「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(2)
2009.09.13 Sunday 01:54
くっくり
●大きくてゆたかなたたずまいの川陽〈チヨニヤン〉の村で、わたしたちは村人から、「サーカス」があるから見にいこうと誘われた。行ってみて、場所が手入れもよく羽振りもよさそうなかわら屋根の大邸宅の中庭であると知り、引き返しかけたところへ、家にお入りくださいと心安く呼びかけられ、わたしは侍女たちに(文字どおり)捕まえられて、女たちの住まいのほうへ連れていかれた。わたしを取り巻いたのは、若いのもいれば年寄りもいて、妻もいれば妾も召使いもいるという四〇人は超しそうな女たちの集団で、だれもが晴れ着で装っていた。正妻はとても若く、インドかどこかの装身具をつけており、とても美人で、なんともいえずきめ細かな肌をしていた。が、四〇人を超すこの集団は、ひとり残らず礼儀に欠けていた。女たちはわたしの服を調べ、わたしを引っ張りまわし、帽子を取ってかぶり、髪をほどいてヘアピンを試し、手袋をはずさせてきゃあきゃあ笑いながらそれをはめた。そしてさんざんわたしをさかなにしておもしろがったあとその種も尽きると、自分たちの住まいを見せてもてなすことを思いつき、みんなしてかかえ上げんばかりの勢いでわたしに群がった。案内されたのは順につながった一四室ある部屋で、ほとんどどの部屋もせっかくのすらばらしい寄木張りの床が、ひどく醜いアニリン染めの「けばけばしく」て悪趣味なブラッセルカーペットで全面もしくは一部が覆われていた。安っぽい金ぴかの縁をした大きな鏡が淡い色合いの壁でぎらぎら輝き、フランス製の時計がどの部屋でも成り金的な趣味の悪さを発揮していた。(p.121-122)
●(前項のつづき)ホストは一八歳の若者で、朝鮮政府要人の長男である。((中略))この政府要人の息子はわたしのカメラの中を見たがり、写真を撮ってほしいと言った。そこでわたしたちは写真を撮るために、いまやたいへんな人数にまでふくれあがり、ますます不作法でうるさくなりつつあった野次馬を避けて屋敷の裏手におもむいた。わたしはホストの若者に朝鮮人の口には下品に見える外国製葉巻より、この国らしい長ギセルをくわえてもらった。ちょうどそのときホストの友人が何人かやってきた。その友人たち、つまりこの若者の取り巻きは、最近行われた試験で彼が優秀な成績をおさめたので祝宴を張っていたらしく、すぐさま出ていけと粗野なことば遣いでわたしたちを追い払おうとした。明らかに、礼儀を逸した好奇心が満たされたいまは、わたしたちがいることも、わたしたちが丁重にもてなされていることも彼らにはおもしろくないわけである。取り巻きのリーダーが荒っぽく話しかけると、ホストは政府首脳の息子であり、亡き王妃の近い親戚でもあるのに、わたしたちに背を向け、すごすごと自分の居室のほうへ引き上げてしまった。まさしく「捨てられたおもちゃ」となったわたしたちは、いくぶん屈辱的な思いで退去するしかなかった。(p.122-123)
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