両陛下インドご訪問まとめ
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インドを訪問された天皇皇后両陛下。
日程を無事に終えられ、12月6日に帰国されました。
このたびのご訪問は、10年以上前からたびたび両陛下のご訪問を要請してきたインド政府の招待を受けて実現したものです。
皇太子同妃両殿下時代の1960年以来、53年ぶりのご訪問となりました。
※インドご訪問に当たり天皇陛下のご感想(11月28日)
インドはもともと日本とは関係が深い上に、歴代天皇をお迎えするのは初めてということもあり、現地では大変な歓迎ぶりでした。
両陛下のインドご訪問のご様子は拙ツイッターでも少し紹介してきましたが、改めてまとめてみました。
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インドを訪問された天皇皇后両陛下。
日程を無事に終えられ、12月6日に帰国されました。
このたびのご訪問は、10年以上前からたびたび両陛下のご訪問を要請してきたインド政府の招待を受けて実現したものです。
皇太子同妃両殿下時代の1960年以来、53年ぶりのご訪問となりました。
※インドご訪問に当たり天皇陛下のご感想(11月28日)
インドはもともと日本とは関係が深い上に、歴代天皇をお迎えするのは初めてということもあり、現地では大変な歓迎ぶりでした。
両陛下のインドご訪問のご様子は拙ツイッターでも少し紹介してきましたが、改めてまとめてみました。
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【11月30日】
ご出発前、天皇陛下は「私どもの訪問が両国の相互理解と友好関係のさらなる増進に資するよう願っております」と挨拶されました。
首都ニューデリーの大通りには日印の国旗が掲揚されるなど、インドでは両陛下のご到着前から歓迎ムードが高まっていました。
ニューデリーのパラム空軍基地に到着された両陛下と、シン首相ご夫妻。
外務省によると、首相の出迎えは異例で、最大級の歓迎とのことです。
【12月1日】
両陛下はニューデリーの公園で大勢の市民らと交流されました。
この男性は53年前、14歳の時に両陛下を学校にお迎えした経験があるそうです。
インドの人々はなぜ両陛下を熱烈歓迎するのか?
12月1日放送のフジ「Mr.サンデー」では、53年前、皇太子同妃両殿下時代のご訪問の際、インドはカースト意識がまだまだ強かった時代にも関わらず、農村部も訪問されたことも理由のひとつであると紹介されました。
同じく1日、両陛下はニューデリーの日本大使公邸でインド在住の日本人との懇談に臨まれました。
会場には、インドに駐在している日本企業の関係者や日本の援助をもとに進められている鉄道工事の関係者、それにプロサッカー選手などインド各界で活躍する85人が招かれました。
これに先立ち、両陛下は大使公邸の庭に植えられている高さ17メートルの菩提樹の木をご覧になりました。
この木は、ちょうど53年前の12月1日に訪問された際、両陛下が記念に植えられたものだそうです。
【12月2日】
両陛下は大統領官邸で行われた公式歓迎式典にご出席。
礼砲の後、両国国歌が演奏され、天皇陛下は儀仗(ぎじょう)隊を閲兵されました。
ニューデリーのガンジー廟(びょう)をご訪問、石碑に花輪を供えられる両陛下。
1960年に訪印された際も、同じ場所で供花されています。
ガンジー廟での記帳を終えられ、ガンジーの胸像を受け取られる両陛下。
迎賓館でシン首相と会見される陛下。
その後、ネルー大学を訪問された両陛下は、日本語を学ぶインド人学生たちと歓談され、日本の少子化問題を議論する様子もご視察。
夜には、ムカジー大統領主催の晩餐会に出席されました。
これに先立つ大統領との会見で、天皇陛下は、東日本大震災の際の救助隊派遣などの支援に感謝を伝えられました。
晩餐会の乾杯のご挨拶で、陛下は、6世紀の仏教伝来や、奈良時代に多くの寺院が建立された歴史に触れられ、第2次世界大戦前にインドの詩人タゴールが来日し歓迎されたことなど、近代の活発な日印交流にも言及されました。
また、53年前に初めて訪印された際、独立当時からの国の指導者たちと接されたことについて、「民主主義、国際主義、さらには非暴力を旨としたガンジーの流れをくむ平和主義を理想とする高い志に触れたことは、私どもの中に強い印象として刻まれています」と語られました。
インドの国会は例年、8月に、原爆の犠牲者に追悼の意を表していますが、陛下は最後にそのことに触れられ、「国を代表し、とりわけ犠牲者の遺族の心を酌み、心から感謝の意を表します」と丁寧にお礼を述べられました。
【12月3日】
国際交流施設「インド国際センター」をご訪問。
ここは53年前のご訪印の際、定礎式に出席された場所です。
礎石には「THE CROWN PRINCE AKIHITO OF JAPAN」の文字が。
ちなみに「インド国際センター」にはインドの元官僚でチャンドラ・ボースの親戚のトリパティ氏も所属しています。
(上の画像は青山繁晴さんが今年インドを訪問した際に撮影されたものです。関テレ「アンカー」5月15日放送分参照)
定礎式当時の関係者らと懇談される両陛下。
皇后陛下はこの後、再会を楽しみにされていた「国際児童図書評議会」=IBBY(イビー)のインド支部の創設者で絵本作家のマノラマ・ジャファさんたちとお会いになりました。
IBBYは、子供の本を通じて国際理解を進めることを目的につくられた民間の団体で、皇后陛下は、絵本の制作や詩の翻訳などを通して世界の児童文学者と交流されてきました。
1998年にはインドで世界大会が開かれ、皇后陛下が基調講演をされるご予定でしたが、直前にインドが核実験を行ったため、ご訪問が急遽取りやめとなった経緯があります。
皇后陛下はこの時、日本でご講演をビデオに収録され、インドへ送られていました。
少女時代の読書体験を率直に綴されたこのご講演は大きな反響を呼び、「橋をかける」と題して出版され世界の8か国語に翻訳されています。
この間、天皇陛下はスワラージ下院野党議員団長(上)やアンサリ副大統領(下)との会見などに臨まれていたようです(報道のテキストは見つけられませんでしたが写真がありました)。
午後、両陛下はニューデリーの日本人学校をご訪問、子供たちの踊りなどをご覧になりました。
子供たちにお声をかけられる陛下。
ツイッターでも紹介した写真ですが、もう本当に私のお気に入りで、毎日何度も拝見してはほっこりさせていただいてます(^^ゞ
日本大使公邸での大使夫妻主催のレセプションに臨まれる両陛下。
インド人ら約100人と懇談されました。
この中には、東日本大震災直後、宮城県女川町で救助活動を行った国家災害対応部隊のアローク・アワスティ隊長もいました。
陛下は「日本が一番大変な時に来てくれてありがとう」と、アワスティ隊長に謝意を伝えられたそうです。
アワスティ隊長は、日本のメディアの取材に「両陛下がインドにまで来てお礼を言ってくれたことはありがたい。一日も早い日本の被災地復興を祈っています」と述べていました。
【12月4日】
ニューデリーのパラム空軍基地で、見送りの人たちにインド式の挨拶をされる両陛下。
政府専用機で南部タミルナド州の州都、チェンナイに向かわれました。
チェンナイに到着され、出迎えた関係者に挨拶をされる両陛下。
チェンナイは南インド経済の中心地で、両陛下のご訪問は初めてです。
インド屈指の古典舞踊家を養成するカラクシェトラ芸術学院に到着され、マハトマ・ガンジーの孫であるゴパルクリシュナ・ガンジー同院理事長(左)らの出迎えを受けられる両陛下。
インドの古典楽器ヴィーナと古典舞踊バラタナティアムの練習風景を見学された後、講堂で学生たちによる古典舞踊の優美で力強い踊りを鑑賞されました。
【12月5日】
チェンナイのギンディー国立公園内にある児童公園を訪問され、子供たちとご交流。
両陛下をひと目見ようと、道を埋め尽くすほどの市民が集まりました。
両陛下は、地元の高校生ら1人ひとりと言葉を交わされ、時にはインド式の挨拶で応えられました。
その中には日本語を勉強中の高校生もいたようです。
両陛下とお会いした感想をメディアに聞かれ、「私は光栄に存じます」と日本語で述べた女子高生がいました。
さらに両陛下は、タミル・ナド障害者協会で職業訓練の様子などを視察されました。
日印の国旗を振る子供たちに見送られる両陛下。
この後、両陛下はインドを発たれ、帰国の途に就かれました。チェンナイから約7時間のフライトです。
【12月6日】
午前、羽田空港にご到着。
お帰りなさいませ!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ほっこり……(^▽^)
でも、ほっこりとばかりしていられない面も……。
今回のご訪問で両陛下は何と22もの行事に参加なさったそうです。
あまりに多いので驚きました。
天皇陛下は今月23日に80歳を迎えられます。
皇后陛下は先々月に79歳を迎えられました。
ご訪問により日印の友好関係がいっそう深まったことは間違いないですし、日本国民の一人としてそれは本当に有り難く存じますが、両陛下のご健康がやはり案じられます。
これはもちろん今回のご訪問に限ったことではありません。
普段から両陛下のご公務の多さを気にかけている国民は多いと思います。
天皇陛下ご自身は「今のところしばらくはこのままでやっていきたいと考えています」と、昨年のお誕生日の会見で仰せになっていました。
そのご意志を尊重した上で、何とかもう少しご公務のご負担軽減を図れないものでしょうか?
もちろん宮中祭祀や国事行為、その他主要なご公務など絶対に外すことのできないものがあるのも現実ですが……。
……などと、不遜ながら国民の一人として考えてしまう私です。
そして、これも驚いてしまったのですが、両陛下ご帰国のお出迎えの際、空港で三笠宮彬子女王殿下がお倒れになりました。
検査の結果、一時的な血圧の低下が原因で、大事を取って慶応大病院に入院されたと宮内庁から発表がありました。
夕方までには回復され、会話もされているとのことです。
さらに、妹君の瑶子女王殿下も6日未明、胃腸炎の疑いで同病院に入院されたことも、明らかにされました。
両陛下だけでなく皇族方もかなりのハードスケジュールですから、お疲れがたまっておられたのかもしれません。
ご回復を心からお祈りしております。
※拙ブログ関連エントリー
・12/5/19:両陛下ご訪英と日英友好秘話(チャーチル首相とフォール卿の尽力)
・13/12/3:【続・記憶せよ12月8日】外国人から見た日本と日本人(37)
(インド独立の礎を築いた日本!!)
※拙ブログ関連カテゴリー
・皇 室
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takeshima dokdo dokto tokdo tokto
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【11月30日】
ご出発前、天皇陛下は「私どもの訪問が両国の相互理解と友好関係のさらなる増進に資するよう願っております」と挨拶されました。
首都ニューデリーの大通りには日印の国旗が掲揚されるなど、インドでは両陛下のご到着前から歓迎ムードが高まっていました。
ニューデリーのパラム空軍基地に到着された両陛下と、シン首相ご夫妻。
外務省によると、首相の出迎えは異例で、最大級の歓迎とのことです。
【12月1日】
両陛下はニューデリーの公園で大勢の市民らと交流されました。
この男性は53年前、14歳の時に両陛下を学校にお迎えした経験があるそうです。
インドの人々はなぜ両陛下を熱烈歓迎するのか?
12月1日放送のフジ「Mr.サンデー」では、53年前、皇太子同妃両殿下時代のご訪問の際、インドはカースト意識がまだまだ強かった時代にも関わらず、農村部も訪問されたことも理由のひとつであると紹介されました。
同じく1日、両陛下はニューデリーの日本大使公邸でインド在住の日本人との懇談に臨まれました。
会場には、インドに駐在している日本企業の関係者や日本の援助をもとに進められている鉄道工事の関係者、それにプロサッカー選手などインド各界で活躍する85人が招かれました。
これに先立ち、両陛下は大使公邸の庭に植えられている高さ17メートルの菩提樹の木をご覧になりました。
この木は、ちょうど53年前の12月1日に訪問された際、両陛下が記念に植えられたものだそうです。
【12月2日】
両陛下は大統領官邸で行われた公式歓迎式典にご出席。
礼砲の後、両国国歌が演奏され、天皇陛下は儀仗(ぎじょう)隊を閲兵されました。
ニューデリーのガンジー廟(びょう)をご訪問、石碑に花輪を供えられる両陛下。
1960年に訪印された際も、同じ場所で供花されています。
ガンジー廟での記帳を終えられ、ガンジーの胸像を受け取られる両陛下。
迎賓館でシン首相と会見される陛下。
その後、ネルー大学を訪問された両陛下は、日本語を学ぶインド人学生たちと歓談され、日本の少子化問題を議論する様子もご視察。
夜には、ムカジー大統領主催の晩餐会に出席されました。
これに先立つ大統領との会見で、天皇陛下は、東日本大震災の際の救助隊派遣などの支援に感謝を伝えられました。
晩餐会の乾杯のご挨拶で、陛下は、6世紀の仏教伝来や、奈良時代に多くの寺院が建立された歴史に触れられ、第2次世界大戦前にインドの詩人タゴールが来日し歓迎されたことなど、近代の活発な日印交流にも言及されました。
また、53年前に初めて訪印された際、独立当時からの国の指導者たちと接されたことについて、「民主主義、国際主義、さらには非暴力を旨としたガンジーの流れをくむ平和主義を理想とする高い志に触れたことは、私どもの中に強い印象として刻まれています」と語られました。
インドの国会は例年、8月に、原爆の犠牲者に追悼の意を表していますが、陛下は最後にそのことに触れられ、「国を代表し、とりわけ犠牲者の遺族の心を酌み、心から感謝の意を表します」と丁寧にお礼を述べられました。
【12月3日】
国際交流施設「インド国際センター」をご訪問。
ここは53年前のご訪印の際、定礎式に出席された場所です。
礎石には「THE CROWN PRINCE AKIHITO OF JAPAN」の文字が。
ちなみに「インド国際センター」にはインドの元官僚でチャンドラ・ボースの親戚のトリパティ氏も所属しています。
(上の画像は青山繁晴さんが今年インドを訪問した際に撮影されたものです。関テレ「アンカー」5月15日放送分参照)
定礎式当時の関係者らと懇談される両陛下。
皇后陛下はこの後、再会を楽しみにされていた「国際児童図書評議会」=IBBY(イビー)のインド支部の創設者で絵本作家のマノラマ・ジャファさんたちとお会いになりました。
IBBYは、子供の本を通じて国際理解を進めることを目的につくられた民間の団体で、皇后陛下は、絵本の制作や詩の翻訳などを通して世界の児童文学者と交流されてきました。
1998年にはインドで世界大会が開かれ、皇后陛下が基調講演をされるご予定でしたが、直前にインドが核実験を行ったため、ご訪問が急遽取りやめとなった経緯があります。
皇后陛下はこの時、日本でご講演をビデオに収録され、インドへ送られていました。
少女時代の読書体験を率直に綴されたこのご講演は大きな反響を呼び、「橋をかける」と題して出版され世界の8か国語に翻訳されています。
この間、天皇陛下はスワラージ下院野党議員団長(上)やアンサリ副大統領(下)との会見などに臨まれていたようです(報道のテキストは見つけられませんでしたが写真がありました)。
午後、両陛下はニューデリーの日本人学校をご訪問、子供たちの踊りなどをご覧になりました。
子供たちにお声をかけられる陛下。
ツイッターでも紹介した写真ですが、もう本当に私のお気に入りで、毎日何度も拝見してはほっこりさせていただいてます(^^ゞ
日本大使公邸での大使夫妻主催のレセプションに臨まれる両陛下。
インド人ら約100人と懇談されました。
この中には、東日本大震災直後、宮城県女川町で救助活動を行った国家災害対応部隊のアローク・アワスティ隊長もいました。
陛下は「日本が一番大変な時に来てくれてありがとう」と、アワスティ隊長に謝意を伝えられたそうです。
アワスティ隊長は、日本のメディアの取材に「両陛下がインドにまで来てお礼を言ってくれたことはありがたい。一日も早い日本の被災地復興を祈っています」と述べていました。
【12月4日】
ニューデリーのパラム空軍基地で、見送りの人たちにインド式の挨拶をされる両陛下。
政府専用機で南部タミルナド州の州都、チェンナイに向かわれました。
チェンナイに到着され、出迎えた関係者に挨拶をされる両陛下。
チェンナイは南インド経済の中心地で、両陛下のご訪問は初めてです。
インド屈指の古典舞踊家を養成するカラクシェトラ芸術学院に到着され、マハトマ・ガンジーの孫であるゴパルクリシュナ・ガンジー同院理事長(左)らの出迎えを受けられる両陛下。
インドの古典楽器ヴィーナと古典舞踊バラタナティアムの練習風景を見学された後、講堂で学生たちによる古典舞踊の優美で力強い踊りを鑑賞されました。
【12月5日】
チェンナイのギンディー国立公園内にある児童公園を訪問され、子供たちとご交流。
両陛下をひと目見ようと、道を埋め尽くすほどの市民が集まりました。
両陛下は、地元の高校生ら1人ひとりと言葉を交わされ、時にはインド式の挨拶で応えられました。
その中には日本語を勉強中の高校生もいたようです。
両陛下とお会いした感想をメディアに聞かれ、「私は光栄に存じます」と日本語で述べた女子高生がいました。
さらに両陛下は、タミル・ナド障害者協会で職業訓練の様子などを視察されました。
日印の国旗を振る子供たちに見送られる両陛下。
この後、両陛下はインドを発たれ、帰国の途に就かれました。チェンナイから約7時間のフライトです。
【12月6日】
午前、羽田空港にご到着。
お帰りなさいませ!
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ほっこり……(^▽^)
でも、ほっこりとばかりしていられない面も……。
今回のご訪問で両陛下は何と22もの行事に参加なさったそうです。
あまりに多いので驚きました。
天皇陛下は今月23日に80歳を迎えられます。
皇后陛下は先々月に79歳を迎えられました。
ご訪問により日印の友好関係がいっそう深まったことは間違いないですし、日本国民の一人としてそれは本当に有り難く存じますが、両陛下のご健康がやはり案じられます。
これはもちろん今回のご訪問に限ったことではありません。
普段から両陛下のご公務の多さを気にかけている国民は多いと思います。
天皇陛下ご自身は「今のところしばらくはこのままでやっていきたいと考えています」と、昨年のお誕生日の会見で仰せになっていました。
そのご意志を尊重した上で、何とかもう少しご公務のご負担軽減を図れないものでしょうか?
もちろん宮中祭祀や国事行為、その他主要なご公務など絶対に外すことのできないものがあるのも現実ですが……。
……などと、不遜ながら国民の一人として考えてしまう私です。
そして、これも驚いてしまったのですが、両陛下ご帰国のお出迎えの際、空港で三笠宮彬子女王殿下がお倒れになりました。
検査の結果、一時的な血圧の低下が原因で、大事を取って慶応大病院に入院されたと宮内庁から発表がありました。
夕方までには回復され、会話もされているとのことです。
さらに、妹君の瑶子女王殿下も6日未明、胃腸炎の疑いで同病院に入院されたことも、明らかにされました。
両陛下だけでなく皇族方もかなりのハードスケジュールですから、お疲れがたまっておられたのかもしれません。
ご回復を心からお祈りしております。
※拙ブログ関連エントリー
・12/5/19:両陛下ご訪英と日英友好秘話(チャーチル首相とフォール卿の尽力)
・13/12/3:【続・記憶せよ12月8日】外国人から見た日本と日本人(37)
(インド独立の礎を築いた日本!!)
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takeshima dokdo dokto tokdo tokto
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Comments
(英国では、生前退位は「王冠を賭けた恋」だけといわれている)
しかし、国政への関与権限を持たない象徴天皇制では、そういう問題は発生しないので、生前退位の制度は成立する余地はあるかもしれません。
主権回復の日の出席を後悔されていたとか!沖縄を切り捨てたということに後ろめたさを持たれている日だからです。
陛下が一番嫌いな「天皇陛下万歳!」だそうです
国民から発せられるのではなく
国会議員が発することに違和感をお持ちなのでしょう、陛下は戸惑いを隠さなかったようです
そして安倍政権になって、今後の皇室改革が遅々として進まない事にもお心をいためられておられる
くっくりさん、何でこんなの通したの?
よほどのことがない限り、承認なさってるようですよ。
この前のアンカー文字起こしにも青山さん批判ブログの(飛んでみたら批判にもなってない自己陶酔型ブログでしたが)TBが承認されてました。
自分と意見を異にする書き込みは片っ端から消しちゃうブログ(特に左方向)が多いなか、逆に健康的じゃないかなと自分は思ってますです(笑)
最近は右方向も多いですよ。特に反安倍ブログ。一発アク禁されました。