衆議院予算委員会より町村元官房長官と加藤元幹事長
2009.11.03 Tuesday 04:08
くっくり
ここは特にウケました!(≧∇≦)
また、加藤さんにしてはかなり意外っぽいけど、保守政党らしい言葉も。
「日本のアイデンティティは何だろう?世界に類を見ないほど自然に対する敬愛の念が強くて、石も山も川も全部、神。多神教のもとで自然と和し、その前に人間が和するというあたりがポイントじゃないかと思うことも時々あります」
この発言には、加藤さんのそばに座っていた民主党の松原仁さんが「そうだ!」と声をあげてました。
リベリベの加藤さんが保守色の強い松原さんに賛同されるとは、貴重な場面ですな。
さて加藤さん、実はここからがすごかったんです。
「7月7日の民主党の常任幹事会で財源論が出た。新聞報道によれば、正確ではないようだが、藤井最高顧問が財源のことはあまり心配するなと。『どうしようもない時はごめんねと言えばいいんだ』と言ったという報道があったが…」。
議場に笑いが巻き起こりました。
あ、加藤さんが言ってるのは読売新聞のこの記事のことです。
藤井財務大臣はこれに対し、「できなかったら4年後に責任とろうよと言ったんです。話がすりかわった」と答弁。
民主党側から拍手。もうええっちゅーねん、拍手は(T^T)
で、加藤さんの返しがこれ!
「(「責任とろう」じゃなく)もっときつい言葉なんですね。『下野すればいい』と。が、4年後に下野すればいいと本会議で鳩山さんも言ったが、それは何も言ってない(に等しい)。4年の間に選挙あるんだから、当たり前。だからそれは詭弁。4年の間にたぶん責任をとらされるようなことが起きます。それはたぶん藤井さんが考えてること」
ここから加藤さんの話、長いです。昔話も出てきます。でも、ちゃんと最後にオチが来るので、我慢して読んでみて下さいね。
「赤字公債を戦後初めて出したのは、昭和40年、福田蔵相の時にちょっとあるが、これは1年だけ。次は大平蔵相で昭和50年。私は官房副長官をしてたが、(大平さんは)責任をほんとに感じてた。
(昭和54年に大平さんは)自分が総理をあと3〜4年やらなきゃいけないかもと思って、無理を押して一般消費税を選挙で出して負けて、40日抗争になった。どうしても赤字公債を出さなきゃならん状況だった福田さんは、大平さんの前の蔵相だが、40日戦って、福田さんは大平辞めろと大論争に。中日、20日目ぐらいの時、大平さんが首相官邸に戻ってきた。私と大平さん2人でいて、その時に大平さんが『福田は俺に辞めろと言った。しかしあとを誰にやらせるかと考えると、俺には辞める自由がない。しかし万一ここで俺が死んだら(辞めたら)、誰が日本の総理になるべきか。加藤、言ってみろ!』。私は当時当選2回だから何も言えない。下を向いたら、『加藤言ってみろ!』と。狂気の目をしてる。私はまた黙った。すると大平さんは『いいか、ここで日本のために総理をさせなきゃならんのは福田赳夫だ』と。私は驚いた。さっきまで激しい戦いをして、われわれ子分も福田打倒とやってたのに、親分が、国のためには福田だと。しかし当人にも感情あったんでしょう。言いたくなかった。それを僕にぶつけた。それほど当時の首相、蔵相らは、赤字公債を出して借金増やしていくことに、後の世代に責任を感じた。
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