64年目の夏に読む青山さんの新刊&うじき氏親子の「戦争」

2009.08.16 Sunday 02:18
くっくり


 たとえば、竹島でのアワビ漁を詳細に記録した手書きの台帳がある。
 それをみると、たったひとりの漁師がわずか一二日間、竹島で漁をしただけで、実に一四七〇キロのアワビが採れたことが記されている。
 約一・五トンである。これが現在のお金に直すと、ざっと二〇〇〇万円ぐらいの売り上げになったことも明記されている。
 この驚くほどの好漁場が今、韓国の手に落ちてからどうなったのか、日本の政府は知らん顔だし、隠岐の島の漁師たちも八幡家をはじめ知るよしもなかった。
 ところが最近、この八幡家のまだ若い当主が、島根大学に研修でやってきている韓国人と知り合い、その韓国人が漏らしたという。
 採って採って採り尽くすうち、竹島の海のアワビは、ただの一個もいなくなった。ゼロになった。
 ところが、昨年に、たった一個だけ再び採ることができた。そこで、その一個を韓国本土に持ち帰り、養殖しようとしている。しかし、そのノウハウが分からないから、島根大学にやってきたのだ。
 この証言がどこまで正確なのか、また八幡家のひとの受け止め方が正確なのか、いずれも未確認であることはフェアに記しておく。
 だが、乱獲が行われたことは、もはや疑いにくい。その乱獲は、対馬での韓国のプロ釣り師や漁師の姿と、そっくり、あまりにも似ている。
 ほんとうにみずからの領土、領海だと思っていれば、ここまで酷い乱獲をやるだろうか。
 人のものだと知っているからこその乱獲ではないか、それがリアルに疑われる。(p.315-316)


 そしてそして。
 このくだりは本の最初の方に登場するので、順番から言えばここでも最初に引用すべき箇所でしょうが、訳あって最後に持ってきました。

 青山さんは現在、近畿大学の経済学部で客員教授として国際関係論を講じていますが、学生たちに、こう語りかけているそうです。

 「きみとぼくは、これほど年齢差があっても、おんなじ教育を受けているんだ。それは敗戦後の教育であって、日本は戦争に負けたんだから、国を祖国と呼んではいけない、祖国にプライドを持ってはいけないという教育だったのではないか。敗戦後の世界では、日本はそうやって生きていくほかないという教育だったのじゃないか」
 「二〇〇〇年を超える歴史を持つ、この国で、ただ一度だけ戦争に負けたからといって、なぜ、そうせねばならないのか。世界の諸国は、隣の中国であれ朝鮮半島であれ、ヨーロッパであれ、多くの国々が、勝ったり負けたりを繰り返してきた。そして勝ったときではなく、負けたときこそ、どうやって、みんなが育んできたものを護り抜くのか、それを諸国は練習し、学び、鍛えてきた。この日本は、一九四五年の夏までは、ただの一度も外国軍に負けて国土を占領されるということがなかった。それは、ほんとうは、わたしたちの誇りだ。しかし、歴史を一枚の紙とみて、その裏をみると、負けたときにどうするか、それを学ぶ機会がなかったということだ。だからこそ、一九四五年八月一五日に初めて負けたとき、勝った側の言うことに染まらなければならないと思い込んだのじゃないか」

[7] << [9] >>
comments (50)
trackbacks (1)


<< 「アンカー」オバマ“核廃絶”は実現可能か?
「アンカー」新政権を襲う重大な2つの試練 新型インフルと北朝鮮 >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.04R]