支那人の民族性を考える上での具体例を77年前の本に学ぶ

2010.12.07 Tuesday 01:58
くっくり


<予備知識1:時代背景>
 当時の支那大陸には、アメリカ人宣教師、民間事業家、それに領事館員や外交官等の政府役人が入国していました。もちろんヨーロッパや日本からも多数入国していました。宣教師は「可哀想」な支那人を救おうと、学校(ミッションスクール)や病院を作るなど慈善事業に尽くしましたが、その恩は全て仇で返されました。支那人は在留外国人に対し、略奪、暴行、陵辱、拷問、焼き討ち、虐殺を繰り返したのです。1927年の南京事件(1937年12月から翌年1月にかけての「南京事件」とは全く別の事件)では、日本人、イギリス人、アメリカ人、イタリア人、フランス人、デンマーク人に死者・不明者が出ています。ちなみに日本人約230名が虐殺された通州事件は1937年7月発生。

<予備知識2:筆者ラルフ・タウンゼント>
 アメリカの外交官。1931年に上海副領事となり、ここで満州事変に伴う第1次上海事変に遭遇。その後福建省福州副領事に。1933年に帰国、外交官を辞しました。その後、講演や著述を旺盛に行っていますが、それは支那事変勃発後ますます硬化するアメリカの対日姿勢に対する疑問の声であり、その異議申し立ての表明でした。こうした活動の果てに、1942年、ルーズベルト政権の時代に逮捕、収監されています。

※引用文中の( )は原文ママ、〈 〉は引用者くっくりによります。
※文中にたびたび登場する「宣教師」は、現代日本の媚中派の政治家、官僚、識者、財界人などに置き換えてみると宜しいかと。

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【改革・進歩は幻】

 〈中国に〉進歩を期待する者は、まだまだ「素人」である。慈善事業家が、さも明るい未来があるかのように寄付を呼びかけ、討論会を開いている。確かに中国の「進歩」関連記事は紙上を賑わしている。国民党の出す公衆衛生、法の施行、刑務所の改善、国民の教育、農業改良などの政府刊行物だけを読んだら、簡単に騙される。さて、そのうちどれだけのものが実践されているか。要するに、これは海外向けの宣伝なのである。現に、中国人は現実が分かっているから、白けたものである。お人好しで、物を深く考えない外国人を欺くプロパガンダなのだ。多くの「物書き」はすっかり騙されているのである。

〈中略〉情報が氾濫しているが、まず中国人とはどういう人なのか理解することが問題解決の糸口となる。新聞で農民虐殺、成り上がり者による政変、内乱等を読んだら是非考えて欲しい。持って生まれた性格は変わらないのである。

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