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「反日だけはカンベン」「自衛隊に名誉を与える憲法に」 海洋冒険家の堀江謙一さん
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古い号で恐縮ですが…
「WiLL」2016年11月号の『こんなに恥ずかしい日本国憲法』という特集に、堀江謙一さんの寄稿が載っていました。
タイトルは、【「太平洋ひとりぼっち」で考えたこと─自衛隊に名誉を与える憲法にしてくれ】。
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古い号で恐縮ですが…
「WiLL」2016年11月号の『こんなに恥ずかしい日本国憲法』という特集に、堀江謙一さんの寄稿が載っていました。
タイトルは、【「太平洋ひとりぼっち」で考えたこと─自衛隊に名誉を与える憲法にしてくれ】。
堀江謙一さんって、お若い方はご存知ないかもしれませんね。
1962年(昭和37年)に、マーメイド号という小さなヨットに一人で乗り込み、兵庫県の西宮〜アメリカ西海岸のサンフランシスコ間の太平洋単独横断航海を成し遂げた人です。
当時はヨットによる出国が認められておらず、「密出国」という形での船出となったことで、物議を醸した人でもあります。
とはいえ、当時は私もまだ生まれておらず、これまで「昔、勇敢にも、一人でヨットで太平洋横断した人」ぐらいの認識しかありませんでした。
単独太平洋横断航海を手記としてまとめた『太平洋ひとりぼっち』(1962年刊)という有名な著書もありますが、タイトルを知っているだけで、読んだことないし…(^^ゞ
その堀江謙一さんの話を「WiLL」で読み、いたく感動したので、少し紹介させていただきますね。
堀江さんは1938年(昭和13年)に大阪市港区で生まれ、戦争の末期には大阪府下の箕面村(今の箕面市)で一家は暮らしていました。
1945年(昭和20年)の3月から8月にかけ、大阪市は空襲に見舞われましたが、遠く離れた箕面市にも爆発音や衝撃波が届いたそうです。
そんな経験もあり、堀江さんは太平洋横断中、ミッドウェー島の近くに来た時に、デッキでミッドウェー島のほうを向いて立って黙祷したそうです。
[ミッドウェー島は地図の赤丸の場所にあります]
「太平洋ひとりぼっち、ほかに誰もいないんだな」
堀江さんはお母さんを思い出し、坂本九さんの「上を向いて歩こう」をひとり歌っていたら、涙が出て止まらなくなったそうです。
「この海で、多くの海の先輩たちが散っていったのだ…」
「この海で亡くなった3500名もの日本人将兵にも、家族がいて、母親がいた。どれほど家族にや母親に会いたくて、日本に帰りたかったことだろうか…」
堀江さんは決意しました。
「この海で眠っている先輩の皆さん、ぼくはいま、皆さんに捧げる花束を持ち合わせていません。お許しください。しかし、もしこのヨットが無事にサンフランシスコのゴールデンゲートをくぐってゴールしたら、それを先輩方に捧げる“花”とします」
航海はアクシデントの連続でしたが、94日をかけて、無事サンフランシスコに到着。
堀江さんは、ミッドウェー島近海に眠る先輩方に“花”を手向ける約束を果たしました。
そのおかげなのか、パスポートとビザがないにもかかわらず、当時のサンフランシスコ市長は、「コロンブスもパスポートは省略した」と、堀江さんを名誉市民として受け入れてくれました。
当初は「密出国」した堀江さんを叩いていた日本のマスコミも、サンフランシスコでの厚遇を見て、手のひらを返すように偉業を讃えるものに変化したとのこと。
…ありがちですね(^_^;
堀江さんは帰国後、「密出国」について日本の当局から事情聴取を受けたものの、起訴猶予になりました。
[2002年、マーメイド号を復元し、40年ぶりに「太平洋ひとりぼっち」を再現し、サンフランシスコに到着。大歓迎を受けた故クリストファー市長の肖像画を手に記念撮影]
その後、堀江さんは海洋冒険家と呼ばれるようになり、西回りでの単独無寄港の世界一周航海(1974年)、縦回りの世界一周航海(1982年)、東回りでの単独無寄港の世界一周航海(2004年〜05年)などなど、多くの航海に成功。
その間、太平洋を航海している時、堀江さんが乗船しているヨットに自衛隊機が接近してきて、撮影した写真が新聞に掲載されたことが何回かあるそうです。
明らかに堀江さんのヨットと分かって撮影していました。
訓練として、自衛隊機が船舶に接近して写真を撮影することがあるらしいです。
堀江さんは海上自衛隊や海上保安庁とも関係がけっこう深いようです。
一度、海自の厚木基地で講演し、その講演活動の一環として、P3Cに搭乗し、硫黄島まで連れて行ってもらったこともあるそうです。
[2014年6月11日「アンカー」より硫黄島の全景]
いまだに収容されない旧日本兵の遺骨が多数眠っている硫黄島。
堀江さんはミッドウェー島近海を航海した時のように、合掌し、黙祷せずにはいられなかったそうです。
所属する関西ヨットクラブの新年会では、毎年、海上自衛隊や海上保安庁の皆さんが来てくれるのだとか。
もう20年以上も前になりますが、海上保安庁の職員から、「尖閣諸島を守りますよ!」という話も聞いたそうです。
尖閣諸島周辺に中国の船が押し寄せてくるずっと前の頃から、国土を守るという意識が高かったことに、堀江さんは驚いたそうです。
寄稿の最後に、堀江さんはこう述べています。
「僕が78歳のいままで、世界中の海をヨットで航海できたのは、戦後70年以上、日本が平和だったからだ。日本が平和だったのは、“平和憲法”を堅持したからではなく、命をかけて日本を守ってくれた自衛隊がいたからだと思っている。
日本国憲法が認められているのに、「自衛隊が違憲だ」などという考え方があるようでは、日本を守ることなど到底できるわけがない。それ以前に、命がけで日本を守ってくれている自衛隊員に対して失礼だ。もっと誇りをもって任務についていただけるよう憲法を改正すべきだと考えている。
右であれ、左であれ、愛国心をもって国について考えているのなら、ぼくは聞く耳を持つ。しかし、ぼくは反日だけはカンベンしてほしい。祖国人を愛さないなんて、少なくとも海の男にそんな人はいない。
ぼくはこれからも祖国への愛を忘れずに、100歳まで海洋冒険を続けたいと思っている」
ちなみに…
著書「太平洋ひとりぼっち」は、アメリカやイギリスなどで出版されましたが、10年ほど前に、ある韓国人の大学教授経験者がこの本を知り、韓国語への翻訳を申し出てくれたそうです。
ところが、韓国の出版社のほとんどは、堀江さんがミッドウェー島での祈りに触れたわずか1ページの内容について、堀江さんが愛国者であることが問題だと、出版を見合わせたそうです。
幸い1社が出版してくれたそうですが、堀江さんは、この時の韓国側の対応をこう感じたそうです。
「他国の国民に対して、祖先や先輩を哀悼したり、愛国心を示してはならないというのは、ぼくは海の男として納得できない部分がある」
寄稿の最後の「反日だけはカンベンしてほしい」という言葉は、この時の体験に由来する部分もあったのかもしれませんね。
もうひとつ、ちなみに…
Wikipediaにこんな話が載っています。
「堀江を擁護する本多勝一」…。
本多勝一といえば、「中国の旅」で捏造の“南京大虐殺”を流布し、私たちの先人を貶めた人物。
その本多が、もし堀江さんのこの寄稿を読んだら、どう思うんかしら?(^_^;
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1962年(昭和37年)に、マーメイド号という小さなヨットに一人で乗り込み、兵庫県の西宮〜アメリカ西海岸のサンフランシスコ間の太平洋単独横断航海を成し遂げた人です。
当時はヨットによる出国が認められておらず、「密出国」という形での船出となったことで、物議を醸した人でもあります。
とはいえ、当時は私もまだ生まれておらず、これまで「昔、勇敢にも、一人でヨットで太平洋横断した人」ぐらいの認識しかありませんでした。
単独太平洋横断航海を手記としてまとめた『太平洋ひとりぼっち』(1962年刊)という有名な著書もありますが、タイトルを知っているだけで、読んだことないし…(^^ゞ
その堀江謙一さんの話を「WiLL」で読み、いたく感動したので、少し紹介させていただきますね。
堀江さんは1938年(昭和13年)に大阪市港区で生まれ、戦争の末期には大阪府下の箕面村(今の箕面市)で一家は暮らしていました。
1945年(昭和20年)の3月から8月にかけ、大阪市は空襲に見舞われましたが、遠く離れた箕面市にも爆発音や衝撃波が届いたそうです。
そんな経験もあり、堀江さんは太平洋横断中、ミッドウェー島の近くに来た時に、デッキでミッドウェー島のほうを向いて立って黙祷したそうです。
[ミッドウェー島は地図の赤丸の場所にあります]
「太平洋ひとりぼっち、ほかに誰もいないんだな」
堀江さんはお母さんを思い出し、坂本九さんの「上を向いて歩こう」をひとり歌っていたら、涙が出て止まらなくなったそうです。
「この海で、多くの海の先輩たちが散っていったのだ…」
「この海で亡くなった3500名もの日本人将兵にも、家族がいて、母親がいた。どれほど家族にや母親に会いたくて、日本に帰りたかったことだろうか…」
堀江さんは決意しました。
「この海で眠っている先輩の皆さん、ぼくはいま、皆さんに捧げる花束を持ち合わせていません。お許しください。しかし、もしこのヨットが無事にサンフランシスコのゴールデンゲートをくぐってゴールしたら、それを先輩方に捧げる“花”とします」
航海はアクシデントの連続でしたが、94日をかけて、無事サンフランシスコに到着。
堀江さんは、ミッドウェー島近海に眠る先輩方に“花”を手向ける約束を果たしました。
そのおかげなのか、パスポートとビザがないにもかかわらず、当時のサンフランシスコ市長は、「コロンブスもパスポートは省略した」と、堀江さんを名誉市民として受け入れてくれました。
当初は「密出国」した堀江さんを叩いていた日本のマスコミも、サンフランシスコでの厚遇を見て、手のひらを返すように偉業を讃えるものに変化したとのこと。
…ありがちですね(^_^;
堀江さんは帰国後、「密出国」について日本の当局から事情聴取を受けたものの、起訴猶予になりました。
[2002年、マーメイド号を復元し、40年ぶりに「太平洋ひとりぼっち」を再現し、サンフランシスコに到着。大歓迎を受けた故クリストファー市長の肖像画を手に記念撮影]
その後、堀江さんは海洋冒険家と呼ばれるようになり、西回りでの単独無寄港の世界一周航海(1974年)、縦回りの世界一周航海(1982年)、東回りでの単独無寄港の世界一周航海(2004年〜05年)などなど、多くの航海に成功。
その間、太平洋を航海している時、堀江さんが乗船しているヨットに自衛隊機が接近してきて、撮影した写真が新聞に掲載されたことが何回かあるそうです。
明らかに堀江さんのヨットと分かって撮影していました。
訓練として、自衛隊機が船舶に接近して写真を撮影することがあるらしいです。
堀江さんは海上自衛隊や海上保安庁とも関係がけっこう深いようです。
一度、海自の厚木基地で講演し、その講演活動の一環として、P3Cに搭乗し、硫黄島まで連れて行ってもらったこともあるそうです。
[2014年6月11日「アンカー」より硫黄島の全景]
いまだに収容されない旧日本兵の遺骨が多数眠っている硫黄島。
堀江さんはミッドウェー島近海を航海した時のように、合掌し、黙祷せずにはいられなかったそうです。
所属する関西ヨットクラブの新年会では、毎年、海上自衛隊や海上保安庁の皆さんが来てくれるのだとか。
もう20年以上も前になりますが、海上保安庁の職員から、「尖閣諸島を守りますよ!」という話も聞いたそうです。
尖閣諸島周辺に中国の船が押し寄せてくるずっと前の頃から、国土を守るという意識が高かったことに、堀江さんは驚いたそうです。
寄稿の最後に、堀江さんはこう述べています。
「僕が78歳のいままで、世界中の海をヨットで航海できたのは、戦後70年以上、日本が平和だったからだ。日本が平和だったのは、“平和憲法”を堅持したからではなく、命をかけて日本を守ってくれた自衛隊がいたからだと思っている。
日本国憲法が認められているのに、「自衛隊が違憲だ」などという考え方があるようでは、日本を守ることなど到底できるわけがない。それ以前に、命がけで日本を守ってくれている自衛隊員に対して失礼だ。もっと誇りをもって任務についていただけるよう憲法を改正すべきだと考えている。
右であれ、左であれ、愛国心をもって国について考えているのなら、ぼくは聞く耳を持つ。しかし、ぼくは反日だけはカンベンしてほしい。祖国人を愛さないなんて、少なくとも海の男にそんな人はいない。
ぼくはこれからも祖国への愛を忘れずに、100歳まで海洋冒険を続けたいと思っている」
ちなみに…
著書「太平洋ひとりぼっち」は、アメリカやイギリスなどで出版されましたが、10年ほど前に、ある韓国人の大学教授経験者がこの本を知り、韓国語への翻訳を申し出てくれたそうです。
ところが、韓国の出版社のほとんどは、堀江さんがミッドウェー島での祈りに触れたわずか1ページの内容について、堀江さんが愛国者であることが問題だと、出版を見合わせたそうです。
幸い1社が出版してくれたそうですが、堀江さんは、この時の韓国側の対応をこう感じたそうです。
「他国の国民に対して、祖先や先輩を哀悼したり、愛国心を示してはならないというのは、ぼくは海の男として納得できない部分がある」
寄稿の最後の「反日だけはカンベンしてほしい」という言葉は、この時の体験に由来する部分もあったのかもしれませんね。
もうひとつ、ちなみに…
Wikipediaにこんな話が載っています。
1974年には「マーメイドIII号」で、イギリス人のロビン・ノックス・ジョンストンに次ぐ世界で2人目の単独・無寄港世界一周航海を270日余りで成功させた。これについても、石原慎太郎から『週刊プレイボーイ』上で成功する可能性があり得ないものとして非難され、堀江を擁護する本多勝一らとの論争を呼んだ。
「堀江を擁護する本多勝一」…。
本多勝一といえば、「中国の旅」で捏造の“南京大虐殺”を流布し、私たちの先人を貶めた人物。
その本多が、もし堀江さんのこの寄稿を読んだら、どう思うんかしら?(^_^;
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Comments
月曜日のTBS18時からのニュースで、辺野古基地の報道において、「反対派の人々」という表現をしていました。2週間くらい前、佐古忠彦が現地取材(高江だったか。とにかく沖縄)では、何回も「市民」と言っていて、視ていた私ははなはだ不快でした。
ニュース女子に端を発し大手も隠蔽しきれなくなったのでしょうか。
拉致被害者の一部帰国後、それまで「朝鮮民主主義人民共和国」と言っていたのが、いつのまにか「北朝鮮」と言っていたのを連想します。
ここ、笑うところですよね。大昔から石原慎太郎ってこういう人を見下す人だったんですね。面白いわ、老害。