、その、最初はダライ・ラマの写真と毛沢東の写真と、そしてまだ蒋介石(?)もいたり……」
ペマ・ギャルポ
「あのー、その時、その時の法王と5人ですね。あの、真ん中に毛沢東が座っていて、それから両脇に法王とパンチェン・ラマ、それから劉少奇と周恩来が座ってたんです。で、それはいわゆる、その、1951年に押し付けられた17条の条約に基づいて、法王があの、中国に54年に訪問したんです。その時に写真を撮ったものなんですね。それであの、チベットの人たちも法王も、中国を信じて写真を飾ったんです。ところが実際上は、その17条の条約というものを、次から次へと破られてくるわけです。で、そして人々が我慢できないような、たとえば人民裁判が始まったり、それからあの、一般の人たちに乱暴したり、それからそれまで一般の人たちはチベット政府にもそれまでの税金を払って、さらに中国人が入ってきた者たちを養っていかなくちゃならない。そうするとほんとに立ち上がったのはむしろチベット政府というよりもチベット人民が立ち上がったんです。で、それでそのあとにまあ僕たちは、その、だんだんと悪化して、あの、ふるさとを去ってインドに亡命しました。で、その時にね、僕は戦ってはいなんですよ。僕が戦ったのはシラミと、あと飢餓だけですよ」
堀江政生
「ああ、そうですか」
関根友実
「5才とか6才とかそれぐらいですよね」
ペマ・ギャルポ
「まだ子供ですから。ええ。ただ、あの、やっぱりですね、夜、あの、移動して昼寝てますので、それで1枚着てるだけですから、あの、シラミがいっぱいできたり、それからもちろん食べ物が途中でなくなるから、僕はそういう意味で飢餓とシラミと戦ったけど、あの、中国と戦ってない。で、一生懸命逃げてました」
関根友実
「いや、でも想像を絶します」
ペマ・ギャルポ
「あの、でもその間に追っ手が来て、何回も撃ち合いになって、あの、僕の乗った馬が殺されたり、それからの、前に(おでこを示して)石が当たって、今でもですね、頭痛がするんです。へこんでるんです」
堀江政生
「ああー」
ペマ・ギャルポ
「その時はすぐ血が出なかったから、結局何か、かえってあの、膿みたいなのできて、そういう経験はしてるんです。ただ僕以上にもっともっと苦しい経験した人がたくさんいます」
堀江政生
「家族を失った方も大勢いる……」
ペマ・ギャルポ
「はい」
堀江政生
「花田さん、そうやって命からがら、今、生きてらっしゃる……」
花田紀凱
「んー、いや、そうですね、それでそういうその、亡命っていうのは現在も続いてるわけ。今でもその、子供たちがね、ヒマラヤを越えてね、もうあの、毎年何十人とね、亡命してるわけですね」
勝谷誠彦
「その、そうした子供たちをですね、中国の国境警備隊が射殺するという映像が、このネットの世の中ですから、ネットに出回って世界中が見てますよね」
堀江政生
「中国はチベットの何を傷付けているんでしょうか。こういうこともしていました」
上田剛彦
「チベット仏教の思想では、全ての生き物は死後生まれ変わるとされています。ダライ・ラマは観音菩薩の化身でチベット仏教の最高位。たとえばダライ・ラマ1世が亡くなれば、どこかに2世として生まれ変わるということなんですが、それが認定される、選ばれる方法は聖なる湖のお告げ、先代の遺言、遺体の状況、先代の遺品を認識できるか?などで高僧らが探すということで、チベット人にとって最も重要な儀式とされています。そしてここにも中国の関与があったわけです」
上田剛彦
「以前、清の時代にダライ・ラマら転生者を金の壷に入れたクジを引いて決めようと、提案をしたこともあったということなんです」
上田剛彦
「そして有名なのはパンチェン・ラマ11世問題です。これは1995年の5月、ゲンドゥン・チューキ・ニマという6才の男の子を11世というふうに認定したんですが、実はこの男の子は認定後すぐに行方不明になっていて、現在も見つかっていないという状況になっています。これを中国政府は自分たちが見つけたんだとして、1995年11月、ギェンツェン・ノルブという6才の男の子を11世として即位させました。えー、ここで、この時点で、現在も見つかっていないということになりますので、パンチェン・ラマ11世が2人になっています。中国はこういったチベット人が最も大切にする存在も手に入れようとしてきています」
堀江政生
「このチベット側が認定したパンチェン・ラマ11世、中国にさらわれたという話もありますね」
ペマ・ギャルポ
「そうですね。未だに生きてるか死んでるかわかんないんですけども、この11才(6才?)の子供には何の罪もないんですよ。もし罪があるとすれば、彼が生まれ変わりであるということだけなんですね。にも関わらず北京政府は何を恐れているのか。わかんない。で、何を恐れているかというと、本当はですね、前のパンチェン・ラマが亡くなる3日前に、世間ではパンチェン・ラマは中国寄りだったようなこと言ってるんですけども、あの、大演説をしまして。我々は過去、中国から得た物の何倍もの物を失われた、取られたっていうことの大演説をしてるんです。そして数日後に亡くなられたんですね。ですから、それの本当の生まれ変わりだったら、やっぱり彼らの言いなりになれないってことを、たぶんね、彼らは一番恐れてると思うんです」
勝谷誠彦
「パンチェン・ラマ11世はですね、要するに何も悪いことしたわけでもないわけなんですね。つまりこれは政治的なことで拘禁、もし今も拘禁されてたら拘禁され、あるいは殺されたわけですから、世界で最も幼い政治犯と呼ばれてます」
関根友実
「ダライ・ラマ14世は文化的虐殺だという言葉は……」
勝谷誠彦
「おっしゃる通りだと思います」
花田紀凱
「その通りですよね」
関根友実
「こういうの見たらすごくそれを感じるんですけども」
ペマ・ギャルポ
「ま、文化的虐殺というのはね、たとえばその、お寺がですね、昔7000ぐらいあったんですけれども、僕なんか実態調査に行った時には、北京政府も一時はそういうチャンスをもらったんですね、で、7000のうちの8カ所だけ、かろうじて残ってたんです。あと全部、完全破壊されました」
勝谷誠彦
「そうですね」
ペマ・ギャルポ
「それからあと、あの、もちろんチベット人が、チベット人の価値観で生活することはできない」
堀江政生
「それは非常に問題ですよね」
ペマ・ギャルポ
「ええ。たとえば、あの広い中国でですね、全部、北京の時間ですよ。それだけ考えてもですね、まだ昼のうちのあの、夕食食べなくちゃならないし」
堀江政生
「だからそういうこと、文化的な生活を認めないということはもちろん、宗教も含めてですから」
ペマ・ギャルポ
「宗教も含めて」
堀江政生
「そこを一番こう、認めてもらえないのはしんどいってことですよね」
ペマ・ギャルポ
「やっぱり21世紀になって、あの、アフリカやアジアの国々が次から次に独立して、そしてその最後に今、コソボなんか独立してるわけですね。民族自決に基づいて」
堀江政生
「そうですね」
ペマ・ギャルポ
「だけど未だに植民地持ってる国、時代の逆のことやってるのが、中華人民共和国って国だけだと思いますよ」
勝谷誠彦
「僕が非常に覚えているのはですね、こう、一番西の端の開発区まで行きましたけど、夜10時でも明るいんです。北京の時間に合わさってるから」
堀江政生
「夜10時なんですね、それは」
勝谷誠彦
「国道、道に、道についてる里程標は、北京まで何キロということで書いてるわけですね」
花田紀凱
「一番の問題はやっぱり言葉ですよね。言語を奪っちゃってるから」
堀江政生
「そして、何をではチベット民族は求めているのか。ダライ・ラマ14世の和平プラン(1987年)というのがあります。えー、チベット全土を平和地帯にするとか、中国人の大量移住政策の放棄、チベット人の基本的人権と民主主義の自由の尊重、核兵器の製造と核廃棄物の処分場としての使用を禁止するということ、将来のチベットの地位に関し真摯な交渉を開始するということです。ま、これ、ま、我々の感覚からすると、ごくごく普通のことのような気がするんですが、これができてないわけですね」
ペマ・ギャルポ
「はい。あの、たとえばですね、法王がその平和地帯化するってことをおっしゃったのは、当時中国政府はネパールをね、平和地帯化することに賛成してたんです」
堀江政生
「なるほど」
ペマ・ギャルポ
「だけどネパールはこんなに小さいし、ほんとに平和地帯化するんだったら、世界最大と2番目に人口の多い中国とインドの間にやっぱり不干渉地帯としてチベットがいて、しかもそこを国連、たとえば法王がおっしゃったのは、あの、チベットは地下資源が豊かなんです。そういう所に人類のためになるようなその、研究機関とか、そういうものをチベットに作ってもらって、チベットをもう非武装地帯化しようと、あの、非武装地帯化だったんです。で、これを中国政府は交渉の段階で、あの、独立を求めないってことに変えなければならないということになったんです。で、法王はそこもですね、まあどこにいらっしゃっても、私は独立求めてないということを、言葉で変えたんですね。もちろんそうすると、チベットの人たちからすると、過去60年間言って、中国は何一つ約束を守ってない。法王がそんなことおっしゃってもですね、それを裏付けるようなものがないってことで、ま、多少不満と不安を感じてる人たちもどんどん出てきてるんですね」
堀江政生
「あの、ペマさんとしてですね、どういうふうに今回の騒乱を解決していったらいいのか。えー、ペマさんはこういうふうに考えてらっしゃいます。制度として中国が連邦国家のようなものにすべきだ。これソビエトのような形、ロシアのような形と言ったらいいんでしょうかね。えー、連邦国家のような形に中国がなるべきなんじゃないか。そして、世界の世論で中国を何とか追い込んでいってほしいという思いのようですね」
ペマ・ギャルポ
「ま、あのー、このチベットのですね、今の一連のできごとに関しては、法王の呼びかけもあったし、北京政府もあの、軍隊で押さえることは全然問題ないんです。ですからあの、表面上の騒乱と言ってるようなことは沈静化します。だけど本当の問題解決はやっぱり中国そのものが変わって行かなくちゃならないですね。で、その前に、たとえば私たちが民族自決権に基づいてって言うと、中国はすぐ怖がるんです。だけど世の中にはEUのように、すでに独立国家だったのが自分の自由意思で、自分の主権の一部を譲って、あの、集合体になるものもあれば、逆に幸せじゃなかったらお互いに離婚した方がいいというのも、当然あるわけです」
堀江政生
「なるほど」
ペマ・ギャルポ
「ですからあの、いずれにしてもですね、中国はこの問題から逃げることはできないと思うんですね。だからそのために世界世論で中国に圧力をかけて、かつてあの、南アフリカのアパルトヘイトの政策に対してやったように、あの、平和的に圧力かけることによって、これ以上血を流さずに、中国の人たちもですね、あの、事態の深刻さに悟ってもらえるんじゃないかなということは、私は思ってるんです」
堀江政生
「あのー、一つ、まあ、よく言われるのは、その、チベット、まあ民族のチベット人同士でですね、えー、すでに考え方が2つも3つもなっていて、割れているんじゃないかと」
ペマ・ギャルポ
「いや、割れてはないです」
堀江政生
「大丈夫ですか」
ペマ・ギャルポ
「その、チベット人の人たちの中で、確かにですね、あの、法王が北京政府と対話することにあたって、本当に信じていいのかっていうそういう今までの北京政府の……」
堀江政生
「裏切られたような思い……」
ペマ・ギャルポ
「裏切られたからアレルギーがあるっていうことだけであって、最終的にはたとえば今回の法王の、もしこれ以上、あの、暴力、武力に発展したら、自分が退位するとおっしゃることがですね、ちょうど天皇陛下の終戦の時の玉音と同じぐらいの効果あるわけですよ。だからその、法王のもとにおいてチベット人がまとまらないこともないし、最終的にはチベットの人たちは決してその、割れてないです。さっき言ったように、その、中国に対する思いがやっぱり、特に若い人たちの中で違うということです」
重村智計
「よくダライ・ラマの基本は、あの、非暴力抵抗っていう、非暴力によってあの、問題解決していくということですね」
ペマ・ギャルポ
「ええ、そうですね」
重村智計
「ですからそこを一生懸命強調されてる」
ペマ・ギャルポ
「そうです」
重村智計
「で、アメリカの議会も何回も決議を出してる。それはやっぱりそういうダライ・ラマの思想にみんなやっぱり、あの、感激してる……」
ペマ・ギャルポ
「そうです。国連もあの、3回決議出してるんですね。ですから僕なんか子供の時に毎晩、毎朝、中国が国連に入ること祈ってましたですよ。だけど今度はあの、拒否権持ったらですね、問題にすらならないですね」
堀江政生
「それはそうですね」
花田紀凱
「だからチベットには、あれですよね、ダライ・ラマはもう70いくつだからね、これは時間がないんですよね。もしこれ、ダライ・ラマが亡くなったら、これ、求心力のある人がいないでしょ、今」
ペマ・ギャルポ
「求心力のある人がいないってことは、北京政府にとってもですね、もしかしたらこれがアフガニスタンの問題みたいに、どんどんどんどん手に負えなくなるって可能性もあるってことをですね、北京政府は知るべきだと思いますよ」
勝谷誠彦
「あの、ユーゴの問題、コソボや何かの独立を欧米は認めますよね。全く同じなんです。だからアメリカ、ヨーロッパにとってもこれ、ダブルスタンダード。ただ彼らから言うと、遠い場所だからいまいちピンと来ない。だから一番近い友人である日本人が声を大きくしなくては。これ、たとえばね、ああいう場を僕、使うべきだと思う。僕、チベット行きましたけど、素晴らしい自然です。世界の人類の宝です。それを国道に沿って中国の車が全部プラスチックのボトルを道端に捨てながら走ってるから、両側が真っ白ですよ。ああいうの、たとえば洞爺湖サミット、環境問題って言うんだったら、そのことだけでも取り上げたらいいじゃないですか」
堀江政生
「あの、時間がない中で来ていただきまして、もう時間になってしまったんですけれど、ペマ・ギャルポさん、どうもありがとうございました」
ペマ・ギャルポ
「ほんとにどうもありがとうございました」
堀江政生
「またぜひいらして下さい」
ペマ・ギャルポ
「よろしくお願いします。ありがとうございました」
____________________________内容紹介ここまで
先日発売になった「WiLL」5月号にペマ・ギャルポさんの論文が載っています。
その中でも、寺院のほとんどが破壊され8つしか残らなかったという指摘がされていますが、実はその後中国側はかなりの数の寺院を修復したそうです。世界的に価値のある寺院は国が、その次のランクは地方政府が修復予算を組んで行ったそうです。
但し、それはチベット文化を大事にするためではなく、寺院復興のための、外国にいるチベット人の仕送りや日本からの浄財や、寺院目当ての観光客の落とす外貨稼ぎのためだったとのことです。
宗教以外の文化的な同化政策について、ペマ・ギャルポさんが「WiLL」で挙げられているのはたとえば以下のようなものです。
●チベットの音楽には独特の音階があるが、中国風に変えられている。
●チベットの民族衣装は、着物の帯を取って夜にはそのまま布団代わりにできるくらい長いものだが、その着物を作るための長い生地を売らないので、中国風の短い着物を作るしかない。
●「チベット語を教えてもいい」と一見懐の深いところを見せておきながら、教えられる人を刑務所にぶち込んでいる。
●高等試験は中国語でしか受けられない。これではチベット語だけを学んでいても就職できないので、中国語を学ばざるをえない。
●学校の授業では「チベットの歴史」という言葉を使うことができない。チベット語で「歴史」とは「国物語」を意味しており、そこに「国」という表現がある以上、認められないと言うのが中国の言い分。
このように小細工めいたものも含めて、侵略のために邪魔なものはどんなにささやかな民族文化でも破壊しつくすのが中国なのです。
※参考リンク
・挑発に怨念噴出 チベットの哀しみ ペマ・ギャルポ氏(産経3/21)
※チベット関連ニュース
・「外国メディアは事実歪曲」 中国記者協会が非難(産経3/28(共同))
・五輪開会式ボイコット他国へ波及か 欧州3カ国明言(産経3/28)
・ポーランド首相、チェコ大統領も五輪開会式出席せず(産経3/28)
・「漢民族に不満ない」ラサでの暴動容疑者が外国人記者に(産経3/28(共同))
・北京の「アンチCNN」に半官製サイトの疑惑!(産経3/27)
・デモ隊にまた発砲か 中国四川省(産経3/27(共同))
・インド閣僚が訪中を中止、チベット情勢の高圧姿勢に対抗か(読売3/27)
・胡主席がダライ・ラマと対話に条件、米大統領と会談で表明(読売3/27)
・「すべてやらせだ」直訴のチベット僧らTV映像に(読売3/27)
・「チベットは自由でない」外国人記者団に仏教僧が直訴(CNN3/27)
・中国政府指名の外国メディア陣がラサ入り、暴動後初(読売3/27)
・欧州議長「五輪開会式、出欠検討を」・EU各国に要請(日経3/27)
・「事態を憂慮」日本ペンクラブ、ラサ暴動鎮圧に声明(読売3/26)
・「チベットでは人権侵害が継続」…英外務省が「懸念」明記(読売3/26)
・四川省で20日「デモに発砲、2人死亡」・米政府系放送局(日経3/26)
・北京五輪開会式ボイコット示唆 サルコジ仏大統領(産経3/26)
・産経抄(3/26)
・社説:五輪聖火リレー 強権姿勢改めて「対話」を(産経3/26)
・ダライ・ラマ14世との対話、中国政府が事実上拒否(読売3/25)
・チベット暴動、仏大統領が「仲介の用意」…胡主席に親書(読売3/25)
・長野の聖火リレーで中国側がデモ抑止対応など要請(信濃毎日3/25)
・北京五輪の聖火、19日にバンコク走る・大王孫娘はボイコット(newsclip.be3/25)
・埼玉の世界一砲丸作り職人 「北京五輪提供しない」(J-CAST3/25)
・採火妨害シーンは真っ黒…中国メディアが報道管制(産経3/25(共同))
・チベット亡命政府「死者140人」と発表(CNN3/25)
・チベット論議「必要なら」 日中首脳会談で首相(産経3/24)
「国が違えば意見が食い違うのは、あって当然だ」by福田首相。
・チベット暴動:不正指摘は義務 五輪ボイコット論、欧州選手に浮上(毎日3/22)
※拙ブログ関連エントリー
・07/5/5付:大高未貴さんチベットを語る
・07/5/12付:ペマ・ギャルポさんチベット・モンゴルを語る
・07/10/9付:Nスペ「激流中国『チベット』」
・08/3/15付:「ムーブ!」スピルバーグ北京五輪にNO!(最近のまとめとチベットも)
・08/3/18付:「ムーブ!」中国の軍事費が急増(台湾総統選とチベット騒乱も)
・08/3/20付:「アンカー」チベット暴動 写真が暴く中国の嘘
・08/3/22付:チベット問題に関心を持ち続けよう
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Comments
● 途転の力学 〜 ●「中国分裂」問題・シナリオの再点検(仮投稿)(08.3.28)
http://keyboo.at.webry.info/200803/article_21.html
チベットは、単なる山岳部と思っていたのですが、
● 中国情報局 〜 チベット高原に銅、鉛など大量の鉱物資源(07.2.13)
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2007&d=0213&f=business_0213_020.shtml
(上記サイトから参照)
国際金融システムや実体経済の推移、デカップリング論と地合いの悪さから、各国がチベットに対して曖昧なスタンスですが、各国においては、今一度、御一考なされては良いかと存じます。
既出かもしれませんが、
● 産経新聞 〜 北朝鮮、中国支持を表明(08.3.20)
http://sankei.jp.msn.com/world/china/080320/chn0803201321001-n1.htm
酷い国ですな。
やはり長野には参加すべきだな。
私も、何かやりたいです、チベットのために。
肉体を殺されるのも酷いですが、精神を殺していくこの中国のやり方!!
日本にとっても、大変な脅威ですね。
めぐみ Megumi part01
http://jp.youtube.com/watch?v=UFuOsl_0YW4
めぐみ Megumi part02
http://jp.youtube.com/watch?v=0ecy1yZdf_s
めぐみ Megumi part03
http://jp.youtube.com/watch?v=Mm8y0wUZxa4
他にもYouTubeには、ハングル版と英語版がupされています。
(私ならチベット人になされたような極限の状況に置かれればテロにでも走るでしょうね)
それを抑えているのが宗教であり、ダライラマ法王の存在なのでしょう
民族浄化を行う支那に対して海外は反発をしているようですが、わが国は・・・
もっとも、あの総理では必然なのかも知れません・・・
チベットの人たちも自由にしてあげたいです。確かに一般の人が言うように自分一人ではなにもできないけど、デモに参加したりチベットについて知識を持つことで、少しずつ協力できたらいいなと思います。
何もできないから何もしないより、何かできることをやったほうがいいに決まってますからね・・・
残念ながら、
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080329/plc0803292043008-n1.htm
のようです。
短期的な国益を考えたらこういう考えもあるかもしれない。
が、中共の人権抑圧に耐えてる普通の中国国民の支那人たちや今回のチベットのかたがたの気持ちを慮ると、長期的に国益を損なうのはどちらか、この首相には見えていないんでしょう。
かつてどこぞの首相が言ったように、本当に日本が「神の国」なら、冷戦以降に戴いたこの国のリーダー達の不甲斐なさは、どういう神様の思召めなのでしょうか…
確かに、八百万の神々はそんな上から目線の思召めなんか下しませんが。
中国が行ったチベット(130万人以上)拷問+大虐殺について
ちなみに過去にどんなことが行われていたかというと、まず拷問。
これは「首謀者は誰か」を吐かせるためなのね。
できれば「ダライ・ラマの指示によって行った」と言ってほしいわけ。
でもこんな暴動、自然発生なんだから指示もクソも無いわな。
なので過酷な拷問が延々と続き、拷問する側の上層部が
「そろそろタイムリミット」と考えたところで適当な「首謀者」が特定され、
そいつは死刑。まあ今は人権団体に配慮して無期懲役かもしれないけど。
そして「暴動を扇動した」として僧侶たちは5年から20年ほど豚箱行き。
あまりにも高位の僧侶は殺害・拘禁すると解放時に自分たちが困るので
どこかで軟禁している筈だが、下っ端は今現在ボコ殴りで爪剥がされているよ。
実際に十代の少女ですら暴力を受けすぎて家族の元にボロぞうきんになって
帰って来て、そのまま死んでいる。たった一言「自由チベット万歳」と言っただけなのにね
15歳で逮捕され拷問を受けたチベット尼僧の証言
http://abetoshiro.ti-da.net/e2030283.html
チベットの話題とずれるのですが、今日のNHKスペシャル酷いですね。
論点は
日本の物流のチェック体制に問題がある。
アメリカの食品安全対策はこんなに進歩している。
日本の食は中国抜きでやっていけない。
と言う内容のもでした。そうです。「China Free」は一言も番組で触れられませんでした。まるで、「今の生活を続けたければ中国食品を買え、そのリスクはお日本人がコストを払って担保しろ。」と言わんばかりの番組です。
さすがに見かねてNHKに電話し、China Freeはどうしたと聞きましたが、出てきた担当はその言葉すら知らないようでした。
この人たちは国民の金で番組を作って、国民の食の安全を危険に晒すつもりなんですかね?
チベット問題でも最近言及が減ってきましたしね。やっぱり「皆様のNHK」ならぬ「中国様のNHK」なんですね。
あと中国に配慮してチベット問題に口をつぐむというのは拉致問題を抱えている日本にとってはマイナスになるような気がしてなりません。中国が何をささやこうともです。
http://www.daily.co.jp/gossip/2008/03/29/0000895244.shtml
声優の山寺宏一(46)が28日、都内で北朝鮮による拉致問題啓発アニメ「めぐみ」の完成披露会見に出席した。
日英中韓4カ国語対応のDVD版が各省庁などで配布されるほか、公式HPでは無料&コピーフリーでダウンロード視聴できる。
山寺が、声優の多くが所属する日本俳優連合に呼びかけ、名探偵コナンなどの声優として知られる高山みなみら豪華声優陣の出演を実現させた。
「拉致は人権を無視したとんでもない行為。日本国民はこんなに怒ってるんだぞ、と声を大にしていかないといけない」と訴えた。
>中国軍兵士がチベット人僧侶に変装し、暴動に加わっていた可能性がある
http://buddhism.kalachakranet.org/
ここに人民軍が僧侶の袈裟を持って集まってる写真があります。
恐らく変装用の衣装でしょう。
こちらは日本史上最悪のへたれ国
家。首相が福田になり、自民執行部が古賀や谷垣になった時、悪夢を見る思いだったがやはり的中した。
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-54.html
創価「チベット無視」か
都合勝手に加工した「平和」「人権」
チベットの惨状には触れず(博士の独り言)
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-1476.html
胡錦濤と池田大作
走狗・池田大作と中国共産党(博士の独り言)
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-1472.html