新年のご挨拶&年末に書きそびれた仙谷さんの話

2011.01.01 Saturday 17:27
くっくり



 すっとんきょうで、とんちんかんで、訳の分からない行為をしてるのはあなたの方ですよ!!

 そもそも樺太(サハリン)へ渡った朝鮮人は、自由意思で行った人が圧倒的多数でした。なぜ樺太に行ったのか。当時の樺太は、内地(日本)よりもはるかに賃金が高かったからです。
 このへん、半島よりも高賃金の仕事にありつけるからという理由で自主的に日本に来たくせに、戦後になって「日本に強制連行された」と主張し始めた一部朝鮮人と同じ構図です。

※詳しくは以下の拙エントリーを。
 07/6/5付:サハリン残留韓国人 日本の“理由なき支援”

 仙谷さんは1946年1月生まれ(敗戦から5カ月後)だそうです。

 英霊がどういう思いで散っていかれたのか。仙谷さん世代も含めた子や孫の世代に何を託して旅立っていかれたのか。

 仙谷さんは、そんなことはおそらく一度も真剣に考えたことがないのでしょう。想像を試みたことすらないのでしょう。
 こんな人が日本の国の舵取りを任されているなんて、本当に情けない限りです。

 ……元日からぼやき倒してすみません


 おまけ。
 父からの年賀状2011!(2010年&それ以前はこちら参照
 これまで賀状に政治的な話は添えたりしなかった人なんですが、よほど腹に据えかねたんでしょう。

image[101001-02nenga.jpg]

 「少し」「至極」……日本語がちょっと変なのは見逃してあげて下さい(^^ゞ

 ちなみに父は1935年生まれ、皇室存続賛成、外国人参政権付与反対で、基本的な考え方はけっこう保守です。
 特に外国人参政権に関しては、昨年「生駒市市民投票条例案」(現在も進行形)が問題になった際に、私が作ったチラシを自主的に知り合いに配るなどしてくれたほどです。

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