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【過去】子供たちに教えたい柴五郎(付:「日本国紀」)

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 今日は過去記事転載で失礼します<(_ _)>
 2012年2月13日、柴五郎についてまとめた記事です。

 なぜ、これを今、UPするかというと…
 百田尚樹さんの「日本国紀」を読んでいたら、柴五郎が出てきたからです(^^ゞ

 ここんとこ、というかこの1年ぐらいずーっと多忙で(お気楽くっくりをご覧いただいている方は事情をご存知かと思います)、ほとんど読書をする時間がありません。

 買ったはいいけど手を付けてない本がたくさんあって、「日本国紀」(昨年11月発行)も少しずつ読んではいるものの、このペースでは読み終えるまでに3年ぐらいかかりそう…。

 とりあえず途中を飛ばして、『幕末〜明治維新』の章から読み進めていたところ、義和団の乱のコラムで柴五郎が取り上げられてるじゃありませんか。

 それを読んで改めて思いました。
「こんなにすごい人なのに、日本人はほとんど知らない。特に子供たちには全くと言っていいほど知らない。ああ、もったいない!」

 拙いまとめではありますが、柴五郎をご存知の方もそうでない方も、この機会にお読みいただければ幸いです。
 
 
 過去記事ここから________________________________
 
 戦後、国民から忘れられてしまったり、教科書から消されてしまった日本の偉人はたくさんいますよね。
 この人もその一人ではないでしょうか。

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[画像はWikipedia>柴五郎より]

 柴五郎。
 万延元年5月3日(1860年)6月21日〜昭和20年(1945年)12月13日。
 欧米で広く知られる最初の日本人となったと言われています。

 私も名前だけは知っていましたが、詳しいことを知ったのはごく最近です。

 きっかけは「WiLL」2012年1月号でした。
【ある編集者のオデッセイ/堤堯「第123回 北京・円明園の廃墟で考えたこと」】より引用。

清朝末期の1899年、列強の収奪に抗して義和団の乱が起こる。彼らは「扶清滅洋(ふしんめつよう)」を掲げて「洋人」を襲い、ドイツ公使らが殺害された。好機と見た西太后はこれと手を結び、清兵は義和団を交えて列強の公使館を襲い、各国の「洋人」は命からがら北京城に逃げ込む。

 立て籠もった一千人足らずの外国人を数万の敵が取り囲む。映画『北京の55日』は籠城の一部始終を描いた。籠城戦の指揮を執ったルイス少佐をチャールトン・ヘストンが演じた。これは史実と違う。実際に指揮を執ったのは日本の中佐・柴五郎で、彼は五十数名の日本兵を率いて奮戦敢闘した。中国語はもとより英語、フランス語にも通じ、その見事な統率・指揮ぶり、くわえてその人格に各国の洋人らは信頼と感謝を寄せた。それが史実だ。

 やがてアメリカ、イギリス、ロシア、ドイツ、フランス、イタリア、オーストリアに日本を加えた八カ国が連合軍を結成して北京に到着。55日におよぶ籠城戦は死者40人弱にとどまり、多くの人命を救った。

 映画はもっぱらルイス少佐をヒロイックに描き、伊丹十三が扮する柴五郎は端役の扱い。映画の終幕、ルイス少佐は戦乱の孤児となった混血娘を馬上に拾い上げ、夕陽のなかを去っていく。つくづくイイ気な三流映画で、贔屓の女優エヴァ・ガードナーが出ていなければ、とても見れたものではない。

 映画はその前に起こった出来事に触れていない。アヘン戦争につぐアロー戦争(1856年)で、イギリスとフランスの連合軍は北京を占領し、掠奪・破壊・放火の限りを尽くした。紫禁城から宝物や古美術品を掠奪するだけにとどまらず、円明園にも押しかけ、破壊・掠奪に狂奔した。

 義和団撃退後の北京でも、再び同様の事態が起こった。くらべて柴五郎は掠奪を禁じる命令を発し、日本軍の規律は称賛の的となった。籠城戦の功績と合わせて、柴五郎には各国から勲章が贈られている。イギリス公使マクドナルドは、ともに戦った柴と日本兵の勇敢・礼節に感動した。首相セシルに日英同盟の構想を説き、のちの同盟締結の推進者となった。

 イギリスはロシアの南下政策に中東で対応するのが手一杯で、アジアでこれに対応する格好のパートナーを日本に見つけた。つまり、柴五郎は日英同盟のキッカケを作った。柴五郎は会津の人。その人となりは『ある明治人の記録――柴五郎大将の遺書』(石光真人編・中公新書)に詳しい。】


110213-02rengougun.jpg
[画像はWikipedia>義和団の乱より(8カ国の連合軍の兵士)]

 これを読んだのをきっかけに、柴五郎について自分なりに調べてみました。

 ……戊辰戦争の頃、柴五郎はまだ幼い少年でした。

 会津城下にいた母や姉妹など女性の家族は自刃し、別の場所にいた五郎は難を逃れたものの、一家は五郎ともども陸奥国斗南(青森県むつ市)に流され、そこで大変苦しい生活を送ったそうです。

 その後、五郎は青森県派遣の給仕に選ばれたのをきっかけ東京に行き、1873年、陸軍幼年学校に入学(「坂の上の雲」でおなじみの秋山好古と同期)、軍人への道を歩んでいくことになります。

 そこから義和団の乱に遭遇するまでの経歴は、Wikipediaあたりをご覧下さい。

 堤堯さんもお書きの通り、「コロネル・シバ(柴中佐)」と日本将兵が義和団の乱で見せた奮闘ぶりは、日英同盟へと結びついていくことになります。

 19世紀後半のイギリスは非同盟政策、いわゆる「栄光ある孤立」政策を取っていましたが、やがてヨーロッパ外交における孤立が深刻化し、そうも言っていられない状況になりました。

 そんな折り、義和団の乱で総指揮を取ったイギリス公使クロード・マクドナルドは、ともに戦った柴五郎と日本将兵の勇敢さ、規律正しさに心を大きく動かされます。

 また、イギリスは「ロシアの南下政策を牽制したい」という同じ目的を日本と共有していました。

 そこで、マクドナルドは日英同盟の締結を強く推進しました。
 その試みは短期間で実を結び、第一次日英同盟は、1902年1月30日に調印され即時に発効しました。

 あの「大英帝国」が、日本と軍事同盟を結んだのです。
 明治維新後からわずか30数年しか経ていない、極東の小さな近代国家の日本とです。
 これは当時としては非常に画期的なことであり、世界は驚愕しました。

 教科書的には、日英同盟締結の項に柴五郎の名前は出てきませんが、実は影の立役者だったんですね。

 柴五郎と日本将兵が見せた武士道精神と、イギリスの騎士道精神。
 これらには相通じる部分も多かったのではないでしょうか。

 当時のイギリス人が残した柴五郎の評価を見ると、自然とそのように思えてきます。

 柴中佐の指揮下に留まっていたイギリス人義勇兵の一人、B・シンプソンは、このように日記に記しています。

【数十人の義勇兵を補佐として持っただけの小勢の日本軍は、王府の高い壁の守備にあたっていた。その壁はどこまでも延々とつづき、それを守るには少なくとも5百名の兵を必要とした。しかし、日本軍は素晴らしい指揮官に恵まれていた。公使館付き武官のリュウトナン・コロネル・シバ(柴中佐)である。〈中略〉 この小男は、いつの間にか混乱を秩序へとまとめていた。彼は部下たちを組織し、さらに大勢の教民たちを召集して、前線を強化していた。実のところ、彼はなすべきことをすべてやっていた。ぼくは、自分がすでにこの小男に傾倒していることを感じる

 イギリス公使館の書記生ランスロット・ジャイルズは、次のように記しています。

【王府への攻撃があまりにも激しいので、夜明け前から援軍が送られた。王府で指揮をとっているのは、日本の柴中佐である。〈中略〉 日本兵が最も優秀であることは確かだし、ここにいる士官の中では柴中佐が最優秀と見なされている。日本兵の勇気と大胆さは驚くべきものだ。わがイギリス水兵がこれにつづく。しかし日本兵がずば抜けて一番だと思う

 イギリス以外の欧米人の評価も紹介しましょう。

 義和団の乱で北京籠城を経験したアメリカ人女性のポリー・C・スミスは、こう記しています。

【柴中佐は、小柄な素晴らしい人です。彼が交民巷(こうみんこう)で現在の地位を占めるようになったのは、一に彼の智力と実行力によるものです。〈中略〉 柴中佐は、王府での絶え間ない激戦でつねに快腕をるふるい、偉大な士官であることを実証しました。だから今では、すべての国の指揮官が、柴中佐の見解と支援を求めるようになったのです

 エリアノーラ・メアリー・ダヌタンの「ベルギー公使夫人の明治日記」には、このような記述があります。

【著名な日本の将校の柴五郎陸軍大佐は、その勇気と先見の明によって、他の誰よりも北京を守るのに功があったという話であった。その当時一番大きな働きをした人間に贈るために、教皇からダイヤモンドの指輪が送られてきたが、ファヴィエ大司教はこの貴重な印を直ちに柴大佐に贈呈したのである

 後に体験者の日記を発掘してまとめたピーター・フレミングは、その著書「北京籠城」の中でこう記述しています。

【戦略上の最重要地点である王府では、日本兵が守備のバックボーンであり、頭脳であった。〈中略〉 日本軍を指揮した柴中佐は、籠城中のどの士官よりも勇敢で経験もあったばかりか、誰からも好かれ、尊敬された。当時、日本人とつきあう欧米人はほとんどいなかったが、この籠城をつうじてそれが変わった。日本人の姿が模範生として、みなの目に映るようになった。日本人の勇気、信頼性、そして明朗さは、籠城者一同の賞賛の的となった。籠城に関する数多い記録の中で、直接的にも間接的にも、一言の非難も浴びていないのは、日本人だけである

 柴五郎率いる日本軍の規律正しさは噂となってたちまち北京市内に知られ、市民は布や紙に「大日本順民」(日本に順う市民)と書いて日本軍を歓迎しました。
 日本軍の占領地はすぐに治安を回復し、商店も営業を再開したということです。

 それに引き替え、ロシア軍に占領された区域は悲惨でした。その地の住民らは続々と日本占領区に逃げ込み、保護を求めました。
 当時の北京市長はたまりかね、イギリス公使マクドナルドに苦情を訴え、ロシア軍管区を日本軍管区に替えて欲しいと懇願したほどだったそうです。

 北京市民の駆け込み寺と化した日本占領区で、軍全体を指揮する柴五郎中佐は市民にとって守護神でした。
 後に彼に帰国命令が出て、それが噂として一般に伝えられると街は大騒ぎとなり、老若男女こぞって別れを惜しみ、涙ぐんだということです。


 「たかじんのそこまで言って委員会」2月4日放送分で、「修身」の教科書を作るなら紹介したい人物は?という質問が出ましたが、柴五郎などはまさにうってつけの一人ではないでしょうか。

 なぜ柴五郎を日本の教育現場では取り上げないのでしょう?
 軍人だから?
 「日本軍=悪」とする日教組のスタンスに馴染まないから?

 日本人のためのみならず外国人にも尽くした柴五郎。
 今の日本の子供たちはグローバル時代を生き抜いていかねばならない宿命にあります。
 そういう視点から考えても、柴五郎を教育現場で取り上げることは子供たちの為になることだと私は思うのですが。

 ________________________________ 過去記事ここまで



 百田尚樹さんの「日本国紀」は昨秋の発売以降、激しいバッシングに晒されたらしいですね(今も?)。
 私は批判の細かい中身までは把握していませんが、百田さんの本を、教科書か歴史書のように扱うのがそもそもの間違いでは?

 誰も「百田尚樹」にそんなものは初めから求めてないと思うし、「百田尚樹」が日本の歴史上の出来事をどのように描いているのか(解釈しているのか)見てみたい、という人が大半じゃないでしょうか。
 だからこそあれだけ売れてるんじゃないでしょうか。

 そもそも歴史では、真相がはっきりしない出来事も多いし、同じ出来事でも見る側の解釈によって異なったりすることもあるし、百田さん以外の人が書いた本とも照らし合わせて、その解釈の違いを楽しむのも一興だと思います(もちろん、誰が見ても明らかな間違いがある場合は、訂正すべきだと思いますが)。

 何より「民族の物語」になっているのがいい。
 「物語」というのは、別にフィクションということではなく、百田さん自身が「『日本国紀』の副読本 学校が教えない日本史」(有本香さんとの対談本)で述べているように、「視点」。

 例えば、万葉集に掲載されているのは貴族の歌だけではなく、遊女や芸人といった、当時は最下級だった人々の歌も掲載されている。
 和歌の前に、人は平等である、身分の差はないということですが、それが学校では教えられない。
 万葉集に込められたその素晴らしい精神を、子供たちに教えるという「視点」がないわけです。

 教科書では、「歴史上の人物」だったり「名もなき庶民」に過ぎず、遠い存在の人たち。
 そうした人たちの息吹を、「日本国紀」では感じることができる。
 会ったことも見たこともない先人に、愛着を感じることができる。
 これはとても良いことだと思います。

 あと、「『日本国紀』の副読本 学校が教えない日本史」で、百田さんが「大東亜戦争は実はペリーの黒船が来る前からの大きな流れがある、100年近い単位で見なければ本質が見えてこない」と述べた時、有本香さんから、日本史だけでなく世界史教育でもばらばらに教えられて、「イスラム史」「中国史」「ヨーロッパ史」みたいに、別のものを学ぶ感じになり、生徒は何が何だか分からなくなるという話がありました。

 それに対して、百田さんがこう述べているんですが…

 「そう。たとえば、ローマ帝国が崩壊したのは、ゲルマン人がどんどん入ってきたからです。では、なぜゲルマン人が入ってきたかというと、フン族が入ってきたからですよね。なぜフン族が入ってきたかというと、そこには東洋の歴史が関係している。そういう意味ですごく因果関係があることなのです」

 これを聞いて、私は高校の時の世界史の先生の授業を思い出しました。
 まさに、「ローマ帝国はなぜ崩壊したか?」を、先生は、教科書を離れて、黒板いっぱいに描いた地図を使いながら、物語のように語ってくれたのです。
 私たち生徒はもう一様に驚いて、「先生すごい!」「分かりやすい!」と。
 私はこの先生のおかげで歴史が好きになり、大学入試では世界史を選択しました。

 私がこの先生による「物語」で歴史を好きになったように、百田さんの「日本国紀」が、多くの人にとって、歴史に興味を持つひとつのきっかけになればいいなと思います。

 それにつけても、柴五郎!
 どこかで映画化、もしくはドラマ化してくれないですかね〜。
 大河ドラマでやってくれたら一番嬉しいんですけど(^^ゞ




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Comments

柴中佐は陸軍中佐ですからルテナント・コロネル (lieutenant colonel)が相応しいのでは?
| 2019/02/23 02:14 AM
2019/02/23 02:14 AMさん:
ご指摘を受け、検索してみました。
リュウトナンコロネル・シバと書いてあるもの、単にコロネル・シバと書いてあるもの(サイトだけでなく本や雑誌も含む)、入り混じってました。
過去記事の中の記述なので、触らずこのままにしておきますがご了承ください。
くっくり@管理人 | 2019/02/23 02:56 AM
いつも投稿ありがとうございます。
ウィキペディアによれば、どちらも正解のようですね。
>原語での発音は、フランス語ではリュトナン、イギリス英語ではレフテナント、アメリカ英語ではルーテナント。日本でのカナ表記は一定しないが、よく使われる「ルテナン」は、フランス語とアメリカ英語が混ざったものと思われる。
hn | 2019/02/23 12:43 PM
hnさん:
ありがとうございます。勉強になりました。
くっくり@管理人 | 2019/02/23 12:51 PM
映画化して欲しいですよね〜

義和団事件の映画といえば「北京の55日」。
柴五郎は端役でしかない、という酷い扱いでしたものね。
愛知主婦 | 2019/02/23 06:16 PM
愛知主婦さん:
絶対に主役級の人ですよね!(T_T)
くっくり@管理人 | 2019/02/23 11:11 PM
青森では餓死との戦いが続き、犬の死体を、もらってきて、およそ20日間、毎日犬肉を吐気を催しながら、無理して食べていたと、『ある明治人の記録』で読んだのを記憶してます。
通り過ぎ | 2019/02/24 01:30 AM
通り過ぎさん:
会津藩の方々は斗南藩に移った後も苦労続きでしたよね(T_T)
くっくり@管理人 | 2019/02/24 01:53 AM
2017年4月に発売された歴史小説で松岡圭祐「黄砂の籠城」 上.下巻および続編の「黄砂の進撃」を読んで初めて柴五郎のことを知りました。
それから興味を持ちいろいろと調べてみた。小説には凄惨なシーンもあります。日本人にはない通州事件と同じような感覚で南京事件も中国人ならこのようなことをする感覚が反映されたものだなと思った。
kixnta | 2019/02/25 02:00 AM
kixntaさん:
中国人にとって都合の悪いシーンが多そうですから、柴五郎が主役の映画化やドラマ化は難しいのかもしれませんね(T_T)
くっくり@管理人 | 2019/02/25 02:28 AM

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