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ドナルド・キーンさんの言葉を振り返る

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[画像は2011年4月27日のANNニュースより]

 2月24日、日本文学研究者の第一人者であるドナルド・キーンさんが亡くなりました。
 96歳でした。

 お別れの会は、4月10日、東京の青山葬儀所にて。
 午後3時〜4時に、一般からの献花を受け付けるそうです。
 
 キーンさんの養子のキーン誠己さんが、3月4日、NHK(記事リンク切れ)の取材に応じておられます。
 それによれば、キーンさんは、おととしの夏ごろから、老衰のために体が弱り始めていたそうです。
 先月、誤えん性肺炎を発症したことで容体が悪化し、最期は誠己さんがみとって病院で息を引き取られたということです。

 晩年の様子については、「とにかく日本のことを考え、日本で古典文学が読まれないこと、古典芸能が廃れていることを『残念だ』と繰り返し語っていました。最後まで語っていたのも、三島由紀夫さんや川端康成さんのことで、『三島さんは死ぬべきじゃなかった』と語っていました」。

 記事の最後で、誠己さんは、キーンさんの人柄をこう偲んでおられます。
 「本当に安らかに平和な表情でした。日本人、日本文化、日本文学が父のすべてでしたので、日本で息を引き取り、幸せな人生だったと思います。高い知性とユーモアがあって、それでいて偉ぶらず、人を傷つけない人でした」。


 これは2月24日、キーンさんの訃報を知った時の私のツイートです。

 万葉集にまつわるこの話はとても印象的でした。
 ソースは、NHKで以前放送されていた「日めくり万葉集」です。
 2009年6月26日分。

 「思考の部屋」さんより引用(拙記事09/10/11付で一度引用させてもらったことがあります)。

【けさの日めくり万葉集は、日本文学研究家のコロンビア大学名誉教授ドナルド・キーンさんが選者の大伴家持の歌でした。
 万葉集をはじめ多くの日本文学を世界に紹介したドナルド・キーンさんがはじめて万葉集に出会ったのは太平洋戦争中とのことです。
 アメリカ海軍の日本語学校を卒業して、前線に送られ、日本人捕虜や兵士が残した書類や所持品に向き合うようになり、そのときに書類の中に文庫本が入った文庫本の入った大きな箱に出遭います。
 驚いたことに本の中で一番多かったのは、万葉集だったそうです。
 (中略)戦争中ですから持って行くことのできる本も限られていたでしょうが、そうはいっても「万葉集」であったことに日本人の心がわかるような話です。


 キーンさんが亡くなった時、縁のある方々が追悼の言葉を寄せておられました。
 戦争にまつわる話で言えば、徳岡孝夫さんが紹介したこのエピソードが大変興味深かったです(産経 2019.2.24 16:58)。

【戦時中は米国の情報将校として、日本兵と米兵の手紙を読み、彼我の懸隔に衝撃を受けた。『自分の命を祖国と世界平和にささげたい』とつづる日本兵、『早く家に帰ってママのパイが食べたい』と書く米兵。『この戦争は日本が勝つべきではないか』とキーンさんは感じた。それが日本文学研究の出発点だった。
 『日本は中国の一部』といった認識が西欧で一般的だった時代に、この世界に西欧とは異なるすばらしい美意識と価値観を持つ日本という国が存在することを、キーンさんは愛情をこめて世界に広めてくれた。日本人として感謝してもしきれない】



 キーンさんのことが、日本国民の間で広く知られるようになったきっかけは、実は東日本大震災の後ではなかったでしょうか。
 そう、震災を機に、キーンさんが日本国籍を取得し日本に永住する意思を表明された時です。
 このことは、当時すごく大きく報道されましたから。

 キーンさんのこの行動、そして、その時発せられた言葉の数々に、被災者の方々はもちろん、多くの日本国民が励まされたものでした。

 ちなみに国籍を取得された際、戸籍上の本名は「キーン ドナルド」として登録されたそうですが、国籍取得時の記者会見では、漢字で「鬼怒鳴門」と表記した名刺を披露し、「人を笑わせる時に使います」と述べておられました。
 ユーモアも人一倍ある方でしたよね(^_^;

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 以下、その当時のキーンさんのインタビュー記事です。

「日本国民と共に行動を」帰化決意のキーンさん(読売新聞2011年4月23日)

 【ニューヨーク=柳沢亨之】日本文学研究の第一人者で、日本文化を欧米へ広く紹介してきたドナルド・キーン米コロンビア大名誉教授(88)が22日、ニューヨーク市内の自宅で読売新聞のインタビューに応じ、東日本大震災の発生から日本国籍取得と永住を決意するまでの心境を吐露した。

 キーン氏は「災難を前に、『日本国民と共に何かをしたい』と思った。自分が日本人と同じように感じていることを行動で示したかったと決意へ至る思いを強調。「日本は震災後、さらに立派な国になると信じる。明るい気持ちで日本へ移る」と語った。9月までに東京・北区の住まいに移るという。

 キーン氏は、太平洋戦争で日本語通訳として沖縄戦を経験。以後、長く日本と交わってきた。被災地の東北地方は「松尾芭蕉の『奥の細道』(の研究)で度々訪れた」。そして、日本留学時代は「無名の私を助けてくれる人たちに囲まれた」。日本国籍取得で「これまで示せなかった日本への感謝を伝えたい」という。

※キーンさんはNHKのインタビューにも答えられ、次のように述べられています。
「外資系の会社が社員を日本から呼び戻したり、野球の外国人選手が辞めたり、『危ない』と言われたりしているが、そういうときにこそ、私の日本に対する信念を見せる意味がある」
「私は、『日本』という女性と結婚した。今回の震災では日本の誰もが犠牲者だと思うが、日本人は、大変優秀な国民だ。今は大きな打撃を受けているが、未来は、以前よりも立派になると信じている」


2011/4/25付:【東日本大震災-5】外国人から見た日本と日本人(26)より再掲)

キーン氏「私から日本をとったら何も残らない」(読売新聞2011年9月3日)

 東日本大震災を機に日本国籍の取得を決意し、1日、成田に到着したドナルド・キーン米コロンビア大名誉教授(89)が2日、東京・北区の自宅で読売新聞のインタビューに応じた。

 「東北は必ず、復興する」。そう信じる理由などを語った。

 3月11日直後は、ニューヨークでテレビ画面を通じて「黒い津波」の脅威に打ちのめされた。しかし、「家が流されても取り乱さず、人を思いやる日本人の姿を見て誇りがわき上がった。私から日本をとったら何も残らない。日本人として残りの人生を生きたい、と強く思いました」

 大地震、台風、洪水。災害の多い日本では、「すべては移り変わる」という仏教的な無常観が根づいているが、「不思議なことに、和歌や物語には古来、地震や津波がほとんど出てこない。自然の無慈悲を嘆いて廃虚のまま放っておかないで、何度でもそれまで以上のものを立て直してきた。それが日本人です

2011/10/18付:【東日本大震災-9】外国人から見た日本と日本人(31)より再掲)

<2012年1月1日付新聞各紙掲載 新潮社広告「2012年賀正」
【日本人よ、勇気をもちましょう】


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 かつて川端康成さんがノーベル文学賞を受賞したとき、多くの日本人が、こう言いました。「日本文学が称賛してもらえるのは嬉しいが、川端作品は、あまりに日本的なのではないか」。

 日本的過ぎて、西洋人には「本当は分からないのではないか」という意味です。分からないけれど、「お情け」で、日本文学を評価してくれているのではないかというニュアンスが含まれていました。

 長年、そう、もう七十年にもわたって日本文学と文化を研究してきて、私がいまだに感じるのは、この日本人の、「日本的なもの」に対する自信のなさです。違うのです。「日本的」だからいいのです。

 昨年、地震と津波に襲われた東北の様子をニューヨークで見て、私は、「ああ、あの『おくのほそ道』の東北は、どうなってしまうのだろう」と衝撃を受けました。あまりにもひどすぎる原発の災禍が、それに追い打ちをかけています。

 しかし、こうした災難からも、日本人はきっと立ち直っていくはずだと、私はやがて考えるようになりました。それは、「日本的な勁(つよ)さ」というものを、心にしみて知っているからです。昭和二十年の冬、私は東京にいました。あの時の東京は、見渡すと、焼け残った蔵と煙突があるだけでした。予言者がいたら、決して「日本は良くなる」とは言わなかったでしょう。しかし、日本人は奇跡を起こしました。東北にも同じ奇跡が起こるのではないかと私は思っています。なぜなら、日本人は勁いからです。

 私は今年で九十歳になります。「卒寿」です。震災を機に日本人になることを決意し、昨年、帰化の申請をしました。晴れて国籍がいただけたら、私も日本人の一員として、日本の心、日本の文化を守り育てていくことに微力を尽くします。新しい作品の執筆に向けて、毎日、勉強を続けています。

 勁健(けいけん)なるみなさん、物事を再開する勇気をもち、自分や社会のありかたを良い方向に変えることを恐れず、勁く歩を運び続けようではありませんか。

2012/1/7付:【東日本大震災-10】外国人から見た日本と日本人(32)より再掲)


 最後に拙ツイッターから、もうひとつ、忘れられないキーンさんの言葉。
 2015年10月10日に放送されたNHKスペシャル「私が愛する日本人へ 〜ドナルド・キーン 文豪との70年〜」に出演された時のものです。
 この番組が、私がキーンさんをテレビで拝見した最後の機会だったかもしれません。

 ツイッターは文字数制限があるので、一字一句この通り言われたのではないと思いますが、「伝統は時々隠れている、見えなくなる。しかし流れている、続いている。それは日本の一番の魅力」というのは、すごく文学的な言い方で、でも分かりやすいなあと思いました。

 亡くなったこと自体ももちろん残念なのですが、より残念なのは、それが天皇陛下のご譲位まであと2カ月と少し、という時期だったことです。
 前回とは全く違うお代替わりになるわけで、キーンさんには日本文学研究者の視点から、ぜひ感想をお聞きしてみたかったです。



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Comments

以前、テレビ東京の番組「YOUは何しに日本へ」の“ご長寿YOU”を探しに行くコーナーでキーンさんの名前が挙がりましたが、MCのバナナマンもスタッフもデレクターも、誰もドナルド・キーン氏を知らなかったのをみて、日本人として非常に申し訳なく思ったのを昨日のように覚えています。
https://twitter.com/yuiyuiyui11/status/909749587635617793/photo/1
通り過ごし | 2019/03/31 12:13 AM

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