朝日はいつまで「元慰安婦」を利用するの?
 「従軍慰安婦」論争は国内ではもうとっくの昔に決着がついているのに、朝日新聞はまだあきらめてないみたいですね。
 ただ「従軍慰安婦」という呼称はやめて、単なる「慰安婦」としているあたり、朝日も頭では自分たちの敗北を理解してはいるようですが……(いつから呼称を変更したんでしょ?)。

 どっちにしろ朝日は「元慰安婦」らが生きている間は最大限に利用して、反日プロパガンダに役立てようという腹づもりなんでしょう。「元慰安婦」の『証言』はちょっと調べたらすぐに怪しいと気づくのですが、一般の読者を騙すには十分ですからね。

 「従軍慰安婦」についてご存知ない若い方もおられるかもしれませんので、参考資料をまず紹介しておきます。
 (すでにご存知の方は〇(^(工)^)〇マークまでワープ!)

慰安婦(「従軍慰安婦」から転送)(wikipedia)
JOG(106) 国際派日本人養成講座 Media Watch: 「従軍慰安婦」問題(上)
JOG(106) 国際派日本人養成講座 Media Watch: 「従軍慰安婦」問題(下)
散歩道さん:【おさらいしよう!】従軍慰安婦

 「従軍慰安婦」の証言を未だに一人歩きさせている元凶は、やはり1993年に出されたいわゆる『河野談話』でしょう。
 しかし後に国会で、この談話に沿わない答弁がされています。1997年、平林博氏(政府委員)が、「調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せなかった」と公に認めたのです。

 当時の官房副長官で談話作成に関わった石原信雄氏も、同じく1997年、産経新聞のインタビューに対して、「随分探したが、日本側のデーターには強制連行を裏付けるものはない。慰安婦募集の文書や担当者の証言にも、強制にあたるものはなかった」と答えています。

 石原信雄氏は、2005年にも産経のインタビューに対し、このように不満を吐露しています。
 「韓国側が慰安婦はすべて強制だとか、日本政府が政府として強制したことを認めたとか、誇大に宣伝して使われるのは、あまりにひどい。韓国政府関係者の言い分は、(当時と)ぜんぜん違った形になっている」
 「いろいろな国際会議で、日本政府が政府の意図で韓国女性を強制的に慰安婦にしたと言っているが、全く心外そのものだ。談話には書いてないが、納得ずくで慰安婦になっていた人だっている」

 『河野談話』にある「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」というくだりにしても、当時は戦地での強姦を防ぐために、民間業者に戦地で開業させていたのであって(当時は公娼制度は合法だし、どこの国でもやっていた)、戦地だから、業者の指名、戦地への移動、営業状態の監督などは軍の関与が当然ありました。特に問題視されることではありません。

 ついでに言えば、『河野談話』が出される約1年前、朝日新聞が宮沢首相の訪韓直前に掲載して公式謝罪に追い込んだ「慰安所、軍関与示す資料」という記事についても、実態は、一部の業者が慰安婦を騙したり、誘拐まがいのことをする事件が多発していたため、軍が注意を呼びかける通牒を出していたという、良い意味での関与にすぎませんでした。

 とにかく『河野談話』が存在する限り、日本の冤罪は消えそうにありません。安倍さん、あるいは麻生さんが総理大臣になった暁には、ぜひ撤回していただきたいものです。
 (『河野談話』の詳細は拙エントリー1/21付:河野洋平〜特定アジアにおける輝かしい功績を参照)

 〇(^(工)^)〇前置きが長くなりましたが、ここからが本題〇(^(工)^)〇

韓国 元慰安婦たち、静かに寄り添って(朝日新聞・関西)
2006年03月02日

 ソウルからバスで1時間の広州(カンジュ)。小雪が舞う町はずれの山あいに「ナヌムの家」はあった。ナヌムとは「分かち合い」。日本軍に性暴力を受けた元慰安婦9人が助け合い、静かに暮らしていた。
     ◇
 「やっと平穏な生活を手に入れることができた」。李玉善(イ・オクソン)さん(78)はオンドルのついた8畳ほどの個室で編み物をしていた。「家」に来たのは6年前。戦後55年間、連行先の中国で暮らしていたという。
 「無理やり連れて行ったうえ、戦争が終わっても、ほったらかし」。編み物をやめ、語気を強めた。
 韓国南東部の蔚山(ウルサン)で、住み込みのお手伝いとして働いていた42年、大通りを歩いていると、背の高い男2人に突然、両脇をつかまれた。トラックに放り込まれて両手両足を縛られ、口をふさがれた。連れて行かれたのは中国東北部の延吉。電気の流れる鉄条網に囲まれた飛行場で草刈りや滑走路の掃除をさせられ、食べ物は小さなパンだけだった。
 「こんな所では働けない」。抗議すると、3畳ほどの部屋が並ぶ土やれんがの建物へ。風呂に入れられ、着物や足袋、げた、布団を渡された。「これはお前らの借金。稼いで返せ」。その日から「トミコ」と呼ばれ、兵士らの相手を強いられた。
 多い日は40〜50人が列を作った。ある時、階級の高い兵が入ってきた。避妊具を使おうとしないので拒むと、殴られて短刀で腕を刺された。
 戦争がいつ終わったのかは知らないという。ある日、日本兵が「ここは危ない。一緒に逃げよう」と山に連れ出した。だが、女性たちを山に残したまま去った。山を下り、知り合った北朝鮮出身の男性の後妻になった。子どもはできなかった。
 「もう一度、家族に会いたい」。夫が亡くなり00年、韓国に戻った。両親はすでに亡くなり、自分の死亡届も出されていた。生きていると認めてもらうのに2年近くかかった。
 「慰安婦を認めようとしない日本人は、私たちが死ぬのを待っているんじゃないか」。李さんの言葉は、取材する私の胸に突き刺さった。
     ◇
 李さんの隣の部屋で暮らす金君子(キム・グンジャ)さん(79)。「私は天涯孤独。この世に生きて、何も残すものがない」と、硬い表情で天井を見つめた。
 幼い時に両親が死んで養女に。17歳の時、家に朝鮮人2人が来た。「工場で働かせてあげる」。列車で連行されたのが旧ソ連国境近くの中国・琿春。慰安所だった。
 「ジュンコ」と呼ばれ、日本兵の相手をする毎日。「死にたい」。首をつったが、ひもがちぎれて未遂に終わった。そのアザを見つけた日本兵が殴りかかってきた。日本語で返事できないと短刀で足を刺された。
 ある日、銃声がやみ、飛行機の音も聞こえなくなった。日本兵が「お前ら好きにしろ」と言う。慰安婦たち7人で40日ほど、祖国を目指して歩き続けた。畑で大根を盗んで食べた。手をつないで中国国境の豆満江を渡った。一番端の女性の手が離れ、流された。誰も助ける力がなく、じっと見ていた。
 故郷に戻ったが養家には帰らず、友人宅に居候した。連行を知っていたはずなのに何もしてくれなかった巡査の養父に、不信感を持っていた。
 数日後、昔の恋人が訪ねてきた。すでに結婚していたが、「親のために結婚した。一緒に住まないか」と告げられた。部屋を借りて同居したが、3カ月後、恋人は周りから責められ自殺した。
 恋人の子を身ごもっていた。生まれた女の子は5カ月後に死んだ。働いたり寺で修行したりと、各地を転々。ナヌムの家にたどり着いたのは98年のことだという。
 「慰安婦を知らない人が増えた。日本だけでなく韓国でも……」。金さんの顔が一層悲しく見えた。
     ◇
 「行きましょ」。取材後、李さんに食事に誘われた。日本語だった。人生を変えた日本。本当は私の顔を見ることも、日本語を聞くことも嫌だろうと思っていただけに、ちょっと救われた気がした。だが、彼女の日本語は植民地支配の証しでもある。過酷な体験と今も続く偏見に、口を閉ざす元慰安婦もいる中、李さんと金さんは服をめくり上げて傷跡を見せてくれた。「歴史の事実を忘れてほしくないから」と語り続ける彼女たちは、今も日本の戦争と闘っている。そう感じた。(深松真司)

 日本のプロ市民が韓国で種をまき、「元従軍慰安婦」第一号の女性(キーセン出身者。キーセンは韓国では「娼婦予備軍」という認識)が名乗りを上げた1990年代初頭、日本の『強制連行あった派』や朝日新聞は、「日本軍が組織的に朝鮮人女性を強制連行して性奴隷にした」と主張していました。

 ところが強制連行の証拠が全くないことが世間に認知されていくにつれ、彼らの主張は「広義の強制連行はあった」に変化しました(広義の強制連行=騙されて慰安婦にされた等)。
 上記の記事を見ると、また主張が変化していますね。「日本軍は強制連行には関与していないものの、その後の対応が悪い」といった方向に。

 「慰安婦を認めようとしない日本人は、私たちが死ぬのを待っているんじゃないか」という李玉善さんの言葉に深松真司記者は良心の呵責を感じたようですが、私から見れば意味不明の言葉としか言いようがありません。
 だって日本人も「慰安婦」がいたことは認めてますよ。ただ「従軍慰安婦」(=日本軍が強制的に拉致連行して性奴隷にした女性)なんていう嘘は認められないと思っているだけ。

 李玉善さんを連れ去ったのは誰なんでしょうか。記事には「背の高い男2人」としか書かれていません。おそらくは2人とも朝鮮人でしょう。日本人に連れ去られたのであれば、日本を悪者にしたい朝日新聞は必ずそう書くはずです。

 それを裏付ける資料があります。李玉善さんのこれまでの発言まとめです。発言内容がその時々で微妙に変化しています。

棒太郎の保管庫さん:韓国人「慰安婦」の証言1【李玉善】より引用(太字強調は引用者)
【東大の学園祭での紹介】
http://minsei-komaba.hp.infoseek.co.jp/kikaku_frame.html

1927年日本の植民地だった韓国の釜山で6人兄妹の長女として生まれる。10代前半で日本人とchosun人の男性2人に拉致され、中国で日本軍の「慰安婦」にされた。戦後は中国に置き去りにされた。1999年に帰国し、「ナヌムの家」(元日本軍『慰安婦』が共同生活をおくる福祉施設、ソウル市内にある)に入居。以来、聖書を読んだり、日本語の勉強をしながら、毎週水曜日、ソウルの日本大使館前で元「慰安婦」への賠償と謝罪を求める「水曜デモ」に参加している
-------------------------------------------------
【QAB琉球朝日放送での紹介】
http://www.qab.co.jp/01nw/05-10-14/index9.html

李玉善(イ・オクソン)さん。李さんは戦時中、旧日本軍にむりやり従軍慰安婦にさせられたひとりです。李さんは釜山生まれ。15歳のとき、お使いに出かけ、路上で、日本人とchosun人のふたり組の男に突然、両脇を抱えられて連れ去られ、中国で慰安婦として働かされました。
-------------------------------------------------
【東京新聞での紹介】
http://www.tokyo-np.co.jp/kioku05/txt/20050729.html

軍慰安所の少女たちは皆、日本名で呼ばれていた。十四歳の李玉善(イ・オクソン)さん(78)は、この呼び名が嫌いだった。
(中略)
朝鮮半島東南の海辺の町、蔚山(ウルサン)。買い物に出かけた李さんが突然、見ず知らずの男たちに捕まり町から連れ去られたのは一九四二年のことだ。貨物列車で連れて行かれたのは、中国東北部、延吉の日本軍駐屯地に置かれた慰安所。管理人を名乗る男から着物と毛布を渡され、「これは借金だ。返すまで家には帰れない」と言われた。
-------------------------------------------------
【JANJANでの紹介】
http://www.janjan.jp/world/0401/040126574/1.php?action=tree&PHPSESSID=d4499a4bb06bba1c5043b1ac274ba74fl

李玉善さんは1927年釜山で6人兄妹の長女として生まれた。家が大変貧しくて学校に行きたくても行けなかった。14歳の時、お金が稼げるし、学校にも行かせてやると言われ、飲み屋の養女として売られたが、仕事がうまくできないと雇い主からよく殴られた。その後李さんはその店を解雇され、別の飲み屋に売られた。
 ある日、店の人からお使いに出された時、日本人とchosun人の男性2人に拉致され、行き先も告げられず無理やりトラックに乗せられた。李さんが到着した場所は中国の延吉にある空軍部隊の飛行場だった。
-------------------------------------------------
【ナムヌの家】

http://excite.co.jp/world/korean/web/?wb_url=http%3A%2F%2Fwww.nanum.org%2Fsub7%2Dmain1%5Fg8.htm&wb_lp=KOJA&wb_dis=2

(自分の親の)学校を送ってくれるという話は真っ赤な嘘だった. 養女でもなかった. chosun人主人はあらゆる下動きはもちろんスルゾブデまでさせた. オックソンはお酒接待を拒否して二回も逃げてからブッザブヒョがなぐられたりした.
(中略)
朝鮮男2人が手首をぱっと引っ張って

 証言を総合するとこういうことでは?
 「李玉善さんは家が貧しかったため、朝鮮人が経営する飲み屋に養女として売られた。が、お酒の接待を拒否した。飲み屋の主人は『使えない娘だ』ということで、彼女を朝鮮人の売春業者に売り飛ばした」

 朝日の記事に戻って、2人めの「元慰安婦」金君子さんについて。
 金君子さんに至っては、だまして連行したのは「朝鮮人2人」だとはっきり書かれてあります。
 調べてみるとこの人も李玉善さん同様、証言がその都度、微妙に違っています。そして、残念ながらこの人も養父に「売り飛ばされた」公算が強い。

・朝日の記事における証言
 幼い時に両親が死んで養女に。17歳の時、家に朝鮮人2人が来た。「工場で働かせてあげる」。列車で連行されたのが旧ソ連国境近くの中国・琿春。慰安所だった。
北海道新聞の昨年6/23付記事における証言
 幼いとき両親をなくした金さんは、六十数年前、日本植民地時代の韓国江原道で、養女に出された。ある日、養父から「お使いに行っておくれ」と言われて、汽車に乗せられた。女性たちがたくさんいて、兵隊の姿も見えた。
暗川さんより、昨年11月「東京の高校生 平和のつどい」における証言
 私は10歳で父、14歳で母を亡くし、孤児でした。あの頃はみんなそうでしたが、大変な暮らしで、他人の家に働きに出て日銭を稼いでいましたが、16歳の時、チョロンの巡査の養女になりました。その頃、私にはボーイフレンドがいましたが、結婚できませんでした。1942年3月、養父に「お金を稼げるところがあるから」と言われて、朝鮮人の軍人に連れて行かれました。
 
 となると、↓朝日の記事に登場する養父の態度は実に自然です。
 故郷に戻ったが養家には帰らず、友人宅に居候した。連行を知っていたはずなのに何もしてくれなかった巡査の養父に、不信感を持っていた。
 
 養父が何もしてくれなかったのは、金君子さんを朝鮮人に連行させた(売り飛ばした)のが他でもない養父自身だったから。

 「あの頃はみんなそうでした」と金君子さん自身が言っているように、当時は貧しさが引き起こしたこのような悲しい出来事がたくさんありました。朝鮮に限らず日本でもありました。もちろん日本人の慰安婦もいました。
 
 「元慰安婦」の方たちは確かに不幸な人生を過ごしてきたかもしれません。それは悲劇だと思いますし、同じ女性として同情もします。
 が、本人が好むと好まざるとにかかわらず、「慰安婦」=「商行為」だったというのが当時の認識です。「性奴隷」というのは当たりません。
 現代の風俗嬢と同じで、好きで働いていた人もいれば、借金などの理由で嫌々働いていた人もいたということです。
 それを「日本政府は謝罪と賠償をせよ!」なんて無茶もいいとこです。

 さらに言えば、「元従軍慰安婦」を支援する運動そのものにも悲劇があります。
 『マンガ嫌韓流2』でも紹介されていましたが、「元従軍慰安婦」支援者らの目的は、「元従軍慰安婦」の支援ではなく、日本政府から謝罪・補償を引き出すことです。そのため民間による「アジア平和国民基金」を受け取ろうとした「元従軍慰安婦」ら7人は彼らに糾弾されることになってしまいました。
 そのあたりの経緯がこちらに詳しく載っています。
 件の金君子さんもその一人のようで、上記ページにも証言が載っています。

 そういや最近、こちらのブログ(コメント欄はめちゃ重たいので注意)で、こんなコメントを見つけました(太字強調は引用者)。
Commented by マーメイド at 2006-03-01 19:31 x

いやあ、凄い数のコメント、読むだけで疲れたくらいだから、管理人さん、大変ですな。
13年前から韓国にはまり21回行った私は今、立派に嫌韓人となりました。
自称従軍慰安婦のハルモニから話を聞かれたそうですが、私は、韓国人の友達の家で、そこのハルモニとハラボジから、「そんなのはでっち上げだし、知り合いにもいたが、ただの売春婦だよ」とハラボジが言い、ハルモニは、「貧乏な家は娘を売ったから・・・、うちは貧乏じゃなかったから良かったよ。」いう話を日本語でされるのをこの耳で聞きましたが、いかが思われます?
実録、生き証人なんですが・・・。

 現実はこんなもんでしょう。
 などと書くと、「たとえ慰安婦を連行したのが朝鮮人だとしても、日本兵にひどい扱いを受けたのは事実では?」と反論される方もおられるかもしれません(それこそ朝日の思うツボなんだけど)。
 そういう方はぜひ↓こちらをお読みください。

JOG(106) 国際派日本人養成講座 Media Watch: 「従軍慰安婦」問題(上)より引用(太字強調は引用者)
■1.米軍がレポートする慰安婦の実態■

 米軍情報部は、北ビルマのミチナ慰安所で収容された慰安婦からの聞き取りをもとに、以下のような報告書を残している。

>女性たちはブローカー(および経営主)が、300〜1000円の前借金を親に払って、その債務を慰安所での収入で返還している。経営者との収入配分比率は40〜60%、女性たちの稼ぎは月に1000〜2000円、兵士の月給は15日〜25円。[1,p270]
>慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋に宿泊して、・・・・寝起きし、業を営んだ・・・・彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。
慰安婦は接客を断る権利を認められていた・・・・負債の弁済を終えた何人かの慰安婦は朝鮮に帰ることを許された[1,p275]

 また、ビルマのラングーンで慰安婦をしていた文玉珠さんの手記では、その生活ぶりを次のように語っており、米軍のレポートを裏付けている。

支那マーケットにいって買物した。ワ二皮のハンドバッグと靴をわたしのために買った。母のためにもなにか買った。
>将校さんたちに連れられてジープに乗って、ぺグーの涅槃像をみに行った・・・・ヤマダイチロウ(日本兵の恋人)と大邱の母の無事を祈って帰ってきた。[1,p276]

 ちなみに文玉珠さんは、平成4年に日本の郵便局を訪れ、2万6145円の貯金返還の訴訟を起こして敗れている。千円もあれば故郷の大邱に小さな家が一軒買えると体験記で述べているが、現在の貨幣価値なら、4〜5千万円程度の金額を、3年足らずで貯めたことになる。[2,p301]

 「従軍慰安婦」というと、海外では"military sexual slavery(軍用性奴隷)"などと呼ばれるように、日本軍によって郷里から強制連行され、戦地では何の自由もなく、もちろん無給で、ひたすら兵士にもてあそばれた、というイメージが定着している。しかし、この米軍の報告書では、まったく違う実態が報告されている。一体、どちらが真実に近いのか?

 小野田寛郎さんも正論2005年1月号「私が見た従軍慰安婦の正体」の中で、中国揚子江中流の漢口(現武漢)の慰安所の話として、こう証言しています。
 ここで親しくなった経営者の話を紹介しよう。「体力的に大差がない筈なのに、内地人は兵士たちと言葉が通じるために情が通うのか、本気でサービスして商売を忘れ健康を害してしまう。そのために送り返さねぱならず、経営者にとって利益が少ない。兵隊さんには内地人ばかりで営業するのが本当だが」と本音を漏らしていた。

 私の育った街には花柳界があったので、芸妓と酌婦をよく眼にしたが、当時は玄人女と呼ばれた彼女たちの外出姿でも一般の女性と見分けることが出来た。その目で見れば漢口の街でも同様だったが、特に朝鮮人の女たちは特色があった。というのは彼女たちは数人で外出してくるのだが、民族衣装ではなく、着慣れないツーピースの洋装のせいで着こなしが悪く、また歩き方にも特徴があって一目で見分けられた。

 彼女たちは実に明るく楽しそうだった。その姿からは今どきおおげさに騒がれている「性的奴隷」に該当する様な影はどこにも見いだせなかった。確かに、昔からの言葉に、「高利貸しと女郎屋の亭主は畳の上で往生出来ぬ」というのがあった。明治時代になって人身売買が禁止され「前借」と形は変わったが、娘にとっては売り飛ばされた」ことに変わりはなかった。

 先述の「足を洗う」とは前借の完済を終えて自由の身になることを言うのだが、半島ではあくどく詐欺的な手段で女を集めた者がいると言う話はしばしば聞いた。騙された女性は本当に気の毒だが、中にはこんな話もある。「『従軍看護婦募集』と騙されて慰安婦にされた。私は高等女学校出身なのに」と兵士や下士官を涙で騙して規定の料金以外に金をせしめているしたたかな女もいた。またそれを信じ込んでいた純な兵士もいたことも事実である。日本統治で日本語が通じた故の笑えない喜劇でもある。

 ところで、その「慰安所」にどれだけの金が流れたのだろうか。これが「慰安婦」が「商行為」であった確かな事実である。私の次兄が主計将校で、漢口にある軍司令部に直接関係ある野戦衣糧廠にいたので「慰安所」について次のような統計があると教えてくれた。

 当時、漢口周辺には約三十三万人という兵力が駐屯していたが、ある理由で全軍の兵士の金銭出納帖を調べた。三分の一が飲食費、三分の一が郵便貯金、三分の一が「慰安所」への支出だった。貯金は給料の僅かな兵士たちにとって嬉しいことではなかったが、上司から躾として教えられている手前せざるを得なかったのが実情だった。私も初年兵として一ケ年、江西省南昌にいたが、食べたいのを我慢して貯金した。

(中略)

 「兵隊さん」と郷里の人々に旗を振って戦場に送られた名誉の兵士も、やはり若い人間なのだし、一方にはそうまでしてでも金を稼がねばならない貧しい不幸な立場の女性のいる社会が実際に存在していたのだ。買うから売るのか売るから買うのかはともかく、地球上に人が存在する限り、誰も止めることの出来ないこの行為は続くだろう。根源に人間が生存し続けるために必要とする性(さが)が存在するからだ。

 「従軍慰安婦」なるものは存在せず、ただ戦場で「春を売る女性とそれを仕切る業者」が軍の弱みにつけ込んで利益率のいい仕事をしていたと言うだけのことである。こんなことで騒がれては、被害者はむしろ高い料金を払った兵士と軍の方ではないのか。

 最後に、朝日新聞のデタラメさについて。
 1年ほど前にも引用したのですが、井沢元彦さんが著書「逆説のニッポン歴史観」(小学館文庫)でわかりやすくまとめて下さってますので、ちょっと長くなるけど引用します。

 「第1章 朝日新聞の罪」の中の「従軍慰安婦キャンペーンは自殺行為」という項です。この項の初出は、「SAPIO」(小学館発行)1997年5月14日号です。
 文中の「引用者」は井沢さんを指します(太字強調は引用者)。
 (前略)ここで従軍慰安婦の定義をしておこう。「従軍慰安婦」とは「本人の意志に反し強制的に軍に連行され売春婦にさせられた女性」のことである。英語で言えばsex slave(性奴隷)だ。だから自発的に応募してきた慰安婦とはまったく意味が違う。

 最近、一部で、藤岡信勝氏や小林よしのり氏ら「強制連行は無かった」派が、まるで「慰安婦も無かった」と強弁しているような印象を与えるデマ情報を流している人間がいるから、ここではっきりさせておくが、誰も慰安婦の存在自体は否定などしていない。問題はそれが自由意思ではなく、強制的に連行されたと証明された場合、初めて「従軍慰安婦」なるものが存在したことになるのだ。

 (中略)私が「日本はこの件に関しては無罪」と主張する最大の根拠は、藤岡信勝氏らが既に指摘しているように、韓国が戦後久しく、この「慰安婦の強制連行」について少しも問題にしてこなかった点にある。韓国が問題にしはじめたのは、90年代に日本のマスコミがとり上げて以降のことなのである。

 補足しておこう。韓国には今も強い反日感情がある。(中略)その国民が、もし自分の国の女性が強制連行され慰安婦にされたという事実があったなら、戦後50年近く黙っているわけがないではないか。
 本人が恥ずかしくて名乗り出られなくても、公然とやったことなら、その両親や兄弟や恋人や同胞が黙っているはずがないだろう。必ず、「日本は我が国の女性を奴隷にした」と抗議し問題にするはずである。
 これだけでも被告「日本」は充分無罪だ。

 念のために付け加えておこう。今に至るまで「強制連行」の物的証拠は一つも発見されていない。文書も一枚も出てこない。
 これに対して、「ナチスのユダヤ人虐殺に関する資料が無いのと同じだ」という人がいる。こういうことを言う人は実は軍事常識というものがまったくわかっていない。

 昔、こういう冗談があった。「日本軍に一番の打撃を与えるためには何を盗めばよいか?」答えは「ハンコ」なのである。
 今、一番忘れられていることは日本軍(特に陸軍)は巨大な「お役所」であったという事実だ。何事も責任者のハンコがなければ動かない。もし軍が公然と強制連行をやっていたのなら、命令書や伝票(輸送、食料・衣料支給、報酬)の類いが相当数使われたはずだ。それが一枚も出てこないなど有り得ない。

 この問題は、吉田清治という人物が「私は韓国の済州島で朝鮮人女性を強制連行しました」という「証言」をしたことによって大問題となった。この「証言」と著者は朝日新聞が「従軍慰安婦キャンペーン」をするたびに、何度も繰り返し登場した。
 ところが、この吉田「証言」なるものがまったくのデタラメであることが現在は確認されている。
 済州島で発行されている済州新聞に許栄善という記者が「島民はこの話はデタラメだと言っている」と報じ、千葉大学の秦郁彦教授も現地調査でこの事実を確認した。
 「従軍慰安婦存在派」にとっては大打撃である。
 しかし、いかに自説にとって都合が悪い事実でも、誤報を出したのなら報道機関としては訂正謝罪すべきである。

 (中略)ところが、朝日はこの問題について、ずっと頬かむりをしていた。そして、97年3月31日になって、とうとうごまかし切れなくなり、次のように書いた。

 「……間もなく、この証言を疑問視する声が上がった。済州島の人たちからも、氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」
 (朝日新聞97年3月31日付朝刊、傍線引用者)

 何という卑怯な書き方だろうか。「証言が出ない」のならそれは「偽」であることが「確認できた」のである。

 (中略)この3月31日付の紙面は「従軍慰安婦は存在した」という大特集である。(中略)まず指摘したいのは、「強制連行」がなくても「強制性」があれば同じことだ、と問題をすりかえている点だ。
 そうではない。最初これが大問題になったのは、あくまで「強制連行」による「性の奴隷」だったからである。そういう罪状で「日本」を告発しておきながら、「強制連行の立証」が不可能だとみるや「強制性」があれば同じことだというのも卑怯な態度である。

 (中略)では、「名乗り出た“従軍”慰安婦」たちの証言はどうなるか?これも裁判ならば「私は被害者だ」という証言をうのみにしないはずだ。本当かどうか検証するだろう。
 それについては秦郁彦氏が「慰安婦『身の上話』を徹底検証する」(『諸君!』96年12月号)で述べているから、これをぜひ読んで頂きたい。結論だけ書けば、「かれこれ総合してみると、朝鮮半島においては日本の官憲による慰安婦の強制連行的調達はなかったと断定してよいと思う」である。
 では、どうして、そのような「証言者」が出るのだろうか?

 実は、そういう「日本は悪いキャンペーン」の仕掛人がいるのである。
 「右翼」「軍国主義者」の言うことは信用できないという人もいるかもしれないから、「中立」の資料を一つあげておこう。毎日新聞のソウル特派員の記事である。

 「実は私自身も、慰安婦問題で糾弾活動を続けた運動団体に当初から違和感があり、この問題に積極的にコミットする気持ちになれなかった。
 89年末、日本人女性と在日韓国人男性が、ソウル支局を訪ねてきた。『韓国人の戦争犠牲者を探している。韓国側から日本政府に謝罪と賠償を行う裁判を起こしたい。韓国人犠牲者を原告にしたい』との趣旨だった。歴史の発掘という努力はともかく、『原告を探す』という発想には正直驚いた。(中略)翌年、韓国の『太平洋戦争犠牲者遺族会』はこのグループなどの支援で東京地裁に裁判を起こした。
 『韓国人女性を従軍慰安婦として強制連行した』と述べた男性が昨年、謝罪のため訪韓した。一時間ほど話したが、『今回の旅行経費の一部は、同行取材した東京のテレビ局に出させた』と話すのを聞きながら、まじまじと顔をみてしまった」
 (下川正晴記者・ソウル支局)(毎日新聞93年9月9日付朝日新聞、傍線引用者)

 こういうまともなジャーナリストもいる。
 私が不思議なのは朝日新聞紙上でこの類いの記事を一度も見たことがないことだ。なぜ毎日の記者には「見える」ことが朝日の記者には「見えない」のか。
 答えは明白だろう。

 『吉田証言』が虚偽だったことに対する朝日新聞の往生際の悪さは、『堀江偽メール』を巡る民主党の対応のまずさにそっくりですね。最後は偽だと認めて謝罪した民主党の方が100万倍マシですけど。
 この井沢さんの文章が書かれてからすでに9年が経過しようとしていますが、未だに朝日の記者には「見えない」ようです。いや、「見えない」ふりをしてるだけ?


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Posted by くっくり 02:03 | 歴史認識 | comments (15) | trackback (0)
コメント
西村氏のブログ http://nishimura-voice.seesaa.net/

皇太子殿下のお誕生日に際しての記者会見の内容
1 会見年月日: 平成18年2月21日
2 会見場所 : 東宮御所
(略)
問5  「皇室典範に関する有識者会議」が最終報告書を提出し,女性・女系天皇を
容認する方針が示されました。今後の皇室のあるべき姿に関する考えや敬宮愛子様の
将来について,父親としてのお気持ちをお聞かせください。

皇太子殿下  「皇室典範に関する有識者会議」が最終報告書を提出したこと,そして
その内容については,私も承知しています。親としていろいろと考えることもありま
すが,それ以上の発言は控えたいと思います。皇室のあるべき姿としては,私は,
以前から申し上げているように,「皇室の伝統を尊重」しながら,天皇陛下をお助けし
つつ,国民の幸せを願い,国民と苦楽を共にしていくことだと思います。「これは時代
を超えて存在するもの」と思います。宮中で行われている祭祀については,私たちは
大切なものと考えていますが,雅子が携わるのは,通常の公務が行えるようになって
からということになると思います。
 愛子には,一人の人間として立派に育ってほしいと思います。名前の通りに,人
を愛し,人からも愛される人間に成長してもらえればと願っております。
http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/denkakaiken-h18.html
----------
「皇室の伝統を尊重」「これは時代を超えて存在するもの」というところから、
皇太子殿下は、男系男子継承のお考えと思います。たぶん天皇陛下も同じ。
Posted by すがり | URL | 06/03/04 04:18 | avittu5c

 この朝日の往生際の悪さは、国内でも問題ではありますが、そのままNYタイムスを始め、海外で事実として残っている事が最大の問題です。 「政府が認めたじゃないか」というのがキーワードになってしまっていますから、南京大虐殺の大嘘とともに、これから日本がどう巻き返すか、安倍さんと麻生さんに大いに期待したい所です。
Posted by Risshin | URL | 06/03/04 06:27 | EQCSZttE

いつも楽しみに読ませて頂いています。軽快な表現が
とてもいいですね。
中韓の嘘も段々明るみに出て、先日も中国が田中上奏文を偽文だと認めだしているとか。世界ではとっくに偽文
とされてるにも拘わらず。このいさぎよさのない所は朝日も共通ですか。
手前勝手ですが、私のお気に入りリンクに入れさせて頂いてます、もし問題があれば仰って下さい。
Posted by 小楠 | URL | 06/03/04 07:35 | .2G5plho

本当にそうですね。売国朝日は早く自滅して欲しいです。

> ちなみに文玉珠さんは、平成4年に日本の郵便局を訪れ、2万6145円の貯金返還の訴訟を起こして敗れている。

タイトル 『私の貯金を返せ−軍事郵便貯金支払い運動の報告'92.3〜93.4』
http://appls.tosho.co.jp/awf/books/2140.html

同一人物のようですね。
この人本を書いて賞をもたったようですよ。
反日支援組織が全面的にバックアップしていますね。
でもこれって自爆ではないですか。
従軍慰安婦=性奴隷=セックススレイブ=無給というのが世界の認識ですからね。
○○人って福沢諭吉も自伝で書いていますが全く信用できない民族ですね。
Posted by 馬鹿チョン朝日 | URL | 06/03/04 08:49 | qvUD2Ga6

慰安婦がもうかる商売だったってことで思い出したのは、瀬戸正夫さんというタイに住んでいる朝日新聞の現地助手をしていたひとが書いた本に「敗戦前に『従軍慰安婦』が前線からバンコクに戻ってきたので、日本人婦人会が炊き出しをしたが、慰安婦達はマズイと言って感謝しなかったので、婦人会は怒ってやめてしまった。」という記述です。この人は朝日的従軍慰安婦を信じているんですが、子どもの頃の体験がそれを裏切っているんですね。

http://www.asiawave.co.jp/seto/seto1.htm
Posted by きゃべじん | URL | 06/03/04 10:21 | U8eQ9XIM

河野洋平は現役議員・・・本人に撤回させられないもんだろうか?
息子に「オヤジを説得しろ」と電凸したりして・・・

>すがり様
どっかで見た?と思ったらここだったm9(^Д^)プギャー
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri/index.php?eid=316
Posted by tobitobi | URL | 06/03/04 11:53 | 4gjCtbqc

ここまで丁寧に順を追って
生き証人と朝日の陰謀を暴露し論破してゆく記事はとても勉強になります

ネットは情報の共有化です

くっくりさんの毎日の記事作業は本当に疲れることだと思いますが
確実に日本の世論を動かしています

どうかこれからも日本を良き国に導けるブログとして頑張ってください
Posted by d | URL | 06/03/04 12:02 | CTaWlqX.

「ナヌムの家」は園長が女性職員を強姦していたことで
解雇されましたよね。

ほんと糞ですね。
Posted by aa | URL | 06/03/04 14:10 | A2OGm8ZY

恥ずかしながら、社会人になったばかりの頃は周りの影響からだと思うのですが、日本は過去に酷い事をした、日本人であることが恥ずかしい・・・今思えばなんでこんな考え方をしていたのか不思議で仕方ないのですが、最近の中韓や朝日新聞(家はずっと朝日読者でした)への不信感他、数々の矛盾を感じるに至り・・・今はっきりとその原因がわかったと思います。

私は日本人として生まれた事に感謝するとともに、先人への尊敬の念を強くしています
Posted by ありがとう | URL | 06/03/04 15:35 | W/A3brN2

> tobitobi さん
うひ

>ありがとう
日本人てのは、世界でも平和で正直な人らですよ。だから騙されるんです w。荒波を乗り越えようとするなら、それではいけないですが。

「大神(おおかみ)たちの広き厚きみ恵をかたじけなみまつり、高き尊きみおしえ
のまにまに、なおき正しき真心もちて、誠の道にたがう事なく、おい持つわざに
励ましめ給い、家門(いえかど)高く身健やかに、世のため人のために尽くさしめ
給えと、かしこみかしこみもうす」
http://www.jinja.or.jp/faq/answer/07-04.htm
これは神道の日々の神拝の文句の一部ですけど、自然を尊び畏れ、励み、清々しく生きる日本人を言い表してます。日本人は無自覚な神道信者だと思います。
天皇陛下は、天照大神の子孫であり、神主様であって、日本の伝統、日本の心を集束させる元だと思います。
(ゆっときますが、天照大神が実際にいたとか天皇陛下はその子孫だと主張するつもりはありませんよ、もちろんw。心の伝説を踏まえればそういうことであるという意味)
Posted by すがり | URL | 06/03/04 16:30 | avittu5c

民主党のメール疑惑でのコメントの変化と従軍慰安婦での朝日新聞の論調が、まったくおなじというのは、非常に興味深いですね。
ワシントンと桜の木の話が心に沁みます。
Posted by かわまん | URL | 06/03/04 17:22 | .oFKzTBM

いつものようにここを読んでたら、なんと某ブログに書いた私のコメントが引用されていたんで、びっくりしました。

んで、これは今から4年ほど前に釜山に住む友達の家に行って実際に体験したことです。

恥ずかしながら当時の私は「従軍慰安婦はいた」側の人間だったため、(山田盟子著「慰安婦達の太平洋戦争」などの<あった>とされる本ばかり読んだ直後でした)そこの家のおじいさんとおばあさんから、当然あった、という話が聞けるものとばかり思っていたのが、肩透かしをくらった異聞になったのを思い出しました(^^;)

この老夫婦は日本統治時代を「別に悪い時代ではなかった、普通に生活していたよ」とも、おっしゃいました。
孫が大学でで日本語を勉強すると言った時は嬉しかった、日本語を忘れたくないから・・」とも。

こういう家庭は少なくはないらしいですが、統治時代を知っている世代がいなくなると・・・反日世代がますます、捏造に励みそうで残念です。以上参考にまで。
Posted by マーメイド | URL | 06/03/04 17:29 | OSrOZfoU

すみません、異聞→気分の間違いです。お恥ずかしい。
Posted by マーメイド | URL | 06/03/04 17:58 | OSrOZfoU

皆さん、コメントをいただきありがとうございます。
いつも個別にレスを差し上げられず申し訳ありません。

すがりさん:
すがりさんもそうお感じになりましたか。私もあれからいろんなブログや掲示板で「皇太子殿下は男系継承を望んでおられるに違いない」旨の意見を見ました。多くのメディア(特にテレビ)は「親としていろいろと考えることもありますが,それ以上の発言は控えたいと思います」の続きをカットしていましたよね。意図的なものを感じました。

マーメイドさん:
勝手に引用してしまって申し訳ありませんでした(^^ゞ。コメントいただいて大変有り難く思っています。
「ハルモニとハラボジの証言」を聞かれた時期、場所などを今回お話しいただいたことで、さらにエントリーが補強されたと思います。心より御礼申し上げます<(_ _)>
Posted by くっくり | URL | 06/03/05 03:32 | hA5jayAA

今日の委員会で、宮崎氏がおもしろいことを言ってました。韓国では反日若者が減っており日本では反韓若者が増えている。それはとにかく、いまの調子で推移すれば、日本vs韓国、中国戦争になります。その時煽ってるのは朝日新聞ということになるかもしれませんw。
皇太子殿下のご発言は、愛子様の父君ということで、かなり重要です。
Posted by すがり | URL | 06/03/05 16:58 | avittu5c

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