尖閣問題を考える上での具体例を77年前の本に学ぶ
2010.11.16 Tuesday 01:39
くっくり
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さて、今日のメインテーマ。
image[08townsend.jpg] 11/8付エントリー:【拡散】英語字幕付き尖閣衝突ビデオ(付:タウンゼントの中国評)で最後に紹介したラルフ・タウンゼントの著書「暗黒大陸 中国の真実」。
今から77年も前の1933年に出版されたものですが、読み進むにつれ、支那人の本質が今とほとんど変わっていないことに気づかされます。
まだまだ紹介し足りないので、引き続き尖閣問題をはじめとする対中問題を考える上で参考になりそうな箇所を引用していこうと思います。
前回は一般論についてでしたが、今回はより具体的な事例を引用します。
<予備知識>
当時の中国大陸には、アメリカ人宣教師、民間事業家、それに領事館員や外交官等の政府役人が入国していました(もちろんヨーロッパや日本からも多数入っていました)。
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【恩人を殺す苦力*1】
たちが一番悪いのは汕頭*2の苦力である。私が1932年の4月、そこへ行くほんの前のことであるが、あるアメリカ水兵の死にまつわる、苦力の性格を良く表す逸話がある。かいつまんで話すと、夜遅く水兵が、サンパン*3で帰船しようとした。料金を払って降りようとすると、このサンパンの苦力が「もっと出せ」と喚きだした。水兵はこれを無視してタラップを駆け上がった。苦力は逃がすものかと追っかけ、足や服にしがみ付いた(中国人は汚い手で触るから困ったものだが)。振りほどこくと思わず蹴りを入れたので苦力はまっさかさまに水に落ちた。
水兵はわが身の危険も顧みず真っ暗の水に飛び込み、苦力をサンパンに助け上げた。これで終われば話にならない。これからである。何と、この助けられた苦力はサンパンに上がると、やおらオールか何かを引っつかんだと思うと、下で泳いでいる水兵の頭を打ちすえ、逃げ去ったのである。これを甲板で見ていた当番兵が発砲したが手応えなく、苦力は闇夜に消え、哀れ水兵は溺れ死んだ。
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