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「アンカー」敗戦後の刷り込みが中韓の反日工作を招き寄せた…硫黄島と真珠湾レポから

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【一覧】「アンカー」青山さんコーナーテキスト起こし
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■6/11放送 関西テレビ「アンカー」青山繁晴の“ニュースDEズバリ”

日本兵の遺骨収集は、青山繁晴が見た硫黄島

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 先々週は硫黄島クルーズで講演、先週はハワイ出張と超多忙の青山さん。
 硫黄島に近づいた時に起きた奇跡的な出来事とは。
 また、真珠湾の記念館の展示内容が中韓の反日工作により改竄されたのでは?という懸念を抱いて現地に向かった青山さんでしたが、その結果は。

 前半のキーワードは『敗戦後の刷り込み』。
 後半のキーワードは『反日工作を招き寄せるもの』。

 間投詞(「あの」「その」など)や言い直しもできるだけ再現しました。但し、細かい相づちなどは支障のない範囲でカットしています。
 画像はYouTubeからキャプチャさせていただきました。

※引用転載はご自由に。連絡不要です。但し誤字などに後日気づいて修正をすることが多々ありますので、必ずこちらのURLを添えておいて下さい。
画像を利用される方は、直リンクでなく必ずお持ち帰り下さい。当方のサーバーへの負荷軽減のためご協力のほど宜しくお願いいたします。「直リンク」の意味が分からない方はこちらをご覧下さい。現在、直リンクされても画像が表示されない措置をとらせていただいています。



 内容紹介ここから____________________________
 
岡安譲
「さて、今日は水曜日です。このあとは青山さんの“ニュースDEズバリ”のコーナーですが、青山さん、今日はどのようなお話でしょうか」

青山繁晴
「はい。えー、先々週、ま、この『アンカー』お休みいただいて、どこに行ってたかというと、いわば、有志の方々、有志の方々っていうのは一緒に仕事してるって意味じゃなくて、志が同じ、といえる人々と一緒に、ま、船に乗りまして、立ち入り禁止の硫黄島の目の前の海に行って、えー、まあかつて立ち入り禁止の島に、僕は上陸しましたけど、あれから7年半ぶりぐらいに、硫黄島を間近に見ました。で、そこで何があったかってことを今日お話ししたいんですけれども、それに加えてですね、先週の『アンカー』、終わりまして、そのあとに、海外出張に出ました。で、その海外出張で、仕事として、本来の仕事としてどこに行ってどなたに会ったっていうのは、先方との約束で、申せないんですけれども、その時に、1カ所別の所へ行ったんです。それ真珠湾なんですね。で、真珠湾に行ったのは、中韓の反日工作によって、真珠湾に記念館があるんですが、その中身が変わってるんじゃないかってことを懸念して行ったんですが、さあそれどうだったかっていうことを、硫黄島の件と、実は、1つになる話なんで、それを合わせて今日、皆さんにお話ししたいんです。えー、キーワードは、これです(フリップ出す)」

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岡安譲
「『敗戦後の刷り込み』」

青山繁晴
「はい。敗戦から、日本のたった1回の敗戦から、今年で69年、やがて8月15日がやってきますけれども、僕もまだ生まれる前ですけれども、戦争に負けてからずーっとその70年近くの間、ずっと私たち日本人は世代関係なく、ある刷り込みを、されてきたんではないか。それは敗戦後の教育と、マスメディアによって間違ったことを、思い込まされてきたんではないか。それが、さっき申しました、硫黄島と真珠湾、それぞれに表れているんではないかということを、ひとつの問題提起として、皆さんと具体的に、一緒に考えたいと思います」

岡安譲
「はい。コマーシャルのあと、青山さんにたっぷりお話しいただきます」

(いったんCM)

岡安譲
「青山さんは、先々週は硫黄島、そして先週末は、ハワイに赴かれました。その時の内容、今日は両方お話ししていただきます。キーワードは『敗戦後の刷り込み』です。よろしくお願いします」

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青山繁晴
「えー、これまず不肖私が写ってるんですけど、テレビ局って、僕が一番使ってほしくない写真を必ず使うんですよね(一同笑&ざわ)。これ両方とも嫌なんですけど」

村西利恵
「そうなんですか(苦笑)」

青山繁晴
「どうしてかというとこれ(左の写真)、硫黄島ですが、僕は軍人でも自衛官でもないんで、本来敬礼などしてはいけません。で、でも、これどうしてもやっぱりせざるを得なくてですね。カメラを全然意識しないで、ま、敬礼をしてるところが、これです」

村西利恵
「そういうお気持ちになられたということですね」

青山繁晴
「はい。それからこれ(右の写真)は、真珠湾につながれてる戦艦ミズーリっていうアメリカ海軍の船なんですが、シャツが派手です(一同笑&ざわ)。えー、したがって…」

村西利恵
「いや、素敵ですけども、はい」

青山繁晴
「あの、両方とも、この写真は嫌なんですが、但し、この敗戦後の刷り込み、つまり敗戦後ずっと思い込みがあったんじゃないかっていうことをですね、こうやってドーンと出してくれる、番組、テレビ局は、これお世辞じゃなく、この水曜『アンカー』しかないと思いますね。だから僕も勇気づけられました。で、まず、硫黄島の方から行きましょう。はい、出して下さい」

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村西利恵
「青山さんは2006年12月に硫黄島を訪問されています。その当時は、日本兵およそ2万1000人のうち、およそ1万3000人の遺骨が還っていませんでした」

青山繁晴
「はい。いわばこれは、私と、あるいはこの番組と硫黄島をめぐる、原点ですよね」

村西利恵
「はい、そうです」

青山繁晴
「で、硫黄島は、第2次世界大戦の末期に、日本側から言うと大東亜戦争の末期にですね、この硫黄島の下(南)に、サイパンとかグアムがあるんですが、ここから、爆撃機が、日本本土を激しく爆撃して、もう男性あまりいませんでしたから、働き盛りの人は。だから、女性と子供を中心に虐殺されていったわけですね。でもそれ遠すぎるんで、アメリカ軍は中継地点がほしくて、それで硫黄島を狙いに来た。で、そこで2万1000人戦われましたが、戦争の末期なので職業軍人は1000人ぐらいしかいらっしゃらなくて、2万人は、私たちと同じようなサラリーマンとか役場の職員とか学校の先生とか、普通の人が兵士として、硫黄島に行かれた。で、戦争が終わったら、玉砕の島の中でも硫黄島だけは日本の島ですから、この全員が、亡くなられた2万人、殺された2万人が全部故郷に帰るはずが、あれから、60年、以上経っても、1万3000人、半分以上の方が、そのまま、この熱い熱い硫黄島に、取り残されたままになってるわけですね。そのことを、えー、かつて、この水曜『アンカー』のカメラと一緒に行きました。はい。今、出していただけますか」

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青山繁晴
「えー、これ、取材機から見た硫黄島の姿ですけれども」

岡安譲
「ええ」

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青山繁晴
「えー、この向こうに見えてるのが擂鉢山っていう山で、一番激しい戦闘も行われた場所です」

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青山繁晴
「これ、今、地下壕の中に入って行きまして、当時の日本兵の方、っていうか私たちの先輩ですね、普通の庶民が多いですから、の、履いてらした地下足袋もそのままあって」

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青山繁晴
「そして、このドラム缶の水でかろうじて、戦った。しかし、これ中は熱湯で、先に亡くなっていく戦友に、このドラム缶から水を、末期(まつご)の水で浸したら、その、戦友がみんな唇がこうやって腫れ上がったと。で、初めて、あの、ドラム缶の水が熱湯だったと分かったと、いう証言も含めて、この『アンカー』でお伝えしたんです。で、この硫黄島についてですね、今回どういう動きが新しくあったかというとですね、ま、1年ほど前に、こういうことがありました。はい、出して下さい」

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村西利恵
「硫黄島クルーズの発案者から、およそ1年前に青山さんに連絡があって、『小笠原クルーズに硫黄島を加えたい。立ち入り禁止でも目前の海を周回して、乗客に見ていただける。その航海に青山さんに乗り込んでもらい、硫黄島をめぐって連続講演をお願いできませんか』と、言われたと」

青山繁晴
「はい。これあの、商船三井っていう、船会社の、にっぽん丸っていう世界一周も行ってる、ま、レジャーの船ですね(一同同意)。その船が、小笠原クルーズっていうのをやっておられるわけですね。ところがその小笠原クルーズっていうレジャーの旅に、硫黄島、全く、いわば雰囲気の違う硫黄島を加えたいってことを考えた、志のある方、その中には元女子アナの方もいらっしゃるんですよ?」

村西利恵
「そうなんですか」

青山繁晴
「つまり『アンカー』から発信していったことが何年もかかって、たくさんの人に届いていてですね、インターネットも活用して届いていて、その中から、レジャーのクルーズだけど硫黄島を入れて、あえて入れて、そして、立ち入り禁止のままですから、硫黄島は。上がれないけれども、目の前の海をぐるぐる回って、その普通の乗客にむしろ見てほしいと。で、その、島を見ながら、あるいは島に行く途中に、青山に、連続講演してもらえないか、硫黄島とは何なのかって話してもらえませんかって提案が、1年前に来たんですよ。で、私たちは、独立総合研究所って営業活動一切しませんから、もう青天の霹靂で、まあ心配したわけですよ。そんなレジャーでせっかく楽しみで乗られた方にね、苦しみの島をめぐっていただくっていうのは大変じゃないかとも思い、それから、1週間近く僕は船に乗れるのかと、いう、ま、スケジュール的にも無理じゃないかってこともあったんですが、まあ奇跡的に噛み合っていって船会社の上層部も納得してくれて、このクルーズに行くことになったんです。で、じゃあそのクルーズ…」

村西利恵
「はい、映像がありますので、船に乗り込むところからご覧下さい」

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村西利恵
「これがその、にっぽん丸ですね」

青山繁晴
「はい。これ東京の、有明に泊まってるんです」

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青山繁晴(V)
「まぁすごくでかい船です。この船、英霊がご覧になれば、すごく誇りに、うれしく思われるだろうなと、思ってます。はい、じゃあ、行ってきます」


青山繁晴
「えー、正直僕は、あの、船に乗るところまでカメラに撮られるとは思ってなかったから、言う予定じゃない、本音のことを思わず言ってしまったんですが、あの、僕なりに、その1年前に提案いただいてからずっと考えました。そのレジャーの船が、英霊の、取り残された島に、近づくってのはどういうことなのか。でも、きっと英霊の方々は、あの大きな船をご覧になったら、祖国日本は(こみ上げる)、すごくいい国で、甦ってるんだなっていうことを、分かっていただけると思ってました。で、思わず、えー、わが水曜『アンカー』の、私たちの『アンカー』のカメラが来てたんで、思わずああいう風に、あの、本音を言ってしまったんですね。で、えー、これ、出発しまして…」

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村西利恵
「先月25日に東京港を出港」

青山繁晴
「はい。で、まあ例によって船の中ではずっと原稿やらなきゃいけなかったんですが…」

村西利恵
「お仕事されつつ、はい」

青山繁晴
「でも無事に、実は操舵室から、1回やりまして、ほか、あの、これ本来ダンスしたりするホールなんですが、そこをお借りして3回やって、計4回お話しできたんですね。えっと、これも映像を出していただけるんですね。はい、ちょっと出していただけますか」

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青山繁晴
「はい。これ、あの、今、講演してるとこなんですけど、これ実は何時間にも渡ってお話ししてますから、この数分でお話しするのは難しいんですが」

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青山繁晴
「でもひとつ申しますとね、この、不可思議なことが起きましたと。つまり、タイミングがすごく合ってですね」

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青山繁晴
「というのは、60年間日本がほっといた、祖国がほっといた硫黄島の英霊の方々について、今の安倍総理が決断をなさって、ついに、自衛隊の滑走路の下に閉じ込められてる英霊の方々も含めて、取り返そうっていうことが、決まった。そのタイミングでちょうどこのクルーズになった。これは、その、にっぽん丸の方々は全然意識されてなかったんですよ」

岡安譲
「そうですか」

青山繁晴
「はい。だから、苦しい話ばっかりじゃなくて、島を目前にして、実はこれを取り返す、あの、ここの島を、滑走路も引き剥がし、それから草の間、岩陰の下の遺骨も、全部丁寧に探して、初めて、全員の方々に故郷に帰っていただくことが決まったと、いう時にたまたま、このクルーズになったんですね。そして本当はこの小笠原クルーズっていうのは、行き帰りのどっちかは激しく揺れて、まあ乗客の方がかなり大変なこともあるらしいですが、今回のことはもう奇跡だと船長がおっしゃってましたけど、全く揺れなくて、つまり、まあ僕が乗るっていうことだけじゃなくて、硫黄島をめぐれるってことで、すごい高齢の方も、それからものすごい若い人も、たくさん乗られてて、もうギュウギュウに人が乗られてましたから、その、船の側もそれを心配されたようですけど」

村西利恵
「天候に恵まれて」

青山繁晴
「はい、恵まれて、さらにですね、実はその中で硫黄島に近づく時は、天気予報でも、船長の予想でも、これは雨になって、ひどいと嵐になると。もう船も覚悟してた。ところがこれ見ていただいたように、もうカラリと晴れてますね。そして一瞬虹が出たんですよ

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岡安譲
「ほんとですね」

村西利恵
「ああー、ここですね」

青山繁晴
「ええ。これあの、何でもね、都合いいように考えてはいけないけども、ほんとにその、天のご意思っていうか英霊のお気持ちでこうなったとしか思えない。だからみんながもう息を詰めてそれを眺めたんですが、ちょっとその関連の映像出していただけますか」

村西利恵
「28日に硫黄島付近に到着した映像をご覧いただきましょう。これ夜明けに着いたんですね」

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青山繁晴
「これ夜明けに、硫黄島についに迫りまして、いま太陽が昇ってきたところで」

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青山繁晴
「そして、これ、海から見た硫黄島なんですけれども、えー、水蒸気は少し見えると思いますね」

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青山繁晴
「これは、硫黄島ってほんとに硫黄が噴き出るすさまじい環境の島で、噴き出た硫黄が水と混じり合ってるところなんですね」

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青山繁晴
「えー、そして、これが擂鉢山なんですが、ここの上に星条旗が立てられた写真が、まあ有名なわけですね(一同同意)」

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青山繁晴
「で、これいまアップになってるけど、このこういう窪みのところに、私たちの先輩が潜んで、アメリカ軍を何とか追い返そうとしたわけですね。で、実は船の中で、今まで、その、『アンカー』でも、えー、講演とかその他でも大学の授業でも一度も言わなかったことを、初めて申しました。それは何かというと、いま皆さん見ていただいた、擂鉢山の、山の上なんですけれども、あそこに上がりますとね、実は未だにアメリカなんですよ

岡安譲
「そうなんですか」

青山繁晴
「つまり、勝ったアメリカの側の記念碑のようなものがたくさん残っていて、日本側の方もわずかにはあるけれども、未だに、その、立ち入り禁止になってることも影響して、その、勝ったアメリカの記念碑の方が優先されててですね。ところが、ところがっていうかさらにですね、その、記念碑のところで僕が聞いた衝撃的な話っていうのは、かつてこの記念碑の上に、日本兵の、つまり、兵士じゃなくて私たちの先輩の普通のサラリーマンのような方々、そういう方々の、シャレコウベを、そのアメリカの海兵隊が、海の水で洗ってそこに飾ってたと。ね。で、それをお土産で持ち帰った人もいると。で、そういう無残なことがあったのに、アメリカ自身がだんだん考えを深めていって、それは敵兵のシャレコウベではなくて、祖国を守るために自分たちと同じように立派に戦った人だっていうように考えを変えていって、で、毎年3月、現在も行われてる合同慰霊祭が、日米の生き残りによって、行われるようになったんだと

村西利恵
「うーん」

青山繁晴
「そして、その合同慰霊祭にやってくるアメリカは、全部、子・孫・ひ孫に至るまで国費、つまりアメリカ国民の支え、税金によって来ますが、日本は、わずかに生き残った方も遺族の方も、ボランティアの人も、自費で行かなきゃいけないと、いう現実がある。それはどうしてその差が出るのか。アメリカの側は、日本の元兵士も、それは、自分たちと同じように立派に戦った人だったと、もう考え直しているのに、日本側は未だに悪者扱いしてるから、島にも取り残したままであり、擂鉢山の上もそういう状況になってるってことを、実は申しました。はい。で、次の、ちょっと出していただけますか」

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村西利恵
「これは、献花と、献杯をされている様子、ですね」

青山繁晴
「はい。これの、画像も…」

村西利恵
「映像もあります。ご覧いただきましょう」

青山繁晴
「はい。ちょっと出していただきますと」

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村西利恵
「このように…」

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青山繁晴
「これは操舵室の中からですね、これあの、擂鉢山が目の前に見えてるんで、いま言ったあの山の上、少し光ってる所ありましたでしょ。あそこが実は記念碑なんです。それはアメリカ側の作った記念碑なんですね。それはもう一度、合同慰霊祭も含めて、日米でもう一度作り直すべきだと僕は思います」

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青山繁晴
「そして、先ほど言いました、ドラム缶の水のことを思えば、まずこの花を捧げた上で、硫黄島に届けた、捧げた上で、もうたったペットボトルのあんな水ですけど、どんなに冷たい水をほしかったかと、思って、水を捧げました(こみ上げる)」

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青山繁晴
「えー、この、映ってるのは僕だけですけれども、この、操舵室の下のデッキにたくさんの、もうほんとに10代の方から、90を超える方々まで、並んで、もうこうやってみんなでこうやって祈って下さって、英霊の方々にとっては、やがて、えー、日本政府が考えを変えて、今、もう変えましたから、取り返す、前の、いわば訪問に、日本国民からの、前触れの訪問になったと思います。さあ、そしてその上でですね、この前半の最後に申せば、じゃあその遺骨に帰って、故郷に帰っていただいてから、何をするかが、もうひとつ大事なところですね。はい、出して下さい」

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村西利恵
「すべての遺骨を取り戻したあと、硫黄島を観光施設ではなく、教育・研修施設として活用するべき」

青山繁晴
「はい。いま硫黄島が立ち入り禁止になってるのは、自衛隊の基地があるからだってことになってますけど、それは、基地はこのあたり(画像向かって右側)の部分だけであって、周りも全部立ち入り禁止ってのはほんとは筋が通らない。ほんとはどうして立ち入り禁止かというと、その基地の滑走路の下も、そしてこのあたり(左側)もまだ、日本兵の、私たちの先輩が取り残されたままになってて、人が入ったら、どこでどうご遺骨が出てくるか分からないから立ち入り禁止になってるわけで、全部帰っていただくと、そして、この島には、普通に日本国民が入れるようになりますから、その時に、例えば、沖縄の一部の戦跡のような、観光地にする、よりも、その、例えば子供たちの修学旅行であったり、子供たちの歴史教育であったり、私たち大人の精神教育の場に使うべきだっていうことを、この国民の声として、どうか一緒に考えていただけませんか。それは、ご遺骨が帰っていただくと、その故郷で何が起きるかというと、戦争を美化したり、戦争の思い出話をするんじゃなくて、子供たちにそのご遺骨を見ていただくと、2万1000人の方が、1人として、考え方いろいろ違ったのに、戦前であっても実は日本はそういう国ですから、ほんとは考え違ったのに、1人として自分のために戦った人はいなくて、みんな人のために戦ったんだと。その人っていうのは、後世の私たちのことであると、いうことを子供たちに教えれば、いじめられてる子が、いじめられてる小さな私(わたくし)の世界に閉じこもっていて、死を選んだ子供も、大人になったら、人のために働ける大きな世界が待ってると思ったら、死を選ばない子供になっていく。そういうことを、硫黄島をきっかけに考えませんかということを、今回も改めて問題提起いたしたいと思います。さあその上で、後半は、じゃあハワイの真珠湾と、今の硫黄島のことがどうつながるかを、お話しするんですが、後半に向けたキーワードはこれです(フリップ出す)」

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村西利恵
「ここでズバリキーワードは、『反日工作を招き寄せるもの』。日本人にはどんな思い込み、刷り込みがあるのか、このあと詳しく話していただきます」

(いったんCM)

岡安譲
「前半お話しいただいた硫黄島、そしてこれからお話しいただく真珠湾、そこに共通する日本人共通の思い込みとは一体何なのか。青山さん、よろしくお願いします」

青山繁晴
「はい。あの、先週の金曜日から、今週の月曜日、深夜までですね、海外に出ていまして、えー、全部でどこの国に行ったのか、どなたに会ったかは、もう本当に、先方との約束で申しませんが、その過程で、週末も利用して、真珠湾に改めて行ってきました。で、真珠湾の中で、特に2カ所、今日お話ししたいんですが、まず1カ所目これです」

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村西利恵
「真珠湾の記念館」

青山繁晴
「はい。これですね、ちょっとすいません、英語を読ませてほしいんですが、World War Two…、あ、ごめんなさい、World War Second…、World War the Second Valor in the Pacific National Monument、これ一般的には日本では、その、えー、船の名前だけ取ってですね、その、アリゾナ記念館と言う人が多いんですが、それそうじゃないんです。これ、あの、真珠湾の戦いの記念館が大きな、その、国立公園として存在しててですね、これ政府の施設です」

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青山繁晴
「で、その中に、ちょっとここに、海がかろうじて見えますけど、ここに日本軍の攻撃で沈んだ、アメリカの戦艦アリゾナが、そのまま、その底にいて、その上にいわば橋が、橋のようなものが渡してあって、そこに行ったら、船で行ったら、そのアリゾナから浮かんでくる油が見える、それが一番有名なんですけれども、それ以外に、例えば資料館がきちんとあるわけです。で、これ訳しますとね、えー、いわば第2次世界大戦中の、中でも、太平洋における戦いで示された勇気、に関する、国立の記念施設と、いう意味なんですね。で、いわば資料館のようなきちんと客観的な資料を展示してる所が、ビルで言うと2つあるんですね。で、これ実は僕、今回、心配があって行ったんです。といいますのはね、まずあの、原点言いますと、あの、時間はないですけど、小・中・高とずっと聞かされていたのは、この真珠湾に行ったら、アメリカ人にいじめられるよみたいなことを教えられたわけです」

村西利恵
「うーん」

青山繁晴
「で、どうしてかというと、真珠湾攻撃、1941年12月8日の、真珠湾攻撃っていうのはアメリカから見たら卑怯な奇襲だから、卑怯だ卑怯だとこの、記念館には展示してあるから、そんなとこに日本人のお前が行ったら、いろいろケンカふっかけられるぞって言われてたんですよ。で、言われて育ちましたが、まあ大人に近くなって、やっぱり自分の目で見てみようと思って行ったらですね、全然違うんですよ。日本を卑怯と非難するどころか、その、当時の海軍力において日本が最先端で、アメリカより上で、特に、大きな軍艦じゃなくて飛行機こそ、大事だってことを教えてくれたと。で、教え、教えて、教えられたその、きっかけっていうか原因が真珠湾攻撃であって、真珠湾で徹底的にやられたので、アメリカは反省して、日本の方が正しいと反省をして、そして航空戦力を強くして、翌年の1942年6月のミッドウェー海戦でやり返して祖国を守ったっていうね、非常にフェアな、展示がしてあって、いじめられるどころの騒ぎじゃないんですよ。ところが、その記念館、改装に入ったんですよ、わりと最近に。で、改装に入る時にちらっとワシントンの人から聞いたのは、中国・韓国が、その展示の内容を変えろということを、日本では全然知らないようだけれども、実はずいぶんカネも使ってやってるぞって聞いたので

村西利恵
「なるほど」

青山繁晴
「さあ改装の結果どうなったかを、すごく心配してた」

岡安譲
「うん、それは確かに心配ですね」

青山繁晴
「で、真珠湾に何度も行ったんですよ、この『アンカー』でも言った通り。でも記念館に行く暇はなくて、記念館の向かい側の山にある、太平洋軍総司令部に行ってるだけで、記念館行けなかったんです。で、今回、ま、ドキドキしながら行ったわけですよ。ドキドキして行って、まず、こいつが一番、撤去されてんじゃないか、跡形もなくなってんじゃないかと思って心配して行ったのが、これです。出して下さい」

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村西利恵
「それが日本の空母『赤城』の模型です」

青山繁晴
「はい。これはですね、えー、まず僕は最初に行った時にびっくりしたんですが、空母『赤城』ってそもそも日本では、こういうことに関心の深い人よくご存知だけど、一般的には戦艦大和と比べると、全然知名度低いでしょう?」

岡安譲
「確かにそうです」

青山繁晴
「この真珠湾の記念館には、戦艦大和の、えー、影も形もなくて、売店にある本だけです。ね。この、展示にはないんですよ。つまり、アメリカの実際の考えからすると、大和が、大和が頑張ったんじゃなくて、世界最先端の空母が頑張って、中でも赤城がすごかったって展示がされててですね、そしてこの写真ないけど、実はこっち側に、その、沈められたアメリカの巨大戦艦アリゾナがあるんですよ。で、このアリゾナは旧式の考えだったとはっきり書いていて、最先端の考えはこっち(赤城)だったと。日本帝国海軍の、Imperial Navy of Japan、の、赤城だと、ね、展示されてて、これが単なるおもちゃじゃなくてスケールモデルっていいまして、まあ、あの、数千万かかったんじゃないかっていうようなものであって」

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青山繁晴
「そして愛情を込めて作られてるのはですね、こうやって、これあの、パイロットとかですね、それからエンジニアとか、それから砲手とか、もう表情まで再現されて、徹底的に作り込んであるんですよ。ね」

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青山繁晴
「これ、尊敬と愛情がなかったらできることじゃありませんし、そしてこれはまさしくアメリカの船に、この雷撃、これで攻撃する飛行機なんですが、そのパイロットが再現されてて、このお顔見て下さい。ね。余裕がある人間らしい表情をなさってるわけですよ。これあえて言いますが、中国・韓国はこういう記念館作ったら、こういう表情になると思いますか。僕は中国や韓国の、現地の記念館たくさんありましたが、日本人はみんな悪魔のような顔にされたりしてますが、全然違うわけです。さあその上でさらに決定的なのは、ひとつはこれです」

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青山繁晴
「これは、えー、ちょっとこの写真分かりにくいんですけれども、これ撮ってる僕の、影が写ってますが」

村西利恵
「迫り来る嵐という…」

青山繁晴
「これね、受付がこうあって、そしてこの記念館に入っていきますね、2つ建物があって、その一番最初の、入り口のところにある展示なんですよ。説明なんですよ。だからこれが、この記念館全体を説明してるわけですが、さあ、そこに何て書いてあるかというとですね」

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青山繁晴
「えー、この、題は、A Gathering Storm、迫り来る嵐ってことなんですが、Conflict is brewing in Asia. その、アジアで紛争が起きましたと。そして、古い世界が変わりつつあって、そしてここ訳してる通りですが、その下ですね。Two new powers, the United States and Japan, are rising to take leading roles on the world stage. つまりこれアメリカと日本を全く対等に考えていて、その、世界の舞台で、新しい主導的な役割を果たそうと、アメリカと日本が勃興してきたと書いてあるわけです」

村西利恵
「本当に客観的に書いてあるんですよね」

青山繁晴
「はい。さらにその下。Both seek to further their own national interests. つまりこのBothっていうのは、日本を対等に扱って、Bothって中学で習いましたよね。その2つの国は、さらに自分たちの国益を、ね、良いものにしようと、その、探求してたと。日本は軍国主義だったとか、侵略主義だったとか、そんなことは一切書いてないんです。さらにそのあとに、Both hope to avoid war.」

村西利恵
「避けようと」

青山繁晴
「つまり、アメリカも日本も、戦争を避けようとしましたと。もう一回言いますよ、これ、政府の施設ですよ。入場無料です」

岡安譲
「双方はって書いてあるんですね〜」

青山繁晴
「政府の、アメリカ政府の公認の、見解として、双方は戦争を避けようとしたと。そして、しかし、Both have embarked on courses of action that will collide at Pearl Harbor. ね。しかし、双方の国は、ついに真珠湾で、衝突するという道筋に引き込まれていきましたと書いてあるんで、もう一回言いますが、日本が軍国主義とか何とかは、一切書いてないんですよ。つまり双方がそれぞれの国益を追求した結果、残念ながら戦争、日本も避けようとしたのに、軍国主義で戦争を避けようとするはずがないでしょ? 戦争を避けようとしたけれども、双方がぶつかることになってしまったと。これが全体の表現として、実は書いてあるわけです。で、さらにですね、もう時間が厳しいですが、この記念館から、無料のバスが出てます。そのバスに乗っていただくと、真珠湾の中のひとつの島に着きます。その島に、何が停められてるかというとこれです」

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青山繁晴
「はい。そこに停泊してるのが、この戦艦ミズーリ。これMighty Moっていうね、万能のMoっていうあだ名が付いてる、いわば、アメリカにおける一種の戦艦大和みたいな存在だったわけですけどね。大和と違って沈まずに、そしてこのミズーリは歴史の教科書に、見ていただくと出てきます。それどうして出てくるかというと、この船が東京に来て、戦争に負けたあと、1945年の9月2日に、このミズーリのこのあたりの甲板で、日本が降伏文書に調印したと、いうことだけが有名なんですが、いわばそれは、単なる儀式であって、その調印した後ろのほう、このミズーリのですね、右舷、皆さんが見ていただいてるこっちが首だとするとこっちの右舷のほうにずっと下がっていただくと、ちょっとこれ、写真が、出してもらえないけれども」

村西利恵
「ここですね」

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青山繁晴
「ここに、この零戦が突入しようとしてるんですね」

一同
「ああー」

青山繁晴
「で、これは突入にいわば成功して、ここにへこみを作るんですよ。へこみを作りますが、実際はそれ以上の、まあ火災は起こしましたけど、大きな被害はなかった。大きな被害はなかったっていうことは、実は零戦も、タイヤが上向きになってこの辺に乗っかったりして、そして、パイロットもですね、パイロットの上半身が、顔も、顔もよく分かる状態で、ここに転がったんですよ。で、それを、アメリカの、その水兵たちは、あるいは士官も含めて、自分たちを殺しに来た飛行機ですから、この野郎この野郎って、ま、英語ですけど、蹴ってたわけです。蹴ってたら、この上から、キャラハンっていう艦長が、やめろと。その若者は俺たちと同じじゃないかと。この弾をかいくぐって立派に突入を果たした、祖国を守るために戦ってる若者だから、ちゃんと弔おうと言ったらですね、みんなが納得して何をしたかというと、艦内で、白い着物と、いや、白い布と、赤い布を探して、何と日本の旭日旗、旭日旗を作ったりして、この石野さんっていう方は19歳、岡山出身の、元は鉄道員だった方を、こうやってくるんで、アメリカ海軍の正式な、まさしく敬礼をして、実は海軍葬を行って、くれたんです

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青山繁晴
「で、ここの展示がしてあるんですけども、僕は最初に行った時に、日本人のガイドの人が、日本は昔、軍国主義でしたから、こんなことをしたんですよと言われたんで、元商社マンの人は、あなたは、真珠湾の記念館の展示を見ましたかと、どこに軍国主義って書いてありますか、それは本当は、あなたも僕も、日本の国内で刷り込まれ、思い込まされたことを言ってるだけじゃないかと。むしろアメリカ海軍はちゃんとこのように扱って、尊敬して扱って、弔いまでしてるじゃないかと。最後に申すのは、このことです。出して下さい」

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村西利恵
中・韓が反日工作に利用しているのは、“日本は悪者だった”という、敗戦後の日本人の思い込み

青山繁晴
「はい。中国・韓国の、アンフェアな卑劣な意図もありますけども、私たちの社会の中で、自ら思い込み、思い込まされてきたことを巧みに利用されているということをですね、いるんではないかということを、できたら観光のついででもちろん結構ですから、ハワイの真珠湾に行って、見て下さい。もう時間はないけど1個だけ言わせて下さい。今回ハワイで会った人で、英語が喋れる日本人の方とかなり会いました。地位も高い人もいらっしゃいましたが、みんなびっくりしたわけですよ。僕の話を聞いて。で、記念館何度も行ってるんですよ? 何度も行ってるのに、そのことに気がつかない。どうしてですか。刷り込みがあるから、英語が分かって読んでも、それに気がつかないということが起きてるわけです。この英語は実は高校程度の英語です。辞書を片手でもいいですから、どうぞ行って下さい」

(いったんCM。他のニュース報道のあと、番組最後に)

岡安譲
「あの、コーナーの最後にご紹介いただいた写真は、あれ、ミズーリの甲板に…」

青山繁晴
「ミズーリの甲板上に、その、石野さんの写真も含めてですね、きちんと飾ってあるんです、尊敬も込めてですね。あそこで2001年に、その、元艦長とご遺族、一部のご遺族もお会いになってるんですよ」

岡安譲
「ああ、そうなんですね。しかしながらやっぱり正々堂々戦う国に関してはアメリカちゃんとリスペクトすると」

青山繁晴
「いや、もう、深く深く尊敬してるってことが感じられます」

(5時台の番組終了)

 ____________________________内容紹介ここまで


 最後に登場した石野海軍二等飛行兵曹、これは「永遠の0」の主人公・宮部久蔵のモデルとなった人でしょうか。

 ミズーリの甲板で石野さんのことがどんな風に展示されているか、分かる動画があります。興味のある方はご覧下さい。




 この日の「アンカー」では他に以下のニュースで青山さんの解説がありました。

●党首討論 集団的自衛権で論戦
●韓国セウォル号沈没事故 船長ら初公判


 実は青山さんのコーナーのあと、短くニュースを伝えるコーナーで、中国が「南京事件」と「慰安婦」関連資料をユネスコの世界記憶遺産に登録申請した問題が取り上げられました。

 が、残念ながら青山さんの解説はなし。時間が押していたからだと思います。

 青山さんのコーナーが長すぎたというより、その前の、セウォル号沈没事故のニュースでの解説が長すぎたのかも。

 というのは、逃げた船長らの行動と、福島第1原発の作業員の行動を一緒にする話を、朝日新聞がキャンペーンでやり、それに便乗した評論家らもやっているが、それは全然違うという話をされたんです。

 「そもそも70人前後の人が最前線に残っていて、それは直接事故の早期の収束に関係あるから吉田昌郎所長はそう指示して、で、直接関係ない人はいったん待避しろと所長が言って、それで待避した。もし逃げたんだったら、どうして福島第2原発に行くんですか。12キロしか離れてないのに」

 …というふうに。

 ここの箇所の正確な発言、および、拙ブログで紹介しきれなかった他の青山さんの発言については、こころが風邪をひいたらさんが後日文字起こしして下さると思うので、そちらをご覧下さい。

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※参考リンク
ON THE ROAD 青山繁晴の道すがらエッセイ
 青山さんに直接コメントが送れます。
こころが風邪をひいたら
 拙ブログで紹介しきれなかった青山さんの発言を起こして下さっています。
青山繁晴氏のファンサイト・淡交 ブログ
 動画の紹介など情報が大変充実しています。

※拙ブログ関連エントリー(アンカー)
【一覧】「アンカー」青山さんコーナーテキスト起こし






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