「アンカー」400回!旧海軍司令部壕訪問&69年ぶりに翻った少将旗&大田實少将ご子息インタビュー
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■7/30放送 関西テレビ「アンカー」青山繁晴の“ニュースDEズバリ”
“ニュースDEズバリ”が、400回を迎えました。
400回記念および69回目の終戦の日(青山さんは「敗戦の日」と呼ぶ)にちなみ、ロケ取材です。
前半のキーワードは『死ぬ理由、生きる理由』。
大田實海軍少将が自決した旧海軍司令部豪を訪問。そのあと沖縄の空に奇跡的な光景が…。
後半のキーワードは『平和のためにこそ』。
大田少将の三男で元自衛官の落合畯(たおさ)さんを、鎌倉に訪ねます。
間投詞(「あの」「その」など)や言い直しもできるだけ再現しました。但し、細かい相づちなどは支障のない範囲でカットしています。
画像はYouTubeからキャプチャさせていただきました。
※引用転載はご自由に。連絡不要です。但し誤字などに後日気づいて修正をすることが多々ありますので、必ずこちらのURLを添えておいて下さい。
※画像を利用される方は、直リンクでなく必ずお持ち帰り下さい。当方のサーバーへの負荷軽減のためご協力のほど宜しくお願いいたします。「直リンク」の意味が分からない方はこちらをご覧下さい。現在、直リンクされても画像が表示されない措置をとらせていただいています。
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■7/30放送 関西テレビ「アンカー」青山繁晴の“ニュースDEズバリ”
緊急取材、沖縄県民を愛した軍人&元自衛官と語り合う国際貢献…青山ズバリ
“ニュースDEズバリ”が、400回を迎えました。
400回記念および69回目の終戦の日(青山さんは「敗戦の日」と呼ぶ)にちなみ、ロケ取材です。
前半のキーワードは『死ぬ理由、生きる理由』。
大田實海軍少将が自決した旧海軍司令部豪を訪問。そのあと沖縄の空に奇跡的な光景が…。
後半のキーワードは『平和のためにこそ』。
大田少将の三男で元自衛官の落合畯(たおさ)さんを、鎌倉に訪ねます。
間投詞(「あの」「その」など)や言い直しもできるだけ再現しました。但し、細かい相づちなどは支障のない範囲でカットしています。
画像はYouTubeからキャプチャさせていただきました。
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岡安譲
「さて、このあとは、今日は水曜日、青山さんの“ニュースDEズバリ”、今日は記念すべき日ですね」
青山繁晴
「はい。あの、岡安キャスターがおっしゃって下さった通り、今日は記念すべき、第400回の、コーナーになります。で、実は、記念すべきと言っても僕は淡々と、通り過ぎて行くつもりだったんですよ。そうしましたらですね、あの、このコーナーって実はもう、あの、99.99%、もっとかな? 僕の意見でやらせていただいてるんですね。それは大変感謝してるんですが。この400回については、何とスタッフから意見があって、これはあの、淡々とやるんじゃなくて、やっぱり記念すべき回にしたいと、提案があってですね。で、僕も、その通りだと思いまして、そしてスタッフと議論してると、やっぱり400回のこの日は、敗戦の日に、近づく日ですよね。一般的には終戦の日って言ってますが8月15日、日本が一度だけ戦争に負けた日、今年で69年目です。来年は70回目になる。そういう節目に当たって、じゃあその敗戦の日にまつわることを取り上げて、この、400回のコーナーとしたいんです。で、キーワードは、実はこれです(フリップ出す)」
岡安譲
「『死ぬ理由、生きる理由』」
青山繁晴
「はい。と言いますのは、敗戦の日に、ちなんで、物を考えたいと思いましたから、実は沖縄にロケに行き、この水曜『アンカー』でロケに行くのはものすごく久しぶりなんですが、沖縄に行き、そしてさらに沖縄から鎌倉にも直行したんですね。で、実はそのことは、その、戦争のことだけ、あるいは敗戦ということだけ、敗戦後のことだけに絞るんじゃなくて、そもそも私たち日本国民がともに、その、何のために生きて、何のために死ぬのかっていうことを、根っこから考え直すきっかけが、たとえば、沖縄の戦争の跡にあり、あるいは、その、沖縄戦ゆかりの人が、まだ、証言して下さいますから、そういう証言の中にある。そういうことを今日、一緒に考えたいから、このキーワードにいたしました。実はこのキーワードは、あの、不肖、私が、敗戦、今年の敗戦の日に合わせて出す新しい本の、タイトルなんです」
岡安譲
「あ…」
青山繁晴
「で、これ実は、すみません、責任逃れするわけじゃなくて、僕はまさか、この、キーワードを考えたんじゃなくて、キーワードも普段は、400回、399回全部、僕が考えて…」
岡安譲
「そうですね(笑)、青山さんが考えてます」
青山繁晴
「そのまま出してきたんですが、この400回は何とスタッフ、何とスタッフから、この僕の新しい本のタイトルをあえて、このキーワードにして下さいという、提案があって、どうしてですかと、夕べ聞いたら、いや、あまりにも今日のコーナーのテーマに、一致してるからということなんで、僕はそのままお気持ちをいただいて、まことに異例ながら、新しい本のタイトルをそのまま、今日のキーワードにいたしました。今日、深いところで、皆さんと一緒に考えていきたいと思います」
岡安譲
「はい。コマーシャルのあと、400回目の“ニュースDEズバリ”です」
(いったんCM)
岡安譲
「今回は、沖縄そして鎌倉で青山さんがロケ、取材をされた、“ニュースDEズバリ”です。青山さん、よろしくお願いします」
堀田篤
「よろしくお願いします」
青山繁晴
「はい。まず、今日のいわば、メインタイトル見ていただきたいんですけど、ニッポンの“原点”と“未来”と。まあいろいろ考えた末に、こんな大きな、あるいは深い、タイトルにしたんですが。日本の“原点”っていうのは、普通で言えば、日本は二千数百年の長い歴史ありますから、とてもとても古い時代のことになるんですけど、この場合のニッポンっていうのは、日本がその長い長い歴史の中で一度だけ負けた。今から69年前の夏、に、戦争に負けて、そのあとの69年の歩み、その敗戦後の日本の、歩みの“原点”と、これからどうすべきかっていうことを一緒に考えましょうと。で、その、原点を考える時に沖縄はとても参考になる話だし、その、“未来”をともに語れる人が、ま、ゆかりの方はこの方(画像中央右)なんですけど、鎌倉にいらっしゃるということで、この2カ所に行ってきました。まず、沖縄の方です。はい」
村西利恵
「青山さんが訪れたのは、太平洋戦争中の1945年3月26日から、6月23日までの沖縄戦で、帝国海軍司令部があった、旧海軍司令部壕(ごう)です」
青山繁晴
「はい、この沖縄戦は、この年月日見ていただけば若い方にも、お分かりいただけると思うんですけれども、この戦争の末期ですね(一同同意)。えー、そして、この沖縄戦の前に、硫黄島の戦いがありまして、日本は建国以来初めて、領土の一部を、外国、この場合はアメリカに占領されました。で、勢いづいたアメリカは、硫黄島を落とした翌日に沖縄の慶良間諸島に上がってきて、で、アメリカ軍の侵略をその、沖縄で食い止めるために、帝国陸海軍と、県民の方々が、協力して、戦われたわけですね。で、この沖縄は、その、今、言いました通り、県民を、巻き込む戦いになってしまいましから、実はその、沖縄県の敗戦後の歩みというのは、被害者としての沖縄県民と、加害者としての本土、帝国陸海軍を含めた本土っていうふうに、ま、なってしまって、僕はこれ、ずっと違うってことを沖縄県民に問題提起してきたんですが、でも不幸ながらそういう歴史が今も残ってて、たとえば中国や韓国の反日勢力が、えー、反日工作が、沖縄をターゲットにしたりっていうことも、実は現実に起きてるわけですね。で、したがってその沖縄の、戦いの跡を歩きますと、その、帝国陸海軍の良い面っていうのは、もう全部消し去られていて、教育の現場でもそうですし、戦いがあった現場でもそうなんですが、1カ所だけ例外があるんですよ。その1カ所だけの例外が、ここに書いた、海軍司令部の壕、これあの、地下壕ですね。掘った、穴なんですけれども、どういう例外かというと、はい、これ見て下さい」
村西利恵
「こちらは海軍戦没者慰霊の塔です」
青山繁晴
「はい。これあの、海軍壕っていうのはですね、あの、こういう写真では分かりにくいでしょうが、本当は、あの、穴っていうからこう低い所に掘った感じするでしょうが、本当はその沖縄本島、特に那覇市内が一望できる、東シナ海もきれいに見える、その、高い丘にあってですね、その丘の中に掘られた穴なんですね。で、その丘のいわば頂点の所に、この、慰霊の塔が建っていまして…」
岡安譲
「今、映像、出てますね」
青山繁晴
「ええ、そして今、映像が出てきましたが、今、あの、高台にあるっていうのもお分かりいただける気がするんですけども」
青山繁晴
「この慰霊の塔っていうのは、軍人と軍属、つまり、住民から出た方々、分け隔てなく、弔ってるんですけども。今、大きく映ってるのは、これ海軍の徽章(きしょう)っていうんですね。桜に錨(いかり)ですね。で、この桜に錨っていうのは、実は世界の中でも、胸を張るべき、海軍のマークなんです。というのは、普通は、アメリカでもどこでも、その、猛獣が、必ずシンボルになるわけですよ。要するに、人を殺害するって意味ですね。その、鷹とかの猛禽類とか、あるいは、虎とか鷲とか。そういう物をマークにするんですけど、日本の場合はやさしい桜の花なんです。それに船の象徴の錨を組み合わせてるだけ。つまり、その、猛り狂って人を殺害するための、たとえば海軍ではなくて、あくまでも、日本の文化を守るために、守るべきを守るって意味の」
岡安譲
「ええ、ええ」
青山繁晴
「あるいは、そのためには命を懸ける、覚悟があると、散る覚悟があるって意味の桜なんですね。で、したがって帝国海軍のあの徽章っていうのは、この、海外では非常に、今も、誇りあるマークとして知られてるんですが、この、沖縄では他の所では一切見ることができないんですよ。ところがこの海軍壕だけ、この、こうやって、この塔にもつけられてるし、これは国旗の掲揚塔ですけども、こうやって大きな大きな徽章が飾られているんですね。ある意味、ここだけは、さっき言いました、沖縄が被害者で、本土が加害者だっていう考えを乗り越えて、その、沖縄県民の方も、海軍の良き面をこうやって強調して下さってるのがこの場所なんです。どうしてそうなったかというと、まさしくこの場所で、自決をなさった、これ(画像右下)、お墓なんですが、大田實海軍少将、えー、これ、分骨されてますから実際に、ご遺骨がこの中にあります」
青山繁晴
「えー、僕はそこにお参りをして、これまず、花を捧げたのは、帝国陸海軍の方だけではなくて、住民から出た軍属の方も、平等にここに弔われていますから、その方々にも、お花を捧げました。えー、そして、この、後ろにお墓があってですね。えー、このすぐ後ろにお墓があるんですけども、えっと、はい、今そこに、お線香を捧げるところなんです」
青山繁晴
「丘の上ですから、風が非常に強いんですけれども、いつもこう、お線香つけるのに苦労するんですが、今回はまあ、ほんとに、計らっていただいたかのように、きれいに、お線香に灯がともりまして」
青山繁晴
「そして、僕はここで、感謝の祈りをこうやって、僕なりに懸命に意を尽くして、感謝の祈りを捧げました。そして、この大田少将が、この場所で、えー、1945年の6月の6日に、自殺を、ごめんなさい、13日に、拳銃自決をされるんですけど、自殺じゃなくて自決をなさるんですが、その1週間前に、当時の海軍省の次官に宛てて、正式な電文を打たれるんです。皆さんこれ、大事なポイントなんで、もう一度頭に入れていただきたいんですが、辞世の句を詠まれたとか、辞世の句もありますが、その話じゃなくて、辞世の句とかあるいは個人的な、手紙とかじゃなくて、正式な、海軍の将軍として、海軍の次官に宛てた電文の中で、非常に衝撃的な、当時としては衝撃的な、そして、いつまでも時代を超えて残る、文章をお書きになりました。はい、それをちょっと出していただけますか」
村西利恵
「これが、電報の内容です」(全文テキストWikipedia参照)
青山繁晴
「はい。これはですね、これは、この写真は、その、現場の資料館に掲げられた、物、をそのまま写しました。で、これは、当時の言葉で、書いてありますが、たとえばですね、ここを見ていただきますと、『沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ然レドモ』とお書きになってるんですね。沖縄戦で、沖縄戦が始まって、帝国陸海軍が、この防衛戦を始めて以来、ほとんどその、県民のことを、考える、いとまがなかった、余裕がなかったと。しかし、この大田海軍少将の、実際に体験されたことで言えば、沖縄県民の方々は、青年や壮年、ま、今の言葉で中年、あるいは青年、実は少年も一部含んで、その方々は全部、防衛のために身を捧げられて、残されていた、その、老いた方や、あるいは幼い子供、あるいは女性の方々が、その、アメリカ軍の砲撃や爆撃によって、家も財産も全部、焼かれたのに、何も文句もおっしゃらずに、その、軍の作戦に差し支えがないようにと、自分たちはちっちゃな防空壕に避難されて、えー、そして、とても食べ物もなかなかないような生活に苦しめられながら、たとえば、若い女性が、看護師として働いてくれて」
青山繁晴
「そして、ここに書いてありますが、『看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄無キ重傷者ヲ助ケテ』、一字不明、『真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳セラレタルモノトハ思ハレズ』とお書きになってるのはですね、これ15、16歳、まだ恋も知らない少女たちをはじめとする、学徒看護隊の方々が、軍の衛生兵がすでにもう見捨てて、行かざるを得なかった、重傷者まで、一生懸命助けようとしてて、その真面目な様子を見てると、一時的な感情に駆られたものとはとても思えない。その、本当に、この後ろに書いてあるのは、こういう、女性たちも含めて、ただ祖国のために、みんなのために、その自分を捧げ尽くそうとなさったんだっていうことが、ザーッと書いてあってですね。そして、今までのところで、皆さんお分かりになることは実は2つあると思いますね。1つは徹底した自己批判が含まれてますね」
岡安譲
「はい」
青山繁晴
「沖縄戦のあり方について、疎開が、住民疎開が不十分で、県民を巻き込んでしまって、県民にすごい苦しみを与えたってことを、内部から、正式に、海軍次官に宛てて、自己批判なさってるんですね。で、この心の潔さ、謙虚さと同時に、実は戦前の日本には言論の自由はなかったってのは、戦後作り上げられた嘘であるってことの、証明でもあります」
岡安譲
「なるほど」
青山繁晴
「海軍少将が、これ、上の、第32軍司令官ってのは陸軍中将ですから。その方も含めて、あるいは海軍次官に向けて、この、内部批判をなさってるんですから、ちゃんと物を言おうと思ったら言えたということを証明し、そしてその上でですね、一番最後に、この有名な言葉が残ってます。『沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ』と。『発 沖縄根拠地隊司令官』。大田海軍少将がお書きになったのは、沖縄県民はこのようにみんなのために戦って下さった、後世必ず特別の配慮をお願いいたしますと、いうことをお書きになってて、この、謙虚な、そして公平な、この電報によって、さっき言いました、実は海軍の徽章も、沖縄で唯一、掲げられてるわけですね。そして、えー、この、大田少将が、自決をなさった場所、実は僕は今までこの海軍壕に数え切れないほど行ってきましたけれども、今回初めて、実際に自決をなさった部屋に、許可を得て、入ることができました。皆さん今日は沖縄ですから、僕はあえて、アロハを着てるんですけれども、ま、夏ですから着てるってこともありますが、これ訪れた時は、実は喪服で、まいりました。それは初めて自決の場所に入ったからです。どうぞ、皆さんVTRを見て下さい」
…………………………VTR開始…………………………
青山繁晴
「いいですか」
?
「はい、お願いします」
青山繁晴
「壕が続いていくんですが、これはあの、たとえば硫黄島の壕は、自然の、洞穴(ほらあな)を利用した、地下壕もあるんですけど、この、沖縄の海軍壕は、全部、人の手によって作られた壕です」
伊良部良信
「ま、こういうふうに、その、戦跡を、実際にこう、中にあの、壕の中に入るところも、ここしかないんですよ」
青山繁晴
「もうこのへんから、普段から、僕には気配が伝わってくる…」
伊良部良信
「作戦室から、じゃあ…」
青山繁晴
「はい」
(作戦室に入る前に、一礼する青山)
青山繁晴
「これは、あの、作戦室は非常に大事な所なんで、コンクリートだけじゃなくて、そこにもともと、漆喰(しっくい)が塗ってあります。ま、海軍の人たちが、工兵隊が、工兵隊が中心になって掘ったんですけど、ま、見事な堀り方で」
伊良部良信
「そうですね」
青山繁晴
「ええ、あの、これ何気なくみてますけど、地下ですからね。しかもつるはしぐらいしか、道具がなかったわけですから」
青山繁晴
「これ、一般の方も触られるんですよね?」
伊良部良信
「あ、大丈夫ですよ」
青山繁晴
「本当は、この、灯りで照らしながらだけども、真っ暗な、地下を、日本を守るために、沖縄県を守るために、こうやって掘っていったって跡なんですね。今から70年前なんですけれども、もうこんなふうに鮮やかに残ってて。もうほんとに掘り進んでいった、これ人の、苦労の跡の、まんまですよね」
伊良部良信
「そうですよね」
青山繁晴
「ああー…」
青山繁晴
「大田少将が自決なさる前に、まず6人いた幕僚が、全て、手榴弾を使われて、自決された、そのままの跡です。決してそんな大昔の話じゃない。すぐ近くの時代に、自分たちの利益は何も考えない、そして自分たちの家族だけじゃなくて、まだ、顔見たことない、後世の僕たちのことを考えて、ここで、自ら命を終えられた方々が、こんなにくっきりとここにいらっしゃる」
青山繁晴
「いやぁ、無念であったというのが伝わってきましたね、今。地上へ上がって家族と、会いたかったっていうのが今、伝わってきました」
青山繁晴
「ありがとうございます(幕僚室を出る前に一礼)」
青山繁晴
「今、これ7月の沖縄ですから、外の、今日の晴れた日ですと、まあ30数度あると思うんですが」
伊良部良信
「そうですね、……」
青山繁晴
「はい。今、この中は、正確に言うと28.4度です。ところが、湿度が78%もあって、よほどの強固な意志がないと、とても続けられることが…、実はない…」
青山繁晴
「さあここが、太田少将が自決をなさった、司令官室です。えー、ここ普段、柵が閉まっていまして、僕も、いつもその、柵越しにしか、拝見したことがありません。初めて中に、入らせていただきます」
青山繁晴
「閣下、お邪魔をいたします(一礼して入る)」
伊良部良信
「ここ毎朝、職員が来て、線香をやっています」
青山繁晴
「ああ、そうですか」
青山繁晴
「これ、皆さん、これ、大田少将が実際にお書きになった、辞世です」
(大君の御旗の下に 死してこそ 人と生まれし 甲斐(かい)ぞありけり)
青山繁晴
「今の言葉で訳せば、天皇陛下のために、捧げ尽くした人生を、送れたのは、人としての生きがいであったということを、お書きになってます。大君」
青山繁晴
「そして、ま、有名な言葉としても、ここに、神州不滅と、書かれていて、これ、少将がお書きになったままですよね」
伊良部良信
「そうですね、はい」
青山繁晴
「天皇陛下というのは決して、私(わたくし)のために生きられる人ではなくて、真っ先に私心(わたくしごころ)を捨てられるご存在であるから、それが、そこに込められた哲学が日本国であるから、いつまでも、滅びないでいてほしい」
青山繁晴
「したがってこちらに(「神州不滅」の反対側の壁に)、えー、醜いアメリカはいつか滅びるであろうってことをお書きになってて、これも当時の、アメリカを憎む特有の感情だと、いうふうに考えるのは、実は、単純すぎるんであって、あの、自分の利益を追っかけるような主義だと、いつかはその国に滅びが来ますよと。本来何のために戦おうとしたかっていうことを、これからのアジアと世界のために、僕らは、日本のためだけじゃなくて、考えるべきじゃないかっていうことを、この海軍壕に、改めて参って、今日、考えます」
青山繁晴
「この海軍壕の施設はそういう施設ですよ。本来、人の道を教えるためにある。単なる歴史の施設じゃない。人の心を学ぶ所です」
…………………………VTR終了…………………………
青山繁晴
「あの、皆さん今、あの、聞いていただいた僕のつぶやきっていうのをですね、あの、一緒に回って下さった、この資料館の学芸員の立場の方、もちろん沖縄県民です。それから、実は所長さんも、沖縄県民ですが、一緒にずっとついて下さって。で、まあ僕の話した話っていうのは沖縄で70年間、語られてきたこととは違う話です。違う見方をあえて問題提起で、僕はお話ししてるんですけども、これは正しいっていうんじゃなくて問題提起としてお話をして。で、正直やっぱり、一緒にいらっしゃるその所長さんや、学芸員の立場の方の、こう表情がだんだん変わっていくのが、僕には分かりました。で、おそらくその結果だと思うんですが、そのあと信じられないことが、起きたんですね。それ何が起きたかというと、ここにありますが、えー、これこうやって回っていきましたよね。それでずーっと沖縄県民の方と一緒に回っていって、そのあと、この白い室の中でこれを拝見したんですね」
青山繁晴
「で、これ何かといいますと、これあの、大田少将の旗なんです。これ、少将旗って言いましてね。これ(上の額の旗)はまあ模型みたいなもんですよ? で、少将の旗、つまり、当時の海軍大将だったり中将だったり、少将だったり、それぞれ、この、将軍がこの船に乗ってますよってことを見せる、将旗(しょうき)、将軍の旗ってのがあるんですが、これあの、アメリカが戦利品で持って行っちゃった。で、奪われたやつが2年前に奇跡的に沖縄に戻ってきたんですが、ガラスケースでここに飾られていたのを、こうやって、出して下さって」
青山繁晴
「僕、出して下さるだけで終わると思ってたら、これあの、このガードマンの方も含めて全員沖縄県民なんですが、沖縄県民3人と僕と、この4人で、その場で、これやっぱり掲げようってことになってですね」
岡安譲
「へえーー」
青山繁晴
「日本が戦争に負けて69年、初めて、この、祖国に将旗、将軍の旗が翻ることになりました」
一同
「はあー」
青山繁晴
「そしてこの沖縄の高台ですから、下の那覇からも十分見えたと思いますけれども、69年ぶりに、日本で初めて、この沖縄のきれいな青空の下、この旗が翻った、そういう時なんですね」
一同
「へえー」
青山繁晴
「で、これ実は、あの、一般のお客様が皆様お帰りになったあとにこのロケをやったんですが、沖縄の若いカップル1組だけ残ってて、そのカップルがずーっとこちらを見てたんですけど、この少将旗が、掲げられたあとに、このカップルが近くまで来て、そして特に女性のほうが深々と礼をされました」
岡安譲
「ああー」
青山繁晴
「そして、えー、それが新たな考え方のきっかけになればいいと思いながら僕は今、スマホで、えー、動画で、これを撮ってるんですが」
青山繁晴
「それは実は自分のために撮ったんじゃなくて、これをどうしても、見ていただきたい方、あるいはお土産で、この動画を持っていきたい方がいらっしゃいまして、その方がどなたかというと、この大田司令官の実は三男の方です。はい、出して下さい」
村西利恵
「沖縄のあと、青山さんが会いに行かれたのが、大田實少将の三男、落合畯(たおさ)さんです」
青山繁晴
「はい。大田少将の、奥さんのほうに養子で行かれましたから、今、お名前は落合さんとおっしゃるんですが、実は、海上自衛官です、もと。そして海上自衛隊が初めて、国際社会に出て行った、ペルシャ湾の、掃海任務をこなされた時の、実は、リーダーなんですね」
岡安譲
「ああー、そうですか」
青山繁晴
「で、この大田、元海上自衛官に、さっきの、将旗、翻るところを、これスマホで、お見せしましたら、まあもう、驚かれると同時に、もう本当に、あの、深い感動を表されまして、僕としては、ほんとに沖縄に行った甲斐があったと思ったんですけど、このあと、この落合さん、大田少将の三男の方と、どんなお話をしたのか。それを後半お話ししますが、キーワードは、これです(フリップ出す)」
村西利恵
「ここでズバリキーワードは、『平和のためにこそ』。落合さんとの対談の模様、CMのあと、お伝えします」
(いったんCM)
…………………………VTR開始…………………………
落合畯
「よろしくお願いいたします」
青山繁晴
「こちらこそ。まずちょっと挨拶……。本当に楽しみにしておりました」
落合畯
「いやいや、どうも、いつもどうも……」
青山繁晴
「ありがとうございます」
N:落合さんは、11人兄弟の9番目。大田司令官の三男として生まれ、
N:大田司令官が沖縄に出征する時は、4歳だったそうです。
落合畯
「ちょうどその、出征する前の日にですね、もう私ども、あの、子供ですけども早く寝てるんですけども、突然起こされて、まあ、あの、父が沖縄へ行くという、最後の宴(えん)だったと思うんです。まあそれが特別な夜だっていうことは、覚えてますし、まあそれで、それが最後ですね」
N:父の影響を受けて、防衛大学に進学し、海上自衛官となった落合さん。25歳の頃、赴任したのが、日本に復帰したばかりの、沖縄でした。名護市で、自衛隊員を募集する事務所の所長をしていた落合さんは、連日、自衛隊の駐留に反対するデモ隊の対応に追われていました。
N:そんな中、屋良朝苗(やら・ちょうびょう)沖縄県知事が落合さんを招き、父・大田司令官にまつわる沖縄県民の思いを語ったといいます。
落合畯
「君は毎日毎日デモ隊に囲まれて、反対反対でもう大変苦労してるだろうと。よく分かってると。大変若いから悔しいだろうと。それはよく分かると」
落合畯
「あなたの親父さん、お父さんが、あの“沖縄県民かく戦えり”という電報を打ってくれたので、(沖縄が)日本に返ってこれたんだよと。ところが考えて下さいよって。その、沖縄県は、27年間ね、里子に出されていたんですよと。やっと親元に帰ってきたんです、その気持ちを分かって下さいと。でね、沖縄の歴史を勉強して下さいと、そういうふうに懇々と言われる。まぁびっくりしましたね」
青山繁晴
「今の落合さんの、いわば証言で分かったのは、屋良朝苗初代知事は、沖縄が祖国に復帰できたこと自体が、大田實海軍少将が残された、あの海軍次官宛の正式な電報で、“沖縄県民かく戦えり 後世特別のご高配賜らんことを”、これがあったから祖国復帰だって、戦争で奪われた領土なのに戦争をせずに戻ったんだっていう意識を実は屋良知事はお持ちだったってことですか」
落合畯
「まあ支持母体が教職員ですから、これはしょうがない、表面上しょうがないんだけども」
青山繁晴
「学校の先生出身ですからね」
落合畯
「本当はね、全然そうじゃないんですね。左翼でも何でもない。要するにね、沖縄県民党なんですよ。沖縄の県民の幸せだけをね、願っている人なんですね」
N:また、落合さんは、1991年の湾岸戦争の時、
N:海上自衛隊の司令官として、日本で初めて海外派遣され、
N:機雷除去の陣頭指揮を執りました。
青山繁晴
「その、今のお立場として、今の集団的自衛権の行使容認について、どういうふうにお考えなのかを、僕もお聞きしたいですね」
落合畯
「いや、もう、あの、もちろんですよ。その、まあ、遅すぎるって私は思うんですね。戦争がいいか平和がいいかっていったら、そりゃ平和に決まってる。それよく間違えられるのは、その、自衛隊員は好戦的だ、また自衛隊がね、まさに戦争をしたい、とんでもない。一番行きたくないのは、行きたくないのは、自衛隊員ですよ。私いつもそこを言ってるんです」
青山繁晴
「自分の命ですからね」
落合畯
「要するにもっと、やっぱり自分の国は自分で守るっていう、気概を持たないと…」
…………………………VTR終了…………………………
青山繁晴
「あの、今のVTRの中で、格別のっていう、間違った字幕が出ましたが」(“沖縄県民かく戦えり 後世特別のご高配賜らんことを”)
村西利恵
「失礼しました」
青山繁晴
「正しくは、あの、僕が、VTRの中で言ってる通り、特別の、です。で、あの、先ほど、VTRの中でも写真を見ていただきましたが、この大田少将の三男坊が、落合畯さんですね。で、とても変わった名前ですよね。これどういう意味かというとですね、この畯さんというのは、お前はもう三男坊だから、田んぼを守って、家を続けてくれという意味であって、実はご長男、ご長男に、英雄(ひでお)さん、英雄(えいゆう)って名前をつけられたのは、お前は海軍大将になってくれと」
村西利恵
「なるほど」
青山繁晴
「いうことを大田少将は思われた。ところが、この、ご長男はですね、このお父様は拳銃自決されましたから、そのシャレコウベが、家族のところに戻ってきて、そして、その、ご自分の拳銃の跡が、頭、頭蓋骨を貫いてるのを見て、この英雄さんはショックを受けられて、そのあと、日本史の先生になると同時に、反戦運動家をなさった。ところが三男坊の、この落合さん、畑を守れと、いや、ごめんなさい、田んぼを守れと言われた畯さんは、自衛官になった。もうずーっと兄弟、生涯、議論のしっぱなしだったそうです。ま、喧嘩と言われてましたが。ご兄弟ですから殴り合いの喧嘩じゃなくて、ずっと、どちらが正しいのかっていうことを言われてて、その上での、先ほど集団的自衛権について、むしろ遅すぎるんじゃないかってことをおっしゃったわけです。で、これは、その、安全保障とか防衛とかいうことだけではなくて、人の生き方として、一度喧嘩に負けたら、その、亀が頭を引っ込め、過剰防衛で引っ込めるように、何もしないでいいのかと。むしろ、その、なぜ負けたのかを謙虚に振り返ることも含めて、大田少将が残された電文の通りに、謙虚に振り返ることも含めて、ではもう一度、新しい役割を果たそうと。人のため、みんなのため、世界のため、アジアのために、何ができるかやるべきだってことを、落合さんはずっと主張されて、そして残念ながら、この、ご長男は先に逝かれたから、今はその議論は終わったけれども、今の、時代について、落合さんとしてさっき問題提起をされたわけですね。で、その現実、これからの問題として、集団的自衛権はどうなるかというと、皆さん意外かもしれませんが、こういう現実があります」
村西利恵
「来年の通常国会で、集団的自衛権の法整備が、できない可能性」
青山繁晴
「ええ、実は2日前に、安倍総理が一番信頼してる官邸の中枢の人と、お会いして、長時間議論したんですが、その時に、安倍政権は体力はかなり奪われていて、このまま行くと、来年の通常国会で、まあ長丁場で、集団的自衛権の法整備自体が、実はできないかもしれない。閣議決定だけして、法改正ができないかもしれない。つまり、政権崩壊につながりかねないと」
村西利恵
「そうですね」
青山繁晴
「いう厳しい情勢にあること言われまして、したがって安倍総理が何を検討してるかというと、これです」
村西利恵
「年内に、ウルトラサプライズ解散も」
青山繁晴
「はい、これは実はまともな話だと思うんです。つまり、かつては、再来年の夏に衆参ダブル選挙をやればいいんだから、それまで国政選挙ないんだと、いう甘えが、安倍総理ご自身の中にもあったと思います。でもそれを、考えを、あの、変えられてですね、むしろ国民に堂々と、ここまでやってきたんだから、信を問うと、国民に意見を聞いて、それで政権をもう一度やれるんならやろうという考えに変わってきたっていうのは、最後にもう一度、あのお二人のお顔を出してほしいんですが」
青山繁晴
「このお二方が呼びかけてることを、私たちがそれぞれの、自分の意見をもう一度考え直す、きっかけにしていただきたいんです。つまり大田少将が、あの、次官宛の電文でおっしゃったのは、人の生き方として、その、みんなのために生きた人がここにいるんだから、特別の配慮をして下さいと、その、おっしゃったわけですよね。で、それを踏まえて、海上自衛隊としての経験を語られたわけですから。実はその、学者の言う話とか、あるいはその、特定の偏った立場で議論されるだけではなくて、たとえば集団的自衛権を含む新しい安全保障、防衛、国のあり方を、人の生き方として、人の生き方が国の生き方ですから、そういう目からも、もう一度、考えて、そして、衆議院解散総選挙に私たち主権者として備えるってことを、今日の最後の問題提起にいたしたいと思います」
岡安譲
「はい。ありがとうございました。以上、青山さんの“ニュースDEズバリ”でした」
(いったんCM)
(他のニュース報道のあと番組終了直前に)
岡安譲
「あの、先ほども、青山さんからありましたけど、青山さんが8月に本を出されます。えー、タイトルが、今日のタイトル(キーワード)、と同じですね。『死ぬ理由、生きる理由』と、いうことで」
青山繁晴
「はい。『英霊の渇く島に問う』と書きましたが、これは硫黄島のことです。で、この後ろ見ていただくと、これが硫黄島なんですね。硫黄島に、ま、再会しました。で、中、開くと、真っ白です(一同笑&ざわ)。これ、実は、もう、間に合ってますが、えー、原稿はちゃんと間に合って、お買いになる時には中が全部、ありますから(もう一度中を開く。一同笑)」
岡安譲
「原稿ができてないわけではないんですね」
青山繁晴
「はい、もう上がってます(笑)」
岡安譲
「ということで8月…」
青山繁晴
「12日です」
岡安譲
「12日に出版ということになります」
青山繁晴
「はい、ありがとうございます」
岡安譲
「ということで、青山さん、今日、ありがとうございました。ではいったん東京のスタジオです」
(番組終了)
____________________________内容紹介ここまで
皆様、スクロールお疲れ様でした(^_^;
今週は、拙ブログの「アンカー」書き起こし史上、最も画像が多かったかもしれません(66枚)。
でも、400回にふさわしい素晴らしい内容だったと思います(^▽^)
なお、ご存知の方も多いと思いますが、青山繁晴さんのお母様が7月25日に亡くなられました。
問い合わせが多いようで、ご葬儀の日取りなども告知されています。
詳細は青山さんのブログをご覧下さい。
そして番組の最後にも告知がありましたが、青山繁晴さんの新刊「死ぬ理由、生きる理由 -英霊の渇く島に問う-」の発売まであと約2週間。待ち遠しいですね。
初版の部数がどのぐらいなのか分からないので何とも言えませんが、前作「ぼくらの祖国」は発売とほぼ同時に在庫切れになりました。
発売日に確実に入手されたい方は、お早めの予約をお勧めします。
★青山さんの既刊はこちらから。
※拙ブログはAmazonアソシエイトに参加しています。紹介している商品をクリックしてAmazonを訪問された皆様がすぐに購入されなくても、24時間以内にその商品や他の商品を購入されれば当方の報酬になります(紹介している商品にお目当ての物がなくても、どれかを適当にクリックしてAmazonの中に入っていただき、そこから目当ての商品に検索などで飛んでいただき購入されれば、当方の報酬になります)。「寄付」的にご協力いただければ幸いです。
この日の「アンカー」では他に以下のニュースで青山さんの解説がありました。
●中国・周永康前常務委員に人民日報も言及 刑事責任の追及が焦点
●中国・新疆ウイグル自治区で武装グループが警察施設などを襲撃
●安倍首相、石破氏に安全保障法制担当相を打診 石破氏は回答保留
拙ブログで紹介しきれなかった他の青山さんの発言については、こころが風邪をひいたらさんが後日文字起こしして下さると思うので、そちらをご覧下さい。
※参考リンク
・ON THE ROAD 青山繁晴の道すがらエッセイ
青山さんに直接コメントが送れます。
・こころが風邪をひいたら
拙ブログで紹介しきれなかった青山さんの発言を起こして下さっています。
・青山繁晴氏のファンサイト・淡交 ブログ
動画の紹介など情報が大変充実しています。
※拙ブログ関連エントリー(アンカー)
・【一覧】「アンカー」青山さんコーナーテキスト起こし
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「さて、このあとは、今日は水曜日、青山さんの“ニュースDEズバリ”、今日は記念すべき日ですね」
青山繁晴
「はい。あの、岡安キャスターがおっしゃって下さった通り、今日は記念すべき、第400回の、コーナーになります。で、実は、記念すべきと言っても僕は淡々と、通り過ぎて行くつもりだったんですよ。そうしましたらですね、あの、このコーナーって実はもう、あの、99.99%、もっとかな? 僕の意見でやらせていただいてるんですね。それは大変感謝してるんですが。この400回については、何とスタッフから意見があって、これはあの、淡々とやるんじゃなくて、やっぱり記念すべき回にしたいと、提案があってですね。で、僕も、その通りだと思いまして、そしてスタッフと議論してると、やっぱり400回のこの日は、敗戦の日に、近づく日ですよね。一般的には終戦の日って言ってますが8月15日、日本が一度だけ戦争に負けた日、今年で69年目です。来年は70回目になる。そういう節目に当たって、じゃあその敗戦の日にまつわることを取り上げて、この、400回のコーナーとしたいんです。で、キーワードは、実はこれです(フリップ出す)」
岡安譲
「『死ぬ理由、生きる理由』」
青山繁晴
「はい。と言いますのは、敗戦の日に、ちなんで、物を考えたいと思いましたから、実は沖縄にロケに行き、この水曜『アンカー』でロケに行くのはものすごく久しぶりなんですが、沖縄に行き、そしてさらに沖縄から鎌倉にも直行したんですね。で、実はそのことは、その、戦争のことだけ、あるいは敗戦ということだけ、敗戦後のことだけに絞るんじゃなくて、そもそも私たち日本国民がともに、その、何のために生きて、何のために死ぬのかっていうことを、根っこから考え直すきっかけが、たとえば、沖縄の戦争の跡にあり、あるいは、その、沖縄戦ゆかりの人が、まだ、証言して下さいますから、そういう証言の中にある。そういうことを今日、一緒に考えたいから、このキーワードにいたしました。実はこのキーワードは、あの、不肖、私が、敗戦、今年の敗戦の日に合わせて出す新しい本の、タイトルなんです」
岡安譲
「あ…」
青山繁晴
「で、これ実は、すみません、責任逃れするわけじゃなくて、僕はまさか、この、キーワードを考えたんじゃなくて、キーワードも普段は、400回、399回全部、僕が考えて…」
岡安譲
「そうですね(笑)、青山さんが考えてます」
青山繁晴
「そのまま出してきたんですが、この400回は何とスタッフ、何とスタッフから、この僕の新しい本のタイトルをあえて、このキーワードにして下さいという、提案があって、どうしてですかと、夕べ聞いたら、いや、あまりにも今日のコーナーのテーマに、一致してるからということなんで、僕はそのままお気持ちをいただいて、まことに異例ながら、新しい本のタイトルをそのまま、今日のキーワードにいたしました。今日、深いところで、皆さんと一緒に考えていきたいと思います」
岡安譲
「はい。コマーシャルのあと、400回目の“ニュースDEズバリ”です」
(いったんCM)
岡安譲
「今回は、沖縄そして鎌倉で青山さんがロケ、取材をされた、“ニュースDEズバリ”です。青山さん、よろしくお願いします」
堀田篤
「よろしくお願いします」
青山繁晴
「はい。まず、今日のいわば、メインタイトル見ていただきたいんですけど、ニッポンの“原点”と“未来”と。まあいろいろ考えた末に、こんな大きな、あるいは深い、タイトルにしたんですが。日本の“原点”っていうのは、普通で言えば、日本は二千数百年の長い歴史ありますから、とてもとても古い時代のことになるんですけど、この場合のニッポンっていうのは、日本がその長い長い歴史の中で一度だけ負けた。今から69年前の夏、に、戦争に負けて、そのあとの69年の歩み、その敗戦後の日本の、歩みの“原点”と、これからどうすべきかっていうことを一緒に考えましょうと。で、その、原点を考える時に沖縄はとても参考になる話だし、その、“未来”をともに語れる人が、ま、ゆかりの方はこの方(画像中央右)なんですけど、鎌倉にいらっしゃるということで、この2カ所に行ってきました。まず、沖縄の方です。はい」
村西利恵
「青山さんが訪れたのは、太平洋戦争中の1945年3月26日から、6月23日までの沖縄戦で、帝国海軍司令部があった、旧海軍司令部壕(ごう)です」
青山繁晴
「はい、この沖縄戦は、この年月日見ていただけば若い方にも、お分かりいただけると思うんですけれども、この戦争の末期ですね(一同同意)。えー、そして、この沖縄戦の前に、硫黄島の戦いがありまして、日本は建国以来初めて、領土の一部を、外国、この場合はアメリカに占領されました。で、勢いづいたアメリカは、硫黄島を落とした翌日に沖縄の慶良間諸島に上がってきて、で、アメリカ軍の侵略をその、沖縄で食い止めるために、帝国陸海軍と、県民の方々が、協力して、戦われたわけですね。で、この沖縄は、その、今、言いました通り、県民を、巻き込む戦いになってしまいましから、実はその、沖縄県の敗戦後の歩みというのは、被害者としての沖縄県民と、加害者としての本土、帝国陸海軍を含めた本土っていうふうに、ま、なってしまって、僕はこれ、ずっと違うってことを沖縄県民に問題提起してきたんですが、でも不幸ながらそういう歴史が今も残ってて、たとえば中国や韓国の反日勢力が、えー、反日工作が、沖縄をターゲットにしたりっていうことも、実は現実に起きてるわけですね。で、したがってその沖縄の、戦いの跡を歩きますと、その、帝国陸海軍の良い面っていうのは、もう全部消し去られていて、教育の現場でもそうですし、戦いがあった現場でもそうなんですが、1カ所だけ例外があるんですよ。その1カ所だけの例外が、ここに書いた、海軍司令部の壕、これあの、地下壕ですね。掘った、穴なんですけれども、どういう例外かというと、はい、これ見て下さい」
村西利恵
「こちらは海軍戦没者慰霊の塔です」
青山繁晴
「はい。これあの、海軍壕っていうのはですね、あの、こういう写真では分かりにくいでしょうが、本当は、あの、穴っていうからこう低い所に掘った感じするでしょうが、本当はその沖縄本島、特に那覇市内が一望できる、東シナ海もきれいに見える、その、高い丘にあってですね、その丘の中に掘られた穴なんですね。で、その丘のいわば頂点の所に、この、慰霊の塔が建っていまして…」
岡安譲
「今、映像、出てますね」
青山繁晴
「ええ、そして今、映像が出てきましたが、今、あの、高台にあるっていうのもお分かりいただける気がするんですけども」
青山繁晴
「この慰霊の塔っていうのは、軍人と軍属、つまり、住民から出た方々、分け隔てなく、弔ってるんですけども。今、大きく映ってるのは、これ海軍の徽章(きしょう)っていうんですね。桜に錨(いかり)ですね。で、この桜に錨っていうのは、実は世界の中でも、胸を張るべき、海軍のマークなんです。というのは、普通は、アメリカでもどこでも、その、猛獣が、必ずシンボルになるわけですよ。要するに、人を殺害するって意味ですね。その、鷹とかの猛禽類とか、あるいは、虎とか鷲とか。そういう物をマークにするんですけど、日本の場合はやさしい桜の花なんです。それに船の象徴の錨を組み合わせてるだけ。つまり、その、猛り狂って人を殺害するための、たとえば海軍ではなくて、あくまでも、日本の文化を守るために、守るべきを守るって意味の」
岡安譲
「ええ、ええ」
青山繁晴
「あるいは、そのためには命を懸ける、覚悟があると、散る覚悟があるって意味の桜なんですね。で、したがって帝国海軍のあの徽章っていうのは、この、海外では非常に、今も、誇りあるマークとして知られてるんですが、この、沖縄では他の所では一切見ることができないんですよ。ところがこの海軍壕だけ、この、こうやって、この塔にもつけられてるし、これは国旗の掲揚塔ですけども、こうやって大きな大きな徽章が飾られているんですね。ある意味、ここだけは、さっき言いました、沖縄が被害者で、本土が加害者だっていう考えを乗り越えて、その、沖縄県民の方も、海軍の良き面をこうやって強調して下さってるのがこの場所なんです。どうしてそうなったかというと、まさしくこの場所で、自決をなさった、これ(画像右下)、お墓なんですが、大田實海軍少将、えー、これ、分骨されてますから実際に、ご遺骨がこの中にあります」
青山繁晴
「えー、僕はそこにお参りをして、これまず、花を捧げたのは、帝国陸海軍の方だけではなくて、住民から出た軍属の方も、平等にここに弔われていますから、その方々にも、お花を捧げました。えー、そして、この、後ろにお墓があってですね。えー、このすぐ後ろにお墓があるんですけども、えっと、はい、今そこに、お線香を捧げるところなんです」
青山繁晴
「丘の上ですから、風が非常に強いんですけれども、いつもこう、お線香つけるのに苦労するんですが、今回はまあ、ほんとに、計らっていただいたかのように、きれいに、お線香に灯がともりまして」
青山繁晴
「そして、僕はここで、感謝の祈りをこうやって、僕なりに懸命に意を尽くして、感謝の祈りを捧げました。そして、この大田少将が、この場所で、えー、1945年の6月の6日に、自殺を、ごめんなさい、13日に、拳銃自決をされるんですけど、自殺じゃなくて自決をなさるんですが、その1週間前に、当時の海軍省の次官に宛てて、正式な電文を打たれるんです。皆さんこれ、大事なポイントなんで、もう一度頭に入れていただきたいんですが、辞世の句を詠まれたとか、辞世の句もありますが、その話じゃなくて、辞世の句とかあるいは個人的な、手紙とかじゃなくて、正式な、海軍の将軍として、海軍の次官に宛てた電文の中で、非常に衝撃的な、当時としては衝撃的な、そして、いつまでも時代を超えて残る、文章をお書きになりました。はい、それをちょっと出していただけますか」
村西利恵
「これが、電報の内容です」(全文テキストWikipedia参照)
青山繁晴
「はい。これはですね、これは、この写真は、その、現場の資料館に掲げられた、物、をそのまま写しました。で、これは、当時の言葉で、書いてありますが、たとえばですね、ここを見ていただきますと、『沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ然レドモ』とお書きになってるんですね。沖縄戦で、沖縄戦が始まって、帝国陸海軍が、この防衛戦を始めて以来、ほとんどその、県民のことを、考える、いとまがなかった、余裕がなかったと。しかし、この大田海軍少将の、実際に体験されたことで言えば、沖縄県民の方々は、青年や壮年、ま、今の言葉で中年、あるいは青年、実は少年も一部含んで、その方々は全部、防衛のために身を捧げられて、残されていた、その、老いた方や、あるいは幼い子供、あるいは女性の方々が、その、アメリカ軍の砲撃や爆撃によって、家も財産も全部、焼かれたのに、何も文句もおっしゃらずに、その、軍の作戦に差し支えがないようにと、自分たちはちっちゃな防空壕に避難されて、えー、そして、とても食べ物もなかなかないような生活に苦しめられながら、たとえば、若い女性が、看護師として働いてくれて」
青山繁晴
「そして、ここに書いてありますが、『看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄無キ重傷者ヲ助ケテ』、一字不明、『真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳セラレタルモノトハ思ハレズ』とお書きになってるのはですね、これ15、16歳、まだ恋も知らない少女たちをはじめとする、学徒看護隊の方々が、軍の衛生兵がすでにもう見捨てて、行かざるを得なかった、重傷者まで、一生懸命助けようとしてて、その真面目な様子を見てると、一時的な感情に駆られたものとはとても思えない。その、本当に、この後ろに書いてあるのは、こういう、女性たちも含めて、ただ祖国のために、みんなのために、その自分を捧げ尽くそうとなさったんだっていうことが、ザーッと書いてあってですね。そして、今までのところで、皆さんお分かりになることは実は2つあると思いますね。1つは徹底した自己批判が含まれてますね」
岡安譲
「はい」
青山繁晴
「沖縄戦のあり方について、疎開が、住民疎開が不十分で、県民を巻き込んでしまって、県民にすごい苦しみを与えたってことを、内部から、正式に、海軍次官に宛てて、自己批判なさってるんですね。で、この心の潔さ、謙虚さと同時に、実は戦前の日本には言論の自由はなかったってのは、戦後作り上げられた嘘であるってことの、証明でもあります」
岡安譲
「なるほど」
青山繁晴
「海軍少将が、これ、上の、第32軍司令官ってのは陸軍中将ですから。その方も含めて、あるいは海軍次官に向けて、この、内部批判をなさってるんですから、ちゃんと物を言おうと思ったら言えたということを証明し、そしてその上でですね、一番最後に、この有名な言葉が残ってます。『沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ』と。『発 沖縄根拠地隊司令官』。大田海軍少将がお書きになったのは、沖縄県民はこのようにみんなのために戦って下さった、後世必ず特別の配慮をお願いいたしますと、いうことをお書きになってて、この、謙虚な、そして公平な、この電報によって、さっき言いました、実は海軍の徽章も、沖縄で唯一、掲げられてるわけですね。そして、えー、この、大田少将が、自決をなさった場所、実は僕は今までこの海軍壕に数え切れないほど行ってきましたけれども、今回初めて、実際に自決をなさった部屋に、許可を得て、入ることができました。皆さん今日は沖縄ですから、僕はあえて、アロハを着てるんですけれども、ま、夏ですから着てるってこともありますが、これ訪れた時は、実は喪服で、まいりました。それは初めて自決の場所に入ったからです。どうぞ、皆さんVTRを見て下さい」
…………………………VTR開始…………………………
青山繁晴
「いいですか」
?
「はい、お願いします」
青山繁晴
「壕が続いていくんですが、これはあの、たとえば硫黄島の壕は、自然の、洞穴(ほらあな)を利用した、地下壕もあるんですけど、この、沖縄の海軍壕は、全部、人の手によって作られた壕です」
伊良部良信
「ま、こういうふうに、その、戦跡を、実際にこう、中にあの、壕の中に入るところも、ここしかないんですよ」
青山繁晴
「もうこのへんから、普段から、僕には気配が伝わってくる…」
伊良部良信
「作戦室から、じゃあ…」
青山繁晴
「はい」
(作戦室に入る前に、一礼する青山)
青山繁晴
「これは、あの、作戦室は非常に大事な所なんで、コンクリートだけじゃなくて、そこにもともと、漆喰(しっくい)が塗ってあります。ま、海軍の人たちが、工兵隊が、工兵隊が中心になって掘ったんですけど、ま、見事な堀り方で」
伊良部良信
「そうですね」
青山繁晴
「ええ、あの、これ何気なくみてますけど、地下ですからね。しかもつるはしぐらいしか、道具がなかったわけですから」
青山繁晴
「これ、一般の方も触られるんですよね?」
伊良部良信
「あ、大丈夫ですよ」
青山繁晴
「本当は、この、灯りで照らしながらだけども、真っ暗な、地下を、日本を守るために、沖縄県を守るために、こうやって掘っていったって跡なんですね。今から70年前なんですけれども、もうこんなふうに鮮やかに残ってて。もうほんとに掘り進んでいった、これ人の、苦労の跡の、まんまですよね」
伊良部良信
「そうですよね」
青山繁晴
「ああー…」
青山繁晴
「大田少将が自決なさる前に、まず6人いた幕僚が、全て、手榴弾を使われて、自決された、そのままの跡です。決してそんな大昔の話じゃない。すぐ近くの時代に、自分たちの利益は何も考えない、そして自分たちの家族だけじゃなくて、まだ、顔見たことない、後世の僕たちのことを考えて、ここで、自ら命を終えられた方々が、こんなにくっきりとここにいらっしゃる」
青山繁晴
「いやぁ、無念であったというのが伝わってきましたね、今。地上へ上がって家族と、会いたかったっていうのが今、伝わってきました」
青山繁晴
「ありがとうございます(幕僚室を出る前に一礼)」
青山繁晴
「今、これ7月の沖縄ですから、外の、今日の晴れた日ですと、まあ30数度あると思うんですが」
伊良部良信
「そうですね、……」
青山繁晴
「はい。今、この中は、正確に言うと28.4度です。ところが、湿度が78%もあって、よほどの強固な意志がないと、とても続けられることが…、実はない…」
青山繁晴
「さあここが、太田少将が自決をなさった、司令官室です。えー、ここ普段、柵が閉まっていまして、僕も、いつもその、柵越しにしか、拝見したことがありません。初めて中に、入らせていただきます」
青山繁晴
「閣下、お邪魔をいたします(一礼して入る)」
伊良部良信
「ここ毎朝、職員が来て、線香をやっています」
青山繁晴
「ああ、そうですか」
青山繁晴
「これ、皆さん、これ、大田少将が実際にお書きになった、辞世です」
(大君の御旗の下に 死してこそ 人と生まれし 甲斐(かい)ぞありけり)
青山繁晴
「今の言葉で訳せば、天皇陛下のために、捧げ尽くした人生を、送れたのは、人としての生きがいであったということを、お書きになってます。大君」
青山繁晴
「そして、ま、有名な言葉としても、ここに、神州不滅と、書かれていて、これ、少将がお書きになったままですよね」
伊良部良信
「そうですね、はい」
青山繁晴
「天皇陛下というのは決して、私(わたくし)のために生きられる人ではなくて、真っ先に私心(わたくしごころ)を捨てられるご存在であるから、それが、そこに込められた哲学が日本国であるから、いつまでも、滅びないでいてほしい」
青山繁晴
「したがってこちらに(「神州不滅」の反対側の壁に)、えー、醜いアメリカはいつか滅びるであろうってことをお書きになってて、これも当時の、アメリカを憎む特有の感情だと、いうふうに考えるのは、実は、単純すぎるんであって、あの、自分の利益を追っかけるような主義だと、いつかはその国に滅びが来ますよと。本来何のために戦おうとしたかっていうことを、これからのアジアと世界のために、僕らは、日本のためだけじゃなくて、考えるべきじゃないかっていうことを、この海軍壕に、改めて参って、今日、考えます」
青山繁晴
「この海軍壕の施設はそういう施設ですよ。本来、人の道を教えるためにある。単なる歴史の施設じゃない。人の心を学ぶ所です」
…………………………VTR終了…………………………
青山繁晴
「あの、皆さん今、あの、聞いていただいた僕のつぶやきっていうのをですね、あの、一緒に回って下さった、この資料館の学芸員の立場の方、もちろん沖縄県民です。それから、実は所長さんも、沖縄県民ですが、一緒にずっとついて下さって。で、まあ僕の話した話っていうのは沖縄で70年間、語られてきたこととは違う話です。違う見方をあえて問題提起で、僕はお話ししてるんですけども、これは正しいっていうんじゃなくて問題提起としてお話をして。で、正直やっぱり、一緒にいらっしゃるその所長さんや、学芸員の立場の方の、こう表情がだんだん変わっていくのが、僕には分かりました。で、おそらくその結果だと思うんですが、そのあと信じられないことが、起きたんですね。それ何が起きたかというと、ここにありますが、えー、これこうやって回っていきましたよね。それでずーっと沖縄県民の方と一緒に回っていって、そのあと、この白い室の中でこれを拝見したんですね」
青山繁晴
「で、これ何かといいますと、これあの、大田少将の旗なんです。これ、少将旗って言いましてね。これ(上の額の旗)はまあ模型みたいなもんですよ? で、少将の旗、つまり、当時の海軍大将だったり中将だったり、少将だったり、それぞれ、この、将軍がこの船に乗ってますよってことを見せる、将旗(しょうき)、将軍の旗ってのがあるんですが、これあの、アメリカが戦利品で持って行っちゃった。で、奪われたやつが2年前に奇跡的に沖縄に戻ってきたんですが、ガラスケースでここに飾られていたのを、こうやって、出して下さって」
青山繁晴
「僕、出して下さるだけで終わると思ってたら、これあの、このガードマンの方も含めて全員沖縄県民なんですが、沖縄県民3人と僕と、この4人で、その場で、これやっぱり掲げようってことになってですね」
岡安譲
「へえーー」
青山繁晴
「日本が戦争に負けて69年、初めて、この、祖国に将旗、将軍の旗が翻ることになりました」
一同
「はあー」
青山繁晴
「そしてこの沖縄の高台ですから、下の那覇からも十分見えたと思いますけれども、69年ぶりに、日本で初めて、この沖縄のきれいな青空の下、この旗が翻った、そういう時なんですね」
一同
「へえー」
青山繁晴
「で、これ実は、あの、一般のお客様が皆様お帰りになったあとにこのロケをやったんですが、沖縄の若いカップル1組だけ残ってて、そのカップルがずーっとこちらを見てたんですけど、この少将旗が、掲げられたあとに、このカップルが近くまで来て、そして特に女性のほうが深々と礼をされました」
岡安譲
「ああー」
青山繁晴
「そして、えー、それが新たな考え方のきっかけになればいいと思いながら僕は今、スマホで、えー、動画で、これを撮ってるんですが」
青山繁晴
「それは実は自分のために撮ったんじゃなくて、これをどうしても、見ていただきたい方、あるいはお土産で、この動画を持っていきたい方がいらっしゃいまして、その方がどなたかというと、この大田司令官の実は三男の方です。はい、出して下さい」
村西利恵
「沖縄のあと、青山さんが会いに行かれたのが、大田實少将の三男、落合畯(たおさ)さんです」
青山繁晴
「はい。大田少将の、奥さんのほうに養子で行かれましたから、今、お名前は落合さんとおっしゃるんですが、実は、海上自衛官です、もと。そして海上自衛隊が初めて、国際社会に出て行った、ペルシャ湾の、掃海任務をこなされた時の、実は、リーダーなんですね」
岡安譲
「ああー、そうですか」
青山繁晴
「で、この大田、元海上自衛官に、さっきの、将旗、翻るところを、これスマホで、お見せしましたら、まあもう、驚かれると同時に、もう本当に、あの、深い感動を表されまして、僕としては、ほんとに沖縄に行った甲斐があったと思ったんですけど、このあと、この落合さん、大田少将の三男の方と、どんなお話をしたのか。それを後半お話ししますが、キーワードは、これです(フリップ出す)」
村西利恵
「ここでズバリキーワードは、『平和のためにこそ』。落合さんとの対談の模様、CMのあと、お伝えします」
(いったんCM)
…………………………VTR開始…………………………
落合畯
「よろしくお願いいたします」
青山繁晴
「こちらこそ。まずちょっと挨拶……。本当に楽しみにしておりました」
落合畯
「いやいや、どうも、いつもどうも……」
青山繁晴
「ありがとうございます」
N:落合さんは、11人兄弟の9番目。大田司令官の三男として生まれ、
N:大田司令官が沖縄に出征する時は、4歳だったそうです。
落合畯
「ちょうどその、出征する前の日にですね、もう私ども、あの、子供ですけども早く寝てるんですけども、突然起こされて、まあ、あの、父が沖縄へ行くという、最後の宴(えん)だったと思うんです。まあそれが特別な夜だっていうことは、覚えてますし、まあそれで、それが最後ですね」
N:父の影響を受けて、防衛大学に進学し、海上自衛官となった落合さん。25歳の頃、赴任したのが、日本に復帰したばかりの、沖縄でした。名護市で、自衛隊員を募集する事務所の所長をしていた落合さんは、連日、自衛隊の駐留に反対するデモ隊の対応に追われていました。
N:そんな中、屋良朝苗(やら・ちょうびょう)沖縄県知事が落合さんを招き、父・大田司令官にまつわる沖縄県民の思いを語ったといいます。
落合畯
「君は毎日毎日デモ隊に囲まれて、反対反対でもう大変苦労してるだろうと。よく分かってると。大変若いから悔しいだろうと。それはよく分かると」
落合畯
「あなたの親父さん、お父さんが、あの“沖縄県民かく戦えり”という電報を打ってくれたので、(沖縄が)日本に返ってこれたんだよと。ところが考えて下さいよって。その、沖縄県は、27年間ね、里子に出されていたんですよと。やっと親元に帰ってきたんです、その気持ちを分かって下さいと。でね、沖縄の歴史を勉強して下さいと、そういうふうに懇々と言われる。まぁびっくりしましたね」
青山繁晴
「今の落合さんの、いわば証言で分かったのは、屋良朝苗初代知事は、沖縄が祖国に復帰できたこと自体が、大田實海軍少将が残された、あの海軍次官宛の正式な電報で、“沖縄県民かく戦えり 後世特別のご高配賜らんことを”、これがあったから祖国復帰だって、戦争で奪われた領土なのに戦争をせずに戻ったんだっていう意識を実は屋良知事はお持ちだったってことですか」
落合畯
「まあ支持母体が教職員ですから、これはしょうがない、表面上しょうがないんだけども」
青山繁晴
「学校の先生出身ですからね」
落合畯
「本当はね、全然そうじゃないんですね。左翼でも何でもない。要するにね、沖縄県民党なんですよ。沖縄の県民の幸せだけをね、願っている人なんですね」
N:また、落合さんは、1991年の湾岸戦争の時、
N:海上自衛隊の司令官として、日本で初めて海外派遣され、
N:機雷除去の陣頭指揮を執りました。
青山繁晴
「その、今のお立場として、今の集団的自衛権の行使容認について、どういうふうにお考えなのかを、僕もお聞きしたいですね」
落合畯
「いや、もう、あの、もちろんですよ。その、まあ、遅すぎるって私は思うんですね。戦争がいいか平和がいいかっていったら、そりゃ平和に決まってる。それよく間違えられるのは、その、自衛隊員は好戦的だ、また自衛隊がね、まさに戦争をしたい、とんでもない。一番行きたくないのは、行きたくないのは、自衛隊員ですよ。私いつもそこを言ってるんです」
青山繁晴
「自分の命ですからね」
落合畯
「要するにもっと、やっぱり自分の国は自分で守るっていう、気概を持たないと…」
…………………………VTR終了…………………………
青山繁晴
「あの、今のVTRの中で、格別のっていう、間違った字幕が出ましたが」(“沖縄県民かく戦えり 後世特別のご高配賜らんことを”)
村西利恵
「失礼しました」
青山繁晴
「正しくは、あの、僕が、VTRの中で言ってる通り、特別の、です。で、あの、先ほど、VTRの中でも写真を見ていただきましたが、この大田少将の三男坊が、落合畯さんですね。で、とても変わった名前ですよね。これどういう意味かというとですね、この畯さんというのは、お前はもう三男坊だから、田んぼを守って、家を続けてくれという意味であって、実はご長男、ご長男に、英雄(ひでお)さん、英雄(えいゆう)って名前をつけられたのは、お前は海軍大将になってくれと」
村西利恵
「なるほど」
青山繁晴
「いうことを大田少将は思われた。ところが、この、ご長男はですね、このお父様は拳銃自決されましたから、そのシャレコウベが、家族のところに戻ってきて、そして、その、ご自分の拳銃の跡が、頭、頭蓋骨を貫いてるのを見て、この英雄さんはショックを受けられて、そのあと、日本史の先生になると同時に、反戦運動家をなさった。ところが三男坊の、この落合さん、畑を守れと、いや、ごめんなさい、田んぼを守れと言われた畯さんは、自衛官になった。もうずーっと兄弟、生涯、議論のしっぱなしだったそうです。ま、喧嘩と言われてましたが。ご兄弟ですから殴り合いの喧嘩じゃなくて、ずっと、どちらが正しいのかっていうことを言われてて、その上での、先ほど集団的自衛権について、むしろ遅すぎるんじゃないかってことをおっしゃったわけです。で、これは、その、安全保障とか防衛とかいうことだけではなくて、人の生き方として、一度喧嘩に負けたら、その、亀が頭を引っ込め、過剰防衛で引っ込めるように、何もしないでいいのかと。むしろ、その、なぜ負けたのかを謙虚に振り返ることも含めて、大田少将が残された電文の通りに、謙虚に振り返ることも含めて、ではもう一度、新しい役割を果たそうと。人のため、みんなのため、世界のため、アジアのために、何ができるかやるべきだってことを、落合さんはずっと主張されて、そして残念ながら、この、ご長男は先に逝かれたから、今はその議論は終わったけれども、今の、時代について、落合さんとしてさっき問題提起をされたわけですね。で、その現実、これからの問題として、集団的自衛権はどうなるかというと、皆さん意外かもしれませんが、こういう現実があります」
村西利恵
「来年の通常国会で、集団的自衛権の法整備が、できない可能性」
青山繁晴
「ええ、実は2日前に、安倍総理が一番信頼してる官邸の中枢の人と、お会いして、長時間議論したんですが、その時に、安倍政権は体力はかなり奪われていて、このまま行くと、来年の通常国会で、まあ長丁場で、集団的自衛権の法整備自体が、実はできないかもしれない。閣議決定だけして、法改正ができないかもしれない。つまり、政権崩壊につながりかねないと」
村西利恵
「そうですね」
青山繁晴
「いう厳しい情勢にあること言われまして、したがって安倍総理が何を検討してるかというと、これです」
村西利恵
「年内に、ウルトラサプライズ解散も」
青山繁晴
「はい、これは実はまともな話だと思うんです。つまり、かつては、再来年の夏に衆参ダブル選挙をやればいいんだから、それまで国政選挙ないんだと、いう甘えが、安倍総理ご自身の中にもあったと思います。でもそれを、考えを、あの、変えられてですね、むしろ国民に堂々と、ここまでやってきたんだから、信を問うと、国民に意見を聞いて、それで政権をもう一度やれるんならやろうという考えに変わってきたっていうのは、最後にもう一度、あのお二人のお顔を出してほしいんですが」
青山繁晴
「このお二方が呼びかけてることを、私たちがそれぞれの、自分の意見をもう一度考え直す、きっかけにしていただきたいんです。つまり大田少将が、あの、次官宛の電文でおっしゃったのは、人の生き方として、その、みんなのために生きた人がここにいるんだから、特別の配慮をして下さいと、その、おっしゃったわけですよね。で、それを踏まえて、海上自衛隊としての経験を語られたわけですから。実はその、学者の言う話とか、あるいはその、特定の偏った立場で議論されるだけではなくて、たとえば集団的自衛権を含む新しい安全保障、防衛、国のあり方を、人の生き方として、人の生き方が国の生き方ですから、そういう目からも、もう一度、考えて、そして、衆議院解散総選挙に私たち主権者として備えるってことを、今日の最後の問題提起にいたしたいと思います」
岡安譲
「はい。ありがとうございました。以上、青山さんの“ニュースDEズバリ”でした」
(いったんCM)
(他のニュース報道のあと番組終了直前に)
岡安譲
「あの、先ほども、青山さんからありましたけど、青山さんが8月に本を出されます。えー、タイトルが、今日のタイトル(キーワード)、と同じですね。『死ぬ理由、生きる理由』と、いうことで」
青山繁晴
「はい。『英霊の渇く島に問う』と書きましたが、これは硫黄島のことです。で、この後ろ見ていただくと、これが硫黄島なんですね。硫黄島に、ま、再会しました。で、中、開くと、真っ白です(一同笑&ざわ)。これ、実は、もう、間に合ってますが、えー、原稿はちゃんと間に合って、お買いになる時には中が全部、ありますから(もう一度中を開く。一同笑)」
岡安譲
「原稿ができてないわけではないんですね」
青山繁晴
「はい、もう上がってます(笑)」
岡安譲
「ということで8月…」
青山繁晴
「12日です」
岡安譲
「12日に出版ということになります」
青山繁晴
「はい、ありがとうございます」
岡安譲
「ということで、青山さん、今日、ありがとうございました。ではいったん東京のスタジオです」
(番組終了)
____________________________内容紹介ここまで
皆様、スクロールお疲れ様でした(^_^;
今週は、拙ブログの「アンカー」書き起こし史上、最も画像が多かったかもしれません(66枚)。
でも、400回にふさわしい素晴らしい内容だったと思います(^▽^)
なお、ご存知の方も多いと思いますが、青山繁晴さんのお母様が7月25日に亡くなられました。
問い合わせが多いようで、ご葬儀の日取りなども告知されています。
詳細は青山さんのブログをご覧下さい。
そして番組の最後にも告知がありましたが、青山繁晴さんの新刊「死ぬ理由、生きる理由 -英霊の渇く島に問う-」の発売まであと約2週間。待ち遠しいですね。
初版の部数がどのぐらいなのか分からないので何とも言えませんが、前作「ぼくらの祖国」は発売とほぼ同時に在庫切れになりました。
発売日に確実に入手されたい方は、お早めの予約をお勧めします。
★青山さんの既刊はこちらから。
※拙ブログはAmazonアソシエイトに参加しています。紹介している商品をクリックしてAmazonを訪問された皆様がすぐに購入されなくても、24時間以内にその商品や他の商品を購入されれば当方の報酬になります(紹介している商品にお目当ての物がなくても、どれかを適当にクリックしてAmazonの中に入っていただき、そこから目当ての商品に検索などで飛んでいただき購入されれば、当方の報酬になります)。「寄付」的にご協力いただければ幸いです。
この日の「アンカー」では他に以下のニュースで青山さんの解説がありました。
●中国・周永康前常務委員に人民日報も言及 刑事責任の追及が焦点
●中国・新疆ウイグル自治区で武装グループが警察施設などを襲撃
●安倍首相、石破氏に安全保障法制担当相を打診 石破氏は回答保留
拙ブログで紹介しきれなかった他の青山さんの発言については、こころが風邪をひいたらさんが後日文字起こしして下さると思うので、そちらをご覧下さい。
※参考リンク
・ON THE ROAD 青山繁晴の道すがらエッセイ
青山さんに直接コメントが送れます。
・こころが風邪をひいたら
拙ブログで紹介しきれなかった青山さんの発言を起こして下さっています。
・青山繁晴氏のファンサイト・淡交 ブログ
動画の紹介など情報が大変充実しています。
※拙ブログ関連エントリー(アンカー)
・【一覧】「アンカー」青山さんコーナーテキスト起こし
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※拉致被害者奪還 日本列島縦断デモ行進はじめ、各種デモ・集会のまとめ
http://ameblo.jp/hosyuyamato/
竹島に関する動画:英語版(Takeshima - Seeking a Solution based on Law and Dialogue)
尖閣諸島に関する動画もあります。いずれも12カ国語公開されています。世界に広めましょう!
「島根県の竹島英文ページを検索に引っ掛かり易くする作戦」もよろしく。
アニメ「めぐみ」配信中。
日本語版のほか外国語版もあります。ダウンロードはこちらから。コピーフリーです。世界に広めましょう!
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