ソ連軍による戦争犯罪…ヨーロッパとの共闘は可能か?
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少し古い号ですが、正論2017年3月号(2月1日発売)の有馬哲夫さんの、ソ連軍とヨーロッパにまつわる記事を読んで、頭をスコーンと叩かれたような衝撃を受けました。
今まで日本中心に考えてきて、ヨーロッパ視点で考えたことがほとんどなかったので。
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少し古い号ですが、正論2017年3月号(2月1日発売)の有馬哲夫さんの、ソ連軍とヨーロッパにまつわる記事を読んで、頭をスコーンと叩かれたような衝撃を受けました。
今まで日本中心に考えてきて、ヨーロッパ視点で考えたことがほとんどなかったので。
でも、それは有馬さんも同じだったらしいです。
有馬さんも日本にいる時は、当然ながら「真ん中に日本列島がある世界地図のイメージ」で世界を見ていて、「情報は得ているものの、ヨーロッパなど視野に入っていなかった」そうだから。
有馬さんは、この記事を書いた時、ヨーロッパの真ん中スイスにいました。
すると、日々接する人の影響もあったのでしょうが、ヨーロッパ人、特にドイツ人のものの見方、考え方をするようになったのだと。
ちなみに、ヨーロッパでは日本の歴史問題(中韓との揉め事)はまったく報道がされず、されたところで、誰も関心を払わないそうです。
ヨーロッパ人は、ナチス・ドイツのホロコーストや性奴隷化、それにソ連軍による百万人単位の捕虜や民間人の虐殺、占領地の女性に対するレイプの規模の大きさと悪質さを知っています。
※ナチス・ドイツの性奴隷化、占領地の女性に対するレイプについては、かつて拙ブログでも取り上げたことがあります。
2015/2/14:ドイツの何を見習えというのか? ナチス治下の慰安婦の実態とワイツゼッカーの本音
なので、ヨーロッパ人は、世界地図の東端で、30万人殺されたか殺されていないか、朝鮮半島出身の女性が日本軍によって性奴隷にされたか、もともと売春婦だったかという問題を持ち出されても、「それで?」という顔をするのだとか。
中韓や日本の反日メディアは、日本が世界中から非難を浴びていると言うが、それは大嘘だと、有馬さんは断言しています。
しかも、お金に絡む話を除き、中韓から来た人の話に真剣に耳を傾けるヨーロッパ人はまずいないそうです。
むしろ中韓の方が印象が悪い。
両国とも特許権侵害の常習者で、特にドイツ人は、日本人が嫌う以上に中国人を嫌っているのだとか。
…って、早くも脱線しかかっているので話を戻して\(^^\)
実はこの記事の本筋は、昨年2016年12月のプーチン訪日と北方領土問題だったりするのですが、私が衝撃を受けた点は、そこじゃありません。
先ほどちらっと書いた、ソ連軍の蛮行です。
ソ連軍の蛮行と言われると、皆さんはまずこうしたことを思い浮かべるかもしれませんね。
「ああ、日本が終戦前後にソ連から受けた酷い仕打ちね。日ソ中立条約を破り、満州に侵攻し、虐殺・略奪・レイプなど酷い目に遭わせておきながら、東京裁判でいけしゃあしゃあと日本を裁いた…」
「シベリア抑留の死者およそ6万人を含むおよそ34万人の満州侵攻の死者と数百万人の被害者…。北方領土も侵略され、島民は追い出されたまま…」
もちろんそれも酷い。
腸が煮えくりかえります。
でも、今回私が衝撃を受けたのはそこじゃなくて、ソ連軍によるヨーロッパでの被害。
記事では、被害の中身が数字とともに具体的に示されていて、本当に驚きました。
日本とその周辺(東アジア)の近現代史は、多少勉強して分かってきたつもりだけども、ヨーロッパについてはほとんど無知だったから。
たとえば、シベリアに抑留された日本の軍民はおよそ64万人で、約1割が祖国に生きて帰ることはできませんでしたが、ドイツの場合は、ソ連軍の捕虜となった約355万人のうち、110万人余りがついに帰らなかった。
そのほか、戦争中とその後の占領期に、ドイツの200万人以上もの民間人がソ連軍の戦争犯罪によって命を失ったことを、ドイツの歴史研究が明らかにしているそうです。
その無惨さを、有馬さんはこう表現しています。
【それらを読むと、満州進攻が始まったのが戦争末期の8月9日であり、ソ連軍の占領が南樺太・千島列島以外の本土に及ばなかったことを神に感謝したい気持ちになる】
ドイツが日本と大きく違うのは、ソ連軍による筆舌に尽くしがたい戦争犯罪が、戦争中だけでなく占領期も延々と続いていたこと。
ドイツ人は、ロシア人に物理的だけでなく象徴的にもレイプされ、そのトラウマから立ち直ってはいないと、ドイツの研究者は言っているそうです。
ドイツ人はみな加害者であって、被害者ではないという固定観念は、ヨーロッパではもはや通用しなくなっているのだとか。
イタリアにも、ソ連軍の捕虜となって悲惨な目に遭った人が多いそうです。
有馬さんのお父様は、シベリア抑留経験者ですが、あるイタリア人と出会った時にそのことを話すと、彼は「私の父もです」と言って有馬さんの手をとり、目を潤ませたそうです。
枢軸国側ではなかったのに、ソ連軍に同様の目に遭わされた国民も意外に多く、それは第二次大戦前後にソ連が占領したバルト三国やポーランドなどの国民です。
これも最近の研究で、ソ連軍の戦争犯罪が明らかになってきており、特にバルト三国は人口が少ないのに、全国民の数割にあたる十万単位の民間人が犠牲となっているそうです。
吉田清治の慰安婦狩りの大嘘と違い、ポーランドではソ連軍によって実際に若い女性が多数拉致され、軍用トラックで移送され、施設に監禁され、長期間にわたりレイプされた挙げ句、その多数が殺害されました。
有馬さんはこう言います。
【ご存知のように彼らは満州でも日本人女性に同じことをした。中韓両国が姑息にも口をつぐんでいるのは、中国と朝鮮の女性も彼らの犠牲になったということだ】
ナチス・ドイツも似たようなことをしていましたが(虐殺や虐待によりソ連軍捕虜330万〜350万人が死亡したとされる)、ソ連軍とは違って、ニュルンベルクで裁かれ、今も戦後賠償を求められています。
一方、ソ連軍は裁きを受けず、賠償もすることなく、あろうことかドイツ軍を裁く側に回ったのです。
あるいはドイツはまだバルト三国に比べればまだマシかもしれません。
バルト三国はむしろ戦後になって「民族浄化」が本格化しているそうです。
何十万もの国民がソ連の過疎地に強制移住させられ、囚人同様の生活を強いられたばかりでなく、一方で、ソ連は大量のロシア人をこれらの国に「入植」させ、まさしく国を奪おうとしたのだという。
何だか、中国共産党がチベットやウイグルにしてきたことを思い出しますね。
そのうえで、有馬さんはこう主張します。
【私がいいたいことは現在のロシアの前身であるソ連が先の戦争でいかに悪逆非道を働いたかということより、ヨーロッパには日本人の心の痛みを理解でき、共通の認識を持っている人々が、われわれが思っている以上に多くいるということだ】
アジアを全く知らず、日本人と朝鮮人と中国人の見分けもつけられない人々だが、ソ連に対する思いに関してだけは、互いに深く理解しあえるのだと。
そして、有馬さんはこんな提案をするのです。
【こういったヨーロッパの人々と連帯して、ソ連戦争犯罪被害者同盟を結成し、まずはソ連の戦争犯罪を明らかにし、次いでそれを国際社会に訴え、最終的には、ナチスの戦犯のように、死ぬまで(あるいは死んでも)その罪を追及することができないものか。最低でも犯罪者の名を全世界に公表することはできないだろうか】
虐殺やレイプは、加害者が戦勝国であっても戦争犯罪であり、ソ連が免責されるものではないと。
ソ連はハーグ陸戦条約もジュネーヴ条約も1955年まで批准しなかったが、それはこれらの条約違反を問えないだけで、戦争犯罪の責任を追及できないわけではないと。
有馬さんだけでなく、ヨーロッパ、特にドイツの歴史研究者は、このことを最近ようやく主張するようになり、バルト三国やかつての東欧の衛星国の研究者も、同調し始めているんだそうです。
有馬さんは、これらの被害国と共同して、国際法廷や国連に持ち込むことはできるはずだと主張しています。
これを新たな対露カードにするというやり方もあるのかもしれません。
北方領土問題がなかなか進展しない現状(8月23日にメドベージェフ首相が色丹島に経済特区を設置する文書に署名するなどむしろ後退しているように見える)を打破する、ひとつの手立てになるかも。
ただ、日本には「水に流す」という文化があり、果たしてそこまでやるべきなのか?という人もいるでしょう。
それに、そもそも歴史問題でドイツと協力し合えるのか?という疑問もありますよね。
たとえば、つい5年ほど前の2012年、ドイツでは連邦議会が慰安婦問題で日本を非難する決議案を出すなど(採択はしなかったが)、自分のことは棚に上げるような行動もありましたから。
※これについても前掲の拙記事「どいつの何を見習えというのか?…」を参照。
ですから、有馬さんの提案は提案として、私たちはまず、日本と同じかあるいはそれ以上にソ連軍に酷い目に遭わされた国々がヨーロッパには存在することを、知ることから始めるべきかなと思います。
有馬さんの記事の本筋は、先ほど言ったように、昨年末のプーチン訪日と北方領土問題、つまり今のロシアにどう対峙していくかです。
詳しい紹介は省きますが、その中で有馬さんが引き合いに出しているのが、やはりドイツです。
【これまでどの国もソ連から一片の領土も取り返すことはできなかったが、現在のドイツは一国を取り返したのだ*1】
【アンゲラ・メルケル首相は、ナチスの行為は頭を垂れて真摯に謝罪するものの、EUにただぶら下がろうという国のトップには毅然としてしかるべき要求をつきつけ、ナチスのことを持ち出しても一向にひるむことはない。なんという日本との違いだろう】
【ドイツが持っていて日本に欠けているものが何かわかれば、私たちもドイツのように領土を取り戻し、国際社会でも主導的地位に就くことができるだろう】
*1に関して、ドイツの領土問題は複雑で、有馬さんの記事だけでは、正直よく分かりませんでした(T_T)
ていうか、ヨーロッパ全体が複雑ですよね。地続きだから…。
今後、自分なりにいろいろ調べてみようと思います。
日本は中韓だけでなく、ロシアに対しても及び腰ですよね。
先ほどからリンクを貼ってる拙過去記事のタイトルは「ドイツの何を見習えというのか?」ですが、実際は見習うべき点も色々あるのだなと思った次第です(^_^;
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ヨーロッパ人は、ナチス・ドイツのホロコーストや性奴隷化、それにソ連軍による百万人単位の捕虜や民間人の虐殺、占領地の女性に対するレイプの規模の大きさと悪質さを知っています。
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「ああ、日本が終戦前後にソ連から受けた酷い仕打ちね。日ソ中立条約を破り、満州に侵攻し、虐殺・略奪・レイプなど酷い目に遭わせておきながら、東京裁判でいけしゃあしゃあと日本を裁いた…」
「シベリア抑留の死者およそ6万人を含むおよそ34万人の満州侵攻の死者と数百万人の被害者…。北方領土も侵略され、島民は追い出されたまま…」
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でも、今回私が衝撃を受けたのはそこじゃなくて、ソ連軍によるヨーロッパでの被害。
記事では、被害の中身が数字とともに具体的に示されていて、本当に驚きました。
日本とその周辺(東アジア)の近現代史は、多少勉強して分かってきたつもりだけども、ヨーロッパについてはほとんど無知だったから。
たとえば、シベリアに抑留された日本の軍民はおよそ64万人で、約1割が祖国に生きて帰ることはできませんでしたが、ドイツの場合は、ソ連軍の捕虜となった約355万人のうち、110万人余りがついに帰らなかった。
そのほか、戦争中とその後の占領期に、ドイツの200万人以上もの民間人がソ連軍の戦争犯罪によって命を失ったことを、ドイツの歴史研究が明らかにしているそうです。
その無惨さを、有馬さんはこう表現しています。
【それらを読むと、満州進攻が始まったのが戦争末期の8月9日であり、ソ連軍の占領が南樺太・千島列島以外の本土に及ばなかったことを神に感謝したい気持ちになる】
ドイツが日本と大きく違うのは、ソ連軍による筆舌に尽くしがたい戦争犯罪が、戦争中だけでなく占領期も延々と続いていたこと。
ドイツ人は、ロシア人に物理的だけでなく象徴的にもレイプされ、そのトラウマから立ち直ってはいないと、ドイツの研究者は言っているそうです。
ドイツ人はみな加害者であって、被害者ではないという固定観念は、ヨーロッパではもはや通用しなくなっているのだとか。
イタリアにも、ソ連軍の捕虜となって悲惨な目に遭った人が多いそうです。
有馬さんのお父様は、シベリア抑留経験者ですが、あるイタリア人と出会った時にそのことを話すと、彼は「私の父もです」と言って有馬さんの手をとり、目を潤ませたそうです。
枢軸国側ではなかったのに、ソ連軍に同様の目に遭わされた国民も意外に多く、それは第二次大戦前後にソ連が占領したバルト三国やポーランドなどの国民です。
これも最近の研究で、ソ連軍の戦争犯罪が明らかになってきており、特にバルト三国は人口が少ないのに、全国民の数割にあたる十万単位の民間人が犠牲となっているそうです。
吉田清治の慰安婦狩りの大嘘と違い、ポーランドではソ連軍によって実際に若い女性が多数拉致され、軍用トラックで移送され、施設に監禁され、長期間にわたりレイプされた挙げ句、その多数が殺害されました。
有馬さんはこう言います。
【ご存知のように彼らは満州でも日本人女性に同じことをした。中韓両国が姑息にも口をつぐんでいるのは、中国と朝鮮の女性も彼らの犠牲になったということだ】
ナチス・ドイツも似たようなことをしていましたが(虐殺や虐待によりソ連軍捕虜330万〜350万人が死亡したとされる)、ソ連軍とは違って、ニュルンベルクで裁かれ、今も戦後賠償を求められています。
一方、ソ連軍は裁きを受けず、賠償もすることなく、あろうことかドイツ軍を裁く側に回ったのです。
あるいはドイツはまだバルト三国に比べればまだマシかもしれません。
バルト三国はむしろ戦後になって「民族浄化」が本格化しているそうです。
何十万もの国民がソ連の過疎地に強制移住させられ、囚人同様の生活を強いられたばかりでなく、一方で、ソ連は大量のロシア人をこれらの国に「入植」させ、まさしく国を奪おうとしたのだという。
何だか、中国共産党がチベットやウイグルにしてきたことを思い出しますね。
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【こういったヨーロッパの人々と連帯して、ソ連戦争犯罪被害者同盟を結成し、まずはソ連の戦争犯罪を明らかにし、次いでそれを国際社会に訴え、最終的には、ナチスの戦犯のように、死ぬまで(あるいは死んでも)その罪を追及することができないものか。最低でも犯罪者の名を全世界に公表することはできないだろうか】
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ソ連はハーグ陸戦条約もジュネーヴ条約も1955年まで批准しなかったが、それはこれらの条約違反を問えないだけで、戦争犯罪の責任を追及できないわけではないと。
有馬さんだけでなく、ヨーロッパ、特にドイツの歴史研究者は、このことを最近ようやく主張するようになり、バルト三国やかつての東欧の衛星国の研究者も、同調し始めているんだそうです。
有馬さんは、これらの被害国と共同して、国際法廷や国連に持ち込むことはできるはずだと主張しています。
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※これについても前掲の拙記事「どいつの何を見習えというのか?…」を参照。
ですから、有馬さんの提案は提案として、私たちはまず、日本と同じかあるいはそれ以上にソ連軍に酷い目に遭わされた国々がヨーロッパには存在することを、知ることから始めるべきかなと思います。
有馬さんの記事の本筋は、先ほど言ったように、昨年末のプーチン訪日と北方領土問題、つまり今のロシアにどう対峙していくかです。
詳しい紹介は省きますが、その中で有馬さんが引き合いに出しているのが、やはりドイツです。
【これまでどの国もソ連から一片の領土も取り返すことはできなかったが、現在のドイツは一国を取り返したのだ*1】
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Comments
>現在のドイツは一国を取り返したのだ
元記事を読んでいないので分かりませんが、東ドイツのことではないですか?
(間違ってたら恥ずかしいけど)
そこの文言は記事通りの引用ですが、前後の記述はこうです。
>……ポーランドの場合は、第2次世界大戦の勃発と同時に西側をドイツに、東側をソ連に占領された。ドイツの敗戦後、ソ連は東側を返さず、代わりに西ドイツが「旧ドイツ東部領土」とよんだオーデル・ナイゼ線の東側にある地域をポーランドに与えた。これによってポーランドは西に移動した。
>ドイツは間接的に「旧ドイツ東部領土」をソ連に奪われたのだ。西ドイツは「旧ドイツ東部領土」はソ連とポーランドに占領されているが、いずれはドイツ人に返されるべき領土だと主張していた。このためポーランドの激しい反発を招いた。本当に悪いのはソ連だが、この状況では仕方あるまい。
>一方、西ドイツは、ソ連の崩壊後のドイツ再統一のときは、この主張を取り下げ、オオーデル・ナイゼ線を統一ドイツとポーランドの国境線とすることに同意した。「旧ドイツ東部領土」を放棄したと見ることもできるが、代わりに東ドイツを回復したともいえる。
>これまでどの国もソ連から一片の領土も取り返すことはできなかったが、現在のドイツは一国を取り返したのだ。大したものだ。
>その後のドイツは、私たちが知る通りである。EUをほぼ一国で支え、アメリカとともにNATOを牛耳り、クリミア問題では自らが主導してロシアに対して経済制裁を発動した。
何というか・・・驚くべき数字ですね。
中韓が南京事件や慰安婦問題等で事実の捏造だけでなく、常識を遥かに超えたレベルで数字を盛ろうとするのは、そうしないと欧米諸国にアピール出来ないからなんでしょうね。
スウェーデンが戦勝国ではなく敗戦国とされていることもそこで初めて知りました。
戦後、独自の軍も配備し、最前線でロシアと対峙している国として、日本も学ぶ所がある、などなど。
極東の端っこでウジウジしていてはいけないですね。
共産主義なんてカルトに親和性の高い国はだいたいどす黒い歴史を持つきらいがある。
この連中に踊らされている、最近何かとお騒がせなポリコレとか、お花畑集団の薄っぺらい人権意識をくすぐって内ゲバに持ち込めたらベストなんだろうけど。
安倍首相の言う“憲法9条の改正のために先ず96条の改正”的な戦略手順よろしく、“敵国条項削除のために先ずシナ・ロシアからの常任理事国剥奪”ではなかろうか。
まあ国際世論形成に拠らず、国内外に抱えている多くの問題に耐えきれず自滅してくれればねえ。
キャラ的にプーチン閣下は嫌いじゃないんでなんだけども、やはりこの二つはいろんな意味で癌ですな。
日本にとってはこいつらがふんぞり返っている間は、敵国条項削除なんて無理だろうしね。
安倍首相はプーチンと懇意みたいに言われてますが、あれで首相は結構策士、ここだけの話、本音は米国との交渉事か何かで使う見せ駒扱いじゃないのかな。
ドイツとの共闘は縁起が悪いが、兎に角他の欧州諸国と共闘するのは一考の価値大ありですね
そう言えば、奥茂治氏のその後、事務処理進行状況の記事みたいなものは僅かながら見たものの、大きな進展はないみたいですね。
実際のところ半島情勢の緊迫や経済の悪化から逃避すべく、売春婦像の乱立騒ぎや徴用工の難癖、日本での文化財破壊や事件のでっち上げ、第三者を巻き込んでの姑息な行為(決してコインでは無くメダル)。
ウリの気分を良くすることと懐具合に関係の無い話題には一切興味無いニダってなヒトモドキのデフォの乱痴気生態が炸裂してる現状ですやん。
ムンタンが大審院に都合のいい人物をねじ込み司法に圧力と最近記事にありましたが、その件も奥茂治氏の事が念頭にあるとは考えにくく、徴用工判決を確定すれば晴れて日本に圧力をかけられるニダ〜てなずれた皮算用が動機と見るのが妥当かと。
奥茂治氏には気の毒だが結局当初から指摘したとおり、ヒトモドキの能力を過大評価し、アピールする相手を誤った悪手で終わりそうですな。
国内向けにもヒトモドキの素のアクションが斜め上過ぎて、やつらの数多くの悪行ソースのなかの一つ扱いで終始し目立つことは出来無いでしょうね。
とは言えその心意気と覚悟には敬服いたします、無事な御帰朝をお祈りいたします。
また、報道しない自由を非難するネタに出来ないかという意見も面白いと思いましたが、モリ・カケの馬鹿騒ぎを見るにつけ、今度は自分がマスゴミの自浄能力を過大評価してしまったと反省しきり。
真っ当な自浄能力を持ったマスコミが現れるのは、悲しいかな、ハードランディングを経てと言うことになるのかな。
くっくり殿の記事は毎回興味深く拝見しておりますが、今回は何時にも増して面白かった。
分量に更新頻度、かなりハードではなかろうかと察しますが、ご自愛のほどもお忘れ無き様。
追伸
猫かぶって終わろうかと思いましたが、やっぱり駄目。
ついつい餌撒いたのを忘れるところでしたよ。
最後あんなふうに書いておきながら、場合によっては、後始末押し付ける形になるかも。
くっくり殿、いやあ、申し訳ない。
WEB小説「北円堂の秘密」が今夏の隠れたベストセラーと知ってますか。グーグルで「北円堂の秘密」と検索するとヒットするので無料で読めます。世界遺産・古都奈良の興福寺・北円堂を知らずして日本の歴史は語れないと云われています。日本文化発祥地の鍵を握る小説なのでご一読をお薦めします。少し日本史レベルが高いので難しいでしょうが歴史好きの方に尋ねるなどすれば理解が進むでしょう。今秋、東博では「運慶展」が開催されるが、出陳品の無著・世親像を収蔵するのが興福寺・北円堂である。貴職におかれてもホットな話題を知っておくことは仕事に少なからず役立つでしょう。
そのほか、戦争中とその後の占領期に、ドイツの200万人以上もの民間人がソ連軍の戦争犯罪によって命を失ったことを、ドイツの歴史研究が明らかにしているそうです。
その無惨さを、有馬さんはこう表現しています。
【それらを読むと、満州進攻が始まったのが戦争末期の8月9日であり、ソ連軍の占領が南樺太・千島列島以外の本土に及ばなかったことを神に感謝したい気持ちになる】
この文章を拝見し、真っ先に思ったこと。
ただただ感謝すべき英霊の方々。
千島・占守島守備隊の日本軍の奮戦。
ソ連軍が満州で暴虐の限りを尽くしていた昭和20年8月中旬から下旬にかけて、千島列島や南樺太では、日本軍守備隊とソ連軍の間で激しい戦闘が行われていた。
(防衛庁戦史室)によると、ソ連軍は18日午前1時半ごろ、千島列島の最北端に位置する占守(しゅむしゅ)島に対し、対岸のソ連領カムチャッカ半島から突然、砲撃を始め、上陸作戦を開始した。当時、大本営参謀本部から秘密裏に同島に派遣され、ソ連軍の動向を探っていた永井正氏(78)=少佐=は「ソ連軍侵攻の第一報は、(戦史叢書の)記録より二時間早い17日午後11時半だったように記憶している。満州の惨状は聞いていたので、千島にもソ連軍が来るという予想はあった」と振り返る。
占守島北端の最前線に布陣していた独立歩兵二百八十二大隊(大隊長、村上則重少佐)は直ちに射撃開始を命令、濃霧が立ち込める深夜、戦闘が始まった。当時、北方派遣軍(占守島、幌筵島)は約4万6千人。野戦砲、重砲、爆薬、医療機材などの装備は、この時期の日本軍のものとしては、ずば抜けた規模だった。占守島では、1カ月分の食糧が備蓄されていた。17日夜は、日米停戦に対する残念会が催され、しまわれていた酒が振る舞われた。みんな酔って寝ていたところへ出動命令が下ったという。
(装備が優れ、食料があった場合、いかに日本軍が強かったかを示す典型と言えます)
カムチャッカ半島から突然、砲撃を始め、上陸作戦を開始した。当時、大本営参謀本部から秘密裏に同島に派遣され、ソ連軍の動向を探っていた永井正氏(78)=少佐=は「ソ連軍侵攻の第一報は、(戦史叢書の)記録より二時間早い17日午後11時半だったように記憶している。満州の惨状は聞いていたので、千島にもソ連軍が来るという予想はあった」と振り返る。
永井氏がいた部隊(第九十一師団速射砲大隊)は、戦闘が始まった占守島最北端の国端崎から約35キロ離れた南西部の長崎に布陣、18日午前7時、国端崎へ向け出発した。「7時40分ごろ、国端崎から約六キロの大観台あたりで味方の砲声を聞いた。島北部の四嶺山にあった砲台はカムチャッカに向けて1時間に300発の砲弾を打ち、カムチャッカの要塞砲を沈黙させた」(永井氏)
永井氏の部隊は行軍途中、大観台の手前で戦車第十一連隊(連隊長、池田末男大佐)と合流。「池田連隊長は白装束で日の丸の鉢巻きを締め、砲頭に馬乗りになっていた。戦車37両は一丸となって敵陣に突入、連隊長は戦死された」(永井氏)
日本軍は被害を出しつつも、終始優勢に戦闘を進めた。札幌の第五方面軍から「18日午後4時をもって全面停戦」との命令が届き、二度、停戦のための軍使を送ったが、いずれも帰らず、ソ連側と連絡が取れないまま戦闘は続いた。
戦史叢書によると、この間、日本大本営はマッカーサー司令部に宛て、《八月十八日千島列島占守島ニ対シ一部兵力上陸シ我方ハ自衛ノ為已ヲ得ス戦闘中ナリ 彼我共ニ停戦シアル今日甚タ不都合ト認ムルニ付至急停戦スル様指導アリ度》と打電している。
しかし、戦闘はなおも続いた。日本軍は21日午前、いったんソ連軍を国端崎近くの豊城川河口まで追い詰め、同日午後7時、ようやく停戦が実現した。日本側は翌22日、武器弾薬を同島中央の三好野飛行場に集めてソ連軍将校に引き渡した。ソ連軍将校は北千島派遣軍の兵力を約4千人と想定していたが、「実数はその10倍」と告げると青くなったという。
永井少佐は昭和21年元旦、占守島からナホトカ経由でモスクワへ送られ、約6年間の抑留生活を送った。「日本が降伏しなければ、我々はもっと戦い、北千島のソ連軍は完全に粉砕されていただろう。戦闘で勝って捕虜になり、つくづく不思議なものだと感じた」と永井氏は述懐する。
一方、ソ連軍は占守島での停戦後も島伝いに千島列島の占領を続け、北方四島には米軍の不在を確かめてから上陸した。択捉島への上陸は8月28日。国後島と色丹島への上陸は9月1日。歯舞群島の占領は、日本が米戦艦「ミズーリ」号上で降伏文書に調印した9月3日以降だった。ロシア科学アカデミー極東研究所発行「極東の諸問題」副編集長、ボリス・スラビンスキー氏は平成四年五月、「イズベスチヤ」紙に寄稿、こう書いている。
北海道を占領するする目的で進撃したソ連軍※は精強な日本軍に完敗し、その恨みから、悪魔スターリンは占守島で戦った日本軍捕虜をシベリアの中でも最も極寒の地に送り多くの人たちが帰らぬ人となった。
もし8月15日以降、占守島守備隊が戦い、ソ連軍を破らなければ、北海道において、どれだけの悲惨な目にあった人々が出たか、と恐ろしくなります。
※スターリン・ソ連は、「ヤルタ協定」、成立後、対日戦略基本構想を決定し、日本の敗戦後も、千島列島全部と北海道北半(釧路市と留萌市を結ぶ線以北)をソ連の担当地域だとして攻撃続行を宣言したのである。
>たとえば、シベリアに抑留された日本の軍民はおよそ64万人で、約1割が祖国に生きて帰ることはできませんでしたが、ドイツの場合は、ソ連軍の捕虜となった約355万人のうち、110万人余りがついに帰らなかった。
この数字で思い出したこと。
ソ連に抑留された経験を持つ、かっての私の上司は、「シベリアにおいて、日本軍捕虜は、敗戦により、酷い状況の中ソ連の兵隊に対して反抗的態度はとらず、従順であったが、ドイツ軍捕虜は傲然として、ソ連兵を馬鹿にする態度を態度をとっていた」、と語っていたのが記憶に残っています。
イギリスもイスラエルに向かったユダヤ人をドイツに送り返したり、等々、戦争が終わっても憎悪と混乱は消えないのですね。