三宅久之さんについて改めて
「リョクの憂国メモ」のリョクさんが、2月16日付の読売新聞夕刊に掲載された故・三宅久之さんの記事のコピーを送って下さったので、起こします。
記事の執筆者は、テレビでもお馴染みの読売新聞特別編集委員・橋本五郎さんです。
なお、起こしの中のリンクや画像はこちらで付け加えたものです。
起こしここから______________________________
【ユーモア忘れぬ記者魂】
政治評論家 三宅久之さん (2012年11月15日死去、82歳)
それは珍しい光景だった。昨年12月20日、東京都港区のホテルで三宅さんの「お別れの会」が開かれた。黒ずくめの衣装ばかりの会場で、そこだけが明るい一角があった。ブルーグレーの地に松の色留め袖を着た女性がいた。三宅さんの妻秀子さんだった。
夫が新調してくれたこの着物で園遊会に出かけた。しかし、途中で雨が降り出した。三宅さんは「帰るぞ」と言って、有無を言わせず引き揚げた。以来一度も着ることがなくタンスに眠っていた。最愛の人の別れの会に着るのが最もふさわしいと思った。
「愛妻・納税・墓参り」。三宅さんの座右の銘だった。色留め袖で見送る。愛妻家への何よりのお返しだったに違いない。
【画像は鈴木邦男さんのサイトより、妻の秀子さんと息子さん】
毎日新聞の政治記者を務めたあと政治評論家となって35年。多くの人に親しまれてきたのは、「ビートたけしのTVタックル」や「たかじんのそこまで言って委員会」などテレビで歯に衣着せぬ辛口の論評だった。
しかし、一見瞬間湯沸かし器のように怒るその裏には、周到な準備があった。森喜朗元首相が明かしている。「テレビの討論番組に出るときは必ず電話があって、どういうことかと聞いてきた。最後まで記者魂を失わなかった」
辛口はユーモアで包まれていた。同時代の政治記者として長く交遊のあった渡辺恒雄読売新聞主筆はお別れの会で、「久ちゃんには取材力と表現力、そして一番大事なユーモアの精神があった。人生の機微をつかむのがうまかった」と惜しんだ。
発言にブレがなかった。私にも思い出がある。田中真紀子氏の絶頂の頃、真紀子批判はタブーだった。産経新聞の「産経抄」は、“真紀子びいき”のおかしさをテレビできちんと指摘しているのは「三宅久之、岩見隆夫、橋本五郎各氏ぐらいだ」と書いた。
批判すればテレビに出られないという空気だった。私なら読売新聞の社員であり、出られなくともそんなにこたえない。テレビも主たるお仕事だった三宅さんや岩見さんは大変だったろう。範とすべき先達だった。
三宅さんは無骨なまで「情の人」だった。安倍晋三氏が首相を退陣してからも激励し続けた。昨年の自民党総裁選では、安倍氏を首相にしようと、酸素ボンベで吸入しながら集会に駆けつけた。
「安倍総裁」の実現は目にした。しかし、「安倍首相」を見ることは出来なかった。安倍氏は1月5日、千葉県松戸市にある三宅さんのお墓をお参りし、首相就任を報告した。
(特別編集委員 橋本五郎)
______________________________起こしここまで
「お別れの会」の報道は何度か目にしましたが、奥様がそのようなお着物をお召しだったとは存じ上げませんでした。
ましてやそのお着物にそんな夫婦愛が隠されていたなんて…。・゚・(ノД`)・゚・。
ちなみに、「園遊会に出かける途中で雨が降り、引き揚げた」というくだりですが、上の文章だと園遊会そのものに行かなかったようにも受け取れますが、そうではありません。
「TVタックル」で三宅さんと共演されていた江口ともみさんのブログによれば、着物が(雨に濡れると)勿体無いから、違うものをお召しになって出かけられたのだそうです。
三宅さんがお亡くなりになってもう3カ月以上経ちますが、私は今でも時々、「このニュース、もし三宅さんだったらどうコメントされるかな」と考えます。
今であれば、支那軍のレーダー照射問題とか、アベノミクスとか、日米首脳会談とか、三宅さんがどう論評されるのか聞いてみたいです。
また、これも私事ですが、わが家では三宅さんの決め台詞(?)の「ポンスケ」「ポン子」「ポンツク」が未だに流行しています。
たとえば私が何か失敗とかすると、夫が「ポン子さん、何やってんの!」とツッコミ入れたり(^_^;
アホとか愚か者という意味で使われる「ポンスケ」(ポン子は相手が女性の場合)ですが、じゃあ「ポンツク」とは何ぞや?
これについては三宅さんご自身が「TVタックル」で説明されていたことがあって、私の記憶に間違いがなければ、「ポンツク」は「ポンスケ」の最大級だということでした。
【「2011年11月20日放送「たかじんのそこまで言って委員会」では、「ポンスケ」がキャラクターとして登場!】
三宅さんは2009年の総選挙の前に、「一度、民主党にやらせてみては」と言われていました。
そのため三宅さんが亡くなった時、ネットで三宅さんへの批判もちょくちょく目にしました。
「WiLL」2月号で金美齢さんが三宅さんの追悼記事を書かれていますが、実は金さんご自身も、三宅さんの「一度、民主党にやらせてみては」発言には「ショックを受けた」そうです。
が、金さんはそのあと、こう続けられています。
【しかし(三宅さんが)他の人と違うのは、その後の民主党の未熟さを見て、公開の場で「反省している」とおっしゃったことです。
あの当時、民主党を推した多くの人たちはいま、どうしていますか。自分の意見の責任も取らず、みんな知らん顔をしているではないですか。評論家は、自分の意見を表明し、責任を取るところまでが仕事です。立ち位置を隠して八方美人にふるまったり、大衆に阿(おもね)ったり、のちに間違っていたと分かったのに知らんふりしているのは「卑怯」です。
誤りを認めた三宅さんは、政治評論家としても人間としても本当に誠実でした】
「たかじんのそこまで言って委員会」で、確かに三宅さんは、「あの時はそう思ったんですよ。反省してます」と、素直に過ちを認めておられました(記憶で書いているのでこの通りの発言ではないですが)。
【「たかじんのそこまで言って委員会」で三宅さんはレギュラー、金さんは準レギュラーでした。二人揃って出演される時は並んで座られることが多かったです。画像は銀色の侍魂さんより】
三宅久之さんのオフィシャルブログ「三宅久之の小言幸兵衛」2012年12月28日付で、秘書の方はこのように述べられています。
【最終回にあたり、本ブログの読者の皆様に先生を偲ぶ一言をお伝えさせていただきます。11月2日入院中の病床に奥様と事務所の曾根さんと私の三人が呼ばれ「遺言と思って聞いていただきたい」と、先生から今後の仕事のこと、ご自分の葬儀のことにいたるまで静かに丁寧にご指示がありました。
その中で、私が最も印象に残ったのは「『卑しくない』生き方を目指してきました」という先生のお言葉でした。他界される前の6年間、北海道から沖縄まで年間70回以上の講演会と毎週のTV収録にご一緒させていただきましたが「凡人はどうしても『卑しく』なりがちで、私自身も振り返れば『卑しかった』時も多かったと反省しております。しかしご一緒していて、先生ほど『卑しくない方』はいないと断言できます」とお応えしました】
私も今、強く感じています。
三宅さんは決して卑しくない生き方をされた方だと。
「三宅久之の小言幸兵衛」は2012年12月28日付で最終回を迎えましたが、その少し前に、息子さんによる「愛妻・納税・墓参り 家族から見た三宅久之回想録」が開設され、週に1〜2度のペースで更新されています。
三宅さんにまつわる色んなエピソード(政治から「アタマ」まで)が拝読できて楽しいですよ。皆様も是非一度ご訪問下さい!(^▽^)
※拙ブログ関連エントリー
・三宅久之さんご逝去 最後まで安倍さんのことを気に掛けておられました
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NY州議員宛にメールを出して下さった方々のもとに、Mark Butler下院議員から「いただいた情報に基づいて、私は決議案に署名しない決定をなしました」という返信が届いています。米国の議員さんは韓国側の情報しか知らないor問題自体をよく知らないので、まずは知ってもらうことが大切です。効果はあります。まだの方はぜひメールを送って下さい(下院を中心に)。
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政治評論家 三宅久之さん (2012年11月15日死去、82歳)
それは珍しい光景だった。昨年12月20日、東京都港区のホテルで三宅さんの「お別れの会」が開かれた。黒ずくめの衣装ばかりの会場で、そこだけが明るい一角があった。ブルーグレーの地に松の色留め袖を着た女性がいた。三宅さんの妻秀子さんだった。
夫が新調してくれたこの着物で園遊会に出かけた。しかし、途中で雨が降り出した。三宅さんは「帰るぞ」と言って、有無を言わせず引き揚げた。以来一度も着ることがなくタンスに眠っていた。最愛の人の別れの会に着るのが最もふさわしいと思った。
「愛妻・納税・墓参り」。三宅さんの座右の銘だった。色留め袖で見送る。愛妻家への何よりのお返しだったに違いない。
【画像は鈴木邦男さんのサイトより、妻の秀子さんと息子さん】
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しかし、一見瞬間湯沸かし器のように怒るその裏には、周到な準備があった。森喜朗元首相が明かしている。「テレビの討論番組に出るときは必ず電話があって、どういうことかと聞いてきた。最後まで記者魂を失わなかった」
辛口はユーモアで包まれていた。同時代の政治記者として長く交遊のあった渡辺恒雄読売新聞主筆はお別れの会で、「久ちゃんには取材力と表現力、そして一番大事なユーモアの精神があった。人生の機微をつかむのがうまかった」と惜しんだ。
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批判すればテレビに出られないという空気だった。私なら読売新聞の社員であり、出られなくともそんなにこたえない。テレビも主たるお仕事だった三宅さんや岩見さんは大変だったろう。範とすべき先達だった。
三宅さんは無骨なまで「情の人」だった。安倍晋三氏が首相を退陣してからも激励し続けた。昨年の自民党総裁選では、安倍氏を首相にしようと、酸素ボンベで吸入しながら集会に駆けつけた。
「安倍総裁」の実現は目にした。しかし、「安倍首相」を見ることは出来なかった。安倍氏は1月5日、千葉県松戸市にある三宅さんのお墓をお参りし、首相就任を報告した。
(特別編集委員 橋本五郎)
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「お別れの会」の報道は何度か目にしましたが、奥様がそのようなお着物をお召しだったとは存じ上げませんでした。
ましてやそのお着物にそんな夫婦愛が隠されていたなんて…。・゚・(ノД`)・゚・。
ちなみに、「園遊会に出かける途中で雨が降り、引き揚げた」というくだりですが、上の文章だと園遊会そのものに行かなかったようにも受け取れますが、そうではありません。
「TVタックル」で三宅さんと共演されていた江口ともみさんのブログによれば、着物が(雨に濡れると)勿体無いから、違うものをお召しになって出かけられたのだそうです。
三宅さんがお亡くなりになってもう3カ月以上経ちますが、私は今でも時々、「このニュース、もし三宅さんだったらどうコメントされるかな」と考えます。
今であれば、支那軍のレーダー照射問題とか、アベノミクスとか、日米首脳会談とか、三宅さんがどう論評されるのか聞いてみたいです。
また、これも私事ですが、わが家では三宅さんの決め台詞(?)の「ポンスケ」「ポン子」「ポンツク」が未だに流行しています。
たとえば私が何か失敗とかすると、夫が「ポン子さん、何やってんの!」とツッコミ入れたり(^_^;
アホとか愚か者という意味で使われる「ポンスケ」(ポン子は相手が女性の場合)ですが、じゃあ「ポンツク」とは何ぞや?
これについては三宅さんご自身が「TVタックル」で説明されていたことがあって、私の記憶に間違いがなければ、「ポンツク」は「ポンスケ」の最大級だということでした。
【「2011年11月20日放送「たかじんのそこまで言って委員会」では、「ポンスケ」がキャラクターとして登場!】
三宅さんは2009年の総選挙の前に、「一度、民主党にやらせてみては」と言われていました。
そのため三宅さんが亡くなった時、ネットで三宅さんへの批判もちょくちょく目にしました。
「WiLL」2月号で金美齢さんが三宅さんの追悼記事を書かれていますが、実は金さんご自身も、三宅さんの「一度、民主党にやらせてみては」発言には「ショックを受けた」そうです。
が、金さんはそのあと、こう続けられています。
【しかし(三宅さんが)他の人と違うのは、その後の民主党の未熟さを見て、公開の場で「反省している」とおっしゃったことです。
あの当時、民主党を推した多くの人たちはいま、どうしていますか。自分の意見の責任も取らず、みんな知らん顔をしているではないですか。評論家は、自分の意見を表明し、責任を取るところまでが仕事です。立ち位置を隠して八方美人にふるまったり、大衆に阿(おもね)ったり、のちに間違っていたと分かったのに知らんふりしているのは「卑怯」です。
誤りを認めた三宅さんは、政治評論家としても人間としても本当に誠実でした】
「たかじんのそこまで言って委員会」で、確かに三宅さんは、「あの時はそう思ったんですよ。反省してます」と、素直に過ちを認めておられました(記憶で書いているのでこの通りの発言ではないですが)。
【「たかじんのそこまで言って委員会」で三宅さんはレギュラー、金さんは準レギュラーでした。二人揃って出演される時は並んで座られることが多かったです。画像は銀色の侍魂さんより】
三宅久之さんのオフィシャルブログ「三宅久之の小言幸兵衛」2012年12月28日付で、秘書の方はこのように述べられています。
【最終回にあたり、本ブログの読者の皆様に先生を偲ぶ一言をお伝えさせていただきます。11月2日入院中の病床に奥様と事務所の曾根さんと私の三人が呼ばれ「遺言と思って聞いていただきたい」と、先生から今後の仕事のこと、ご自分の葬儀のことにいたるまで静かに丁寧にご指示がありました。
その中で、私が最も印象に残ったのは「『卑しくない』生き方を目指してきました」という先生のお言葉でした。他界される前の6年間、北海道から沖縄まで年間70回以上の講演会と毎週のTV収録にご一緒させていただきましたが「凡人はどうしても『卑しく』なりがちで、私自身も振り返れば『卑しかった』時も多かったと反省しております。しかしご一緒していて、先生ほど『卑しくない方』はいないと断言できます」とお応えしました】
私も今、強く感じています。
三宅さんは決して卑しくない生き方をされた方だと。
「三宅久之の小言幸兵衛」は2012年12月28日付で最終回を迎えましたが、その少し前に、息子さんによる「愛妻・納税・墓参り 家族から見た三宅久之回想録」が開設され、週に1〜2度のペースで更新されています。
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Comments
それはよかった。雨と風を避けて、園遊会そのものをキャンセルされたのかと思ってしまいました。五郎さん、詰めが甘いのか、わざとなのか、わかりませんが、読売新聞では普段の論調はともかく、三宅久之さんについての記述は敬意を払って書かれていると思っています。
青山さんのアンカーを毎回
文字おこししてくださって
ありがとうございます。
日本のために命をかけておれれる姿にこちらまで感化されて
なんとか、ブログを続けてこれました。
とっても貴重な情報なので、
自分のブログの中で、
何度か「ぼやきくっくり」さん
を紹介させていただきました。
それから、三宅さんのことは
「たかじんのそこまで言って委員会」でしりました。
毎回、政治家の裏情報など、なんでもご存知で、躊躇することなく
どんどん批判してしてくださって
うれしかったです。
毎回楽しみでしたが、
もう、お顔を見れなくなって
残念です。
三宅氏ほど、ウイットにとんだお話ができる人が番組にいなくなって、テレビタックルは
見なくなりました。
毎回文字おこしに感謝してます。
大変なことだと思いますが
ものすごい社会貢献だと思います。