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江戸時代を見直そう

1-hotaru5001203.jpg【「今様蛍狩りの図」(三枚揃いの右)渓斎英泉/文化12年〜天保13年/大判錦絵三枚揃】

 突然ですが、皆さんは江戸時代についてどんなイメージをお持ちですか?

 私は幼い頃からずいぶん長い間、江戸時代は暗黒の時代だと思っていました。

 具体的には、こんな感じ?
 
 ……厳しい身分制度の下、武士や代官といった特権階級の人たちに、農民をはじめとする庶民は虐げられていた。
 過酷な年貢の取り立て、気分次第で切り捨て御免、ひたすら怯えて暮らす日々。
 それに耐えかねて時々、一揆などが起きるけれども、全て鎮圧。
 この理不尽な構図が解消されるには、明治維新を待たなければならなかった……。

 もちろん後々こんなのは間違いだと分かっていくのですが、少なくとも高校生ぐらいまではこんなイメージを持っていました。
 これは学校教育(いわゆる階級闘争史観の刷り込み)もあったのでしょうが、それよりはテレビの時代劇の影響が大きかったんだろうなと思います。

 だから、たとえば「水戸黄門」などを観ていて、偽善的な番組だなあと感じたことも。
 だって黄門様は庶民の味方と言うけれど、よくよく考えたらこの人って権力側ですやん!庶民を抑圧してた側ですやん!旅先で一人一人を助けてる暇あるんやったら、幕府自体を何とかしてよ!
 ……なんてふうに、すごく違和感を覚えたというか。
 (こんなこと思いながら観てたの、私だけ?(^_^;)


 前置きが長くなりました。ここからが本題です。

 「正論」2010年2月号(私は遅読でいつも1〜2ヶ月遅れで読んでます)に【世界史のなかの江戸文明】というタイトルで、シンポジウム抄録が収められています。

 目から鱗の言葉がたくさんありましたので、今日はその中から抜粋して紹介したいと思います。
 画像は、和風素材.comさんからダウンロードさせていただいたものを使用しています。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

■屋山太郎(政治評論家)

 外国人から「日本には宗教教育がないのか」と驚かれることがあります。私自身もローマ特派員時代に「ない」と答えて愕然とされた経験があります。ならば、日本人は何によってモラルを保っているのか。それは武士道なんですね。調べてみると、江戸初期に山鹿素行がいろいろな家の家訓を集め、そこに儒学を加えて武士道の体系をつくったようです。要するに、武士は支配者ですが何も生産しない。だから身を清くして品格を高めよ。いざという時には死ぬ覚悟を持て、というモラルが求められたのです。

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【石河流宣「大和耕作絵抄」より「名月」】

■芳賀徹(東京大学名誉教授)

 芭蕉が旅していく先々にはちゃんと芭蕉を待ちかまえている俳人がいたのです。芭蕉は黒羽(栃木県)で「山も庭もうごき入るるや夏坐敷」という句をつくっています。芭蕉が訪ねたのは黒羽のお城の城代をやっていた侍の家です。その侍の兄弟は江戸に出ていた時に芭蕉と付き合いがあった。二人は「芭蕉先生が来た」と大歓迎し、親戚の家まで芭蕉を引っ張り回してご馳走を振る舞い、芭蕉を中心にその土地の俳人たち——武士だけではなく町人も農民もいます——を呼んで連句をやる。黒羽の先の須賀川でも町人の門人がちゃんと芭蕉を待ちかまえていた。芭蕉はその人の家に一週間近く泊まり、やはり地元の人々と連句をやっているのです。

 このことは何を意味しているか。芭蕉が奥の細道を旅していた徳川日本というのが完全に平和であり、その平和を享受しながら芭蕉は旅をしたということでしょう。街道や宿は整備され治安もよかったのです。そして俳諧を通じた知的ネットワークが全国に形成されつつあり、武士も農民も町民も一緒に俳諧という新しい文芸を大いに享受し、江戸から来た前衛詩人である芭蕉を歓迎したということです。

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【鈴木春信「吉原美人合」より「夏・美人2」】

■石川英輔(作家)

 江戸時代の日本人は、技術者として細々と調べると、蒸気機関を使わないで作れるモノなら何でも作っています。「よくぞこんなモノをつくったもんだ」と驚かされるモノが山のようにあります。

 まず伊能忠敬の使った測量器具。忠敬の使った測量器具には手製のようなものもありますが、角度を測る装置は明らかにメーカー品なんです。個人が趣味で作れるようなものではない。調べてみると、すでに測量器具はきちんと存在し、カタログ販売をしているんです。

 江戸後期に作られた合巻という本があります。従来の薄い本(絵草紙)を何冊も合わせて一冊にしたもので、内容はくだらない読み物がほとんどですが、その表紙にはきれいな錦絵が付いています。私のように半世紀もカラー印刷の仕事をしてきた人間が見ても、「いったいどうやって作っただろう」と思うものがあるのです。今の技術でやれば、昔の錦絵なんて簡単に複製できるとお思いになるでしょうが、そうではない。それほど高度な技術が駆使されているんです。

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【道中独案内図/関東】

■金森敦子(ノンフィクション作家)

 江戸後期から増えてくる東北の農村地帯の人たちが書いた旅日記を読むと、「私が習った江戸時代の歴史、江戸時代のイメージっていったい何だったんだろう」と驚くことが多いのです。

 そのなかで一番驚いたのは、関所抜けです。関所抜けと言うと言葉は柔らかいのですが、つまり関所破りのことで、幕府の掟では磔の刑に処せられることになっていました。一番重い刑ですね。それを、江戸時代の庶民たちは実に易々と破りながら長い旅をしているんです。

〈中略〉庶民の女性は関所手形を持たないで長旅をするのが常識だったようなんです。

 越後と信州の間に北国街道が通っています。越後の一番はずれに関川という宿場があり、ここは高田藩が徳川幕府から預かっていた関川の関所があります。この街道は善光寺参りに利用されていたため、女性の往来が非常に多かった。それで、女性連れが関川の宿に着くと、真っ昼間から旅籠の宿引きが袖を引く。「お客さん、当店にお泊まりになると関所を通らない道をご案内しますので、是非うちにお泊まり下さい」と。

〈中略〉それでどこを通るのかといえば、関川の関所を通るんです(笑)。関所には鍵のかかった頑丈な木戸がありますから通れません。ところが、端のほうに小さなくぐり戸があり、そこを堂々と抜けていくんです。それが毎夜、毎夜繰り返されている。

 ある人の旅日記によると、そのくぐり戸の下の地面が窪んでいたそうです。どれだけ大勢の人がそこを通ったことか。関所の関守は関所の内部かすぐ近くに住んでいましたから、毎夜、毎夜繰り返される関所破りを知らないはずはないんです。それなのに捕まえたという記録がありません。

 全国五十三カ所の関所でも、似たようなことが繰り返されていたようです。それでも庶民が関所を破って磔になったという例は数例しかないそうです。なんでこんなことになったのか。要するに、捕まえると幕府から「お前の関所の警備はなっておらんじゃないか」と怒られるからです。

〈中略〉また、旅日記を読んでいて感動したことがあります。それは、小さな男の子たちだけで奥州から伊勢まで旅する例が、とても多いことです。錦絵や各種の名所図会などに少年たちだけの絵が出てきますし、『東海道中膝栗毛』にも戸塚のちょっと手前で、弥次さんが奥州から出てきた少年たちをからかっているつもりが、逆にからかわれて餅をせしめられる場面があります。子供たちだけで二カ月も三カ月も旅行をしても、誰も「危ないから家に帰れ」とは言わない。みんなが少年たちの旅をまっとうさせてやろうとすごく援助しているんです。

 大人の旅でも無一文で旅に出る人がたくさんいました。それでもちゃんと帰ってこられるというのは、それだけ沿道の人たちの喜捨が多かったということです。自分よりも貧しい人には、お金なり、食べ物なりを施すというのが当たり前だった世界、それが江戸時代なんです。

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【石川豊信「絵本江戸紫」より「桜・花見」】

■芳賀徹(東京大学名誉教授)

 (1690年に来日したドイツの博物学者、エンゲルベルト・ケンペル)は平和で豊かな国である日本に驚き、士農工商の身分差はあるけれども、それが社会を安定させ、文明を円熟させていることにも着目する。

 ケンペルから百年ほど後に、リンネの弟子のツュンベリーというスウェーデンの植物学者がオランダ商館のドクターとしてやってきます。この人はヨーロッパの啓蒙思想を身に付けているのですが、ヴォルテールたちが唱えていた自由・平等・博愛が嘘っぱちであることに気付いていました。なぜなら彼は、南アフリカでオランダ人やイギリス人が原住民を虐げてこき使い、自ら労働することなく煙草だけ吸って収奪の限りを尽くしている様子を見てしまったからです。さらにインドネシアのバタビアでは、オランダ人とスルタンの二重支配の下に民衆が苦しむ姿を目撃しました。彼は「ヨーロッパ人であることが恥ずかしくなってくる」と書いています。ところが日本にやってくると、ここはまるで平和で秩序があって、豊かで自由でのびのびとした社会であったのです。

 「ヨーロッパにあってこの日本にないのは、科学技術だけであって、あとのすべてはヨーロッパより優っているのではないか」というのがツュンベリーの感想でした。

 一八六〇年代にイギリスから最初の駐日公使としてやってきたのが、皆さんご存知のラザフォード・オールコックです。はじめは英国帝国主義の尖兵として日本にやってきたわけですが、日本に二年滞在していろいろ見ているうちに、日本に西洋文明を注入して近代化させるのは間違いではないかと感じるようになりました。

 外国人として初めて富士山に登ったオールコックは、下山後、伊豆半島の北を回って熱海に出て戻ってきますが、その時に韮山あたりで、里山とその前にきれいに広がる村を見るのです。そこで農民たちが実に美しき田畑をつくっている。こういう豊かで美しい田園風景を見ると、自分たちはイギリスから派遣された使節として、この日本を変革させ開国させようとしているのは、実は罪ではないかとさえ思うようになったと彼は書いているのです。

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【「浮世絵手本 初編」(天保十一年)より短冊絵/月見、重陽、恵比寿講】

■石川英輔(作家)

 なぜ歴史学者は悪いことばかりをほじくり出して研究するようになったのか、その理由について井沢元彦さんが『逆説の日本史』で、日本の史学三大欠点として説明しています。その一つに史料至上主義があります。つまり紙に書かれていないことは無視するんです。私が井沢さんに「本当にそうなの?」と尋ねると、「だいたいそういう傾向だ」と。それなら悪いことしかないのが当たり前です。今日私たちが目にする現代の資料はテレビのニュースです。地方のニュースにはお祭りの話題などもありますが、全国のニュースには楽しいのはありません。犯罪や事故ばかり。これを全部録画して、二百年後の歴史学者に見せたら、この時代をどのように描くでしょうか。おそらく地獄になってしまう。史料至上主義はそれと同じことなんです。

 私が講談社から出した『泉光院江戸旅日記』という本があります。日向の山伏の野田泉光院という人が、文化から文政にかけて六年三カ月かけて日本中歩き回る。彼はちゃんとした教養人ですが、お金を使わないんです。それで銭がたまりすぎて重くなると銀貨と交換する。そんなことが日記に書いてあるわけです。私が江戸の研究者になったのは、その原本を読んだのがきっかけです。

 彼は地面を這いずるように農村を歩き回り、おもらいをする。島津家の親類の偉い山伏なんですよ。その人が乞食(こつじき)修行と称して日本中を歩き回る。面白いのは夜になると必ず人が出てきて「旅の人、こっちにいらっしゃい」と泊めてくれる。人を泊めてはいけない村というのもありますが、そこでは「いらっしゃいまし。もう誰も見ていないからうちへ泊まりなさい」と。そんな感じで六年三カ月もうろうろする。その間、彼は一度も野宿をしていませんし、一揆もなければ、飢饉もない。文化文政期というのは江戸時代のなかでもいい時代ですが、あまりにも平穏な時代でした。それで、彼のような旅人が来るのを待ちかまえている人が全国にいたんです。テレビもラジオもないわけですから、旅人が来れば歓待して話を聞きたがるわけですね。

 こんな日記を読めば、だれだって今まで自分が読んできた日本の歴史とは何だったのかと思うでしょう。

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【大日本国順路明細記大成/関東】

■鬼頭宏(上智大学教授)

 私は人口史料を通して普通は書かれることのない庶民の一生を垣間見る仕事をやってきました。

 人口史料というのは、「宗門人別改帳」というキリシタンを取り締まるための帳簿で、全国一斉につくられるようになるのは、寛文十一(一六七一)年からです。それから二百年間、原則として毎年作られました。そこには何も事件は書いてありません。書いてあるのは名前と年齢と続柄と旦那寺。そのぐらいの情報しかありませんが、それを毎年追っかけていくと、その人がいつ生まれていつ結婚して、いつ死んだのかといったことが復元できるのです。

 先ほどから旅の話が何度も出てきましたけれども、農民は土地に縛られて移動もままならなかった、というのは真っ赤な嘘です。農民はしょっちゅう出稼ぎに出かけています。たとえば越後に妻有郷という所がありますが、そこの史料を見ますと、成人になるための一種の通過儀礼として、若者同士で江戸に出かけていくことがあった。出稼ぎを経験するということが制度化されていたようなのです。

〈中略〉私は人口や統計を通して、今までの江戸時代像を見直し、書き直すことが必要だということを強調しておきたいと思います。また、先ほど芳賀先生からツュンベリーのお話が出て、「日本に欠けるものは科学技術ぐらいだ」と彼が書いたとおっしゃいましたが、これも日本人に能力がなかったからではありません。理由はこれから述べる通りです。

 実は当時の日本は世界一の人口密度を持った人口大国でした。一八五〇年代の人口大国は第一が中国、二番目がインド、三番目がロシア、四番目がフランスです。そして今ある国で言うと、日本がその次に来ます。イギリス、アメリカなんて、人口から見れば二千万あるかないかという小国です。その当時、ハプスブルグ家のオーストリア・ハンガリー帝国がありましたが、これが日本よりちょっと大きいぐらい。

 そこで日本人は楽しくそこそこの暮らしを営んできたのです。そのために、人口を増加させず、森林を守るために厳しい規制をしいた。日本人は森林という共有地をみんなで自主的に守ってきました。共同体のメンバーが持続的な生活をできるように協定を結んだのです。

 科学技術の話に戻りますと、当時の日本のように労働力が潤沢で燃料も十分にあるところでは、産業革命は起きようがないのです。そこそこの生活ができるからです。イギリスでなぜ産業革命が起きたか。ジェームズ・ワットが蒸気機関を作ったからではありません。森林が涸渇してしまって、もう石炭に切り換えざるを得なくなったからです。必要に迫られて蒸気機関が作られたのです。ところが日本はその必要がなかった。それで一見遅れたように見えましたが、二十一世紀においては、必ずしもそうではないという理解もできるのではないかと思っております。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 いかがでしたか?

 私はこの抄録を読んで、何だかすごく温かい気持ちになりました。
 もちろん江戸時代の全てが良かったなんて言うつもりはありませんが……。

 ただ、「自虐史観を是正すべき」という立場から言わせてもらえば、近現代史が大変脚光を浴びているのに比べ、江戸時代がほとんど注目されていないことが気になります。

 ま、江戸時代に関しては中韓がガタガタ言ってこない分、日本で議論が起こりにくいという事情もあるのでしょうが……。

 とにかく、今後、時代劇でたとえば「庶民が悪代官に虐げられる」みたいなシーンを観て、私のように「ああ、江戸時代の庶民はお上にいじめられて大変だったんだなぁ」などと勘違いしてしまう子供たちが出てこないよう、祈ります。

 ……余談ですが、夫に「江戸時代ってどんなイメージ?」と尋ねてみました。
 すると夫の返答は「徳川幕府、士農工商、参勤交代、井戸端会議」。

 「何やそれ。連想ゲームやないんやから。もうちょっと具体的なイメージないの?」と突っ込むと、「身分の差とかがあって大変やったって学校では習ったけど、俺の中では、意外とみんな平和に楽しそうに暮らしてたイメージあるんやけど」って。

 ちなみに夫は時代劇は興味がなく、全くと言ってよいほど観ない人です。Vシネマの、たとえばちょっとHな「なんとか忍法帖」とかしか観ないという(^_^;

 私は観たことないですが、きっとその「なんとか忍法帖」の中では、武士も庶民もみんなそれなりに楽しそうに暮らしてるんでしょうなぁ……。
 (妙なオチですみません(^^ゞ)


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 45年ぶりに母校の校歌が流れました。

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日本と日本人 | comments (34) | trackbacks (1)

Comments

関所の話は聞いたことがありました。
この話を祖母にしたところ、地元でも似たようなことがあったことを逆に教えてもらうことになりました。(地元は江戸時代、宿場町でした)
聞いてみれば、関所の目の前まで来るとちょいと横道にそれ、関所を迂回して町の中に入ってくるのだとか。
こういう経験があるので、思いついたときに祖母から昔の話を聞くようにしてます。
kinkarasu | 2010/03/23 05:22 AM
私の受けた教育や、テレビをはじめ、私の触れた文化的な作品により出来た私の頭の中では、明治維新から現在まで大東亜戦争を挟んで思想的、文化的な断絶はあっても連続性を感じます。
しかし江戸時代と明治維新との境に深刻な断絶を感じるのです。
明治維新による急激な近代化で、日本文化が相当壊れてしまったのではないか。
日本はダメだ。西洋は凄いという風潮もそこらへんの時期が起源なのではないのでしょうか。
明治維新の革命によって、前体制である幕府が否定された事により、大東亜戦争の敗戦によって戦前が否定されたのと同じようなことが起こったのではないでしょうか。
西洋近代化を行っても日本文化はそのまま連続性を保ってほしかった。
坂本龍馬ブームに日本が壊れていく事を賛美するような気持ち悪さを感じ、そんな事を最近考えます。
とうふ | 2010/03/23 06:56 AM
歴史には「考古学的観点」も必要だと
言う事ですな。遺跡も立派な資料ですし'`,、( ´∀`) '`,、
abusan | 2010/03/23 07:36 AM
ちなみにこのエントリーを見キーワードは

義理人情
任侠心

ですなあ。何れも武士道から派生した庶民思想で有り
明治まで強い影響を残していたと。
「男はつらいよ」という映画はそれがテーマですし。
abusan | 2010/03/23 07:40 AM
今の子は銀魂みて育ってるから(笑)
hoary | 2010/03/23 09:35 AM
江戸時代の日本、それなりに進んでいたんだよね。維新後、わずかな時間で欧米に追いつくことなんてできないよね。
| 2010/03/23 09:35 AM
いつもありがとうございます。

興味深いお話しですね。冒頭にありましたが、数パーセントの武士の厳しい倫理観(道徳)が、農民や商人達を感化してきて、日本人の道徳観ができてきたと言うことです。新渡戸稲造も武士道で日本人の道徳教育は何によって為されているのかと外国人に問われたときに武士道という答えを見つけたのでした(本人はクリスチャンでしたが)。

サムライの生き方としての所謂武士道精神は、何か教典や記したものがあるわけではなく、元々日本にあった自然崇拝、先祖崇拝に加え、儒教、仏教、朱子学、陽明学と習合してできあがった武士の処世術的なものですが、その高い徳性が庶民にも伝播したものと考えられたのです。つまり単純に死ぬことハラキリということでなく、「ひとたび我が道と定めたなら死を賭して取り組むべし」というある種キリスト教カトリックの殉教、騎士道、紳士道に通じる部分があったからこそ欧米人にも理解され、その高い徳性が称賛をうけたのではないでしょうか。

しかし、明治の帝国植民地時代に西洋列強の前で「同じ様な振る舞い」がなければ被植民地になってしまうと言う危機感から伝統文化を深く考える暇もなく西洋化一辺倒になってしまいました(何を残して何を西洋化するか)。
そして大東亜戦争の敗戦後のGHQのWGIPにより更に自国の伝統文化、歴史を否定したわけですから、日本人は二段階に分断されたと言えると思います。一概に明治は良かったというのは誤りだと思います。我々の求めるべきは明治維新前までの日本ということでしょう。
(無論大東亜戦争時に発揮された武士道精神は江戸からの残り香としてギリギリで発揮されたと言えると思います)。

長々恐縮ですが、これは文化だけでなく、呼吸の仕方、歩き方や住まい方、食べ方まで全て西洋化以前と現代では異なります。これらの点からもう一度みんなで考えることが(短期の売国法案に対する運動に対して)長期的には一番大事なことだと思っています。
じいさん | 2010/03/23 09:52 AM
おはようございます。 donnatです。

私も江戸時代の文化はすごいと関心しております。
私は商売をしている関係から江戸の商人について知り、そのシステムのすごさをいつも感心しておりました。ここ二十年ほどで急激に崩れていることを悲しく思っております。
たとえば、町に寄与することを店のステータスになり、大店といわれる店ほど社会に貢献しなければなりません。 橋など最たる例で大店が自前の金で建設します。よって完成した橋の名前が屋号と同じになる訳です。
また、大店は長屋を持たなければなりません。今でいう社宅を無償で建築する感じになります。そして、大家を選択して、住民を監督する義務が発生します。
具体的な税がなかった代わりに、寄与が絶対条件となってました。

また、最近まで勢力があった問屋制度もこの時代にできたシステムです。
商品の流通を国家管理し、自主性を損なわない最善のシステムです。

もし、現代も残っているなら、『毒ぎょうざ事件』のようなことが起こった場合、法的処置をとらずとも、指導監督が可能になります。

それを自由競争の阻害として廃止し、自主流通にすることでモラルの低い業者が多発し、食の安全が脅かされています。
アメリカの要望とは言え、実にもったいないことをしました。
donnat | 2010/03/23 09:55 AM
勉強になります。
江戸時代といえば、水戸黄門さまでしょうかね。
あとは元禄花見踊とか。
普通の町娘でもきれいな身なりをしていましたから、割といい時代だったんじゃないかと…。
(まあ、江戸時代も長いですけど…)
こんな高尚な記事に私のブログのリンクなんて、入れるべきじゃないとも思いつつ、「モラル」という言葉をお使いになっていらっしゃるので、それにこじつけて、貼っておきます。
(モラルが欠如しているスーパーの話です。)
リョク | 2010/03/23 10:51 AM
 鳩山首相、幸夫人は韓国のスパイか

 売国奴民主党
 韓国朝鮮人党

 民主党竹島放棄

この売国奴たちに、日本を託しておいてよいのか。
売国奴民主党=売国奴韓国朝鮮人党
もう民主党などと呼ばずに、韓国朝鮮人党と呼ぶべきである

韓国朝鮮人党のやることは、即ち売国行為のみ。

(1)幸夫人の韓国工作員との緊密化。
   首相、首相夫人が韓国のスパイになっている。
   こんなことがあってよいのか。

(2)竹島も韓国にくれてやるようだ。・・・こんなこと許さん。
   売国奴。  韓国朝鮮人ども。
kororin | 2010/03/23 11:55 AM
まあ科学技術は遅れてましたが、和算はかなり進んでいましたし、鍛造技術は進んでたんじゃなかったかと思います。

忘れてはいけないのは、教育機関(寺子屋などの私塾)の存在と、娯楽としての演劇(歌舞伎など)もですかね。
双方共に道徳教育という面も持っていましたので。
八代目 | 2010/03/23 02:04 PM
司馬遼太郎のエッセイの中に、ヨーロッパ人に姫路城を見せると大変立派な城だ、と大感激された後で、どのくらいの領地を持っていたのか、と訊ねられた話があったことを思い出しました。
 答えると、そんなに広い領地を持っていながら、この城の規模、というのはあり得ない、となかなか信用しなかった、とか。
 ヨーロッパの、絵のように美しい城の領主ってのは、そんなに広い領地を持っていたんじゃなかったんですね。五公五民なんて言っても、農民は雇い人でも農奴でもなかった、ということを不意に気づかされた感じでした。
SR400 | 2010/03/23 02:07 PM
くっくりさん、こんにちは〜

私の大好きな分野、有難うございます。

そうなんですよね、日本ってまさに蒸気機関が無いだけで、後の分野はヨーロッパと同等くらいに社会システムは発達してたんですよね。

というか反射炉も蒸気機関も本を読み、西欧人に話を聞いただけで作っちゃうし。(蒸気船は黒船来航の2,3年後に宇和島藩が作ってましたね。)

商業システムでも大阪の堂島の米市場では先物相場があり、遠隔地との決済は為替でやってましたからね。

微分・積分も和算でやっちゃうし。

あと庶民文化の発達は凄いですからね。あの当時からアイドル本の走りみたいなのが出てますから。

やっぱり日本Love!!
腰抜け外務省 | 2010/03/23 02:47 PM
勉強になります。
…てっきり戦中(第二次)の話だけかと思っていましたが…江戸時代もか…。
この様子だと他の時代もある程度疑ったほうがいいかもしれませんね。
その他 | 2010/03/23 08:10 PM
まぁ、徳川政権は二世紀半続いたわけですからね。私は石川英輔さんのファンでほとんどの著作は何度も読みましたが、やはり徳川幕府の統治方法がかなり合理的だったんでしょうな。それは日本の大多数の庶民(非武士)がそれなりに支持してたってことでしょう。
当時の納税者-農家-の支持なく二百五十年間、政権は維持できないと思いますよ。
今、龍馬ブームらしく倒幕だの維新だのって言ってますが、私は根っからの幕府側の人間なんでどうも釈然としませんな。薩長?いつか滅ぼしてやるっ!!(笑)
踊れドールズ | 2010/03/23 08:36 PM
ただ長く続くだけだったら、明や高麗も長く続いていますからね…江戸幕府の違うところは、倒れたときに幕府の人たちが皆殺しにされたりしなかったところでしょう。もちろんそんなことをすると人材を失うとか動乱が起きるとか現実的な利害があったんでしょうけど、大きな恨みを買っていなかった、支持されていたから幕府側の人たちを活かすことが可能であったんだと思います。
| 2010/03/24 12:04 AM
>厳しい身分制度の下、武士や代官といった特権階級の人たちに、農民をはじめとする庶民は虐げられていた。
 過酷な年貢の取り立て、気分次第で切り捨て御免、ひたすら怯えて暮らす日々。

私もそういう印象を持ってました。カムイ伝とか読んで、農民がんばれとか思ってました。でも考えてみたら、農民は村に住んでて、侍は町で、普通は接点がないんです。年貢以外は。だからふだんから悶着が起きるわけない。しかも村ってのは村方3役が治めてて立派な地方分権でした。農家の次男以降は相続する土地がないので、町へ出るか、養子に入るか、水呑み百姓かどれかにしなければならず、土地に縛られてたというのは変です。
結局、身分制度は悪いんだという思い込み、あるいは悪くなきゃいけないとか、そういうもので江戸時代は暗黒だったという伝説が作られたのかも。
身分制度は親の仇と言ったのは諭吉さんですが、英国には貴族がいて繁栄していたのに、西欧列強に追付き追い越せという方針なのに、そういうふうに言うとはなんか変です。

水戸黄門さんは、へんに誤解させますね。
koku | 2010/03/24 12:31 AM
江戸時代ですか?日本は日本のよき文化がありそれを高く評価するのが外国だったりします。
例えば浮世絵など高名な作者のものが海外流出してると見たことがあります。悲しいことではありますが歴史のある伝統文化も保護されないとその流れは留まることはないかもです。小学校から能や歌舞伎、落語の親しむ授業があっていいかとこのごろ思います。江戸時代は最後の将軍の本しか読んだことないですなぁ。
hirunezuki | 2010/03/24 12:32 AM
いえいえ、

>ゆるい身分制度、
百姓から家老クラスへの抜擢は比較的当たり前。緒方洪庵のように旗本にまでなるケースもありました。(養子制度が抜け道だったみたいですね。)

>過酷な年貢の取り立て
四公六民が平均でした。一揆がおきれば大概、幕府からのおとがめ。(最悪お取り潰し)

>切り捨て御免
切った方も最悪切腹、お家断絶。

ちなみに江戸時代の司法制度は鎌倉時代からの判例主義に基づき、かなり公平な裁判が行われていました。
腰抜け外務省 | 2010/03/24 12:47 AM
確かに一昔前は「江戸時代=暗黒時代」と解釈された時代もありますが、今もそう主張している学者や評論家は少数派でしょう。
以前、徳川宗家の当主にお目通りを許されたとき(早い話がインタビューしたのですが)、「最近は江戸社会をユートピアのように思っている人が多いのか、江戸時代をもの凄く美化して考える人も増えていて、講演会の時にそういう話を要望されると、こちらが困ってしまうほどです。あまり高評価されるとかえって恥ずかしいです。」というようなことを話されたのが印象的でした。
個人的には「儒学」は導入したが「儒教」国家にならなかったのが日本が上手くいった原因だと思っています。
Ishii | 2010/03/24 01:06 AM
大河ドラマ「龍馬伝」はやたらと下級武士が上級武士に日常的に虐げられている姿が描かれてますが、あれじゃあ下級層が反乱が起こりまくりで為政者が統治できるはずがない。江戸時代が長く続いた理由をどう説明するのだろうか?
あれを疑いもなくみんな見てるんでしょうか?
岩崎弥太郎は汚過ぎるし、まぁ、悪意を持ってのNHKの編集でしょうが酷過ぎますな。
ほい | 2010/03/24 04:02 AM
くっくりさん、お久しぶりです。
最近の鳩舎党の悪行について口を開くと、
罵詈雑言しか出てこないだろう自分を戒めカキコ控えてましたw

さて、わたしの大好きな江戸時代(一番は戦国だけど)を上梓して下さって有り難うございます。
わたしが、江戸にはじめて興味を持ったのは中学生になって間もないとき、
今は亡き絵師兼作家・杉浦日向子さんのエッセイを読んでからです。
それ以来わたしに取っては、一部の武士階級を除いて、
江戸時代はみんなが楽しく生きてたユートピアにおもえました。
(斜め上のの人が言う奴とは違いますよw
だからなのか、その後中高生時にハマった幕末もの小説での草莽の英雄たちの自由闊達さが
若かりし頃のわたしの心を揺さぶった事を思い出します。

それから十年くらい前にたまたま手にした、くっくりさんも紹介されている石川英輔氏の著書にふれ、
その地に足がついた生活様式に魅了され現在に至ります。

ここで思うのが、もしもわたしがこの楽しい江戸時代像を持っていなかったなら、
戦後日教組教育の洗脳に今もどっぷり浸かっていたのだろうなと言う事です。
中学以降の歴史の授業の時のあの違和感ってそれだったんだなあと今思います。
自分の歴史を暗黒化する教育に未来は無いですね。
sss | 2010/03/24 10:48 AM
>年貢が4公6民でした。
最近の研究で、これは所謂「課税標準」のようなものらしく、実質は1割程度だったことが判っています。(固定資産税は1,4%ですが、時価の1,4%も掛けられている人は誰もいないでしょ)だから当時の庶民の生活は(農村部を含め)豊かで、お伊勢参りなどの旅行にも大勢の人が行けたのですね。
いけ | 2010/03/24 11:26 AM
いけさん、

ご教示有難うございます。天領はかなり安かったとは聞いていましたが、平均1割ですか。

そりゃ大名も財政危機に陥りますよね。
腰抜け外務省 | 2010/03/24 12:49 PM
すごいうろ覚えで申し訳ないのですが、江戸時代に来た外国人が生活貧しくもみんな笑顔で、子供も大切にされていたみたいな事をどっかで見た覚えがあります。
今の日本人は忘れちゃったのかもしれませんね。
心から笑って生きている人なんかなかなかいないでしょ。
あう | 2010/03/24 05:57 PM
現実の江戸時代の姿とは違っても、ドラマはドラマでいいんじゃないかな、とは思います。
有名な話でBJなんかは治療法とか病名とか、かなりデタラメな創作がありますが、「事実と反するからそんな話を描くな!」と言い出したら(一部の医療関係者は当時抗議したらしいですが)物語としての面白さも良さも消えると思うのですよね。

水戸黄門はファンタジーの勧善懲悪時代劇で、あれはあれで面白いと思っているだけに、「事実と違うから」と非難めいた目で見ておられるのなら…ちょっとそこはどうかと思いました。
きゅう | 2010/03/24 08:15 PM
(うっかり送信してしまいました(汗))
とはいえ、わたくしも近代史で半日歴史観教育を受けていた世代ですので、「創作ならなんでもありあり」にするのも危険かな〜とか迷ったりもするのですが…(汗)。

ちょっとずれた書き込みですみません(汗)。
きゅう | 2010/03/24 08:19 PM
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くっくり | 2010/03/24 11:20 PM
リアルな江戸時代の青春モノみたいなドラマを観てみたいモノです。

寺子屋の学園ドラマとか。今と変わらない様な事で悩んだり、江戸時代特有の事で悩んだりとか、武家も楽じゃないよとか。
| 2010/03/24 11:41 PM
Ishiiさん

>最近は江戸社会をユートピアのように思っている人が多いのか、江戸時代をもの凄く美化して考える人も
>増えていて、講演会の時にそういう話を要望されると、こちらが困ってしまうほどです。
最近は、皇室の権威が強くなり、国力が増した明治時代〜現代を、「暗黒時代」として否定する意図で、
江戸時代をやたら持ち上げる勢力が出てきたようなので、そういう人たちの一部なのかもしれませんね。

例えば、かなり前に、井上ひさし氏の稲作の本を読みましたが、既に一部そんな感じでした。
教条的な唯物史観は極力目立たなくさせている代わりに、「江戸時代の日本の稲作を〜」といった感じで、
反米、反自由貿易を主張していた記憶があります。今流行りの(長野県では、既に机上の空論であることが
実証済みのようですが)「脱ダム」の原点も、この辺からなのかな?

でも、日本で作られているブランド米はとてもおいしいので、今は裕福な中国人が買いたがる、というような
日本米の意外な国際競争力までは考えられなかったようですがww

何事も、極端に陥らない、イデオロギーありきの思考をしない、等が大事だと思います。


腰抜け外務省さん

>微分・積分も和算でやっちゃうし。
和算には、「一般的な関数」とか、「極限とは何か?」という概念や追求がないので、
微分・積分をやっていたとは言えないと思います。
行列式はなぜか世界で初めて考え出していますが。
MiffyChan | 2010/03/25 06:26 AM
浮世絵がヨーロッパの絵画に影響を与え、印象派を生んだのは有名ですが、そもそも浮世絵は江戸庶民の娯楽絵で、今の漫画やグラビアみたいな物なんですよね。
今日本の漫画やアニメなどのポップカルチャーが海外で人気なのをみると歴史は繰り返すと思いますね。
19世紀にヨーロッパで起きたジャポニズムは、ルネサンスに匹敵する文化の変革だと彼の地では認識されているそうです。
サニー | 2010/03/25 06:33 AM
いつも楽しく拝見しております。書き込みをさせていただくのは初めてかもしれません。

「ヨーロッパにあってこの日本にないのは、科学技術だけであって、あとのすべてはヨーロッパより優っているのではないか」
科学技術が立ち遅れていたのはあたりまえで、幕府は事実上科学技術の進歩、研究を禁じていましたからねぇ。いわゆる「からくり職人」のような技術者が手鎖とかの罰を受けたっていう記録は少なくありません。
科学技術の進歩というのが武器の進歩につながり、ひいては体制転覆につながるからだという説は聞いたことがありますが、それが本当なのかどうかは浅学にして分かりません。

私はこれを世界の歴史の中でも特筆すべきことだと思っています。
よく比較されるところの「文化と文明」。一般にどちらに傾きすぎてもよろしくないと言われるものですが、江戸自体というのは文明を否定して、文化の深化を進め、結果として300年の平和な時代を生み出しました。もしも外からの干渉がなければ更に長く続いた可能性も低くありません。
社会主義とか、共産主義というものは、原則的には文化を否定して文明の深化を社会の根幹にしようとするものですが(極端な例が文化大革命や、クメール・ルージュの政策ですね)、これは今のところ平和な時代を長く築いた実績がありません。

私は保守主義的な考え方の人間ですが、その考え方の根本になっているのがこの事実です。
人は文明無き文化の中では生きていけても、文化無き文明の中では生きていけない。このことを江戸時代は教えてくれていると思っています。
Toshi | 2010/03/25 09:00 AM
MiffyChanさん、

私は数1で挫折した人間なので、微積までやっていないのですが、(恥)一応カキコする前にあれこれ調べたところ、「到達した」、「到達していない」の両論があることは気づいていました。

ただ、「到達していない」の意見もかなり良いところまでは行っていた、ということのようでしたので、先のカキコをさせて頂きました。

本人が微積を完全に理解していないうえに、数学が苦手なので、誤解を招いたかもしれません。

以後、気をつけます。

でも、数学を趣味とする人(一般人にも)が江戸時代に多くいて、神社等に絵馬で解いた問題を奉納してたりするのはびっくりですね。
腰抜け外務省 | 2010/03/25 12:23 PM
黄門様と聞いてトラバしなくちゃと思いましたが、古い記事なので”言及”していません。

なのでurlをば、、、

http://alpaca.iza.ne.jp/blog/entry/319627/
(黄門ちゃま暗殺指令、アムロ逝きます)
あるぱか | 2010/03/25 08:46 PM

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明治時代からの教育の根本な誤ち | 晉風舘 blog | 2010/04/06 06:09 PM
 今日に至るまで、日本における科挙ともいうべき受験技術至上主義の中にあって、そこから教育の何を見出せたであろうか?また、"ゆとり"によって子供の何を癒せたのであろうか? 前回の渋沢栄一の著書の引用からも解るように、まず、生徒が師を敬わず、師が生徒を愛さず、師